――他の少年たちがまさにゲーム真っ只中である、その頃。
空を赤で支配している夕陽を見つめながら、その少年・詩音は学校の校門を出る。
そして、色素の薄いサラサラの髪をそっとかき上げた。
「そういえば、以前マッドサイエンティストな黒い騎士が言っていたね。真っ赤な夕陽の赤が、まるで世界を血で染めているようだって」
そう言って、詩音はふっと背後を振り返る。
そんな詩音の瞳に映るのは――ひとりの男の姿。
闇のように深い漆黒の瞳は神秘的な色を湛え、美形な容姿は一見穏やかな印象を受ける。
だが……そんな物腰柔らかな雰囲気とは逆に、その身体には強大な“邪気”が宿っていた。
現れた男・杜木慎一郎は、ふっと漆黒の瞳を細めて口を開く。
「こんばんは、梓詩音くん。世界を血の色に染める夕陽か……だが血で染まるのは、空だけではないかもしれないな」
詩音はそんな杜木の言葉に動じることもなく、にっこりと笑顔を彼に返した。
「こんばんは。それにしても光栄だな、王子の元に黒い騎士のトップがお出ましとはね。それで今日は、この王子に何の用かな? 僕の命でも、狙いに来たのかな」
「違うと言えば違うが、そうとも言えなくもないな」
そう言って杜木は、スッと漆黒の光を宿した右手を掲げる。
そして杜木の手から光が弾けた瞬間、ふたりの周囲の風景がその印象を変えた。
詩音は形成された杜木の“結界”にも表情を変えず、杜木に視線を向ける。
杜木は“邪気”の宿った右手を収めると、漆黒の瞳をふっと細めた。
それから、綺麗な顔に笑みを宿して言った。
「さて、ゲームを始める前に、少し話でもしようか。君には、いくつか訊きたいことがあるからね」
そう言った後、杜木は声のトーンを落とし、静かにこう続ける。
「君は一体、“邪者”についてどの程度まで知っているのかな? 私は君のことを、“能力者”の中でも特に要注意だと思っているんだが」
「どの程度知っているか、だって? 以前マッドサイエンティストの彼も同じことを言っていたけど、注意するも何も、僕はただ普通の“能力者”の王子だよ。貴方の親友である鳴海先生とは確かに従兄弟だけど、先代の“浄化の巫女姫”である晶伯母様とは血の繋がりはないからね。貴方たち“邪者”は、王子のことを少し買いかぶり過ぎだよ」
「確かに、君と先代の“浄化の巫女姫”が血の繋がりはないことは知っているよ。でも、そういう問題じゃないんだよ」
詩音の言葉に、杜木はふっと笑う。
その後、にっこりと微笑んで詩音に訊いた。
「私には、尊敬する目標にしている人がいる。それが誰だか、分かるかい?」
「貴方ほどの人が目標にする人物なんて、誰なのかな」
詩音のその言葉に漆黒の前髪をかき上げ、そして杜木は答える。
「私の目標は、君の伯父……つまり、将吾の父親である鳴海秀秋氏だよ。将吾は確かに桁外れの“気”を持つ“能力者”だが、あいつは基本的に母親似だ。考えが堅い上に言動が分かりやすいし、あれでいて結構人情深いところがある。だが……あの人は違う。一見物腰柔らかで穏やかだが、人の上に立つ資質を持ち、人を動かす才があり、自分の手の内を決してみせようとはしない。目的のためなら、時には非道にもなれる。本当に油断ならない人だよ」
それから杜木は、改めて詩音に漆黒の瞳を向ける。
そして、ゆっくりとこう言ったのだった。
「穏やかで上品な雰囲気と言動、そして強い“空間能力”……君は将吾以上に、あの人にとてもよく似ている。何を考えているのか、計りかねるところもね。それが、私が君を特に要注意だと警戒している理由だよ」
「確かによく似ているとは言われるけど、僕はあのおじ様のようにすごい人物ではないよ。それこそ買いかぶり過ぎだよ」
詩音は笑って、風にそっと揺れる前髪をかき上げる。
そんな詩音の言葉に、杜木はひとつ息をつく。
それから、穏やかだった表情をスッと変えた。
「もう一度訊こうか。君は、“邪者”のことをどの程度まで知っている? そして……何を隠している?」
「…………」
今度は杜木の問いに答えず、詩音は無言で杜木の闇のような漆黒の瞳を見つめる。
そして相変わらず柔らかな口調で、逆に杜木に訊いたのだった。
「そういう貴方こそ、どうして“邪者”になったの? やっぱり、五年前のあのことが原因なのかな?」
詩音のその言葉にピクリと反応し、杜木はふと漆黒の瞳を細める。
――それと、同時だった。
杜木を取り巻く“邪気”が、その大きさを増したのだった。
渦を巻く強大な“邪気”をその身体に纏い、杜木は静かに言った。
「やはり君は、早めに殺しておいた方がいいようだ。よく事情も知っているようだし、何よりも、何をしようと考えているのか……余計な動きをされる前に、不安な芽は摘み取っておくべきだからね」
「困ったな、言っただろう? 王子はごく普通の“能力者”だってね。それに、まだ殺されるわけにもいかない。愛しのお姫様に、まだまだたくさん聴かせたい曲もあるしね」
詩音はそう言って、精神を集中させるように瞳を伏せる。
杜木はそんな詩音の様子を見て、ふっと笑みを浮かべた。
「私は“空間能力者”の戦い方が非常に好きでね。そんな“空間能力者”の中でも、ずば抜けて優れているという君の夢の国……楽しみにしているんだよ」
「…………」
詩音は杜木の大きな“邪気”を全身で感じながらも、上品な印象を受ける表情を変えない。
そして敢えて杜木の言葉に乗るように、閉じていた瞳をゆっくりと開いた。
――次の瞬間。
「……!」
杜木は空気の流れの変化を感じ、表情を変えた。
それと同時に、先程まで目の前に広がっていたごく普通の街の風景が一瞬にして消え失せる。
そしてかわりに現れたのは――1本の、巨大な樹木。
その大きな樹は天上まで伸び、枝や葉は世界を覆うかのように広がっている。
詩音はその幹にそっと触れ、杜木ににっこりと微笑みを向けた。
「知っているかな? 九つの世界を覆うという世界樹・ユグドラシルを」
「ユグドラシルといえば……北欧神話かな」
杜木のその答えに満足そうに頷き、そして詩音は話を続ける。
「そうだよ。この樹の名前の由来を知ってる? 恐ろしき者・北欧神話の主神オーディンを表すYggrと、彼の八本の足を持つという愛馬・スレイプニルを表すdrasillの合成語なんだよ。オーディンがこの樹に吊られて苦行したという伝承からきているんだけど、タロットカードの“吊られた男”もこのオーディンがモチーフなんだよね」
そこまで言って、詩音はふと視線を別の場所に移した。
そしてわざとらしく小首を傾げて、再び口を開いたのだった。
「おや? 馬の蹄の音が聞こえないかい? ……どうやら、戦いの神がお越しになったようだよ」
「!」
詩音の視線を追った杜木は、漆黒の瞳をふっと開く。
詩音の言う通りに馬の蹄の音が聞こえたかと思うと、同時に天に雷鳴が轟いた。
そして現れたのは――八本足の馬を駆る、戦いの神。
黄金の鎧と兜をその身に纏い、手には雷を呼ぶと言われている魔法の槍・グングニルが握られている。
詩音はふっと優雅な微笑みを宿し、それからゆっくりと杜木に言った。
「僕の空間にようこそ。僕のワンダーランド、楽しんでもらえれば嬉しいな」
「随分と大掛かりで凝っているんだな。君の空想の具体化、想像以上で驚いているよ」
楽しそうにそう言って笑い、杜木はその右手に“邪気”を宿す。
それから軽く手を掲げ、バチバチと音をたてる漆黒の光を詩音目がけて繰り出したのだった。
唸りを上げて空気を引き裂き、大きな衝撃が詩音に迫る。
だが詩音は、そんな強大な漆黒の光を前にしても微動だにしない。
そして、強大な衝撃が詩音を捉えたと思った――その時。
杜木の放った漆黒の光が、詩音の身体をスウッとすり抜けたのだった。
それと同時に、風のようにふっと詩音の姿が消え失せる。
詩音を通り抜けて捉えられなかった衝撃が“結界”の壁に衝突し、大きな衝撃音とともに弾けた。
だがそんな様子に特に驚くこともなく、杜木は呟く。
「やはり、あの彼の姿は残像か」
それから杜木は、再びその手に大きな“邪気”を宿した。
その――次の瞬間。
八本足の馬に乗ったオーディンが、おもむろに手に持っている槍・グングニルを天に翳す。
それと同時に、空がカアッと光を放ち始めた。
そして大きな雷鳴が耳に轟き、天からの雷撃が杜木に襲いかかったのだった。
だが杜木は漆黒の瞳を細めると、慌てることもなく周囲に“邪気”の防御壁を張る。
刹那、天から落ちる雷が防御壁にぶつかってプラズマが発生し、無数の光が弾けた。
それから杜木はすかさず漆黒の光を掌に集結させると、大きな衝撃を放つ。
オーディンの腕から振り下ろされたグングニルとその漆黒の光がぶつかり合い、再び轟音が“結界”内に響き渡った。
杜木は目の前のオーディンからふと視線を外すと、ぐるりと詩音の空間で満たされている風景を見回す。
それから、口元に笑みを浮かべて言ったのだった。
「さて……そろそろ、本体に出てきてもらおうかな」
それと同時に、再び馬上のオーディンがグングニルを大きく振り上げる。
だが杜木はそんなオーディンには目もくれず、強大な“邪気”の光をその手に纏った。
それからそれをオーディンにではなく、世界樹・ユグドラシルに向かって放ったのだった。
次の瞬間、目を覆うほどの光が“結界”を満たし、地を揺るがすほどの轟音が耳を劈く。
――そして。
「予想以上に面白かったよ、君の作り出した空間の世界」
杜木はそう言って、満足そうに笑う。
いつの間にか“結界”内からは、オーディンも八本足の馬も世界樹も消え失せていた。
そして杜木の瞳にはオーディンではなく、詩音の姿が映し出されている。
詩音の空間が漆黒の光に打ち破られ、見慣れた街の風景が戻っていたのである。
詩音は色素の薄い髪をかき上げ、ふっと苦笑する。
「長く持つとは思っていなかったけど、こんなに早く王子の空間が破られるなんてね」
杜木は整った顔に微笑みを浮かべ、詩音に向けた。
それから、その手に強大な“邪気”を漲らせて言ったのだった。
「もう少し君のおとぎの国を堪能してもよかったんだが、今“邪者”でゲームをしていてね。そろそろ……君のことを、殺しておこうかなと思ったんだよ」
「……!」
詩音はハッと顔を上げ、ブラウンの瞳を見開く。
それと同時に、杜木の掌から漆黒の衝撃が放たれた。
渦を巻いて迫り来るその大きな光を前にし、詩音は冷静に右手に“気”を宿す。
そして、目の前に“気”の防御壁を張った。
詩音の“気”と杜木の“邪気”が激しく衝突し、空気を大きく震わせる。
それから詩音はふっと背後に視線を向けると、大きく跳躍した。
そのほんの僅かの差で、いつの間にか背後に移動していた杜木の蹴りが空を切る。
攻撃を避けた詩音は一旦杜木と距離を取り、ふわりと優雅に着地した。
杜木は敢えてそんな詩音を追わず、何かを考えるように瞳を細める。
「智也や涼介の報告通り、君は“空間能力”はもちろん、普通の戦い方も習得していて随分と器用なようだな。それに、その動き……君に戦いの基本を教えたのは、将吾ではなくおじ様だね。ほかの“能力者”とは、少し違うというわけか」
「環境が環境だったからね。生まれた時から“能力者”が僕の周りにはたくさんいた上に、僕自身も“能力者”だと早い段階から分かっていたしね」
「なるほど、君は“能力者”のサラブレッドってことか」
杜木のその言葉に、詩音は大きく首を振る。
それから優雅な笑みを上品な顔に宿し、言った。
「鳴海先生ほどじゃないよ。それに、僕はサラブレッドというよりも夢の国の王子だし、王子はあまり“気”を使った戦い方や体術は好まないんだ」
「本当に君は面白いな。あのおじ様もとても愉快な人だが、君の独特な感性もこの私を十分に楽しませてくれているよ」
そこまで言って、ふと杜木は言葉を切った。
そして印象の変わった瞳を詩音に向けて、改めて口を開いたのだった。
「だがさっきも言ったように、君はここで殺しておいた方が今後のためによさそうだ。実際に君と話して、改めて思ったよ。君はやはり、要注意人物だと」
杜木は今までよりもさらに大きな“邪気”をその手に宿し、狙いを定めるように詩音に視線を投げる。
それから、無数の漆黒の光を掌から繰り出した。
「……!」
詩音は先程と同じように、目の前に“気”の防御壁を張り巡らせる。
杜木の放った“邪気”の衝撃が、防御壁に勢いよく衝突して消滅した。
杜木は再び軽く手を掲げると、すかさず第二波を繰り出す。
唸りを上げて空気を裂く漆黒の光が、“気”の防御壁とぶつかる。
次の瞬間。
「!」
詩音はふっと表情を変え、素早くその手に“気”を漲らせた。
それと同時に、杜木の放った第二波が詩音の防御壁を突き破り、衝撃が一気に襲いかかる。
詩音は“気”を纏った掌でその漆黒の光を受け止めると、何とかそれらを浄化させた。
だが攻撃の手を緩めることなく、杜木は無数の光を容赦なく詩音目がけて放つ。
詩音はそれを防ぐべく素早く“気”を宿しながらも、苦笑して呟いた。
「“気”の戦いは王子の専門外なのに、あの人は随分と冷たいんだな。いつまで見物している気なのかな……っ!」
クッと唇を結び、詩音は再び“気”の防御壁を形成させる。
刹那、ドオンッという大きな音とともに、周囲に余波が立ち込めた。
杜木は余波で視界の悪くなった“結界”内の様子を気にも留めず、さらに漆黒の衝撃を生み出そうと“邪気”をその手に集結させる。
それからフッと反動をつけるように、光を纏った手を後ろに引いた……その時。
「!」
突然ピタリと手を止め、そして杜木は背後を振り返る。
その瞬間、“結界”内に大きな光が弾けた。
詩音は眩い光にブラウンの瞳を細めた後、その顔に微笑みを宿す。
そして、言ったのだった。
「貴方と血縁というだけで、王子はとても大変だったんだよ? 鳴海先生」
「…………」
ちらりと詩音に切れ長の瞳を向けた後、いつの間にかその場に現れた鳴海先生は視線を杜木へと移す。
強固な“結界”に侵入してきた先生が、杜木目がけて強大な“気”の衝撃を放ったのだ。
それを“邪気”の防御壁で防いだ杜木は、鳴海先生に軽く手を上げて微笑みを向ける。
「やあ、将吾。おまえが来るのを待っていたよ」
「杜木、これは一体どういうことだ?」
杜木とは対称的に険しい表情を浮かべ、鳴海先生は彼にそう訊いた。
そんな先生の問いにふっと笑ってから、杜気はその質問に答える。
「どういうって、これはルールを決めた“邪者”のゲームだよ、将吾。ひとりずつ“能力者”に仕掛けて、誰が仕留められるかっていうね。そして第三者の介入があった時点で、ゲームは終わりっていうルールなんだ」
「ゲームだと? 相変わらずおまえの考えることはくだらんな、杜木」
杜木の言葉を聞き、鳴海先生ははあっと大きく嘆息する。
そんな先生に視線を向け、杜木はおもむろに漆黒の瞳をスッと細めた。
そして、ゆっくりとこう言ったのだった。
「おまえが来たために、俺のゲームはこれで終わりだが……言っただろう? 将吾、おまえのことを待っていたってね」