10月23日・土曜日。
 休日の繁華街はたくさんの人で賑わっている。
 そんな人の波を掻き分け、眞姫は祥太郎との待ち合わせ場所へと向かった。
 清清しい秋晴れの空の下、秋風が彼女の栗色の髪を優しく撫でる。
 待ち合わせ場所まで歩きながら、眞姫は足を止めずにショーウインドウに飾られた服に瞳を向けて楽しそうに微笑んだ。
 それからガラスに映った自分の姿を見て身だしなみを整え、待ち合わせの定番である噴水広場に足を踏み入れた。
 ちらりと時計を見て顔を上げたその時、眞姫は少し驚いた顔をする。
 待ち合わせ時間には、まだ少し早い。
 だが、眞姫の大きな瞳に映っているのは、自分を待っているひとりの少年の姿だった。
 すらっとした長身で手足の長いスタイルの良い様は、人ごみの中でもすぐに目に入ってくる。
 さり気なく流行の服に身を包み、それが彼にはよく似合っていた。
 眞姫は気を取り直し、そんな彼に近付いた。
「早かったんだね、祥ちゃん。おはよう」
「おっ、お姫様のご到着やな。いやぁ、今日はまた一段と可愛いなぁ、姫っ」
 ハンサムな顔に人懐っこい笑顔を浮かべ、その少年・祥太郎はふと視線を下に向ける。
「姫のそのバック、はじめて見るわ。アナスイの新作か? アンティークっぽい形と色が秋っぽくていいなぁ」
「あ、これ? うん、先週買ったんだ。ちょっと高かったんだけど、可愛いでしょ」
 茶色の皮であしらわれたバックを満足そうに見せて、そして眞姫は言った。
「祥ちゃんって、よくそういうところ気がつくよね。女の子が嬉しいと思うこと言ってくれるもん」
「姫は特別やで? いつも穴があくほど姫のこと見てるからな、俺」
 眞姫はくすくす楽しそうに笑ってから、そして改めて祥太郎を見る。
 そんな彼女の視線に気がつき、祥太郎は優しく微笑みを返した。
 普段はおどけている祥太郎であるが、ハンサムな彼の笑顔に眞姫は少しドキッとする。
 鼓動を早めた胸を軽く押さえ、眞姫は言った。
「じゃあ祥ちゃん、プレゼント選びに行こうか。どこに行く?」
「実はなプレゼントなんやけど、もう欲しいもん決まってるんや」
 祥太郎の言葉に、眞姫は瞳をぱちくりさせる。
「え? あ、そうなんだ。じゃあ、その欲しいもの売ってるお店に行く?」
「そうやな。それでは参りましょうか、姫君っ」
 そんな彼女を伴い、祥太郎は賑やかな街を歩き始めた。
 眞姫は昨日健人と手を繋いで歩いた同じ道のりを歩きながら、その時のことを思い出して俯く。
 人波の中ではぐれないためとはいえ、そんな自分達は傍から見たら恋人同士に間違われそうで。
 祥太郎と並んで歩いている今の姿だって、知らない人が見たら恋人同士に見えるのかもしれない。
 そう眞姫が思った、その時。
「なんや、人が多いな……土曜やからこんなもんか」
「あ……」
 眞姫は、思わずびくっと身体を震わせた。
 祥太郎の手が、スッと優しく眞姫の腰を抱いたのだ。
 突然彼の腕に身体を引き寄せられ、眞姫は顔を赤らめる。
 さり気なく行き交う人の流れから自分をかばうような位置を取る祥太郎の気遣いに、眞姫は嬉しさと同時に気恥ずかしさも感じたのだった。
 それから祥太郎に連れられ、眞姫は一軒の店へと入る。
「おっ、あったあった。俺が欲しいのはこれなんやけど」
 祥太郎の視線を追い、眞姫もショーケースを覗き込んだ。
 それを見た眞姫は、きょとんとして祥太郎に視線を向ける。
「えっ、これ? でも、これって……」
 そう呟き、眞姫は確認するようにもう一度ショーケースに瞳を落とした。
 それは、シルバーのクロスのネックレスだった。
 それだけなら、特におかしなことはないのだが……。
「変わっとるやろ? 男用がネックレスで、女用がイヤリングのお揃いなんや。ベタに同じもんでお揃いよりも、なんやお洒落やないか?」
 祥太郎は少し照れたように笑い、眞姫の反応を見ながら言葉を続けた。
「姫が俺のネックレス、俺が姫のイヤリングを買って交換……これが、俺の欲しい誕生日プレゼントなんやけど」
「でも祥ちゃんの誕生日なのに、私も買ってもらうなんて」
「俺がそうしたいんや。姫に、俺のとお揃いのイヤリングをつけて欲しいからな。あ、デザインとか俺の好みで選んだんやけど、気にいらんかったか?」
 祥太郎の言葉に眞姫は大きく首を振ってから、再び飾ってあるイヤリングを見る。
 クロスのネックレスの隣に並べられているのは、同じデザインのクロスのイヤリング。
 少しレトロなデザインのそれはとてもお洒落で、センスの良いものだった。
「私、クロスのモチーフ大好きだし、すごく可愛いと思う。このネックレスも祥ちゃんに似合うと思うよ」
「んじゃあ、決まりやな」
 嬉しそうに微笑み、祥太郎は早速店員を呼ぶ。
「プレゼントやから、綺麗に包んでなっ」
 悪戯っぽく笑って店員にそう言ってから、祥太郎は楽しそうにほかの商品を見つめる眞姫の隣に並んだ。
「やっぱりあの買ったデザイン、この中でも一番可愛かったね。祥ちゃんって趣味いいよね」
「そうやなぁ、女の趣味もええしなーなんてっ」
「え?」
 祥太郎の言葉の意味が分からず、眞姫は数回瞬きをする。
 そんな眞姫の反応に優しく瞳を細めて、祥太郎は笑った。
「おっ、ラッピングが終わったみたいや、姫」
 ぽんっと眞姫の頭に手を乗せて、そして祥太郎は出来上がったプレゼントを取りに行く。
 眞姫は首を傾げてから、祥太郎の後に急いで続いた。
「こっちが俺のネックレスやな。後で一緒に交換しようなっ、それまで姫が持っててくれるか?」
「うん。何だかドキドキするね、こういうの」
 そう言う眞姫の右手をスッと取って、祥太郎は意味深に笑う。
 そして悪戯っぽい笑みを浮かべたまま、言った。
「お姫様が隣で月のように微笑んでくれるだけで、夢の国の王子は満足だから。それが一番の王子への贈り物だよ? ……なーんてなっ、ていうか今の、めっちゃ似てなかったか?」
「あはは、詩音くんの真似? すごく似てるっ」
 声色まで詩音の真似をする祥太郎に、眞姫は楽しそうに笑う。
 そんな眞姫の姿に満足そうな表情を浮かべ、祥太郎は髪をかきあげる。
「さてと、買い物も終わったし……姫はこれから、どこに行きたいんや?」
「今日は祥ちゃん誕生日でしょ? 祥ちゃんの行きたいところに行こうよ」
 まだくすくすと笑ったままで、眞姫は言った。
 いつも相手の意見を尊重し気を配っている祥太郎らしい言葉だと、眞姫はおかしかったのだ。
「俺の行きたいとこか? そうやな、誰もおらん、姫とふたりだけの世界に行きたいなぁっ」
 悪戯っぽく笑って、祥太郎は瞳を細める。
 眞姫はそんな祥太郎の言葉に、思いついたようにぽんっと手を叩いた。
「じゃあ、カラオケとか?」
「カラオケ……いや、確かにふたりだけの空間ではあるけどな」
 ガクッと大袈裟に肩を落として、祥太郎は苦笑する。
「? あ、カラオケいやだった?」
「いやいや。いいで、カラオケ行こうや。ていうか、その天然が反則やで……姫」
「……?」
 不思議そうな顔をする眞姫を伴い、祥太郎は近くの行きつけのカラオケボックスに入った。
 部屋に通されて、眞姫は歌本をパラパラと嬉しそうに捲る。
「ピンクハレルヤの新曲“Bloody Angel”はまだ入ってないよね……何歌おうかなぁっ」
「姫は見かけによらず、ヴィジュアル系バンドが好きやったな」
「うん。でも、自分が歌うのは女の人の歌かな。祥ちゃんは歌うまいよね、B’zとかなかなかあんなに上手く歌える人っていないよ」
「B’zはな、稲葉さんのキーが高いんやけど、歌うの好きなんや。歌うとスカーッとするしな。まぁB’zもいいけど、まずは一発目はパーッと盛り上がる曲を入れんとなぁ」
 そう言って祥太郎はリモコンを手に取り、曲番号を入れて送信した。
 それからおもむろに眞姫の隣に移動し、遠慮がちに口を開く。
「あのな、姫……前から、聞きたかったんやけど」
「ん? なぁに、祥ちゃん」
 歌本を見ていた眞姫は、ふっと顔を上げる。
 そして、驚いたように瞳を見開いた。
 隣の祥太郎のハンサムな顔がすぐに近くにあることに気がつき、眞姫は思わずドキッとする。
 優しい眼差しは普段と変わらなかったが、祥太郎の表情に普段のおちゃらけた感じは消えていた。
 祥太郎は言葉を選ぶように、しどろもどろになりながら言った。
「姫は俺らのこと、どんな風に思ってるんかな……なんて」
「俺らのこと、どんな風にって?」
「んー、映研部員のひとりひとりに対して姫がどう思ってるか、や」
 祥太郎の言葉に、眞姫は少し考える仕草をする。
 それからにっこりと微笑み、祥太郎に視線を向けた。
「祥ちゃんは、一緒にいてとても楽しいよ。気配りもすごくできる人だし、人の事を楽しませてくれる人だと思う。健人は毎朝一緒だから一緒にいると何か安心するし、拓巳といると元気わけてもらってる感じがするし、准くんといると穏やかな気持ちになれて落ち着くし、詩音くんは非凡な世界持ってて不思議で面白いなぁって思うよ」
「うーん……それって、誰がリードしてるのかかなり微妙なトコやなぁ」
 眞姫の言葉を聞いて、祥太郎はうーんと腕組みをして呟く。
「え? 何が?」
 眞姫は、そんな祥太郎をきょとんとした表情で見つめた。
 はあっと大きく嘆息した後、祥太郎はスッと眞姫の両肩に両腕を置く。
 そして大きく深呼吸をして、言った。
「あーっ、もうまどろっこしいのはやめやっ。姫……キスしても、ええか?」
「……えっ!?」
 一瞬祥太郎の言葉の意味が理解できず、眞姫は動きを止める。
 またいつもの冗談かと思い、祥太郎に上目遣いで視線を向けた。
「しょ、祥ちゃん……」
 だが、普段見たこともないような真剣な表情の祥太郎に、眞姫は戸惑いを隠しきれないと同時にそのハンサムな容姿にドキドキしてしまっていた。
 その時。
「!! きゃっ!」
「のわっ! ああっ、なんてタイミング悪いんやっ」
 突然大音量でカラオケの前奏が流れ出し、ふたりはびくっと身体を震わせる。
 眞姫はまだバクバクいっている胸を押さえながら、祥太郎にマイクを差し出した。
「しょ、祥ちゃん……はい、マイク」
 軽快に流れ出した松浦亜弥の“桃色片思い”の前奏を聴きながら、祥太郎は大きく溜め息をつく。
「まさに“桃色片思い”やなぁ、こうなったら熱唱してやるでーっ! ……桃色の片思い恋してる、マジマジと見つめてる、チラチラって目が合えば、胸がキュルルン♪ 桃色のファンタジー、イェイ!!」
 照れ隠しなのか、半ばやけになってあややを歌っている祥太郎を見て、眞姫は呟く。
「祥ちゃん、すごい振り付けも完璧……」
 そして眞姫は熱唱する祥太郎を見つめながら、先程のことを思い出して顔を赤らめた。
 だんだん近寄ってくる祥太郎のハンサムな顔は、いつもになく真剣で。
 胸がバクバクと鼓動を早めて、カアッと顔が赤くなっているのを自分でも感じた。
(やだ、私……祥ちゃんのいつもの冗談なのに、何赤くなってるんだろ……)
 眞姫は大きく息をつき、そして動揺を隠すように歌本をパラパラと捲ったのだった。




 時間も午後3時を過ぎ、繁華街の賑わいもピークに達していた。
 そんな賑やかな街を歩いていたその少女は、表情を変えてその場に立ち止まる。
 それから少し長めの黒髪をかきあげ、目の前の男を見据えた。
「おや、誰かと思えば……って、こんな街中で偶然会ったんだ、そんな顔しないでよ。綾乃」
 休日繁華街に買い物に来ていた綾乃は、目の前に現れた涼介に不快感をあらわにする。
「最悪だわ。せっかくの休みなのに、あんたなんかと会うなんてね」
「そう言わないでよ、つれないなぁ。僕は綾乃に会えて嬉しいのにな」
「…………」
 ぎゅっと唇を結び、そして綾乃はスッと右手を掲げた。
 途端に、賑やかな街並みが閑散とした空間に包まれる。
 涼介は綾乃の意外な行動に少し驚いたが、すぐにふっと不敵な笑みを浮かべた。
「綾乃、“結界”を張って何をするつもり? 僕の研究に協力でもしてくれるのかな?」
「……あんたに、言っておきたいことがあるのよ」
 そう呟き、綾乃はグッと拳を握り締める。
 そして殺気の満ちた漆黒の瞳を涼介に向け、言った。
「今はまだ同じ“邪者”の立場だから無理だけど、あんたは絶対に私が殺すから……大切なもの、今度こそ私が自分の力で守ってみせる」
「綾乃、同じ“邪者”として忠告してあげるよ」
 くすっと笑って瞳を細め、涼介は言葉を続ける。
「大切なもののために人間は強くなれる生き物ではあるけどね、それと同時に、その大切なものに足元をすくわれることだって少なくないんだよ? 大切なものが多ければ多いほど、それは弱点にもなりえるってことだよ」
「あんたは、それを姑息に利用するのが得意だもんね」
 キッと視線を投げる綾乃を見て、涼介は瞳にかかる前髪をかきあげた。
 そして、にっこりと笑う。
「人聞きが悪いな。戦略のひとつだよ、人の弱点をつくのは」
 綾乃は湧き上がる感情を押さえながら、ゆっくりと言った。
「あんたが殺したあの人が言っていたわ、大切なものを守るために自分は強くなるって。私は、そんなあの人の意思を継ぐから」
「大切なものを守る……でも君は、大切な人を守れなかったじゃない。違う?」
 煽るようにそう言った涼介に、綾乃は漆黒の瞳により一層の殺気を漲らせる。
「いいね、その深い闇のような漆黒の瞳。大切なものを守るために人は強くなれるけど、憎しみという感情でも人は強くなれるからね」
 涼介は、楽しそうにくすくすと笑った。
 そんな涼介の言葉を聞きながら漆黒の瞳をおもむろに閉じ、綾乃はぽつりと呟く。
「我慢したけど、やっぱり……ダメみたい、私……っ!」
「……!」
 ふとその時、涼介の表情が変わった。
 今まで抑えていた綾乃の“邪気”が、一気に開放されたのを感じたからだ。
 ビリビリと空気を震えさせるほどのプレッシャーを感じながら、涼介は不敵に笑う。
「すごいね、この強大な“邪気”……ゾクゾクする……っ!!」
 刹那、グワッと綾乃の右手から大きな“邪気”の塊が放たれる。
 唸りを上げて襲いかかる衝撃を、涼介は防御壁を張って防いだ。
 ドオンッと大きな音が耳を劈き、眩い光が弾ける。
 綾乃は攻撃の手を緩めず、強大な“邪気”を間髪入れずに再び繰り出した。
 四方から漆黒の衝撃が彼を捉えんと、空気を切り裂く。
 涼介は咄嗟に跳躍し、迫りくる攻撃をかわした。
 複数の漆黒の光が彼を捉えられずにお互いぶつかり合い、“結界”内に激しい余波が立ち込める。
 綾乃はそんな涼介の行動を読み、次の攻撃に入ろうと“邪気”の宿った右手を掲げた。
 その時。
「……!!」
 ガッと背後から右手首を掴まれ、綾乃は驚いたように振り返る。
「綾乃、何やってるんだよっ!?」
「! 智也……っ」
 そこには、険しい表情を浮かべた少年・高山智也の姿があった。
「これはこれは、智也じゃない。四天王が3人揃うなんて、珍しいこともあるもんだね」
 着地して体勢を整え、涼介は智也に視線を向ける。
 はあっと大きく嘆息し、智也は涼介に言った。
「あのなぁ、言っただろう? 綾乃を煽るようなことはやめろって……綾乃も綾乃だ、杜木様にも言われてるんだろ、“邪者”同士が争うのはもってのほかだってな」
「…………」
 掴まれている右手首を無言で振り払い、綾乃は俯く。
 それから、スッとその右手を再び掲げた。
 その瞬間、街の雑踏が再び目の前に戻ってくる。
 涼介はふっと笑みを浮かべ、綾乃に言った。
「何か気に触ること言ったかな、僕? でもね、僕は僕のスタンスを変えるつもりはないし、君に殺されるわけにもいかないからね。でも僕は、君のこと好きなんだけどなぁ」
「……私は、今すぐにでも殺したいほど大嫌いよ、あんたのこと」
 ぐっと握った拳を震わせ、綾乃は俯いたままそう呟く。
 その言葉にくすっと笑い、涼介は綾乃に背を向けて歩き出した。
 黙って涼介の後姿を見送った後、智也はまだ険しい表情を浮かべている綾乃に視線を向ける。
「綾乃、大丈夫?」
「智也……ごめん……」
 それだけ言って、ふっと綾乃は顔を上げた。
 それとともに、ぽろぽろと漆黒の瞳から大粒の涙が溢れ出す。
 仕方ないなと大きく溜め息をつき、そして智也は綾乃の顔を自分の胸に引き寄せた。
「謝るくらいなら、最初から手を出すなよな。綾乃の“結界”が張られたのを感じた時、どうなるかと思ったんだぞ?」
「我慢したんだけど、でも……やっぱり、ダメだったの……私……っ」
「おいおい、泣くか喋るかどっちかにしろよ。ていうか、これじゃ俺が泣かしたみたいだし」
 そう言いつつ、智也は優しく綾乃の頭を撫でる。
 そしてもう一度嘆息し、続けた。
「俺の胸は、眞姫ちゃん専用なんだけど。でも、おまえの気持ちも分かるから……今日だけ特別だからな」
「わぁーんっ、智也のばかぁーっ」
「待て待て、何でそうなるんだよっ!?」
「……言ってみたかっただけ、こう言ったら何か智也が泣かしたっぽいかなって」
「おまえなぁ……」
 ガックリうなだれて肩を落とす智也に、綾乃はゆっくりと顔を向ける。
 そして綾乃は、瞳に溜まった涙をそっと拭いた。
「智也、ごめんね。ありがとう……もう、大丈夫」
「もう大丈夫か? ほら、じゃあ行くぞ」
 ぽんっと綾乃の頭を軽く叩き、智也は歩き出す。
 綾乃は再び瞳をこすり、そしてきょとんとした。
「智也、行くって?」
「どうせ付き合わされるんだろ、おまえの甘いもののヤケ食いに」
 智也の言葉に、綾乃は笑顔を取り戻して頷く。
「うんっ、行く行くっ! もう限界超えるくらいケーキ食べたーいっ」
「げっ、言うんじゃなかったっ」
「もう付き合ってくれるって言ったんだから、撤回できませーんっ」
 ガシッと智也の腕を掴み、綾乃はお気に入りのケーキ屋に向かって歩き出した。
 そして智也は綾乃に引っ張られながらも、いつも通りの彼女に戻ったことに安堵したのだった。




 同じ頃、眞姫とともに喫茶店にいた祥太郎は表情を変えた。
「さっきの“結界”の感じは……綾乃ちゃんのものか?」
「祥ちゃん……」
 この近くで大きな“邪気”を感じ、眞姫は不安そうに祥太郎を見る。
 そんな彼女の様子に気がつき、祥太郎は微笑んだ。
「大丈夫や、何かあっても姫は俺が守るし、それに“結界”も解除されて落ち着いてるみたいやしな」
「うん、そうだね」
 彼の言葉に頷いて、眞姫は紅茶をひとくち口に運ぶ。
 祥太郎は眞姫に笑顔を向けてから、そして小声で呟いた。
「綾乃ちゃんと……あのホスト兄ちゃん、か」
 綾乃と涼介の間に大きな溝があるのは、綾乃自身から祥太郎も聞いている。
 綾乃の張った“結界”の中から感じた気配は、すべて“邪者”のものだった。
 今回はどうやら“邪者”同士の小競り合いらしく、直接自分たちに関わってくることではないようだ。
 祥太郎は状況をそう判断しながらも、自分が目の前の眞姫を守ろうと改めて思ったのだった。
「あ、そうだ。プレゼント交換しなきゃ、祥ちゃん」
 眞姫は思い出したように手を叩き、にっこりと彼に微笑む。
 優しく笑顔を返し、祥太郎は言った。
「そうやな、待ちに待ったプレゼント交換タイムやなっ」
 そう言って祥太郎は立ち上がり、眞姫の隣の席まで移動する。
 それからニッと笑い、続けた。
「テーブル越しじゃなんやからな、せっかくやし」
「じゃあ……お誕生日おめでとう、祥ちゃん」
「おおきに、姫。ほんまにめっちゃめちゃ嬉しいわ。ネックレス……姫がつけてくれんか?」
 本当に嬉しそうにプレゼントを受け取り、祥太郎はネックレスを取り出す。
 眞姫はそれを手に取り、祥太郎の首につけてあげた。
 眞姫の髪からするシャンプーのいい香りが、祥太郎の鼻をくすぐる。
 このまま目の前の眞姫を抱きしめたい衝動に駆られながらも、祥太郎は照れたように笑った。
「大切にするわ、いつも肌身離さずつけとくからな」
「うん。すごく似合ってるよ、祥ちゃん」
「んじゃ、お姫様のイヤリングも王子様がつけたるわ」
 眞姫に買ったイヤリングを取り出し、祥太郎は彼女の両耳にそれをつける。
 アンティーク調のクロスのイヤリングが、眞姫の耳元で小さく揺れた。
 手鏡をバックから取り出し、眞姫は嬉しそうに鏡を見つめる。
「わぁ、ありがとう! すごく可愛いね、これ」
「耳痛くないか? 調節せんでそのままつけたけど」
「大丈夫だよ。でも、祥ちゃんの誕生日なのに私もプレゼントもらうなんて変な感じ……嬉しいよ」
 自分のネックレスとお揃いのイヤリングを満足気に見て、祥太郎は言った。
「俺とデートする時はそれつけてきてな、姫」
「うん、私も大切にするから」
 それから祥太郎は元の席に戻り、もう一度自分の首に下がっているネックレスを見て嬉しそうに微笑む。
 そんな祥太郎に、眞姫は言った。
「あ、そうだ。ハッピーバースデーの歌、さっきカラオケで歌おうと思ってたのに」
「んじゃ、ここで歌っとくか? ちょうどケーキもあることやしな」
「あはは、うんいいよ。せっかくだから、歌っとく?」
 そう言って笑って、眞姫は少し周りを気にしながらも小声でバースデーソングを歌う。
 祥太郎はそんな眞姫を愛らしく思いながら、優しい瞳を彼女に向けていたのだった。