4-4.星空シエスタ



 繁華街の駅前は、友人や恋人を待つ人の雑踏で溢れている。
 そんな休日ならではの人混みの中。
 落ち着かない様子で、きょろきょろと周囲を見回したり、ショーウインドウに映る自分を幾度もチェックしている少女がいた。
 その少女・琴実は、もう何度目か分からない深呼吸をする。
 それからもう一度、腕時計に目を落とし、時間を確認した。
 待ち合わせの11時まで、あと5分。
 しかし、その5分が、琴実にとっては異様に長く感じられたのだった。
 琴実はドキドキと早い鼓動を刻む胸を押さえながら、待ち人の姿を探した。
 先日、成り行きで葉山三兄弟と夕食を共にした琴実だったが。
 その時に、葉山家の三男・竜星から誘いを受けたのである。
 突然のことに対応できず、勢いで頷いてしまったが。
 よくよく考えると、あの竜星とふたりきりで約束するなんて。
 竜星の気持ちに全く気がついていない琴実は、どうして彼がいきなり自分を誘ったか不思議に思いはしたものの。
 自分なんかが相手でいいのだろうかと恐れ多い気持ちと、美形というに相応しい彼とふたりで出かけられることに対しての嬉しい気持ちが、彼を待つ間、交互に彼女の心に湧き上がるのだった。
 そしてこの日、琴実にはある目標があった。
 せっかく彼が誘ってくれたのだから。
 雰囲気を壊すような、所帯染みた発言は極力控えて。
 高校生の女の子らしい、年相応な振る舞いをしよう、と。
 密かに琴実は、そう強く心に誓っていたのだった。
 そんなことを思っている間に――駅前の時計が、ちょうど11時を知らせる。
 それと、同時だった。
「おはよ、琴みん」
 くすぐるような柔らかな声が急に耳に飛び込んできて、琴実は驚いたように数度瞬きをし振り返る。
 そこには、いつの間に来たのか、待ち人である彼・葉山竜星の姿があった。
 琴実は突然の彼の出現にカアッと顔を赤らめながら、無意識的に髪を整える仕草をする。
 それから慌てたように彼に言葉を返した。
「あっ、お、おはよう、竜星くんっ。今日はいいお天気で良かったね」
「うん。俺、晴れ男だし、今日は晴れると思ったんだ。てか、洗濯日和でよかったね、琴みん」
 何気に嬉しそうな竜星の様子には相変わらず気がつかず、琴実は少し戸惑い気味に頷く。
「う、うん、そうだね。あ……竜星くんの今日の服、素敵だね。どこの?」
 早速家事に関する話題が出たが、何とか必死に話題を変えてみる。
 竜星は首を僅かに傾けながら、さらりと答えた。
「んー、どこのとか覚えてないな。いつもふらりと適当に店に入って、目に付いたヤツ買ってるから」
「そうなんだ。でも竜星くんってセンスいいね、すごくお洒落だね」
 琴実は本心からそう言って、はあっと感嘆の溜め息を漏らしてしまう。
 決して派手ではなく、どちらかといえばシンプルであるが。
 さり気ない小物の使い方や着こなし方に、都会的なセンスを感じる。
 そしてまた、モデルのようなスタイルと綺麗な美形の容姿を持つ彼に、それがよく似合っていて。
 道行く女の子が思わず彼を振り返ってしまうのも、納得である。
「ありがと。琴みんも可愛いよ、そのワンピースよく似合ってるね」
「えっ? あ、ありがとう」
 再び頬を赤らめ、琴実はオタオタしつつもそう返した。
 そして落ち着くためにひとつ息をついてから、小さく微笑む。
 社交辞令なのかもしれないが。
 今日着ていく洋服を決めるために、何気に昨晩、ものすごく悩みまくって。
 持っている洋服を片っ端から着てみて、散々迷った挙句に決めた、お気に入りのワンピース。
 それを彼に褒めてもらって、何気に嬉しかったのである。
「じゃ、行こうか」
 彼女の顔に笑顔が宿ったことに笑んでから、竜星はそう言った。
 琴実はコクンと頷きつつも、ふと首を傾げて彼に訊いた。
「今からだけど、どこに行くの?」
 そういえば今日のことについて、何も彼から聞いていなかったと。
 琴実は今更ながらに気がつく。
 慣れない男の子との約束で、準備のことだけでもいっぱいいっぱいで。
 それから先のことを考える余裕がなかったのである。
 竜星は琴実の問いに、優しくマロンブラウンの瞳を細める。
「今からね、俺のお気に入りの場所に行くの。琴みんもきっと気に入ってくれると思うよ。じゃ、行こっか」
 彼の言葉に、ますますこれからどこで何をするのか分からなかったが。
 とりあえず彼に任せようと。
 琴実は素直にそう思い、竜星に黙ってついていく。
 そんな慣れない状況に挙動不審気味な琴実とは逆に、異様に人口密度が高い休日の繁華街を歩きながら、竜星は隣を歩く彼女を満足そうに見つめる。
 そして改めて思ったのだった。
 女の子とふたりで街を歩くことなんて、今まで数知れずあったが。
 こうやって彼女とふたりでデートできるだけで。
 今までにないくらいテンションが高くなっている自分が意外でもあり。
 そして……どれだけ自分は、彼女に恋しまくっているんだ、と。
 今まで感じたことのないそんな心の高揚が心地よく、最高に幸せな気持ちで。
 今の一分一秒を大切にしたいし、今日という一日を思い出深い日にしたい。
 もちろんそれは、自分にとってもだが。
 琴実にとっても、自分と一緒にデートしたこの日が、忘れられないくらい楽しい思い出になればいいと。
 そう、思っていたのだった。
 ふたりは楽しく会話を交わしながら、人で溢れ返っているメインストリートを通り過ぎ、繁華街の外れまでやってきた。
 てっきり繁華街の中心で何かするのかと思っていた琴実は小さく首を傾げたが。
 そのうち、目の前に見えてきた建物に気がつき、彼の目的地がどこであるかようやく分かったのだった。
 それと同時に、なるほどと思ったのである。
 その高層ビル内には、様々な専門店やレジャー施設やレストランなどがある。
 ここならば、余計に街の中をウロウロしなくても、飽きずに過ごせそうだと。
 休日のために人は多いが、繁華街のように雑然とはしていない。
 竜星は広いビル内に入った後も、迷うことなくエレベーターへと足を向ける。
 そして――ふたりがたどり着いたのは。
「あ……プラネタリウム?」
 立ち止まってそう呟く琴実に頷いてから、竜星はチケットを購入し、1枚彼女に手渡す。
「はい、チケット。ちょうどいい時間みたいでよかったね、入ろっか」
「あっ、チケット代……」
「そんなの気にしなくていいから。さ、早く入ろ」
 アタフタと財布を取り出そうとした琴実をさらりと制し、竜星は彼女を中へと促した。
 どうすればいいか分からない様子ながらも、琴実は彼に従って入場する。
 そして席に着いた後、目を輝かせて呟いた。
「プラネタリウムなんて、いつ以来だろう……何だかすっごく楽しみになってきた」
 子供のようにはしゃぐ琴実ににっこりと笑顔を返した後。
 竜星は、こう言ったのだった。
「ここでする昼寝がね、最高なんだ。学校の中庭も気に入ってるんだけど、また違った感じでいいんだ」
「えっ? ひ、昼寝?」
 ていうか、プラネタリウムに来た目的が、昼寝かよ。
 思わずそうツッコミそうになった琴実であるが。
 学校の中庭でよく彼が、光合成という名の昼寝をしていることを思い出す。
 それに、今座っている椅子も座り心地が良く、いい感じにリクライニングする。
 上映が始まると暗くなるし、考えようによっては、昼寝に最適な環境かもしれない。
「昼寝したら、確かに気持ち良さそうだね」
 そんな妙に納得してしまった琴実の言葉に、竜星は嬉しそうに言った。
「でしょ? てか、小さい頃にね、よく父さんにここに連れてきてもらってたんだけど。航星とか、何で寝るんだ、けしからん、おまえは星を鑑賞する気がないのか、とかさ、もういちいちうるさくて」
「ふふ、何だか目に浮かぶよ、その様子」
 彼の兄である航星なら、確実にそうツッコミを入れるであろう。
 そのことが容易に想像できて、琴実は何だか可
笑しくなり、くすくすと笑う。
「でも琴みんが俺のこと理解してくれて嬉しいよ。一緒に昼寝しよ」
 いくら睡眠環境が抜群とはいえ、一緒に昼寝する気は正直あまりないが。
 琴実はいつもと違った休日の過ごし方に、楽しそうに微笑んだのだった。
 そして程なくして、プラネタリウムの上映が始まった。
 映し出される、満天の星空。
 人工的なものであるとはいえ、琴実はその美しさに目を奪われる。
 それからふと、ちらりと隣の竜星に目を向けた。
 だが次の瞬間、琴実は大きく瞳を見開き、耳まで真っ赤にさせたのだった。
 両腕を頭の後ろに組んでリクライニングしまくりな体勢であったため、すでに寝に入っているかと思った竜星だが。
 彼のマロンブラウンの瞳は、真っ直ぐに満天の星空へと向けられていて。
 暗闇の中、ほのかな星明かりに照らされたその姿が、とても幻想的で綺麗だったのである。
 さらに、琴実の視線に気がついた竜星が。
 にっこりと、優しく微笑んだのである。
 思いがけず彼と目が合い、何だか恥ずかしくなった琴実は、ドキドキと脈を打つ胸を小さく撫でる。
 それから再び遠慮気味に彼を見た。
 静かなプラネタリウム内のため、声こそ出さなかったが。
 竜星はゆっくりと、彼女に向け、口を開いた。
 琴実はその口の動きを見て、彼が自分に何と言ったか察し、ふっと笑む。
 そして改めて、星空を見上げたのだった。
 彼が彼女に言った、その言葉。

 ――おやすみ。

 琴実は早速スースーと小さく寝息を立て始めた竜星に、早っ、と心の中でツッコミつつ。
 星空の下で昼寝とは、なんて贅沢でロマンティックなんだろうと。
 そして、なんて彼らしいんだろうと。
 そう思いながらも、流れる星の説明に耳を傾けたのだった。


「プラネタリウム、すごく面白かったね」
 プラネタリウムの上映が終わった後、ふたりは昼食をとるべくレストランに入っていた。
「うん。最高に熟睡できたよ」
 それってどんな感想、と思いながらも、かなり満足そうな竜星の様子を琴実は微笑ましく見る。
 それから先程まで目の前に広がっていた満天の星空を思い出しながら、感嘆の溜め息をついた。
「プラネタリウムも綺麗だけど、実際にあれだけの星を見れたら、すっごく素敵だろうな……」
 夢見がちにそう呟く琴実に、竜星はふっと瞳を細める。
 そして、すかさずこう訊いたのだった。
「そういえばさ、琴みんも行くよね? 夏休みの、天文部の合宿」
「あ、うん。行くつもりだよ。竜星くんも行く?」
「うん、俺も行くつもり。楽しみだね」
 琴実の返答に満足したように頷き、竜星はそっと瞳と同じマロンブラウンの髪をかき上げた。
 毎年夏に行われる天文部の夏合宿は、泊りがけで星の観測をするというもので。
 今までは参加する気すらなかった竜星だったが。
 今年は、かなり状況が違う。
 何せ、想いを寄せる琴実と長く一緒にいられる、またとないチャンスである。
 しかも夏の星空の下という、ロマンティックな状況下。
 兄の航星に知られたら、何という不純な参加動機だと言われそうであるが。
 夏合宿という特別なイベントで、彼女との距離を、ぐんと縮められるかもしれない。
 もちろん合宿には、恋のライバルである兄の航星も参加するだろうが。
 硬派で真面目な航星が、何か大きなアクションを起こすとは考えにくい。
 この夏合宿で、より自分のことを彼女に知ってもらえればと。
 竜星はそう密かに思っているのである。
「そういえばさ、琴みん。今日来る前に、家事全部片付けてきたの?」
 何気なく訊いたその竜星の言葉に、琴実は目を一瞬見開いたが。
 なるべく所帯染みた発言をしないよう細心の注意を払い、頷く。
「う、うん。一応一通りは」
「さすがすごいね。休日の朝早く起きれる人って、ホント尊敬する」
「尊敬だなんて、そんな大したことじゃ全然ないよ。何かね、休日に天気がいいと、目が覚めちゃって。お日様を有効活用しないと勿体無いっていうか、平日にはなかなかできないお布団干しとかできるし、いろいろ家のことやれるから……あっ」
 そこまで言って、琴実は口を噤んだ。
 そして、大きく溜め息をつく。
 家事の話はしないでおこうと思ったのに。
 少し気を緩めただけで、すぐにこれである。
 やはり所帯染みたことしか言えない自分に自己嫌悪に陥る琴実に、竜星は首を捻る。
「? どうしたの、琴みん」
「いや……せっかく竜星くんが誘ってくれたんだから、あまり今日は所帯染みた話はしないでおこうと思ったんだけど」
 正直にそう答え、琴実は苦笑する。
 だが竜星は、そんな彼女の言葉に不思議そうな顔をした。
「何で?」
「え? だってやっぱり、年相応な話題の方がいいかなって……」
「てかさ、琴みん。俺はね、琴みんのそういう所帯染みたオカンっぽいところが、最高に好きなの」
 普通なら、高校生がオカンと言われると、少し複雑なのであるのだが。
 彼にとってそれは、最高の賛辞。
 そのことを知っている琴実は、黙って彼の次の言葉を待つ。
 航星は真っ直ぐに琴実を見つめ、続ける。
「それにね、ありのままの琴みんの話をいっぱい聞きたいし、琴みんのことがもっともっと知りたい。逆にね、俺のこともいっぱい聞いて知って欲しいんだ」
「竜星くん……」
 琴実は真剣な表情の彼を見つめ返し、一瞬言葉を切った。
 だが、にっこりと笑顔を宿し、大きく頷く。
「うん、そうだね。私たち、仲良しなお友達だもんね。ありのまま、もっといっぱいお互いのこと話そうね」
「……仲良しな、お友達」
 竜星は、自分の気持ちに全く気がついていない琴実の発言に、何気に複雑な心境になりつつも。
 気を取り直し、悪戯っぽく笑って言った。
「でもよかった、今日は琴みん、山の手で居眠りしてグルグル回ってなくて」
 琴実は恥ずかしそうに顔を赤くし、大きく首を振る。
「いや、あの時はたまたま居眠りしちゃっただけでっ。そう頻繁に山の手をグルグル回ってないよ」
「そう? 俺は結構好きで、頻繁にグルグル回ってるけど」
「……そうなんだ」
 竜星なら本当に頻繁に回ってそうだ、と。
 彼の性格を考えて思いながらも、琴実は。
 竜星と初めて会った時のことを思い出していた。
 だがそれは、彼も同じであったようで。
「またさ、一緒に山の手グルグルしようよ。俺の肩、貸してあげるから」
 竜星のその言葉に、琴実は素直に頷く。
「うん、ありがとう」
「じゃあさ、早速、月曜の朝にどう?」
「って、グルグルするのって、学校の登校途中なの!? それはちょっと……あの時で懲りたよ」
 転校初日で遅刻という、大胆なことをやらかしてしまった自分の失態を思い出し、琴実は肩をすくめたが。
 あの時、居眠りをしたから。
 竜星や航星と今、こんなに仲良くなれたかもしれない。
 そう考えると、居眠りもたまには悪くないな、と。
 琴実は竜星に満面の笑顔を向け、こう言ったのだった。
「何だか私たち、いい昼寝友達だね」
「いい、昼寝友達……」
 琴実の中での現在の自分のポジションに再び複雑な気持ちになりながらも。
 竜星は、改めて決意する。
 いい昼寝友達から、いずれは、彼女の特別な存在になってみせる、と。
 そのためには努力は惜しまないし、決して諦めない。
 そして、それ以上に。
 今のような幸せなふたりの時間を、精一杯大切にしようと。
 自分だけでなく、彼女にとっても、楽しく有意義な時間になるように。
 彼女の笑顔が絶やされることのないように、ずっと一緒に笑いあえるように。
 琴実のことを、すぐそばで守ってあげたい。
 竜星はそんなこみあげてくる熱い想いに、自分自身驚きながらも。
 柄にもなく、恋に現を抜かしている今のこんな自分も決して悪くはないなと、そうも思ったのだった。