――4月25日・月曜日。
 いつものように朝健人と登校していた眞姫は、少し曇りがちな空に瞳を向けた後、学校の校門をくぐった。
 そして、同じように登校しているほかの生徒たちと同様に靴箱へと足を向ける。
「じゃあな、姫。今日の放課後Bクラスに迎えに行くから、一緒に帰ろう」
 クラスが違うため、靴箱で健人は名残惜しそうに眞姫にそう言った。
 眞姫はそんな彼の言葉に、こくんと頷く。
「うん。じゃあ帰り、Bクラスで待ってるね」
 にっこりと彼に微笑み、眞姫は健人に小さく手を振る。
 健人は自分に向けられた笑顔に満足そうにブルーアイを細め、自分の靴箱に向かおうとした。
 ……その時。
「おはようございます、清家先輩っ」
 背後から聞こえてきた甘えたようなその声に、健人は足を止めて美形の顔に怪訝な表情を浮かべる。
 そして振り返り、声の主に視線を向けた。
「あ、蒼井先輩。おはようございまーす」
 とってつけたように作った可愛らしい笑みを宿し現れたその少年・渚は、眞姫の手前ということもあって一見愛想良く健人にも挨拶をする。
 明らかに気に食わない表情をしている健人を少し心配そうにちらりと見た後、眞姫は渚に視線を移して微笑んだ。
「おはよう、渚くん」
「清家先輩、おはようございますっ。金曜日はとっても楽しかったですねっ」
 渚は本当に嬉しそうな顔をしつつ、何気に眞姫の手を取って言った。
 眞姫はそんな渚の言葉に、にっこりと笑顔で答える。
「うん、渚くん。楽しかったね」
「……金曜日?」
 眞姫の隣で、健人はふと眉を顰めた。
 渚はそんな健人につぶらな瞳を向けると、その口元に笑みを浮かべる。
 それから、相変わらずの猫なで声で言ったのだった。
「金曜日、清家先輩とふたりでお茶したんですよ、蒼井先輩。もうすーっごく楽しかったですっ」
「…………」
 その渚の言葉に、健人はますます面白くなさそうな表情をする。
 そして渚は、さらにたたみかけるように言葉を続けた。
「清家先輩、また一緒にお茶してくれますか? 僕、またいいお店探しておきますから」
「うん。また行こうね、渚くん」
 眞姫のその返事を聞いて、渚は大袈裟にその瞳をキラキラと輝かせる。
 それからまたさり気なく眞姫の手をぎゅっと握り、言った。
「本当ですかっ? 近いうちにまたお茶してくださいね、約束です、先輩っ」
 渚はそう言うなり、スッと小指を眞姫の前に差し出す。
 眞姫はそんな彼の行動に一瞬きょとんとしたが、すぐに同じように小指を立てた。
「あ、指きりね、渚くん。本当に渚くんって、やることが可愛いんだから」
「そんな、可愛いだなんて。僕には、全っ然そんな自覚ないんですけど」
 眞姫との指きりを成功させた渚は、わざとらしく大きく首を振りながらそう謙遜する。
 眞姫は彼との指きりを終えた後、栗色の髪をかき上げて時計を見た。
 そして、笑顔の渚と明らかに気に食わない様子の健人に交互に手を振る。
「じゃあ、ふたりとも。またね」
 そう言って歩き出した眞姫にぺこりと頭を下げ、渚は無邪気に手を振り返した。
 健人はブルーアイをちらりと彼女に向け、溜め息をつく。
 そしてそんな彼女の姿が見えなくなった、その時だった。
「蒼井先輩ったら、僕たちの邪魔しないでくださいよね。ぶっちゃけ、本当にお邪魔虫もイイトコでしたよ」
 眞姫がいなくなった途端、渚は声のトーンを変えて健人にそう言った。
 健人は無言で渚に鋭い視線を投げ、金色に近いブラウンの髪をかき上げる。
 それからわざとらしく大きく嘆息し、スタスタと歩き出した。
 渚はそんな健人に、すかさずこう言い放つ。
「あ、蒼井先輩。僕と清家先輩って、ものすごーくお似合いだと思いません? 美男美女で」
「…………」
 健人は足を止めないままふっと振り返り、じろっとその青い瞳で渚を睨む。
 そして、今すぐにでも“結界”を張りたい気持ちを抑え、自分の靴箱に向かったのだった。
 渚はそんな健人の後姿を見送った後、作っていた笑顔を怪訝なものに変える。
 それから漆黒の瞳をスッと細め、チッと小さく舌打ちをした。
「僕の方が、蒼井先輩なんかよりもずっと清家先輩とお似合いだよ」
 窓に映る自分の可愛らしい顔を見つめてそう呟き、そして渚もゆっくりと歩き出したのだった。




 ――その日の放課後。
「拓巳、まだ帰らないの?」
 ホームルームの終わった2年Bクラスの教室で、准は同じ方向に下校する拓巳にそう声をかけた。
 拓巳は帰り支度をしながら、はあっと大きく溜め息をつく。
 そして、ちらりと大きな瞳を准に向けて言ったのだった。
「帰りたいのは山々だけどよ、やんねーといけないことあるからよ。ていうか何であの指示、俺なんだ? ったく、鳴海のやつ……」
「指示? 先週呼び出された時に、鳴海先生に何か指示出されたの?」
 首を傾げる准にこくんと頷いた後、拓巳は自分に与えられた鳴海先生の指示の内容を彼に話す。
 それを聞いて、准はふと表情を変えた。
「え? 何でそんな指示が拓巳に?」
「だろ、おまえもそう思うだろ? もしかして、俺に対する鳴海の新手の嫌がらせとかか?」
「拓巳が一番不向きっぽいのにね、そういうこと。むしろ、僕に言われそうな指示なのに」
 うーんと考える仕草をする准に、拓巳は鬱陶しそうに前髪をかき上げる。
「あーもう、そんな慣れねーことしてるからよ、イライラして仕方ないったらありゃしねーぜっ」
 そう言ってふうっと拓巳が嘆息した、その時。
 准はふと顔を上げ、そして首を傾げる。
 それから、拓巳とともにおもむろに廊下に出た。
 そして2年Bクラスの教室の前に現れたある人物に、声をかけたのだった。
「Bクラスに来るなんて珍しいね、どうしたの? 詩音」
「やあ。ご機嫌いかがかな、騎士たち」
「おう、詩音。わざわざ来てくれたのか? 今から鳴海の指示通り例のこと始めようと思ってたからよ、おまえのFクラスに行こうと思ってたとこだったぜ」
 拓巳は普段滅多にBクラスに来ない詩音の行動に首を捻りつつも、そう口を開く。
 詩音は優雅な微笑みを浮かべ、そんな拓巳にこう言ったのだった。
「例のこと、ね。それ絡みなんだけど、ちょっと気にかかることがあってね。今日は王子が直に騎士のもとに出向いたんだよ」
「気にかかること?」
 詩音の言葉に、准は不思議そうな顔をする。
 詩音はにっこり准に笑顔を返した後、拓巳に向き直った。
 そして色素の薄い髪をそっとかき上げて、彼にあることを言ったのだった。
 その言葉を聞いた拓巳は、ふと表情を変える。
 それからちらりと時計を見た後、詩音に聞いた。
「それって本当かよ、詩音? だとしたら厄介だな……とにかく今から俺は鳴海の指示通り動くからよ、例のあいつが今どこにいるか、教えてくれ」
「彼はまだ自分の教室にいるよ、拓巳。騎士の健闘を、王子は心から祈っているからね」
「健闘を祈る、かよ。ていうかこんな回りくどいこと、俺の性に合わねーってのによ」
 はあっと大きく溜め息をついた後、拓巳はゆっくりと廊下を歩き出す。
 そしてひらひらと手を振りながら、詩音と准に言った。
「んじゃ、俺は行くからな。またな」
「…………」
 准は何かを考えるように無言で拓巳の後姿を見送る。
 そんな彼の様子に気がつき、詩音はふっと笑った。
「どうしたんだい? 何か気になることでも?」
「何で今回の指示、拓巳なんだろうって。僕か祥太郎だったらまだしも……そうじゃなくても、拓巳より健人の方がまだ分かるのになって」
 詩音は准の言葉を聞いて優雅な微笑みを浮かべる。
 そして、言ったのだった。
「気になるなら、直接聞いてみたらどうかな? あ、そうそう、そういえば言われてたんだったよ。君と祥太郎を数学教室に連れてくるようにって、鳴海先生からね」
「え? 鳴海先生が?」
 相変わらず表情を変えないマイペースな詩音とは逆に、准はその顔に少し驚いたような色を浮かべる。
 それから、再び何かを考えるように口を噤んだ。
 その時。
 詩音はふと視線を上げると、色素の薄いブラウンの瞳を細める。
 そして、上品な笑みを浮かべて言った。
「これはこれは、僕のお姫様。ご機嫌いかがかな」
「あ、詩音くん。どうしたの?」
 掃除当番の仕事を終えて2年Bクラスの教室に戻ってきた眞姫は、詩音の姿を見つけてにっこりと笑う。
 詩音は小さく揺れる眞姫の栗色の髪を優しく撫でながら、彼女に微笑みを返す。
「ちょっと騎士たちに用事があってね。それに僕の麗しのお姫様に会えて、王子は嬉しいよ」
 いつも通りの詩音の言葉に少し照れながらも、眞姫は今度は准に目を移した。
「拓巳の姿見えないけど、もう帰っちゃったの? あと、健人まだBクラスに来てない?」
「拓巳はさっき教室出て行ったよ。健人は見てないな、一緒に帰る約束してるの?」
 眞姫の問いにそう答えて、准は小さく首を傾げる。
 眞姫はその言葉にこくんと頷いた後、ふと顔を上げた。
 そして、ブラウンの瞳を細めて手を振る。
「あっ、健人。ちょうどよかった、私も今教室戻って来たところだったの」
「姫、帰るぞ。ていうか、詩音がBクラスにいるなんて珍しいな」
 ブルーアイをちらりと詩音に向けて、眞姫を迎えに来た健人はそう言った。
 詩音は健人のその言葉に、ふっと柔らかな微笑みを向ける。
「ご機嫌いかがかな、青い瞳の騎士。そうそう、まだAクラスに祥太郎いるよね?」
「ああ、祥太郎ならまだ教室にいるよ。それよりも詩音、青い瞳の騎士はやめろ」
「やっぱり祥太郎は教室なんだね。ありがとう、青い瞳の騎士」
「……おまえ、俺の言ったこと聞いてたか?」
 悪びれなく王子スマイルを浮かべてそう言う詩音に大きく嘆息した後、健人は気を取り直すように金色に近いブラウンの髪をかき上げた。
 そして、眞姫に言った。
「帰るぞ、姫」
「え? あ、うん。今カバン取ってくるから待ってて」
 健人の言葉に慌てて頷き、眞姫は教室に入っていく。
 それからカバンを取ってきた眞姫は、詩音と准を交互に見て手を振った。
「じゃあふたりとも、また明日ね」
「うん。またね、姫」
「僕のお姫様、また運命の再会を果たせる時を楽しみにしているよ」
 眞姫に笑顔を返し、詩音と准は歩き出したふたりの後姿を見送る。
 眞姫は途中、何度も振り返っては彼らに手を振っていた。
 それからふたりの姿が見えなくなった後、詩音は先程から何かを考えるように神妙な顔をしている准に目を向け、そしてこう言ったのだった。
「さあ、じゃあ僕たちも行きましょうか、騎士」




 2年Bクラスの教室の前で詩音と准と別れた眞姫と健人のふたりは、階段を下りて靴箱に向かっていた。
 途中すれ違うクラスメイトに手を振って軽く挨拶を交わしつつ、眞姫は隣を歩く健人に言った。
「あ、そうだ。帰り、ちょっと本屋に寄って帰ってもいいかな?」
「ああ。じゃあついでに、どこかでお茶でもして帰るか?」
 絶好のチャンスを逃すまいと抜かりなくそう言った健人の言葉に、眞姫はこくんと大きく頷く。
「うん、そうだね。お茶して帰ろう、健人」
 そんな彼女の返答に満足したように微笑んでから、健人はちらりとブルーアイを時計に向けた。
 まだ時間的には、そんなに遅くはない。
 眞姫とふたりきりのこれからの下校時間を密かに楽しみにしながらも、健人は彼女の頭を軽くぽんっと叩く。
「じゃあ靴履き替えたら、いつもと同じ校舎の入り口な」
 クラスが違い靴箱が離れているため、健人は眞姫にそう言った。
 そして一旦彼女と分かれ、自分の靴箱へと向かう。
 それから2年Aクラスの靴箱にたどり着き、自分の靴箱を開けた。
 ……その時だった。
「…………」
 健人はその表情を、ふと変える。
 そして、靴箱に入っていたあるものを手に取った。
 それは……一通の手紙。
 見た目美少年故に、何かとこういう類の手紙が靴箱に入っていることに慣れている健人だったが。
 だが何気にその中身を見た瞬間、途端に怪訝な表情を浮かべる。
 そしてはあっと大きく溜息した後、もう一度腕時計に視線を向けた。
 それから靴を履き替え、眞姫の待つ場所へと歩き出す。
「健人? どうしたの?」
 先に靴を履き替え終わって健人のことを待っていた眞姫は、彼の表情が先程と変わっていることに気がついて首を傾げた。
 そんな眞姫に青い瞳を向け、健人は再び深い溜め息をつく。
 そして、言ったのだった。
「悪い、姫。急に用事ができたから、今日は先に帰っててくれないか?」
「え? あ、うん。でもすぐに終わる用事なら待ってるよ?」
「どのくらいで終わるか分からないんだ、また明日一緒に帰ろう。その時にお茶もしような、姫」
 本当に残念そうな様子の健人に、眞姫は不思議な顔をしつつ頷く。
「うん、分かった。じゃあ、また明日の朝ね、健人」
「ああ、ごめん。また明日な、姫」
 自分に手を振って歩き出した彼女の後姿を名残惜しそうに見つめた後、健人は何度目か分からない溜め息をついた。
 そしておもむろに表情を変えると、眞姫とは違う方向に歩き出したのだった。