――4月22日・金曜日。
 爽やかな春風の吹く、天気のよい朝。
 眞姫とこの日デートの約束をしている渚は、見た目可愛らしい顔にご機嫌な色を浮かべ、学校に向かって歩いていた。
「あっ、おはよう、相原くん」
 その時、少し頬を赤らめた様子で、渚の本性を知らない同じクラスの女生徒が彼に声をかけてくる。
 渚はそのジャニーズ系の顔に満面の微笑みを宿し、彼女に愛想良く答えた。
「今日はいい天気だね、おはよう」
 渚の大きなくりくりとした瞳に見つめられ、クラスメイトはさらに顔を赤くする。
 普段本性を隠しまくっている渚は、その可愛い容姿と学年トップの成績、そして運動神経も当然抜群のために、同学年の女生徒に人気があった。
 だがそんな同級生たちの姿は、全く彼の眼中にはなかった。
 たったひとりの女性の姿しか、渚のその瞳には映っていなかったのである。
 それが誰なのかは、言わずもがな……。
「あ……」
 ……その時だった。
 渚はふと、急にその足を止める。
 そして、今までご機嫌だったその表情を微かに変えた。
「相原くん、どうしたの?」
 渚の様子に、彼のクラスメイトは不思議そうな顔をする。
 そんなクラスメイトに作ったような笑顔を見せて、渚は漆黒の前髪をかきあげた。
「ううん、何でもないよ」
 そう言いつつも、渚は少し印象の変わった漆黒の瞳を再びある一点へと向ける。
 それと、同時だった。
「あ、あのふたりって、クラス違うのによく一緒にいるよね。付き合ってるって噂、本当なのかな?」
「どうなのかな、でも美男美女でお似合いだよね」
 ふいに前を歩く、渚の上級生らしきふたりの女生徒たちのそんな話が耳に入ってくる。
 そしてそのふたりの上級生の視線は、明らかに渚と同じ方向を向いていた。
 渚はそんな会話を聞き、途端に怪訝な表情を浮かべる。
 そんな視線の先にいるのは……。
「ねぇ、健人。この間ね、梨華と駅前のパスタ屋さんに行ったんだけど、すごく美味しかったよ」
 眞姫は隣の健人に目を向け、楽しそうに話をしている。
 そして自分を映す眞姫の吸い込まれそうな大きな瞳に見惚れつつ、健人は幸せそうに彼女を見つめ返していた。
「駅前のパスタ屋って、この間オープンしたところか?」
「うん。ランチが安くて美味しいの。それにデザート付きで、その種類もすごく豊富だったんだ」
 こくんと頷いた眞姫の栗色の髪が、小さくふわりと揺れる。
 それから健人は青い瞳を細め、すかさず言った。
「じゃあ姫、今度は俺と一緒に行こう」
「そうだね、今度一緒に行こうね」
「ああ。約束だ、姫」
 にっこりと笑う眞姫を満足そうな顔で見て、健人も美形な容姿に微笑みを浮かべる。
 それからおもむろに前方に目を移すと、ふと表情を変えた。
 そして。
「えっ……」
 急にぐいっと肩を抱かれたかと思うと、眞姫は彼に身体を引き寄せられる。
 突然の健人の行動に、眞姫は驚いたように瞳を瞬きさせた。
 そして次の瞬間、急に角から出てきた車が、眞姫のいた場所を猛スピードで通過したのだった。
 眞姫を自分の胸に引き寄せたまま、健人はちらりと彼女に綺麗なブルーアイを向ける。
 そして、そっと眞姫の頭に手を添えて言った。
「ボーッとしてると危ないぞ。ただでさえ姫は鈍いところがあるからな」
「あ、ありがとう、健人。って、鈍いなんてひどーいっ。そんなに私って、鈍い?」
 むうっと首を傾げる眞姫をさり気無く歩道寄りに立たせた後、健人は笑う。
「ああ、いろんな意味で鈍いよ。ていうか、自覚ないのが一番タチ悪いんだぞ、姫」
「いろんな意味で? そんなに鈍いかな……」
 うーんと考える仕草をする彼女を見つめてふっと瞳を細め、健人は少し乱暴に眞姫の頭をぐしゃぐしゃと撫でる。
 そして、楽しそうに言った。
「ほら、トロトロ歩いてないで行くぞ、姫」
「あっ、もう健人ってばっ」
 手櫛で乱された髪を整えた後、眞姫はスタスタと歩き出した健人に慌てて目を向ける。
 健人はそんな眞姫の様子を微笑ましげに見つめ、そして彼女が自分に追いつくのを待った。
 それからようやく追いついた眞姫に歩調を合わせてゆっくり歩きながら、金色に近いブラウンの髪をかき上げた。
「本当に姫って、からかうと面白いな」
「もう、健人の意地悪っ」
 拗ねたようにふいっとそっぽを向く眞姫の姿に笑ってから、健人は今度は優しく彼女の髪を撫でる。
 眞姫は健人の大きな手の感触を感じて再び彼に視線を向けると、にっこりと微笑んだ。
 そして、ブラウンの瞳を細めて言った。
「パスタ屋さん、今度一緒に行こうね、健人」
 健人は眞姫の言葉に大きく頷き、嬉しそうに彼女に微笑みを返す。
「ああ。行こう、姫」
 眞姫はそんな健人の言葉に、屈託のない笑顔で答えたのだった。
 ……そして。
「なに、あれ……」
 ぼそっと思わずそう呟き、渚はそのベビーフェイスに似合わない怪訝な表情を浮かべる。
 それと同時に、愛しの眞姫と仲良さ気な健人に対して、嫉妬のような感情が生まれた。
 しかも自分のジャニーズ系の顔に自信満々な渚とはいえ、相手は綺麗なブルーアイに金色に近いブラウンの髪を持つ、見た目美少年の健人である。
 今すぐ“結界”を張って“邪気”でも豪快に放ってやりたかった渚であったが、何せ愛しの眞姫もその隣にいるため、手出しできずにチッと小さく舌打ちすることしかできなかった。
 それから自分の様子に不思議そうな顔をしている隣のクラスメイトの女生徒のことを思い出し、渚は彼女ににっこりと作った笑顔を向ける。
 そして漆黒の瞳をふっと細めると、ひとつ溜め息をついたのだった。




 ――その日の放課後。
「まったく、渚のやつ……散々眞姫ちゃんとデートするんだーって自慢しまくりだし。今度会ったら、やっぱり笑顔で思いっきりあいつに膝蹴り入れてもいいよね?」
 携帯電話を耳に当てて大きく嘆息し、その少年・智也は漆黒の前髪をかき上げて言った。
 そんな彼を慰めるように、電話の向こうのつばさは答える。
『きっといいと思うわ、智也。まったく、杜木様は渚に甘いんですもの。今回の貴方への指示の内容もですけど』
「まぁ、杜木様の指示はいいんだけどね。ていうかきっと今日の夜、嫌がらせのようにあいつからデートの報告の電話がかかってきそうで、今から本当にブルーだよ」
『人の神経を逆なでるのが大得意ですものね、渚って。絶対かかってくるわよ、智也』
 智也はつばさの言葉にもう一度溜め息をついた後、気を取り直して漆黒の瞳を伏せた。
 それからスッと閉じた瞳を開くと、つばさに言ったのだった。
「それで、つばさちゃん。仕事に戻ろうと思うんだけど……どっちかな?」
『そのまま真っ直ぐでいいわ、そしたらいると思うから。それよりも……』
 そこまで言って、電話の向こうのつばさはおもむろに言葉を切る。
 智也はそんなつばさの様子に、ふと首を傾げた。
「? どうしたの、つばさちゃん」
 智也の問いに、つばさは声のトーンを変えて答える。
『いえ、巧妙に隠してるけど……その方向に、別の大きな“気”も感じるわ』
「“気”? ということは、“能力者”?」
 智也はそう言って、漆黒の瞳を細める。
 そしておもむろに周囲の気配を探ってみたが、“空間能力者”でない智也につばさの言う“気”を知覚することはできなかった。
 そんな智也の行動を察してか、つばさは言葉を続ける。
『さっきも言ったけど、巧妙に隠してるみたいだから……“空間能力者”じゃないとその出所は分からないと思うわ。少し、今貴方がいるところからはまだ距離があるし』
 智也はふうっと一息ついた後、少し考える仕草をした。
 そして、つばさにこう聞いた。
「ねぇ、つばさちゃん。その巧妙に隠してる“気”が、一体どの“能力者”のものか……分かる?」
 つばさは少し間を置いて、それから口を開いたのだった。
『ここからも少し距離が遠いから、はっきりとは分からないけど……この“気”だったら、たぶんあの人ね。ほら、あの……』
 聞こえてきたつばさの答えに、智也は大きく数度頷く。
「ああ、あの彼ね。そっか、ありがとう、つばさちゃん。また今度お茶でもしようね」
 それだけ彼女にお礼を言うと、智也は携帯を切った。
 そして彼女に言われた通り、真っ直ぐ賑やかな繁華街を歩き出したのだった。
 ……その同じ頃。
 繁華街の、お洒落な喫茶店内で。
 運ばれてきた紅茶に砂糖を入れてかきまぜながら、眞姫はふと首を傾げる。
「どうしたの、渚くん?」
 自分をじっと見つめたままの目の前の渚に、眞姫は目を向けた。
 そんな自分だけを映す眞姫の大きな瞳に、渚は思わず見惚れてしまう。
 それからお得意の可愛らしい笑顔を浮かべ、言った。
「いえ、清家先輩と一緒にお茶できるなんて、僕すごく嬉しくて」
「私も嬉しいよ。でもいいのかな、私、お礼されるような大したことしてないのに」
 眞姫のその言葉に、渚は大袈裟に首を振る。
 そして、くりくりの瞳を彼女に向けた。
「何を言うんですか、先輩っ。本当に僕、先輩がいてくれてよかったなって思ってるんです。僕って、口下手で内気だから……学校にも馴染めるかなって、入学前は不安でいっぱいだったんです。でも清家先輩が親切にしてくださって、すごく嬉しいんです」
「そう言ってくれたら私も嬉しいわ、渚くん」
 眞姫はひとくち紅茶を飲んで、にっこりと微笑みを渚に返す。
 そんな彼女の笑顔に、渚は心から嬉しそうな表情をした。
 眞姫はそれから周囲を見回し、言葉を続ける。
「このお店、初めて来たけど雰囲気がすごくいいね。よく来るの?」
「あ、何度かですけど来たことがあったんです。それでこのお店なら、先輩にも気に入っていただけるかなって思ったんですが、どうですか?」
 ちらりと上目使いで自分を見る渚に、眞姫はブラウンの瞳を細めて答えた。
「うん、すごくいいお店ね。紅茶も美味しいし。私、こういう雰囲気のお店好きよ、渚くん」
「本当ですか? ああ、よかったぁっ……」
 わざとらしくホッとしたような表情をして、渚は胸を撫で下ろす仕草をする。
 そんな渚に目を向け、眞姫は言った。
「渚くんって、本当に可愛いよね。言うこととか仕草とか。渚くん見てたら、すごく穏やかな気持ちになっちゃう」
「可愛いだなんて、そんなこと言われたら僕、照れちゃいますよ。清家先輩」
「うふふ、渚くんって反応も可愛いね」
 これでもかというくらい猫をかぶりまくっている渚の様子に、眞姫は相変わらずすっかり騙されているのである。
 渚はそれから、ふと眞姫につぶらな瞳を向けた。
 そして少し目を潤ませながら俯き、言った。
「でも先輩、僕のこと怖くないですか? 僕って“邪者”だし……それにほかの映研の先輩方は、何だか僕のこと“邪者”っていうだけで敵対視しているみたいで……悲しいな、僕」
 眞姫はそんな渚の言葉に、大きく首を振る。
 そしてテーブルの上に乗せている彼の手を取り、口を開いた。
「ううん、私は怖いだなんて思ってないよ。“能力者”のみんなは、やっぱり立場上どうしても“邪者”だって思ったら構えちゃうかもしれないけど、でもきっと分かってくれるよ。私は少なくとも、渚くんのことは全然怖いって思ってないから」
「清家先輩……」
 渚は柔らかい眞姫の手の感触に頬を赤らめ、そしてさり気無く彼女の手を握り返す。
 それと同時に、彼女の体内に宿るあたたかくて大きな“気”を感じたのだった。
 渚は何気に眞姫の手を握り締めたまま、再び言葉を続ける。
「あの、清家先輩。清家先輩は……蒼井先輩のことって、どう思ってるんですか?」
「え?」
 急に思いがけないことを聞かれ、眞姫は瞳をぱちくりさせた。
 それから少し考え、言った。
「健人は家も近くだし毎朝一緒に学校に行ってるから、気兼ねなく何でも話せる人かな」
「毎朝、一緒に……」
 自分の愛しの眞姫と、毎朝一緒に学校に通っているなんて。
 そんな嫉妬心を隠しながら、渚は取ってつけたようにはあっと嘆息して口を開く。
「蒼井先輩って、すごく見た感じクールっぽくて美形で格好良いですよね。あの青い瞳とか、神秘的だし。僕なんて自分に全然自信ないから、羨ましいなって」
 健人が本当は全然クールな性格ではないことを知っている渚だったが、敢えてわざとそう言って憧れているかのようなフリをした。
 眞姫はその渚の言葉に、笑って言葉を返す。
「渚くん、もっと自分に自信持っても全然大丈夫だよ? 渚くんってすごく目もくりくりしてて大きいし、十分ハンサムだよ。それに入試で一番だなんて、優秀じゃない」
「そんな、僕なんて全然大したことないし。それに蒼井先輩って、女の子にも人気ありそうですよね。彼女とかいるんですかね?」
 大袈裟に謙遜するように手を振った後、渚は一番聞きたいことをさり気無く聞いた。
 眞姫は紅茶をひとくち飲んで、うーんと考える仕草をする。
「健人に彼女? 私が知ってる限りでは、いないんじゃないかな。でも確かに女の子には人気ありそうよね、あれだけ綺麗な顔してるんだもん」
「あ、蒼井先輩って彼女いないんですか? そっか、蒼井先輩と清家先輩って付き合ってないんだ……」
 ホッとしたようにそう小さく呟く渚に、眞姫はきょとんとした表情をした。
「え? なぁに、渚くん?」
「いえ、何でもないですよ、清家先輩っ」
 自分の言葉がよく聞こえず首を傾げている眞姫に、渚はにっこりと微笑みを向ける。
 だが眞姫はふと栗色の髪をかき上げて、それからこう言ったのだった。
「でも健人の右目の青い瞳って、本当に綺麗よね。あの目で見られると、今でもたまに緊張しちゃうもん。髪も金色に近いサラサラのブラウンだし、美少年って言葉がぴったりだよね」
「…………」
 渚は一瞬その眞姫の言葉に、思わず面白くなさそうな表情を浮かべる。
 だが気を取り直すと、すぐさま話題を変えた。
「あ、デザートが来たみたいですよ、清家先輩。ここのデザートって、すごく美味しいんですよ?」
「わあ、本当に美味しそうね。こんないいお店教えてくれてありがとう、今日は本当に嬉しいわ」
 運ばれてきたデザートにパッと表情を変え、眞姫は嬉しそうに微笑む。
 渚はそんな眞姫の笑顔に見惚れつつ、可愛い顔ににっこりと笑顔を宿した。
 そして、心からこう言ったのだった。
「僕も本当に嬉しいです、清家先輩とふたりでお茶なんて……」
 少し引っかかることもあった渚であったが、すぐ目の前に想いを寄せる眞姫がいることに、改めて大きな幸せを感じる。
 それからもう一度そのジャニーズ系の容姿に、とっておきの笑みを浮かべたのだった。