4-2.上手な野菜の選び方



 人の犇く売り場の一角から少し離れた場所で、琴実はふうっと一息ついた。
 そして片手に抱えた買い物カゴを覗き込み、戦利品を確認して小さく笑む。
 特売日のタイムセールなだけあって人の密度がかなり高かったが。
 事前に狙いを定めて臨んだため、無事にお目当ての特売品を手にできたのだった。
 あとは、近所のスーパーの相場と比べながら、必要なものをゆっくり見て回ろうと。
 そう思ったその時。
「琴実。無事に特売品はゲットできた?」
 いつの間にか琴実のすぐそばまできていた壱星は、彼女の肩をさり気なく抱きながら、生活感ありまくりな言葉を掛ける。
 スーパーという場所に似合わない、彼の容姿と言動。
 だが、そんな壱星の買い物カゴにも、ちゃっかり特売品が入っていた。
「はい、とりあえず買いたいものはゲットできました」
 彼のセクハラまがいの行為に苦笑しつつ琴実は大きく頷く。
 壱星はそんな琴実ににっこりと笑んで、言った。
「僕も無事にゲットできたよ。あとは普段買ってる相場と比べながら、必要なものをゆっくり見て回ろうかなーと思うんだけど……琴実もさ、一緒に回らない?」
「えっ?」
 琴実は壱星の言葉に、意外そうに声を上げた。
 見た目はスーパーに似つかわしくない彼であるが。
 その行動は手馴れていて、そこら辺の主婦と遜色ない。
 そして、そんなギャップが、何だか可笑しくて。
 琴実は思わずくすくすと笑ってしまう。
「どうしたの、琴実?」
 突然笑い出した琴実に、壱星は不思議そうに首を傾ける。
「いえ、先生が、見た目に寄らずものすごく主婦っぽいから」
「そう? でもね、いいお嫁さんになれる自信はあるよ、僕」
 お嫁さんかよ、と心の中で突っ込みつつ。
 普段とは何だか違ったスーパーでの買い物に、琴実は満更でもない表情を浮かべる。
 壱星は何気に楽しそうな彼女の様子に微笑んでから、悪戯っぽくこう続けた。
「そういうことで、どうかな? 琴実と僕なら、ある意味最強の夫婦になれそ……」
「あ、先生。野菜のところに行ってもいいですか?」
 琴実は壱星の言葉を遮るようにすかさずそう言うと、スタスタと青果売り場へと足を向ける。
 壱星のようなタイプはあまり調子に乗らせてはいけない。
 先程は、油断して車に乗ってしまったけれど。
 これからは、毅然とした態度で臨まなければ。
 琴実はそう思いながらも、ちらりと壱星を見た。
 発言をスルーされたにもかかわらず、壱星は相変わらずハンサムな顔に笑みを絶やしていない。
 それどころか。
「えーっと、近所よりレタスは少し高いな。今は、とうもろこしが旬だよね」
 何気に野菜の値段をチェックしながらも、壱星は再び琴実の肩を抱く。
 全く、懲りてない。
 それよりもこの人は本当に教師なのだろうか。
 よく今まで、生徒からセクハラで訴えられなかったなと。
 ちらりと壱星を上目で見ながら、琴実は小さく嘆息する。
 そんな琴実に優しい視線を返して。
 壱星はふと目の前のトマトを手に取る。
 それから、琴実にこう訊いたのだった。
「琴実はさ、野菜を選ぶ時、どんな風に選ぶ?」
「え?」
 思いがけずに投げられた問いに、琴実はきょとんとしたが。
 真剣にしばらく考えてから答える。
「んー……トマトだったら、カタチが丸くて赤くて重たくて、ヘタがピンとした緑色のものかな。ほかの野菜でも、ハリがあって色が鮮やかなものとか」
「なるほど、本当に君は素晴らしいね」
 うんうんと、壱星は心から感心したように頷いたが。
 ぽんっと琴実の頭に手を添えると、こう続ける。
「確かに、色やハリやツヤは、野菜を選ぶ時には大切なチェック項目だね。でも何かさ、理屈では分からないけど、こういうことってない? 野菜の方が、僕を買って〜って言ってるような気がすることって」
「あっ、あるある! よくあるかもっ」
 壱星の言葉に、思わず琴実は大きく頷いてしまう。
 そんな彼女の反応を満足したように見つめ、壱星は笑う。
「だよね、やっぱりそういうこと、よくあるよね。何かそんな自分にラブコールを送る野菜って、不思議と新鮮で美味しい気がするしね」
 それから、手に持っているトマトをカゴに入れて。
 壱星は優しく、綺麗なブラウンの瞳を細める。
「でもさ、それって野菜だけに言えることじゃないかもね。フィーリングって何事に対しても大事だと思うし。それにもしかしたら、運命の人がすでに自分にそういう念を送っているかもしれないよ? 気がついていないだけで、ね」
 目の前の少女に、そういう念を送っている人物。
 それは、壱星のすぐそばにいる。
 それも……ふたりも。
 だが、熱い想いを向けられている当の本人はというと。
「運命の人が、自分に? ふふ、先生ってロマンティストなんですね。でも、そういうことが実際にあったら、すごく素敵かも」
 ……今はまだ、彼らの気持ちは一方的なもののようである。
 しかし、彼らに全く脈がないかというと、そういうわけではなさそうで。
 琴実自身、恋というものに対して、憧れのようなものは大きいようであるが。
 自分に自信のない彼女にとって、まさか彼らが自分のことを好きであるなんて夢にも思っていないのだ。
 そういう色恋沙汰に疎いところが、彼女の魅力のひとつではある。
 だがある意味、口説き落とすにはかなり苦労するタイプであることには間違いない。
 そして……壱星はふっと笑むと、恋の相手としては手強い彼女に想いを寄せる弟たちに、援護射撃を出すことにした。
「ねぇ、琴実。今日もお母さんは帰りが遅いの?」
「それが、実は今日から三日間、母は取材で家にいないんです」
「そうなんだ、三日間はひとりってこと? じゃあさ、今日、よかったらうちで一緒に夕食なんてどう?」
「……えっ?」
 さり気なくそう誘う壱星に、琴実は驚いた表情を浮かべる。
 壱星はぽんぽんっと彼女の肩を叩き、さらに続けた。
「心配しなくても、うちには残念なことに弟たちもいるからね。僕とふたりっきりでラブラブというわけにはいかないけど、どうかな?」
 冗談っぽくそう言って笑う壱星に、琴実はまだどうすべきか悩む仕草をする。
 いくら軟派な言動ばかりであるとはいえ、担任教師でもある壱星のことを信用してないわけでは決してない。
 いやむしろ、自分に気を使ってそう言ってくれて、嬉しいのであるが。
 母のいない三日間は自炊するつもりであったし、何よりも急に思いもよらず誘われてどう返事していいのか分からないのであった。
 壱星は悩んでいる琴実に、柔らかな声でこう言ったのだった。
「ひとりで夕食取るよりもさ、大勢で食べた方が、同じ食事をするにしても美味しい気がしない? きっと弟たちも喜ぶと思うし、迷惑じゃなければどうかな」
「迷惑だなんて……むしろ私の方が押しかけちゃうカタチになるから、申し訳なくて」
 大きく首を振り、琴実はふと壱星を見上げたが。
 一段と、その瞳を大きく見開いてしまう。
 自分を見つめる、彼の両の目。
 そんなブラウンの瞳が、とても優しくて綺麗で。
 何だか気恥ずかしくなり、琴実はカアッと耳まで真っ赤になってしまう。
 そんな彼女の気持ちを知ってか知らずか、壱星はもう一度にっこりと微笑む。
 それから覗き込むように改めて琴実を見つめた。
「迷惑だと思うんだったら、最初から誘わないから。ね?」
 クラクラくるような整った容姿に宿る、その笑顔。
 琴実は頬を赤く染めたまま、言葉を失ってしまう。
 そして勢いに負け、思わずコクリと頷いてしまったのだった。
「決まりだね。今日の夕食、何にしようか?」
 壱星はスマートな身のこなしでさり気なく琴実の分の買い物カゴを持つ。
 それから近くにあったショッピングカートにふたつのカゴを乗せてガラガラと押し、買い物の続きを始める。
 琴実は慌てて顔を上げると、そんな壱星の隣に並んだ。
 ……ひとりで夕食を取ることには慣れている。
 寂しいという域を超え、むしろそれが当然のことのようになっていたが。
 実際に壱星に誘われ、彼らと一緒に夕食を取るということになって、改めて感じる。
 やはり……ひとりじゃない夕食は、とても嬉しい、と。
 琴実はそっと髪をかき上げた後、自然とその顔に笑みを宿した。
「てか、こうやってふたりで今晩の夕食悩みながら買い物してると、新婚さんみたいだね」
「新婚さんって……誰と誰がですか?」
 すかさず切り返す余裕を取り戻した琴実は、わざとらしく大きく首を傾げてみせるが。
「照れ屋さんなんだから、琴実は。そういうところも可愛いよ」
「…………」
 相変わらずな壱星の様子に、琴実は、本当に彼の誘いに乗っても大丈夫なのだろうかと、今更不安に思う。
 だが、それ以上に。
 あの葉山三兄弟と一緒に夕食を取るなんて、考えるだけで何だかドキドキしてしまう。
 性格も容姿も兄弟とは思えないほど似ていないが、彼らは揃って美形で、学校でも女の子の憧れの的なのである。
 そんな彼らの中に、自分のような平凡な人間が混ざってもいいのだろうか。
 そう気後れしつつも、頷いてしまった今、もう断れる状況ではない。
 いや、本心はものすごく嬉しいのであるが……。
 自分で自分の頭の中が整理できなくなり、琴実は一度深呼吸をしてみる。
 そして自分の隣でカートを押す壱星をちらりと見た後。
 ペチペチと軽く両手で頬を叩き、気合を入れなおす。
 それから、安くて美味しい野菜を選ぶべく。
 野菜が所狭しと並ぶ陳列棚に、改めて真剣な眼差しを向けたのだった。