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 2月26日・土曜日。
 繁華街の喫茶店で、つばさは注文したエスプレッソに砂糖を1つ入れた。
 それをゆっくりかき混ぜながら、正面に座っている少年に目を向ける。
 その少年・智也はそんな視線に気がつき、にっこりと人懐っこい微笑みを浮かべた。
「どうしたの、つばさちゃん? デートに誘ってくれるなんて嬉しいな」
 つばさはテーブルに頬杖をついてくすっと笑う。
 それからひとくちエスプレッソを飲んでから言った。
「今日は貴方を羨ましがらせようと思って」
「羨ましがらせようとって、何?」
 つばさの言葉に、智也は首を傾げる。
 そんな智也に漆黒の瞳を向け、つばさは彼の問いに答えた。
「この間お姫様とお茶したのよ、ふたりで」
「え? 眞姫ちゃんと?」
 智也は思いがけないことを聞いてふと表情を変える。
 彼のその表情の変化を楽しむようにつばさはさらに続けた。
「ええ、しかもお姫様からお茶しないかって誘われたの。羨ましいでしょう?」
「う、羨ましい……」
 素直にそう呟いてから、智也は溜め息をついた。
「最近会ってないからなぁ、眞姫ちゃんと。俺もデートしたいよ」
 それから注文していたコーヒーをブラックで飲んだ後、智也は漆黒の前髪をかきあげる。
 そして同じ色の瞳を細め、言った。
「それで、俺の愛しのお姫様と……どんな話したの?」
 つばさはその智也の言葉にふっと微笑む。
 カチャッとコーヒーカップをソーサーに置いてから、彼女は口を開いた。
「いろいろお話したわよ。思いがけないこともたくさん聞けたわ」
「思いがけないこと?」
 不思議そうにする智也に目を向け、それからつばさは表情を変える。
「ええ。杜木様のこと、とかね」
「杜木様のこと? どうして眞姫ちゃんが、杜木様のこと」
 意外なつばさの言葉に、智也は驚いた顔をした。
 つばさは再び智也の反応を見てから話を続ける。
「お姫様から聞かれたのよ、杜木様が“邪者”になられた理由を。それでお姫様、こんなことを言っていたわ……“能力者”の親友がいるのに、どうして杜木様は“邪者”になったんだろう、って」
「えっ、杜木様に“能力者”の親友?」
 はじめて聞く話に、智也は表情を変えた。
 つばさはコクンと頷いた後、一息つく。
 それから俯き、呟いた。
「私、ずっと杜木様のおそばにいたつもりだけど……まだあのお方の知らないところ、たくさんあるのね」
 大きく嘆息するつばさを気遣うように笑顔を向けてから、智也は言った。
「つばさちゃんはいいよ、杜木様と一緒にいられる時間たくさんあるから。俺なんて眞姫ちゃんとはなかなか会えない上に、会えてもいつも邪魔な“能力者”がいるしなぁ。それにまだ眞姫ちゃん、俺のこと警戒してるカンジだし。それに比べれば、つばさちゃんが羨ましいよ」
 そんな智也の言葉に、つばさは小さく微笑む。
「そうね、ありがとう。でも智也、お姫様言ってたわよ? 最初は“邪者”のことも怖いと思っていたけど、今は少し変わってきているんですって。貴方のことも、悪い人じゃないって言っていたわ」
「眞姫ちゃんがそう言ってたの? うわ、それが本当ならマジで嬉しいなぁ」
 本当に嬉しそうにそう言って、智也は表情を緩めた。
 そんな彼を見ながら、つばさは先日話をした眞姫の様子を思い出す。
 大きな力を秘めているのかと疑うほど、ほんわかした雰囲気の可愛らしい少女。
 ひとつひとつ仕草が女の子らしく、不思議と一緒にいる人を癒すような穏やかな空気。
 だが、そんな彼女の中の奥底にある強い決意も、同時に強く感じたのだった。
「本当にお姫様のことが好きなのね、智也」
 ふっと笑って、つばさは目の前の智也を見た。
 智也はそんなつばさに笑みを返し大きく頷く。
「もちろん。俺は本気だから」
 それから智也はブラックのコーヒーを飲み、改めてつばさに聞いた。
「それで話を戻すけど……杜木様の親友が“能力者”って、本当?」
「本当かどうかは分からないわ。ただ、お姫様言ってたわ。鳴海先生と杜木様は親友なのに、って」
「……鳴海先生?」
 智也はつばさの言葉に、何かを考える仕草をする。
 それから漆黒の瞳を細めて言った。
「とにかく話をまとめると、その鳴海先生っていう“能力者”が杜木様の親友だってことだろ? でも今まで杜木様、そんなこと一言もおっしゃっていなかったよな。どういうことだ?」
「私にも分からないわ。とにかく、このことは今度お会いした時に杜木様にお聞きしようと思っているの」
 そう言ったつばさに、智也はふっと表情を変える。
 それから少し間を取り、口を開いた。
「つばさちゃん……その時、俺も呼んでくれないかな。俺も杜木様にお聞きしたいことがあるから」
「杜木様に、お聞きしたいこと?」
 顔を上げて自分を見つめるつばさに、智也は頷く。
「ああ、涼介と綾乃のことだよ。涼介のやつ、綾乃との1年半前の事件のことで何か隠しているみたいだからな。いや、涼介というよりも……隠しているのは杜木様、かな」
「…………」
 智也のその言葉に、つばさは複雑な表情を浮かべた。
 涼介が何かそのことについて思わせぶりなのは、つばさも気がついていた。
 だが、あえてそのことを聞けずにいたのだった。
 智也は小さく嘆息し、続ける。
「1年前のあの時、俺は涼介と綾乃の“邪気”がぶつかり合うのを感じて急いで駆けつけたんだけど……その時はふたりを止めるのに必死で、何があったか分からなかったからな。後で聞いた話では、綾乃の憧れてた人を涼介が薬の実験に使って殺したって聞いたんだけど」
「私もそんな風に聞いているわ。でも涼介の言動を見ていたら、それだけではなさそうね。それにしても“邪者四天王”同士が争うなんて、困ったものね」
「一番困ってるのは俺だよ……間に立つ俺の身にもなれってね。もうひとりのあいつは無関心だし」
 はあっと大きく溜め息をつく智也に、つばさも続ける。
「そういえば、もうひとりの四天王といえば……この間の呼び出しにも来なかったらしいわね。あの日心配で電話したんだけど、相変わらず全然聞く耳ないんですもの。本当に四天王の自覚があるのかしら」
「ま、あいつは昔からそういうヤツだけどな。今、忙しそうな時期だし」
 怪訝な顔をするつばさを見て智也は諦めたようにそう言った。
 そんな智也の言葉にもう一度溜め息をついたつばさは、気を取り直してエスプレッソを飲む。
 それからおもむろに表情を変え、店の外に視線を向けた。
「……つばさちゃん? どうしたの?」
 つばさの意識が店の外に向いていることに気がつき、智也は顔を上げる。
 つばさは視線を智也へと戻し、ふっと微笑んだ。
 肩までの長さの黒い髪をそっとかきあげ、そして言った。
「今、この近くに智也の大好きなお姫様の“気”を感じたわ。しかもどうやらお姫様ひとりみたいね。どうする? 智也」
「え? 眞姫ちゃんがこの近くに?」
 智也は表情を変え、漆黒の瞳をつばさに向ける。
 楽しそうにくすっと笑って、つばさは続けた。
「お姫様は噴水広場近くの地下鉄の入り口を出て、こっちの方角へ歩いてきているわ。今から店を出れば、ここから噴水広場まで戻る道の途中で会えるわよ?」
 いってらっしゃいと言わんばかりに手をひらひらと振り、つばさは漆黒の瞳を智也へ向ける。
 智也はそんなつばさの様子を見て、おもむろに立ち上がる。
 それから取り出した千円札をテーブルに置いて、にっこりと微笑んだ。
「ありがとう、つばさちゃん。俺、行ってもいいかな?」
「ええ、もちろん。邪魔が入らないことを祈っているわ」
 ぽんっとつばさの頭に軽く手を添えた後、智也は店を出て行った。
 そんな彼の後姿を見送ってから、そしてつばさはカップに残っているエスプレッソを飲み干したのだった。




 ――同じ頃、聖煌学園。
 今日は第4土曜日であるため、学校は休みである。
 だが、片付けたい仕事があった鳴海先生はこの日も学校に来ていた。
 数学教室で書類に目を通していた先生はふと切れ長の瞳を別の場所に移す。
 それから鳴り出した携帯電話を手に取り、受話ボタンを押した。
『やあ、将吾。今日も出勤かい? 今、ちょっと構わないかな』
 先生が言葉を発する前に、電話の向こうの声がそう言った。
 その聞きなれた声に先生はひとつ嘆息する。
「構いませんが、何か?」
 短くそれだけ言った先生に、電話をかけてきた彼の父親・傘の紳士は笑った。
『相変わらず冷たいな、将吾は。まったく照れ屋なんだから』
「……ご存知の通り、今学校なので。用件は何ですか?」
 呆れたように溜め息をついて、先生はデスクワークの時だけかけている眼鏡を外す。
 そんな息子の反応を楽しそうに聞いてから、紳士は言った。
『将吾、お姫様に誕生日プレゼントはあげられたかい?』
「…………」
 紳士の問いに、先生は黙ってブラウンの髪をかきあげる。
 紳士は電話の向こうで黙ってしまった息子の様子にふっと微笑む。
『あのペンダントをあげたんだろう? 晶の形見を。お姫様が受け取ってくれるなら、晶も喜んでくれるだろうね』
 そう言った後、紳士は少し間を取って続けた。
『だが、あまりお姫様を“浄化の巫女姫”という存在で縛るのはいけないよ。彼女は“浄化の巫女姫”ではあるが、お姫様の人生はお姫様のものだから。まぁそういう私も、晶の愛用の傘をお姫様にプレゼントしているんだけどね』
「分かっています、それは」
 紳士の言葉に、先生は小さく頷く。
 そんな先生に紳士は笑う。
『将吾、これは君にも言えることだよ? “能力者”である前に、君は君なんだから。たまには息抜きも必要だよ、将吾。息抜きがしたくなったら、また帰っておいで』
「そうですね、時間ができたら帰るようにします」
 短くそう言って、先生は切れ長の瞳を伏せる。
 紳士は息子の言葉に満足そうに微笑み、続けた。
『仕事中にすまなかったね。また連絡するよ』
「いえ、それではまた」
 そして先生が電話を切ろうとした、その時。
『ああ、将吾。もうひとつ言っておかなければいけないことがあったよ』
「……何ですか?」
 一旦耳から話した携帯電話を再び当て、先生は首を傾げた。
 相変わらず物腰柔らかな口調は変わらないが、紳士の声はその雰囲気を微妙に変える。
『この間君が帰ってきた時、例の書類見せただろう? そのことなんだが』
 その言葉に、鳴海先生はスッと外していた眼鏡をかけた。
 それから1枚の書類を手に取り、言った。
「その件ですが、今詳しい資料を集めているところです」
『それならば話は早いよ。その件について何か分かれば、私にも報告してくれないかな。よろしく頼むよ』
「分かりました。では、また連絡します」
 話が終わり、先生は携帯電話の通話終了ボタンをピッと押す。
 そして手に持っている書類に再び切れ長の瞳を向け、ひとつ溜め息をついたのだった。




 地下鉄の駅から地上に出た眞姫は、休日の賑やかな繁華街を歩いていた。
 土曜日の昼ということもあって、繁華街はたくさんの人で賑わっている。
 2月下旬になって次第に寒さも和らぎ、すでにデパートのマネキンは春物のパステルカラーのコートをいち早く身に纏っている。
 眞姫はそんな彩り鮮やかなショーウインドウを楽しそうに見つめた後、ふと持っているバックに視線を向けた。
 そして、メール受信を知らせる携帯電話を取り出す。
「……えっ?」
 折りたたみ式の携帯を開いてメールの内容を確認した眞姫は、そのメッセージに瞳を見開いた。
 それから顔を上げ、周囲をきょろきょろと見回す。
 そして。
「あ……」
「こんにちは、眞姫ちゃん。メール、見てくれた?」
 ようやく自分の存在に気がついた眞姫に、智也はにっこりと微笑んで持っていた自分の携帯電話を小さく左右に振る。
 眞姫は驚いたような表情を浮かべて智也に視線を向けた。
 どうしたらいいのか考えているような仕草の眞姫に、智也はゆっくりと近づく。
「メール届いた? ていうか、今日はひとり?」
「えっ? あ、うん」
 眞姫はこくりと頷き、揺れた栗色の髪をそっとかきあげる。
 それからもう一度、携帯電話に受信したメールに目を移す。
『こんにちは、お姫様っ♪ 今からお茶でもしませんか? 智也』
 視線を下に向けている眞姫に、智也は言葉を続けて再び聞いた。
「繁華街には何しに来たの? お買い物?」
 その声に顔を上げ、眞姫は自分の隣に並ぶ智也を上目使いで見る。
「うん……欲しい本があったんだけど、家の近所の本屋には置いてなくて。だから繁華街の大きな本屋ならあるかなって」
「そっか、じゃあ本屋に行った後でいいから俺とお茶でもしない?」
「えっ?」
 眞姫は智也の言葉にどう答えていいか分からないように言葉を切る。
 そんな彼女の様子に、智也は思わず苦笑した。
「傷つくなぁ、どう断ろうかって考えてる? そんなに俺とお茶するのがイヤ?」
「そんなことは……」
 智也のその言葉に眞姫は困ったように小首を傾げる。
 智也は人懐っこい笑顔を眞姫に向けてから、彼女の手を優しく取った。
 急に智也の手のぬくもりを感じ、眞姫はさらに驚いた表情を浮かべる。
 智也はそんな彼女の様子に構わずに言った。
「本屋はどこの本屋に行くの? この先の本屋でいいのかな」
「あ……う、うん」
 思わず頷いてしまい、眞姫は引くに引けずに智也とともに再び繁華街を歩き出す。
 眞姫は本屋に向かいながら、隣を歩く智也にちらりと目を向ける。
 そんな眞姫の視線に気がつき、智也は漆黒の瞳を優しく細めた。
「どうしたの、眞姫ちゃん」
「え? いや、何でも……」
 自分の隣を歩いている彼の笑顔は人懐っこく、“能力者”の敵である“邪者”とは思えなかった。
 実際、今の彼から“邪気”はほとんど感じない。
 眞姫を安心させるために、どうやら“邪気”を抑えてるようである。
 先日同じ“邪者”のつばさとお茶をした眞姫であったが、相手が智也だとまだ少し戸惑ってしまう。
 つばさは同じ女の子であるし、それに智也が“邪者”として強大な“邪気”を使う場面を何度も見ているからである。
 智也は眞姫の隣を歩きながら楽しそうに話をしている。
 そんな姿は、“能力者”と対峙している時とかなり雰囲気が違うのだった。
 ふたりは近くの大きな本屋へと足を踏み入れる。
 眞姫はしばし智也と離れ、お目当ての本があるか探した。
「えっと……あ、あった」
 たくさんの本が並ぶ本棚を見上げ、眞姫は自分の欲しかった本を確認する。
 それから背伸びをし、一番上の段にあるその本を取ろうと手を伸ばした。
 その時。
「眞姫ちゃん大丈夫? どの本?」
 眞姫の様子に気がついた智也は、彼女の隣に並ぶ。
「えっ? あの右から二番目の本なんだけど」
「二番目ね……はい、これ」
「あ、ありがとう」
 スッとお目当ての本を取り出し、智也は眞姫に手渡した。
 身長の低い眞姫には少し高い位置にあったが、男の智也には何ともない高さであった。
 本を手渡された一瞬触れた彼の指先に、眞姫はドキッとする。
「あ、ねえ眞姫ちゃん。この雑誌、見た?」
 智也は手に持っていた一冊の雑誌を眞姫に見せた。
 それを覗いた眞姫は、ぱっと表情を変える。
「これって、この間のピンクハレルヤのミサのレポートだね」
「うん。眞姫ちゃんは行ったの?」
「ううん、この日ちょっと外せない用事あって。生でレイジ見たかったなぁ」
「そうなんだ、俺も行けなかったんだよね」
 お気に入りのヴィジュアル系バンドの話になり、眞姫は笑顔を浮かべた。
 そんな眞姫の姿を見つめ、智也は嬉しそうに漆黒の瞳を細める。
「あ、そうだ。私、本買ってくるね」
 雑誌から視線を外し、眞姫は抱えている本のことを思い出して言った。
 早足で歩き出す背中で、栗色の髪がふわりと揺れる。
 智也は彼女の後姿を見送りながら、彼女を包む穏やかな雰囲気に心地よさを感じていた。
「やっぱり可愛いよなぁ、眞姫ちゃんって」
 しみじみとそう呟き、智也は持っていた音楽雑誌を元の位置へと戻す。
 それから会計を済ませた眞姫と本屋を出て、智也は周囲を見回した。
「どこでお茶しようか、眞姫ちゃん」
「え? 私はどこでも構わないけど……」
「じゃ、そこの角の店にしようか。あまり歩き回るのも何だし」
 そう言って智也は眞姫を伴い、近くの喫茶店に入った。
 案内された席についてメニューを頼んだ後、智也は目の前の眞姫に目を向ける。
「何だか久しぶりだよね、こうやって眞姫ちゃんと二人きりなんて」
「そう、だね」
 少し遠慮気味に、眞姫は小首を傾げて答える。
 そんなちょっとした彼女の仕草が、また可愛らしい。
 智也は邪魔者のいないふたりだけのこの時間をかみ締め、“空間能力者”であるつばさに感謝した。
 先程本屋では少し智也に心を開いた眞姫であったが、改めてふたりになるとやはりまだためらいがあるようである。
 眞姫の心情を察した智也は、にっこりと微笑んで言った。
「大丈夫だよ、何もしないって。“邪気”を使おうものなら、あの“能力者”たちが途端に飛んでくるだろう? せっかくお姫様と二人きりでデートなのに、そんなこと勿体無くてできないよ。ね?」
「…………」
 ちらりと智也に目を向け、眞姫はまだ少し何かを考えるように俯く。
「そうそう。眞姫ちゃん、この間つばさちゃんとお茶したんだって?」
「あ、うん。彼女がお買い物しているところを、たまたま通りかかったから」
 智也の問いに、眞姫はこくんと頷いた。
 智也はテーブルに頬杖をつき、そしてふっと笑う。
「俺も眞姫ちゃんにお茶に誘われたいなぁっ、なーんてね」
 冗談っぽくそう言った智也に眞姫は困った表情をする。
 智也は漆黒の前髪をかき上げ、続けた。
「そんなに俺のこと、まだ怖い?」
「えっ?」
 智也の意外な言葉に、眞姫は思わず顔を上げる。
 それからゆっくり首を横に振った。
「ううん、前は“邪”と同じで“邪者”も怖かったけど、最近はそんなことないかもって。貴方もそうだけど綾乃ちゃんやつばさちゃんとも話して、そう思ったの。それにあの杜木っていう人だって、悪い人には見えないの」
「“邪者”にとって“能力者”は敵だけど、“浄化の巫女姫”は違うからね。むしろ眞姫ちゃんは、俺たち“邪者”の巫女姫でもあるんだし」
「それって、どういう意味なの? “浄化の巫女姫”って、大きな“正の力”が使える存在なんだよね。“正の力”は“邪者”の使う“負の力”を抑えるためのものなんでしょう?」
 首を傾げてそう言う眞姫に、智也は答える。
「確かに“正の力”は俺たちの使う“負の力”と相対するものだよ。それに“浄化の巫女姫”は特別な“正の力”が使える存在なんだけど……前にも言ったよね、“浄化の巫女姫”は“正の力”だけでなく、大きな“負の力”も同時に身体に秘めている。ただ、“負の力”は人間自身の力だけでは使えない。だから君の強大な“負の力”もまだ身体に眠っている状態なんだよ」
「……私に眠っている、“負の力”」
 智也の言葉を聞いて、ぽつりと眞姫は呟いた。
 智也はそんな眞姫に漆黒の瞳を向けて、そして聞いた。
「そうだ、杜木様といえば……杜木様の親友っていう“能力者”のことなんだけど」
「鳴海先生のこと?」
 そう言った眞姫の言葉に、智也はふっと瞳を細める。
 それからにっこりと笑顔を作り、続けた。
「その鳴海先生なんだけど、先生って言うくらいだから何かの先生なの? あ、もしかして“能力者”の訓練、その鳴海先生がしてる、とか?」
「確かに先生がみんなの指導もしてるけど、先生はうちの学校の数学の先生なの。それに私のクラスの担任だし、鳴海将吾先生」
「え? 聖煌学園の教師って……本物の先生?」
「うん、そうよ。それがどうかしたの?」
 不思議そうにする眞姫に、智也は首を振る。
「ううん、ただ何で先生って言われてるのかなーって気になったから。ていうか杜木様と親友同士って、“邪者”と“能力者”なのに?」
「あの杜木って人、昔“能力者”だったでしょ? その時からの付き合いなんじゃないかな。でも、今はそんな親友同士が敵だなんて……」
 そこまで言って、眞姫は寂しそうに俯いた。
 そんな眞姫の様子を見て、智也は小声で呟く。
「ということは、今は違うってことなのかな……」
「え? 何?」
「いやいや、何でもないよ。って……眞姫ちゃんの携帯、鳴ってない?」
 微かに聞こえる着メロに、眞姫はあっと声を上げてバックを開けた。
 それから着信を確認し、智也を見る。
「ちょっと電話に出て来てもいいかな?」
「うん、構わないよ」
 にっこりと微笑んでそう言った智也を席に残し、眞姫は携帯電話を持って店の外に出た。
 彼女の後ろ姿を見送って、そして智也はおもむろに漆黒の両の瞳を細める。
 それから何かを考えるように呟いた。
「杜木様の親友の“能力者”、か」
 それから気を取り直してお冷を飲み、瞳と同じ色の前髪をかきあげて苦笑する。
「だめだなぁ、せっかく念願の眞姫ちゃんとのデートなのに、すぐ仕事の方に話を持っていっちゃうんだよね……これって一種の職業病かなぁ」
 外で携帯電話をかけている眞姫の姿を見つめて、そして智也はふっと表情を緩めたのだった。