喫茶店に4人が入って、数十分後。
 綾乃はきゃっきゃっと楽しそうに、隣に座っている眞姫と会話をしている。
「この間ね、梨華と駅前に新しくできたケーキ屋に行ったんだけど、すっごく美味しかったよぉっ」
 眞姫は紅茶をひとくち飲んで、羨ましそうに綾乃を見た。
「あ、あそこのお店、前を通るたびに気になってたんだ。いいなぁ、私も行ってみたいな」
「じゃあ眞姫ちゃん、今度一緒に食べに行こうよぉっ、ねーっ」
「えっ、うん。今度行こうね」
 急にぎゅっと綾乃に抱きつかれて、眞姫は少しびっくりしつつもこくんと頷く。
 それから綾乃は眞姫に抱きついたまま、ちらりと健人に視線を移した。
 そして漆黒の瞳を細め、挑発的にくすっと笑う。
 テーブルに頬杖をついていかにも面白くなさそうな顔をしていた健人は、そんな綾乃の様子を見てますます怪訝な表情を浮かべた。
 もちろん眞姫の近くに“邪者”である綾乃がいることを良く思っていない健人であったが、それよりも何よりもわざと自分を煽るような綾乃の言動が気に触っているのだ。
 そして明らかに不機嫌な顔をしている健人に、梨華はひとり心配そうな様子である。
 綾乃は注文したパフェをパクッと口に運んだ後、言った。
「そうそう、前から眞姫ちゃんに聞きたかったんだけどぉっ」
「何、綾乃ちゃん?」
 ふと小首を傾げる眞姫に、綾乃ににっこりと微笑んで言葉を続ける。
「眞姫ちゃんってさ、どんな男の人がタイプなのかなーって」
 そんな綾乃の言葉に、健人は反応を示して青い瞳を眞姫に向けた。
「え?」
 予想しなかったことを聞かれ、眞姫は一瞬きょとんとする。
 それからうーんと考える仕草をし、言った。
「そうね……一緒にいて楽しい人、かな。一緒にいて、気を使わない人」
「そういえば眞姫って、蒼井くんと一緒の時すごく楽しそうよねぇっ」
 梨華は眞姫と健人を交互に見て、梨華は意味ありげに笑う。
 梨華のその言葉に、眞姫は驚いた表情をした。
「えっ? あ、うん。健人とは毎朝学校行く電車も同じだから、一緒にいる時間長いし」
「俺は姫といるとすごく楽しいし、気も使わないよ」
 健人は青い瞳を嬉しそうに細め、眞姫を見つめる。
「でもそれならさぁ、友達でも一緒にいたら楽しいし、気も使わないでしょ? 特別な人ってカンジとは何か違うんじゃなーい?」
 綾乃は健人に漆黒の瞳を向け、ふっと笑った。
 逆に健人は、むっとした表情で綾乃に視線を移す。
 そんなふたりの雰囲気を察した梨華は、慌てて健人に言った。
「ね、ねぇっ、蒼井くんは男の子の目から見て、どんな女の子がいいなぁって思う?」
 今更そんなことを聞かなくても健人が何と答えるか分かっている梨華であったが、とりあえず何か言わないとと思ったのだった。
 健人はちらりと眞姫を見て、梨華の質問に答えた。
「俺が好きなのは、ずっと一緒にそばにいたいって思うような、守ってやりたくなるようなタイプだな。自分が自然になれるような、そういう雰囲気を作ってくれる人」
「でもさぁ、いくら好きな人だからって四六時中そばにいられたら綾乃ちゃんイヤだなぁ。何か一緒じゃない時のこととか後でしつこく聞かれたりしそうで、それってウザイっぽーいっ」
 テーブルに頬杖をつき、綾乃はわざとらしく首を振る。
 健人は綾乃に視線を向け、負けじと言い返した。
「おまえみたいなタイプの女、俺みたいな考え方の男の好みのタイプとは対極だから安心しろ」
「あはは、綾乃ちゃん別に蒼井くんみたいなタイプの男の好みじゃなくても困らないし、むしろよかったぁっ」
「それはこっちも同じだ。そっくりそのまま、おまえにその言葉返すよ」
 ふたりの間にバチバチと目に見えぬ火花が散っているのを感じ、思わぬ梨華は頭を抱えた。
 一方眞姫は、目の前の状況がよく分からずにきょとんとしている。
 明らかに自分を煽って楽しんでいる綾乃の様子に怪訝な顔をし、そして健人は彼女からふいっと視線を逸らした。
 綾乃は悪戯っぽい笑みを浮かべた後パフェをすくってパクッと口に運び、そして満足そうに漆黒の瞳を細めたのだった。




 それからしばらく異様な雰囲気のお茶が続いた後、店を出た眞姫と健人は賑やかな繁華街を歩いていた。
 日もすっかり暮れ、クリスマス直前の街は赤や緑のネオンで彩り鮮やかに飾られている。
 隣を黙々と歩く健人に、眞姫はちらりと栗色の瞳を向けた。
 そして、恐る恐る声をかける。
「ねぇ、健人」
「ん? どうした、姫」
 眞姫に向けられたその表情は、いつもの彼のものに戻っていた。
 そんな様子にホッとしつつ、眞姫は言葉を続ける。
「あのね、綾乃ちゃんのことなんだけど……」
「あの女、俺の典型的嫌いなタイプだ」
 綾乃の名前を聞くやいなや、健人は怪訝な表情を浮かべた。
 ハッキリと先にそう言われて、眞姫はどうしたらいいものかと一瞬言葉を失う。
 それから気を取り直し、口を開いた。
「あのね、綾乃ちゃんは“邪者”だから健人が心配する気持ちすごく分かるの。でも、綾乃ちゃんは“邪者”だけど、お友達でもあるから……」
「…………」
 眞姫の言葉を健人は黙って聞いている。
 綾乃が“邪者”であることも気に食わない健人であるが、それ以上に綾乃の言動が健人の神経を苛立たせていた。
 だが眞姫は、綾乃が“邪者”であるから健人が心配しているのだと思っているようである。
 眞姫はそれから、ふと俯いた。
 そして、言葉を続ける。
「私ね、最近ちょっと思うんだ……確かに“邪”は怖いんだけど、“邪者”は違うかもって。綾乃ちゃんはお友達だし、あの杜木っていう人もまだ1度しか見たことないんだけど、悪い人には見えないんだ」
「でも“邪者”は、姫が怖いと思っている“邪”を身体に封印しているんだぞ?」
 眞姫の意外な言葉に少し表情を変え、健人は青い瞳を彼女に向けた。
 眞姫はその言葉に頷きつつも、健人の姿をブラウンの瞳に映す。
 そのふたつの大きな瞳は、吸い込まれそうなほどに澄んでいた。
 健人は自分を見つめる両の目に、一瞬言葉を失う。
 そんな健人の様子には気が付かず、眞姫は言った。
「だって、あの杜木っていう人……由梨奈さんの元恋人で、鳴海先生の親友だった人でしょう? そんな人が悪い人なわけないよ。それに“浄化の巫女姫”の力は、人々を平等に救う力なの。普通の人や“能力者”はもちろん、“邪者”の人たちだって私の力で何か救えることがあるかもしれないって」
「姫……」
 眞姫の言葉に、健人はふっと瞳を閉じる。
 それから瞳を開き、眞姫を真っ直ぐに見て言った。
「俺たち“能力者”の力は、人間の生命を脅かす“邪”を退治するために、そして“浄化の巫女姫”を守るためにあるものだろう? “邪”の力を使う以上“邪者”は俺たちの敵であることは事実だ。それに“邪者”は、姫の中の大きな“負の力”を必要としている。だが“負の力”を蘇らせるためには“邪”を身体に取り入れなければならない。俺は姫にそんな危険なことはさせたくないんだ。だから俺は、姫に近づく“邪者”には容赦はしない。それに……」
 そこまで言って、健人はふと言葉を切り立ち止まる。
 眞姫はそんな健人の様子に首を傾げながらも足を止め、じっと彼の言葉を待った。
 健人は青い瞳を改めて眞姫に向け、ゆっくりと言葉を続ける。
「それに俺は、ひとりの男として姫のことを守りたいんだ。俺が、姫のことを守ってやる」
「健人……」
 健人の真剣な眼差しに、眞姫は思わずドキッとする。
 自分を真っ直ぐに映すその青い瞳は、彼の思いの強さを現していた。
 眞姫はそんな健人に、にっこりと微笑む。
「ありがとう、健人。みんな私のこと守ってくれるって言ってくれて、すごく嬉しいんだ」
 それから眞姫は、おもむろに健人の手を握って続けた。
「でもね、私は守られるだけの存在じゃないの。私の力は、みんなを守るためにあるんだ。今はまだ力も思うように使えないけど、ちゃんとみんなを守れるようにこれからもっと頑張るから」
「姫……」
 健人は自分の手を握っているひやりと冷たい眞姫の手を温めるように、ぎゅっと握り返した。
 そして、ふっとその整った顔に笑みを浮かべる。
「そうだな。俺たちも頑張るから、一緒に姫も頑張ろうな」
「うん、みんなで一緒に頑張ろうね」
 こくんと頷き微笑む眞姫を見て、健人は笑顔を絶やさないまま小さくひとつ嘆息した。
 そして、眞姫に聞こえないくらいの声で呟く。
「みんなで一緒に、か。姫らしいけど……鈍すぎだぞ、姫」
「? どうしたの、健人」
「何でもないよ。それよりも、携帯鳴ってるぞ?」
「えっ? あっ、本当だっ」
 健人に言われて、眞姫は慌てて鞄の中をガサゴソと漁りだした。
 そしてようやく見つけた携帯電話の受話ボタンを押し、耳にあてる。
「もしもし? え? 夜ごはんはまだ食べてないけど……そうなんだ、分かりました……うん、それじゃあ」
 意外とあっさりと会話は終わり、眞姫は通話終了ボタンをピッと押した。
 それから少し申し訳なさそうにしながら、健人に目を向ける。
「あのね、今の電話家からだったんだけど、私の分の夕食も間違って作っちゃったんだって」
「そうか、じゃあ今日は帰るか」
「ごめんね、まだ少し時間早いのに」
 ぺこりと謝る眞姫に、健人は青い瞳を細める。
「また今度ふたりでどこか行こう、姫」
「うん、また遊びに行こうね。健人は、今からどうするの?」
 眞姫の言葉に、健人はちらりと腕時計を見た。
 そして少し考えて、口を開いた。
「俺は……もう少ししてから帰るよ」
「そっか、じゃあまた明日学校でね」
 そう言って手を振り、眞姫は地下鉄の階段を降り始める。
 健人は軽く手を上げて眞姫の姿が見えなくなるまでその後姿を見送った。
 冷たい冬の北風が、健人の金色に近いブラウンの髪を揺らす。
 そんな様子を気にも留めずに健人はおもむろにふっと青い瞳を細め、そしてゆっくりと再び歩き出したのだった。




 その、同じ頃。
「まったく綾乃ってば。蒼井くんのこと、わざとからかってたでしょ」
 はあっと溜め息をつく梨華とは反対に、綾乃は楽しそうに言った。
「え? 何のことぉ?」
「何のことぉ、じゃないわよ。蒼井くんってああいう性格だから、ムキになってむっとしてたし」
「ああいう性格だから、突付いたら面白いんじゃなーいっ」
 きゃははっと笑う綾乃に、梨華はガクリと肩を落とす。
「やっぱりわざとからかってたんじゃない……可愛そうよ、ただでさえ眞姫ってば鈍いのに、デートの邪魔したら」
「だって、蒼井くんって綾乃ちゃんのコト嫌いそうだし。デート邪魔されてしゅんとしてたら可愛そうかなって思うかもしれないけど、あの人の態度見てたら全然微塵もそんなコト思わなかったしっ。むしろ何かムカつく」
「それは綾乃がデートの邪魔なんてするから、蒼井くん気に食わなかったんでしょ?」
 梨華の言葉に、綾乃はふっと漆黒の瞳を細める。
 それから瞳と同じ色の前髪をかきあげて、呟いた。
「ま、それだけじゃないんだけどね……」
「綾乃?」
「あ、いやいや、独り言っ」
 きょとんとする梨華に向き直り、綾乃はにっこりと微笑む。
 それからふと一瞬背後に視線を向けた後、腕時計を見た。
「そういえば梨華、今日のドラマ、ビデオセットしてきたの?」
 綾乃の言葉に梨華は、あっと声を上げる。
 そして慌てて時計を見て言った。
「あっ! 忘れてた、ビデオセットしてくるの忘れちゃった!」
「今から帰れば、ギリギリ間に合う時間じゃない? あっ、ちょうどバスが来たよ?」
「本当だっ……ごめん、今日はもう帰ってもいい!?」
 バス停にちょうどバスが到着しているのを見て、梨華は綾乃に手を合わせる。
 綾乃はにっこりと微笑み、手を振った。
「うん、また遊ぼうねぇっ。ほら、早く行かないとバス出ちゃうよ?」
「ごめんね、今度何か奢るから……じゃあ、またねっ」
 梨華は振り返って手を振りつつ、停留所に停まっているバスに慌てて乗り込む。
 笑いながら手を振って梨華を乗せたバスが停留所を出発したことを見届けてから、そして綾乃はひとりで繁華街を歩き出した。
「…………」
 綾乃はそれから賑やかな人の雑踏に背を向け、おもむろにメインストリートを一本外れた路地に入る。
 大きな道からひとつ外れただけであるが、その道の人通りは断然少ない。
 わざとらしく大きく溜め息をついて、そして綾乃はピタリと立ち止まった。
「ていうか、何か用?」
 くるりと振り返り、綾乃は背後に目を向ける。
 そんな綾乃の漆黒の瞳に映っているのは、ひとりの少年の姿。
「用がなければ、おまえになんて会いに来ないよ」
 そう言って、その少年・健人は青い瞳で綾乃を見た。
 そんな彼にくすっと笑って、綾乃は漆黒の瞳を細める。
 そして。
「……!」
 健人は、ハッと顔を上げる。
 次の瞬間、綾乃の右手に“邪気”が宿ったかと思うと、周囲に“結界”が形成された。
 さらに険しい表情を浮かべ、健人は綾乃を見据える。
 逆に綾乃は挑発的な笑みを彼に向けながらも、楽しそうに言った。
「蒼井くん、私に用事ってなぁに?」
「…………」
 じろっと綾乃に視線を投げた後、健人はゆっくりと口を開く。
「“邪者”であるおまえがこれ以上姫に近づくことを、“能力者”である俺は許さない。例え姫がおまえのことを友達だと言ってもな」
 健人の言葉を聞いて、綾乃ははあっと大きく嘆息した。
 そして、大きく首を横に振る。
「ていうかさ、確かに最初は私が“邪者”だから気に食わなかったみたいだけどさ、要は私がふたりのデートの邪魔したから怒ってるんでしょ?」
 そんな綾乃の言葉を否定せず、健人は言った。
「ああ。“邪者”なだけでも気に食わないのに、わざと姫との時間を邪魔したおまえに、俺は相当頭にきている」
 綾乃はちらりと漆黒の瞳を健人に向け、そして呆れたように呟く。
「デート邪魔されたってだけで怒るなんて、ホント器量の小さい男ねぇっ」
「何だと?」
 むっとした様子で、健人は怪訝な表情を浮かべた。
 綾乃はさらに煽るように笑みを作り、続ける。
「聞こえなかった? そのくらいでガタガタ言うなんて、器量の小さい男だって言ったのよ。愛するお姫様とふたりきりじゃないとイヤだなんて、あーめっちゃウザいっ。一番彼氏にしたくないタイプっ」
「俺も言っただろう? おまえみたいなタイプの女、俺は嫌いだってな」
「それはよかったわぁっ。綾乃ちゃんも蒼井くんみたいな男なんて絶対イヤだからっ。でもお姫様以外の女の子には優しくないなんて、本当にイヤなカンジ」
 綾乃の言葉に、健人は首を振った。
 そして、続ける。
「姫以外の女に優しくないだと? それは違うな。おまえみたいな女は、特に気に食わないっていうだけだ」
 そんな健人の言葉に、綾乃は意味ありげに笑った。
「それに綾乃ちゃん、極めつけ“能力者”の敵の“邪者”だしねぇっ」
「……!」
 スッと漆黒の瞳を細めた綾乃に、健人は青い瞳を向けた。
 それと同時に、綾乃の身体から大きな“邪気”が漲るを感じる。
 健人を煽るかのように身体に“邪気”を纏い、綾乃はちらりと健人を見た。
 健人はそんな綾乃に鋭い視線を投げ、軽く身構える。
 そして右手に“気”を宿し、言った。
「俺は祥太郎のように、女だからって手加減はしない。“邪者”は“能力者”の敵だからな」
「そうねぇ、手加減なんてしない方がいいわよ? 綾乃ちゃんって、強いから」
 綾乃はそう言って、“邪気”の漲った右手をスッと掲げる。
 綾乃の“邪気”の大きさを物語るかのように、彼女の長い髪がふわりと揺れた。
 健人はそんな綾乃を見据え、負けじと“気”を漲らせる。
 そして、次の瞬間。
「……!」
 綾乃の手がふっと軽く振り下ろされたと同時に、無数の漆黒の衝撃が繰り出される。
 漆黒の光が空気を裂き、四方から健人目掛けて唸りを上げた。
 だがそれらの攻撃に怯むことなく、健人は目の前に“気”の防御壁を形成させる。
 綾乃の“邪気”と健人の“気”が激しくぶつかり合い、大きな衝撃音が周囲に響いた。
 健人はすべて漆黒の衝撃を防いだことを確かめ、そして反撃とばかりに“気”を掌に集結させる。
 そしてその輝く光の衝撃を、綾乃に向かって放った。
 空気を裂く眩い光を表情も変えずに見据えて、綾乃はおもむろにスッと手を前に翳す。
 それと同時にその掌から漆黒の光が放たれ、ふたりの中間でお互いの攻撃が衝突する。
 だが、お互いがお互いの光を押し返すことはできず、中間でふたつの威力は相殺された。
 綾乃はさらに攻撃の手を緩めず、再び大きな衝撃を繰り出す。
 それを健人は地を蹴り、跳躍してかわした。
 綾乃はスッと漆黒の瞳を細め、健人の着地位置を予想して間髪入れずに“邪気”を放つ。
 そんな様子に慌てることなく、健人は掌に“気”を漲らせて着地と同時に漆黒の光を受け止めた。
 ジュッと音がしたかと思うと綾乃の放った“邪気”は、健人の“気”によって浄化される。
 そして健人が改めて体勢を整えようとした、その時。
「!」
 健人はハッと、青い瞳を見開いた。
 顔を上げた瞬間、自分を射抜くように見据える綾乃の漆黒の瞳が、すぐ目の前にまで迫っていた。
 そして綾乃の漆黒の髪が、ふわりと揺れるのが目に入る。
 一気に健人との間合いを詰めた綾乃は、フッと握り締めた拳を健人の顎を狙いすまして放った。
 それを身を低くしてかわした健人だったが、綾乃は攻撃の手を緩めない。
 瞬時に漲らせた“邪気”を、至近距離の健人目掛けて繰り出したのだった。
「くっ!」
 次の瞬間、バチッという鈍い音がした。
 健人は“気”の漲った掌を目の前に翳し、何とか漆黒の光を受け止める。
 そしてすぐさま繰り出された綾乃の蹴りを、咄嗟に背後に飛んでやり過ごした。
「もっと綾乃ちゃんのこと楽しませてよ、蒼井くん」
 くすっと笑って、綾乃は長い黒髪をかきあげる。
 そんな綾乃の挑発的な眼差しに、健人はますます面白くない表情を浮かべた。
 それから再び“気”を掌に漲らせ、球状にする。
 ぐっと勢いをつけるように一瞬右手を引き、そして健人は大きな光の塊を綾乃に向けて放った。
 それに応戦しようと、綾乃も“邪気”をその掌に宿す。
 ……その時。
「! なっ!?」
「えっ!?」
 健人と綾乃は、同時に顔を上げる。
 次の瞬間、一筋の眩い光が弾けたのだった。
 そしてその眩い光は健人の放った衝撃とぶつかり合い、その威力を無効化させる。
 綾乃は健人から視線を外し、ふっと漆黒の瞳を細める。
 健人は大きくひとつ嘆息した後、言った。
「……何をしに来た? 邪魔するな、祥太郎」
「えらい不機嫌やなぁ、つれないなぁ」
 いつの間にか綾乃の“結界”に入り込んで衝撃を放った祥太郎は、健人の言葉に苦笑する。
 綾乃はそんな祥太郎に、にっこりと微笑む。
「あ、祥太郎くん。はろぉっ」
「これはこれは、綾乃ちゃん。何や、ふたりで楽しそうやないか。祥太郎くんも仲間に入れてや」
 ハンサムな顔に笑顔を浮かべ、祥太郎は悪戯っぽく笑った。
 健人は対称的に怪訝な顔をして、祥太郎に視線を向ける。
「邪魔をするなと俺は言っているんだ。第一、何でおまえがここにいるんだ?」
「何でってなぁ、街のど真ん中にこんな強力な“結界”が張られたら、イヤでも気付くわ」
 はあっとわざとらしく溜め息をついて、祥太郎は少し長めの前髪をかきあげた。
「ていうか、珍しいツーショットやなぁ。何があったん?」
「蒼井くんがね、綾乃ちゃんに図星つかれてムキになって喧嘩売ってきたの」
「喧嘩売るようなことを言ったのは、一体どっちだ?」
 健人は気に食わない表情のまま、キッと青い瞳を綾乃に向ける。
 ふたりの様子を見て、祥太郎はゆっくりと健人に近づく。
 そして健人の肩をポンポンッと叩き、くっくっと笑い出した。
「健人のことや、綾乃ちゃんに煽られてムキになったんやろ? 図星つかれたって、単純とかすぐキレるとか盲目的とか大人気ないとか、そーいうコトでも言われたんか?」
「悪かったな、単純とかすぐキレるとか盲目的とか大人気なくて」
 ムッとする健人を後目に、綾乃はふっと笑う。
「眞姫ちゃんと蒼井くんのデートを綾乃ちゃんが邪魔したって怒るから、器量の小さい男って本当のコト言っただけよぉっ」
「器量の小さい……わははっ、ヒドイ言われようやなぁっ。しかも図星つかれとるで、健人っ」
「おまえな、笑いすぎだ」
 妙に楽しそうな祥太郎を、健人はじろっと睨み付ける。
 それから気を取り直して、祥太郎は健人を宥めるように言った。
「ま、今日はドンパチするのはここまでやな」
 そんな祥太郎の言葉に、健人は不服そうな表情を浮かべる。
 そして青い瞳を祥太郎に向け、口を開いた。
「さっき言ったことが聞こえなかったか? 俺は邪魔をするなと言ったんだ、祥太郎」
「健人は頑固やから、一度言い出したら聞かんからなぁ……んじゃ、仕方ないわ」
 ふうっとひとつ溜め息をついて、祥太郎はちらりと健人に目を向ける。
 そして。
「……っ!!」
 ドスッと鈍い音がしたかと思うと、健人の身体がずるりと地に崩れる。
「くっ、祥っ……何……っ」
 祥太郎に不意打ちで鳩尾に一撃入れられ、健人は意識を失ってその場に倒れた。
「あらら、これってどういうつもり? 祥太郎くん」
「こうでもせんと、こいつカッとなったら言うこと聞かんからなぁ」
 綾乃の問いに、祥太郎はにっこりと笑って答える。
 そして、続けた。
「ま、ふたりとも俺の友達や。このままドンパチするのを黙って見てるわけにはいかんやろ。平和主義な祥太郎くんのハンサムな顔に免じて、今日は退いてくれんか? 綾乃ちゃん」
「平和主義ねぇ、あまり説得力ない気がするんだけど?」
 ちらりと倒れた健人に瞳を向け、綾乃はくすっと笑う。
 それから祥太郎に視線を戻し、言った。
「でももし綾乃ちゃんも頑固で、この場を退かないって言ったら……祥太郎くん、どうする?」
「綾乃ちゃんのことや、きっとそう言うやろうなと思ったわ」
 綾乃の煽るような言葉に微笑んでから、そして祥太郎は声のトーンをふっと変える。
「まぁ綾乃ちゃんがどうしても退かんって言うなら、その時は“能力者”として“邪者”を退けないかんな」
 綾乃はその言葉を聞いて楽しそうにくすくす笑った後、いつもの人懐っこい笑顔を彼に向けた。
「祥太郎くんのそういうトコ好きよ、綾乃ちゃんっ。ま、今日は平和主義な祥太郎くんの言う通り、大人しく帰るから」
 そう言ったと同時に、綾乃はスッと右手を掲げる。
 そしてカアッと“邪気”が弾けた瞬間、周囲の“結界”が解除された。
 綾乃はにっこりと祥太郎に手を振ってから、そしてまだ倒れている健人に視線を向ける。
「んじゃ、そこのめっちゃめちゃムカつく美少年くんにもよろしくー。また遊ぼうね、祥太郎くんっ」
「また今度デートしようなぁっ、綾乃ちゃん」
 優しく微笑んで、祥太郎は振り返りつつ手を振る綾乃の後姿を見送った。
 そして綾乃の姿が見えなくなった、その時。
「……めっちゃめちゃムカつくは俺の方だ、あの女」
「何や、寝たふりしとったんか? 美少年くん」
「気がついたのはついさっきだ。思い切り不意打ちされたからな」
 ゆっくりと立ち上がった健人は、じろっと祥太郎を睨み付ける。
「まーまー、そんなコワイ顔せんでっ。せっかくの美少年が台無しやで?」
「俺は、邪魔するなと言ったはずだ」
 むすっと不服そうな表情を浮かべる健人に、祥太郎はふっと嘆息する。
「あのなぁ、綾乃ちゃんは“邪者四天王”やで? あのままドンパチ続けとったら、ふたりともただじゃ済まんかったやろ?」
「…………」
 健人はその言葉に、無言で祥太郎から視線を逸らした。
 まだお互い本気を出していなかったにせよ、綾乃が自分の力に自信満々な理由が戦ってみて健人には分かった。
 内に秘める“邪気”の大きさはもちろん、身体能力や戦闘センスも高いものがある。
 相手を煽りつつも、彼女自身は至って冷静だった。
 だがそういう綾乃の言動が、さらに健人の気に障っていた。
 怪訝な表情のままの健人に、祥太郎はぽんっと肩を叩く。
 そしてハンサムな顔にニッと笑みを浮かべた後、言った。
「じゃ、飯でも食いに行くか。あ、もちろん健人の奢りなーっ」
「ちょっと待て。何で殴られた俺が、殴ったおまえに奢らないといけないんだ?」
 ふうっと嘆め息をついて嫌みっぽくそう言う健人を、ちらりと祥太郎は見る。
 そしてワントーン低い声で、健人の耳元で言った。
「ていうか、何で姫とデートとかしとるんや、おまえ。抜け駆けはナシって言ったやろ? 抜け駆けしたヤツには、オシオキしとかな」
「まさかおまえ、だから俺のこと殴って……」
「さあっ、何奢ってもらおーかなぁっ」
 祥太郎はわははっと笑い、健人の肩をもう一度叩いて歩き出す。
 健人はそんな祥太郎に嘆息した後、そして無邪気に自分を手招きする祥太郎に続いたのだった。