――3月19日・土曜日。
 この日の聖煌学園は3学期の終業式であったため、学校も午前中の式典のみで終わった。
 春休みを迎える生徒たちの声で溢れる廊下は1学年を終了したという開放感からか、心なしかいつもよりも賑やかである。
 教室を出た准はふと視線を落とし、腕時計を見て時間を確認した。
 それから笑顔を浮かべて隣を歩く眞姫に視線を移した。
 眞姫はそんな准の眼差しにも気づかずに窓の外に瞳を向けている。
 そしてふっと大きな目を細め、准に向き直った。
「桜が咲き始めてるよ、あったかくなってきたからね」
「うん、今日あたり桜の開花宣言出るみたいだってニュースで言ってたよ、姫」
 ふとつぼみが開き始めた桜を瞳に映してから、それから准は優しく眞姫に視線を戻す。
 開け放たれた窓から吹いてくる春の風を頬で感じながら准は言葉を続けた。
「もうすぐ姫と出会って1年になるんだよね。1年前の入学式の時、桜が満開だったのを覚えてるよ。姫と同じクラスで近くにいられて、僕にとって本当に充実した1年だったよ」
「准くん……」
 眞姫は顔を上げて准に視線を向ける。
 そんな眞姫の瞳に映ったのは、准の柔らかい眼差し。
 1年間、ずっと准は自分のことをこの優しい瞳で見守っていてくれた。
 そしてそんな彼のあたたかさが、眞姫の心を穏やかなものにしてくれている。
 眞姫は微笑みを彼に返し、言った。
「この1年間、本当にたくさん准くんに助けてもらったわ。ありがとう、准くん。これからもよろしくね」
 准はその言葉に嬉しそうに頷き、にっこりと微笑む。
「僕の方こそ、姫がいたから頑張れたんだよ。これからも一緒に頑張ろうね」
「うん、みんなで一緒に頑張ろうね」
 眞姫は屈託なく笑って、そう言った。
 その純粋な笑顔に見惚れつつも、准は小さく苦笑する。
 それから優しく眞姫の頭にぽんっと手を添えて小声で呟いた。
「みんなで一緒に、ね……姫らしいんだけどね」
「准くん?」
 彼の声が聞こえなかった眞姫は、きょとんとした表情を浮かべる。
 そんな眞姫にもう一度微笑みを向けた後、准はふと振り返った。
 それにつられて背後に視線を移した眞姫はパッと表情を変える。
「あ、拓巳と祥ちゃん」
「何や、せっかく後ろからぎゅーっと抱きしめてお姫様のこと驚かそうかと思っとったのになぁ。目ざとく部長に気づかれたやん」
「おう、姫っ。ていうか祥太郎、んなコト考えてたのかよっ」
 振り返ったそこには、ハンサムな顔に笑みを浮かべる祥太郎とそんな彼を呆れたように見る拓巳の姿があった。
 准はわざとらしく溜め息をつき、それから祥太郎に作ったような笑顔を向ける。
「悪かったね、目ざとくて。それよりもこの僕が傍にいるのに、そんなことみすみすさせると思ってるの?」
「相変わらず冗談が通じんなぁ、目ぇ全然笑っとらんし」
 大袈裟に肩をすくめる仕草をして笑った後、祥太郎は眞姫の隣に並ぶ。
 それから優しく彼女の腰を抱き、にっこりと笑った。
「さ、お姫様っ。このハンサムくんと一緒にラブラブで部室行こうや」
「あっ、おまえ姫にベタベタすんなよっ」
 眞姫にくっついている祥太郎を引き離し、そして拓巳は改めて彼女に目を向ける。
 それから漆黒の前髪をかき上げて言った。
「そういえば姫、花見いつにするんだ? 桜ももう咲くみたいだしな」
「あ、そうね。いつだったら綺麗かなぁ」
 拓巳の言葉に眞姫はうーんと考えるように腕組みをする。
 桜が咲いた頃、映研のメンバーでお花見をしようという計画が立っていた。
 それを発案したのは誰でもない眞姫だったので、少年たちはもちろん全員一致で賛成したのは言うまでもない。
 祥太郎は悪戯っぽい笑みを浮かべて拓巳に向ける。
「たっくんが徹夜で場所取りしてくれるんか? 一番の特等席を頼んだでっ」
「ちょっと待てっ、何で俺が場所取りしなきゃいけねーんだよっ」
「どうせ拓巳は花より団子なんだろう? 花見のことは今日のミーティング終わってから決めてもいいんじゃない、みんなの都合も聞かないとだしね」
 ちらりと拓巳に目を向けて、准は言った。
 拓巳はむっとした表情を浮かべながら嘆息する。
「悪かったなっ、ちゃんと桜も見るってのっ。それよりもよ、何で今日急にミーティングなんてやるなんて言い出したんだ? 鳴海のヤツ」
「たっくんはセンセに会いたくないんよなー。今日もらった成績表、数学容赦なくつけられたんやろ」
 わははっと笑う祥太郎に、拓巳は図星のようにバツの悪そうな顔をした。
 それから気を取り直し、じろっと祥太郎に目を向ける。
「うるせーよっ! おまえだって大して変わらないだろーがっ。俺は数学以外の教科は結構成績いいんだぞっ!? くそっ、それにしても絶対俺に対してのイジメだ、あの鳴海のつけた成績っ」
「何言うとるんや、大して変わらんなんて失礼な。アヒルちゃんと一緒にせんどいてや」
「アヒルちゃん?」
 祥太郎の言葉に眞姫は首を傾げる。
 ニッと笑い、祥太郎は眞姫に言った。
「そうや、アヒルちゃん。2ってアヒルちゃんっぽい形しとるやろ、姫」
「おまえっ、何さり気なく人の成績暴露してんだよっ! 3のおまえに言われたくねーよっ。それに俺の方がおまえより5の数は多かっただろーがっ」
「でも俺は可愛いアヒルちゃんは飼ってないからなぁ、たっくんっ」
 楽しそうな祥太郎と顔を真っ赤にさせてムキになる拓巳を交互に見て、准は呆れたように嘆息する。
「ねぇ、五十歩百歩って言葉知ってる? ふたりとも」
「まぁそんな冷たいコト言わんどいてや。どうせ准の成績表は5ばっかりなんやろーけどな。お姫様も5ばっかりやったろ?」
 祥太郎にそう聞かれて、眞姫はにっこりと微笑んだ。
「うーん、主要教科はだいたい……でもね、2学期まで3だった体育が4になったんだっ。すごく嬉しかったわ」
「おおっ、すげーじゃねぇかよっ。姫は努力家だからなっ」
 ポンポンッと拓巳に頭を撫でられ、眞姫は嬉しそうに笑う。
 准は笑顔を眞姫に向けてから、拓巳に言った。
「拓巳は昔から、体育だけはいつも優等生だもんね」
「いちいちうるせーよっ。だからな、数学以外は成績悪くねぇってのっ」
「でもなぁ、その数学が何せアヒルちゃんやもんなぁ」
「アヒルちゃんアヒルちゃん言うなっ!」
 眞姫は少年たちのやり取りを聞いて、思わずくすくすと笑い出す。
 拓巳はガクリと肩を落とし、溜め息をついた。
「あーもう、姫まで笑うんだからよ……これも全部、あんな成績つけやがった鳴海のせいだっ」
「ていうか拓巳、先生のせいってよりも自分のテストの点数のせいなんじゃないの? アヒルちゃんだったのって」
「そうやで、テストの点がアヒルちゃん飼うくらいのカワイイもんやったんやろ、どうせ」
「でも3くらいはあるかと思ってたんだよっ、絶対鳴海の陰謀だっ」
 まだ笑っている眞姫を見て拓巳は大きく溜め息をつき、悔しそうに拳を握り締める。
 そんな拓巳の様子に気がついて、眞姫は栗色の髪をかき上げた。
「あ、ごめんね、拓巳。何だかみんなの仲がいい感じの会話が楽しくて」
「ていうか、どこら辺が仲がいい感じの会話なんだ? 姫……」
 拓巳はそう呟いて、何度目か分からない深い息をついたのだった。
 そう話しているうちに4人はミーティングの行われる視聴覚準備室に到着した。
 今日は本来は部活のある日ではないのだが、顧問である鳴海先生に急遽全員呼びだされたのである。
 それから先に部室に来ていた詩音と後から来た健人も揃い、そして定刻に鳴海先生が姿をみせた。
 いつも通りにミーティングを行うべく、全員が準備室の席につく。
 全員を見回してから、先生は話を始めた。
「集まってもらったのはほかでもない。今日で1学年の締めくくりだが、春休みを迎えるにあたって気が緩んでもらっては困るからな」
 ちらりと切れ長の瞳を拓巳に向け、先生はそう言った。
 その視線に気がつき、拓巳は怪訝な表情を浮かべる。
「おまえに言われなくったって、気なんて緩めねぇよっ」
「おまえの場合は気が緩む緩まない以前の問題だ。私が言っているのは“能力者”としてだけでなく、学生の本分である勉学に関してもだ」
「……相変わらず嫌味を言う天才だな、ったくっ」
 机に頬杖をつき、拓巳は鬱陶しそうに前髪をかき上げる。
 そんな拓巳から目を逸らして先生は言葉を続けた。
「勉学は日頃からの積み重ねのみだが……先日、私はおまえたちも知っての通り“邪者四天王”と対峙した」
 先生のその言葉に、少年たちの顔つきが変わる。
 眞姫はその時のことを思い出し、じっと先生に瞳を向けた。
 先生が“邪者四天王”である智也と対峙したあの時……先生は、親友である杜木とも再会したのである。
 しかもその親友は“邪者”として、敵として彼の前に現れた。
 再会を楽しむかのようだった杜木とは逆に、先生の表情は険しかった。
 そして眞姫はそんな先生の表情を見て、先生の哀しい思いが垣間見えた気がしたのだった。
 先生は一息間を取り、それから続けた。
「“邪者四天王”の力とおまえたちの力は、私の見た限りでは同等と言えるだろう。だが、それではおまえたちに勝ち目はない」
「何だと? 俺は“邪者”相手になんて負けねーよっ」
 その言葉にムッとした様子で、拓巳は鋭い視線を先生に向ける。
 先生はそんな拓巳に切れ長の瞳を向け、言った。
「負けない、だと? 確かに普通に戦えばどちらが勝ってもおかしくない。だが、“邪者四天王”には奥の手がある。だから今のままのおまえらでは勝ち目はないと言っているんだ」
「奥の手って……“邪者”の能力を最大限まで引き上げる“邪体変化”ですね」
 准の言葉に頷き、先生はふと瞳を伏せる。
 それから嘆息して呟いた。
「“邪体変化”後の“邪者四天王”の力も試したかったのだが、寸前のところで邪魔が入ったからな」
 今まで黙って先生の話を聞いていた健人は、その言葉を聞いて青い瞳を細める。
 自分と眞姫が駆けつけた時、先生は強大な“邪気”を操る男と戦っていた。
 その男・杜木の闇のような漆黒の瞳を思い出し、そして健人は言った。
「あの杜木っていうやつが“邪者”を統率してるんだろう? それに、あの大きな“邪気”……元は“能力者”だったんだよな」
「…………」
 健人のその言葉に、先生は口を噤む。
 それから先生はふと顔を上げて健人に視線を移し、自分に言い聞かせるかのように言い放ったのだった。
「杜木はおまえの言うように“邪者”を統率する男だ。そして“能力者”の敵……ただそれだけだ」




 ――同じ頃。
 学校の終業式を終えて繁華街に到着した綾乃は、待ち合わせの喫茶店に入った。
 それからふっと微笑みを浮かべ、タッタッと小走りで彼らの元へと急ぐ。
「はろぉっ、お待たせぇっ」
「なぁ、綾乃。どうしてつばさちゃんと同じ学校のおまえが、こんなにつばさちゃんより遅れて来るんだ?」
 はあっと溜め息をつき、彼女を待っていた少年・智也は漆黒の瞳を綾乃に向けた。
 そんな智也の隣に座り、綾乃はメニューを手にして開く。
「えーっと、何にしようかなぁ。ケーキも捨てがたいけど、やっぱりパフェ食べたいなぁっ」
「ていうか、人の話聞けよなっ。ったく、おまえは……」
「綾乃、こっちのメニューのパフェが期間限定らしいわよ?」
 ガクリと肩を落とす智也とは対称的に、つばさは別のメニューを綾乃に渡す。
 綾乃はにっこりと微笑み、それを受け取った。
「あっ、本当だっ。さくらんぼフェアだって! 美味しそうだねー、ありがとうつばさちゃんっ」
 きゃっきゃっとはしゃぐ綾乃から視線をつばさに向け、智也はテーブルに頬杖をつく。
「つばさちゃん、甘やかしすぎなんじゃない? 俺たちとの待ち合わせならともかく、杜木様との約束の時間にも遅れてくるんじゃないかっていつもハラハラしてるんだぞ、俺は」
「確かに杜木様をお待たせするのは困るけど、今のところ綾乃は大丈夫でしょ。それよりも……もっと問題児がいるでしょう?」
 そう言って紅茶を一口飲み、つばさは嘆息する。
 智也はその言葉を聞いてちらりと時計を見た。
「あいつ、本当に今日来るのかな」
「来るわけないわよ、杜木様もいらっしゃらないんだし」
 メニューを見てどのパフェを頼むか迷いながらも、綾乃は当然のように言った。
 つばさは怪訝な顔をし、はあっと大きく息をつく。
「この間は杜木様とのお約束すら来なかったでしょう? 信じられないわ」
「本当にあいつは“邪者四天王”の自覚あるんだか……あ、噂をすれば」
 突然鳴り出した携帯電話を取り出し、智也は電話をかけてきた人物を確認する。
 そして受話ボタンを押し、携帯を耳に当てた。
「もしもし、おまえ今どこにいるんだよ?」
『んー……今どこかって? んなの、家に決まってるよ』
 聞こえてきたのは、少年の声。
 その声は、誰が聞いても寝起き直前だと分かるものだった。
 智也は呆れたように嘆息し、わざとらしく言った。
「どうやら随分気持ちよさそうに寝てたみたいだけど、今日俺たち会う約束してたよな、確か」
『あーおはよ、智也。ていうか、約束してたからわざわざ電話してやったんだよ。んなことも分かんないワケ?』
「あーおはよ、じゃないだろっ。それに相変わらず、何でそんなに上からもの言ってるんだよ」
『あのさぁ、分かってるよね? 睡眠とおまえらと、僕にとってどっちが大事か。てなわけで、おやすみ』
 そう言って電話を切ろうとする相手に、智也は受話器越しに叫ぶ。
「待て、待てっ! むしろまた寝る気かよ!? ったく、おまえのこと心配してやってるってのによ」
『心配って、何の? 小さな親切大きなお世話って言葉、知らない?』
「相変わらずいちいち気に障ることばっかり言ってるんじゃないよ、おまえは。って、これから本格的に動くんだろう? 仕事とはいえ眞姫ちゃんと会える機会が多くなるなんて、羨ましいよ……」
 前髪をかき上げてコーヒーを飲み、智也は本当に羨ましそうな表情を浮かべる。
 その言葉に、電話の相手は思い出したように言った。
『眞姫ちゃんって、例の“浄化の巫女姫”? 智也の趣味って悪いから、どうせそれほど可愛くもないんだろ? 全然期待してないし』
「おまえな……今度会った時、笑顔で思いっきり膝蹴り入れてもいいか? ていうか、眞姫ちゃんは本気で可愛いぞ、実物見て驚くなよな」
「智也、綾乃ちゃんにもちょっと代わって」
 今まで隣で会話を聞いていた綾乃が、智也から携帯を受け取って耳に当てる。
 それから黒髪をかきあげて笑った。
「はろぉ、あんたも相変わらずみたいねぇ。って、眞姫ちゃんって本当に可愛いわよぉっ」
『あ、綾乃? てかさ、綾乃って自分のこと可愛いって思ってるんだろ? そんな綾乃に言われたって、智也以上に説得力ないし』
「本当にあんたと喋ると、夜道で後ろから刺したい衝動に駆られるのよねぇっ」
 あははっとわざとらしく笑い、綾乃は漆黒の瞳を細める。
 電話の相手はそんな綾乃の様子を気にも留めず、口を開いた。
『ねぇ、綾乃ってやっぱり当然相変わらずまだ彼氏とかいないんだろ? 涼介ともまだ喧嘩したりしてんの? あ、じゃあ喧嘩するほど仲がいいっていうからさ、涼介と付き合えばいいじゃん。ほら、あいつとだったらマニアックなプレイとかできそうだし』
「悪かったわねっ、やっぱり当然相変わらず彼氏とかいなくて。ていうか私は涼介のこと許されるなら今すぐにでも殺したいって言ってるでしょっ、第一マニアックなプレイって何よっ。ま、もうあんたなんかに何言われても怒る気もおこらないけど。今度会った時、笑顔で思いっきり“邪気”放つくらい?」
 それから綾乃はニッと笑い、言葉を続ける。
「ていうか、そんな口聞いていいのかなぁ?」
 そう言って綾乃は、携帯電話を目の前のつばさに手渡した。
 それを受け取り、つばさは声のトーンを落として言った。
「もしもし? 今日は一体どうしたのかしら?」
 その声を聞いた電話の相手は、思わずげっと呟く。
 それから先ほどまでと態度を変え、慌てた。
『うわっ、つばさもいたの!? 今日はどうしたのって……いつも通りだよ、僕は』
「そうなの、いつも通りなの。あら、そう」
 ふうっと大きく息をつき、それからつばさは言葉を続けた。
「だいたい貴方、この間の杜木様とのお約束をキャンセルするなんて、どういことかしら!? いつも通りって言って済むなんて思っているんじゃないでしょうね? 杜木様はお優しい方だから許したかもしれないけど、私は杜木様にご迷惑をかけるようなこと断じて許しませんからねっ。本当に貴方には“邪者四天王”としての自覚が……あっ! もしもし!?」
 ツーツー……と聞こえる携帯電話を耳から離し、つばさは眉を顰める。
「また話の途中に電話切ってっ。まだまだ言いたいことはたくさんあったのに」
「つばさちゃんのこと苦手だからねぇ、あいつ」
「あいつはつばさちゃんが苦手だからなぁ」
 同時に同じことを言ってくすくす笑う綾乃と智也に、つばさは視線を向けた。
 そしてはあっと嘆息して首を振る。
「笑い事じゃないわ。本当に大丈夫なのかしら」
 智也はうーんと考えるような仕草をし、表情を変えた。
「俺も心配なんだよ。眞姫ちゃんのまわりには“能力者”がいるだろう? それに、あの鳴海先生もね」
「そういえば、この間そのウワサの先生に手出ししたんでしょ? 智也」
 綾乃の言葉に智也は先日のことを思い出して苦笑する。
「ああ。でも正直、あんなに強いとは思わなかったよ。あの杜木様と互角だったしな」
「杜木様と……」
 つばさは紅茶を飲んで漆黒の瞳を細める。
 綾乃は再びメニューと睨めっこしながら言った。
「ふーん、今度その先生のこと祥太郎くんに聞いてみようっと」
「相変わらず“能力者”とデートかよ。おまえも“邪者四天王”としての自覚あるのか?」
「めっちゃめちゃあるわよ? あー悩むけど、やっぱりさくらんぼとヨーグルトのパフェにしようっとっ」
 のん気にそう言う綾乃を見て嘆息し、智也はすっかり冷めてしまったコーヒーを飲んだ。
 それからつばさから返された携帯電話にちらりと視線を移し、それをカバンにしまったのだった。




 ミーティングも終わり、視聴覚教室を出た鳴海先生は数学教室に向かって歩いていた。
 そして廊下から階段に差し掛かった、その時。
 ふと振り返って、先生は足を止める。
 それから切れ長の瞳を背後にいる人物に向け、言った。
「何の用だ?」
「先生って本当におじさまの言うように、不器用な人だなって思ってね」
 その場にいた少年・詩音は、そう言ってくすっと笑う。
 それから色素の薄い瞳を細めて続けた。
「いつになったらみんなに“邪者”の目的を言うつもりなのかな? てっきり今日あたり言うものだと思ってたんだけど。それに、杜木って人に会ったことを言われた時の先生の顔……やっぱり、まだ5年前のあのことを引きずっているんだね」
「黙れ。おまえは余計なことを言うなと言っているだろう? それにいつも言っているはずだ、私は過去に何があろうとも“能力者”として“邪者”を消滅させるとな」
 怪訝な表情の先生とは対称的に、詩音は柔らかな微笑みを浮かべる。
「僕は先生の従兄弟だからね、ほかのボーイズたちより少しだけ事情を知ってるだろう? おじさまも“能力者”だし、物心ついた時から“能力者”として育てられてきたしね。王子にとって第一はお姫様のことだけど、先生のことも心配なんだよ」
「余計なお世話だ。おまえに心配されることなど何もない」
 そう言い放ち、先生は詩音に背を向けて再び歩き出した。
 詩音はそんな先生の背中を見送り、そして言った。
「先生、もう少しボーイズたちのことを信用してあげてもいいんじゃないかな? 先生って、自分が何とかしないとって思いすぎてるところがあるからね。おじさまも、先生のそういうところが心配なんだよ」
「余計なお世話だと言っているだろう? 私はおまえらの力を買いかぶりすぎてもいなければ、過小評価もしていない。信用していないわけでもなければ、すべてを任せられるとも思っていない。ただそれだけだ」
 ちらりと振り返ってそう言い、先生は階段を下りていく。
 詩音は色素の薄いサラサラの髪をそっとかき上げ、それから上品な顔に微笑みを浮かべた。
 そして先生と反対に進路を取り、ゆっくりと歩き出したのだった。
 ――同じ頃。
 学校の校門を出て、家の方角が同じ健人と眞姫は下校していた。
 頬を撫でる春の風を感じ、眞姫は隣の健人に言った。
「あったかくなってきたね。お花見も楽しみだな、張り切ってお弁当も作らなくちゃ」
「ああ。でも結構な人数だから、弁当作るのも大変なんじゃないか?」
「ううん、大丈夫。明日から春休みで学校も休みだし、お料理好きなんだ」
 にっこりと微笑み、眞姫は楽しそうに笑顔を向ける。
 健人はそんな眞姫の笑顔を見つめ、ブルーアイを細めた。
「明日から春休みか……当たり前だけど、今度学校に行く時は2年になってるんだよな」
「うん。何だかこの1年本当にいろんなことがあったけど、すっごく充実してたわ」
「姫は誰よりも頑張ったからな、この1年。前にも言ったけど、1年前におまえに初めて会った時は本当にか弱い印象だったのに、今ではその印象も随分変わったよ」
 そう言って、健人は眞姫の頭に優しく手を添える。
 眞姫はそんな彼の大きな手の温もりを感じて思わずドキッとした。
 健人はそんな眞姫の様子には気づかず、ぽつりと呟く。
「今度こそ……姫と同じクラスになりたい」
「あ、そっか。新しい学年だから、クラス替えあるんだね。みんなで一緒のクラスになれたらいいよね」
 眞姫は上目使いで健人を見て、悪びれなくそう言った。
「…………」
 眞姫の言葉にはあっと嘆息した後、健人は添えていた手で眞姫の頭を少し乱暴に撫でる。
 それからふっと笑い、ぽんっと彼女の肩を叩いた。
「姫はこの1年、驚くほど成長したけど……鈍いところは少しも変わらないな」
「あっ、もーうっ! 健人ったらっ」
 眞姫はぐしゃぐしゃにされて乱れた髪を慌てて手櫛で整え、抗議の目で健人を見る。
 そんな眞姫の様子を楽しそうに見つめた後、優しい笑顔を向けて健人は言った。
「俺はまだ未熟だけど、でもおまえだけは絶対に守ってやるからな」
 眞姫はその言葉に嬉しそうに微笑み、そしてこくんと頷く。
 それから大きな瞳を細め、健人を映す。
「うん。私もまだ未熟な“浄化の巫女姫”だけど、みんなのために頑張るから」
 眞姫はそう言って決意を新たにしながらも、今までのことを思い出していた。
 高校に入学してから、眞姫の環境はいろいろな意味で大きく変わった。
 そんな急激な変化に不安になることもあったが、そんな不安を消してくれたのは大切な仲間たちだった。
 これから何が起きるかは分からないが、彼らと一緒なら乗り越えることができる。
 そして彼らのために、自分にできることを精一杯やっていこう。
 そう、眞姫は改めて思ったのだった。
 今は未熟だけど――少しずつ彼らと一緒に歩調を合わせて、お互いが成長していけるようにと。

 





第7話「STAY GREEN」あとがき