12月18日・土曜日。
 学校も午前中で終わり、眞姫と准のふたりは賑やかな繁華街の中心にある店で昼食を取っていた。
「ここのお店、私すごく好きなの。ランチも美味しいし、デザートもいろいろ種類あるし」
 店員の運んできた食後のデザートに目を輝かせて、眞姫は正面の准に視線を向ける。
 准は優しく微笑み、満足そうに頷いた。
「よかった、喜んでもらえて嬉しいよ」
 昨日ふたりで食事に行くと決まってから、准はさり気なく梨華に眞姫の好みの店を何軒か教えてもらっていたのだった。
 ひとくちデザートを口に運んでから、眞姫は改めて准に向き直る。
「私が学校休んでる時いろいろありがとうね、准くん。学級委員の仕事も片付けてくれてたし、准くんの貸してくれた授業のノートも綺麗でわかりやすくて、本当に助かったわ」
「何てことないよ、僕にできることをしただけだから」
 食後のデザートと一緒に運ばれてきた紅茶をひとくち飲んで、准はにっこりと笑った。
 数日前の病み上がりの時の眞姫は、まだ完全に体調も回復していない様が目に見えて分かった。
 人一倍いつも眞姫のことを心配している准であったが、今隣にいる彼女の顔色はもう悪くはない。
 そんな彼女の姿を優しく見つめ、准は安心したようにひと息つく。
 眞姫は准の視線に気がついて、栗色の髪をかきあげた。
「あ、准くん、何気にクリスマスパーティーまで後1週間だよね。いろいろ準備しないとね」
「そうだね。ほかの部員たちが気が利いて率先して準備するとは到底思えないし……もし姫の都合が悪くなければ、これから必要なものを買いに行かない?」
「うん、行く行く。パーティー、すごく楽しみねぇっ。ワクワクしてきちゃったっ」
 大きな瞳を輝かせてはしゃぐ眞姫を見て、准は嬉しそうに微笑む。
 そんな何に対しても目一杯楽しそうな眞姫の無邪気な性格も、准は好きだった。
 見た目大人しそうに見える眞姫であるが、くよくよ悩まない前向きな姿勢と高い向上心を持ち、そして意外と天真爛漫なのである。
 どちらかというと慎重で思慮深い准は、特にそんな眞姫といると明るい気持ちになれるのだ。
「そういえば姫、休んでる時のことで分からないこととかなかった?」
 その准の言葉に、眞姫は思い出したように鞄から数学のノートを取り出す。
「分からなかったことっていえば、数学の問題集のこの問題、ここがどうしてこうなるのかなって思ったんだけど。今日、鳴海先生に質問しようと思ってたけど時間がなくて」
 眞姫の開いたノートを覗き込んでから、准は自分の鞄から筆記用具を取り出した。
 そして手にしたシャープペンシルをカチカチと鳴らし、席を立った。
 今まで正面に座っていた准だったが、おもむろに眞姫の隣に移動する。
「この問題はね、ここに公式を当てはめたらこの値がもとめられるだろう? そしたらここが必然的にこうなるわけで……」
 准は丁寧に解説しながら、サラサラと眞姫のノートにぺンを走らせた。
 眞姫は真剣な表情で頷きながら、その准の説明を聞いている。
 眞姫が首を小さく動かすたびに、彼女の栗色の髪がふわりと揺れる。
 それと同時に、ほのかなシャンプーのいい香りが准の鼻をくすぐった。
 一通り解説が終わり、眞姫はもう一度自分で確認するかのようにノートを目で追う。
 それから納得したようにポンッと手を打って、ふと顔を上げた。
「ありがとう、准くん。すごく准くんの解説、分かりやすかったわ」
 そう言って眞姫は、隣の准を見つめてにっこりと微笑んだ。
 自分を見上げる眞姫の大きな瞳に、准は一瞬目を奪われる。
 それからふっと我に返り、優しく眞姫に言った。
「どう致しまして、姫。ほかにはない?」
「うん。もうなかったかな……」
 うーんと再びノートに視線を移す眞姫を、隣でじっと准は見つめる。
 ブラウンの瞳にかかる睫毛は長く、その肌の色は透き通るように白くて儚い印象を受けた。
 だが、彼女から感じる“気”はあたたかく、そして凛とした強い輝きが感じられる。
 そして准は、そんな眞姫のことを自分の全身全霊をかけて守ろうと改めて思ったのだった。




 同じ頃、聖煌学園。
 数学教室から職員室に戻ろうと廊下を歩いていた鳴海先生は、ふと立ち止まった。
 そんな彼の耳に響いてきたのは、美しいピアノの旋律。
 先生が足を止めたのは、音楽室の前だった。
 鳴海先生は少し何かを考えるように切れ長の瞳を細めたが、ひとつ嘆息してゆっくりと音楽室のドアを開ける。
 その時。
「……!」
 鳴海先生は、音楽室に足を踏み入れた途端広がった光景に目を見張った。
 美しく幻想的な湖に、打ち震えるしずくからほとばしる魅惑の妖精の姿。
 ちらりと一瞬色素の薄い綺麗な瞳を先生に向け、その創造主である詩音は、ピアノを奏でる指を止めずに演奏を続ける。
 先生は敢えて何も言わず、しばらくそんな美しいピアノの旋律に耳を傾けた。
 静かでそれでいて妖艶な微笑みを浮かべる水の精の幻想的な雰囲気を醸し出しながらも、きめ細かく刻まれる響きがとても優雅である。
 そして難度の高いその曲を、詩音は何事もなさそうに涼しい表情で楽しそうに弾いていた。
 数分の演奏後、詩音は余韻を楽しむようにピアノの前に座ったまま満足そうに微笑んだ。
 それから先生に瞳を向け、パチンと指を鳴らした。
 それと同時に美しい水辺と妖精は消え失せ、放課後の音楽教室の風景が戻ってくる。
 ようやく椅子から立ち上がり、詩音は口を開く。
「今の曲、先生は知っていたかな? ラヴェル作曲“夜のガスパール”の中の“オンディーヌ”っていう曲なんだけど」
 そこまで言って一瞬言葉を切り、詩音はふっと笑った。
 そして瞳にかかるブラウンの前髪をかきあげ、ゆっくりと言葉を続ける。
「ピアノで最も難しい曲をと作られた“イスラメイ”っていう曲があるんだけど、この“夜のガスパール”はそれに負けないくらい難しいものを書いてやろうと、ラヴェルが作曲したものなんだよ。最も難しいものとして作られたものよりもさらに難しいものを、とね」
「……何が言いたい?」
 詩音の言葉に表情も変えず、鳴海先生は切れ長の瞳を詩音に向けた。
 優雅な微笑みを浮かべ、詩音はふっと笑う。
「何って、いつまで騎士たちやお姫様に黙っておくつもりかな? “邪者”の目的をね」
「今言う必要性がないと、私が判断したからだ」
 はっきりとしたよく通るバリトンの声で、先生はそう言い放った。
 詩音は、ブラウンの瞳をおもむろに細める。
 それから細くてしなやかな腕を組み、ふうっと一息ついて言った。
「確かに、今言う必要性はないね。でも……言えない一番の理由は、先生が5年前のあのことを、まだ今でも後悔しているからじゃない? 先生自身、まだあのことを整理できてないんだろう? 杜木って人が“邪者”になったのも、自分のせいだって……先生を見ていると、自分自身を罪と後悔の鎖で縛りつけているように僕は見えるよ」
「…………」
 その詩音の言葉に、鳴海先生は無言で威圧的な視線を投げた。
 先生の反応をちらりと見て、詩音は優雅に微笑みを絶やさないまま続ける。
「僕は騎士たちと少し違って、生まれた時から周囲に伯父様や先生みたいな“能力者”がいる環境で育っただろう? 小さい頃から“気”も使えたし、それにいろいろな事情は騎士たちよりも少しは知っているつもりだからね」
「“邪者”の目的は、いずれあいつらにも話す時がくるだろう。それに……過去に何があろうとも、私は“能力者”としての使命を全うするまでだ」
 それだけ言ってから、これ以上話すことはないと言わんばかりに先生は音楽教室のドアを開けた。
 足を踏み出す先生を止めることはせず、詩音はその後姿を見送る。
 そしてドアを閉める瞬間一度切れ長の瞳を自分に向けた鳴海先生に、詩音はにっこりと微笑んだ。
 ピシャリとドアが閉まった後、音楽室に一瞬の静寂がおとずれる。
 詩音は、再びピアノの椅子に座った。
 そして鍵盤にそっと優しく指をかけ、ゆっくりと幻想的な旋律を奏で始めたのだった。




 昼食を取り終わった眞姫と准は、賑やかな繁華街を歩いていた。
 クリスマス間近というだけあって、街はいつも以上に鮮やかに飾られている。
 准は、クリスマスカラーに彩られたショーウインドウを楽しそうに見つめる眞姫に歩調に合わせて歩きながら、彼女に視線を向けた。
 栗色の髪を揺らす冬の冷たい風を気にすることもなく、眞姫は准に微笑む。
「あっ、見て! あのサンタの格好してるクマのぬいぐるみ、すごく可愛くない? 欲しいなぁ……」
「クマも、クリスマス仕様になってるんだね」
 眞姫と一緒にショーウインドウを覗き込んで、准も瞳を細めた。
 それからクマから視線を外し、ふと准は眞姫に目を移してあることに気が付く。
「あれ? 姫、マフラーは?」
 先程まで眞姫の首に巻かれていた薄桃色のマフラーが今は見当たらず、准は言った。
 その言葉に、眞姫はあっと短く叫んで大きな瞳をさらに見開く。
「あっ! 昼ごはん食べたお店に忘れてきちゃった、取りにいかなきゃ」
 そう言って慌てる眞姫に、准は優しく微笑む。
「僕が取ってくるよ。また寒い道のりを戻って、姫の体調悪くなったらいけないからね」
「えっ? でも悪いよ、私が忘れたんだし」
「いいから、素直に僕の言葉に甘えてくれないかな」
 そう言って、准はにっこりと優しく眞姫に笑顔を向ける。
 眞姫はうーんと考えた後、申し訳なさそうに准を見た。
「本当にいいの?」
「うん。姫の風邪がこじれる方が心配だからね、どこか店に入って待ってて」
「ごめんね、准くん。じゃあ、そこのCD店にいるね」
 准はもう一度眞姫に微笑み、そしてさっき通ってきた道を戻り始める。
 彼の背中を見送った後、眞姫は冷たくなった手にはあっと息を吹きかけてから目の前のCD店へと入った。
 店内には、聞き慣れた毎年定番のクリスマスソングが流れている。
「あ、そういえばピンクハレルヤの新曲が出てたよね……」
 そう呟いてから、お気に入りのヴィジュアル系バンドのCDを探して店内を歩き、眞姫はきょろきょろと周囲を見回した。
 ……その時。
「眞姫ちゃんが探してるCDって、これでしょ?」
 スッと目当てのCDを誰かから差し出され、眞姫は驚いたように顔を上げる。
 そして、表情を変えた。
「! あなたは……」
「こんにちは、眞姫ちゃん。探してるCD、ピンクハレルヤの新曲“Chinese Destroy”だろ? 眞姫ちゃんとは音楽の趣味が合うって、この間デートの時分かったからね」
 そう言って漆黒の瞳を細めて嬉しそうに笑うのは、“邪者四天王”の高山智也だった。
 眞姫は差し出されたCDを遠慮気味に受け取り、少し警戒した様子で智也を見る。
「探してたCD、見つけてくれてありがとう。でも、どうしてここに……」
「んー、眞姫ちゃんと久しぶりにデートしたくてね。どう? 今からお茶でもしない?」
 にっこりと微笑み、智也はさり気なく眞姫の肩に手を回した。
 眞姫は驚いた表情を浮かべながら、おそるおそる上目使いで智也に言った。
「ごめんなさい、今ひとりじゃないの」
「うん、知ってるよ。さっきまで“能力者”が一緒だったよね? やっと眞姫ちゃんがひとりになったから、デートの誘いに来たんだよ」
 悪びれもなくそう言って、智也は眞姫を伴い歩き出す。
 眞姫は慌てて首を振り、足を止めた。
「でも待ち合わせしてるから、ここを離れられないわ」
 そんな眞姫に笑って、智也は話題を急に変える。
「ていうか眞姫ちゃん、今回のピンクハレルヤの新曲、買う前に聞いた? 今回もレイジ、かなりいい感じだったよ」
 いきなり話が変わったことに少し戸惑いながらも、眞姫はこくんと頷いた。
「え? あ、うん、聞いたわ。着メロももうダウンロードしちゃった」
「えっ、どこでダウンロードしたの? 俺も着メロ欲しいなぁっ」
「あ、それなら着メロ取れるサイトのアドレス、メールで送ろうか?」
 そう言って携帯電話を取り出す眞姫に、智也は嬉しそうに表情をパッと変える。
「マジで? 嬉しいな、眞姫ちゃん。あ、俺のメアド知らないよね? 口で言うと長いけど、どうしよっか」
「んー、じゃあメアド入れてくれない?」
 眞姫は、自分の携帯を智也に渡した。
 智也は慣れた手つきで自分のメアドを眞姫の携帯に入力してから、漆黒の瞳を向ける。
「はい、入れたよ。送信はここでいい?」
「あ、うん。そこでいいよ」
 一緒に小さな携帯の画面を覗き込んでいる眞姫に、智也はふっと笑顔を浮かべた。
 そんな智也の様子に気がついて、眞姫は顔を上げて首を傾げる。
 にこにこと満足そうに眞姫に笑いかけ、そして智也は言った。
「近くで見ても本当に可愛いなぁっ、眞姫ちゃんって。あ、目が大きいだけじゃなくて、まつ毛もすごく長いんだねぇっ」
「えっ?」
 その言葉に、眞姫は瞳をぱちくりとさせる。
 それから再び警戒するような目で智也を見て、眞姫は数歩彼から離れた。
 智也は話題が豊富で好みの傾向が眞姫に似ており、その人懐っこい性格からは“能力者”の敵である“邪者”だということが全く想像できない。
 だが彼の体内には、人一倍大きな“邪気”が宿っているのだ。
 途端に再び警戒した表情を浮かべた眞姫に苦笑しつつ、智也は言った。
「そんな顔しないでよ、お姫様。ね?」
 それから智也は、ふとCD店の入り口に視線を移して言葉を続ける。
「ていうか、お姫様との楽しいふたりきりの時間もここまでかな」
「え? ……!」
 智也の言葉に顔を上げた眞姫は、次の瞬間ハッと表情を変えた。
 それと同時に、さっきまでクリスマスソングの流れていた賑やかな店内が、一瞬にして閑散とした空間に包まれる。
「姫っ!!」
「! 准くんっ」
 素早く眞姫の盾になるように位置を取って、駆けつけた准は目の前の智也を見据えた。
 智也は、周囲に張られた准の“結界”をぐるりと見回す。
「すごいなぁ、相変わらず君の作り出す“結界”は立派だね。芝草准くん、だったかな?」
 准は智也から意識を外さないまま、背後の眞姫に言った。
「遅くなってごめんね、姫。大丈夫だった?」
「あ、うん。マフラーありがとう、准くん」
 薄桃色のマフラーを准から受け取り、眞姫はぺこりと頭を下げる。
 准は眞姫に微笑んでから、今度は智也に視線を投げた。
 そんな准を見て、智也はわざとらしく溜め息をつく。
「ていうかその言い草だったらさ、まるで俺が悪者扱いじゃない。俺が何か眞姫ちゃんに危害を加えると思ってるの? 何かムカつくな、それ」
「僕は“邪”を体内に封印しているような輩を、姫に近づけたくないんだ」
 准は智也の様子を慎重に探りながら、軽く身構えた。
 それを聞いて、智也は漆黒の瞳を細める。
「勘違いしないでよね。眞姫ちゃんは“能力者”だけの巫女姫じゃない、俺たち“邪者”の巫女姫でもあるんだから」
 そう言ってから、智也は眞姫に目を向ける。
 そして優しく微笑み、言葉を続けた。
「少し前に話したよね、眞姫ちゃん。俺たち“邪者”は“能力者”の敵だけど、“浄化の巫女姫”は違うんだよ。むしろ眞姫ちゃんは、大きな“正の力”を持っていると同時に“負の力”も秘めているんだ。ていうか、“能力者”が“邪者”のこと、眞姫ちゃんに何て吹き込んでるか知らないけどね」
「眠っている力を、身体に“邪”を封印してまで呼び覚ます“邪者”行為自体、自然の摂理に反してるよ。まして姫にそんな危険なことをさせるなんて、僕は絶対に反対だ」
 准は智也を見据え、ぐっと拳を握り締める。
 智也はやれやれといった様子で、大きく首を振った。
「自然の摂理に反する? それは違うな。人間の身体に眠っている“負の力”は、それを目覚めさせることが出来る少数の者に対して与えられた特権だよ。“邪”の力を利用しているとはいえ、“負の力”は“正の力”と同じく人間の持つ力なんだから。それよりも“能力者”って、自分たちがしてることが正義かなんかだと勘違いしてるよね」
 そう言って准を見据える智也の目は、眞姫を見つめていた時の優しい面影が全く消えている。
 その両の目と同じ漆黒の髪をかきあげ、智也は続けた。
「でもよく考えてみてよ。“能力者”は、ただ無駄に“邪”を消滅させるだけじゃないか。俺たち“邪者”は“邪”を取り入れ、その力を無駄になんかしないよ。君たち“能力者”は人間の味方みたいな正義感を振りかざしてるけど、でも“邪”に憑依された“憑邪”や俺たち“邪者”に対してはどうなの? 結局はその能力で殺すんだろう? それも正義のためにやむを得ない犠牲? それって、かなり都合良すぎなんじゃないの」
「僕は、僕のやってることが正義だなんて思っていないよ。それに正義なんて言葉は、所詮は人間にとって都合のいいものでしかない。僕はただ、姫に危険が及ぶことだけは絶対に認めないだけだ。この能力の意味を自分なりに考えて、やるべきことをするよ」
 准は意思の強い瞳を智也に向け、はっきりとそう言った。
 智也はふっと笑って、軽く身構える。
「確かに眞姫ちゃんの“負の力”を甦らせるためには、多少の危険が伴う。でも、それを乗り越えれば彼女の秘められた可能性も大きく広がるんだよ? まぁ、所詮いろいろ言い合ったって平行線なんだろうけど。とにかく、“能力者”と“邪者”は敵だっていうところだけは……俺たちの意見、バッチリ合うよね?」
「……姫、あぶないから少し下がってて」
 ちらりと眞姫に視線を向け、准は短くそう言い放った。
 ふたりの間に、途端にピリピリとした緊張感が漂う。
 眞姫は一瞬にして変化した空気に圧倒され、こくんと頷いた。
 スウッと右手を掲げ、智也は狙いを定めるかのように漆黒の瞳を再び細める。
 それから眞姫にふと視線を向けて、にっこりと微笑んだ。
「俺は眞姫ちゃんと話したかったのになぁ……ま、“能力者”を片付け終わってからでも、ゆっくりふたりでデートすればいいけどね」
 煽るような智也のその言葉にも表情を変えず、准も静かに掌に“気”を漲らせた。
 バチバチとふたりの“気”と“邪気”がぶつかり合い、空気が震えはじめる。
 智也はふっと口元に笑みを浮かべ、強大な“邪気”の漲った右手を振り下ろした。
「!!」
 准はくっと唇を結び、智也の放った光の塊を見据える。
 そして“気”の宿った掌を掲げた。
 その瞬間、耳を劈くような衝撃音があたりを包む。
 智也は攻撃の手を緩めず、さらに複数の漆黒の衝撃を繰り出した。
 眩い光が弾け、衝撃の余波が周囲に立ち込める。
「うーん、さすがに下手な鉄砲数打ちゃ当たるってレベルの防御壁じゃないみたいだなぁ……」
 複数の“邪気”を放っていた右手をおもむろに引き、智也はそう呟いて周囲の余波が晴れるのを待った。
 すべて智也の繰り出した衝撃を防御壁を張って完璧に防いだ准だったが、あえて相手の出方を伺うように動きをみせずにいた。
 智也は再び右手に“邪気”を宿らせ、勢いをつけるかのようにふっと後ろに引く。
「……!」
 准は急速に高まる智也の“邪気”を感じ、表情を引き締めた。
 そしてニッと笑みを浮かべた智也の手から、より大きな光の衝撃が放たれる。
 唸りを上げ、准目がけて“邪気”の塊が襲いかかる。
 先程より少し溜めを作って、准は“気”の漲った両の手をバッと目の前に突き出した。
 そして智也の放った“邪気”が准の目の前にまで迫った、次の瞬間。
「!! なっ!?」
 智也は、漆黒の瞳を大きく見開いた。
 そして唇を結び、瞬時に掌に“邪気”を漲らせる。
 先程智也の放った大きな“邪気”の衝撃は、准の防御壁に激突したかと思うとその軌道を変えたのだった。
 すべての威力を“気”の壁に跳ね返され、漆黒の光が智也に襲いかかる。
「くっ……!」
 智也はカアッと瞬時に宿らせた“邪気”を咄嗟に放ち、跳ね返ってきた衝撃とぶつけて相殺させた。
 今までで一番大きな光が弾け、地を揺るがすほどの衝撃音が響き渡る。
「!」
 智也は次の瞬間、ふっと背後に視線を移す。
 そして、本能的に身を屈めた。
 それと同時に、隙をついて背後に回った准の右拳が空を切る。
 智也は素早く振り返り、間髪いれずに放たれた准の膝蹴りをガードした。
 それから背後に飛んで距離を取り、体勢を整える。
「相手の衝撃を跳ね返す防御壁を張れるとはね。それに俺の“邪気”を完全に跳ね返すなんて、正直驚いたよ。でも……」
 そこまで言って、智也はスッと漆黒の瞳を細める。
 そして再び身構え、ゆっくりと続けた。
「ていうか俺って、結構負けず嫌いなんだよね。完全に攻撃を跳ね返されたままじゃ、格好つかないし」
「……!」
 じっと戦況を見守っていた眞姫は、その瞬間表情を変える。
 智也の身体から、今までと比べ物にならない強大な“邪気”を感じたからだ。
 その大きさを物語るかのように空気が渦を巻き、ふわりと智也の漆黒の前髪が揺れた。
「今度の攻撃も、さっきと同じように跳ね返せるかな?」
「僕の防御壁はそう簡単には破られないよ。いくら君が強大な“邪気”を放ってもね」
 智也の攻撃に応戦する構えで、准も今まで以上に眩い“気”を纏う。
 智也はそんな准の様子に満足したようにふっと笑い、そして集結させた“邪気”の光をブンッと放った。
 グワッと唸りを上げ、空気を裂くような鋭い衝撃が准に襲いかかる。
 准は慌てることなくその衝撃の軌道を見据え、再び“気”の宿った両手を前方に翳した。
「准くんっ!」
 今まで黙って見ていた眞姫は、思わず声を上げる。
 准はギリッと歯を食いしばり、重い漆黒の衝撃に必死に耐えた。
 だが、次の瞬間。
「!!」
 漆黒の光が防御壁を突き破り、防ぎきれなかった衝撃が准に襲いかかる。
 再び防御壁を張ることも、“気”を放って衝撃を相殺させることも無理だと判断した准は、両腕をクロスに組んで真っ向から漆黒の光を受け止めた。
 そして大きな圧力が両腕にかかり思わず数歩後退はしたものの、何とかそれを食い止める。
 准はしびれる両腕の衝撃に顔を顰めつつ、鋭い視線を智也に向ける。
「いつつっ……衝撃の半分は跳ね返されて、半分は防御壁を突き破ったってわけか」
 ぶんぶんと右手の感触を確かめるように上下に振り、そう言って智也は苦笑した。
 智也の放った漆黒の衝撃の威力の半分は防御壁に跳ね返され、そして跳ね返しきれなかった衝撃が准に襲いかかったのだ。
 眞姫は目の前の出来事についていけず、大きな瞳を交互にふたりに向けている。
 智也はそんな眞姫にふと視線を向け、言った。
「あ、そうだ、眞姫ちゃん。近々、杜木様が眞姫ちゃんに会いたいっておっしゃってたよ? この間も言ったけど、眞姫ちゃんが決断してくれれば俺たち“邪者”一同、喜んでお姫様のことを歓迎したいと思っているからね」
「私に……あの杜木っていう人が?」
 不思議と惹きつけられる、深い闇のような漆黒の瞳。
 由梨奈の元恋人であり、そして鳴海先生の親友だった人物。
 眞姫は杜木の整った容姿を思い出し、表情を変えた。
 智也はふうっとひとつ大きく溜め息をつき、それからふっと構えを解く。
「今日はゆっくり眞姫ちゃんと話せそうにないから、もうやーめた。てなわけで、この強固な“結界”を解いてくれないかな。俺が砕いてもいいけど、解除してもらった方が楽だし」
「…………」
 准はその言葉に少し考える仕草をして、そして眞姫にちらりと目を向ける。
 それから瞳を伏せ、右手に“気”を漲らせた。
 そして眩い光が弾けた瞬間、賑やかな風景が目の前に戻ってくる。
「じゃあ眞姫ちゃん、今度は誰にも邪魔されない時にデートしようね」
 にっこりと眞姫に微笑み、智也はひらひらと手を振って歩き出した。
 准はさり気なく眞姫をかばうように位置を取り、警戒したように智也を見据えている。
「あ、そうそう。もうひとつ」
 そう言って智也はおもむろに立ち止まり、くるりと振り返る。
 そして眞姫ににっこりと笑顔を向け、智也は言葉を続けた。
「着メロサイトのアドレス、送ってくれてありがとうねぇっ。眞姫ちゃんのメアドもゲットしたことだし、今度メールするねぇっ」
「あっ……」
 眞姫はその言葉を聞いて、ハッとした表情をする。
 メールを送れば自分のメールアドレスが自然に相手に分かることを、眞姫は忘れていたのだ。
 そんな眞姫に嬉しそうに微笑んだ後、智也は改めて言った。
「杜木様をはじめ、俺たちは眞姫ちゃんを必要としているよ。最終的にどうするか決めるのは眞姫ちゃんだけど、眞姫ちゃんが思っているほど“邪者”ってコワイ集団じゃないから……ね?」
 もう一度無邪気に手を振ってから、そして智也はCD店を後にする。
 准はようやく智也から視線を外し、足元に投げ出されるように置かれていた鞄を手に取った。
 それから眞姫に微笑み、言った。
「姫、そのCD買ってくる?」
「あっ、そうだね。ちょっと待ってて」
 准の言葉で眞姫は智也に渡されたCDをずっと握り締めていたことに気がつき、レジに足を向ける。
 そして清算を済ませた後、まだ表情を引き締めたままの准を見て、眞姫はふと表情を変えた。
「あっ、准くん……手、怪我してない!? 大丈夫!?」
「え? あ、本当だ」
 眞姫に言われて、准は他人事のように自分の右手の甲を見て言った。
 智也の放った衝撃を両腕で受け止めた時にできたらしく、准の手の甲にじわりと血が滲んでいる。
 そんな怪我を大して気にする様子もなく、准は思い出したように眞姫に瞳を向けた。
 それから、あるものを鞄から取り出して眞姫に差し出す。
 それは、綺麗に包装された紙包みだった。
 かわいらしいラッピングを施されたそれを受け取り、眞姫はきょとんとする。
 不思議そうな顔をする眞姫に微笑み、准は言った。
「姫にプレゼント。開けてみて」
「プレゼント?」
 首を傾げながらも、眞姫は包みを言われたように開けてみる。
 その中身を見た眞姫は、あっと短く声を上げた。
「准くん、これって……」
「さっき、マフラーを取ってきた時に買ったんだ。姫が気に入ってたみたいだから」
 プレゼントの中身は、先程ショーウインドウに飾られていたサンタ姿のクマのぬいぐるみだった。
 嬉しそうに笑顔を浮かべた後、眞姫は准に視線を向ける。
「ありがとう! あ、准くん何か欲しいものある? 私もお返ししたいな」
 眞姫の言葉に、准は首を横に振った。
「ううん、その気持ちだけで嬉しいから。僕が勝手にプレゼントしたんだし」
「そんなわけにはいかないわ、いつも准くんにはよくしてもらってるのに……あ、そうだ」
 眞姫は何かを思いついたように、ぽんっと手を打つ。
 そして、おもむろに准の右手を取って自分の手を翳した。
 次の瞬間、准は驚いたように目を見張る。
「……!」
 ぼうっと翳された眞姫の手に、光が宿ったのだ。
 その柔らかな光はあっという間に准の右手を包み込み、あたたかい感触が伝わる。
 そして怪我をしていた部分が熱を帯びたかと思うと、スウッと傷も痛みも跡形なく消えうせたのだった。
 ふうっと小さく息を整えてから、眞姫は准に上目使いに視線を向ける。
「どうかな、痛くない? 今の私には、まだ傷を治すことくらいしかできないんだけど……」
 准はすっかり傷が消えて綺麗になった右手の甲を擦った後、優しく瞳を細めた。
 そして。
「! 准、くん?」
 眞姫はその准の意外な行動に、大きな瞳を驚いたように開く。
 ぎゅっと目の前の眞姫の肩に手を回し、准は自分の胸に彼女を引き寄せたのだった。
 そして、眞姫の耳元で囁くように言った。
「ありがとう、姫。姫の気持ち、すごく嬉しいよ。姫の“気”は温かくて心地よくて……いつも僕は、姫に助けられてるよ」
 自分の胸の中にいる眞姫の身体は、とても華奢で。
 准はそんな眞姫を愛おしく思ったと同時に、自分が彼女を守りたいと改めて思った。
 それから引き寄せた肩から手を離し、准はいつもの知的な微笑みを眞姫に向ける。
「姫、クリスマスパーティーに必要なものでも買いに行こうか」
「え? あ、う、うん。買い物行こうか、准くん」
 何だか妙に照れくさくなって、眞姫は俯きながらも頷いた。
 それから気を取りなおすように深呼吸をした後、改めて准からもらったサンタに視線を向け、眞姫は言った。
「このクマのぬいぐるみ、大切に可愛がるから。ありがとう、准くん」
「喜んでもらえて嬉しいよ。プレゼントできて、よかった」
 嬉しそうにクマを胸に抱く眞姫の様子を見て、准も満足そうににっこりと笑う。
 そしてゆっくりと歩き出したふたりの耳には、ロマンティックなクリスマス定番のラブソングが聞こえていたのだった。