――すっかりその色を赤に染めている、夕焼けの空の下。
 家路に着こうと歩いていた拓巳は、ふと足を止めた。
 急に立ち止まった拓巳の黒髪を、ふわりと吹きつける風が揺らす。
 だが拓巳はそんな風を気にもせず、大きな漆黒の瞳をおもむろにスッと細める。
 そして周囲をぐるりと見回した後、前方に鋭い視線を投げた。
 そんな彼の視線の先にいるのは……ひとりの少年。
「こんにちは、小椋拓巳くん。ちょっと、俺に付き合ってもらえないかな」
「こんな“結界”に閉じ込めておきながら、よく言うぜ」
 拓巳はその少年・智也の言葉を聞いて、わざとらしく溜め息をついた。
 いつの間にか周囲の風景は閑散としたものへと変わっており、強い“邪気”に包まれている。
「この俺に、何の用だよ」
 拓巳は智也の動きを探りながら、そう短く訊いた。
 智也はそんな拓巳の問いに、ふっと笑う。
「実は今、俺たち“邪者”でゲームをしてるんだ。それぞれ担当する“能力者”を、殺せるかどうかっていうね。それで、君の担当がこの俺ってことなんだけど」
「ゲーム? ていうか、やたら“邪気”の“結界”が張られてるなって思ったら、そういうことか」
 思いのほかあっさり答えた智也を見て、拓巳はふと一旦言葉を切る。
 ……そして。
 身体に眩い“気”の光を宿し、続けたのだった。
「運が悪かったな、俺の担当なんてよ。そう簡単に、この俺が殺れるとでも思ってるのか?」
 ふっと身構える拓巳に視線を返し、智也もその手に“邪気”を漲らせる。
 それから、ニッと人懐っこい笑みを浮かべて言った。
「今までは別の目的があったり邪魔が入ったりして、あまり本気で戦えなかったんだけどね。でも……今回は、ちょっと本気出しちゃおうかなってね」
 智也は“邪気”の光を集結させた右手を、スウッと天に掲げる。
 それからふっと狙いを定めるかのように漆黒の瞳を細め、表情と声のトーンを変えて続けた。
「そういうことで今日の俺は、君のこと殺す気満々だから。それに俺、負けず嫌いなんだよ。だから……君にもゲームにも、負けたくないんだよねっ!」
「!」
 勢いよく振り下ろされた智也の右手から、漆黒の“邪気”の衝撃が放たれる。
 拓巳はクッと唇を結び、唸りを上げる“邪気”に対抗すべく“気”の光を繰り出した。
 次の瞬間、激しい轟音とともに光が弾け、双方の衝撃が相殺される。
 拓巳は周囲に立ち込める余波を気にも留めず、すかさず地を蹴って接近戦へと持ち込んだ。
 一気に距離をつめて襲ってきた拓巳の拳を身体をずらして最低限の動きで避けると、智也は反撃とばかりに蹴りを放つ。
 拓巳はそれをスッと身を屈めてかわした後、左手に素早く“気”を漲らせる。
 そして反動をつけ、ビュッと鋭い手刀を振り上げた。
 刹那、空気を真っ二つに裂くような音が鳴る。
 智也は咄嗟に背後に飛んでそれをやりすごし、一旦拓巳から距離を取る。
 だがそんな智也を逃がすまいと、拓巳の右手から放たれた“気”の衝撃が智也を追従する。
 智也はそんな迫りくる大きな“気”を冷静に見据え、そして目の前に“邪気”の防御壁を張った。
 拓巳の“気”と智也の“邪気”が正面からぶつかり合い、再び激しい衝撃音が耳を劈く。
 智也はふうっと一息つくと、頬に手を添えて苦笑した。
「やっぱりちょっと避けたくらいじゃ、切られちゃうみたいだね」
 拓巳の手刀を身を翻してかわした智也だったが、その鋭い余波で頬に一筋の浅い鮮血がはしっていた。
 拓巳は再び手刀に“気”を纏い、智也に鋭い視線を投げる。
「俺に喧嘩売ったんだ、その程度の傷じゃ済まねーぞ。次は、容赦なくぶっ飛ばしてやるからな」
「まーまー、ほかの“能力者”も今頃ドンパチしてる頃だろうから、しばらく邪魔も入らないし。そう焦らなくても、心置きなく相手してあげるよ」
「一対一の真っ向勝負ってことかよ。上等だ、さっさとかかってこい」
 拓巳はそう言って、グッと拳を握り締める。
 戦闘意欲漲る大きな拓巳の瞳を見てから、智也はふっと楽しそうな笑みを浮かべた。
 それから再び身構え、その手に“邪気”を宿す。
「言ったよね、俺って負けず嫌いなんだって。ていうか、何かちょっと楽しくなってきたな。さ、続き始めよっか」
 クイクイと誘うように指を動かし、智也はニッと笑った。
 拓巳はその挑発に乗るように、ふっと“気”の漲った手を引くと眩い衝撃を放つ。
 ほぼ同時に、智也の手からもバチバチと音を立てる漆黒の光が生み出された。
 刹那、真っ向からふたつの大きな光がぶつかり合い、“結界”内に再び衝撃音が響く。
 そして今度は智也が拓巳との距離をつめ、ふっと攻撃を仕掛けた。
 フック気味に放たれた右拳をかわした拓巳に、智也はすかさず下から突き上げる顎を狙った左拳を繰り出す。
 拓巳は素早く攻撃に反応し、掌でそれを受け止める。
 それから受け止めた左拳を掴んだまま身体を捻り、隙の出来た智也の腹部を握り締めた拳で打ち抜いた。
「! く……っ」
 身体に響く重い衝撃をもらって一瞬止まった智也の動きを見逃さず、拓巳はさらにグッと拳を握り締め、攻撃を続ける。
 それを何とか身を翻してかわした智也は、体勢を整えようとバッと拓巳から離れた。
 だが拓巳はそれを許さずにすかさず距離を縮め、瞬時に漲らせた“気”の衝撃を智也の至近距離で繰り出した。
「!」
 智也は不安定な体勢ながらに、ガッと“気”の光を受け止める。
 だがその大きさに圧され、思わず数歩後退してしまう。
 拓巳は素早く再び“気”をその手に宿すと、容赦なくそんな智也目掛けて無数の光を放った。
 次の瞬間、いくつもの光が弾け、地を揺るがすような轟音が生じる。
 拓巳はザッと前髪をかき上げた後、チッと舌打ちをした。
「咄嗟に“邪気”の防御壁張りやがったか」
「……とはいえ、数発防げなくてくらっちゃったけどね」
 ケホケホとむせた後、智也は膝をついた体勢からゆっくりと立ち上がる。
 そんな智也に、拓巳は面白くなさそうに言った。
「ていうか何が本気だ、ふざけんな。まだ何か隠してるってのは分かってんだよ。俺のこと殺す気なら、本気でこい」
「…………」
 拓巳のその言葉に、智也はおもむろに表情を変える。
 それから、ふうっとひとつ息をついて口を開いた。
「君って一見単純っぽいけど、でも見てるトコは抜け目なくちゃんと見てるみたいだね。そういえば、渚の“赤橙色の瞳”と対峙した時もそうだったっけ。侮って悪かったよ」
 そこまで言った後、智也は印象を変えた漆黒の瞳を拓巳に投げる。
 その、次の瞬間だった。
「!!」
 拓巳は、その大きな目をさらに見開いた。
 智也の身体を覆う“邪気”が、先程とは比べ物にならない程に膨れ上がったのだ。
 その大きさを物語るように、ふわっと智也の黒髪が揺れる。
 表情を引き締めて自分を見据える拓巳に、智也はふっと笑った。
「渚の“赤橙色の瞳”や綾乃の精神体の“邪”を操れる能力みたいに、“邪者”って何かひとつ、その人特有の特殊能力みたいなのがあってね。それは、“邪者”になる際に召還して取り込んだ“邪”によって決まるんだよ。またその特殊能力とは別に、特に大きな“邪気”を操れる“邪者四天王”が使える奥の手が“邪体変化”なんだけどね。それは、知ってるよね?」
「“邪体変化”……“邪者”の“邪気”を、何倍にもするってヤツだろ? それを使う気か? 面白いじゃねーか、受けてたってやる」
 智也の強大な邪気に対抗して負けじと“気”を漲らせ、拓巳はグッと拳を握る。
 そんな拓巳の言葉に、智也は首を横に振った。
「いやいや、言っただろう? あくまで“邪体変化”は、奥の手だよ。段違いに大きな“邪気”を使えるようになるけど、その分身体への負担も大きくてね、本当に最終手段なんだ。でも俺の場合、“邪体変化”までの能力は引き出せなくても、身体に負担なく“邪気”を増幅させる特殊能力があってね。侮ったお詫びに……その特殊能力で威力を増した“邪気”で、君のこと殺してあげるよ」
 その言葉と同時に、さらに智也の“邪気”がその強大さを増す。
 目に見えない大きな圧力を感じ、拓巳はクッと唇を結ぶ。
 そして、次の瞬間。
「なっ!?」
 拓巳は漆黒の瞳を大きく見開き、本能的に身を翻す。
 ほんの僅か遅れて、いつの間にか距離をつめて繰り出された智也の拳が空を切った。
 拓巳を捕らえられなかった拳によって生じた空圧が、地面に大きな痕を刻む。
 拓巳は地を揺るがす衝撃音に顔を顰めながら、体勢を整えて智也の次の攻撃に備えようとした。
 ――その時。
「! かは……っ!」
 ハッと顔を上げたのも遅く、素早く懐に入った智也の右拳が拓巳の横腹を打ち抜く。
 そしてすかさずその手に“邪気”を宿し、拓巳目がけて繰り出した。
 目の前の智也は、その“邪気”だけでなく、スピードなどの身体能力も上がっていたのだった。
「ぐっ……くそっ!」
 咄嗟に腕をクロスに組んで、その衝撃を受け止めた拓巳だったが。
 その大きさに圧され、背後の壁に強く背中を打ちつけた。
 背中にはしる衝撃に顔を歪めた後、拓巳は何とか迫る攻撃に耐えようとギリッと歯を食いしばる。
 だが、次の瞬間。
「……っ!」
 ふっと拓巳の目に、自分を射抜くように見据える漆黒の瞳が飛び込んでくる。
 そんな智也の瞳に宿るのは……追いつめた敵を仕留めんとする、殺気に満ちた鋭い光。
 智也は強大な“邪気”を宿した右拳をスッと引き、そして言ったのだった。
「この勝負、俺がもらったよっ!」
「!!」
 今までで一番の轟音が空気を揺るがし、眩い漆黒の光が大きく弾けた。
 拓巳の背後にあった壁が、その威力の大きさに粉砕される。
 智也の張った“結界”内は、激しい衝撃の余波で立ちこめていた。
 そして、智也の漆黒の光が……拓巳の身体を、完璧に捕らえたかに思えた。
 だが――その時。
 智也は拳を引いてバッと背後を振り返るやいなや、瞬時に“邪気”を漲らせる。
 それと同時に、ビュッと空気を裂くような衝撃が智也の背後から放たれた。
 智也は“邪気”を纏った手で、突然襲ってきた手刀を振り払う。
 それから反撃と言わんばかりに、逆手に漲らせた“邪気”を繰り出した。
「くっ!」
 拓巳はそんな智也の攻撃を防ぐべく、目の前に“気”の防御壁を形成させる。
 その瞬間、無数の漆黒の光がその壁に勢いよく衝突して弾け、そして輝きを失った。
「あの俺の攻撃を避けて背後に回り、尚且つ手刀で攻撃までしてくるなんて。正直、かなり驚いたよ。このゲーム、俺がもらったかなって本気で思ったのにな」
 智也は少し悔しそうに前髪をかき上げ、拓巳にそう言った。
 拓巳は智也によって粉々にされた壁の残骸をちらりと見て、思わず苦笑する。
「言っただろ、そう簡単に俺は殺れないってな。でもよ……正直かなりさっきのはあぶなかったぞ、おい。あんなのまともにくらってたら、マジでヤバかったぜ。とはいえ自慢じゃないけどな、俺はめちゃめちゃしぶといぞ。まだまだ、勝負はこれからだ」
 肩で息をし呼吸を整えながらも、拓巳は再び身構える。
 智也もそんな拓巳の様子を見て、その手に強大な“邪気”を漲らせた。
 そして、ふたりが動き出そうとした……その時。
 ――先に“結界”に侵入してきた干渉者に気がついたのは、“結界”を張った智也だった。
「!」
 智也はピタリと動きを止め、視線を拓巳とは別の場所に移す。
 そんな智也の様子に気がつき、拓巳も足を止めた。
 それからよく知っている人物の“気”を感じ、驚いた顔をする。
 智也の“結界”に干渉してきた、その人物とは。
「はぁい、拓巳ちゃんっ。お久しぶりーっ」
「げっ、ゆり姉!? 何しに来たんだよっ」
 ひらひらと無邪気に手を振るのは、相変わらず派手な服を身に纏った沢村由梨奈だった。
 智也は突然現れた由梨奈に目を向け、ふと首を傾げる。
「俺の“結界”に入ってくるなんて、そこの綺麗なお姉さんも、もしかして“能力者”?」
 智也のその言葉に、由梨奈はニッと美人なその顔に微笑みを浮かべた。
 それから拓巳に悪戯っぽく笑い、背中を流れるウェーブの髪をかき上げる。
「拓巳ちゃんのこと助けに来たんだけど、そっちの“邪者”の子の方がよーく分かってるじゃない。お姉さん、そっちの彼に手貸しちゃおーかなー」
「あ? お世辞も分かんねーのかよ、ったく。ていうか、おだてられただけで敵に回るなっ」
「お世辞ってね……本当にボコるわよ、拓巳ちゃん」
 はあっとわざとらしく嘆息する由梨奈に、智也はハッと顔を上げた。
 そして、瞳を見開いて言ったのだった。
「あっ、もしかして、ウワサの杜木様の元カノの“能力者”!?」
「あら、私って、“邪者”の間では有名人なのかしら?」
 にっこりと笑顔を浮かべ、由梨奈はカツカツとハイヒールを鳴らしながらふたりに近づく。
 智也は由梨奈に微笑み、ザッと漆黒の前髪をかき上げた。
「ふーん、やっぱりあの杜木様の元カノなだけあって、すごい美人な人だなぁ。つばさちゃんが嫉妬するのも分かるよ」
「まぁっ、本当にいい子ねー。美人で上品で知的だなんて本当のこと言っちゃってっ」
「いや、全然言ってねーし」
 きゃははっと笑う由梨奈に、拓巳はボソッと呟く。
 由梨奈はそんな拓巳にふっと笑った後、そして改めて智也に言ったのだった。
「でもね、一応私って“能力者”なのよね。憎たらしい口叩いてても、やっぱり拓巳ちゃんの味方を仕方なくしなきゃいけないの。さ、どうする?」
「あのな……仕方なくかよ、おい」
 はあっと大きく溜め息をつく拓巳を後目に、智也は少し何かを考える仕草をする。
 それからおもむろに構えを解き、右手に“邪気”を漲らせて周囲に張った“結界”を解除した。
「今回のゲームにはルールがあって、第三者の介入があったらその時点でゲームオーバーなんだよね。綺麗なお姉さまが来ちゃったことだし、残念だけど今日は退くとするよ」
「あ!? ふざけんな、まだ勝負はついてねーぞっ」
 そう言って拓巳は、智也を逃がすまいと動きをみせる。
 ――その時だった。
「おー誰かと思ったら、ゆり姉やん。ていうかたっくん、もうゲームオーバーなんやから今日はここまでにしとこうや」
「君は……そっか、涼介もゲームオーバーだったわけだ。じゃあ、俺は退散するかな」
 智也は駆けつけた祥太郎を見てそう呟いた後、手をひらひらと振って歩き出した。
 拓巳はチッと舌打ちし、そんな彼の後姿を不服そうに見送る。
「せっかくお姉さんが忙しい合間をぬって来てあげたんだから、そんな顔しないの。それにしても拓巳ちゃん、随分ハンサムになってるじゃなーい」
 智也と戦って傷だらけの拓巳の姿を見て、由梨奈は笑う。
 致命傷になるようなダメージは受けていないが、激しい衝撃の余波でできた傷が生々しい。
 拓巳はムッとした表情を浮かべ、気に食わない顔をする。
「このくらい、何てことねーってのっ。それに、傷だらけなのは俺だけじゃないぞっ」
「まー確かに、あの“邪者”の兄ちゃんも同じくらいハンサムになっとったけどな。それよりも、ゆり姉……」
 祥太郎は拓巳から由梨奈に視線を向け、ふと表情を変える。
 そんな祥太郎に、由梨奈はコクンと頷いてからこう言ったのだった。
「分かってるわ、慎ちゃんの“結界”でしょ? さ、行くわよ、ふたりとも」
「行くって……」
 由梨奈の言葉に、拓巳は驚いた顔をする。
 由梨奈と杜木は昔、恋人同士という関係であった。
 だが、今のふたりの関係は――“能力者”と“邪者”、つまり敵同士なのである。
 拓巳と祥太郎も詳しい経緯は分からないにしろ、ふたりが恋人だったことを知っている。
 複雑な表情を浮かべているふたりに、由梨奈はふっと笑みを向けた。
 それから傷を負った拓巳の頬に触れて、おもむろに“気”を漲らせる。
「まったく、今お姉さんが傷治してあげるから。治ったら、黙って大人しくついてきなさいってっ」
「いっ……てててっ! もっと丁寧に治せよなっ。ていうか、わざと痛いようにしてるだろ!?」
「何よ、治してもらってその言い草? だって拓巳ちゃん、生意気な口叩くし。もーう、じっとしてなさいってばぁっ」
 拓巳の反応を面白がって笑いながら、由梨奈は彼の傷をその“気”で癒した。
 祥太郎はふうっとひとつ溜め息をつき、そんな彼女に遠慮気味に訊いた。
「ゆり姉、いいんか?」
「いいって、何が? 私は“能力者”よ。“能力者”として生きていくって、もう決めたの。そーいうわけで行くわよ、ふたりともっ」
 そう言って、由梨奈は強大な“邪気”によって形成されている“結界”の方向に歩き出す。
「“能力者”として生きていく、か。ま、ゆり姉らしいけどよ」
 そう呟き、拓巳はカツカツとハイヒールを鳴らして歩き出した由梨奈の後姿を見た。
 祥太郎はそんな拓巳の肩をポンッと叩いた後、由梨奈に続いて歩き出しながら口を開く。
「とにかく、残り“邪者”の“結界”もあとひとつやし。俺らも急ごうや、たっくん」
 拓巳はそんな祥太郎の言葉に頷いて漆黒の大きな瞳を細め、そして杜木の“結界”に目を向けたのだった。




「智也」
 拓巳とのゲームを終えて歩いていた智也は、その声にふっと振り返る。
 そして、足を止めた。
「あ、つばさちゃん。残念だけど、ゲームオーバーになっちゃったよ」
 智也は苦笑し、現れた少女・つばさにそう言った。
 つばさはそんな智也を見て笑う。
「貴方以外の四天王も、結局“能力者”を仕留めるまではいかなかったから。それよりも随分頑張ったみたいね、智也」
「んーまぁね。でも同じくらい“能力者”の彼もダメージ受けてるから、今回は痛み分けってカンジだよ。あーでも、やっぱり仕留められなかったのはちょっと悔しいなぁ」
 智也は右手に“邪気”を宿して頬についた浅い傷を消し、はあっと嘆息する。
 大した攻撃は受けなかったものの、癒しが専門ではない智也は、まだその身体にダメージを残していた。
 そしてふうっと一息ついてから、智也は改めてつばさに目を向ける。
「ま、終わっちゃったことは仕方ないとして。それでつばさちゃん、何か杜木様からの命でもあるの?」
 智也のその問いに、つばさは素直にこくんと頷く。
「ええ。ゲームの終わった四天王は、杜木様の張った“結界”に集まるようにって。もう、貴方以外の四天王は先に向かってるわ」
「杜木様の“結界”、か」
 智也はそう呟き、少し離れた場所に形成されている杜木の“結界”を見つめた。
 つばさも何かを考えるように、ふっと口を噤む。
 それから再び口を開こうとした――その時だった。
 ふと何かに気がついたつばさは言いかけた言葉を切って、ハッと顔を上げる。
 その後、驚いた表情を浮かべた。
 そんな彼女の様子に気がつき、智也は首を傾げながらもつばさの視線を追う。
 ……そして。
「えっ、眞姫ちゃん?」
 そう呟き、智也は瞳をぱちくりさせる。
 彼らの目の前に現れたのは。
 紛れもなく智也が想いを寄せる、眞姫本人の姿だった。
 偶然杜木の“結界”に向かっている途中の眞姫たちと、鉢合わせしたのである。
「あっ、智也くんとつばさちゃん……」
 眞姫もふたりの存在に気がつき、大きく瞳を見開く。
 そんな眞姫を庇う様に位置を取り、彼女と一緒にいた准は智也を見据えた。
 智也は自分に鋭い視線を投げる准を見て、ふっと笑う。
「そんなにコワイ顔しないでよ。俺のゲームの相手は君じゃないんだし、見ての通りゲーム終わったばかりで俺も微妙にボロボロなんだよね」
「え? ゲームが終わったって、それって」
 智也のその言葉に、眞姫は心配そうな表情を浮かべた。
 智也はにっこりと微笑み、彼女に数歩近づく。
 それから、苦笑しつつ言った。
「安心して、眞姫ちゃん。残念だけど、ゲームの相手の彼・小椋拓巳くんも元気だよ」
「拓巳も無事なのね、よかった……」
 智也の言葉を聞いて、安心したように眞姫は瞳を細める。
 だがそんな彼女とは対称的に依然警戒を解かない准は、グッと拳を握り締めて智也に言った。
「これ以上姫に近づくのなら、今度は僕が相手だよ」
「ま、それでも面白いかもしれないけどね」
 漆黒の瞳を細め、智也は准の言葉に乗るようにそう返す。
 准は一層険しい表情を浮かべ、ふっと身構えた。
 ――その時。
「お願い、ふたりともやめて」
「姫……」
「眞姫ちゃん」
 准と智也は、眞姫の声に動きを止める。
 それから眞姫はふたりの様子を確認した後、おもむろに歩みを進めた。
 そして准は、眞姫の取った思いがけない行動に表情を変えたのだった。
「! 姫っ!?」
「大丈夫、准くん。智也くんの怪我を、治してあげるだけだから」
 眞姫はそう准に言ってから智也の前まで来ると、彼の手をスッと取る。
 それから意識を集中させて“気”を漲らせ、彼の怪我を癒し始めたのだった。
「眞姫ちゃん……」
 智也は意外な眞姫の行動に驚きつつも、ふっと優しく漆黒の瞳を細める。
 眞姫は智也の傷を癒しながら、智也と准を交互に見つめた。
 そして、言ったのだった。
「あのね、私の力って、“邪者”や“能力者”関係なくみんなを癒すためのものだと思うんだ。“能力者”はもちろん、“邪者”の人たちにだって、私は怪我をして欲しくないの」
「姫……」
 准は智也の動きに気を配りながらも、眞姫の強い意思の光が宿ったブラウンの瞳を見つめる。
 逆にふわりと身体を包む眞姫のあたたかい“気”を感じた智也は、嬉しそうに彼女に微笑む。
 それから傷もダメージも消えたことを確認して、眞姫に向き直った。
「ありがとう、眞姫ちゃん。本当に俺、嬉しいよ……」
 そして、そうお礼を言った後。
「えっ!? と、智也くん……!?」
 眞姫は思わず、そう声を上げる。
 突然智也に、ふっと腕を引かれたからだった。
 眞姫をぐいっと胸に引き寄せ、智也は彼女をギュッと抱きしめる。
 思いがけない智也のその行動に、眞姫は驚いたように瞳を見開いた。
 そして急に彼の体温を感じ、思わず顔を赤らめてしまう。
 だが……次の瞬間。
「!」
 ヒュッと風が鳴るような音がし、智也はふっと眞姫から離れる。
 そして突然襲いかかってきた准の拳を避け、体勢を整えようとした。
 准はそんな智也に対して攻撃の手を緩めず、彼を追従してもう一度素早く引いた拳を放つ。
 智也は放たれた准の攻撃をかわすことを諦め、そして咄嗟に掌でそれを受け止めたのだった。
 准はキッと鋭い視線を智也に向けると、すかさず“結界”を張ろうと右手に“気”を漲らせる。
 その時だった。
「! 准くんっ」
 眞姫は准の右手に宿る“気”の光を感じ、首を大きく振って彼の腕を掴んだ。
 眞姫の細い指の感触に、思わず准はピタリと動きを止める。
 そんな准の手を握りしめてから、そして眞姫は口を開いた。
「准くん、お願い」
「姫……」
 自分を映す眞姫の瞳を見つめた後、准は仕方なく構えを解く。
 それから、射抜くような視線を智也に投げた。
 智也は准が右手を収めたのを見て、ふうっとひとつ息をつく。
「そんなに怒らなくてもいいだろう? 大体、眞姫ちゃんは“能力者”だけの巫女姫なんじゃないんだから」
「……姫、行こう」
 准は湧き上がる怒りを抑え、そして眞姫に向き直る。
 それから、彼女を促して再び歩き出した。
 杜木の“結界”の方向へ歩みを進めるふたりを敢えて追わず、智也は漆黒の前髪をそっとかき上げる。
 今まで黙って様子を見守っていたつばさは、そんな智也にくすっと笑った。
「大切なお姫様に抱きついたりするから、“能力者”の彼、かなりご立腹のようよ? よかったわね、お姫様が止めてくれて」
 智也はふと眞姫のあたたかな“気”を思い出し、嬉しそうに瞳を細める。
 それからつばさに満足気な微笑みを向け、言ったのだった。
「だって仕方ないだろ? あの時、眞姫ちゃんを抱きしめたいって思ったんだから。ま、それはともかく……じゃあ俺たちも杜木様の元へ向かおうか、つばさちゃん」