10月20日・水曜日。
この日の授業もすべて終了し、眞姫は帰り支度を始める。
隣の席の梨華は、准が席を外していることをちらりと確認してから、眞姫に言った。
「ねぇ、眞姫。眞姫ってさ、本当のところ今の時点で誰が一番気になってるの?」
「え? 誰のことがって?」
唐突に聞かれ、眞姫は梨華の質問の意味が分からずにきょとんとする。
梨華はそんな眞姫の耳元で続けた。
「やっぱり蒼井くん? それとも小椋くん? 芝草くんとも仲いいよね、あ、それとも梓くん? それとも、祥太郎……とか」
ようやく梨華の言っていることが分かり、眞姫は慌てて首を振る。
「えっ、だ、だから……みんなとは仲いいけど、そういう対象じゃ……」
「何言ってるのよ、みんないい男だから、密かに狙ってる子も多いらしいよ?」
「ふーん、やっぱりそうなんだ」
他人事のようにそう呟いて、眞姫は考える仕草をした。
確かに映研部員のメンバーはそれぞれタイプは違うが、全員女の子にモテてもおかしくないハンサム揃いである。
健人はあの青い瞳と金色に近いサラサラの髪、そして美少年というに相応しい容姿の持ち主であり、その瞳で見つめられるとドキドキしてしまう。
健人とは対称的に黒髪と同じ色の大きな瞳が印象的な拓巳は、運動神経も抜群で男らしさと優しさを兼ね備えている。
准は知的で穏やかな印象でありながらも、その意志の強さが感じられる責任感の強い少年であり、そして誰よりも近くで自分を見守ってくれている。
詩音は独特の世界観を持ち少し変わってはいるが、健人とは違うタイプの優雅で繊細な印象の美少年で、そして彼の奏でる旋律は、その心をそのままを映し出すかのように美しく澄んでいる。
祥太郎は長身でハンサムで、そして人を楽しませることに長けており、調子のいい言葉とは裏腹に人一倍気配りもできる人だ。
そんな彼らが女の子に人気があるのは、当然である。
眞姫は納得したように小さく頷いた。
梨華はそんな姿を見て、大きく嘆息する。
「勿体無いなぁ、選び放題なんだよ、眞姫。好きまではいかなくても、ちょっと気になるなぁって人いないの?」
「ちょっと気になる人……うーん」
真剣に悩む眞姫を見て、梨華は仕方ないというように笑った。
「彼らも報われないよね、傍から見てたらあからさまなのに、肝心のお姫様がこうじゃ」
「え?」
梨華の言葉にきょとんとして、眞姫は首を傾げる。
それからまた言葉を続けようとした梨華だったが、ふと口を噤んだ。
用事を済ませた准が、自分の席に戻って来たのだ。
梨華はそんな准の姿を見て、そして何かを思いついたように微笑む。
「ねぇ、芝草くん」
「ん? どうしたの、立花さん?」
いつものように穏やかな表情で、准は振り返った。
梨華は意味深に笑い、言った。
「芝草くん、眞姫のこと好き?」
「り、梨華っ!?」
急にそんなことを言い出した梨華に、眞姫は驚いたように瞳を見開く。
だが質問された准は慌てる様子もなく、眞姫に優しい瞳を向けて笑った。
「うん、姫のこと大好きだよ」
「おおっ、妙に素直じゃない、芝草くん」
准の思いがけない言葉に、梨華は興奮したように表情を変える。
そんな梨華に目を向け、そして准は言葉を続ける。
「でも立花さんのことも好きだよ、僕は」
悪びれもなくにっこりと笑う准に、梨華はがくりと肩を落とした。
「あのねぇ、芝草くん……」
梨華の様子を楽しむようにくすくす笑ってから、准はガラッと開いた教室のドアに目を向ける。
「ほら、帰りのホームルーム始まるみたいだよ? 鳴海先生来たし」
梨華は教室に入ってきた鳴海先生を訝しげに見た後、言った。
「芝草くんって、結構性格悪い? ていうか、今私の反応、思いっきり楽しんでたでしょ?」
「え? 何のこと? 僕は何も嘘は言ってないし」
悪びれもなく、准は梨華ににっこりと微笑む。
そんな彼にしか聞こえないように、梨華は小声で言った。
「そんな調子じゃ、手強いお姫様はおとせないんじゃないの?」
「そうだね、でも僕には僕のやり方があるから」
「余裕ねぇ、眞姫の王子様になりたいライバルは半端じゃないわよ? 今は芝草くん同じクラスなんだし、結構状況的には有利なんだから」
「うん、その通りだね。僕も頑張るから、立花さんも頑張ってね」
「……やっぱりわざと言ってるでしょ、面白がって」
梨華は、はあっと大きく嘆息して頭を抱える。
対称的に、准は楽しそうに笑った。
眞姫はボソボソ喋るふたりを見て不思議そうな表情を浮かべながらも、鳴海先生が教壇に立ったのを見てホームルーム始業の号令をかけた。
生徒が着席した後、相変わらず淡々と先生は連絡事項を伝え始める。
鳴海先生のバリトンの綺麗な声が、教室に響く。
その発音は明確であり正確で、そのために厳しい印象も受ける。
眞姫は、そんな先生をじっと見つめた。
どんな時でも近寄り難い雰囲気を醸し出している鳴海先生だが、近くで見るとその切れ長の瞳はとても綺麗で。
視線を向けられると、何故かドキドキしてしまう。
先生の厳しい印象はこの鋭い瞳のせいでもあるが、だが眞姫はそんな先生の瞳の奥に優しさとあたたかさを感じるのだった。
眞姫はそんなことを考えながらも、まじまじと先生の姿を見つめる。
その視線に気がついてか、連絡事項を伝えながらもふっと先生は眞姫に瞳を向けた。
思いがけずに目が合って、眞姫は驚いたように瞳を見開く。
「ていうかさ、鳴海ってよく眞姫のこと見るよねぇ、アヤシイなぁっ」
梨華は眞姫の腕を肘で突付いて、小声でそう言った。
「あ、アヤシイってっ……気のせいだよ、気のせい」
本当に観察力が鋭いなぁと感心しながらも、眞姫は梨華の言葉に首を振る。
確かに、普通の生徒とは自分は少し違うかもしれない。
だが、それは“能力者”と“浄化の巫女姫”という関係だからである。
先生だけではなく、それは映研部員の少年たちも同じことだ。
「…………」
ふうっととりあえず深呼吸をして気持ちを落ち着かせてから、そして眞姫は机の中の教科書を鞄に入れ始めたのだった。
繁華街の喫茶店で煙草を吸いながら、涼介は長い前髪をかきあげた。
それからおもむろに入り口に視線を移すと、煙草の火を揉み消す。
現れたのは、黒を基調としたスマートな服装の男。
店に入ってきた男は、真っ直ぐに涼介に向かって歩いてきた。
「おまえも忙しいのに、呼び出して悪いな」
そう言って、その男・杜木慎一郎は整った顔に笑みを浮かべる。
そして、涼介の向かいの席に座った。
「とんでもない、杜木様こそお忙しいでしょう?」
杜木が煙草を取り出したのを見て、涼介は素早く自分のジッポに火を点けた。
杜木は漆黒の瞳を細めてから、咥えた煙草を火に近づける。
それから、ふっと軽く煙をはいて言った。
「近状を聞こう、涼介」
ニッと楽しそうに笑い、涼介は口を開く。
「実験を始めたところですよ、新しい薬の」
「……新しい薬、か」
そう呟いた杜木に瞳を向け、涼介は続けた。
「人間の身体には、ふたつのエネルギーが流れています。“能力者”が使える“気”と呼ばれる“正の力”と、我々“邪者”が使える“邪気”という“負の力”が。人間は個人的に力の大小はかなりあっても、“正の力”は自分でコントロールして使うことができます。だが“負の力”は人間自身が使うことはできずに体内に眠ったままです。我々“邪者”は“邪”を体内に取り込むことによって“負の力”を引き出していますが、我々のように“邪”を取り込むことができる人間はほんのごく僅かです」
涼介は、興奮したようにそこまで一気に言った。
じっと黙って、そんな彼の話を杜木は聞いている。
そして涼介は、ニイッとその口元に笑みを浮かべた。
「でもせっかくの“負の力”、少数の人間しかそれを使えないなんて……勿体無いと思いません?」
「それで、その実験とやらの進行状況はどうなんだ?」
店員にコーヒーを頼んだ後、杜木は漆黒の瞳を涼介に向ける。
もう一度長い前髪をかきあげ、そして涼介はさめたコーヒーをひとくち飲んだ。
「まだ実験は初期の段階なんですが。媒体の人間の覚醒はしていませんが、まぁ時間の問題でしょう。覚醒には媒体の人間の感情の昂ぶりや、周りの環境も大きく影響しますからね」
「周りの環境か……わざと“能力者”の前に自分の姿を見せ、媒体の人間と“能力者”を近い位置に置いたというわけか」
「“能力者”だけではありませんよ、“浄化の巫女姫”もです。これはいいデータが取れそうですよ」
杜木は、ふと煙草の火を消す。
そして本当に楽しそうに笑みを浮かべる涼介に言った。
「ところで先日、綾乃と会ったそうじゃないか」
「よくご存知ですね。ええ、会いましたよ。本当にあの子は面白い」
「…………」
杜木は、その言葉に漆黒の瞳を細める。
そんな彼の様子に気がつき、涼介は不敵に笑った。
「ご心配なく、杜木様。あの時のようなことはなりませんからね」
「あまり綾乃の神経に障ることはするな。あの子はあれでも、結構繊細な子だからな」
「杜木様はお優しいですよね、特に女性には本当に紳士的だ。見習いたいくらいですよ」
くすくす笑って、そして涼介は続ける。
「そういえば“邪者”で唯一の“空間能力者”、つばさは元気なんですか?」
「ああ。今日は一緒じゃないがな」
短くそう言った杜木の言葉に、涼介は口元に笑みを浮かべて言った。
「彼女にも非常に興味があるんですよね、僕。“邪者”で唯一の“空間能力者”か」
「……涼介」
漆黒の瞳で涼介を見据え、杜木は小さく嘆息する。
「分かっていますよ、“邪者”には危害を加えることはしませんから」
杜木の表情の変化を見て、涼介は甘いマスクににっこりと微笑みを浮かべた。
杜木は運ばれてきたコーヒーをブラックのままひとくち飲んで、言った。
「綾乃にも言ってあるが、“邪者”の間で問題を起こすのだけはやめろ。仲良く馴れ合えとは言わないが、“邪者”同士が戦うなんてことは言語道断だ」
「僕は綾乃のことが好きなんですがね、面白いし。でも彼女は残念ながら、そうじゃないようです」
楽しそうに笑って、それから涼介は杜木に漆黒の瞳を向ける。
それからバックからファイルを取り出し、杜木に渡した。
「そのファイルに今回の実験の概要、そして今までの結果をまとめてあります。過去の実験結果も……すべてふまえたものです」
意味深にそう言って、涼介はテーブルに頬杖をつく。
杜木は表情を変えないまま、それを受け取った。
「目を通しておくよ。これからもこまめに報告してくれ」
涼介は人懐っこい笑顔を浮かべ、そして興奮したように言った。
「面白いのはこれからですから。何かありましたらご報告いたしますよ、杜木様」
「お待たせぇっ、待ったぁ?」
その声に祥太郎は振り返って、ハンサムな顔に微笑みを浮かべる。
「おー、カワイイ子がおるなーって思ったら、綾乃ちゃんやん。俺も今来たところやし」
タッタッと駆け足で近付いてきたセーラー服姿の少女・綾乃は、祥太郎に人懐っこい笑顔を向けて揺れる漆黒の髪をかきあげた。
「あははーっ、祥太郎くんも相変わらずいい男ねぇっ。まさに美男美女? みたいなぁっ」
きゃははっと楽しそうに冗談っぽく言って、綾乃は笑う。
それから漆黒の瞳をふと細め、言葉を続けた。
「それで今日はどんな用事かな? 綾乃ちゃんとデートってより、“能力者”としてのお仕事?」
「……え?」
綾乃の言葉に、祥太郎は少し驚いたような表情をする。
そんな彼の反応を見て、綾乃は言った。
「祥太郎くんの目を見れば分かるよ? いつもと違うもん、“能力者”モードってカンジ」
「綾乃ちゃんには敵わんなぁ、まぁ分かっとるんやったら話も早くていいんやけどな」
気を取り直して綾乃に微笑み、そして祥太郎は続ける。
「今日は綾乃ちゃんに、聞きたいことがたくさんあるんや。ま、立ち話もなんやから、お茶でもしよか?」
綾乃はキュッとセーラー服のリボンを結びなおして、それから静かに言った。
「前に言ったよね、祥太郎くんが“能力者”として綾乃ちゃんの前に現れたらどうするかって。綾乃ちゃん“邪者”だから、いやだって言ってドンパチ始めちゃうかもしれないよ?」
「まぁ、それならそうなったで仕方ないからな、お互いの立場上」
綾乃の挑発のような言葉にも動じず、祥太郎はふっと笑う。
そして、悪戯っぽい口調で続けた。
「ドンパチなるのも仕方ないんやけど、甘いもん食べてトークの方が俺は好きやなぁ。今日は俺の奢りって言ってもダメか?」
「んー、奢り? 奢りかぁ、祥太郎くんとドンパチじゃれ合うのもいいけどトークもいいわねぇ」
くすっと笑って、綾乃は祥太郎の隣に並ぶ。
祥太郎はそんな彼女を伴い、夕方の繁華街を歩き出した。
それからすぐ近くにあるケーキ屋にふたりは落ち着く。
「祥太郎くんは何にする? ここってチーズケーキが美味しいんだよねぇ、でもフルーツのタルトも美味しそうだしなぁ」
「ふたつでもみっつでも食べていいで? 俺はチーズケーキにするわ」
「それって、情報料のつもり? んーじゃあ、お言葉に甘えて」
ふっと笑ってから、綾乃は店員を呼んで注文をする。
ケーキを目の前に瞳を輝かせている綾乃は、どこから見ても普通の女子高生に見える。
だが彼女は、自分と敵の立場である“邪者”である。
複雑な表情をして、祥太郎は苦笑する。
頼んだあともまだメニューと睨めっこしている綾乃だったが、しばらくしてケーキが運ばれてくると嬉しそうな表情を浮かべた。
「いただきまーす、祥太郎くんっ」
きゃっきゃっとはしゃいだようにそう言って、綾乃はフルーツタルトを口に運ぶ。
テーブルに頬杖をつき、祥太郎はそんな無邪気な綾乃を見つめた。
紅茶をひとくち飲んだ後、綾乃は祥太郎に言った。
「それで、祥太郎くん。聞きたいことって何? 涼介のヤツのこと?」
「何でもお見通しってことやな、綾乃ちゃん。あのホスト兄ちゃんと綾乃ちゃんの関係も気になってるし、あの兄ちゃんが何を企んでるのかも知りたいけどな」
そこまで言って、祥太郎は言葉を切る。
それから優しい視線を綾乃に向けて、続けた。
「それよりも、綾乃ちゃんはどうして“邪者”になったんや? これは仕事っちゅーよりも、俺の個人的な興味なんやけどな」
「え?」
思いがけない質問に、綾乃はフルーツタルトを食べる手を止める。
そしてふっと瞳を細め、綾乃は言った。
「じゃあ祥太郎くんは、何で“能力者”になったの?」
「ん? そうやなぁ。運がいいのか悪いのか、修学旅行の引率中の悪魔に発見されたんやけどなぁ」
「え? なぁに?」
小声で呟いて苦笑する祥太郎に、綾乃は首を傾げる。
そんな彼女ににっこりと微笑んで、祥太郎は言った。
「まぁ、俺は物心ついた時から、普通じゃ見えんもんが見えとったんや。何でこんな能力が自分にあるんやろってずっと思っとったし、人と違うこの力が疎ましく思うこともあったけどな……東京に来て姫に会って、自分の能力の意味を知ったし、それに何よりも姫のことを守ってやりたいって思ったんや」
そこまで言って、祥太郎は照れたように髪をかきあげる。
「なーんてっ。カッコつけてみたけど、実際は東京に出て来たかったって理由なんやけどなっ」
「本当に照れ屋さんだねぇっ、祥太郎くんってば」
くすっと笑って、綾乃は紅茶をひとくち飲む。
それからふと瞳を伏せた後、ゆっくりと口を開いた。
「私が“邪者”になった理由……杜木様の瞳、かな」
「瞳?」
綾乃の言葉に、祥太郎は首を傾げる。
俯いたまま、彼女は続けた。
「はじめて杜木様の瞳を見た時……同じだなって思ったの、私の憧れていた人に。純粋で、真っ直ぐで。だから、あの方の役に立ちたいって思ったのが“邪者”になった理由かな。でも……」
それから綾乃は、ぎゅっと唇を結んで表情を険しくする。
そんな彼女の様子に気がついて、祥太郎は首を傾げた。
「綾乃ちゃん?」
綾乃の瞳は今まで見たことが無いくらいに鋭く、殺気まで感じるものに変わっていたのだ。
綾乃は握り締めた拳を軽くテーブルに叩きつけ、そして漆黒の瞳を閉じる。
「祥太郎くん、私と涼介の関係が知りたいって言ったよね? 私たちは“邪者四天王”同士ではあるけど……私にとって涼介は、誰よりもこの手で殺してやりたいって思う男よ」
それからふっと瞳を開き、綾乃は祥太郎に視線を向けた。
そんな彼女の瞳は、ゾクッとするほどの鋭さと同時に何故か哀しそうな色も湛えている。
祥太郎は無言のまま、彼女が次の言葉を発するのを待った。
漆黒の髪をふっとかきあげ、綾乃は話を続ける。
「あいつは、私の憧れだった人を……自分の研究の実験台にして、殺したのよ」
「憧れの人? それに、研究の実験台やて?」
「ていうか、彼が死んだのは私のせいでもあるんだ。涼介は前から私に興味があったみたいで……興味って言っても、“邪者四天王”の私の力を分析したいってカンジでなんだけど。でも表向きには“邪者”同士が戦うなんてご法度だから……だからあいつ、私の本当の力を知りたいって理由だけで、私を怒らせるために彼をわざと殺したのよ」
そこまで言って、綾乃は表情を歪めて口を噤んだ。
祥太郎はそんな綾乃を気遣いながらも、呆れたように溜め息をつく。
「あのホスト兄ちゃん、戦い方もえげつなかった上にそんなことまでしとったんか……とんでもないヤツやなぁ」
「本当にその時はあいつのこと絶対に殺してやるって思ったんだけど、涼介も腕の立つ“邪者四天王”だし、それに途中で杜木様と智也が止めに入ってきて……結局私は、あいつを殺すことができなかった……っ」
くやしそうにぎりっと歯をくいしばり、綾乃は拳を震わせて俯いた。
祥太郎はそっと、そんな綾乃の頭を優しく撫でる。
「悪かったな、ツライこと思い出させて」
「ううん、大丈夫……」
祥太郎の優しさに小さく微笑んで、綾乃は思い出すかのように話を続けた。
「私の憧れてた人ってね、挌闘家だったの。まだ“邪者”になる前に、しつこいナンパ男に絡まれてたところを助けてくれて……年は結構上だったんだけど、子供みたいに純粋で真面目な人で。そして強さに対して本当に貪欲な人でね……でもそんな真っ直ぐな思いを、涼介につけこまれて……彼が殺された時はもう私“邪者”だったんだけど、どうして気が付かなかったんだろうって自分を責めたわ」
それから綾乃は、顔を上げて言った。
「あいつはそんなヤツだから、祥太郎くんも十分に気をつけて。あいつが今何を企んでて何の実験をしてるのかは知らないんだけど」
「綾乃ちゃん……」
いつも明るくて屈託の無い笑顔を見せている彼女の哀しそうな表情を見て、祥太郎は言葉を失う。
それからハンサムな顔に優しい微笑みを浮かべ、言った。
「綾乃ちゃん、泣きたい時は泣いてもいいんやで? そんなに我慢ばかりせんで、いつでも祥太郎くんの胸貸してやるからな」
「ありがと、祥太郎くん。でも綾乃ちゃんはまだ大丈夫だから」
普段の表情を取り戻し、綾乃は嬉しそうに笑う。
その笑顔を見て、祥太郎も安心したように表情を和らげた。
「やっぱり綾乃ちゃんは、笑った顔が一番カワイイわ」
「ま、綾乃ちゃんはいつでもカワイイんだけどねっ」
冗談っぽく笑って、綾乃はフルーツタルトを再び口に運ぶ。
祥太郎もコーヒーをひとくち飲んで、続けた。
「それにしても、あんな兄ちゃんおったら“邪者”同士の関係もなかなかうまくいかんのやないか? 大変そうやなぁ」
「んー、でもね“能力者”は違うのかもしれないけど、“邪者”同士って個人的に仲良くしてる人以外は殆ど交流ないんだよ? “邪者四天王”の存在自体、明かされてないもん。でもね、それでも全然問題ないんだよ、何でか分かる?」
フルーツタルトを食べ終わった綾乃は、チーズケーキにフォークを入れながらちらりと祥太郎を見る。
うーんと考える仕草をする彼に、綾乃は漆黒の瞳を細めて言葉を続けた。
「杜木様という大きな存在があるから、よ。あの方がいる限り、“邪者”はまとまりのある組織でいられるの。それくらいに強い力を持ってる人なんだけど、それだけじゃなくて……不思議とね、協力してあげたいって思う何かを感じるんだ、杜木様の瞳を見ていると。それに優しいし超かっこいいしねっ」
「優しい……うちの悪魔には皆無な言葉やなぁ。横のつながり同士で支えあっていかんと、“能力者”はやってられんわ。まして姫がおらんかったら、とっくに“能力者”なんてやめとったかもしれんしな」
威圧的な切れ長の瞳を思い出し、祥太郎はわざとらしく溜め息をつく。
そんな祥太郎を見て、綾乃は思い出したように言った。
「あ、そうだ。そういえば前に“邪者”の猛を消滅させたのって、祥太郎くんだったんでしょ? あの時に猛が飲んだ薬も、あの涼介が作った薬なのよ。今回の実験と関係あるかどうか詳しくは分かんないんだけど」
「消滅させた“邪者”って……あのドラゴンボールの敵キャラみたいな兄ちゃんか」
記憶を辿り、祥太郎はその時のことを思い出すように腕組みをする。
薬を飲んで化け物に変化した猛は、拓巳と祥太郎のふたりでも手こずった相手だった。
今回双子に涼介が何をしたかは明らかになっていないが、今までの綾乃の話を聞いていると、思った以上に深刻な問題が起こりうる可能性が高そうだ。
しかも、双子のいる学校には“浄化の巫女姫”である眞姫もいるのだ。
そんな神妙な表情の祥太郎を後目に、綾乃はにっこりと笑ってメニューを指差す。
「ねぇ、祥太郎くん。このモンブランも美味しそうじゃない?」
綾乃の言葉に、祥太郎はふっと微笑んだ。
「今日は祥太郎くんの奢りや、言ったやろ? ふたつでもみっつでもどーんと頼んで構わんで?」
「マジでっ? わぁいっ、じゃあチョコレートケーキも食べちゃおっかなぁっ」
「ていうか、よう胃がもたれんよなぁ、それで」
半ば感心したように呟き、祥太郎はテーブルに頬杖をついた。
るんるんした様子でケーキを追加注文した後、綾乃は笑う。
「まぁ、綾乃ちゃんも今後何か聞きたいことが出てくるかもしれないしっ。その時はよろしくーっ。“能力者”とドンパチじゃなくてトークするのも、たまにはいいかもね」
「俺は綾乃ちゃんとドンパチはイヤやなぁ。デートの方が何倍もいいわ」
しみじみとそう言った後、祥太郎は目の前の綾乃を改めて見た。
本当に目の前の綾乃は、よく表情や雰囲気の変わる子だと祥太郎は思った。
そして明るく振舞う彼女の奥に潜む深い悲しみや痛みを感じ、祥太郎はもう一度優しくあたたかな微笑みを彼女に向けたのだった。