2月14日――乙女の聖戦・バレンタインデー。
 このバレンタインというイベントのためか、普段よりも心なしか生徒たちも浮き足立っている。
 表向きには学校でチョコレートを受け渡す行為はよしとされていなかったが、1年に1度のこのイベントを教師たちも黙認していた。
 そのため、教室や廊下ではチョコレートの受け渡しで一喜一憂する生徒の姿がたくさん見られる。
 だが学級委員で真面目な眞姫は、一応学校が終わってから少年たちにチョコレートを渡そうと考えていた。
「梨華はもう、祥ちゃんにチョコレート渡したの?」
 午前中の授業が終わった昼休み、廊下を歩きながら眞姫は隣の梨華を見る。
 梨華はその言葉に少し嬉しそうな表情を浮かべて頷いた。
「うん。1日早いんだけど、昨日あげたんだ」
「昨日? 昨日って日曜日だよね、祥ちゃんと会ったの?」
 梨華は少し考えるような仕草をして、そして答える。
「残念ながら祥太郎だけじゃなかったんだけど、ちょっと騎士たちの手伝いでね」
「騎士たちの手伝い?」
 梨華の言った言葉の意味がよく分からず、眞姫はきょとんとする。
 梨華はそんな眞姫を見て彼女の肩を軽く叩き、にっこりと笑った。
 一昨日の土曜日、梨華はいきなり5人の少年たちに呼び出された。
 その理由は、お姫様へのプレゼントを作るのに協力して欲しいということであった。
 眞姫の親友であり祥太郎に想いをよせる梨華は、そんな彼らに協力したのだった。
 そして梨華の協力もあって、一昨日と昨日の2日かけてお姫様のプレゼントは出来上がったのである。
「本当に親衛隊たち、お姫様のことが大好きなんだって分かったわ」
「え? 何、梨華?」
 誰にも聞こえないような小声でそう呟いた梨華に、眞姫は首を捻る。
 そんな眞姫の問いには答えず、それからふと梨華は俯いた。
「昨日あげられて本当によかったわ。祥太郎ってあれでもモテるから、毎年女からチョコレートたくさん貰うのよね……渡しに行った時、そんな様子見たくないし」
「そうだね、祥ちゃんってハンサムだし優しいからたくさん貰いそうだよね」
「祥太郎もだけど、親衛隊たちって何気にみんなモテるでしょ。芝草くんだってたくさんチョコレート貰ってたし。芝草くんって頭も良くて本性隠してて一見すごく優しいから、納得なんだけどね」
 眞姫はそんな梨華の言葉に、今日一日教室で繰り広げられていた光景を思い出してみる。
 ほかの少年はクラスが違うために様子は分からないが、確かに同じクラスの准は朝からたくさんの女の子からチョコレートを渡されていたことに気がつく。
 だが眞姫は、自分に向けられる准ファンの女生徒たちの嫉妬の視線には全く気がついてはいなかったのだが。
「准くんってすごく優しいもんね。頭もいいし、人気あるのも分かるよね」
「眞姫ってば、本当にのん気ねぇ。ちょっと親衛隊たちが可愛そうになってきたわ」
 悠長にそう言う眞姫に嘆息しつつ、梨華はふと目の前に視線を向ける。
 そして、ある人物の姿を見つけた。
「あれ? あれって、小椋くんじゃない?」
「あ、本当だ」
 何だかぐったりした様子の拓巳の姿を確認し、眞姫はタッタッと小走りで彼に近づく。
「拓巳、何やってるの?」
「うわっ! ひっ、姫っ!」
 急に声をかけられ、拓巳は体をびくっと振るわせる。
 それと同時に、バラバラと何かが床に落ちた。
「あらぁ、小椋くんも隅におけないわねぇっ、たくさんチョコ貰ってるじゃない」
「余計なコト言うな、立花っ。これはな、全部義理チョコなんだよ、姫っ」
 眞姫に言い訳するように、拓巳は慌ててそう言った。
 慌てる拓巳を後目に、眞姫は屈んで落ちたチョコレートを拾って彼に手渡す。
「はい、拓巳」
 そんな悪びれの全くない眞姫の様子に、拓巳は嘆息してそれを受け取った。
 それからはあっともう一度溜め息をついてから言った。
「それにしてもよ、Cクラス見たか? 健人の周り、女の群れですごいことなってたぞ。詩音も全国からトラック何台分チョコレート送ってくるらしいしな。だからあいつらと違って、俺なんてもう義理チョコばっかりなんだよ、姫っ」
 必死に弁解する拓巳に、眞姫はにっこりと微笑む。
 そしてポンッと手を叩いて言った。
「あ、私、少し大きめの紙袋持ってるよ? そんなたくさんのチョコレート持って帰るのって大変そうだから、放課後でよかったら持ってこようか?」
「姫……」
 眞姫の言葉に脱力感を感じ、拓巳はうな垂れる。
 梨華はそんな拓巳の様子に笑った後、彼にしか聞こえないこうに小声で言った。
「大丈夫よ、小椋くん。そんな言い訳しなくても、ちゃんとお姫様からもチョコ貰えるって。それにしても結構モテてるじゃない、小椋くんも」
「本当か? 姫に貰えれば、俺はそれで十分だからな。ほかのヤツもくれるのは有難いんだけどよ、告白とかされた日にはもうドッと疲れるぜ……女って本当に面倒だよな」
 ボソボソと喋るふたりに、眞姫はきょとんとした表情をしている。
 そんな様子に気がつき、梨華はニッと笑って言った。
「そうだ、Cクラス覗いていかない? 蒼井くんって眞姫以外の女の子に全く興味ないから、どんな様子か面白そうじゃない?」
「すごかったぞ、マジで。祥太郎にも女群がってたけど、あいつの場合誰にでも調子いいからな……あっ」
 そこまで言って、拓巳はしまったというような表情をする。
 だが時すでに遅く、梨華は拓巳の言葉に俯いた。
「やっぱりそうなんだ……毎年そうだけど、祥太郎もモテるもんね」
「いや、その、だから……ごめん、立花」
「別に小椋くんが謝ることじゃないわよ。大丈夫、慣れてるし」
 申し訳なさそうにする拓巳に、梨華は笑顔を作る。
「梨華、Cクラス覗いてみるんでしょ? じゃあ拓巳、また放課後ね」
 梨華を気遣うように眞姫はそう言って、拓巳に手を振った。
「おう、またな。今日の誕生日パーティー楽しみにしとけよ、姫っ」
「うん、楽しみにしてるね」
 にっこりと拓巳に微笑み、眞姫は梨華とともに再び歩き出す。
 ふたりは自分の教室に戻る前に、健人の所属するCクラスの前を通りかかった。
「うわ、すごいことなってるよ、蒼井くんの周りっ」
「本当だ、すごい人気だねぇっ」
 右だけ青を帯びる神秘的な二重の瞳に、金色に近いブラウンの髪。
 美形というのに相応しい容姿の健人を女の子が放っておくわけがなかった。
 しかも仲の良い人以外にあまり普段積極的に話しかけたりしない健人は、知らない人から見たらクールで都会的なイメージを持たれるのだった。
 ハイテンションな周囲の女の子の中、当の健人は特にいつもと何ら変わった様子はない。
 本当は眞姫以外の子には全く興味ないために特に感情的にならないだけなのだが、健人のことをよく知らない女の子たちにとってはそんな姿がまたクールでいいらしい。
「あんなにチョコレート食べたら、虫歯になっちゃいそうだよね」
 のん気にそう言う眞姫に、梨華は大きく嘆息する。
「本当に眞姫ってば……やっぱりこの子、ずれてる……」
「え? 何、梨華?」
「いや、何でもないよ。そろそろ教室に戻ろうか、眞姫」
 きょとんとする眞姫に笑いかけ、そしてちらりとCクラスを見てから梨華は歩き出した。
 健人ファンに眞姫の存在が気づかれる前に退散すべきだと思ったからである。
 毎朝一緒に通っている上に仲の良い健人と眞姫は、実は付き合っているのではないかという噂があった。
 美少年な健人と可愛い眞姫は、傍から見たらお似合いのカップルのように見えるのだ。
 そのため、眞姫に嫉妬している女の子も多いのだった。
 物事に鈍い眞姫とあまり周囲に関心のない健人は、そんな噂があることは知らない。
 梨華と眞姫は、賑やかな昼休みの廊下を自分のクラスに向けて再び歩き出した。
 そしてBクラスの教室の前に差し掛かった、その時。
「清家」
 教室に入ろうとしていた眞姫は、その声にふと足を止めて振り返る。
 一緒に立ち止まった梨華は声をかけてきた人物を見て表情を変え、げっと小さく呟いてから眞姫に向き直った。
「眞姫、じゃあ私、先に教室入ってるねっ」
 そんな梨華にちらりと切れ長の瞳を向けてから、その人物・鳴海先生は眞姫に視線を戻す。
 そして、あることを彼女に言った。
「えっ? あ、はい……分かりました」
 先生の口から出た意外な言葉に少し驚きながら、眞姫はこくんと頷く。
「用件は以上だ。午後の授業が始まる、教室に戻りなさい」
 鳴海先生は相変わらず表情を変えずそう言って、再び廊下を歩き出した。
 眞姫はそんな先生の背中を見送った後、鳴り出した予鈴に気がついて教室へと入る。
 それからさっき先生から言われた言葉を思い出し、ふと首を傾げたのだった。




 その日の放課後。
 図書館で読んでいた本を閉じ、眞姫は腕時計を見た。
「そろそろ時間かな」
 そう呟いてから本を本棚にしまい、眞姫は図書館を出る。
 図書館を出た眞姫は、その足で視聴覚室へと向かった。
 誕生日である自分のため、今から少年たちがパーティーを催してくれるのだった。
 準備があるから17時に部室に来てくれと彼らに言われていた眞姫は、それまで図書館で時間を潰していたのである。
「チョコレートもみんなに渡さなきゃね」
 眞姫はそう呟いて、そして嬉しそうに視聴覚教室へ続く階段を上り始めたのだった。
 その頃、視聴覚教室。
「姫のやつ、早く来ないかな」
 そわそわしている拓巳に、准は笑った。
「ちょっとは落ち着けば、拓巳。きっと姫のことだから、僕たちが言った17時くらいに来るんじゃない?」
「せっかくのお姫様の誕生日なのに、本当に盛大に飾りつけしなくてもいいのかい?」
 詩音は色素の薄い髪をかきあげ、部室を見回してそう物足りなさそうに呟く。
「いやいや、あの黒服飾り付けエージェントのオッサンらは呼ばんでええからな、詩音」
 祥太郎は詩音の言葉に苦笑しつつ、何も言わないが拓巳と同じくそわそわしている健人に目を向けた。
「そういえば美少年くん、大量のチョコレートはどうしたんや? すごかったらしいやんか、この色男っ」
 わははっと笑う祥太郎にバシッと背中を叩かれ、健人は怪訝な表情を浮かべる。
 そして嘆息し、言った。
「チョコレートは教室に置いてる。ここに持ってくるわけにはいかないだろう? それにそう言うおまえだって、たくさん貰ったんだろう?」
「まぁな、俺も教室に置いてきたわ。まだ本命のお姫様のチョコ貰っとらんのに、ここにほかの子から貰ったチョコなんて持って来れんからな」
 祥太郎の言葉に、ほかの少年たちもそれぞれ頷く。
 やはり少年たちにとってたくさんの女の子からのチョコレートよりも、大好きなお姫様のひとつのチョコレートが欲しいのである。
 そして室内の時計が17時をさした、その時。
「こんにちは、みんな」
 ガチャッとドアが開けられ、少年たちの待ちわびていたお姫様が姿をみせた。
「姫っ、誕生日おめでとう!」
「時間潰させちゃってごめんね。おめでとう、姫」
「ハッピーバースデー、僕のお姫様」
「誕生日おめでとうな、可愛いお姫様っ」
「誕生日おめでとう、姫」
 口々にお祝いの言葉を言われ、眞姫は本当に嬉しそうな表情を浮かべる。
「ありがとう、みんな。あっ、そうだ、みんなにバレンタインチョコ渡さなきゃね」
 それから眞姫は綺麗にラッピングされたプレゼントを鞄から取り出し、少年たちひとりひとりに手渡した。
「うわ、マジで嬉しいぜ……こんなにチョコ貰って嬉しいなんて、初めてだぜっ」
「プレゼントまでひとりずつ付けてくれて、大変だっただろう? ありがとう、姫」
「お姫様から王子への愛、きちんと受け取ったよ、お姫様」
「ありがとな、姫。このまま俺と愛の逃避行するか? なーんてなっ」
「姫……ありがとう、本当に嬉しいよ」
 念願のお姫様のチョコレートを貰い、少年たちはその喜びを噛み締めている。
「なぁ、開けてみていいか?」
「うん。開けてみて」
 いてもたってもいられない様子の拓巳に、眞姫はにっこり笑って頷く。
 少年たちは丁寧にラッピングを外し、中身を取り出した。
「おおっ、もしかして手作りか!? それにプレゼントまで嬉しいわぁっ」
 中身を確認して、祥太郎はハンサムな顔に微笑みを浮かべた。
「チョコレートとハンカチだね、ひとりひとり色が違うんだ……ありがとう」
 チョコレートと一緒に入っていたハンカチを手にして、笑顔で准も眞姫にお礼を言う。
「うわ、食べるの何か勿体ねーよ。ありがとな、姫っ」
 しみじみと喜びを噛み締めるようにチョコを見つめ、拓巳はほうっと嘆息する。
「このチョコレート一粒一粒が宝石のように見えるよ。恋の魔法かな?」
 優雅な微笑みを眞姫に向けてから、詩音は彼女の髪を優しく撫でた。
「姫……」
 健人は青い瞳を嬉しそうに細め、眞姫の手作りチョコレートを見つめている。
 眞姫は喜んでいる少年たちの様子にホッとしつつ、言った。
「みんなチョコレートたくさん貰ってるみたいだから、どうかなって思ったんだけど。でも、喜んでくれたみたいでよかった」
 そんな眞姫の言葉に、少年たちは大きく首を振る。
「チョコはチョコでも、姫のくれたのは特別なんだよっ」
「何言っとるんやっ。お姫様の手作りチョコレートなんて、もうめちゃめちゃ嬉しすぎやでっ」
「このチョコレートは何よりも変えがたい宝物だよ、僕のお姫様」
「そうだよ、姫の手作りチョコレート、本当に嬉しいから」
「姫に貰えないのなら、いくらほかのヤツにたくさんチョコ貰っても嬉しくなんてない」
 眞姫は少年たちの勢いに瞳をぱちくりさせながらも、にっこりと微笑む。
「よかったわ、喜んでもらえて。ハンカチもね、ひとりひとり私のイメージで色を選んでみたの。健人が青で拓巳が赤、祥ちゃんがオレンジで准くんがグリーン、詩音くんが紫なんだよ」
 にっこりとそう言って微笑む眞姫を見てから少年たちは大事そうにそれぞれプレゼントをしまった後、5人はお互いに顔を見合わせる。
 そして彼らの代表で准が、綺麗にラッピングされた少し大きめの包みを持ってきた。
「これ、僕たちからの誕生日プレゼントだよ。誕生日おめでとう、姫」
「わあっ、ありがとう、みんな! 開けてもいい?」
 准から手渡されたプレゼントと少年たちの顔を交互に見て、眞姫はその包みを開ける。
 そして、中から出てきたものは。
「あっ、これ……入学してから今までの、手作りのアルバム?」
「姫、言ってただろう? 俺たちと思い出が増えるのが嬉しいって。だから、今まで一緒に作ってきた思い出をカタチにしてプレゼントしようと思ったんだ」
 眞姫に青い瞳を向け、健人はふっと微笑む。
「梨華っちにも協力してもらったんや、普段からあいつカメラ持ち歩いとるからな。おかげでアルバム分厚くなったんやけど、これでも厳選してな、まだまだ入りきれんかった写真もいっぱいあったんやで?」
「わぁっ、懐かしいなぁっ……入学式の時から合宿、この間のクリスマスパーティー、普段の教室での写真まであるねっ」
 少年たちお手製のアルバムを見つめ、眞姫は夢中になってページをめくる。
 ただ写真が並べられているだけでなく、写真1枚1枚に少年たちのメッセージがついていた。
「お姫様、王子と騎士たちの贈り物はお気に召していただけたかな?」
 そう聞いた詩音に、眞姫は大きく頷く。
 それから再びアルバムに視線を戻し、言った。
「うん、こんなに素敵なプレゼントが貰えるなんて、すごくすごく嬉しいよ……みんな、ありがとう……っ」
 次の瞬間、少年たちは同時に一瞬言葉を失う。
 眞姫の大きなブラウンの瞳から、ぽろぽろと涙が零れ始めたからだ。
「あっ、ごめんね。何だか本当に嬉しくて……これ、大切にするね」
「姫……」
 抜け駆けなしという協定を結んでいる少年たちであったが、全員が目の前の眞姫を抱きしめてやりたいという衝動に駆られた。
 眞姫はそっと涙を拭い、そして栗色の髪をかきあげる。
 それから、満面の笑顔を浮かべた。
「ありがとう、みんな。本当にありがとう」
 貰ったアルバムを大切にしまった眞姫を見て、そして准はその場にいる全員を見回す。
「じゃあ、ジュースで乾杯してパーティー始めようか」
「そうやな。ケーキも買ってきたんやで、姫っ」
「さ、お姫様。王子の隣へどうぞ」
「何だよ、抜け駆けなしだぜ、詩音っ」
 わいわいと楽しそうにパーティーの準備をしだした少年たちを、眞姫は微笑ましげに見つめる。
「……姫」
 そんな眞姫の頭にぽんっと軽く手を乗せ、健人は優しく彼女に微笑んだ。
 健人のあたたかい手の感触ににっこりと笑顔を見せ、眞姫はまだ少したまっていた涙を拭って言った。
「ありがとうね、最高の誕生日だよ」
「ああ。喜んでもらえてよかったよ、姫」
 そんなふたりを促し、祥太郎は笑う。
「まだまだお楽しみはこれからやで、姫っ。ていうか健人、おまえも手伝わんかいっ」
「さ、乾杯だよ、僕のお姫様」
「乾杯の音頭はやっぱり部長の准か?」
 詩音に手渡されたジュースを受け取った眞姫を見た後、拓巳は准に視線を移す。
 准は全員にジュースが渡ったのを見て、そしてゆっくりと言った。
「えっと、今日は姫の誕生日を祝おうということで……改めてお誕生日おめでとう、姫。それじゃあ、乾杯!」
 准の声に続いて、次々と眞姫へのお祝いの言葉が部室内に溢れる。
 眞姫はそんな少年たちの気持ちを有難く受け止め、そして改めて彼らと楽しい時間を過ごせることの喜びを感じたのだった。




 それから、数時間後。
 パーティーを終えた眞姫は、部室を出てひとり階段を下りていた。
 主賓である眞姫に後片付けはさせられないと、少年たちだけ残って部室の片付けをしているのである。
 恐縮しながらも少年たちを残して先に帰ることになった眞姫は、ふと腕時計に視線を移した。
 それから靴箱には行かず、ある場所へと足を向ける。
「もう19時過ぎてるけど、まだいるかな……」
 そう呟き、眞姫が向かった場所は。
「あっ、鳴海先生。よかった、まだいらっしゃったんですね」
 遠慮がちに職員室のドアを開けた眞姫は、中にいた鳴海先生の姿を見つけてそう言った。
 先生は相変わらず表情を変えず、切れ長の瞳を眞姫に向ける。
「清家、もう用事は済んだのか?」
「はい」
 こくんと頷いた眞姫の栗色の髪が、ふわりと揺れる。
 それから先生は鞄を持って立ち上がり、眞姫に言った。
「靴を履き替えて校門で待っていなさい。すぐに車を持ってくる」
 それだけ言って先生は表情を変えずに歩き出す。
 眞姫は慌てて先生に続いて職員室を出て、そして靴箱へと向かった。
「それにしても先生、どこに行くんだろう……」
 靴箱で靴を履き替えながら、眞姫は昼休みに先生に言われた言葉を思い出す。
 昼休みに眞姫を呼び止めた先生は、こう彼女に言ったのだった。
『今日、時間が遅くなっても構わない。おまえの用事が済んだ後、私に少し付き合ってくれないか? 連れて行きたい場所がある』
 眞姫には、先生がどこに自分を連れて行こうとしているのか、全く想像がつかなかった。
 首を傾げた後、眞姫は先生に言われた通りに校門で足を止める。
 それからすぐに、目の前に先生のダークブルーのウィンダムが姿をみせた。
 車内から出てきて助手席のドアを開ける先生に慌てて頭を下げてから、眞姫はその車に乗り込む。
 運転席に戻ってきた先生はちらりと眞姫に瞳を向けて言った。
「学校帰りに寄り道などもってのほかだ。一度家まで送ろう、着替えて来なさい。それに夜に生徒を連れて出かけるなど、教師の責任として親御さんにも挨拶をすべきだと思っている」
「えっ? いえ、今日は家の人にも帰り遅くなるって言ってるし、大丈夫です。それに今から家に帰ってたら、それこそ遅くなってしまうかと……」
 そうおそるおそる言う眞姫に先生は大きく嘆息する。
 それから時計を見た後、仕方ないといったように口を開く。
「……本来ならばそういうわけにはいかないのだが、今回は特別だ。少し距離があり移動にも時間がかかるからな。今から出発する」
 そう言って先生は、車を走らせ始めた。
 眞姫は表情を変えない先生の横顔を見て、そして聞いた。
「あの、先生。今からどこへ行くんですか?」
「目的地へ行く前に、少し寄りたい場所がある」
 眞姫の問いには答えず、先生はそれだけ言った。
 そんな先生の言葉に瞳をぱちくりさせながら、眞姫は窓の外を流れる景色に目を向ける。
 薄暗くなった街は、色とりどりのネオンで賑やかな様相をみせている。
 それから数分後、眞姫を乗せた車は一軒の店の前で止まった。
「車で待っていなさい。すぐ戻る」
 そう言って先生は車を降り、店へと入っていく。
 そこは、一軒の花屋であった。
 何故花屋に寄るのか分からなかった眞姫であったが、先生に言われたとおりに車内で待つ。
 そして戻ってきた先生は、質素だが品のいい花束を抱えていた。
 それを後ろの座席にそっと置き、運転席に座った先生は再び車を走らせ始める。
「あの、先生。今からどこへ?」
 もう一度そう聞く眞姫に、先生は少し間を置いて答えた。
「今日はおまえの誕生日でもあるが……私の母の命日でもあるからな」
「先生のお母さん、先代の浄化の巫女姫の……」
 その言葉に、眞姫はハッとする。
 先代の浄化の巫女姫である先生の母が天に召されたその時、次代の浄化の巫女姫である自分が生を受けたのだ。
 よって今日が眞姫の誕生日であることは、同時に先代の浄化の巫女姫である先生の母の亡くなった日でもあるということである。
 眞姫はそのことに気がつき、何も言えないでいた。
 先生はそんな眞姫に切れ長の瞳を向けつつも、黙って運転を続ける。
 ……それから車は賑やかな街を通り過ぎ、薄暗い静かな道へと入っていた。
 ダークブルーのウィンダムは、小高い丘の上で動きを止める。
「到着だ、清家」
 そう言って車を降りる先生を見て、眞姫も急いで続いた。
 車を降りた途端に風に煽られ、眞姫の髪がふわりと揺れる。
 花束を抱えた先生はしばらく歩いた後、ひとつの墓の前で足を止める。
 そして持っていた花束をそっと墓前に捧げた。
 眞姫も足を止め、その墓に視線を移す。
 それから隣の先生を見上げて言った。
「先生のお母さんって、どんな人だったんですか?」
 眞姫の言葉に、先生は少し考えて答える。
「皆は私は母に似ているというが……母は私にとって、尊敬できる人物だ。責任感が強くいつも聡明で、凛とした強い意志を持っている人だった」
「そういえば、傘のおじさまも言っていました。先生はお母さん似だって」
 紳士と先生のやりとりを思い出し、眞姫はふっと笑顔を見せる。
 そしてそっと手を合わせて瞳を閉じた。
 じっと何かを祈るような様子の眞姫を、先生は黙って見つめている。
 それからしばらく瞳を閉じていた眞姫は、ふと目を開けて、先生ににっこりと微笑んだ。
「まだ力も使えない巫女姫だけど、私、頑張ります。先生のお母さんとも今、約束したんです。どんなことがあっても、運命を受け入れようって決めた以上くじけないって。先生や映研部員のみんなもいてくれるし、先生のお母さんも見守ってくださってるから」
「清家……」
 決意を新たにする眞姫に、先生は切れ長の瞳を向ける。
 彼女の瞳は凛とした輝きを放ち、その身体から立ち上る“気”に強い力を感じた。
 そして先生はそんな強大な“気”に懐かしさのようなものを感じたのだった。
「あっ、そうだ。先生に受け取ってもらいたいものがあるんです」
 眞姫は思い出したように、鞄からあるものを取り出す。
 それは、綺麗にラッピングされたバレンタインチョコレートであった。
「先生にはいつもお世話になっているから。ほんの気持ち程度ですけど」
 目の前に差し出されたチョコレートに、先生は意外な表情を浮かべる。
 それからそれを受け取り、言った。
「ありがとう、清家。有難く受け取っておく」
「よかったぁっ、受け取っていただけて嬉しいです。きっと先生のことだから、生徒からの贈答品は受け取れないって言われるかと思っていましたっ」
 パッと表情を明るくした眞姫に、先生は大きく嘆息する。
「普段はそう言っていただろうが、本日は女性教員から学校で男性教員にチョコレートが配られたからな。たまには素直に受け取るのもいいだろう」
 言い訳のようにそう言う先生の言葉に、眞姫はにっこりと微笑む。
「ありがとうございます、先生」
「礼を言うのはこの場合、私の方ではないのか?」
 嬉しそうにしている眞姫に目を向け、先生はそう言った。
「あ、そうですね。そう言われればそうかな……」
 うーんと考える仕草をする眞姫にもう一度溜め息をつき、それから先生は続ける。
「今日は付き合ってもらって感謝している。母も喜んだだろうからな……」
「私もすごく来てよかったです。先生のお母さんに会えて」
 風に吹かれて少し乱れた栗色の髪をかきあげて、眞姫は大きな瞳を満足そうに微笑む。
 そんな眞姫に、先生は言った。
「おまえに受け取って欲しいものがある」
「え?」
 先生の言葉に驚いた表情をし、眞姫は顔を上げる。
 鳴海先生はそんな眞姫に、小さな箱を手渡した。
 それを受け取って箱を開けた眞姫は、瞳を輝かせる。
「それは、母が生前大切にしていたペンダントだ。母の目の前でおまえに受け取って欲しいと思ってな」
 眞姫は、そっと箱の中に入っているペンダントを取り出した。
 シンプルなデザインではあるが、中央に施してある薄紫色の石が神秘的なペンダントである。
 月の光を浴び、キラキラとその石の美しさが増している。
「でも、いいんですか? 私が貰っても」
「おまえには私の誕生日の際もプレゼントを貰っている。気にすることはない」
「ありがとうございます、嬉しい……」
 眞姫はそのペンダントをぎゅっと握り締め、先生の母の墓に向き直る。
 それから、目の前に眠る先代から受け継いだ自分の運命を眞姫はこの時改めて感じたのだった。
 そして鳴海先生は、柔らかな月に優しく照らされているそんな眞姫の姿をただじっとその切れ長の瞳で見つめていたのであった。