――12月16日・木曜日。
 薄暗くなってきた繁華街は、徐々に賑わいを見せ始めていた。
 漆黒の瞳を腕時計に向け、智也は近くの柱に背中を預ける。
 指定の待ち合わせ時間を10分程過ぎていたが、智也はさほど気にする様子もない。
 ちょうど学校の下校時間にあたるため、制服姿の人も多くなっている。
 人の波をじっと見ていた智也は、ふと顔を上げた。
「こんにちは、つばさちゃん。デートのお誘いとは嬉しいなぁ」
 ひらひらと手を振る智也に、待ち合わせ場所に現れた少女・つばさはふっと笑う。
「お待たせ、智也。少しホームルームが長引いちゃって」
「大丈夫だよ、綾乃と約束した時はいつも1時間は軽く待ってるからね。あ、こんなところで立ち話もなんだから、どこか入ろうか」
 屈託のない笑顔をつばさに向け、そして智也はつばさの肩をぽんっと叩いてから続けた。
「杜木様から……何か、指示があるんだろう?」
 智也のその言葉に、つばさは漆黒の瞳を細める。
 それからおもむろに足を踏み出して頷いた。
「ええ。近くの喫茶店にでも入りましょうか」
 智也は歩き出したつばさににっこりと微笑み、彼女に続いて歩き出す。
 ふたりは、近くの喫茶店へと入った。
 注文を済ませて、つばさは改めて目の前の智也を見る。
「そういえば数日前、麻美に会ったんですってね。“能力者”とドンパチしたそうじゃない」
「余計な手出しするな、自分の仕事を邪魔するなって、麻美にキツく言われちゃったよ」
 テーブルに頬杖をつき、智也は苦笑した。
 つばさはそんな智也に微笑み、言った。
「あの子なら、いかにもそう言いそうね。それで早速、杜木様の指示なんだけど……貴方にとって、とてもいい話よ?」
「いい話?」
 くすっと笑うつばさに、智也はふと首を傾げた。
 ウェイトレスが運んできた紅茶に角砂糖をひとつ入れてゆっくりかき混ぜ、つばさは続ける。
「杜木様からの指示よ。“浄化の巫女姫”様と、デートしてきて欲しいんですって」
「眞姫ちゃんと? それは嬉しいな。でも、ただデートするだけじゃないんだろう?」
「杜木様も、いずれ直接“浄化の巫女姫”様にご挨拶に行かれるとおっしゃっていたけど……その前に、彼女に知っておいてもらいたいこともたくさんあるでしょ?」
 紅茶をひとくち飲んで、つばさは漆黒の瞳を細めた。
 智也は漆黒の前髪をふっとかきあげ、テーブルの頬杖をつく。
「可愛い眞姫ちゃんに会えるのは純粋に嬉しいよ。まぁでも……麻美も派手に動き回ってるし、お姫様とふたりきりってわけにはいかないとは思うんだけどね」
「あら、ちょうどいいじゃない。ついでに“能力者”も始末できれば、一石二鳥でしょ」
「杜木様のご命令ならばそうするけど、指示は眞姫ちゃんに話をすることなんだろう? お姫様の前で“能力者”始末しちゃったら、俺が何か見た感じ悪者っぽくて印象悪くない?」
 そこまで言って、智也はコーヒーを口に運ぶ。
 そしてふっと不敵に漆黒の瞳を細めて、続けた。
「“能力者”の始末なら、お姫様のいないところでもできるしね」
 カチャッと持っていたティーカップを置き、つばさは楽しそうに智也に視線を向ける。
「ていうか、本当に“浄化の巫女姫”様のことが好きなのね、智也」
 つばさの言葉ににっこりと笑顔を浮かべ、智也は言った。
「もちろんだよ、好きな子の印象悪くしたくないのは当然だろう? ま、状況によっては少しドンパチするかもしれないけどね。とにかく、眞姫ちゃんのことは俺に任せてよ」
 ――同じ頃。
「今現在までの状況を報告してくれないかな、麻美」
 繁華街の別の喫茶店で、その男・杜木慎一郎は目の前の麻美に微笑みを向ける。
 少し緊張した面持ちの麻美は、ひとくちコーヒーを飲んで落ち着いてから口を開いた。
「はい。着実に“能力者”に近付き、その姿をコピーしています。ですが、ここしばらくは少し時間を置いて行動を控えるつもりです」
「しばらくは行動を控える?」
 ちらりと自分を見る漆黒の瞳を真っ直ぐ見つめ返し、麻美は自信あり気に笑った。
「きっと私の能力は、今頃“能力者”の連中に伝わっているでしょう。だからこそ、しばらく時間を置こうと思っているんです。時間が経つにつれ、自分以外の誰が偽者なんだろうって仲間内で思い始めるでしょうから。そして彼らの結束が緩くなったところで、“能力者”たちが思いもよらない方向から攻めようと思っています」
「なるほど、“能力者”同士の不信感を高めるということか」
「ええ。きっと“能力者”を始末し、杜木様のご期待に添えるように致しますので」
 そんな興奮した面持ちの麻美に、杜木は優しく言った。
「しかしながら、“能力者”の力も侮れない。おまえは戦いはそれほど得意ではないはずだ。くれぐれも用心するように」
「大丈夫です。私にお任せください、杜木様」
 真っ直ぐに目の前の杜木を見てそう言い、そして麻美は野心の漲った瞳を細めたのだった。




 その頃眞姫は、部活の行われる視聴覚教室へ急いで向かっていた。
 職員室にプリントを提出しに行っていたため、部活開始に間に合うか微妙な時間である。
 特別教室棟の4階まで階段を上り終え、そして視聴覚教室のドアを軽くノックして開ける。
「姫! 待ってたぜっ」
「おっ、待ちに待ったお姫様の到着やな」
「ご機嫌麗しゅう、僕のお姫様」
「姫、まだ時間大丈夫だよ。間に合ってよかったね」
「姫……」
 駆け込むように入ってきた眞姫に、少年たちは思い思いに声をかけた。
 ちらりと時計に目をやり、部活開始時間に間に合ったことを確認して、眞姫はホッと一息つく。
 それから改めて先に来ていた少年たちに大きな瞳を向け、微笑んだ。
「お待たせ、みんな。部活に間に合ってよかったわ」
 そしてさりげなく眞姫の隣に並んだ祥太郎は、ふと眞姫に視線を向けて言った。
「あ、姫。12月24日か25日って、何か予定とかあるか?」
「え? えっと、24日は家族で食事する予定なんだけど、25日なら空いてるよ?」
「そっか、じゃあ25日は予定空けといてな、姫」
 ハンサムな顔ににっこりと笑みを浮かべると、祥太郎はポンッと軽く眞姫の頭に手を添える。
 眞姫はそんな祥太郎の言葉にきょとんとした。
「25日、何かあるの?」
 そんな眞姫の問いに答えたのは、祥太郎ではなく拓巳だった。
「みんなでクリスマスパーティーでもしようかって、姫が来る前に話してたんだよ。大人数でワイワイと、抜けがけもなしってことでな」
 眞姫が来る前に少年たちは、誰がクリスマス眞姫を誘うかを話し合っていた。
 話し合っていたというよりも、自分がお姫様とクリスマスを過ごそうと必死だったと言った方が正しいのであるが。
 そしてその結果、抜けがけなしで全員でクリスマスパーティーをしようということになったのだった。
 もちろんお姫様とふたりきりがよかった少年たちであったが、多少問題があっても眞姫と一緒にクリスマスが過ごせるならと、譲歩し合ったというわけである。
 そんな少年たちの気持ちも全く気がつかない様子で、眞姫は瞳を輝かせた。
「みんなでクリスマスパーティーなんて楽しそうね! あ、祥ちゃん、せっかくだから梨華も誘ってもいい?」
「ああ、大勢の方が楽しいやろうし、もちろんええで。な、みんな」
「そうだね、レディーは多い方が華やかだしね」
「姫とふたりじゃないなら、何人来ようが変わらないからな」
 祥太郎の言葉に、詩音と健人は頷いて答える。
 拓巳は、はしゃいだように前髪をかきあげた。
「あー、なんか今からワクワクしてきたぜっ」
「拓巳、気が早すぎだし。それよりも、どこでするの? 25日は日曜日で学校も休みだし、飲食するのなら部室ってわけにはいかないだろう?」
 子供のように楽しそうなほかの少年たちの様子を見て、准はうーんと考える仕草をする。
 少年たちと眞姫は、准の言葉に各々の反応を示す。
「んー、そうやなぁ。まずは場所を決めんと先に進まんな。人数もそれなりに多いしな」
「誰かの家って言っても、大人数が押しかけるんだから迷惑かからないようにしないと」
 根が真面目で心配性なA型の祥太郎と准は、ふたりで真剣に話している。
「俺は姫がいるなら、どこでも場所は構わないよ」
「別に俺も場所なんてどこでもいいからよ。ていうか、姫はパーティーで何したいんだ?」
 マイペースで盲目的なところがあるB型の健人と拓巳は、場所よりも眞姫のことを気にかけているようである。
「場所ね、どうしよっか? あ、クリスマスパーティーといえば、プレゼント交換とかしない? 小学校のクリスマス会みたいに、歌とか歌いながらプレゼント交換したりとか。考えただけでも楽しみねぇっ」
「会場は聖夜に相応しい華やかな飾りつけをしたいよね。それが可能なところを探さないといけないね。お姫様が楽しみなことは、王子も楽しみだよ。心が躍って、音楽の神様が今にも舞い降りてきそうだ」
 話し合いに参加しているようであまり真剣に考えてなさそうなO型の眞姫と詩音は、人一倍楽しそうに笑顔を浮かべた。
 そんな全員の言葉を一通り聞いて、准はちらりと祥太郎を見る。
「鳴海先生が、僕と祥太郎を部長と副部長にした理由が分かった気がするよ……」
「ちょっと待てや、部長と副部長って何のことや?」
 祥太郎はきょとんとした表情を浮かべ、准に聞いた。
 そんな祥太郎の様子に、准は大きく嘆息する。
「知らなかっただろうけど、祥太郎が映研の副部長なんだよ? ていうか、もう決まって軽く半年以上経ってるんだけど」
「はあっ!? んなことはじめて聞いたで? あの悪魔、俺に何の断りもなく面倒なこと押し付けよって……ま、部長がしっかりしてるからいいけどなぁっ。よっ、部長っ」
 驚いた表情を浮かべた祥太郎だったが、気を取り直して准の肩をぽんぽんと叩き、豪快に笑った。
 准は祥太郎にじろっと視線を向け、冷たく言い放つ。
「何がいいの、祥太郎? よくないよ、全然よくないから。たまには仕事してよね」
 そんな部長と副部長のやり取りを後目に、残りの部員はのんきに思い思い口を開いていた。
「ねぇねぇ、プレゼント交換の時の歌って何がいいかな? 歌いながらぐるぐる回すんだったよね、プレゼント交換」
「俺は姫のプレゼントが欲しいぜ。あ、そういう姫は何が欲しいんだ?」
「待て、拓巳。姫にプレゼントをやるのは俺だ」
「僕のお姫様は人気者だね、騎士たちもすっかり僕のお姫様の虜ってところかな」
 准から視線を眞姫に移し、祥太郎は悪戯っぽく笑って会話に乱入する。
「プレゼント交換なぁ。俺は姫が欲しいなぁっ、なーんてっ。あ、交換やから、俺も姫のものやで?」
「ていうか……誰かひとりでも真面目に考えようとか思う人、いないの?」
 再び大きく息をつき、准は頭を抱えた。
 その時、全員を微笑ましげに見つめていた詩音は、ふと視線を教室の外へと向ける。
 そして色素の薄い瞳を細め、言った。
「おやおや、どうやら部活開始時間のようだね。悪魔の足音が聞こえるよ」
「じゃあパーティーのことは、まずどこかいい場所がないか考えておいて、みんな」
 准は時計に目をやり、そう言ってとりあえず話をまとめる。
 映研部員のメンバーは、准の言葉にそれぞれ頷いた。
 それと同時に時計の針が部活開始時間をさし、無機質な電子音が室内に鳴り響く。
「……全員揃っているな、ミーティングを始める」
 相変わらず時間ぴったりにドアが開き、現れた鳴海先生は全員をぐるりと見回した。
 眞姫と少年たちは、言われた通りにミーティングを行う視聴覚準備室へと移動する。
 そして全員が席に着いたのを確認して、先生は切れ長の瞳をまず眞姫に向けた。
「清家、体調はどうだ?」
 思わぬ先生のその言葉に、眞姫は一瞬驚いた表情を浮かべる。
 それから気を取り直し、答えた。
「あ、もう良くなりました。少し数日前までは身体もだるかったんですが、今は平気です」
「おまえの“気”は今、新たな成長段階に入って不安定な状態だ。くれぐれも無理はするな」
「相変わらずお姫様には優しいんやなぁ、センセは」
 はあっとわざとらしく大きく溜め息をつき、祥太郎は机に頬杖をつく。
 そんな祥太郎にじろっと視線を向け、先生は言った。
「無駄口を叩いている暇があるなら、先日の“邪者”の件をもう一度報告しろ」
「先日の“邪者”の件って、あの偽者のことか? それならこの間も話したやろ」
 祥太郎の言葉に構わず、先生はもう一度眞姫を見る。
 先生は体調の悪い眞姫に配慮して、“邪者”が動き出していることをまだ彼女に話していなかった。
 もちろん事前に少年たちには、眞姫の周囲に気を配るように指示を与えていたのであるが。
 眞姫は祥太郎と先生を交互に見て、首を傾げる。
「先日の“邪者”の件?」
「そうか、姫はまだ聞いてなかったんやったな」
 ようやく先生の意図を理解し、祥太郎は眞姫に話し始めた。
「あれは月曜日やったかな、綾乃ちゃんに呼び出されて待ち合わせ場所に行ったら、綾乃ちゃんそっくりの偽者がおったんや。人の姿をコピーできる“邪者”が、何かの目的で綾乃ちゃんの姿を借りて俺に近づいてきたってわけや」
「偽者? 姿をコピーできる“邪者”って……」
 まだよく状況が飲み込めない眞姫は、考える仕草をする。
 拓巳は、そんな眞姫を見ながら祥太郎の言葉に続けた。
「それで火曜日、今度は俺の前にその偽者が現れたんだよ。しかも、祥太郎の姿で襲いかかってきやがったんだ」
「その場に僕もいたんだけど、その偽者の“邪者”は同じ年くらいの少女だったよ。それに“邪者”側の騎士も現れてね。紳士的にお互い退いたから、大事には至らなかったけどね」
 拓巳の言葉に付け加えるように、詩音も言った。
「えっ、祥ちゃんの姿で!? どうして?」
 驚いた表情を浮かべる眞姫に、先生は切れ長の瞳を向ける。
「“邪者”には、相手の“気”に触れるだけでその者の姿や声、さらに“気”の雰囲気まで複製できる能力を持つ者が存在する。最近動きを見せている“邪者”はおそらく、まず“邪者四天王”の藤咲綾乃の姿を借りて祥太郎に近づき、“気”に触れて祥太郎の情報を得たのだろう。そして次の日、拓巳の前に祥太郎の姿で現れたというわけだ」
「綾乃ちゃんの偽者に気がついて、あの時“結界”張ったからなぁ。それで“気”に触れられてコピーされたんやろうな」
 そんな祥太郎の言葉に、拓巳は怪訝な表情を浮かべる。
「ていうか俺、“結界”張っただけじゃなくて“気”の攻撃とか派手にぶっ放したぜ? 俺もあの“邪者”の女にコピーされてるってことかよ? それに詩音だって“空間能力”使っただろ?」
「確かに使ったけど、“空間能力”は性質が普通の“気”と違うから、コピーはされていないと思うよ」
 相変わらず穏やかな表情で、詩音は拓巳に微笑んだ。
 今まで話をじっと聞いていた健人は、ちらりとブルーアイを拓巳に向ける。
「じゃあその偽者は、次は拓巳の姿で現れるってことか?」
「今までの経緯をみれば、その可能性が高いということになるね」
 准も、健人の言葉に同意するように頷く。
「ちっ、あの女……ふざけた真似しやがってよ」
 気に食わない表情を浮かべる拓巳に、健人は言った。
「そういうことなら、しばらく姫は拓巳に近づかないことだな」
「あ? 何でだよっ」
 じろっと健人に目を向け、拓巳は怪訝な表情を浮かべた。
「コピー能力を持つ“邪者”は、姿や声だけじゃなくて“気”の雰囲気もそっくり真似できるんだろう? 本物か偽者か簡単には見分けがつかないのなら、姫が拓巳に近づかなければいい話だ。そうだろう?」
 それからふっとブルーアイを細め、健人は言葉を続ける。
「今目の前にいる拓巳だって、本物か偽者か分からないんだからな」
「! 何だとっ!? 俺が偽者って言うのかよ!」
 ガタッと立ち上がり、拓巳は健人に鋭い視線を向けた。
 そんな様子にも表情を変えず、健人は嘆息する。
「今のおまえが偽者だなんて言ってない。たが、本物かどうかも分からないだろう?」
「おまえっ!」
 ガッと健人の胸倉を掴み、拓巳はくっと唇を噛み締めた。
「拓巳も健人も、やめてっ……お願い」
 いてもたってもいられず、眞姫はそう言ってふたりを心配そうに交互に見る。
 健人は拓巳の手を無言で振り払い、掴まれて乱れた制服を整えた。
 准はそんなふたりの様子に嘆息する。
「ちょっとそれは言い過ぎだよ、健人。でも健人の言うことにも一理あるのは確かだからね、拓巳」
「なっ、准までそんなこと言うのかよ!?」
 再び立ち上がった拓巳に、今まで黙っていた鳴海先生は静かに言い放つ。
「座れ、拓巳」
「何だと? おまえに指図される筋合いはないんだよっ」
 ぐっと拳を握り締め、拓巳は先生に鋭い視線を投げた。
 鳴海先生はそんな拓巳に切れ長の瞳を向け、威圧的にもう一度言った。
「座れ。私は座れと言っているんだ、聞こえなかったか?」
「拓巳……とりあえず落ち着いて。ね?」
 眞姫にそう言われ、拓巳は納得行かない表情のままガタッと音を立てて席に着く。
「まぁ、健人や准の言うことももっともなんやけどな。でもそれやったら、拓巳だけやなくて俺にだって言えることや。あの偽者に一度、このハンサムな姿をコピーされとるんやからな」
 拓巳をちらりと見て、祥太郎は宥めるようにそう言った。
 准は再び溜め息をつき、拓巳に視線を向ける。
「感情的になったら話が進まないだろう? 実際に拓巳はその“邪者”にコピーされている可能性が高いんだから。それは事実だし」
「ていうか、俺が姫やおまえらに近づかなきゃいいんだろっ。まぁ俺が偽者か本物かなんて俺にしか分からないから、疑われても当然だしな」
 むっとした表情のまま、拓巳は嘆息して机に頬杖をついた。
 それから拓巳は、健人にじろっと視線を向ける。
「でもそれを言うならよ、健人、今のおまえだって本物だっていう証拠は何もないだろう? もしかしたら知らないうちに俺の偽者と接触してて、“邪者”に“気”をコピーされてるかもしれないだろーがよ」
「……何だと?」
 怪訝な表情を浮かべ、健人もブルーアイに拓巳を映した。
 准は、そんな雰囲気の悪くなり始めたふたりの間にさりげなく入る。
「そうだね、その可能性も無きにしも非ずだよね。でもそれは健人だけじゃなくて、僕にも誰にでも言えることだよ」
 健人は不服そうな表情をしながらも、拓巳を見据えて続けた。
「俺はたとえおまえの姿をした“邪者”に襲われても、躊躇なく消滅させることができる自信はあるからな」
「俺だって同じだ。この間は“邪者”のコピー能力のことを知らなかったから手を出せなかったけどよ、もし健人の偽者が現れたって“邪者”なら俺は容赦しないぜ」
 そんな空気を変えようと、祥太郎はハンサムな顔ににっこりと笑みを浮かべる。
「まぁまぁふたりとも、そうカッカせんで。可能性なんて考えてたらキリないわ。今ここにおる俺だって偽者かもしれんし、次は誰の偽者が現れるか分からんわけやろ?」
「祥太郎の言う通りだよ。血気盛んなのは騎士たちらしいけど、もう少し心を穏やかにしようよ」
 詩音も祥太郎の言葉に頷き、普段通りの上品な笑みをふたりに向ける。
 そんな様子を見ていた鳴海先生は、あきれたように大きく溜め息をつき、言った。
「まったくおまえたちは……まず今すべきことは何かを考えるという頭はないのか? とにかく、姿や“気”の雰囲気に惑わされるな。“邪者”の複製能力は、相手の“気”の雰囲気を真似ることはできても相手の“気”の大きさまでは真似できない。拓巳の報告によると、相手は戦闘はあまり得意ではないようだからな」
「つまり、怪しかったらそいつと戦ってみろっていうわけだな。俺はいつでもいいぜ、信じられなかったら“気”でも何でも俺に放ってみればいいだろうがよ」
 むすっとした表情でそっぽを向き、拓巳はそう呟く。
 祥太郎はそう言う拓巳の頭をぽんっと叩いて笑った。
「何や、たっくん。そんな子供みたいに拗ねたらいかんで?」
「うるせえよっ、誰が拗ねてるってんだよっ。ていうかあの女、今度俺の前に現れやがったら容赦しないからなっ」
 ぶつぶつとそう呟き、拓巳は面白くない表情を浮かべる。
 そして、シンと部屋の中に一瞬の静寂が訪れた。
 眞姫は遠慮気味に、少年たち全員の表情を見つめる。
 重苦しい雰囲気が周囲には流れ、少年たちは思い思い複雑な面持ちで黙っていた。
 それから先生は、切れ長の瞳で部員たちを見回し、言った。
「敵の能力を頭に入れておき、各個人が細心の注意を払うことが必要だ。何かあれば、すぐに私に報告しろ。話は以上だ」
 その先生の言葉と同時に、拓巳はガタッと立ち上がる。
 そして乱暴に準備室のドアを開け、足早に退室しようとした。
「あ、拓巳っ!」
 眞姫は咄嗟に、そんな拓巳を呼び止める。
 拓巳は複雑な表情のまま、ふと振り返った。
 そんな拓巳にブラウンの瞳を向け、眞姫は言った。
「私、拓巳はもちろん映研部員のみんなとも、今まで通り変わらずに仲良くするから。私たち、今までたくさんいろいろなこと話してきたでしょう? いくら姿や声や“気”の雰囲気が似ていても、偽者か本物かきっとすぐ分かると思うの。だから……」
「姫……ありがとな」
 小さく眞姫に微笑みを向け、そして拓巳は言葉を続けた。
「さっきはカッとなったけどよ、確かに俺は“邪者”にコピーされてる可能性が高いからな。俺の姿をして、“邪者”が姫に近づいてくるかもしれない……だから気をつけろよ、姫」
 それだけ言って、拓巳はおもむろに部屋を出て行く。
 眞姫はそんな拓巳の背中を、どうしていいか分からない顔で見送った。
 祥太郎は眞姫に近づき、彼女を気遣うように優しく頭を撫でる。
「拓巳だけやなくて、今度“邪者”が俺たちの誰に化けるかとかまだ分からんからな。でも姫の言う通り、ちょっとした言動で偽者か本物か見分けられると思うんや。この間も俺、綾乃ちゃんの偽者が分かったくらいやしな」
 ふうっと溜め息をつき、准も眞姫に目を向けた。
「特に拓巳や健人の偽者なら、本物が単純だからきっとすぐ分かるよ、姫」
「……どういう意味だ、それ」
 そんな怪訝な表情の健人から眞姫に視線を移し、詩音はにっこりと微笑んでドアを開ける。
「またあの“邪者”が悪戯してきても、お姫様の周りには王子や騎士がいるから大丈夫だよ。さぁどうぞ、お姫様」
 眞姫はこくんと小さく頷き、詩音に促されて視聴覚準備室を出た。
 それに続いて、少年たちも準備室を出る。
 そんな全員のやりとりを黙って見ていた鳴海先生は、もう一度大きく嘆息した。
 そして何かを考えるように切れ長の瞳を細め、最後に準備室を出たのだった。




 部活も終わり、その帰り道。
 健人は隣を黙々と歩く眞姫に、ちらりとブルーアイを向ける。
 ミーティングが終わってから、眞姫はずっと何かを考えるように俯いたままであった。
「姫……」
 ふと名前を呼ばれて顔を上げ、眞姫は健人を見た。
 その眞姫の表情は浮かないものである。
 健人はそんな眞姫に何と声をかけていいか分からず、言葉を切る。
 眞姫はその時、ふとおもむろに顔を上げた。
 そしてブラウンのつぶらな瞳を健人に向け、言った。
「健人、やっぱりこのままじゃ駄目だよ。みんなの雰囲気が悪いままじゃ、駄目だと思う。誰が偽者かとか、お互いがお互いを疑ったりするのって……悲しいよ」
 少し涙目になりながら、眞姫は上目使いで健人を見つめる。
 健人はそんな眞姫にじっと視線を向けて、金色に近いブラウンの髪をかきあげる。
 そして少し間を置いて、言った。
「姫、ごめん……」
「え?」
 きょとんとする眞姫に、健人は俯いて続ける。
「姫の安全を考えて一番いいと思ったことを口にしたけど、それが拓巳を怒らせただろう? 言い方が悪かったって反省してるよ。俺も大人気なかったってな」
「健人……」
 眞姫は健人の言葉に、顔を上げる。
 そして彼ににっこりと微笑みを向けて、言った。
「健人、謝る人が違うよ?」
 健人は少し考えるように俯き、そして顔を上げて整った容姿に小さく笑みを浮かべる。
「そうだな……明日、拓巳にも謝るよ」
「うん。こんな時だからこそ、みんながひとつになることが大切なんじゃないかな。今まで一緒に頑張ってきた仲間なんだし、ね?」
 眞姫の笑顔を見ていると、ピリピリとしていた心の中が不思議と穏やかになっていく気が健人にはしていた。
 それは健人だけでなく、少年たち全員がいつも感じていることでもあった。
 まだ能力を使えない自分は足手まといなのではないかと思っている眞姫ではあるが、逆に彼女は少年たちの心の支えになっているのである。
 そんな眞姫に、健人は綺麗なブルーアイを優しく細める。
「そうだ、姫。今度の日曜日って暇か?」
「え? うん、日曜日は特に予定ないけど」
 小さく首を傾げる眞姫をちらりと見て、健人は続けた。
「日曜日、ふたりで買い物に行かないか? クリスマスパーティーで、プレゼント交換するんだろう?」
「そうだね、プレゼント買っとかないと。クリスマスパーティーで必要なものもその時買えばいいしね。日曜日一緒に買い物行こうか、健人」
「じゃあ、日曜日の11時に繁華街の噴水広場で」
「うん。クリスマスパーティー……普段通り、みんなで楽しくワイワイできたらいいな」
 そう言って眞姫は、ふと再び少し寂しそうな表情して俯く。
「姫……」
 健人はそんな眞姫の姿を複雑な面持ちで見つめ、そして改めて先程の自分の言動を後悔したのだった。