――3月1日、火曜日。
 寒さも少しずつ和らぎ、春の足音が次第に聞こえ始めている。
 だが、日が落ちるとまだ上着が必要なくらい肌寒くもあった。
 繁華街の御用達の喫茶店で、学校の終わった智也とつばさのふたりはお茶をしていた。
「綾乃って、つばさちゃんと同じ高校だったよね? 学校終わったらすぐ来いって言ったのに」
 はあっと嘆息する智也に、紅茶をひとくち飲んでからつばさは目を向ける。
「やっぱり帰りに綾乃の教室に迎えに行った方がよかったかしら」
「いや、つばさちゃんと先に話しておきたかったからいいんだけどね。あいつが遅れてくるのは分かってることなんだけど、今日は杜木様もいらっしゃるからな」
 心配そうにそう言って時計を見た後、智也はふっと漆黒の瞳を細めた。
 そして同じ色の前髪をかきあげて続ける。
「それにしても、綾乃も呼んでよかったのかな……今更だけど心配になってきたよ」
「そうね、あの子は1年半前のことになったら見境がなくなるから。でも、智也は綾乃も呼んだ方がいいって思ったんでしょう?」
「そうなんだけどね、でも心配だよ」
 テーブルに頬杖をつき、智也はもう一度溜め息をついた。
 そんな智也につばさは聞いた。
「そういえば、この間は邪魔も入らずにお姫様とデートできたみたいじゃない。愛しのお姫様と一体どんな話をしたのかしら?」
「楽しくいろいろお喋りしたよ。本当に眞姫ちゃんって可愛くてさ、ますます好きになっちゃった」
 その時のことを思い出し、智也は笑みを浮かべる。
 それからふっとひとつ息をついて言った。
「それに俺もお姫様から聞いたよ、例の杜木様の親友だった“能力者”の話。仕事の話をついしちゃうあたり、悲しいけど俺って“邪者”の鑑ってカンジ?」
「そうね、貴方は本質は真面目だからいろいろ性格的にも大変そうよね。ほかの四天王は癖がありすぎるし」
 くすっと笑って自分を見るつばさに智也は思わず苦笑する。
 そしてブラックのコーヒーを飲んでから、ふと考える仕草をした。
「つばさちゃん、杜木様は答えてくださると思う? 俺らの質問に」
「どうでしょうね、杜木様にもお考えはあるでしょうし」
「杜木様に考えがあるのに、俺たちが余計な詮索をしてもいいんだろうかって気もしないでもないんだよね……綾乃にとっても、きっと辛い話だろうし」
 うーんと悩む智也に、つばさは漆黒の瞳を向ける。
「でも、貴方は知りたいんでしょう? 1年半前の出来事の真実と、杜木様の親友だという“能力者”について。ていうか、智也って結構いい人よね」
「結構ってね、かなりいい人じゃない? 俺って」
「ほかの四天王がああだから、そう見えるだけかもしれないけど」
 悪戯っぽく笑う智也にそう言って、つばさは肩より短いセミロングの髪をそっとかき上げた。
 この日、智也とつばさはこの喫茶店に杜木と綾乃を呼んでいた。
 その理由は、杜木に確かめたいことがあったからである。
 ひとつは1年半前の出来事――涼介が綾乃の憧れの人物を殺したことについて。
 智也たちには、涼介が綾乃を煽るためにその人物を薬の実験台にして殺したのだと聞いている。
 だが、最近の涼介の言動を見ていると、何か自分たちの知らない事実が隠されている気がしていたのだ。
 そしてふたりは悩んだ挙句、当事者である綾乃もこの場に呼んでいたのだった。
 それから、もうひとつ。
 杜木に“能力者”の親友がいるということについてである。
 昔は杜木も“能力者”であったことは知っているので、その時の親友といえば何ら不自然なことはないといえばそれまでなのだが。
 だが杜木は自分たち“邪者”を統率する存在であり、“能力者”はそんな“邪者”の敵である。
 しかも眞姫の話では、杜木の親友である人物は“能力者”の指導と統率に携わっているだという。
 いわば、対立する勢力の頂点に立つ者同士であるのだ。
 智也は今まで杜木の口から語られることのなかったその人物に、少なからず興味を持っていたのだった。
「あら……よかったわね、智也。綾乃の方が杜木様よりも先に来たみたいよ?」
 つばさはふと窓の外に視線を向けて、漆黒の瞳をふと細める。
 それからしばらくして、つばさの言う通り綾乃が先に喫茶店に姿を現した。
「はろぉっ、おふたりさんっ」
「おまえなぁ、学校終わったらすぐ来いって言ったろ?」
 相変わらず悪びれのない綾乃の様子に、智也は大きく嘆息する。
 そんな智也の隣に座り、綾乃はにっこりと笑った。
「やだなぁ、これでも学校終わって駆けつけたんだけど?」
「駆けつけた割には、同じ学校のつばさちゃんから随分遅れての到着だよなぁ、綾乃」
「まぁまぁっ、細かいことは気にしないっ。慌てない慌てない、一休み一休みって言うでしょ?」
「ていうか、一休さんかよ! おまえは少しは慌てろよな、杜木様も今日いらっしゃるんだし」
 一応ツッコミを入れて、そして智也は呆れたように再び溜め息をついた。
 智也の言葉に楽しそうに笑い、綾乃は言った。
「ちゃんと几帳面にツッこんでくれるトコとか好きよ、智也」
「おまえな……やっぱり俺って、損な性格だよなぁ」
「漫才は終わったかしら? おふたりさん」
 紅茶を飲んでから、ちらりとひとり冷静につばさはふたりに目を向ける。
 それから漆黒の瞳を店の入り口へと向けて言葉を続けた。
「杜木様がいらっしゃったようよ」
 嬉しそうにつばさがそう言った、次の瞬間。
 智也と綾乃も反射的に店の入り口に視線を移す。
 強大であり、そして静かな“邪気”を宿すその人物。
 彼が店に足を踏み入れた途端、周囲の空気が印象を変える。
 決して派手でないシックないでたちであるが、その存在感は大きく、自然と彼に目が向いてしまうのだ。
 柔らかく深い漆黒の瞳を3人に向け、現れた人物・杜木慎一郎は言った。
「待たせてすまなかったね」
 美形の顔に微笑みを浮かべ、杜木は上着を脱ぐ。
 それから通りかかったウェイトレスにコーヒーを頼み、つばさの隣に座った。
「杜木様、こんにちはぁっ。綾乃ちゃんも今来たところなんですよぉ」
「綾乃、いい子にしていたかな?」
 ふっと綾乃に笑顔を向け、杜木は漆黒の瞳を細める。
「杜木様……」
 つばさは隣の杜木を見つめて嬉しそうな表情を浮かべた。
 杜木はそんなつばさの髪を優しく撫でた後、言った。
「私に聞きたいことがあるそうだが、何かな?」
「そういえば、綾乃ちゃん何で今日呼ばれたか聞いてないんだけど?」
 杜木の言葉に、綾乃はふと首を傾げる。
 つばさはそんなふたりの言葉を聞いて智也に目を向けた。
 つばさの視線に気がついた智也は、意を決して口を開く。
「実は、杜木様……」
 その時だった。
 つばさはハッと顔を上げ、漆黒の瞳を大きく見開く。
 それから表情を変え、言った。
「! 涼介……」
「え?」
 話を始めようとした智也は、思わず言葉を切る。
 それからつばさの視線を追い、驚いた表情を浮かべた。 
 綾乃は途端に怪訝な顔をし、はあっと大きく嘆息する。
 杜木は表情を変えずに運ばれてきたコーヒーを口にした。
「これはこれは、皆さんお揃いで。僕も仲間に入れて欲しいな」
 甘いマスクに微笑みを浮かべ、喫茶店に現れた涼介はその場にいる全員を順番に見た。
 智也は綾乃の様子を気にしながらも涼介に聞いた。
「涼介、何でおまえがここに?」
「杜木様がこの店に入っていかれるのを偶然見てね、覗いてみたら面白いメンツが揃ってたから僕も入れてもらおうかなと」
 そう言いながら椅子に座る涼介に、綾乃はキッと視線を向ける。
「何であんた勝手に座ってるのよっ」
「ちょうどよかったわ。今から杜木様に、1年半前の出来事についてお聞きしようと思っていたところだったから」
 つばさは涼介に瞳を向け、そう言った。
 その言葉に反応したのは、涼介ではなく綾乃であった。
「え? 1年半前の出来事って、それって……」
 智也は綾乃の言葉に複雑な顔をしてから、そして涼介に視線を移す。
「涼介、おまえ1年半前に綾乃の憧れの人を殺したよな。それって、本当に薬使ったために殺したのか?」
「どういうこと、それ?」
 綾乃は表情を変え、智也を見る。
 涼介は綾乃の様子にくすっと小さく笑った。
 それから少し長めの漆黒の前髪をかきあげ、智也の問いには答えずに杜木に視線を移す。
 杜木は全員の様子をぐるりと一通り見てから、ゆっくりと口を開いた。
「いずれは話しておかなければいけないと思っていたからな、いい機会だ」
「杜木様?」
 綾乃は漆黒の瞳を杜木に向け、小さく首を傾げる。
 そんな綾乃に視線を移した後、杜木はふと柔らかな色を湛える黒の瞳を閉じた。
 そして次に彼が瞳を開いた、その瞬間。
 彼の両の目はその印象を変えていた。
 杜木の闇のように深い漆黒の瞳を見て、全員の表情が引き締まる。
 杜木は全員を一通り見つめた後、静かにその口を開いた。
「涼介に松岡恭平を殺せと命じたのは、この私だ」
「……え?」
 杜木のその言葉に綾乃は瞳を大きく見開く。
 そんな綾乃に目を向け、もう一度杜木は言った。
「1年半前、私が涼介に彼を殺せと命じたんだよ」
「うそ……杜木様っ、うそでしょう!? 第一、どうして恭平さんを殺す必要がっ」
 ガタッと立ち上がり、綾乃は大きく首を振る。
「綾乃っ」
 智也は信じられない様子の綾乃を宥めるように彼女の肩を優しく叩き、そして座らせる。
 杜木は表情を変えず、話を続けた。
「おまえの前では巧妙に隠していたようだが、松岡恭平は“能力者”だったんだよ。それが理由だ」
「恭平さんが“能力者”!? そんなのっ……」
 急に伝えられた事実が受け入れられず、綾乃は困惑した様子を隠せない。
 涼介はひとり楽しそうな表情をし、口元にニッと笑みを浮かべる。
「そういうことなんだよ、綾乃。このことは綾乃には黙っているように言われてたから、薬のことは苦しい言い訳だったんだけどね」
「あんたは黙っててよっ!」
 キッと涼介を睨み、綾乃は瞳に溜まった涙を必死に零さずに耐えている。
 智也とつばさは事実に驚きを隠せないながらも、じっと様子を伺うように黙っていた。
「……綾乃」
 杜木は取り乱す綾乃に優しく声をかける。
 そして、再び話を続けた。
「私は過去、おまえも知っての通り“能力者”だった。だから松岡恭平とも面識があったんだよ。1年半前、街で偶然綾乃と彼が一緒にいるところを見かけた。彼は“能力者”の中でも腕の立つ人物であったし、“邪者”にとって“能力者”は敵……“邪者”として、私はやるべきことを行なった。それが、綾乃に辛い思いをさせることだと分かっていてもね」
「そしてこの僕に、彼を殺すように命令が下されたってことだよ」
 杜木の言葉に付け加えるようにそう言って、涼介はふっと不敵な笑みを浮かべた。
 綾乃はその事実に呆然とし、ただ言葉を失うしかなかったのだった。




 ――1年半前、蒸し暑い夏の日だった。
 その男・松岡恭平はちらりと腕時計を見た。
 夏休みを利用して子供たちに武術を教えている彼は、道場に向けて歩く速度を上げる。
 日に焼けた肌は健康的で、ハンサムではないが人の良さそうな優しい好青年である。
 その上真面目な性格の彼は、約束した時間に遅れることなど滅多になかった。
 子供たちが道場に集まる時間が間近に迫っており、恭平はさらに足を速める。
 ……だが。
 彼の優しそうなその顔には、何故か険しい表情が浮かんでいた。
 視線こそ向けないものの、彼の神経は歩みを進める進行方向とは逆の背後へと注がれていたのだった。
 そして。
 ふっと嘆息し、恭平はおもむろに立ち止まる。
 それから振り返り、口を開いた。
「……さっきからいるのは分かっているんだ、いい加減出てきたらどうだ?」
「気配を絶っていたつもりなのに、余裕でバレてたみたいだね」
 くすっと笑みを浮かべ、彼の前に姿を現した男・涼介は漆黒の瞳を細める。
 そんな涼介に警戒した視線を向けて恭平は言った。
「何か用があるから後をつけていたんだろう? おまえは一体何者だ」
「僕? そうだな、綾乃の同僚、とでも言えば分かるかな?」
 その言葉に、恭平は表情を変える。
「綾乃と同僚ということは、“邪者”か」
「巧く“気”を隠しているようだから、綾乃は君が“能力者”だということを知らないんだよね。“邪者”の綾乃に自分の正体を隠して近づき、一体何をしようとしているのかな?」
 涼介の漆黒の瞳を真っ直ぐに見つめてから、恭平は首を振った。
「何をしようとしているかだって? それはこっちの台詞だ。“邪者”は一体何をしようとしている? それに確かに綾乃は“邪者”だが、あの子はいい子だ。打算で近くにいるわけではないし、彼女が“邪者”だと気がついたのは最近だ」
「君が“能力者”だと知ったら、綾乃はどう思うだろうね」
 ふっと楽しそうにそう言う涼介を見て、恭平は怪訝な表情を浮かべる。
 それから時計に目をやって言った。
「悪いが俺は今急いでるんだ。用がないのなら消えろ」
 そんな恭平の言葉に、涼介は口元に不敵な笑みを浮かべる。
 そして、スッと右手を掲げた。
「生憎だけど、まだ僕の用は済んでいないよ」
「…………」
 涼介の右手に集結する強大な“邪気”を感じ、恭平は表情を引き締める。
 次の瞬間。
 漆黒の光が弾け、周囲に閑散とした空間“結界”が形成された。
 だが、こんな状況になることを予想していたかのように恭平に驚く様子はない。
 涼介は身体に“邪気”を纏い、漆黒の瞳を細める。
「君を殺せと言われてるんでね。急いでるところ悪いけど、もう少し僕に付き合ってくれないかな?」 
「“結界”に閉じ込めておいて、何を今更」
 そう言って、恭平は軽く身構えた。
 涼介はそんな様子にニッと笑みを浮かべ、そして“邪気”の漲った右手を天に掲げる。
 それから狙いを定めるかのように漆黒の瞳を細め、フッと手を振り下ろす。
「!」
 次の瞬間、空気を裂くように漆黒の光が弾ける。
 ドンッという衝撃音があたりに響き、立ち込める余波がその威力の大きさを物語っていた。
 涼介はふと視線を上げ、再び素早くその掌に“邪気”を宿す。
 そして瞬時に球体を形成した“邪気”の塊を、跳躍して先程の攻撃をかわしていた恭平に向かって放った。
 そんな様子に慌てることもなく、恭平も“気”をその手に漲らせて応戦する。
 涼介の“邪気”の塊を“気”によって難なく浄化させた後、恭平は着地した。
 そしてすぐさま涼介との間合いを縮める。
「……!」
 ヒュッと風の鳴る音が聞こえた瞬間、恭平の強烈な蹴りが涼介を襲う。
 それを腕でガードした後、涼介はその逆の手を素早く引き、“邪気”を至近距離の恭平に放った。
 その漆黒の光をすれすれのところで屈んで避け、恭平はぐっと右拳に力を込める。
 そして隙のできた涼介の腹部にそれを突き上げた。
「! くっ」
 鳩尾に強烈な一撃が入り、ぐらりと涼介の上体が僅かに揺れる。
 恭平は拳をスッと引き、瞬時に“気”を漲らせた。
 そして勢いをつけ、“気”の宿した拳で下から涼介の顎を打ち抜く。
 その衝撃の大きさに耐え切れず、涼介の身体がどさりと地に落ちた。
 恭平はそんな彼の姿をちらりと見て、そして周囲の“結界”を解除すべく右手を掲げる。
 その時だった。
「な……!?」
「あいたたた、始めから容赦ないなぁ」
 ふっと笑みを浮かべ、ゆっくりと立ち上がった涼介は黒髪をかきあげた。
 確かな手ごたえを感じていた恭平は、涼介の様子に瞳を見開く。
 そんなに気がつき、涼介は苦笑する。
「いやいや、さすがに効いたよ。少しでも反応遅かったらヤバかったなぁ」
「!」
 暢気な口調とは裏腹に、涼介の身体から強大な“邪気”が漲る。
 恭平は再び身構え、黒の衝撃に備えて右手に“気”を宿した。
 そしてふたりの掌から同時に眩い衝撃が放たれる。
 それがぶつかった瞬間、カアッと“結界”の中を大きな光が弾けた。
 お互いの衝撃の威力がちょうど中間でくすぶり、相殺されずに均衡状態となる。
 涼介はふっと口元に笑みを浮かべると、反対の手に宿した“邪気”を放った。
「ちっ!」
 クッと唇を結び、恭平も負けじと第二波を繰り出す。
 その瞬間、ドッと大きな衝撃が弾けて空気が渦を巻く。
 涼介は余波で視界の悪い中、瞳を凝らした。
 そして先程と同じように素早く自分との間合いを詰める恭平よりも早く、タイミングを合わせて涼介は蹴りを繰り出す。
 それを右手で受け流し、恭平は左拳をフック気味に放った。
 唸りを上げて襲いかかってきた攻撃を右手でしっかりと受け止めた涼介は、空いている左手に“邪気”を漲らせる。
 再び形成された漆黒の光の塊が、恭平目がけて放たれた。
「くっ!!」
 恭平はその衝撃を避けることを諦め、腕を十字に組んでビリビリと腕に伝わる衝撃に耐える。
 そして衝撃の重さに数歩後退りした恭平に、涼介は容赦なく“邪気”を繰り出した。
 ドオンッと複数の轟音が空気を振動させる。
 涼介は漆黒の瞳を細め、そしてふうっと嘆息した。
「あの体勢からこんな“気”の防御壁を張れるなんて、随分と器用だね。近距離攻撃も遠距離攻撃も防御力も高い。僕に命令が下される理由も納得だな」
 咄嗟に張った防御壁で漆黒の猛攻を防いだ恭平は鋭い視線を投げる。
「おまえこそ、ただの“邪者”ではないのだろう?」
「僕? んーまぁそうかな、“邪者四天王”だしね」
「“邪者四天王”!? “邪者”でも特に大きな力を持ち、その正体は不明だと言われている“邪者四天王”か? どうりで……」
 涼介の言葉に、恭平は驚いた表情を浮かべた。
 そんな恭平を見て涼介はふっと笑う。
「あれ、正体不明って知らなかった? 綾乃だって“邪者四天王”なんだけどな」
「なっ……綾乃が!?」
 さらに瞳を見開く恭平に、涼介は不敵な笑みを向けた。
「よかったじゃない、同じ“邪者四天王”でも相手がこの僕で。綾乃相手だったら君はどうしていたかな? それも見てみたかったけど、まぁ君にはここで死んでもらうからね」
「おまえに俺が殺せるのか? やれるものならやってみろ」
 そして再びふたりはお互い身構え、戦闘体制に入る。
 ふたりはお互い、この戦いは下手をすればかなりの長期戦になりそうだと感じていた。
 逆に一瞬の隙をみせるとそれが命取りになることも分かっていた。
 慎重に距離を見はかって、相手の動きに神経を集中させる。
 それからふたり同時に動きをみせた、その時だった。
「……何っ!?」
 ハッと顔を上げ、恭平は表情を変える。
 次の瞬間、彼の身体を無数の漆黒の光が襲った。
「ぐっ!!」
 突然繰り出されたそれらを防ぐことができず、飛ばされた恭平の身体は背後の壁に強く打ちつけられる。
 全身を駆け巡る痛みに耐え、恭平はギリッと歯を食いしばって衝撃の出所に視線を向けた。
 そして驚いた表情を浮かべ、呟いた。
「! おまえはっ……杜木、慎一郎っ」
 恭平目がけて繰り出された漆黒の光は、いつの間にか現れた杜木の掌から放たれたものであった。
 昔“能力者”であった時の彼と、何度か恭平は面識があった。
 そして数年前“能力者”であることを放棄し、“邪者”になったと聞いていた。
 そんな杜木の身体からは“気”ではなく、ゾクッとするほど強大な“邪気”が立ち込めている。
 恭平がそんな杜木に何かを言おうとした、その瞬間。
「……!!」
 自分を射抜くような殺気に気がつき、恭平は杜木から視線を外した。
 だが遅く、素早く間合いをつめた涼介の強烈な膝蹴りが恭平の腹部に突き上げられる。
 壁と膝に挟まれて腹部に受けた衝撃が抜けずに、思わず恭平は瞳を大きく見開く。
 涼介はそれでも攻撃を止めず、恭平の腹部中央にぐっと固めた拳を突きこみ、そして間髪いれずに脇腹に強烈な一撃を放った。
「かはっ……く、ふっ!」
 その衝撃に耐えようと足を踏みしめて何とか崩れる身体を持ちこたえた恭平であったが、受けたダメージは思った以上に大きく膝がカクンと折れる。
 涼介はニイッと口元に笑みを浮かべ、“邪気”を漲らせた右手をぐっと後ろに引く。
 そして、言った。
「さてと、僕の用は終わらせてもらうよっ!」
 次の瞬間、漆黒の光を纏った涼介の手刀が恭平の胸を貫く。
 ドッと鈍い音がしたかと思うと、漆黒の光が小さく弾けた。
「はっ……ぐっ、あ……っ!!」
 ズッと引き抜かれた涼介の手は、生暖かい鮮血で赤く染まっていた。
 恭平は自分の血で染まった地面にどさりと崩れ落ちる。
 涼介はふっと恭平から視線を外し、杜木に目を移した。
「杜木様が直に出向かれるなんて、いかがされました?」
「松岡恭平は腕の立つ“能力者”だからな、様子を見に来たのだが……どうやら、取り越し苦労だったようだな」
「ええ、杜木様のおかげで思いのほか早く片付けられましたよ」
 それから涼介はふっと笑い、言葉を続ける。
「ご心配されなくても、何も不穏な行動など致しませんよ。彼を殺せば、僕にだってプラスになるんですから。何て言ったって彼は綾乃のお気に入りですからね」
「…………」
 涼介の言葉に、杜木は複雑な表情を浮かべた。
 それから彼に背を向けて言った。
「あまり長い間“結界”を張っていると綾乃に気付かれる可能性がある。早々に後始末をし、退散しろ。綾乃には、松岡恭平のことは黙っていてくれ」
 そう言って“結界”を抜けようと杜木は“邪気”を宿した手を翳す。
 ……その時だった。
「はあっ、はっ……くっ、せめて最後に……っ!!」
「! 何っ」
 涼介はバッと振り返り、“邪気”をその手に漲らせる。
 それより早く、最後の力を振り絞って放った恭平の大きな“気”の光が杜木に襲いかかった。
 杜木はふっと深い闇のような瞳を細め、“邪気”を漲らせた掌を前に突き出した。
 グワッと一瞬にして膨れ上がった“邪気”が、杜木目がけて放たれた光の筋を包み込む。
 そして眩い光が弾けた瞬間、恭平の“気”は杜木の掌に受け止められ、浄化されて消滅する。
「あれほどの“気”がまだ放てるとは……だが、放った相手が悪かったな」
 そう言って踵を返し、杜木は“邪気”を漲らせてスウッと“結界”内から姿を消した。
 だが、そんな杜木の言葉はすでに恭平には聞こえてはいなかった。
「く……っ」
 力を使い果たした恭平は再び地に崩れ、貫かれた傷から流れる鮮血が地に広がる。
 ピクッと大きく痙攣した後、恭平は動かなくなった。
 涼介は二度と恭平の瞳が開かれることがなくなったのを確認し、ふっと微笑む。
 そして自分が待ちに待っていた人物の気配を感じ、視線を別の場所へと移した。
「おや、これはこれは……綾乃じゃないか」
 そこには涼介の“結界”に入り込んだ、綾乃の姿があった。
 思ったよりも綾乃の出現が早く少し意外な表情をした涼介だったが、楽しそうに彼女に目を向ける。
 だが、綾乃の瞳には真っ赤な血の海に横たわる恭平の姿しか映っていないようである。
 その膝はガクガクと振るえはじめ、そして声にならないくらいかすれた声で彼の名前を呟いている。
「きょ……恭平、さ……!?」
 綾乃の漆黒の瞳に映っているのは、強烈な赤。
 ドクドクとまだ流れる血で服が染まることを気にもせず、綾乃は地に伏せる恭平に駆け寄った。
 もう二度と彼の瞳が開かないことが分かっていた綾乃だったが、懸命に彼の傷口を塞ごうと“邪気”をその掌に漲らせている。
「綾乃、いくら傷を治そうとしたって、もう無駄だってこと分かっているだろう?」
 数歩綾乃に近づき、涼介はふっと笑みを浮かべた。
 綾乃は恭平の上体を支えたまま、漆黒の瞳を涼介へと向ける。
 そしてグッと握り締めた拳を震わせて、言った。
「どうして……どうして、彼を殺したのよっ!」
「……!」
 その瞬間、涼介は綾乃から強大な“邪気”が開放されるのを感じた。
 杜木に恭平の素性を口止めされているため、少し涼介は考える仕草をする。
 そしてニッと甘いマスクに不敵な笑みを浮かべ、綾乃の問いに答える。
「彼には僕の作った薬を飲んでもらったんだけどね、体質と薬とが合わなくて力が暴走し始めたんだよ。だから……」
「だから、殺したって言うワケ!?」
 ゆっくりと恭平の身体を地に寝かせ、綾乃は立ち上がった。
 彼女の“邪気”の大きさを物語るように、ふわりと彼女の漆黒の髪が揺れる。
 そんな様子に臆することなく、涼介は頷く。
「見ての通り彼は、この僕が殺したよ。それにしてもこれ程までに強い“邪気”を秘めてるなんて、やっぱり君は興味深いな。それにその憎しみに満ちた表情、憎しみによって膨れ上がった“邪気”、すごく綺麗だよ?」
「何ですって?」
 くすくすとそう言って笑う涼介に、綾乃は殺意に満ちた視線を向けた。
 それと同時に彼女の纏う“邪気”がさらに強大に膨れ上がる。
 そのあまりの大きさに空気が渦を巻く。
 涼介は長めの前髪をかきあげ、そして言った。
「君は確かにすごく強いから、この僕だって勝てる自信はないもんな。でもね……負けない自信もあるよ? さ、君に僕が殺せるかな」
「……殺せるわ、殺してやるっ!!」
 そんな綾乃の言葉と同時に、強大な光が“結界”内を包む。
 涼介は放たれた綾乃の漆黒の衝撃を見据え、瞬時に漲らせた“邪気”の塊をぶつける。
 ふたつの漆黒の光が衝突し合い、大きく弾けた。
 涼介は綾乃の“邪気”のプレッシャーに漆黒の瞳を輝かせる。
「この大きな“邪気”、ゾクゾクするよっ」
「許せない、絶対に許せないわっ!」
 グッと拳を握り締めた綾乃は殺気を漲らせた漆黒の視線を涼介に投げる。
 それから、ふとおもむろに胸の前で両の掌を合わせた。
 その瞬間。
 綾乃の“邪気”の大きさが数倍にも膨れ上がる。
 涼介はそんな綾乃の様子に興奮したように言った。
「その胸の前に両手を合わせる構え……まさか綾乃、“邪体変化”を使う気か!? 体内に封印している“邪”の力を最大限に発揮できる“邪者四天王”だけが使える奥の手……でも“邪体変化”は術者の身体に相当の負担がかかるんだよ、いいのかい?」
「あんたを殺せるのなら、私は何だってやるわよっ!!」
「!!」
 刹那、綾乃の身体から強大な“邪気”が一気に開放される。
 殺気と憎しみで染まった瞳を涼介に向けてから、綾乃はバチバチと音をたてる“邪気”を涼介に放った。
「くっ、さすがに“邪体変化”した綾乃じゃ、相手が悪い……!」
 涼介は“邪気”を漲らせ、全力を持って防御壁を形成させる。
 次の瞬間、今までで一番の衝撃音が轟き、周囲の風景すべてが吹き飛ぶ。
「ぐっ……連戦な上に相手が相手だし、かなりキツいなぁっ」
 何とか防御壁を張って持ちこたえた涼介だったがあまりの衝撃の大きさに思わず片膝をついた。
 だが彼は、追い詰められたこの状況を楽しんでいるようにも見える。
 綾乃は再び強大な“邪気”をその手に宿し、涼介に言った。
「涼介、覚悟はできたかしら?」
 そう言ってグッと“邪気”の漲った手を綾乃が引いた、その時。
 涼介はニイッと笑みを浮かべ、そして漆黒の瞳を細める。
「ねぇ綾乃、何か忘れてない?」
 そして。
「なっ!?」
 綾乃は次の瞬間、大きく瞳を見開いた。
 パンッと胸の前で両手を合わせた涼介の“邪気”が、先程の綾乃と同じようにグワッと一瞬にして大きくなる。
「僕も“邪者四天王”なんだから、綾乃と同じく“邪体変化”が使えるんだよ?」
「くっ、だから何よっ!! あんたはこの場で私が殺すんだからっ!!」
 綾乃はそう言って漲らせた“邪気”を放たんと右手を掲げる。
 そしてその手を勢いよく振り下ろした。
 空気を裂き、唸りを上げて綾乃の繰り出した衝撃が涼介を襲う。
 涼介はそれを真正面から受け止め、その掌に“邪気”を集結させる。
 そして綾乃の放った衝撃はすべて涼介の漆黒の光に浄化されたのだった。
「さ、これでまた互角かな? あとはお互いどれくらい“邪体変化”の負担に身体が耐えられるか、だね」
 楽しそうにそう言う涼介に、綾乃はさらに険しい表情を浮かべた。
 そして再び攻撃を仕掛けようと右手を引いた、その時。
「おまえたち、何やってんだっ!!」
 ガッと背後から右手を掴まれ、綾乃は振り返る。
「智也っ!?」
「何やってんだって言ってんだよっ!! “邪者”同士の争いはご法度な上に、ふたりして“邪体変化”なんて正気か!?」
 駆けつけた智也の手をバッと振り払い、綾乃は漆黒の瞳を彼に向ける。
 今まで見たことのないその憎悪に満ちた色に、智也は思わず息を飲む。
 ぐっと唇を噛み締めてから、綾乃はギュッと拳を握り締めて叫んだ。
「正気じゃないわよっ、そんなこと分かってるわよっ! でも私は涼介を絶対に殺すんだからっ!」
「おい、綾乃っ!」
 智也の制止も聞かず、綾乃は涼介に再び“邪気”を放った。
 そして涼介がそれを相殺させようと“邪気”を掌に宿した、その時。
「!!」
 涼介の張った“結界”内に一瞬にして満ち溢れた深い漆黒の“邪気”を感じたかと思うと、綾乃の放った光は消滅した。
 3人はハッと表情を変え、そしてぴたりと動きを止める。
「少しこれはやりすぎだ、涼介も綾乃もどちらもな」
「! 杜木様」
 智也は“結界”内に現れた杜木の姿を見て安堵の表情を浮かべた。
 杜木はゆっくりと綾乃に歩み寄り、彼女をぎゅっと抱きしめる。
 そして、柔らかな声で言った。
「いい子にしていないと駄目だろう? 落ち着いてごらん、私がそばにいる」
「杜木様……私っ」
 優しく頭を撫でられた綾乃は、杜木に身体を預けてぽろぽろと泣き出す。
 そして身体の力が抜けたようにカクンと膝が折れ、そのまま意識を失った。
“邪体変化”によって解放された大きな力に耐えられず、綾乃の身体はすでに限界だったのである。
 だがそれは、綾乃だけではなかった。
「涼介、今回は仕方ない結果とはいえ……少し派手にやりすぎたようだな」
 綾乃の身体を支えながら、杜木は涼介に目を向ける。
「すみません、杜木様……それにしてもハードでしたよ、今回のご命令は……」
「! 涼介っ」
 恭平との戦いの後で“邪体変化”を使った涼介の身体も、同じく限界を超えていた。
 気を失って地に崩れた涼介の上体を起こし、智也は大きく嘆息する。
「ったく、正気とは思えないよ。涼介も綾乃も」
 杜木は自分の腕の中で眠る綾乃に柔らかな漆黒の瞳を向けた。
 そして、ゆっくりと呟いたのだった。
「おまえの気持ちは痛いほどよく分かるよ、綾乃。自分で選んだ道を進んだ結果とはいえ、大切なものをなくした痛み……私には、よく分かる。今は私の腕の中でゆっくり休んでいなさい……」