一週間後――6月20日・水曜日。
 放課後を迎えた数学教室で仕事をしていた鳴海先生は、ふと手を止める。
 そして、突然鳴り始めた携帯電話に切れ長の瞳を向けた。
 先生は小さくひとつ息をつくと、着信の相手を確認して通話ボタンを押す。
「もしもし」
『やあ、将吾。ご機嫌いかがかな』
 耳に、聞き慣れた物腰柔らかな声が響いた。
 電話の相手は、先生の父・傘の紳士であった。
 鳴海先生は相変わらず淡々と、父に言った。
「今、職務中なのですが。何か用ですか?」
『何って、大切な用だよ。息子の声が、急に聞きたくなってね』
 悪びれなくそう言う父に、先生は呆れた様に嘆息する。
 そして、わざとらしくキツい声で言葉を返した。
「そう思うのは貴方の勝手ですが、それが今である必要があるのでしょうか。先程も言いましたが、私は今職務中です。ここまでは、分かっていただけますか?」
『もちろん、よく分かるよ。本当は学校の電話にかけようと思ったんだが、それはやめてみたんだ』
「…………」
 そういう問題じゃない。
 そう言いたかった先生だが、何を言っても動じないマイペースな父に、それが通じるわけがない。
 学校に私用電話をかけられるよりも、まだ今の方がマシだ。
 諦めたように溜め息をついた後、先生は父譲りのブラウンの髪をかき上げる。
「それで、何か私に訊きたいことでも?」
 電話の向こうでそんな息子の反応を楽しむように笑い、そして紳士は言った。
『そう言えば、報告を貰っていた彼女・明石孝子の件だが。“邪者”の動きは、その後どうかな?』
 父のその言葉を聞き、先生はふと切れ長の細める。
 それから、彼の問いに答えた。
「相変わらず相原渚は、明石孝子の近くにいるようです。それに数日前、彼女と杜木が接触したという報告もあります。だが彼女からは、依然“邪気”は感じられない。ということは、考えられることはひとつだけです。彼女には、“邪者”の素質があるのでしょう。それに、杜木が自ら明石孝子に接触したとなると、彼女は大きな“負の力”を持っている可能性が高いのでしょうね。明石孝子自身どう考えているかは定かではありませんが、杜木と会った以上、もし“邪者”になる決意を彼女がしたのなら、“邪”を召還するのも時間の問題かと」
『なるほどね。“邪者”の素質がある者が持つという“負の波動”は、同じ“邪者”しか感じることができないものらしいからね。それで君は、“能力者”の少年たちには何と指示を?』
 先生は一瞬間を取り、そして再びゆっくりと口を開く。
「“能力者”の彼らには、このことは話していません。ただ、相原渚と明石孝子、そして清家には、必ず誰かひとりついているようにとは指示を出していますが」
『彼らに、話をしていないのかい? 明石孝子が“邪者”になるかもしれないことを』
「ええ。本来ならば、召還された“邪”が身体に取り込まれる前に、それを阻止するべきでしょう……だがこちらには、“浄化の巫女姫”がいます。明石孝子が“邪”を召還して取り込んでから動いても遅くはない、むしろ明石孝子が“邪”を取り込んだ後、完全な“邪者”になる前までの間で事を収めるのが、清家の今後を考えるといいのではないかと」
 意外そうな紳士の声に頷き、先生はそこまで言って一旦口を噤む。
 紳士は息子のその言葉を聞いて、ふっとひとつ息をついた。
『お姫様の今後、ね……彼女の能力を使う、いい機会であることは確かだけどね。でも君は今まで、お姫様に能力を使わせることをあまり良しとは思っていなかっただろう? なのに、今回はどうして』
「今でも私は、清家に無理をさせる気はありません。早すぎる能力覚醒は、身体に多大なる負担を与えますから。だが、今回は別です。今回の一件は、今後の大きな鍵になると私は考えています。清家に、自分の能力の効果と“浄化の巫女姫”としての自覚を、より認識させること。これが今回の、私の一番の目的です。“能力者”の彼らに詳しく話をしなかったのも、“邪者”側にこの思惑を悟られないためです」
 そんな鳴海先生の考えを、紳士は黙って聞いていた。
 それから数秒の沈黙の後、いつも通りの優しい印象の声を発する。
『そういうことか、分かったよ。君がそう判断したのなら、私からは何も言うことはない。“能力者”として君のその判断は、間違っていないと思うしね。ただ……私は、君の父親として君のことを心配しているんだよ。君は母親の晶にそっくりだからね、ひとりで何でも背負おうとする。過去も未来も、すべてひとりでね』
「…………」
 父のその言葉に、鳴海先生は何かを考えるようにブラウンの瞳を伏せる。
 そして、普段と変わらない調子で言った。
「心配は無用です。私は、私に出来ることをやるだけですから」
『それが心配だと言ってるんだがね……まぁ、いい。この件が落ち着いたら、一緒に食事でもしようか、将吾』
 息子をさり気なく気遣うように、紳士は優しく微笑む。
 先生はそんな父の心遣いに気がつきながらも、相変わらず愛想なく答えた。
「食事に行くのは構いませんが、いつものように急に呼び出すのはやめてください。くれぐれもその時は、前もって連絡していただきたいのですが」
『ふふ、楽しみにしているよ、将吾』
 紳士は息子のそんな言葉にめげる様子も全くなく、楽しそうに笑った。
 この人は絶対にわざと自分をからかうために、直前にしか連絡しない気だと。
 そう分かっている先生だったが、敢えて何も言わずに小さく嘆息する。
 紳士はくすくすと笑った後、穏やかな声で話を締める。
『では、何かあったら連絡をくれないかな。可愛いお姫様にもよろしく』
「またその時は連絡します。では」
 先生は短くそう答えた後、携帯電話の通話終了ボタンを押した。
 そしてふと顔を上げて切れ長の瞳を細めると、ツカツカと数学教室を出て行ったのだった。




 ――同じ頃。
「お姫様、お城まで王子がエスコート差し上げるよ」
 2年Bクラスの教室に現れた詩音は、普段通りの優雅な笑顔を浮かべて眞姫の手を取った。
 細くて長い詩音の指の感触に照れながらも、眞姫はそんな相変わらずな彼に微笑む。
「あ、うん。帰ろうか、詩音くん」
「あら王子様、ご機嫌麗しゅう。お姫様のこと、ちゃんとお城まで送ってあげてね」
 眞姫の隣で、梨華は詩音の王子ぶりにそう言った。
 詩音はにっこりと梨華に笑い、サラサラのブラウンの髪をそっとかき上げる。
「ご機嫌いかがかな、レディー。王子は紳士だからね、きちんとお姫様はお城までお送りするよ」
「ていうか梓くんって、家でどんな生活を送っているか全然想像つかないわよね。何か本気で白馬とか家にいそうだし、素でその白馬に乗って出かけてそうよね」
 梨華は独特の王子様オーラを醸し出している彼を見て、冗談っぽくそう呟いた。
 その言葉に、詩音は口を開く。
「おやレディー、どうして僕の愛馬・パトリシアのことを知っているんだい?」
「って、マジでいるの!? いや、似合うけどっ」
 詩音の予想外の答えに、梨華は驚いたように声を上げた。
 そんな彼女の様子にくすくす笑い、詩音は首を振る。
「いやだな、王子の気の利いた冗談だよ。でも幼い頃、ペガサスなら飼っていたけどね」
「ペガサス……いや、確かに梓くんなら、飼っててもおかしくなさそうな気はするけど。でもさすがに、それは冗談って分かるわよ、王子様」
 はあっと嘆息し、梨華は詩音に目を向ける。
 詩音は小首を傾げると、美形の顔に柔らかな笑みを浮かべて言った。
「いやいや、ペガサスは本当なんだけどな」
「えっ、ペガサスって想像上の生き物じゃないの!? ねぇ詩音くん、やっぱりペガサスって、羽生えてるの? 乗れる?」
「もちろんだよ、お姫様。飼ってたのは確か、5歳の頃だったかな。いつも乗り回して遊んでいたよ」
「そっか。私も乗ってみたいな、ペガサス」
 妙に噛み合っている詩音と眞姫の不思議な会話に、梨華はもう一度溜め息をついた。
「ねぇ、二人とも本気? それともネタ? ……まぁ、いいんだけどね」
 ガクリと脱力感を感じている梨華の様子にきょとんとした後、眞姫はカバンを手にする。
 そして、言った。
「じゃあ詩音くん、帰ろうか。また明日ね、梨華」
「それではレディー、失礼するよ」
 無邪気に手を振るふたりに、梨華は苦笑しつつ手を振り返す。
 そして教室を出て行く彼女らの後姿を見て、呟いた。
「ある意味、あのふたりって結構お似合いかも。ていうか、梓くん……まさか本当に、ペガサス飼ってたとか?」
 梨華と分かれて2年Bクラスの教室を出たふたりは、放課後の雑踏で賑やかな廊下を歩く。
 最近は先生の指示で、毎日順番で少年たちが眞姫のそばにいるのであるが。
 詩音は隣で楽しそうに話をする眞姫の姿を、じっと見守るように見つめた。
 そんな彼の視線に気がつき、眞姫は栗色の髪を揺らして小首を傾げる。
「どうしたの、詩音くん?」
 詩音は彼女の言葉に、優しくにっこりと微笑んだ。
 そして、穏やかな声で言ったのだった。
「ううん、お姫様は何も心配いらないよ。王子が、お姫様のすぐそばにいるから」




 ――その頃、1年Dクラス。
 放課後で賑やかな教室の中、孝子は珍しく真剣な表情をして俯いていた。
「孝子ちゃん」
 ふと自分を呼ぶ声が聞こえ、孝子は顔を上げる。
 そして嬉しそうに小さく微笑み、口を開く。
「あ……渚くん」
 渚は相変わらず本性を隠した可愛らしい笑みを作り、孝子に向けた。
 それから得意の甘い声で、言葉を続ける。
「今日は、例の約束の日だけど……大丈夫? 時間と場所は、分かってるよね?」
「あ、うん、大丈夫だよ。何だかちょっと、ドキドキしてるけど」
 渚はそんな孝子ににっこりと微笑んだ後、ふと一瞬だけ廊下に漆黒の瞳を移す。
 そして再び孝子に視線を戻すと、言った。
「ごめんね、一緒に行ってあげられなくて。僕には、ほかにやることがあるから」
「ううん、大丈夫。ちょっと怖い気はするけど……頑張るから」
「孝子ちゃん……」
 渚は相変わらずジャニーズ顔に可愛らしい表情を作り、そっと孝子の手を取る。
 それから、これでもかというくらいに優しい声で言った。
「頑張ってね、孝子ちゃん。僕、応援してるから」
 ギュッと渚に手を握られ、孝子はカアッと顔を赤くする。
 そして照れたように笑顔を浮かべると、大きく頷いた。
「うんっ、ありがとう、渚くんっ。あ、じゃあ、そろそろ行くね」
 孝子は時計を見てから席を立ち、カバンを手に教室を出て行く。
 渚は作り笑顔を絶やさず彼女を見送ってから、誰にも聞こえないくらいの声で呟いた。
「手なんて握って、ちょっとサービスしすぎたかな。ま、でもその気になったみたいだし、いっか」
 ――今日は、例の約束の日。
 “邪者”になることを決意した孝子が、“邪”を召還して身体に取り込む予定の日なのだった。
 孝子の姿が見えなくなって、渚は漆黒の瞳を細める。
「さてと。あー、もうマジで面倒だけど、僕も僕の仕事をしよっかな」
 それだけ言うなり、渚も孝子に遅れて教室を出た。
 生徒で賑やかな放課後の廊下を歩きながら、渚はすれ違う同級生たちに作った笑みを向けて軽く挨拶をする。
 そして……渚が向かった先は。
 校舎を出て何故か中庭まで歩いてきた渚は、ふと振り返る。
 それからさわさわと漆黒の髪を揺らす風にも気に留めず、わざとらしい可愛い声で言ったのだった。
「それで? 今日の僕のストーカーは、先輩ですか。この完璧な僕のことが気になるのは分かりますけど、いい加減にしてくれません? 毎日毎日、ぶっちゃけかなりウザイんですけど」
 渚の相変わらずなその言葉に、いつの間にかその場にいた彼は苦笑する。
「まーまー、そう言うなや。俺も渚クンのストーカーなんてしたくないんやけどな、今日は俺の当番やからな。それにな、憎たらしいくらいカワイイ後輩が、何か胡散臭いコト企んどるみたいやから仕方ないやろ」
「胡散臭い? いやだなぁ、それって瀬崎先輩のことじゃないですかぁ。それに何か企んでるなんて、ぜーんぜん心当たりないんですけどぉ?」
 嫌味なくらいに作り笑顔全開で、渚は大袈裟に首を傾げた。
 そんな様子に、祥太郎は嘆息する。
「相変わらずやなぁ、渚クン。あんまりそんなカワイイことばっかり言ってると、ハンサムな先輩にボコられるで?」
 祥太郎は冗談っぽくそう言いつつも、渚を見据えてふっと瞳を細めた。
 その言葉を聞いて、渚は口元に笑みを浮かべる。
 そして。
「……!」
 祥太郎はハッと顔を上げ、表情を変える。
 渚の手に漆黒の光が宿ったかと思うと、それが一瞬にして弾けたのだった。
 周囲を包んだ漆黒の光は、強力な“結界”を形成する。
 渚はくすっと笑い、煽るように口を開いた。
「ボコれるものなら、ボコってみたらどうですか? 返り討ちに合うっていう素敵なオチが、もれなく付いてきますよ」
 祥太郎はそんな煽りには乗らず、冷静に渚の様子をうかがう。
 それから、ハンサムな顔に小さく笑みを宿して言った。
「ていうか、今から“邪者”の連中が何かやらかすってコトか? 今まで俺らがいくらストーカーしとっても何の反応も示さんかったのに、今日に限って、俺をこんな大層な“結界”に閉じ込めるなんてな」
 祥太郎の言葉を聞いて、渚は表情をふと変える。
 だがすぐに、可愛らしい作り笑顔を浮かべて笑った。
「それが分かったところで、どうだっていうんですか? 今更分かったって、もう手遅れだし。先輩方が日替わりで僕のストーカーしてることはとっくに気がついていましたから、僕はぶっちゃけ囮ですよ。ということで、先輩はここで大人しくしといてくださいね」
「“邪者”は一体、何をしようとしてるんや? 囮か何か知らんけど、“能力者”は俺だけやないしな。それに、言ったやろ? あんまりカワイイ口叩くと、ハンサムな先輩からボコられるでって」
 祥太郎はスッと軽く身構え、その手に“気”を漲らせる。
 渚も祥太郎の“気”を感じ、それに対抗すべく漆黒の光を宿した。
 そして、わざとらしい猫撫で声で言った。
「仕方ないから、相手してあげますよ。あ、返り討ちに合っても恨まないでくださいね」
「ったく、口の減らんガキやな。泣いても知らんで、似非ジャニーズ系っ」
 ふっと“気”を纏った右手を後ろに引いて反動をつけると、祥太郎は眩い光を放つ。
 渚はその軌道を見据え、同じように衝撃を繰り出した。
 空気を裂くように、“気”と“邪気”が唸りを上げる。
 刹那、真っ向からぶつかったふたつの光が、カアッと輝きを増した。
 そして渚の張った“結界”内に、耳を劈くような大きな衝撃音が轟いたのだった。




「……どこに行く気だ?」
 健人はそう呟き、ブルーアイをふっと細める。
 そんな彼の目に映っているのは、あるひとりの少女。
 その少女・孝子は、学校を出て、駅と逆方向へ進路を取ったのだった。
 この日孝子を見張っていた健人は、ただならぬ嫌な予感に表情を引き締める。
 いつもは渚の隣でハイテンションな彼女だが、今日は妙に緊張した面持ちで落ち着きがない。
 そんな彼女の態度に疑問を感じながらも、健人は孝子の後を追った。
 ――その時。
「!」
 健人は足を止め、咄嗟に振り返る。
 それと……同時だった。
 眩い無数の光が、一斉に健人に襲いかかってきたのだった。
 だが健人は、急に繰り出された衝撃にも慌てることなく、瞬時に“気”の防御壁を張る。
 そして防御壁に阻まれた眩い光が、大きな音を立てて弾けた。
 健人は襲ってきたすべての威力を無効化した後、ある一点に鋭い視線を投げる。
 そんな彼の、青い瞳に映っているのは。
「こんにちは、青い瞳の“能力者”さん」
 甘いマスクに不敵な笑みを浮かべて現れたのは、“邪者四天王”のひとり・涼介だった。
 いつの間にか張られた“邪気”の“結界”に顔を顰め、健人は口を開く。
「“邪者”は今から、あの明石孝子を使って何をしようとしている? おまえが俺を足止めに来るということは、何かがあるということだろう?」
「何があるのかって? これから、この上なくワクワクすることがあるんだよ。だから、君に邪魔して欲しくなくてね。久しぶりに新しい研究素材が誕生するかもしれないし。楽しみだよ、本当に」
 涼介は漆黒の瞳を細め、ご機嫌な様子で笑った。
 逆に健人は怪訝な顔をし、首を傾げる。
「どういうことだ?」
「さぁね、どういうことかな。ということで、ここでじっとしていてくれないかな」
 健人の問いには答えず、涼介はふっと微笑む。
 そして、ニッと笑って続けた。
「あ、そうだ。その間やることもないし、世間話でもするかい?」
「ふざけるな。俺はおまえと話す暇もなければ、“結界”に足止めをくらっている暇もない」
 健人はそう言い放ち、その手に“気”を宿す。
 そんな健人の様子を見て、涼介は楽しそうな表情を浮かべた。
「まぁ、待ってよ。そうだな、世間話のテーマは“浄化の巫女姫”でどうだい? 少しは君も、興味があるんじゃないかな」
「“浄化の巫女姫”だと?」
 ピクリと反応を示し、健人は今にも“気”を放たんとしている右手の動きを止める。
 それを確認した後、涼介は少し興奮気味に話を始めた。
「お姫様もだけど、君たち“能力者”も知ってるだろう? “浄化の巫女姫”の、神聖なる血のことを。そのことにすごく興味があるんだよね、僕。その神聖なる血を使えば、一体どんなことができるんだろうって。そう考えると、楽しくて仕方ないよ」
 くすっと笑う涼介に、健人は顔を顰める。
 涼介は健人のそんな表情を見て、さらに言った。
「一度でいいから彼女の潜在能力を、いろいろと調べて実験したいんだよね。ああ、想像するだけで興奮するな。君も、そう思わないか……!」
 涼介は話の途中で、ハッと顔を上げた。
 ……涼介の言葉がすべて終わるのを、待たずに。
 健人の右手から、眩い“気”の衝撃が放たれたのだった。
 涼介は瞬時に漆黒の“気”をその手に宿し、ガッと襲ってきた光を受け止めた。
 そして“邪気”を漲らせ、“気”の威力を浄化する。
 その時。
「……!」
 ふっと本能的に背後を振り返り、涼介は身を屈める。
 そして紙一重の差で、いつの間にか背後に回った健人の拳が空を切った。
 だが健人はすかさず逆手に“気”を宿すと、それを間を取らずに至近距離の涼介目がけて放つ。
 次の瞬間、バチッと大きな音を立ててプラズマが弾けた。
 漆黒の光を纏った涼介の掌が咄嗟に健人の“気”を受け止め、その威力を無効化させたのだった。
 そんな涼介に射抜くような視線を向け、健人はグッと拳を握り締める。
 そして怒りを湛えるブルーアイを細めると、言った。
「姫に危害を加えるようなことは、俺が絶対に許さない」
「そういえば同じようなこと、智也にも言われたっけ。それにしても、お姫様は愛されてるな」
 体勢を立て直し、涼介は意味ありげに笑う。
 そんな涼介の言葉に、健人はさらに険しい表情を浮かべた。
 涼介は甘いマスクに笑みを浮かべた後、漆黒の前髪をかき上げる。
 そしてその手に強大な“邪気”を宿し、言ったのだった。
「僕との世間話は、どうやらあまりお気に召さなかったようだね。じゃあ今度は……ドンパチでもしてみるかい?」
 健人は大きさを増した涼介の“邪気”に対抗すべく、眩い“気”を掌に集結させる。
 それからブルーアイで涼介を見据え、ふっと再び構えを取ったのだった。




「拓巳」
 まだ学校に残っていた准は、ふと表情を変えて言った。
 その声に、隣を歩いていた拓巳は頷く。
「“邪気”の“結界”がふたつ、か。しかもひとつは、中庭か?」
 窓の外に漆黒の瞳を向け、拓巳は表情を引き締める。
 准は探るように瞳を細めて、続けた。
「中庭の“結界”は相原くんのもので、中にいるのは祥太郎みたいだね。少し離れた位置の“結界”内にいるは、涼介って“邪者”と健人か……確か今日の担当って、祥太郎が相原くん、健人が明石さんの見張りだったはず。そのふたりが足止めされてるってことは……何か良からぬことを、“邪者”が企んでるってことだよね」
「姫は、もう詩音と一緒に帰ったんだよな。ていうか准、おまえどっちの“結界”に行く?」
 拓巳は険しい表情を浮かべたまま、そう准に訊く。
 その問いに答えるべく、准は口を開いた。
「そうだね、二手に分かれてそれぞれ別の“結界”に干渉しようか。じゃあ僕は……」
 ――その時。
 准は言葉を切り、ハッと顔を上げる。
 同様に拓巳も視線を前方に移し、途端に気に食わない顔をした。
 そんなふたりの前に現れたのは。
「おまえたちは、今回は動くな。よって、“結界”に干渉する必要はない」
「鳴海先生……」
 いつの間にか“結界”を張り、切れ長の瞳を自分たちに向けている鳴海先生に、准は目を向ける。
 拓巳は先生のその言葉に、眉を顰めた。
「あ? 何言ってるんだよっ。“邪者”が何かしようとしてるのに、こんなところでじっとしてられるかっ」
「聞こえなかったか? おまえたちは待機だ。分かったな」
 威圧的にそう言って、鳴海先生は言葉を続ける。
「“邪者”は明石孝子に“邪”を取り込ませようとしようとしているのだが、彼女が“邪”を取り込んでから完全な“邪者”になるまでには、少し時間がかかる。その時が、大きな機会だ。だから今、私の指示なしで勝手に動くことは許さん」
「明石さんに“邪”を取り込ませるって……それって、彼女が“邪者”になるってことですか?」
 先生の言葉に驚いた様子を見せつつも、准はそう訊いた。
 逆に先生は表情を変えることもなく、頷く。
「そうだ。今までの“邪者”の行動を見ると、それしか考えられない」
「ていうか、意味分かんねーよっ。“邪”が明石孝子の身体に取り込まれる前に、召還された“邪”を“気”で浄化すればいい話だろうがっ。何で待つ必要があるんだ!?」
「落ち着いて、拓巳」
 鳴海先生に対して反抗心剥き出しな拓巳を宥めてから、准は再び口を開いた。
「でも先生、僕も拓巳と同じ考えなんですけど。わざわざ彼女に“邪”を取り込ませる必要が、何のためにあるんですか?」
「…………」
 鳴海先生はその質問に、ふと言葉を切る。
 それから、改めてふたりを見て言った。
「こちらには“浄化の巫女姫”がいる。今回は、そんな彼女の能力を使うつもりだ。そしてこの一件が、今後の大きな鍵になるだろうからな」
「ちょっと待て、鍵か何だか知らないけどな、姫の能力を使うってことは、姫が危険な目に合うかもしれないってことだろ!? 姫に危険が及んでもいいってことかよっ。そんなの反対だっ」
「黙れ。確かに、清家に危険が及ぶかもしれん。だが本来“浄化の巫女姫”とは、守られる存在ではなく、万人を守るべき存在だ」
 鳴海先生はそこまで言って、切れ長の瞳を細める。
 准は複雑な表情を浮かべ、先生の言葉を復唱した。
「“浄化の巫女姫”は、守られる存在ではなく、万人を守るべき存在……」
「でもそんな姫を守るのも、俺たち“能力者”の使命だろ!? 姫が危険な目に合うかもしれないことを、黙って見てられるかよっ」
 鳴海先生は拓巳に目を向け、ふうっと大きく嘆息した。
 それから、こうふたりに言ったのだった。
「まだ分からないのか? 機会が訪れたら清家の能力を使用し、事を収拾する指示を出すが……その時に“浄化の巫女姫”を守り、彼女の能力のサポートをし、そして“邪者”の思惑を打破する。それが、我々“能力者”の使命だ」
 そこまで言って、それから先生はスッと手を掲げる。
 同時に、周囲に形成されていた“結界”が解除された。
「分かったら、おまえたちは今回は手を出すな。後日、追ってミーティングを開く。痛い目に合いたくなければ、余計なことはせずにその時の指示に従え」
 有無を言わせぬ口調でそう続けると、鳴海先生はふたりに背を向けて廊下を歩き出す。
「ったくよっ。何だよ、あの偉そうな態度は。一体何様だっ」
 あからさまに気に食わない表情をして、拓巳は鬱陶しそうに前髪をかき上げた。
「…………」
 准は口を噤んだまま顔を上げ、ふたつの強大な“邪気”の“結界”を改めて感じる。
 そして先生の指示――ここで待機しろという言葉を思い出し、複雑な表情を浮かべたのだった。