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 6月20日・日曜日。
 梅雨の時期とは思えないような、晴れ晴れとしたいい天気である。
 休日ということもあり、繁華街はいつもよりも賑わいを見せている。
 そんな人々の行き交う雑踏の中、立花梨華は本屋にいた。
 人を待つには、都合のいい場所。
 しかも、待ち人が遅刻常習犯である場合、尚更うってつけである。
 出たばかりのファッション雑誌を手にとって、梨華はおもむろに開く。
 ……その時。
「ちいーっす、梨華ぁっ」
 突然ポンッと背中を叩かれ、梨華は驚いたように振り返った。
 そして、目の前に現れた少女の姿を見て、持っていた雑誌をバサッと落とす。
「わっ、どどど、どうしたの、綾乃!?」
「どーしたもこーしたもないでしょ? 11時に本屋だったじゃん、待ち合わせ」
 驚いたように自分を見ている梨華に、その少女・綾乃はにっこりと微笑む。
 梨華は落とした雑誌を拾って元の位置に戻してから、おもむろに手のひらを綾乃のおでこに当てた。
 うーんと何かを考え込む梨華に、綾乃は首を傾げる。
「ん? 何、なぁに? どーしたの?」
「あんたが時間通り来るなんて……熱でもあるんじゃない!?」
「あはは、確かにねーっ。綾乃ちゃんもビックリよぉ。明日大雪降るかもっ」
 楽しそうに綾乃は、きゃははと笑った。
 そんな綾乃を見て溜め息をついてから、梨華は言った。
「あのねぇ、自分で言ってりゃ世話ないわね」
「綾乃ちゃんは自分のこと、ちゃーんと分かってるからぁ」
「いや、何の自慢にもなんないし、それ」
 素早くツッコミ入れてから、梨華はおもむろに歩き出す。
 それに続いて、綾乃も隣に並んだ。
「ねぇ、今日どこで買い物する? 梨華に付き合うよぉっ。って、綾乃ちゃん行きたいトコあるんだけどぉ」
「どうせ綾乃の行きたいトコに行く羽目になるんでしょ、分かってるって」
 仕方ないなぁといったように、梨華はふっと笑う。
 そんな梨華を見て、綾乃は意味あり気に微笑んだ。
「あ、そーいえばさぁ、どうなった? ちょっとは発展した? 梨華の好きな人……健太郎くんだっけ、龍太郎くんだっけ?」
 綾乃の言葉に、梨華は俯く。
 そしてもう一度溜め息をついて言った。
「祥太郎、ね。いや、別に何も、普通の友達として仲良くしてるよ」
「普通の友達として ?何よぉ、まだ告ってないワケ?」
「なかなか、そう簡単にはいかなくて」
「そっかぁ。でも、その梨華が好きな祥太郎くんとやらを一度見てみたいなぁっ」
 その綾乃の言葉に、梨華はふと何かを思い出したように足を止める。
 そして、その顔を上げた。
「その祥太郎なんだけどさ、見てみる?」
「え? 見れるの? 見る、見る、見たーいっ」
 はしゃぐようにそう言う綾乃に目を向けて、梨華は歩く方向を変える。
「確か11時にいつもの場所って、眞姫言ってたよね……」
 そう呟いてから、梨華はバックから携帯を取り出し、メールを打ち始めたのだった。
 ……その、同じ頃。
「あっ、携帯、家に忘れてきちゃった」
 バックをガサゴソとあさっていた眞姫は、お目当ての探し物が見当たらず、溜め息をつく。
 ――場所は、繁華街の中心にある百貨店入り口の、噴水広場。
 祥太郎と拓巳との、待ち合わせ場所である。
 持っているバックを閉じてから、眞姫は視線を上に向けた。
 広場に設置してある柱時計の時間は、ちょうど午前11時をさしている。
「携帯なくても、ここにいればいいよね」
 そう気を取り直し、眞姫は目まぐるしく流れる人の波に目を向けた。
 そして待ち人の姿がないか、その大きな瞳をきょろきょろさせる。
 同時に、栗色の髪がふわりと揺れた。
 それからレースのついたパステルピンクのワンピースの裾を気にした後、眞姫は瞳に映った人物の姿に意外そうな表情を浮かべた。
「あれ? 梨華?」
「あ、いたいたっ! 眞姫ーっ」
 雑踏の中現れたのは、紛れもなく友人の梨華だった。
 そして梨華の隣には、セミロングの黒髪とそれと同じ色の瞳を持つ、眞姫の知らない少女。
 自分の姿を見つけて駆け寄ってくる梨華に、眞姫は言った。
「どうしたの? 梨華?」
「んー、今日ね、友達と買い物に来てるんだけど……って、あ、この子は友達の藤咲綾乃っていうの。近くに住んでて、幼馴染みなんだ、私の」
 梨華は、隣にいる綾乃を眞姫に紹介する。
 綾乃は屈託のない笑顔を向け、言った。
「こんにちわぁっ、藤咲綾乃ですっ、よろしくぅ」
「あ、それでこの子が、同じクラスで仲のいい清家眞姫よ、綾乃」
「清家眞姫です、よろしくね」
 にっこりと微笑んで、眞姫はその大きな瞳を綾乃に向けた。
 梨華の幼馴染みの綾乃という少女は、とても明るくて元気のいい子という印象を受ける。
 そんな眞姫の考えをよそに、当の綾乃はふと表情を変えた。
 驚いたようにその漆黒の瞳を見開き、そして声を上げる。
「え? 清家眞姫ちゃんって……まさか!?」
 梨華と眞姫は、意外なその言葉にきょとんとした。
 驚きの表情を浮かべたままの綾乃に、梨華は言った。
「綾乃? あんた、眞姫のこと知ってるの?」
「えっ? いや、何ていうかなぁ……あっ、そおそおっ、眞姫ちゃん、高山智也って知ってるでしょ? 私、彼と友達なんだぁ。彼に話を聞いてたのっ」
 誤魔化すようにハハハッと笑う綾乃に、今度は眞姫が表情を変えた。
「高山智也って、あの……」
 邪者の、と続けようとした言葉を飲み込み、慌てて眞姫は口を噤む。
 そんな眞姫ににっこりと微笑み、綾乃はうんうんと頷くように呟いた。
「そっかぁ、眞姫ちゃんかぁ。確かに可愛い子だなぁ」
 それから急に眞姫の手を取り、ぎゅっと握り締める。
 突然の綾乃の行動に、眞姫は驚いたように顔を上げた。
「今日から私たちもお友達だねぇっ、眞姫ちゃんっ」
「え? う、うん。そうだね、綾乃ちゃん」
 綾乃の勢いに押されながらも、眞姫はこくんと頷く。
 そして、梨華に視線を移した。
「それで梨華、どうしたの?」
「え? あ、あのさ……祥太郎、ここに来るんだよね?」
 少し顔を赤らめ、梨華は言った。
 その言葉に、眞姫はピンときたように笑う。
「そっか、祥ちゃん見に来たんだね、綾乃ちゃん」
「うん、そおそおっ、梨華の好きな祥太郎くんを見学に来たのよぉっ」
 楽しそうにそう言う綾乃に、梨華は耳まで真っ赤にさせている。
「ちょっとっ、声が大きいって、綾乃っ」
「まぁまぁ、そう照れなくてもねぇっ」
 くすくす笑う綾乃にそっぽを向いてから、梨華は眞姫を見る。
「それでアイツ、もしかして遅刻とかしてるんじゃないでしょうね?」
「もうすぐ来ると思うんだけど、私、携帯家に忘れちゃって」
「あーやっぱり? どうりで、さっきメールしたんだけど返事なかったわけね」
「あ、メールくれたんだ。ごめんね、梨華」
 申し訳なさそうに手を合わせる眞姫に、綾乃はワクワクした様子で聞いた。
「ねぇねぇ、眞姫ちゃん、祥太郎くんってかっこいい? 芸能人で誰に似てる?」
「うん、祥ちゃんってハンサムだよね、梨華。似てる芸能人は、誰かなぁ?」
「ハンサム? ただヘラヘラしてるだけよ、アイツはっ」
「でも、面食いな梨華が好きな人だからさぁ、綾乃ちゃん結構期待してるのよねぇっ」
 女同士が話に花を咲かせている、同じ頃。
「くしゅんっ! 誰か俺の噂話でもしとるんか? モテる男はツライなぁっ」
 そう言ってふっと微笑み、噂の人物・瀬崎祥太郎は足早に待ち合わせ場所に向かっていた。
「それにしても、姫に電話しても繋がらんし、メールも返事ないし……もう待ち合わせ場所についてるんかな?」
 祥太郎はそう呟き、ポケットから携帯電話を取り出す。
 そして眞姫からメールが来ていないかもう一度確認したあと、再びそれをしまおうとした。
 その時。
 突然、ブルブルと携帯が震えだす。
 受信されたメールを確認した祥太郎は、ニッと笑った。
「なんやぁ、拓巳は15分くらい遅れるんかぁ。これはチャンスやなっ」
 そして目的の噴水広場が見えてきた、その時。
「……!」
 ふと祥太郎は、その表情を変える。
 それから少し何かを考えるような仕草をしてから、広場へと足を運んだ。
「あっ、祥ちゃんが来たよ?」
 祥太郎の姿を見つけ、眞姫が手を振っている。
 その隣には、梨華と知らない少女の姿もあった。
 ハンサムな顔ににっこりと微笑みを浮かべ、祥太郎は眞姫に言った。
「遅れてすまん、姫っ。携帯に電話しとったんやけど、繋がらんかったから」
「あっ、ごめんね。携帯、家に忘れて来ちゃったの」
「姫、携帯忘れとるんか……これはますますチャンスやなぁ」
 聞こえないくらいの小声でそう呟く祥太郎に、梨華は言った。
「ていうか、眞姫を待たせるんじゃないわよっ、祥太郎」
「おー、梨華っち。今日も朝から必殺の小言が冴えとるなぁ」
「なによ、それっ。アンタが小言言わせるようなコトしてるからでしょっ!?」
 顔を真っ赤にさせた梨華の隣で、綾乃は興味深そうに祥太郎を眺めている。
「へーえ、あなたが祥太郎くんねぇ」
 じろじろと自分を見ている綾乃に、祥太郎は笑う。
「いかにも、俺が街でウワサのハンサムガイ・瀬崎祥太郎やで? そういうカワイイお嬢さんは、何て名前や?」
「私? 私は梨華の幼馴染みの、藤咲綾乃ちゃんよぉっ。よろしくっ」
「綾乃ちゃんかぁ、メモメモ」
「なーにメモってんのよっ、アンタは」
 ふうっと大きく溜め息をついて、梨華は祥太郎を睨む。
「なんやぁ、梨華っち。カワイイ子に会ったら即メモらんとなっ」
 眞姫は、そんな3人のやりとりにくすくすと笑っている。
 それから祥太郎は、3人に順番に視線を向けながら言った。
「そうや、立ち話もなんやし、ここで会ったのも何かの縁ちゅーやつや。みんなでお茶でもせえへん?」
 祥太郎の誘いに、梨華は驚いたように顔を上げる。
「え? いいの?」
「行く行くっ、もちろん行くよねぇっ、梨華?」
 梨華に同意を得るように、綾乃は彼女の肩をポンポンッと叩いた。
 眞姫はおもむろに周囲を見回したあと、祥太郎に言った。
「でも祥ちゃん、拓巳がまだ来てないけど……」
「たっくん? ああ、さっきメール入ってな、1時間くらい遅れるらしいで?お茶するのにちょうどいいやろ、姫」
「そうなんだ。着いたら連絡あるだろうし、それまでなら大丈夫だね」
 ホッとしたように祥太郎に微笑んで、眞姫は納得したように頷く。
 梨華は嬉しそうな顔をしながらも、遠慮気味に言った。
「って、本当にうちらも一緒でいいの?」
「おお、もちろんや。両手に花どころか、ハーレム状態やしなっ」
 ニッと笑みを浮かべる祥太郎に、梨華は大きく溜め息をつく。
「あんたね……結局そーいう邪な魂胆ってワケねっ」
「誤解や、誤解っ。みんなで仲良うお茶して、親交を深めようやっ。さ、行こっ」
「あ、綾乃ちゃん、パフェが美味しいトコがいいなぁっ」
「じゃあ、この間行ったところは? 梨華。あそこのパフェ、美味しかったよね」
「そうね、じゃあこの角曲がったとこの店にしましょうか」
 わいわいと賑やかに、4人は歩き出した。
 楽しそうに雑談している少女たちを見守りながら、祥太郎はふっと微笑む。
 そして、ポケットからおもむろに携帯電話を取り出した。
「拓巳がおったら、またややこしくなりそうな状況やからな……ちょうどよかったわ」
 そう呟き、祥太郎はその電源をオフにしてから、再びしまったのだった。




 その頃、同じ繁華街の喫茶店で、つばさは紅茶をゆっくりとかき混ぜながら正面に座っているその男の顔を見た。
「どうした? つばさ」
 つばさの視線に気がつき、その男・杜木は優しく微笑んだ。
 端整な顔立ちに浮かべる微笑みは柔らかく、とても紳士的な印象を受ける。
 漆黒の髪は、深く同じ色を湛えるその瞳にかかりながら揺れている。
 いつも穏やかで優しく、そして冷静な人。
 事実上“邪者”を統括しているのも彼であり、それに相応しい強大な力を持っている。
 つばさは、そんな杜木に仕えることに大きな喜びを感じていた。
「杜木様とこうやってデートできるなんて、つばさは嬉しいんですわ」
「私もおまえとお茶が飲めて嬉しいよ」
 ふっと笑って、杜木はコーヒーをひとくち飲む。
 そんな彼の様子を見つめながら、つばさは微笑んだ。
「それで杜木様……今度のお仕事は、何ですの?」
「随分と仕事熱心だな。おまえといい、綾乃といい」
 つばさはその言葉に、くすっと笑う。
 そしてその瞳をおもむろに閉じ、それから言った。
「綾乃の熱心さには負けますわ。今……巫女姫様と“能力者”の近くに、あの子の気配を感じますもの」
「だが、特に何か行動を起こす様子は今のところなさそうだ。本当に偶然に鉢合わせたのかもしれないしな」
「綾乃は、あれでいて結構冷静な子ですから。判断を誤ることはないでしょうしね」
 ひとくち紅茶を飲む彼女に柔らかな視線を向け、杜木は言葉を続ける。
「それで、つばさ。おまえにやってもらいたいことなんだが」
 カチャッと紅茶のカップを置いて、つばさは杜木の言葉を待った。
 そんな彼女の様子を確認して、杜木はふっと笑う。
「いや、大した仕事ではないよ。おまえの時間に余裕がある時だけで構わない、“浄化の巫女姫”の動きを探って報告して欲しい」
「巫女姫様の?」
「そうだ。智也の報告によると、彼女の能力は日々著しく成長している。まだ覚醒の段階は、初期の第一段階といったところだが……早いところ巫女姫には、その能力に目覚めてもらいたいからな。綾乃が、彼女の能力を刺激しているところではあるが」
「巫女姫様の能力がどの程度成長しているか、それをご報告すればよろしいのですね、杜木様」
 つばさの言葉に、彼はにっこりと微笑む。
 そして、言った。
「ああ。頼んだよ、つばさ」




 ――眞姫たち4人が喫茶店に入って、1時間が経った。
 綾乃は眞姫の思った通りの子で、気さくで物怖じもせず、すっかり話の輪に溶け込んでいる。
 そして楽しく会話が弾んでいた、その時。
 テーブルに置いていた梨華の携帯がブルブルと震え、着信を知らせる。
「あっ、携帯鳴ってる……ごめん、ちょっと席外すね」
 そう言うなり、携帯片手に梨華は店の外に出て行った。
「あ、私も手がちょっと汚れちゃったから、洗ってくるね」
 生クリームのついた指を紙ナフキンで軽く拭いて、眞姫も席を立つ。
 そんな眞姫に手を振り、そして祥太郎は改めて綾乃に目を向けた。
 本当に幸せそうにパフェを頬張っている綾乃は、そんな祥太郎の視線に気がついて、首を傾げる。
「ん? 祥太郎くん、どうしたのぉ?」
「綾乃ちゃんって、本当に幸せそうな顔してパフェ食べるよなぁ」
 にっこり微笑む祥太郎に、綾乃は言った。
「まーね、だって幸せだもーんっ。ていうか、梨華から祥太郎くんの話聞いてたけどさぁ、思ってたカンジと実物って違うなぁって思ったよ」
「梨華っちから話聞いとったって、どうせ軽口叩くとか節操ないとか、そーいう根も葉もないコトやろ?」
 悪戯っぽく笑って、祥太郎はテーブルに頬杖をつく。
 綾乃は持っていたスプーンをおもむろに置き、そしてくすっと笑う。
「確かに祥太郎くんって、軽口叩いてたり節操なさそうに見えるけどさぁ」
「うそやん、こんなに純粋無垢な少年やのに?」
「そーいうのが軽口って言うんじゃなぁい?」
 綾乃はパフェについているチェリーを、パクッと口に入れた。
 それから、ふっと表情を変えて言葉を続ける。
「でもさ、祥太郎くんって、軽口で節操なさそうに見せてるだけで……本当は、見かけよりもずっと冷静なんだもん」
「そうか? 何でそう思うんや? お嬢さん」
 綾乃の漆黒の瞳を見ながら、祥太郎はコーヒーをひとくち飲む。
 そんな祥太郎に屈託のない笑顔を向け、綾乃は言った。
「最初からさ、気が付いてたんでしょ? 私のこと」
「もちろん、可愛い子やなぁって気が付いてたで?」
 祥太郎は、にっこりとそのハンサムな顔に笑みを浮かべる。
 キャハハと楽しそうに笑って、綾乃は舌を出した。
「やだぁ、可愛いだなんて本当のことをっ」
「綾乃ちゃんって……人生楽しそうやなぁ」
 そう言ってから、祥太郎はふとおもむろにその表情を変える。
 そして、言った。
「そういう綾乃ちゃんこそ、見かけによらず油断ならん子やなぁって思ってたで? 冷静で、動きに隙がないなぁってな」
「そーねぇ、一応“能力者”の手前だからね」
 屈託なく綾乃は笑って、そして再びパフェを口に運ぶ。
 美味しそうにそれを食べている綾乃から視線を外さずに、祥太郎は呟いた。
「やっぱり“邪者”か、綾乃ちゃん」
「そーいう祥太郎くんだって“能力者”でしょ? そして眞姫ちゃんが、“浄化の巫女姫”なんだよね」
 その言葉に、祥太郎は警戒したように瞳を細める。
 綾乃はそんな様子を見て、ふっと微笑んだ。
「大丈夫だって、祥太郎くんっ。今日ここにいるのは、仕事じゃなくてプライベートなんだからぁ。綾乃ちゃんはね、仕事とプライベートのけじめはちゃんとつけたい人なの。イキナリ襲ったりなんてしないからさぁっ」
「ま、綾乃ちゃんにそういう気がないことは、見とったら分かるけどな」
 そう言いながらもまだ少し警戒している祥太郎に、綾乃はにっこり笑う。
「でもね、綾乃ちゃん、祥太郎くんのこと気に入っちゃったっ。だから今日から私たち、お友達よぉ」
 綾乃の言葉に一瞬きょとんとしながらも、祥太郎は気を取り直してそのハンサムな顔に笑みを浮かべた。
「じゃ、お友達のしるしに、携帯番号とメアド交換やなっ」
「いいわよぉっ……って、それって“邪者”の私の連絡先知ってたら、何かあった時に都合いいからかしらぁ? 祥太郎くんって計算高いわねぇ、やっぱり」
「それは綾乃ちゃんだって同じやろ? ていうか、可愛い子の番号は聞いとけっていうのが、うちのじいちゃんの遺言やからなぁ」
 さらさらと自分の番号を紙に書きながら、楽しそうに綾乃は笑う。
「あはは、本当に? はい、綾乃ちゃんの番号とメアド。本当は軽々しく教えないんだけどぉ、祥太郎くんには特別大サービスっ」
 そう言う綾乃から、祥太郎は彼女の番号とメアドの書かれた紙を受け取った。
「教えてる男全員に言っとるんやろ? その言葉。今からワン切りするからな、番号登録しといてなっ」
「オッケー。あ、この番号ねぇ。登録、登録っと」
 パフェを完食した綾乃は、言われた通り着信のあった番号を携帯に登録してからテーブルに頬杖をつく。
 そして、おもむろにじっと祥太郎の顔を見て、言った。
「あ、そうだ。ひとつ……お友達になったしるしに、いいこと教えといてあげるね」
「え? ……!」
 その瞬間、はじめて祥太郎の表情が、目に見えて険しいものに変わる。
 自分を見つめる綾乃の漆黒の瞳が、今までの人懐っこいものから、その印象を変えたのだ。
 相変わらず敵意がないことは、綾乃の身体から“邪気”を感じないことで分かる。
 ただ……その瞳の色は、今までのものとは明らかに違っていた。
 さっきまで、元気で愛嬌のあった、その両の目。
 だが今彼女の瞳に見えるのは、強者の色。
 自分に対して、揺ぎ無い自信と誇りに満ちている……そんな雰囲気を湛えている。
 そしてスッとその漆黒の瞳を細めて、綾乃は言った。
「綾乃ちゃんって、これでも実は強いんだよね……悪いこと言わないわ、私とは戦わない方がいいよ?」
「……随分と自信満々やなぁ、綾乃ちゃん」
 その力強い瞳に負けじと、祥太郎も彼女から視線を逸らさない。
 そんな反応に楽しそうに口元に笑みを浮かべ、綾乃は言葉を続けた。
「さっきも言ったけど、仕事とプライベートは別物よ。だから、祥太郎くんがもし“能力者”として私の前に現れたら……これから先は、言わなくても分かるでしょ?」
「そっか、じゃあ俺も言っとくわ。この祥太郎くんもなぁ、普段は女の子に優しい紳士やけど……相手が“邪者”やったら、話は別や。俺は姫にベタ惚れやからな」
 相変わらず険しい表情をしている祥太郎に、綾乃はもとの屈託のない笑顔を向ける。
「なるほどねぇ。まぁそーいうことだから、プライベートな今は、ふたりは仲良しなお友達ってことで」
「プライベートな今は、か。まぁええわ、今は今、これからはこれからってことやな」
 祥太郎はふと席に向かって歩いてきている眞姫の姿を、ちらりと横目で確認する。
 綾乃もその視線に気がつき、口を閉じた。
「おお、麗しの姫君、お帰りっ」
「ただいま、祥ちゃん。それにしても、拓巳からまだ連絡ない?」
 席に戻って来た眞姫は、心配そうに時計を見てそう言った。
 時間は、とっくに正午を回っている。
「え? あ、すっかり忘れとったわ、たっくんのこと」
 眞姫に聞こえないくらいの声でそう呟き、祥太郎は携帯電話の画面を見た。
 それと同時に、けたたましく着信音が鳴り始める。
「げっ、噂をすれば拓巳からやんっ。ちょっと失礼っ」
 急いで席を立ち、祥太郎は店の外に出て行く。
 そんな後姿を見送ってから、眞姫はすっかり冷めてしまった紅茶を飲んだ。
「ねぇねぇ、眞姫ちゃん」
「ん? なぁに? 綾乃ちゃん」
 声をかけられ、眞姫はふと顔を上げる。
 にっこりと微笑んでから、綾乃は言った。
「眞姫ちゃんって、好きな人とかいるの?」
「え? 好きな人? うーん、今はいないかなぁ」
「そっかぁ、いないんだぁ」
 綾乃がそう呟いたその時、ようやく電話の終わった梨華も席に戻ってきた。
「私も眞姫には、早く特定の人作っちゃえばって言ってるんだけどねー」
 梨華の言葉に、眞姫はふと俯く。
「今はまだ、正直言って……そういうこと考える余裕がないんだ」
 周りの状況が目まぐるしすぎて、その流れについていくことも、ままならない。
 恋をする余裕が、眞姫にはまだないのだ。
「そっか、そうだろうなぁ」
 眞姫の言葉にぽつりと呟いて、綾乃は複雑な表情を浮かべた。
「さてと、お嬢さん方。とりあえずこの店は出ようや」
 拓巳と話が終わって席に戻って来た祥太郎は、3人の顔を交互に見てそう言った。
 眞姫は、そんな祥太郎に目を向ける。
「祥ちゃん、拓巳と連絡ついた?」
「んーまぁな。噴水広場におるから早よ来いって電話あったわ」
 梨華は立ち上がり、そして伝票を祥太郎に渡した。
「じゃあ、この場は祥太郎の奢りってことで」
「何やて、梨華っちが奢ってくれるって? いやぁ、優しいわぁ、お姉様っ」
「は? 自分が何言ってるか分かってるの? アンタ」
「……奢らせていただきます、女王様」
 ふっと微笑んで伝票を受け取り、祥太郎はレジへ向かう。
「あ、いいよ、祥ちゃん。私出すよ」
 財布をバックから出そうとする眞姫を制して、祥太郎はニッと笑った。
「いいんや、姫。今度梨華っちには、もっと高いモン奢ってもらうからな」
「……アンタねぇ」
「わぁい、祥太郎くんの奢り? ご馳走様ぁ」
 はあっと溜め息をつく梨華と嬉しそうにはしゃぐ綾乃は、先に店から出る。
 そして会計を済ませて、眞姫と祥太郎もそれに続いた。
「じゃあ、私たちは向こうだから。また学校でね、眞姫。ご馳走様、祥太郎」
「ありがとー、祥太郎くん。眞姫ちゃんも、また遊んでねぇ」
 眞姫と祥太郎に振り返って手を振って、梨華と綾乃は歩き出す。
 そしてしばらく歩いてから、梨華は綾乃に言った。
「どうだった? 実際に祥太郎見て」
「うん、思ったよりもずっといい男じゃん。でもまぁ、梨華が告れない理由、分かったよ」
 綾乃の言葉に、梨華は大きく溜め息をつく。
「分かった? 祥太郎ってさ、やっぱり眞姫のこと……」
「まぁでも、眞姫ちゃんは全然そんな気なさそーだし、頑張りなよ、梨華」
 宥めるように梨華の肩をポンッと叩いてから綾乃は振り返り、そして何かを考えるように、ふとその瞳を細めたのだった。
 その頃。
「姫の携帯はいくら電話しても繋がらねーし、祥太郎のは電源入ってないしよっ……ていうかおまえ、わざと電源切ってただろ!?」
 噴水広場にいた拓巳は、祥太郎にじろっと目を向ける。
「そんなコト、この祥太郎くんがすると思うか? きっとたまたま、もう偶然運悪く、電波が届かんかったんや」
「あのな祥太郎、おまえだからやりそうなコトだろーがよっ! ていうか、絶対電源切ってただろ!?」
「あ、やっぱバレた? ……っとととっ!」
「バレた? じゃねぇよっ!! やっぱりかよっ!!」
 バシッと拓巳の放った怒りの鉄拳を受け止め、祥太郎は悪戯っぽくワハハと笑う。
「まぁまぁ、運命の導きか、何かの不幸か、こうやってちゃんと出会えたんやからっ」
「なーにが運命の導きだよっ、ていうか不幸かよっ。電源切ってたのはおまえだろーがっ」
 ぶつぶつ言っている拓巳に、眞姫は申し訳なさそうに言った。
「ごめんね、拓巳。私が携帯を、家に忘れちゃったから」
「いや、姫は悪くねぇよ。悪いのは祥太郎だよっ」
 その言葉に、祥太郎はわざとらしく溜め息をつく。
「ていうか、悪いのは待ち合わせに遅れた拓巳やないか」
「だから連絡しただろ!? なのになぁっ、ここで1時間以上待ってたんだぞ、俺はっ」
「そんなに待ってたんだ、ごめんね、拓巳」
「いや、姫は悪くないって……って、そうだ、姫っ」
 ポンッと手を打って、拓巳は改めて眞姫に向き直る。
 そして照れたように少し顔を赤らめてから、言った。
「じゃあ姫っ、今度の日曜日、ふたりっきりでデートしようぜっ」
「え?」
 その言葉に、眞姫はきょとんとする。
 そしてそんな眞姫の盾になるように移動し、祥太郎は言った。
「ちょーっと待たんかいっ、どさくさに紛れて、何言うとるんやっ」
「何だよっ、俺は1時間待ったんだぞ!? おまえこそ、さっきまで姫とふたりだっただろーがっ」
「ふたりやないで、梨華っちと、梨華っちのお友達の子が一緒やったんや?」
「3対1か……って、なおオイシイ思いしてるじゃねーかよっ」
 そんな言い合いするふたりの間に、眞姫は慌てて入った。
「と、とにかく。来週の日曜日、予定空けとくから、拓巳」
 その言葉に、途端に拓巳はパッと表情を変える。
「ほっ、本当か、姫っ!?」
「姫、そう軽々しくオッケーしたらあかんで? 冗談にしては笑えんし、それ」
 悪戯っぽく笑って、祥太郎は舌を出した。
 拓巳は、じろっともう一度祥太郎に目を向ける。
「勝手に冗談にすんなよなっ。って、来週楽しみにしてるぜ、姫っ」
 本当に嬉しそうに自分を見る拓巳に頷いてから、改めて眞姫は言った。
「え? う、うん……じゃあ、今からどうしよっか、ふたりとも」
「そうやなぁ、まず拓巳を出し抜いて、ふたりっきりになってやなぁ……」
「おい待て、何だよそれっ」
 そのやり取りにくすくす笑いながら、眞姫はふたりに交互に視線を向ける。
「本当に仲がいいんだね、ふたりとも」
「……仲が良さそうに見えるか? 姫」
「うん、すごく仲いいよね」
 はあっと溜め息をつく拓巳に、眞姫はにっこりと微笑んだ。
「姫って、鈍いのかズレてるのか、たまに分んねーよな」
「え? 何?」
 ぼそっと呟いた拓巳に、眞姫は不思議そうに首を傾げた。
 そんなふたりを後目に、祥太郎はふと背後を振り返る。
 そしてふと表情を変えて、呟いた。
「仕事とプライベートは別、か……仕事では会いたないなぁ」