1-5.色の違う三ツ星
転校初日は、何だか朝からとても慌しかったが。
放課後を迎えた琴実の心からはあれだけ大きかった不安がすっかり消え失せていた。
元々人に話や行動を合わせることが得意な琴実はクラスにもすぐに打ち解けることができたのだった。
そして、それは彼女の協調性のある性格のためというのも大きかったが。
何よりも周囲の友人に恵まれてよかったと、琴実は自分の運命の星に感謝していたのである。
「ねーねー、5時間目だった古典の橋田先生って、次課長のタンメンの人に激似と思わない? 『お前に食わせるタンメンはねぇ!』って言いそうっ」
掃除当番のため廊下を掃きながら、華やかで派手な雰囲気を持つ美少女・城崎美央はそう言ってきゃははっと楽しそうに笑う。
逆にクールな表情で、黒髪ショートカットがよく似合っている日本美人の少女・井出川聖子はそれに続けた。
「ちなみにその元ネタって、ジャッキー・チェンの映画に出てくる脇役のモノマネなのよ」
琴実はその聖子の言葉にふと首を傾げる。
そして昔、映画好きだった父親と一緒に観た、ある古い映画を思い出しながら口を開く。
「ジャッキー・チェンの映画の脇役って……サモ・ハン・キンポー?」
「サモ・ハン・キンポーって! 違う違う、何かマニアックな定食屋の店員の真似じゃなかった? てかそのボケ、まさかそういう方向から来るとは思わなかったわぁっ」
美央はクスクス笑いながらもポンポンッと琴実の肩を軽く叩く。
聖子は相変わらずそれほど表情を変えることはなかったが、何故か少し感心したような響きの声で言った。
「琴実は映画が好きなの? 確かにジャッキーの映画の脇役って言えば彼だけど。でも、よくその名前が出てきたわね」
「うん、映画大好き。最近の映画はあまり観れてないんだけど、昔の映画ならいっぱい観たよ。あ、次長課長のタンタンメンの人って、ゲゲゲの鬼太郎のサラリーマンの人?」
「そう、あのサラリーマンの人の真似する方。それよりもタンタンメンって……琴実、“タン”がひとつ余計よ?」
「え? あっ、タンメンか」
聖子に冷静にツッこまれ、琴実は微かに頬を赤らめる。
そんな琴実の様子に美央は大きな瞳を細めた。
「琴実、あんたってもしかして結構天然? 面白すぎなんだけどっ」
「天然? うーん、言われたことは何度かあるけど……自覚はないよ」
琴実はまだ火照っている頬にそっと手を添えながら、恥ずかしそうに首を振る。
今日、初めて出会ったとは思えないくらいに。
仲良くなった美央と聖子との会話は思いのほか弾んでいた。
一日話をしただけであるが、こういった他愛のない芸能の話題から少し真面目な話まで、ふたりは何でもよく知っていて。
琴実も決して疎くはないので会話には十分入れるのだが、彼女らのアンテナの広さに驚かされる。
それにふたりは、とてもさり気なく気の利く子で。
会話の中でも上手く言葉を選んで投げてくれるために、応えやすいのだ。
そして何気に気遣い屋で彼女たちと同じようなタイプの琴実にはそれがよく分かったのである。
美央は集めたゴミを塵取りで取った後、それをゴミ箱に捨てる。
そして掃除道具を片付けながら琴実に訊いた。
「あ、そうだ。琴実は今日って、これから何か用事ある?」
これからの予定といえば、家の近くのスーパーに夕食の買い物に行くくらいである。
それは用事のうちに入らないだろうなと、琴実は小さく左右に首を振った。
「ううん、何もないよ」
「じゃあさ、私たち今日今から部活に行くんだけど、琴実も一緒に行かない? 見学だけでもどうかな」
「部活?」
美央の提案に琴実はふと首を傾げた。
そして美央の言葉に付け加えるように聖子も口を開く。
「部活と言っても普段は隔週一回程度だし、出席も厳しくないし、気軽に入れていいわよ」
転校初日で部活動のことなど全く頭になかった琴実だったが。
部活動に入れば、また新しい友達ができるかもしれない。
体育会系では全くないために運動系の部は無理だが、隔週一度ということはどうやら文化系の部らしいし。
琴実はそう考え、彼女たちの提案にコクンと頷く。
「うん。じゃあ見学だけでも行ってみようかな」
「うんうん、行こう行こうっ」
美央は琴実の返答に嬉しそうに微笑んだ。
それから今度は少し遠慮気味な口調で、ふと琴実にこう質問したのだった。
「あ、そうだ、話は変わるんだけど……琴実って、彼氏いるの?」
「えっ?」
いきなりそう訊かれ、琴実は数度瞬きをさせる。
それから大きく首を振った。
「ううん、いないよ」
「そうなんだぁ。じゃあ、好きな人は?」
「好きな人もいないよ。そういう美央は?」
「私も今は彼氏はいない。でも……好きな人は、いるかな」
少し照れたように笑んでから、美央はそっと長い茶色の髪をかき上げる。
そんな彼女の顔は、まさに恋する乙女の表情であった。
琴実は――実はまだ、恋をしたことがない。
そのために、恋というものがどういった感情なのか正直分からないが。
目の前で幸せそうに微笑む美央を見ていると、すごく羨ましい気持ちになる。
恋をしたことはないが、恋に対する憧れは強くあるのだ。
だが、焦って恋をしようとしても、それは本当の恋ではないのではないか。
いくら熱烈的に恋をしても、両親のように気持ちが冷めてしまうことだってあるのだ。
だから、恋の到来も運命の星に任せようと、そう琴実は決めていた。
そしてまだ運命の存在は、琴実の心の中にはないのである。
「美央みたいに綺麗な子に好きになってもらえるなんて、相手の男の人は幸せだよね」
「相手も、そう思ってくれたらいいんだけどね……」
はあっと溜め息をつき、未央は琴実の言葉に苦笑する。
その様子から、彼女の恋は順調とは言い難いのだろうかと思ったが。
あまり深く訊くのも悪いような気がして、琴実はそれ以上は訊かずにおいた。
「美央は、本命には奥手なんだから」
聖子はふっと息をつき、そう美央に言った。
琴実は今度はそんな聖子に同じ質問する。
「聖子さんは、彼氏いるの?」
その問いに聖子は少し釣り気味の黒を帯びた瞳を細めた。。
それから逆に、琴実に訊いたのだった。
「琴実。さっきから思ってたんだけど、なんで私は“さん”付けなの?」
「え? いや、何となく雰囲気的に“さん”付けが似合うかなって……ダメ?」
「いいえ、ダメじゃないわ。ただ、疑問に思っただけ。私のことは好きに呼んでもらって構わないわ。えっと、それで彼氏の件だけど」
「聖子は秘密主義なんだよねー。親友の私にも、年上の彼氏がいるってことくらいしか教えてくれないし」
答えたのは聖子ではなく、美央であった。
だが聖子は別に気に留めることも、言葉を付け加えることもない。
落ち着いた雰囲気を持つ聖子の恋人が年上であるということに妙に納得しながら、琴実はやはり彼氏がいるということを羨ましく思う。
そして。
――自分にも、早く運命の人が現れますように。
今度流れ星を見つけたら、こうお願いしよう、と。
琴実は密かに心の中で思う。
それから3人は話題の尽きない会話に花を咲かせながら教室に戻って帰り支度を整えて、部活動の行われる場所へと向かったのだった。
「なんか、すごいね……」
琴実はそうポツリと呟き、周囲をぐるりと見回す。
部活動が行われるという場所は――特別教室塔の2階にある、理科教室。
そしてその部とは、天文部であったのだったが。
隔週一回だと聞いていたし、もっとひっそりと活動しているイメージがあったのに。
放課後の理科教室には、何だかかなり大勢の人が集まっていた。
どちらかといえば女生徒が多く見受けられる。
「うちの部、部員多いのよ。ちなみに私が部長なんだけど、管理も大変」
聖子はふうっと溜め息をつき、そう言った。
その言葉に、いつも明るい未央にしては珍しく表情を曇らせる。
「まぁ、何て言ってもうちの部にはあの名物兄弟がいるし、仕方ないんだけどね……ちょっと多いよね」
「名物兄弟?」
美央の言葉に琴実はきょとんとする。
聖子は小さく頷き、続けた。
「そう。うちの部には名物兄弟がいてね。彼ら目的の子が多いの。今はまだ来ていないけれど」
名物兄弟って、一体どんな兄弟なんだろうか。
聖子の言葉に琴実はますます首を傾げてしまった。
――その時。
「おっ、美央発見っ」
そんな一際大きな声が教室内に響く。
美央は声の相手に目を向け、大きな瞳を細めた。
「あ、ちょうどよかったー。この子、今日転校してきた私の友達なんだけど、部活の見学に連れてきたの。よろしくね、副部長さん」
「おうよ、美央の友達は俺の友達だぜ。俺は2年Dクラスの塚田憲二(つかだ・けんじ)、美央のオッカケやってますです、どうぞよろしく」
180cmは優にあるだろうか、長身の少年。
顔は少し濃い目のハンサムだが、何だかその雰囲気は二枚目というよりも三枚目である。
彼に気さくに話しかけられた琴実は、一瞬だけ躊躇するが。
すぐに気を取り直して自己紹介をした。
「えっと、私は2年Aクラスの夏川琴実です。よろしくね」
「琴実ちゃんかーふむふむ、よろしくっ」
そんなにっこりと琴実に笑顔を向ける憲二に、美央ははあっと嘆息する。
「オッカケってアンタ。もっと別の自己紹介ないの?」
「だって事実じゃん? あ、オッカケじゃなくて、ストーカーの間違いだっけ」
「あら、自分で分かってるじゃないの。てか、自分で言ってれば世話ないわね」
「うわ、部長は相変わらずキビシーな、おい」
聖子も交えたテンポの良い彼らの会話に、琴実は思わずクスクスと笑ってしまう。
そんな彼女の様子を嬉しそうに見てから、美央は憲二に訊いた。
「そういえば、彼らは今日は来るって?」
「ん? あー今日は来るんじゃね? 何か兄が弟に、いい加減来いって言ってたみたいだから」
彼らとは、例の名物兄弟のことだろう。
今日来るらしいという彼らは、一体どんな兄弟なのだろうか。
天文部のこの盛況な様を見る限り、結構な名物ぶりなのだろうことが窺える。
琴実がそう、何気に少し期待していた――その時だった。
教室が心なしか、微妙にざわっと騒がしくなる。
部員の視線の先が教室の入り口に向けられていることに気がつき、琴実もふと同じ方向に目を移した。
そして、この場に現れた人物を見つけた途端、思わず大きく瞳を見開いてしまったのだった。
――その理由は。
「あ、あの人たち……!?」
「彼らを知ってるの? 琴実」
思わず呟いてしまった琴実の言葉に、聖子は首を傾げる。
琴実は目をぱちくりとさせながらももう一度彼らを見つめた。
……やはり、間違いない。
彼らの顔を確認し、琴実は驚きを隠せない表情を浮かべる。
理科教室に現れた彼らとは、初対面ではなかったのである。
その少年たちはというと――。
「あれ、誰かと思ったら、居眠りな彼女じゃない。何でこんなところにいるの?」
「君は確か、朝会った転校生の」
ふたり同時にそう口を開き、現れた少年たちは琴実に目を向けた。
琴実の目の前にいるのは。
電車で肩を貸してくれた、マロンブラウンの髪の少年と。
黒髪黒瞳が印象的な、生徒会長の少年だったのである。
「えっ? 琴実、彼らのこと知ってるの?」
美央は意外な表情を宿し、琴実と彼らを交互に見た。
琴実はコクンと美央に頷く。
それから少年たちに向き直り、ペコリと頭を下げた。
「あ、うん。朝は、どうもありがとう」
「そういえば朝のあの時、逃げ遅れちゃったんだって? こいつの小言がうるさかったでしょ」
「うるさく言っても懲りないのはどこの誰だ? おまえの身勝手な行動に、転校生の彼女まで巻き込んで」
巻き込んだのは、電車で居眠りした自分なのだが……。
朝の出来事を思い出しながらも琴実は少年たちを交互に見る。
「へー、知り合いだったなんてビックリ。じゃあ、何で彼らが名物かは知ってる?」
美央にそう訊かれ、琴実はうーんと考えるような仕草をした。
容姿が良いということ以外、特にほかの生徒と変わったところはないが。
でも、そういえば……。
「名物兄弟っていうことは……ふたりは、兄弟なの?」
それにしては、あまりにも似てなさすぎる。
容姿も性格も全く違う正反対なタイプに見受けられるが。
それが、名物の所以なのだろうか。
そう思った琴実だったが。
「そうそう。それにね、実はふたり、兄弟で同じ学年なの。珍しいでしょ」
「えっ、同じ学年って?」
美央の言葉に琴実は数度瞬きをする。
聖子はそれに付け加えるように言った。
「兄の航星(こうせい)くんが4月生まれ、弟の竜星(りゅうせい)くんが3月生まれの、同じ学年の兄弟なの。双子じゃなくて同じ学年なんて珍しいわよね。それに加えて、さらに彼らにはお兄さんがいるんだけど……」
そんな聖子の言葉が終わる――その前に。
ガラリと再び理科教室のドアが開いた。
「あ、噂をすれば。三兄弟の長男のお出ましね」
美央は教室に現れた人物を確認し、そう口を開く。
そして、彼女とともにドアに視線を向けた琴実だったが。
「……え!?」
現れた人物を瞳に映した琴実は、思わず声を上げてしまったのである。
それもそのはず。
その場に現れたのは。
「あ、可愛い子ちゃんがいると思ったら琴実じゃないか。君も、僕が顧問をする天文部に入部してくれるのかい? 嬉しいな」
「は、葉山先生!?」
理科室にやってきたのは、担任の葉山壱星だったのである。
相変わらずの軽口を琴実に叩きながらも、壱星はふと弟たちに視線を移した。
「あれ、竜星も来てるなんて珍しいね」
「だって航星が来いってうるさいから」
「うるさいとは何だ。隔週一度の部活動なのに、おまえは二ヵ月に一度来るかこないかだろう? 部員ならきちんと決められた日に出席しろ」
「まぁまぁ、航星。別に構わないよ、女の子の部員が僕に会いに来てくれれば」
「そうだよ、別に出席が強制なわけじゃないし。航星さ、あまりピリピリしてたらストレスで早くハゲるよ?」
「誰がハゲるだっ。そのストレスを与えているのはどこの誰だ? それに葉山先生、貴方ももっときちんと部員の管理くらいしてください」
「それがダメなんだって。ハゲるどころか血管切れて早死にするよ」
「怖いなぁ、生徒会長殿は。ところで琴実、朝言ってたプラネタリウムデート、いつにしようか?」
ピシャリとそう言い放つ次男・航星の様子にも、長男・壱星と三男・竜星はマイペースに聞き流している。
双子では非ず、同じ学年の次男と三男と。
そして、その学校で教師をする長男。
確かに話題性は抜群であるが。
それよりも何よりも、あまりにも三人とも性格も容姿も違いすぎる。
全員容姿が良いというところは共通しているのだが、そのタイプが全く異なるのだ。
そしてやたら人数の多い女子は、格好良い彼ら目当てであることが琴実にはようやく分かったのだった。
――それぞれ、違う色を放って輝く三ツ星。
この時は、ただポカンとそんな彼らのことを見つめることしかできなかったが。
自分の運命の星がキラキラと輝きを放ち始めたことを、琴実はまだ全く気がついていなかったのである。