――次の日の朝。
 電車が駅に到着し、同じ聖煌学園の制服を着た生徒の波が一斉に改札口の方向に流れる。
 その流れに逆らわずホームに出た健人は足を止め、いつものように一歩遅れて電車を降りて来た眞姫に綺麗なブルーアイを向けた。
 眞姫は自分を待っている健人の姿を確認し、タッタッと小走りで彼の隣に並んだ。
 そんな眞姫の頭を軽くぽんっと叩いてから、健人は再び歩き出す。
 ふたりは改札を通り、地下鉄の駅の階段を上り始める。
 そして地上に出た、その時だった。
「雨、か?」
「降ってきちゃったね、天気予報は今日は降らないって言ってたんだけど。でもよかった、念のために傘持ってきてて」
 ぽつりと小さな雨粒が落ちはじめた薄暗い空を見てから、眞姫は薄紫色の傘をさした。
 それからにっこりと微笑んで、傘を持っていない健人に差し出す。
「はい、健人。ちょっと狭いけど、一緒に入ろ」
「姫……ああ、悪いな。俺が持つよ」
 思わぬ眞姫との相合傘に、健人は青い瞳を嬉しそうに細めた。
 女性用のその傘はふたりで入るには少し小さく、自然と相手との距離が近くなる。
 傘に落ちる雨音を聞きながら、ふたりは学校への道を歩き出した。
 健人は眞姫に歩調を合わせ、そして隣で楽しそうに話をしている彼女に目を向ける。
 それから、何かを考えるようにふっと小さく溜め息をついた。
「健人? どうしたの?」
 いつもと少し様子の違う彼の様子に気がつき、眞姫は小首を傾げ上目使いで健人を見る。
 健人は首を振り、優しい微笑みを眞姫に向けた。
「いや、何でもないよ。それで、日本史の大河内先生の授業の時どうしたって?」
「え? あ、大河内先生の授業の時ね、拓巳ったらね……」
 眞姫は小さく首を傾げたが、再び話を続ける。
 いつものようにそんな彼女の話を楽しそうに聞いている健人だったが。
 眞姫の笑顔を見つめるその表情は、普段のものとは少しだけ違っていた。
 ……その理由は。
 健人は眞姫と話をしながらも、昨日の部活の臨時ミーティングのことを思い出していた。
 思わぬ“邪者四天王”である渚の出現に、最初は驚いていた健人だったが。
 その驚きの感情が怒りの感情に変化するのに、時間はかからなかった。
 こともあろうに自分たち“能力者”に喧嘩を売っているとしか思えないような、渚の言動。
 眞姫のことを誰よりも想っているとそれぞれ思っている少年たちにとって、あの彼の暴言は許し難いものだったのだ。
 特に眞姫のことになると人一倍過剰に反応を示す健人にとって、止められなければ間違いなく“結界”を張っていたに違いない。
 だが准の話によれば、眞姫は猫をかぶって本性を隠しているとはいえ渚と仲がいいらしい。
 行われた臨時ミーティングでの鳴海先生の指示でも、眞姫には渚が“邪者四天王”であることはしばらくは伏せておくようにと言われていた。
 学校で騒ぎを起こすのは好ましくない上、いずれ分かるにせよ眞姫に余計な心配をかけさせないためである。
 鳴海先生が眞姫のことを気にかけているのには、理由があった。
 その強大で唯一無二の特殊な“浄化の巫女姫”の力は、同じ“正の力”を使う普通の“能力者”とは少し違い、少しずつ徐々に力が目覚め、およそ二十歳程度ですべての能力覚醒を果たすと言われている。
 強大な力に対して、長い時間をかけて身体を慣らすためである。
 だが眞姫の場合は、その覚醒のスピードが速すぎるのだ。
 その理由のひとつには、“邪”や“邪者”と多く接触することで“負の力”に触れ、眞姫の中の“正の力”が刺激されているということがあった。
 さらに向上心旺盛な眞姫の性格が、能力の早期覚醒に拍車をかけていた。
 鳴海先生は、そんな眞姫の身体にかかってくる負担を心配していたのだった。
 詩音以外の少年たちは、先生の母親が先代の“浄化の巫女姫”であることをまだ知らない。
 先生は、元々心臓の弱かった母親の身体に大きな負荷をかけた“浄化の巫女姫”の力の大きさをよく知っていた。
 だから、余計に眞姫のことを気にかけているのだった。
 そして今回鳴海先生から少年たちに与えられた指示は、眞姫にはまだ渚のことは言わずに彼女を守るというものであった。
 渚がこれから何をしようとしているのかも分からない今、まずはしばらく眞姫を守りながら様子を見るということなのだ。
 もちろん健人は、“能力者”として“浄化の巫女姫”である眞姫のことを守ろうと思っている。
 だがそれ以上に、ひとりの男として自分が眞姫のことを守りたいと強く思っていた。
 それは健人だけでなく、映研部員の少年たちも同じである。
 そんな少年たちへの渚の昨日の言動は、彼らに対する宣戦布告としては十分すぎるものだった。
 ……昨日の渚の言葉を思い出し、少し眉を顰めた健人だったが。
 次の瞬間、ふと何かに気がついたように表情を変える。
 それから傘を持つ手を変え、言った。
「姫、肩が濡れてるぞ。ちゃんと傘入ってるか?」
 パタパタと眞姫の肩についている雨露を払った後、健人はそっと彼女の肩を抱いて自分の方へ引き寄せる。
「あ、うん。健人もちゃんと入ってる? 少し小さめだもんね、この傘」
 そう言って眞姫は心持ち健人に身体を寄せた。
 そんな眞姫に微笑んでから、そして健人は眞姫の肩を抱いたまま青い瞳を細めて呟いたのだった。
「おまえは俺が守ってやるからな、姫……」
 ――同じ頃。
 眞姫たちよりも早くすでに学校に到着していた准と拓巳は、廊下を歩いて教室に向かっていた。
「なあ、准。今日の英語の課題なんだけどよ……」
「やってきて当然だろ、拓巳。ていうか、絶対見せないからね」
「んだよ、まだ何も言ってないだろっ。俺だって、今日はちゃんとやってきたんだぜ?」
 むっとした表情を浮かべる拓巳に、准はちらりと目を向ける。
 それからわざと大きく溜め息をつき、言った。
「珍しいこともあるもんだね。あ、だから今日雨降ってるのか」
「いちいちうるせーなっ。それにしても、准が傘持っててよかったぜ。急に降ってきやがったからな、雨」
「あのね、何が悲しくて拓巳と一緒の傘に入らないといけないんだよ。だいたい急にって言ってるけどね、朝から相当曇ってたし。どうせ僕が持ってくるのをあてにして持ってこなかったんだろ? いつだって他力本願なんだから」
「別に減るもんじゃないし、いいじゃねぇかよ」
 じろっと冷たい視線を向ける准を後目に、拓巳は悪びれなくそう言った。
 そして漆黒の前髪をかき上げ、ふと顔を上げた。
 ……その時。
 拓巳はおもむろに表情を変え、一点を見据える。
 それから声のトーンを落とし、ゆっくりと口を開いた。
「おい、准。見ろよ」
「え? あ……」
 拓巳の視線を追った准も、途端に怪訝な表情を浮かべる。
 そんなふたりの視線の先には。
「清家先輩、まだ来てないのかなぁ。せっかく迷わないで先輩の教室まで来れたと思ったのに。あ、これってもしかしてふたりに対して神様が与えた愛の試練? ていうか、そんな試練与える神様いたら余計なお世話だよ、ホント」
 ジャニーズ系のあどけない顔に似合わず眉を顰め、2年Bクラスの教室の前にいた少年・渚はぶつぶつと呟きながらチッと舌打ちをする。
 拓巳はキッと目を向け、そんな彼に言った。
「何やってんだ、おまえ」
「あ、おはよーございます、先輩方」
 渚は自分に視線を投げる拓巳の様子に怯む様子もなく、とってつけたように可愛らしい顔ににっこりと笑顔を作る。
 それからふうっと嘆息した後、続けた。
「僕の清家先輩、まだいらっしゃってないんですか? 別に会わなくていい先輩には会えて、愛しの清家先輩には会えないなんて……僕って何て可愛そう」
「おまえな、俺たちに喧嘩売ってるのか!? ったく、ぶっ飛ばされたくなかったらさっさと1年の教室に戻りやがれっ」
「拓巳、落ち着いて」
 ぐっと拳を握り締める拓巳を宥めた後、准は渚に視線を移す。
 それから渚に負けないくらいわざとらしい笑顔をにっこりと作り、口を開いた。
「おはよう、相原くん。もうすぐホームルームも始まるよ、自分の教室に戻った方がいいんじゃない? それが君の身のためでもあるし。何なら、今度は僕が教室まで送ってあげようか?」
 渚は准の言葉を聞いて色素の薄い髪をかき上げた後、ふと視線をふたりから外す。
 それからとってつけたようにぺこりと一礼をして歩き出した。
「心配には及びませんよ、芝草先輩。んじゃ先輩方、失礼しまーすっ」
 そして、足取り軽く渚が向かった先には。
「清家先輩! おはようございますっ」
「あっ、渚くん? どうしたの?」
「いえ、実はまた迷っちゃって……気がついたら、こんなところまで来ちゃってました」
 ようやく学校に到着して2年Bクラスの教室に向かっていた眞姫は、渚の姿を見て微笑む。
「そうなんだ、本当はどこに行こうとしてたの?」
「えっと、職員室なんですけど。また見当違いだったかな」
 自分たちと話している時と全く印象の違う声でそう言う渚に、拓巳は面白くなさそうな表情を浮かべた。
「よく言うぜ、姫に会いに来たくせによ」
「…………」
 准は渚の行動に注意を払うように視線を向けたまま、怪訝な顔をしている。
「職員室? 職員室ならこの階段を1階まで降りて渡り廊下を渡ればすぐよ、渚くん」
「あ、そうなんですね。いつもありがとうございます、先輩」
 そう言った後、渚は甘えるようにちらりと上目使いで眞姫を見て続けた。
「すみません、いつも先輩の優しさに甘えちゃって……ご迷惑じゃないですか?」
「そんなこと全然ないよ。私で分かることなら、いつでも聞いてね」
「はい、ありがとうございます」
 優しく微笑む眞姫の顔に見惚れてから、渚は嬉しそうに笑っている。
「なぁ……あの野郎、今すぐボコボコにしてもいいか?」
「今はまだ駄目だよ、拓巳。でも、ボコる時は絶対僕も呼んでよね」
 渚の豹変振りを目の当たりにし、准と拓巳はぽつりとそう呟く。
 そんなふたりの様子を気にもとめず、渚は眞姫に満面の笑顔を向けた。
「じゃあ清家先輩、僕はこれで失礼しますね」
 ぺこりと丁寧に頭を下げた後、渚は廊下を歩き出した。
 そして眞姫はブラウンの瞳で彼の後姿を見送った後、ようやく拓巳と准の姿に気がついたのだった。
「あ、おはよう。拓巳、准くん」
 自分たちに向けられた彼女の笑顔を見つめ、ふたりは軽く手を上げる。
「おう。おはよう、姫っ」
「姫、おはよう」
 渚が実は“邪者四天王”であることは、眞姫にはまだ言えない。
 少年たちは渚の本性を今すぐにでも眞姫に話したい気持ちを抑え、そして彼女とともに教室へと入っていったのだった。




 ――その日の夕方。
 繁華街の噴水広場の時計をちらりと見た後、その少年は待ち合わせ場所にようやく現れた少女に目を向ける。
 それからハンサムな顔にニッと笑顔を浮かべ、言った。
「相変わらずの社長出勤ぶりやなぁ。ま、それが綾乃ちゃんらしいんやけどな」
「はろぉ、祥太郎くんっ。今日もやっぱりハンサムねぇっ」
 待ち合わせ時間を大幅に遅れているにも関わらず能天気ににっこりと微笑み、綾乃は待っていた祥太郎を見る。
 祥太郎はそんな綾乃の様子に慣れているように怒る気配も全く見せず、うーんと考える仕草をした。
「今日はどこでラブラブデートしよか? どこかで愛を語り合いたいんやけどなぁ」
 綾乃はその祥太郎の言葉に、ふっと漆黒の瞳を細める。
 それから瞳と同じ色の長めの髪をかき上げ、言ったのだった。
「そうねぇ。じゃあ、駅前にできたばかりのお店でケーキ食べたいなぁっ。ていうか、今日は祥太郎くんの奢りなんでしょ? 愛を語り合うってより、“邪者四天王”のコトが話題の中心になるみたいだからね」
 くすっと笑ってそう言う綾乃に、祥太郎はふっと視線を返す。
 そして表情を崩さず相変わらず笑顔を向けたまま、彼女の言葉に答えた。
「そんなコトないで? 愛を語り合いながら、ついでに“邪者四天王”のことでも聞こっかなぁってカンジやで。ま、今日は俺が呼び出したからな、俺の奢りは構わんけどな」
「わーい、奢ってくれるんだぁっ。じゃあ早速ケーキ食べに行こっ。祥太郎くんっ」
 奢りと聞いて嬉しそうに笑い、綾乃は祥太郎の腕を引く。
 祥太郎は自分の考えが簡単に見透かされたことに苦笑しつつも、はしゃいだように歩く綾乃に目を向けた。
 普段は友達として彼女と仲良く接している祥太郎だったが、今日は少し状況が違う。
 綾乃の言う通り、祥太郎は昨日部室に現れた渚のことを聞こうと彼女を呼び出していた。
 ふたりの立場を考えたら仕方ないのだが、“能力者”として彼女と会う時はどうしても友達同士というよりも打算的な付き合い方になってしまう。
 そのことは今に限ったことではないとはいえ、やはり祥太郎にとって複雑な気持ちであることには変わりない。
 今は仲良く友達として付き合っていても、いつかふたりが敵同士として戦うことになるかもしれないのだ。
 だが、その時はきっと……。
 祥太郎は小さく溜め息をついた後、気を取り直して手招きする綾乃に続いた。
 それからふたりは綾乃の指定した駅前のケーキ屋に入って席につき、早々に店員に注文を済ませた。
 綾乃はメニューを満足そうに見て閉じた後、祥太郎に目を向ける。
 そして、楽しそうに言った。
「祥太郎くん、渚が早速何かやらかした? それでどんなバカなコトやったの、あいつ?」
「え?」
 祥太郎は綾乃の言葉に、意外そうな表情を浮かべる。
 綾乃は祥太郎の反応を見て首を傾げた。
「あれ、話って渚のコトじゃないの?」
「いや、そうなんやけど……えらい楽しそうやな、綾乃ちゃん」
「だって、あいつってやることいつも考えなしでバカなんだもーんっ。今度は何したのかなーって思って。それにさ、渚も眞姫ちゃんのこと気に入ってるでしょ。何だか面白いことになりそうだよねぇっ」
 きゃっきゃっとはしゃぐ綾乃とは逆に、祥太郎は昨日渚の言ったことを思い出して苦笑する。
「何って、俺ら“能力者”5人相手に堂々と宣戦布告かましてくれたで。姫と自分の結婚式には俺らも呼んでくれるんやて」
「マジで? またそんなこと抜け抜けと言ったんだぁ。それで、誰かキレたりしなかった? 例えば、あの短気な蒼井くんとか」
 以前自分の煽る言葉に素直にキレていた健人のことを思い出し、綾乃はくすくすと笑った。
「健人はもちろん、全員ピキピキ頭きてたで。でもイキナリああくるとは、まさか思わんかったからな」
「勉強はできても、本当に渚って自信過剰でやること無謀でバカなんだから。あいつの言うコトなんていちいち真に受けてたら、キリないって」
「あの“邪者四天王”、今年の入試1番で入ったらしいから信じられんよなぁ。ジャニーズ系な顔してるくせに、言うことは過激やし」
 祥太郎はそう言って大きく溜め息をつく。
 それから改めて、ふっと綾乃に視線を向けた。
「それで、その渚クンなんやけど。本人も言ってた通り、やっぱ“邪者四天王”のひとりで間違いないんやな。それで、一体何やらかそうとしてるんや?」
 祥太郎の表情の変化に気がついた綾乃は、おもむろに漆黒の前髪をかき上げる。
 そして、何の躊躇いもなくこくんと頷いた。
「うん。渚もああ見えて私と同じ“邪者四天王”だよ。けど、あいつがこれから何やろうとしてるのかは詳しくは知らないわ。でもね、祥太郎くん……」
 綾乃はそこまで言って、漆黒の瞳を細める。
 それからふっと笑みを浮かべ、こう言葉を続けた。
「祥太郎くんみたいな戦い方をするタイプ、ちょっと渚と戦うのは相性悪いかもね」
「どういうことや、それ?」
「渚って口の悪いガキだけど、“邪者四天王”だから大きな“邪気”と高い身体能力は持ってるってわけよ。それに加えてあいつの場合、特殊能力がまたいやらしいのよねぇ」
 祥太郎の問いに直接的には答えず、綾乃はそう言った。
 祥太郎は首を傾げ、再び聞いた。
「あいつの、特殊能力?」
「うん。祥太郎くんみたいなタイプにとっては、かーなり厄介だと思うよ」
 綾乃はそこでふと言葉を切る。
 それから店員が運んできたケーキに目を向け、パッと明るく表情を変えた。
 そしてケーキと一緒に運ばれて来た紅茶に砂糖を入れてかき混ぜてから、綾乃はにっこりと祥太郎に微笑む。
「じゃあ祥太郎くん、いただきまーすっ」
 無邪気にイチゴのミルフィーユをぱくっとひとくち食べた後、綾乃は目の前で何かを考えるような表情の祥太郎を見た。
 それから、ふっと彼に笑う。
「ケーキ奢ってくれたから、ひとつだけ教えてあげちゃおっかな。祥太郎くん」
「え?」
「渚の“赤橙(オレンジ)色の瞳”には要注意よ、祥太郎くん」
 顔を上げた祥太郎を見つめ、綾乃はそう言ったのだった。
「“赤橙色の瞳”?」
「あっ、祥太郎くんのチーズケーキも美味しそうっ。でも、フルーツタルトも美味しそうなんだよねぇ」
 まだ“能力者”としての顔をしている祥太郎を後目に、綾乃は再びメニューを手に取って悩むように視線を落とす。
 そんな彼女の表情はすでに“邪者”としてのものではなく、ひとりの高校生の少女のものに戻っていた。
 祥太郎はようやくコーヒーをブラックで一口飲んでから、目の前で2個目のケーキを品定めしている綾乃を見る。
 きっとこれ以上聞いても、綾乃は何も教えてはくれないだろう。
 今までの付き合いから、それが綾乃の態度を見て祥太郎には分かったのだった。
 祥太郎はようやくハンサムな顔に微笑みを浮かべ、綾乃に向ける。
「ま、今日は太っ腹な俺の奢りやからな。ドーンと頼んでええでっ。とはいえ、ちょーっとくらいは手加減してな」
「あはは、大丈夫っ。本当は全種類食べてみたいんだけど、今日はやめとくよ」
「って、全種類かいっ。考えただけで胃がどうかなりそうや……」
 祥太郎は再びコーヒーを口に運び、それからテーブルに頬杖をつく。
 そして一瞬何かを考えるように瞳を細め、無意識に前髪をかき上げたのだった。