3-5.空の掃除



 この日絶え間なく降り続いている雨も、土砂降りであった朝よりは幾分か落ち着いているとはいえ。
 放課後を迎えた今もまだ止みそうな気配はない。
 雨粒を落とす空は一面灰色の雲で覆われて薄暗いが、下校する生徒たちの色鮮やかな傘の花がその帰り道を彩っている。
 竜星は窓の外から見える傘の花を何の気なしに両の目に映しながら親友の憲二と靴箱に向かう階段を下りていた。
「今日は美央も生徒会の仕事で忙しそうだし、仕方ないから男の友情でも深めるかー、竜星」
「いや、別に仕方なく深めなくたっていーけど」
 わははっと笑う友・塚田憲二にちらりと視線を投げてからあっさりと言葉を返した。
 それから長身の憲二をやや見上げるように視線を向ける。
「てかさ、前から不思議なんだけど。何でおまえ、そんな平気でいられるわけ?」
「ん? 平気って、何がだ?」
 竜星の問いかけが何に対してのものだか分からず、憲二は首を捻ったが。
 竜星はサラサラのマロンブラウンの前髪をかき上げると、憲二よりもさらに首を傾けて続けた。
「おまえってさ、美央のことが好きなんでしょ? 生徒会の仕事って言ったら、美央が惚れてる航星も一緒なわけじゃん。気になんないわけ?」
「あーそんなことか。別に気になんないなー」
 即効でそう答える憲二に、竜星は理解できないという表情を浮かべる。
「何で? 俺がもしおまえと同じ状況だったら、気が気じゃないのに」
「まぁ別に、相手が知らないやつとか、いい加減なチャラ男とかじゃないだろ。美央のことは好きだけど、航星も友達じゃん」
「それがよく分かんない。俺はある意味誰よりもよく航星のこと知ってるけど。だからこそ、もしあいつと琴みんが一緒とかだったら、余計気になって仕方ないと思う」
「そりゃ、状況が違うだろ。美央は航星のことが好きだけど、航星は全然それに気がついてないし。でもおまえの場合は、航星の方が琴実ちゃんのことが好きなわけだし」
「そうだけど……じゃあ、もしも例えば逆で航星が美央のことを好きだった場合は、おまえも気になるってこと?」
 憲二は竜星の言葉に今度はうーんと少しだけ考えたが。
 すぐに、こう返したのだった。
「んー……いや、やっぱそんな気になんないかな」
「え? 気になんないの? 全然分かんないんだけど」
「さっきも言ったけどな、航星は友達だし。それに俺の気持ちはガンガンアピるけど、美央が航星のこと好きっていうんなら、それを応援してやりたいってカンジかな」
 ますます理解できないというように首を振り、竜星はそれから改めて自分の思いを確かめるかのようにはっきりと言い放つ。
「てかさ、美央も同じようなこと言ってたけど、ホントそれ理解できない。好きなら、一生懸命相手に振り向いて貰えるようにするもんじゃないの? 例え琴みんが別の男を好きになっても、本当に無理だなって状況になるまでは俺は足掻くつもりだし」
「おいおい、俺も美央に振り向いて貰えるようにこんなに頑張ってるじゃんよー。ま、恋愛感なんて、十人十色、いろいろってことなんじゃね?」
 憲二は、珍しく熱く語る竜星の肩をポンポンと軽く叩く。
 そしてハンサムだが何故か三枚目な雰囲気の人懐っこい顔に笑みを宿した。
「てかおまえ、どんだけ青春謳歌しまくりなんだよ。少し前のおまえからは考えられないな、おい」
「そうだね、自分でもビックリしてる」
 竜星は素直に頷き、髪と同じ色素の薄い色の瞳をそっと優しく細めた。
 ふたりは階段をすべて下りきって、今度は靴箱へと続く廊下を歩き始める。
「そういや、恋愛感は十人十色って言うけど。聖子りんの恋愛って謎だよね。年上の男いるみたいだけど」
「年上の男なんて、どこで見つけてくるんだろーなー。俺も年上のオネーサマと出会いたいぜっ」
「年上のオネーサマって……美央のストーカーなんでしょ、おまえ」
 靴箱の手前にある傘立てまで辿り着いた竜星は、自分の持ってきたビニール傘を探してそれらしいものを手にしつつ、わざとらしく嘆息する。
 そして放課後の雑踏の中に何気なく視線を映した――次の瞬間。
 竜星は視線に入ってきた光景に一瞬瞳を見開いた後、少しだけ考える仕草をする。
 そして何故か手にしていたビニール傘を再び傘立てに戻すと、憲二に言ったのだった。
「悪い、憲二。今日は男の友情を深められないみたい。じゃーね」
「えっ? おい、竜星」
 急にスタスタと靴箱に向かって歩き出した竜星を憲二は驚いたように見たが。
 竜星の視線を追うとすぐに状況を理解し、納得したように頷いたのだった。
 竜星は早足で歩きながら、ちょうど靴箱で靴を履き替えている人物にすかさず声をかける。
「琴みん。今から帰るの?」
「あ、竜星くん。うん、今から帰るところだよ。竜星くんも?」
 急に声を掛けられて驚きながらも、琴実は顔を上げて竜星の姿を確認すると、表情を和らげる。
 竜星は整った顔に微笑みを宿して頷いてから、抜かりなく続ける。
「そう、俺も帰るとこ。駅まで一緒に行かない?」
「うん、そうだね。一緒に帰ろう」
 にっこりと、穏やかな笑みを彼に返した後。
 琴実はふとあることに気がついて首を傾げた。
「あれ、竜星くん、傘立てに傘忘れてない?」
 そんな彼女の問いに、竜星はこう答えたのだった。
「あ、傘なんだけど、実は持ってきてないんだ。結構雨、降ってるよね」
「そうなんだ。じゃあ、もしよかったら、私の傘に入って」
「ホントに? ありがと、琴みん。じゃあ俺も靴履き替えてくるね」
 嬉しそうな表情を浮かべてから、竜星は一旦琴実に背を向け、靴を履き替えに自分のクラスの靴箱へと歩き出す。
「……てか、あんなに朝土砂降りだったのに、傘持ってきてないとか有り得ないだろ」
 一連のやり取りを密かに見ていた憲二は、靴箱で再び一緒になった竜星の作戦に思わずそうツッこむが。
 竜星はさっさと靴を履き替えながらさらりと言った。
「でも琴みんは別に疑問に思ってないみたいだし、結果的に作戦成功だよ」
「そんな作戦が通用するあたり、琴実ちゃんって何気に天然入ってるよなー」
「それも琴みんのいいとこでしょ。じゃ、またね」
 靴を履き替え終わった竜星はぽつりと呟く憲二にひらひらと手を振り、そそくさと琴実の元へと向かう。
 憲二は友人のそんな恋の作戦に苦笑しつつも、温かく見守るように黙って手を振り返したのだった。


「明日には止むかな、雨」
 校門を出て駅へと続く道を歩きながら、琴実はちらりと雨雲に覆われた空を見上げる。
「琴みんは、雨が嫌い?」
 彼女と歩調を合わせ、竜星は隣にいる琴実に訊いた。
「うーん、嫌いっていうわけではないけど、こんなに雨が続くと洗濯物も干せないし、そろそろ晴れて欲しいかな」
「洗濯物って……やっぱ琴みん、発言が妙に所帯染みてるよね」
「しょ、所帯染みてる……」
 クスクスと笑う竜星に、琴実は恥ずかしそうに顔を赤くする。
 靴箱では、何気なく自分の傘に入らないかと彼を誘った琴実だったが。
 よく考えると、美少年である竜星とひとつの傘に入っているなんて、こんなロマンティックな状況はない。
 なのに……何でロマンティックとは程遠い、我ながらなんて所帯染みたことしか自分は言えないんだろうか。
 そう思いつつ小さく溜め息を漏らす琴実とは逆に、竜星は心底楽しそうに言った。
「そういうところがいいよ、琴みんって。話してて面白いよ」
「本当に? ありがとう。でも何だか、どうしても思考がそういう方向にいっちゃうのよね。もうちょっと可愛らしくて気が利いたようなこと言えるようになりたいんだけど」
 美央のような、話題も豊富で女の子らしい魅力的な子だったら。
 ロマンティックな恋をする機会もきっと多いのだろうな、と。
 竜星が自分に気があるなんて毛頭思ってもない琴実は、はあっとひとつ息を吐いてそっと前髪をかき上げる。
 だがそんな琴実に、竜星は首を左右に振った。
「何で? 琴みんはそのままでいいと思うよ、俺は」
 優しく耳をくすぐる、竜星の柔らかな声。
 その声にふっと顔を上げた琴実は、彼の綺麗な顔が思いのほか近くあることに気が付き、言葉を発するのを忘れてしばし見惚れてしまう。
 何度見ても思わずドキドキするような、美少年というに相応しい容姿。
 それはもちろんなのだが。
 竜星の見守るような優しい眼差しに、琴実は胸の鼓動が早まる感覚を覚えたのだった。
「琴みんは掃除も得意そうだよね。雨って鬱陶しかったりするけど、空が掃除してるって考えれば少しは楽しくない? 雨が降った後の晴れた空って澄んでるし、雨上がりの空に虹とか架かったら相当綺麗でしょ」
 竜星は幸せそうにもう一度微笑んだ後、傘を少し持ち上げて天を仰ぐ。
 まだ空を支配するどんよりとした雲は雨を落としているため傘は必要ではあるが。
 心なしかその雨脚は弱くなっているようである。
 そして、琴実には言えないが。
 竜星が雨を好きだと思う、一番の理由。
 それは、思いを寄せる琴実とふたりで、相合傘をしながら下校しているという幸せ。
 そんな状況を作り出してくれた雨に、竜星は密かに感謝していたのだった。
「そうだね。空もお掃除してるのかもね」
 竜星の言葉に同意するように頷いて琴実はにっこりと笑む。
 確かに雨が続くと、洗濯物や布団は外に干せずに困ってしまうし、気持ちも憂鬱になってしまうけれども。
 竜星の言うように、考え方を変えれば、そんな雨も楽しいものに変わるかもしれない。
 それに、雨が空の掃除だなんて、竜星は想像力に富むロマンティストなのだなと、意外に思うと同時に。
 じゃあ雨が多い梅雨は、空が大掃除をする時期なのだろうか、なんて。
 隣にいる竜星の恋心を知る由もない琴実は暢気にそんなことを思いながらも、せっせと掃除に勤しんでいる雨空に視線を向けた。
 そして、そんな琴実をじっと見つめながら。
 竜星は先程憲二と交わした会話を思い出す。
 恋愛感は、十人十色。
 人の恋愛感を否定する気は全くないが、自分の恋愛に対する考え方は揺ぎが無いし、今後変わるとも思わない。
 そんな自分の気持ちに、これからも正直に行動しようと。 
 竜星は隣に歩く琴実の姿だけをマロンブラウンの瞳に映し、この時、ある決意をしたのだった。