10月22日・金曜日。
 いつもと変わらない朝の風景の中、双子は学校に向かって歩いていた。
 前の日倒れたふたりの意識が戻ったのは、彼女たちが保健室に運ばれてしばらくたってからだった。
 そんなふたりには、倒れた前後の記憶がなかった。
 もちろん、“邪気”を纏って“能力者”に襲いかかったことすら覚えていなかったのだ。
 だが目を覚ましたその場にいた保健医の話によると、どうやら鳴海先生が自分たちを運んでくれたらしいことだけは分かった。
「今日学校着いたら、昨日のこと鳴海先生に聞いてみようね」
「うん。先生に私たち、迷惑かけちゃったのかもしれないし。でも……」
 妹の志織は、心なしか小声で言葉を続ける。
「でもさ、鳴海先生って話しかけにくいよね」
「近寄り難いっていうか、コワいよね。数学教師ってだけでも苦手なのにさぁ」
 姉の香織も、肩をすくめて頷いた。
 その時。
「あ……」
 妹の志織は、ふと顔を上げて一瞬立ち止まる。
 香織はそんな妹の様子に気がついて、彼女の視線を追った。
 志織の視線の先には、ひとりの少年の姿があった。
「あっ、蒼井くんじゃない」
「あ、うん……」
 その少年・健人を見つめる志織の表情は、何故か硬い。
 正確に言うと、志織が見ていたのは健人だけではなかったのだ。
 彼女の瞳に映っていたのは……朝日にキラキラと輝く、栗色の髪。
 そして健人の青い瞳は、彼の隣を歩くその少女だけを見つめていた。
「…………」
 志織は唇を結び、無意識にぎゅっと胸を握り締める。
 それから顔を背けるように視線を外した。
 彼女だけに向けられる優しい健人の瞳の色を、何故か志織は見ていられなかったのだ。
「蒼井くんと、Bクラスの清家さん?」
 香織はそう呟いてから、俯いてしまった志織を見る。
 大きく溜め息をつき、志織は呟くように言った。
「噂あるんだ、蒼井くんと清家さんって付き合ってるって。清家さんって可愛いし頭もいいし……蒼井くん、やっぱり清家さんと付き合ってるのかな」
 その言葉に、香織は大きく首を振る。
 そして志織と同じ浮かない表情をして、溜め息をついた。
「清家さんと芝草くんも仲がいいのよね、よくふたり一緒にいるの見かけるし。小椋くんの話では、清家さん誰とも付き合ってないって聞いたけど……志織は蒼井くんと同じクラスなんだからまだいいよ」
「香織……」
 ちらりと姉を見て、志織は秋風に揺れる長い黒髪を軽くかきあげる。
 それから双子は、同時に大きく溜め息をついた。
 志織はもう一度、少し離れた位置を眞姫とともに歩く健人に目を向ける。
 あんなに楽しそうに話す彼の姿を、彼女は今まで見たことがなかった。
 胸の中に、モヤモヤとした気持ちが湧き上がるのを感じる。
 そしてそんな気持ちが大きく渦を巻き、身体を駆け巡る何かに変わった。
 その時だった。
「……っ!」
 カアッと急に身体が熱を帯びだし、ぐるりと視界が回る。
「志織!? ……っ!」
 志織の様子に気がついた姉の香織も、妹と同調するかのように突然胸を押さえて表情を歪めた。
 双子はたまらず、その場で立ち止まる。
 額から滲み出る汗を拭う余裕もなく、ふたりはドクドクと激しく脈を打つ鼓動を抑えようと必死に肩で息をした。
「香織に志織、どうしたの!? 大丈夫!?」
 そして誰かが背後からそう叫んだ声が聞こえたと思った瞬間、そこでふたりの意識は同時に途絶えたのだった。




 ――その日の、放課後。
 生徒の姿も疎らになってきた教室で学級会議の議案をノートにまとめていた准は、一緒に作業をしていた眞姫にちらりと目を向ける。
「姫、今日も森下さんたち倒れたみたいだよ。健人が言ってたんだけど」
 准は小声で、後ろの席の眞姫にそう言った。
「え? そうなの?」
「うん。昨日みたいに“邪気”が表に出てきたわけではないみたいだけど、体調は悪いみたいだね」
 眞姫は准の言葉に、何かを考えるように俯く。
 双子が倒れて数日が経つが、一向に彼女たちの体調が回復している気配はなかった。
 むしろ日に日に悪化してさえいるのだ。
 今日一日、学校内で“邪気”を感じることはなかった。
 だが明らかに“邪者四天王”と彼女たちが接触して以来、こんな状態が続いているのだ。
 苦しんでいる彼女たちを、何とか助けてあげられないのだろうか。
 そう俯いて考え込む眞姫に、准は優しく微笑みを向ける。
「姫、そんなに考え込まないで。きっと大丈夫だから、ね?」
「でも、もしも私たちのせいで彼女たちが“邪者”に何かされたのなら、申し訳なくて……昨日、森下さんたちから“邪気”を感じたでしょ?」
 准は昨日香織に襲われたことを思い出し、表情を変えた。
 だが、すぐに気を取り直して眞姫に向き合う。
「僕、今から鳴海先生に呼ばれて数学教室に行くんだ。その時に先生から何らかの指示があると思う。“邪者四天王”が何を考えてるのかは分からないけど姫は絶対に僕たちが守るし、森下さんたちのこともちゃんと元の身体に戻してあげたいって思ってるから」
「私の能力で彼女たちを救えないかな? まだうまく力をコントロールすることはできないんだけど……」
 数回の合宿をこなし、眞姫は以前に比べると“気”を使いこなせるようになってきた。
 だが“憑邪浄化”のような“浄化の巫女姫”の特殊能力は、相変わらず力の調節ができずに使った後倒れてしまうのだった。
 眞姫の言葉に、准は表情を変える。
 そして溜め息をついて、眞姫に聞こえないくらいの小さな声で言った。
「僕は、姫に少しでも危険が及ぶことはさせたくないんだけどね」
「え? なぁに、准くん?」
 きょとんとする眞姫ににっこり微笑み、准は席から立ち上がる。
「学級会議の議題、僕が提出してくるから姫は帰ってていいよ。ちょうど鳴海先生に呼び出されてるからね」
「ありがとう、お言葉に甘えて議題の提出任せるね。でも私ももうちょっと教室にいるから。健人と一緒に帰る約束してるんだけど、今健人が職員室に行ってるの」
「うん、早く話が終わったら教室覗いてみることにするよ。じゃあ、とりあえず今日は学級会議お疲れ様。また明日ね、姫」
 ノートを持って教室を出る准を見送り、眞姫は鞄に教科書をしまい始める。
 それから、ふうっとひとつ嘆息した。
 昨日准と健人が双子に襲われた時、視聴覚教室にいた眞姫も彼女たちの“邪気”をはっきりと感じた。
 力の種類は違えど、眞姫自身も“気”を放出して倒れることが今まで多々ある。
 力を使うことは、しばらくは自分の足で立つこともままならないくらいに身体に負担がかかることなのだ。
 あの双子たちも、慣れない“邪気”に身体がついていけていないのだろう。
「何とかして、早く楽にしてあげたいな」
 そう呟き、眞姫は栗色の髪を無意識にかきあげたのだった。




「ご家族に連絡して迎えに来ていただくことになったから、荷物を取ってこないとね。教室まで、大丈夫かしら?」
 保健室のベッドで寝ていた志織は、保険医の言葉に小さく頷く。
「はい、荷物自分で取ってこれますから」
「休んでいたから、少し身体も楽になった気がします」
 志織の隣のベッドからゆっくり立ち上がり、香織も言った。
 ふたりは手櫛で髪を撫で、曲がった制服のリボンを整えてから、保健室を一旦後にする。
 香織は教室に向かう廊下を歩きながら、窓の外に目を向けた。
 そして、ぽつりと呟いた。
「部活、今日も練習できないな……体調管理はちゃんとしてるはずなのに」
「仕方ないよ、香織。芝草くんにも言われたんでしょ? 無理しちゃいけないって」
「うん。分かってるんだけど、やっぱりこれだけ練習休んじゃったら不安なんだよね」
 俯いて溜め息をつき、香織はショートカットの髪をもう一度手で整える。
 志織はそんな姉の姿を、複雑な表情で見つめていた。
 それからふたりが、Bクラスの教室の前を通りかかったその時。
「あ……」
 志織は立ち止まり、短く叫んだ。
 それから、慌てたように足早に歩き出す。
「どうしたの、志織?」
「えっ、いや、早く荷物取ってこようよ、香織」
 ぐいっと自分の腕を引っ張る志織を後目に、香織はふと顔を上げた。
 そして次の瞬間、その表情を変える。
「…………」
 香織は、無言でその場に立ち尽くしてしまった。
 そんな彼女の視線の先には、仲良さそうに話をしている准と眞姫の姿が映っていた。
 いつも柔らかな表情の准であったが、自分に向けられるものと眞姫に向けられるものとでは、その印象が違うように香織は感じたのだった。
「香織、もう行こう」
 姉を気遣うようにそう言って、志織は歩き出す。
 香織は無理に笑顔を作って小さく頷き、准たちに背を向けて妹に続いた。
「じゃあ、荷物取ってきたら声かけてね」
「うん、また後でね」
 Cクラスに入って行く志織を見送った後、香織は大きく溜め息をつく。
 そして廊下を歩き、自分のEクラスの教室に戻る。
 自分の荷物を鞄にまとめながら、香織は先程見た光景を思い出していた。
 大切な物を見守るような、准の眼差し。
 いつも誰に対しても優しい彼であるが、さっきの瞳はそれとは違っているような気がしてならなかったのだ。
「清家さんって可愛いし、女の子らしいもんね……やっぱり、そういう女の子が好きなのかな」
 鞄にしまおうとした手鏡をおもむろに取り出し、香織は覗き込んだ。
 外で毎日部活をしているため、その肌は健康的な小麦色である。
 そして短いショートカットの髪は、ボーイッシュな印象を与える。
 香織は、ふわふわと風に柔らかに揺れる栗色の眞姫の髪を思い出す。
 そして彼女のその大きな瞳も同じ色素の薄いブラウンであり、同性から見ても眞姫は愛らしい印象を受ける。
 その肌は透き通るように白く繊細で、守ってやりたい衝動に駆られるのも納得してしまうのだ。
 香織は無意識的に、ぎゅっと唇を噛み締めていた。
 胸の中を、すっきりしないモヤモヤとした感情が支配する。
 そして静かに蠢いていたその感情が大きくなるのに、時間はかからなかった。
「……っ!!」
 急にカアッと身体中が熱を帯び始め、何かが体内を駆け巡る感覚がはしる。
 グッと拳を握り締め、香織は意識の飛びそうな頭を左右に大きく振った。
 次第に呼吸も困難になり、思わず香織は椅子に座る。
 グラグラと視界が回ってぼやけ、体温が急速に上昇しているのが自分でも分かった。
 たまらずにぎゅっと瞑った瞳の裏に映ったのは……准の優しい瞳と、眞姫のブラウンの大きな瞳。
 そして。
「く……あっ!!」
 香織の叫び声と同時にガタンッと大きな音がし、椅子が勢いよく後ろに倒れた。
 急に立ち上がった香織はそんな倒れた椅子も気にしない様子で、額に滲んだ汗をふっと右手で軽く拭う。
 それから先程までとは全く違う涼しい表情に笑みを浮かべ、荷物も持たずに教室を出た。
 そしてEクラスの廊下で待っていたのは……同じように荷物も持たず立ち尽くす志織の姿。
 ふたりは視線を合わせることも言葉を交わすこともなく、同時におもむろに廊下を歩き出した。
 黙々と歩く双子は、ふたり全く同じような光の宿っていない瞳の色をしていた。
 そして先程まで苦しそうな様子だったとは思えないほど、その表情は涼し気である。
 それからふたりは、Bクラスの前でぴたりとその足を止めた。
 ……その時だった。
「えっ!?」
 教室で健人を待っていた眞姫は、表情を変えて顔を上げる。
 突然、大きな“邪気”が解き放たれたのを感じたのだ。
 それから眞姫は、大きな瞳をさらに見開く。
「森下さん……!」
 自分をじっと見据えている双子の姿に気がつき、眞姫は席から立ち上がる。
 眞姫の表情は、険しいものに変わっていた。
 彼女たちの掌に、漆黒の“邪気”の塊が形成されつつあるのを感じたからだ。
 眞姫は、横目で教室を見回す。
 僅かではあるが、教室には数名のクラスメイトがまだ残っていた。
 ここで“邪気”を放たれたら、その衝撃で関係のない人が巻き込まれてしまうかもしれない。
 明らかに双子の目標が自分であることは、その殺気にも似た“邪気”から分かる。
 まだ“結界”を張ることができない眞姫は、決意したように拳を握り締めた。
 そしておもむろに駆け出し、教室を出たのだった。
 双子たちはそんな眞姫の様子に慌てることもなく、相変わらず無表情のままに彼女を追いかけ始める。
 眞姫はとりあえず教室を出て、階段を駆け降りた。
 とにかく、人のいないところに行かないと。
 眞姫はそう思い、大きな瞳を周囲に向けた。
 双子から感じる“邪気”は、ゆっくりと確実に眞姫に近付いてきているのが分かる。
 彼女たちを何とかして助けられないだろうか、そう考えながらも眞姫は人の気配の感じない方向を探しながら走り続けた。
 そして一階まで駆け降りた眞姫は、校内から中庭に出て立ち止まる。
 幸い今、ここには誰もいなかったからだ。
 その時。
「きゃっ!!」
 ドオンッという大きな音がして、眞姫は思わず耳を塞ぐ。
 そして振り返り、表情を強張らせた。
 眞姫に追いついた双子の妹・志織の手から、“邪気”が放たれたのだ。
 狙いを外した漆黒の塊は、地面をえぐるような衝撃の跡を残す。
「……!!」
 眞姫はハッと顔を上げ、唇を噛み締めた。
 そして志織の手から放たれた第二波を、眞姫は咄嗟に受け止める。
 受け止めた掌にかかる圧力に顔を顰めながらも、“気”を漲らせて“邪気”を浄化させた。
 眞姫は先程の“邪気”でできた衝撃の跡をちらりと見る。
 自分が“結界”を張れないばかりに、被害が及んでしまった。
 まだ激突したのが地面だからよかったものの、校舎などにぶつかれば大きな被害は免れない。
 これ以上、何も誰も巻き込みたくはないのだ。
 再び志織はその手に“邪気”を漲らせる。
 眞姫はすうっと気持ちを落ち着かせるために深呼吸をし、そして“気”を掌に集めた。
 それと同時に、ゴオッと唸りを上げて“邪気”の塊が眞姫目がけて襲いかかってくる。
「く……っ!」
 眞姫は“気”を纏った手をしっかりと目の前に翳し、その衝撃を再び受け止めた。
 カアッと眩い“気”の光が周囲を包み、志織の漆黒の光を覆う。
 それから先程と同じように、衝撃の威力を浄化させて無効化させた。
 だが、次の瞬間。
「!!」
 眞姫は表情を変え、瞳を大きく見開く。
 地を蹴った香織の姿が、いつの間にか目の前まで迫っていたのだ。
 そして、バチバチとくすぶる“邪気”を纏った香織の拳が眞姫を捉えんと唸りをあげた。
「……っ!!」
 襲いかかるだろう衝撃に思わず瞳を閉じ、眞姫は唇を噛み締める。
 ……その時。
 ガッという音がし、眞姫は恐る恐る瞳を開けた。
 漆黒の“邪気”を帯びた香織の拳が、眞姫のすぐ目の前でその動きを止めているのが目に飛び込む。
 いや、正確に言うと、香織はそれ以上その拳を動かせなかったのだ。
「待たせたな、よく頑張ったぜ、姫っ」
「! 拓巳っ」
 香織の手首を掴んだまま、駆けつけた拓巳はニッと笑う。
 香織は無言で拓巳の手を振り払い、そして背後に飛んで距離を取った。
「ったく、知り合いだとやりにくいよな。ま、姫は俺が何があっても守ってやるけどな」
 普段と全く印象の違う香織を見て顔を顰めてから、拓巳はポンッと眞姫の頭に手を乗せる。
 眞姫はいつの間にか周囲に張られた拓巳の“結界”を見回し、安心したように胸を撫で下ろす。
 これで、自分のせいで周囲に被害が及ぶことはなくなったからだ。
 それから眞姫は、拓巳に瞳を向ける。
「ねぇ、拓巳。私の能力で、彼女たちを助けられないかな? “憑邪浄化”が効果があるか分からないけど、やってみたいの」
「“憑邪浄化”が有効かは分からないし、鳴海からも姫を守れって指示しか出てないからな……姫の気持ちは分かるけどよ、相手もふたりだ。危険すぎるし、姫の身が心配だ」
「うん、分かってる。でも、私……」
 眞姫を見ていた拓巳は、ふっと視線を双子に向けて表情を引き締める。
 そして、短く叫んだ。
「! くるぞ姫っ、そこを動くなよっ!」
 志織から放たれた“邪気”に反応し、拓巳は漲らせた“気”の塊を放ってその威力を相殺させる。
 志織は衝撃が無効化されたことに構わず、次々と衝撃を繰り出した。
「ちっ、俺、防御壁張るの苦手なのによっ」
 咄嗟に右手を掲げ、拓巳は目の前に“気”の防御壁を形成させる。
 複数の漆黒の衝撃が壁に阻まれて弾け、その光を失う。
 苦手と言いながらも強固な防御力を誇るその“気”の壁を見て、眞姫は改めて“能力者”の能力の高さを感じた。
 これも、鳴海先生の地獄のような特訓の賜物なのだろうか。
 拓巳は体勢を整え、そしてスッと身体を移動させる。
 志織の漆黒の“邪気”が弾けた後、香織が間合いをつめて襲いかかってきたのだ。
 漆黒の光を纏った香織の拳を受け止め、拓巳は言った。
「おい、森下! おまえ何やってんだよっ!?」
 拓巳の言葉が聞こえていないかのように、香織は無言で攻撃を放つ。
 それをひとつひとつ受け止めながら、拓巳は嘆息する。
「聞こえてねぇのかよ……なまじ手も出せないし、どうすればいいんだよ、くそっ!」
 香織の攻撃を受け止めた後、間髪入れずに唸りを上げて放たれた志織の漆黒の光を跳躍してかわし、拓巳は体勢を整えた。
 そして、双子が再び動き出そうとした……その時。
「!!」
「えっ!?」
 突然ぐらりと双子の身体が揺れたかと思うと、ふたり同時にその場に崩れ落ちるように倒れたのだった。
 眞姫はゆっくりと、そんな彼女たちに近づく。
 双子は苦しそうな表情を浮かべ、肩で息をしている。
 だが、そんな彼女たちの身体からは、先程まで感じられた“邪気”は消えていた。
「時間切れ、か?」
 構えをふっと解き、拓巳はそう呟く。
 眞姫はちらりと拓巳を見た後、屈んで双子に手を添える。
 そして、その掌に“気”を漲らせた。
 ボウッと眩い光が双子の身を包んだが、それはすぐにフッと消える。
 眞姫は首を左右に振り、嘆息した。
「やっぱり“邪気”が消えてからじゃ、体内の“邪気”を沈静化させるのは無理みたい。彼女たちの“邪気”が表に出てる時なら、できるかもしれないけど」
「身体が“邪気”に慣れてないから、まだ今は“邪気”が表に出てくる時間は短いけどな……このまま放っておくわけにはいかないからな」
 複雑な表情をして、拓巳は何かを考える表情をする。
 そして右手を掲げ、周囲に張っている“結界”を解除した。
 それからふと、視線を背後に向ける。
 その時。
「姫っ!!」
 急に自分を呼ぶ声がして、眞姫は振り返った。
「あ、健人?」
「姫っ、大丈夫だったか!?」
 息を切らして、健人が険しい表情で眞姫に駆け寄ってくるのが見える。
 拓巳はそんな健人を見て、ニッと笑って言った。
「ていうか遅せぇよ、健人」
「……担任の話が長かったせいだ」
 むっとした表情で拓巳を見て、健人は面白くなさそうな表情をする。
 拓巳はそれから、眞姫に視線を向けた。
「そうだ、姫。今日一緒に帰ろうぜっ」
「姫は俺と一緒に帰るんだ」
 さらに怪訝な顔をし、健人は拓巳を睨む。
 拓巳は鬱陶しそうに前髪をかきあげ、嘆息した。
「何だよ、いつもおまえ姫と一緒に朝通ってるからいいだろうがよ」
「おまえはひとりで、さっさと帰ればいいだろう?」
「何だよ、おまえこそひとりで帰ればいいだろーがよっ」
「ちょっと待って、ふたりとも。みんなで一緒に帰りましょう? それよりも、森下さんたちを……」
「そうだな。おい健人、森下たちを保健室まで運ぶぞ」
「……みんなで一緒に帰りましょう、か」
 はあっと大きく嘆息してから、健人は倒れている志織の上体を起こす。
 香織を抱えて運ぶ拓巳にちらりと青い瞳を向けてから、健人は小声で眞姫に言った。
「姫、日曜の約束、覚えてるか?」
「うん、一緒にプレゼント買いに行くんだよね。待ち合わせ、11時に繁華街の噴水広場でしょ?」
「ああ。楽しみにしてるよ」
 嬉しそうに瞳を細め、健人も志織を背負い歩き出す。
 眞姫はそんなふたりに続いて歩きながらも、表情を変えて俯いた。
 双子から“邪気”は消えたが、今の彼女たちは呼吸も荒く苦しそうである。
 彼女たちの“邪気”が消えた今の状態では、彼女たちを楽にしてあげることさえできないのだ。
 眞姫はふと俯いていた顔を上げ、そして決意したように前を見据えて呟いた。
「頑張らないとね、森下さんたちのためにも」




「どうやら、落ち着いたようだな」
 数学教室で、鳴海先生は切れ長の瞳を細めてそう言った。
 今まで不安な表情を浮かべていた准は、安心したようにほっと息をつく。
 もちろん眞姫が双子に襲われていたことを、准も気がついていた。
 だが、鳴海先生からここから動くなと言われ、助けに行くことができなかったのだ。
 准は改めて先生に視線を移し、言った。
「先程報告したように、攻撃を軽くかわした程度では、浅いものでしたが傷を負いました。彼女の手に“邪気”が宿ってましたから、その余波ででしょう。それにあの身体能力の向上……姉の森下さんの“邪気”の性質は、接近戦に強いもののようですね。本来の彼女の運動神経も高いものがありますから」
「健人の報告では、妹の方は遠距離からの攻撃に長けている“邪気”を使うようだな。ただ彼女たちを消滅させるだけならば簡単だが、そうもいかない。能力の性質を見ても、ふたり揃っている時は厄介だ」
「ひとりひとり別々に、ということですね。でも、姫の能力が彼女たちにどう有効かどうか分からないんですよね? 僕は、姫には極力危険なことは避けて欲しいんです」
 そう言って俯く准に、先生は視線を向けた。
「ひとりずつ対応するのが良策だ、“能力者”には私からそのように各々指示を出しておく。確かに、清家の能力が彼女たちにどういう効果があるのかは分からない。だが、“浄化の巫女姫”の能力はすべての“邪気”に有効なのは確かだ。清家には……あまり無理はさせたくないのだが、仕方ない。彼女自身も、きっと自分の力で森下たちを助けたいと思っているだろうしな」
「……そうですね」
 複雑な顔をして嘆息する准に、鳴海先生はデスクワークの時だけかけている眼鏡をスッと外す。
 それから、言葉を続けた。
「今回の森下たちの件、あまり長引かせる気はない。彼女たちはまだ“邪気”に慣れていないためにそれを使えるのも今は短時間だけだ。この時期に物事を片付ける、いいな。我々の敵は、彼女たちではない。それに今おまえを狙っているのは、森下だけではないようだしな」
「……そっちも近いうちに、何らか手を出してくるでしょうから」
 表情を怪訝なものに変え、准はそう呟く。
 鳴海先生はちらりとそんな准を見た後、再び眼鏡をかけて言った。
「提出された学級会議の議案にも目を通しておく。話は以上だ」
 准は先生の言葉を聞いて軽く礼をし、数学教室を後にする。
 そしてゆっくりとドアを閉めた後、もう一度大きく嘆息した。
 それから気を取り直し、ゆっくりと教室に向かって歩き出す。
「姫たち、まだ学校にいるかな?」
 それだけ呟いて、そして准はちらりと腕時計を見たのだった。