1-2.土管ワープの先



「こっち、こっち」
 同じ学校のために、必然的に電車の少年と一緒に歩いていた琴実だったが。
 思わず目をぱちくりと瞬かせてその場で足を止めた。
 そして自分を手招きする少年に遠慮気味に問う。
「こっちって……どこ?」
「どこって、こっち」
「…………」
 少年は相変わらずマイペースに歩を進めながら、答えになっていない答えを返す。
 琴実は少し躊躇したようにきょろきょろと周囲を見回した。
 それもそのはず。
 駅から大通りを直線に行けば深幸学園の正門に着くはずなのに。
 少年は何故か、裏路地のような狭い道に入って行ったのである。
 そして、着いたところは。
「……ここ?」
 琴実はもう一度、少年に訊いた。
「うん、ここ」
 風に揺れるマロンブラウンの髪を気にもせず、少年は再び頷く。
 ここって言われても……。
 そう心の中で呟いて、琴実は大きく首を傾げる。
 そんな彼女の目の前に広がっているのは。
 少し前まではおそらく何かが建っていたのだろうが。
 今は手入れもろくにされず雑草が伸び始めている、何もない空き地であった。
 だが、構わず少年はスタスタとその空き地に足を踏み入れ始める。
「あ、ちょっとっ」
 琴実は少年の後に続こうかどうしようか迷ったが。
 ひとりでこんなところにいても仕方がない。
 それに多分、彼と目的地は一緒であろうし。
 琴実は少年に続き、膝下あたりまで伸びた雑草の中を歩き始めた。
 そして――しばらく進んだ先には。
「あれ? ここってもしかして、学校?」
 塀とフェンスの向こうに見えているのは、今日から琴実が通うことになっている深幸学園の校舎。
 どうやら、学校の裏側に来たらしい。
 そのことがようやく琴実には分かった。
「うん、そう。正面から入ったら、遅刻扱いになるでしょ」
 少年は歩みを止めないまま、コクリと頷く。
 遅刻扱いというか、すでに完全な遅刻なのだが。
 そう心の中でツッコミながらも、その遅刻の原因は自分にあるために申し訳なくも思う。
 それから琴実は、きょろきょろと周囲を見回した。
 裏側に来たのはいいが、どうやって校内に入るのだろうか。
 目の前には塀と高いフェンスしか見当たらない。
 まさか、この高いフェンスをよじ登る気ではないだろうし。
 そんな心配をする琴実をよそに、少年は相変わらず暢気な様子で鼻歌まで歌いながら歩いている。
 降り注ぐ初夏の日差しが彼のマロンブラウンの髪を照らし、キラキラと光を放つ。
 そしてその肌は透けるように白く、体型はスラリとした長身のモデル体型であるが。
 不思議とその印象は華奢で頼りないものなんかでは決してなく、前を歩くその背中は思ったよりも大きい。
 以前通っていた学校でも、それなりに格好良い人はいたが。
 だがやはり、何だか前を歩く少年は都会的な雰囲気を持っていて、垢抜けしている。
 そんなことを思いながら、琴実はほうっとひとつ溜め息をついてしまう。
 ――今までだって、こんな風に男の人を見て格好良いなと思うことは、数知れずあった。
 だがそれは、あくまでそう思うだけで。
 言ってみれば、芸能人やモデルを見て格好良いと思うような感覚。
 心から特定の異性に特別な感情を抱くという経験が、実はまだ琴実にはなかったのである。
 それには、いくつかの理由があるのだが……。
「! きゃっ」
 考え事をしながら俯き気味に歩いていた琴実は、いつの間にか歩みを止めていた少年の背中にぶつかる。
 少年はそんな琴実を振り返り、首を傾げた。
「ボーッとしてどうしたの? もしかして、まだ眠いとか」
「え? いやいや、さすがにこんな遅刻しといて、もう寝ないわ」
 大きく首を振ってそう答えてから、琴実はふと目の前の塀に目をやった。
 そんな彼女の視線に気がつき、少年は微かに笑んで言った。
「すごいでしょ、これ。まるでスーパーマリオの土管みたいだよね」
「スーパーマリオの、土管?」
「そ。土管でワープした後って、調子乗ってついBダッシュしちゃうんだよね。それで、クリボーに当たったりするの」
「?」
 話題が古い上にあまりゲームをしたことがない琴実には、少年の言うスーパマリオの土管というものがどういうものかよくは分からなかったが。
 目の前には確かに、小振りの土管のような筒状のものが学校の塀に填まっている。
 そしてどうやらそれを潜って校内に入るつもりらしい。
「これ、大丈夫なの? これじゃ誰でも外から学校に入れちゃうじゃない」
「大丈夫、こんな空き地に入る人とか普通いないし。それにうちの学校、24時間体制で監視カメラついてるから」
「じゃあ、私たちがこうやってここから入るのもバレちゃうんじゃ……」
「それも大丈夫だよ。確か今日の警備会社の当番のおっちゃんは、俺の友達だから」
「え?」
 どんな交友関係だ、それ。
 そう思いながらも琴実は目をぱちくりとさせることしかできなかった。
 何というか、自由奔放というか。
 何事にも囚われることがないような少年の様子に、琴実は何だか少し楽しい気分にすらなってきた。
 むしろその感情は、もうこの際どうにでもなれという、一種の開きなおりなのかもしれない。
 何せ今、転校初日から大遅刻というどうもしようがない状況なのだから。
 琴実は覚悟を決めて少年に続いて四つん這いになり、土管を潜ってようやく深幸学園に辿り着く。
 いや、よくよく考えてみると。
 自分はこうやって裏から入る必要が果たしてあるのだろうか。
 正面から入ったところで、あまり問題はなかったんじゃ……。
 そう思った――その時だった。
「げっ、クリボー……」
 目の前の少年がそうボソリと呟いたのが聞こえる。
 ――そして。
 そんな少年の呟きに、すぐさま別の印象の声が返ってきたのだった。
「誰がクリボーだ」
 土管を潜ったためについたスカートの砂を手で払っていた琴実は、その声にふと顔を上げる。
 そして、思わず驚いたような表情を浮かべた。
 いつの間にか、目の前で。
 深幸学園の制服を着た別の少年が、仁王立ちしていたからである。
「まったく、おまえは何をしている? 遅刻した者は生徒手帳を提出することが決まりだ。さっさと出せ」
 マロンブラウンの髪の少年にハッキリとそう言い放ち、現れた少年は呆れたように大きく溜め息をつく。
 だがそんな状況にも動じることなく、マロンブラウンの髪の少年は首を傾げた。
「てか、何でこんなところにいるの?」
「授業中にふと窓の外を見たら、おまえがコソコソと空き地に侵入しているのが見えたからだ」
「……地獄耳なだけじゃなくて、目ざといよね」
「悪かったな、地獄耳で目ざとくて。だいたい、おまえはどうしていつもそうなんだ。この間も……」
 いきなりマロンブラウンの髪の少年に説教をし始めた彼に、琴実は唖然としつつもじっと目を向けた。
 現れた少年は、マロンブラウンの少年とはまた全く違った印象で。
 深くて黒い瞳と、同じ色をした髪を持っている。
 そして見るからに頭が良さそうな知的な雰囲気を持っていて。
 キリッとした端整な顔立ちと、はっきりとした響きを持つ滑舌の良い声から、真面目で堅そうな雰囲気が滲み出ている。
 琴実は説教をしている彼を見つめながら、そんなことを考えていた。
 ――その時。
「……ねぇ」
 突然ボソリと耳元で声がし、琴実は驚いたように瞳を数度瞬かせる。
 そんな彼女の様子にも構わず、マロンブラウンの少年は、説教する少年に聞こえないくらいの小声でこう続けたのだった。
「俺が1・2・3って合図するから、3で右に走って。俺は左に走るから。分かれて逃げよう」
「えっ、ちょっ!?」
「じゃあ、行くよ。1・2・3っ」
 そう合図した後、少年は言った通り左へ勢いよくダッシュする。
「! なっ、待てっ。話は終わってない……っ」
 説教をしていた少年は虚を衝かれ、声を上げるが。
 だがマロンブラウンの少年は振り返ることなく、脱兎のごとくこの場から走り去っていたのだった。
 そして――もちろん、琴実は。
 ただポカンとその場に立ち尽くすことしかできないでいた。
 急にダッシュで逃げろと言われても、そんなこと無理である。
「まったく、あいつはっ」
 思い切り眉を潜め、説教していた少年は黒を帯びる前髪をざっとかき上げる。
 それから深く溜め息をついた後、今度は琴実に視線を向けた。
「それで君は、何年何クラスの生徒だ?」
「え? あ、私、今日転校してきたばかりで。今から事務室と職員室に行かないといけないんですけど」
「転校生? そうか。校内で迷っていたところを、あいつの身勝手な行動に巻き込まれたのだな。いいだろう、俺が事務室まで案内しよう」
 勝手にそう解釈し、説教していた少年は琴実のことを促す。
 どちらかといえば自分が居眠りをして、あのマロンブラウンの髪の少年を巻き込んでしまったのだが……。
「目の前の校舎が本校舎で、各クラスの教室がある。そして右手に見えるのが特別教室棟だ。職員室と事務室は、本校舎と特別教室棟の間にある。そして体育館は……」
 丁寧に学校案内まで兼ねながら、黒髪の少年は琴実を事務室まで案内し始める。
 琴実は彼の言葉に甘え、大人しく彼に事務室まで連れて行ってもらうことにした。
「転校してきたばかりで何かと不安だろう。俺はこの学校で、生徒会長を務めている。何か分からないことがあれば、遠慮なく訊いてくれ」
 土管を潜った先で仁王立ちしていた姿や、マロンブラウンの少年に説教していた時は、厳しくて怖い人かと思ったが。
 どうやら、意外と世話好きで親切な人らしい。
 それに有名進学校として名高い深幸学園高校の生徒会長だなんて。
 見た目通り成績優秀なのだなと関心する一方、いかにも生徒会長キャラな雰囲気を醸し出している彼の様子が少し可笑しかった。
「? どうかしたか?」
 思わず顔がニヤけてしまった琴実に、彼は怪訝な表情を浮かべる。
「えっ。い、いや、何でモないデス」
 琴実は慌てて首を振って、何故か片言に言葉を返す。
 生徒会長の少年はそんな彼女の様子にひとつ首を傾げたが。
「それで、続きだが。あの離れに見える建物が学食だ。だが昼食時は人で混雑するため、教室で食事をとる生徒も少なくはない。そして……」
 少年は再び気を取り直して学校案内を再開した。
 琴実は綺麗でモダンな造りの校舎にさすが私立だなと関心しながらも、ちらりと彼に視線を向ける。
 土管の先にいるスーパーマリオのクリボーとやらが、実際どんな栗のキャラなのかは知らないが。
 きっと、本質は悪いキャラではないのだろうなと。
 クリボーは実は栗ではなくキノコだということを知らない琴実はそう考えながらも。
 至って真剣な様子で丁寧に校内を説明をしている彼を、何だかとても微笑ましく思ったのだった。