次の日――6月17日・木曜日。
 昼食を取り終わり、眞姫は次の授業の準備をしようと席についた。
 そして5時間目の日本史の教科書を鞄から取り出した、その時。
「清家さん」
 ふと名前を呼ばれ、眞姫は振り返る。
「あ、岡田くん」
「昨日、清家さんから勧められたあの本、読んだよ。すごく面白かったよ」
 眞姫は、話しかけてきた少年・岡田秀一の言葉にホッとしたように微笑む。
「本当? よかったーっ。もしも岡田くんの趣向に合わない話だったらどうしようかなって思ってたから」
「ラストシーンなんて、想像していた展開と違ってて。意表をつかれたよ」
「そうでしょ? まさか主役が最後であんな行動起こすなんて、私も驚いたのよ」
「主役の行動も驚いたけど、そのまわりの脇役たちが、またいい味だしてるよね」
 眞姫は岡田と話を続けながらも、少し驚いていた。
 大人しく内気な印象は相変わらずであるが、こんなに口数の多い彼の姿を見るのは初めてである。
 それから数分、眞姫は岡田と他愛のない話をした。
 本を読むことが好きな眞姫にとって、彼との会話はそれなりに楽しかった。
 そして一瞬、会話が途切れたその時。
「おっ、姫っ!」
 廊下から、勢いのいい大きな声が聞こえる。
 眞姫は視線を廊下に向けた。
「あっ、拓巳? それじゃあ、また面白い本あったら教えてね」
 岡田ににっこり笑ってから、眞姫は席を立った。
 それから廊下で手招きする拓巳の元へと歩き出す。
 ふわりと揺れる眞姫の栗色の髪を見ながら、岡田はふと何かを考えるように俯いた。
 眞姫はそんな岡田の視線に気が付かずに、拓巳の待っている廊下に出る。
「どうしたの? 拓巳」
「姫、准のヤツ見なかったか?」
 きょろきょろ教室の中を見回す拓巳に、眞姫は言った。
「准くんなら、職員室に行くって言ってたけど……何か用事あったの?」
「んー、国語の問題集忘れたから、あいつに借りようと思ってな」
「国語の問題集? 私のでよかったら、貸そうか?」
 眞姫の言葉に驚いた表情を浮かべた拓巳だったが、次の瞬間パッと目を輝かせる。
「えっ、姫、貸してくれるのか?」
「うん。今取ってくるから待ってて」
 そう言って、眞姫は再び教室に入る。
 鞄から問題集を取り出している眞姫を廊下から見つめながら、拓巳はぼそっと呟いた。
「姫の問題集……ラ、ラッキーッ」
 嬉しそうな拓巳に、戻ってきた眞姫は微笑む。
「はい、これ。今日の国語の授業終わってるから、返すのは明日でもいいよ」
「おう、サンキュー! 姫っ」
 眞姫から問題集を受け取り、拓巳は右手を軽くあげてにっこり笑う。
 それと同時に、授業開始5分前の予鈴が鳴り始めた。
「じゃあ、また今日の部活の時ね、拓巳」
「ああ、助かったぜ。また部活で……っ!?」
 その時。
 ハッと拓巳は表情を変え、顔を上げる。
 そして素早く眞姫をかばうように位置を取り、右手に力を込めた。
 一瞬にして拓巳の掌に、美しく輝く“気”の光が宿る。
「! 拓巳っ!?」
 突然の拓巳の行動に、眞姫は驚いたように顔を上げた。
 そして目の前の眩い光に瞳を思わず細め、表情を変える。
 次の瞬間……耳元で、バシッという音が聞こえた。
 ちっと舌打ちしてから、拓巳は周囲を注意深く見回す。
「くっ、巧妙に“邪気”を隠しやがってっ。どいつだ!?」
「た、拓巳!?」
 眞姫は拓巳の視線を追うように、教室に目を向けてみる。
 だが教室の中は、普段と何も変わらない普通の風景。
 特殊な能力を持っていない普通の人間には、“気”の光は見えない。
 何かが起こったことも知らず、生徒たちの楽しそうな声で教室は満たされている。
 眞姫は、その大きな瞳を拓巳に向けた。
 不安そうに自分を見ている眞姫に気がついて、拓巳は握っていた右手を開く。
「微かに“邪気”を感じたらよ、これが……すごい勢いで飛んできたんだ」
 険しいの表情のまま、拓巳はそう言った。
 そんな手のひらに握られていたのは、一本の短いチョーク。
「え? これが?」
 その白いチョークをつまんで、眞姫は首を傾げる。
 そんなこと普通では考えられない。
 チョークが、宙を飛んでくるなんて。
「! まさか……」
 眞姫はそう呟き、ハッと顔を強張らせて口に手を当てた。
 ……昨日、宙を舞うCDに襲われたことを、思い出したのだ。
 その時。
「拓巳っ、姫っ!」
 息を弾ませ、職員室から准が戻ってくるのが見える。
 きっと、拓巳の“気”を感じたのだろう。
 その表情は険しいものだった。
「おう、准」
「何があったの? 拓巳の“気”を感じたから……急いで戻ってきたんだけど」
 眞姫の無事を確認してホッとした顔をしてから、准は拓巳に言った。
 ちらりと眞姫を見て、拓巳は溜め息をつく。
「微かに“邪気”感じたと思ったらよ、チョークが飛んできやがったんだ」
「……チョークが?」
 眞姫のつまんでいるチョークをじっと見て、准は何かを考えるように俯く。
 そしてふっと顔をあげ、眞姫に目を向けた。
「そろそろ授業始まるから、中に戻ろっか。姫」
「え? う、うん。じゃあ拓巳、また放課後ね」
 准に促され、眞姫は頷く。
 拓巳はそんな眞姫に手を振ってから、准に視線を移す。
「姫には言えなかったけどよ……俺がいなかったら、ヤバかったぞ」
 眞姫が自分の席に戻ったのを確認して、拓巳は小声でそう言った。
 それから、ふうっと嘆息し、続ける。
「咄嗟に“気”を漲らせたからよかったけど、普通に受け止めてたら手のひら貫通するくらいの威力あったぞ? まして、姫に直撃してたら……」
「学校の中に、“邪”の存在が?」
「ああ、たぶん間違いないと思うぜ。チョーク飛ばしたあと巧妙に“邪気”を隠しやがったから、どいつがこんなことしたのかまでは分からなかったけどよ」
 ちっと舌打ちして、拓巳は周囲を見回す。
 そして授業の始まりを告げるチャイムが鳴り始めたのを聞いて、准は拓巳の肩をポンッと叩いた。
「大丈夫、姫の周囲にはいつも以上に注意しとくから。ほら、チャイム鳴ったよ?」
「ああ。姫は任せたぜ、准」
「うん、今日は部活の日だしね。鳴海先生から話もあるみたいだし。そろそろ教室に戻った方がいいよ、拓巳」
「げっ、もう先生来やがったっ……じゃあまたな」
 5時間目の授業を担当する先生の姿を見て、拓巳は急いで廊下を駆け出した。
 そんな拓巳の後姿を見送ってから、准も教室に入った。
 眞姫は自分の席で、不安そうに准を見ている。
 彼女を心配させまいと、准は優しく微笑んだ。
 昨日の帰り、眞姫が“憑邪”に襲われたということは准も聞いている。
 きっと彼女も不安に思っているだろう。
 そう思いながらも、准は用心深く周囲に注意を払う。
 ……その時。
 ふと視線を感じ、准はその顔を上げた。
 ひとりのクラスメートと、目が合う。
 だが、さほど気にも留めずに視線をそらし、准は自分の席に戻った。
「…………」
 准と視線の合ったその人物・岡田は、ふと机に頬杖をつく。
 そしてその口元にふっと笑みを浮かべ、意味深に笑ったのであった。





 そして、放課後。
「なぁなぁ、姫。そういえば今度の日曜日、どの映画観るか決めとらんかったなぁ」
 まだ部活開始時間前の視聴覚室で、瀬崎祥太郎はにっこりと微笑む。
「あ、そういえば決めてなかったね。祥ちゃんはどれがいい?」
「俺は、姫とふたりっきりやったら何でもええで? そうや、ラブロマンスでも観て、その後俺らも……」
「おい待てっ、何がふたりっきり、だっ!」
「なんやぁ、やっぱりたっくんも来るんかい」
「あのな、もとはと言えば、俺が姫を誘ったんだぞっ!? 勝手についてくるって言ったのはおまえだろーがっ」
 眞姫と祥太郎の間に割り込んで、拓巳は大きく溜め息をついた。
 そんな拓巳に悪戯っぽく笑ってから、祥太郎は舌を出す。
「そーやったか? ま、ええわ。何観るか、日曜までに考えといてな、姫っ」
「うん、分かった。日曜日、楽しみにしてるね」
「……邪魔者がいなけりゃ、もっと楽しみなのによ」
「それはお互い様や、拓巳」
 眞姫はふたりのやりとりにくすっと笑ってから、おもむろに時計を見た。
 部活開始時間まで、あと3分余り。
 きっと、いつも通り時間ぴったりに鳴海先生は来るであろう。
 そして……眞姫を襲った“邪”について、何か話があるだろう。
 眞姫はふと、昨日傘の紳士に言われたことを思い出す。
 あの優しい紳士は、鳴海先生のことを知っていた。
 ちょっとした知り合いだと言っていたが、どんな知り合いであろうか。
 しかし、紳士は“空間能力”を操る“能力者”。
 そう考えると、同じ能力者である先生と知り合いでも、おかしくはない。
 でも、紳士は自分のことを隠すように眞姫に言った。
 それは一体、どうしてだろうか。
 そんなことを考えながら、眞姫はうーんと首を捻る。
 その時。
 時計の針が時間ちょうどをさすと同時に、ガチャッと視聴覚室のドアが開いた。
 映研部員たちは鳴海先生の姿を見て、おもむろに隣の準備室に移動し始める。
 眞姫は歩を進めながらも、ちらりと先生に目を向けた。
 相変わらず表情を変えずに、先生は言った。
「どうした? 質問ならミーティングの時に受け付ける」
「えっ? い、いえ、大丈夫です」
 切れ長の瞳に見つめられ心拍数の上がった胸を押さえて、眞姫は慌てる。
 先生と紳士の関係を聞きたかった眞姫であるが、秘密と言われている事情上、みんなの前で質問するわけにはいかない。
 ミーティングが終わってから個人的にこっそり聞こうと、眞姫は思った。
「では、ミーティングを始める。今日のミーティングの内容は、昨日清家を襲った“邪”についてだ」
 全員が席に着いたのを確認して、鳴海先生は続ける。
「昨日、清家を襲ったのは“憑邪”だ。まだ誰に憑依して“契約”を交わしているのかは定かではないが……念動力のような力を使うことは確認した。そうだな、拓巳」
 そう言って先生は、ちらりと切れ長の瞳を拓巳に向けた。
 こくんと頷いて、拓巳は口を開く。
「ああ、今日の昼休みもチョークを弾丸みたいに飛ばしてきやがったからな」
「…………」
 眞姫は、言葉を失って俯いた。
 思ったとおり、昨日の無数のCDと昼休みのチョーク……同じ“憑邪”の仕業だったのだ。
 今にも自分に襲い掛からんと狙いを定めるCDの様子を改めて思い出し、ゾッとする。
 昨日も傘の紳士が来てくれなかったら、どうなっていただろうか。
 今日だって拓巳が近くにいたから、難を逃れた。
 少しだけ力を使えるようになったとはいえ、まだまだ自分の身も守れないのだ。
 それどころか“結界”すら張れないため、関係ない人まで巻き込んでしまうかもしれない。
 眞姫は自分の力のなさに、唇を噛み締める。
 だが、その時。
 俯いていた眞姫は、ハッと瞳を見開いた。
 ……俯いてばかりでは、駄目だ。
 自分には、守ってくれる少年たちや先生がいる。
 それなのに、肝心の私が下を向いてなんていられない。
 そう眞姫は思い、決意を固めたように顔を上げる。
 そして顔を上げると同時に……眞姫は、ドキッとした。
「…………」
 健人の青い瞳が、じっと眞姫を見ていたのだ。
 その眼差しは、優しく見守るようなあたたかいものだった。
 神秘的なブルーアイに、眞姫の胸はドキドキと早い鼓動を打つ。
 鳴海先生の切れ長の瞳とはまた印象の違う、健人のその瞳。
 印象こそ違うが……何度見つめられても、いまだに慣れないことは同じだ。
 何だか照れくさくて、眞姫はさりげなく目線を逸らす。
 鳴海先生は、全員の顔を見回して話を続けた。
「その“憑邪”に憑依されている者だが、今日の昼のことを考えると、学校関係者か……とにかく私たちの近くにいることは確実だ。特に学校では、必ず清家の近くに誰かがついているように」
 それから先生は、眞姫に目を向ける。
「清家、学校外でもなるべくひとりでの行動は避けるように。分かったな」
「……はい」
 頷く眞姫を見てから、鳴海先生は一瞬その瞳を閉じた。
 そして、ゆっくりと言った。
「清家、この際はっきり言っておく。今回は“浄化の巫女姫”だから狙われているわけではない」
「どういうことだよ、それ」
 先生の言葉に、拓巳が反応を示した。
 そんな拓巳をちらっと見てから、鳴海先生は続ける。
「つまり、清家自身が“憑邪”の“契約”の対象になっている、ということだ」
「! 何やて?」
 祥太郎は表情を変えて、驚いたように呟く。
 同じく険しい表情をしている准は、先生に言った。
「でも、偶然姫が“憑邪”の“契約”の対象だなんて、あるんですか?」
「確かに偶然にしては出来過ぎている。清家を襲ったのは“憑邪”であるが、その裏に“邪者”が関わっている可能性も高い、十分に注意が必要だ。敵の本質が分からない今は、とりあえず様子を見ようと思う。いつも通り各人にその状況に応じて指示を出す、それに従うように。分かったな」
 それだけ言って、鳴海先生はふっとその瞳を閉じる。
 そして、言った。
「……話は以上だ。何か質問はないか? なければミーティングを終了する」
 その声と同時に、少年たちは立ち上がる。
 次々と退室する少年たちを見ながら、眞姫はじっと何かを考える仕草をした。
 あの傘の紳士のことを聞こうと、先生とふたりきりになるのを待っているのだ。
 その時。
「お姫様、天使のような可愛い顔して、何か考え事かな?」
「あ、詩音くん。うん、ちょっと……」
 ふっと顔を上げ、眞姫は詩音に視線を移す。
 そんな眞姫に優雅な微笑みを向けて、詩音は彼女の耳元で囁いた。
「気品溢れる謎の紳士のことでも、考えているのかな?」
「えっ!? 詩音くん、どうして!?」
 詩音の言葉に、驚いたように眞姫はその瞳を見開く。
「僕は“空間能力者”だからね。昨日お姫様を助けた騎士の気配は、鳴海先生のものじゃなく、その紳士のものだろう? あ、ほかの部員のみんなは知らないよ、安心して」
 にっこり笑って、詩音はそう言った。
 そして、次の言葉を発しようとした時だった。
「……詩音、余計なことを言うな」
 威圧的な声が、それを制する。
 変わらず柔らかい表情を浮かべたまま、詩音は先生に瞳を向けた。
 そして微笑んで眞姫の頭を優しく撫で、準備室から退室する。
 準備室で鳴海先生とふたりきりになったのを確認して、眞姫は遠慮気味に聞いた。
「鳴海先生……あの紳士的な能力者のおじさまと、お知り合いなんですか?」
 眞姫の言葉に、先生はふと表情を変える。
 じろっとその切れ長の瞳を眞姫に向け、言った。
「彼とは……ちょっとした知り合い、だ」
 それ以上聞くなと言わんばかりの、その口調。
 そして口調こそ違えど、紳士と同じ返答。
 先生の切れ長の瞳に見つめられ、眞姫は言葉を失った。
 何だか、深く聞ける雰囲気ではないのだ。
 鳴海先生の知り合いであるのなら、あの紳士が味方であることは確実だ。
 そう思い、眞姫は質問することを諦めた。
「……清家」
「え? は、はい」
 急に呼ばれて、眞姫は驚いたように顔を上げる。
 ふうっとひとつ溜め息をついてから、先生は言った。
「狙われている立場だということを忘れるな。下校の際は寄り道などせず、真っ直ぐに帰宅しろ。分かったな」
「え? わ、分かりました」
 ちらりと一瞬だけもう一度眞姫に目を向けて、そして先生は準備室を出て行く。
 そんな先生の後姿を見送って、眞姫は大きくひとつ深呼吸をしたのだった。




 その、帰り道。
 眞姫は帰る方向が同じである健人と下校していた。
「姫、家まで送るよ」
「え? うん。ありがとう、健人」
 先生にひとりになるなと言われた矢先であるが、やはり家まで送ってもらうなんて申し訳ない気持ちになってしまう。
 健人にとって、かなりの遠回りになるからだ。
 俯く眞姫の姿を見て、健人はふうっと溜め息をつく。
「姫、まだ遠慮してるのか? まさか、悪いなんて思ってるんじゃないだろうな」
「だって、家の近くまで送ってもらったら、健人遠回りになるでしょ?」
「何度も言ってるだろう? 迷惑だなんて思ってないし。むしろ……」
 そこまで言って、健人はふと言葉を切った。
 そして、その青い瞳を向ける。
 そんな様子の健人に、眞姫は不思議そうな顔をした。
「むしろ、何?」
「むしろ……姫とふたりだけの時間が嬉しい。姫といると自分が自然になれる気がして、不思議と落ち着くんだ」
 瞳にかかった前髪をかきあげてから、そう健人は言った。
「健人……」
 少し驚いた表情を浮かべた眞姫であったが、その大きな瞳に健人を映して微笑む。
「私も健人と一緒にこうやって帰るの、楽しいよ」
「本当か? 俺といると……楽しいか? 姫」
「うん、私も映研部員のみんなといると、すごく気持ちが楽になれるの」
 悪びれの欠片も感じない、満面の笑顔。
「…………」
 そんな眞姫の微笑んだ様子に見惚れながらも、健人は大きく溜め息をついて肩を落とす。
「どうしたの? 健人」
 きょとんとする眞姫に、もう一度嘆息して健人は言った。
「……ここまで鈍いと犯罪だぞ、姫」
「え? 何かヘンなこと言った? 私」
「いや……何と言うか姫らしいから、気にするな」
「?」
 再び首を傾げる眞姫の頭をくしゃっと撫で、健人はふっと笑う。
「ほら、ぼーっとしてると置いていくぞ、姫」
「あっ、ちょっと健人、待ってよっ」
 スタスタと先を行く健人に追いつこうと、眞姫は急いで歩を進める。
 その時。
「! きゃっ!」
「……!姫っ」
 ハッと顔を上げ、健人は振り返った。
 そして素早い身のこなしで、足をとられて躓いた眞姫の身体をしっかりと支える。
「おい、大丈夫か?」
「え? あっ、う、うんっ。ありがとう、大丈夫」
 健人の腕の感触に顔を赤らめながら、眞姫はしどろもどろでそう言った。
「ていうか、いつも思うんだけど……どうやったら何もないところで転べるんだ?」
「……どうせ鈍いって言うんでしょ」
「違う意味で鈍いって言ってるんだけどな」
 ぼそっと呟く健人に再び首を傾げてから、眞姫はまじまじと目の前の整った顔を見る。
 外人の血が入っているクォーターなだけあり、さわさわと風に揺れるその薄い茶色の髪は光の加減では金色にも見える。
 綺麗な二重と長いまつ毛、そして何と言ってもその神秘的な右目の青。
 美少年という表現がぴったりの、整った顔立ち。
 そんな綺麗な顔がすぐ近くにあることに気がつき、眞姫はカアッと顔を真っ赤にする。
「最初に会った時と……随分変わったよな、おまえ」
 眞姫を腕の中に抱きしめたまま、健人は言った。
 急に思ってもいなかったことを言われ、眞姫はその顔を上げる。
「え?」
「入学式の日に駅で助けたおまえは、本当に弱くて震えて怯えた瞳をしてた。でも今の姫の瞳は、キラキラしてて……決意というか、強い光を感じるんだ」
 健人の言葉をじっと聞いていた眞姫は、にっこりと微笑む。
 そして、言った。
「私が強くなれたのも、健人たちのおかげだよ? ひとりのままだったら、ただ怖がって震えているだけだったと思う。もちろん今でも“邪”は怖いけど、でも、みんなと一緒に頑張ろうって決めたの」
「ああ、一緒に頑張ろう。俺が、姫を命がけで守ってやるから。俺は姫のためにもっと強くなる。そして、誰にも姫は渡さない」
「うん。ありがとう、健人。私も強くなるから、一緒にみんなで頑張ろうね」
「……姫が鈍いのにも、もう慣れたけどな」
 小声でそう言った健人に、眞姫は首を捻る。
「え? 何? 聞こえなかった」
「何でもないよ。行くぞ、姫」
 仕方ないなと言わんばかりに嘆息してから、健人は歩き出した。
 そんな彼の後姿を見つめて、眞姫は心から嬉しい気持ちになる。
 いつも仲間が、自分の心を支えてくれている。
 自分が少しずつ変わっていけているのも、そんなみんなの優しさがあったから。
 それに報いるため自分が何をすべきか、眞姫はそれを考えていた。
 そしてさっきまで感じていた健人のぬくもりを思い出し、照れたように栗色の髪をかきあげてから、眞姫は急ぎ足で先を行く健人に並んで歩いたのだった。