10月25日・月曜日。
 数学教室から出てきたふたりの少年は、思い思いの表情を浮かべていた。
 わざとらしく音を立てて数学教室のドアを乱暴に閉めて、拓巳は隣の准をちらりと見る。
 そんな視線に気がつき、准は怪訝な表情で言った。
「どうしたの、拓巳?」
「ていうか、どうするんだ? 准」
 逆に質問で返され、准は俯いて嘆息する。
 そして少し考える仕草をしてから、改めて瞳を拓巳に向けた。
「能力の性質を考えても、僕の仕事じゃないかな……相手を消滅させるのが目的じゃないからね」
「…………」
 准の言葉に、拓巳は複雑な表情をする。
 そして無意識に、上目遣いで前髪をかきあげた。
 准と拓巳のふたりは、放課後突然鳴海先生に呼び出されたのだ。
 内容はもちろん、双子の姉・森下香織についてである。
 鳴海先生の指示は、准か拓巳のいずれかが眞姫とともに、妹の志織同様、姉の香織の“邪気”を沈静化させるようにというものであった。
 普段は眞姫の能力を使うことを渋っている先生であったが、今回は“邪者”でも“憑邪”でもない相手であるため、簡単に消滅させるわけにはいかないという判断である。
 薬の効力を中和し彼女の“邪気”を抑えることは、眞姫の能力をもってでしかできないからだ。
「……ねえ、拓巳」
 はあっと大きく嘆息し、准は拓巳をじっと真っ直ぐに見たまま言葉を続ける。
「この間から、僕に何を隠してるの?」
「えっ? な、何をって……何をだよ」
 大きな瞳を一層見開き、拓巳は驚いたような表情を浮かべた。
 再び前髪をかきあげる拓巳を見て、准は言い放つ。
「ほら、上目遣いで前髪かきあげる癖。後ろめたいことがある時の拓巳の癖だって言っただろう?」
「う、後ろめたいことなんて、別に何もないぜっ」
 拓巳は言葉に詰まりながら、バツが悪そうに准から視線を逸らした。
 にっこりと知的な顔に作った笑顔を浮かべ、准は拓巳の肩にぽんっと手を添える。
「僕、この間言ったよね? 拓巳の隠し事、あとでゆっくり尋問……じゃなかった、ゆっくり聞くって」
「……本性が見え隠れしてるぞ、准」
「え? そんなこと全然ないよ。あ、でも相手によるかな?」
「だからなぁ、それがコワイんだってばよっ」
 バッと准の手を振り払い、拓巳は頭を抱えた。
 香織の准への気持ちを知っている拓巳にとって、今回のことは簡単に准に任せるというわけにはいかなかった。
 香織からは、彼への想いはくれぐれも准本人には言わないように口止めもされている。
 どうすべきか考えあぐねている拓巳をもういちど見て、准は何度目か分からない溜め息をついた。
 ……その時。
 ふとふたりは、同時にその顔を上げる。
「! これって」
「……うん」
 顔を見合わせて頷いてから、拓巳と准は目の前の教室のドアをそっと開けた。
 そんなふたりの耳に響いているのは……美しい旋律。
 准と拓巳を呼んでいるかのようなそれは、目の前の音楽室から聞こえていたのだった。
「……!」
「なっ!?」
 音楽室に足を踏み入れたふたりは、驚いたように瞳を見開く。
 ふたりの目の前に一瞬にして広がったその光景は、夜の海と満天の星空。
 波のような伴奏が耳に心地よく響き、幻想的な雰囲気を醸し出している。
 そんな不思議な光景が突然瞳に飛び込み、ふたりは驚いた表情を浮かべていた。
 そして一通り演奏が終わり、旋律を奏でていた少年・詩音はおもむろにパチンと指を鳴らした。
 それと同時に、目の前には何の変哲もない音楽室の風景が戻ってくる。
 そしてゆっくりと椅子から立ち上がり、優雅な微笑みを浮かべて言った。
「ご機嫌いかがかな、騎士たち。僕の空間は気に入っていただけたかな?」
「どういうことだよ、詩音」
 怪訝な表情を浮かべ、拓巳は詩音を見る。
 そんな拓巳に、くすっと笑って詩音は色素の薄いブラウンの瞳を細めた。
「さっきの曲はね“双子座の星に寄せる舟人の歌”っていう歌曲なんだ。母君の歌に合わせてよく弾いていた曲でね。航海の守り神と言われている双子座に想いを寄せる船乗りの気持ちを歌った曲なんだけど……」
 そこまで言って、詩音はちらりと准に視線を向ける。
 それから楽しそうに微笑み、言葉を続けた。
「でも今回は、想いを寄せているのはツインズ……いや、双子座ジェミニの方みたいだけどね」
「なっ、おまえ知ってたのかよっ!?」
 詩音の言葉に、驚いたように拓巳は声を上げる。
 准は首を傾げながらも、拓巳と詩音を交互に見た。
「それって、どういうこと?」
「えっ、いや、その……」
 しまったという表情を浮かべて、拓巳は言葉を失う。
 詩音はそんな拓巳に目を向け、言った。
「拓巳、知っているも何も、僕はずっとツインズを監視していたんだよ? 彼女たちそれぞれの“邪気”を強く感じる時、いつもそのそばにいる人物は同じだったからね。双子座の想いが夜の海を荒れ狂わせる……そういうことだろう?」
「え?」
 まだよく分かっていない准に、拓巳は大きく溜め息をつく。
 そして、諦めたように口を開いた。
「……森下は、中学の頃からずっとおまえのことが好きなんだよ」
「えっ、僕?」
 ようやく状況が理解できた准は、思いがけない事実に数度瞬きをする。
 それから、拓巳に視線を向けて呟いた。
「隠し事って、このことだったんだ」
「森下に散々言うなって言われてたからな。ったく、隠し事なんて俺の性に合わないんだよっ」
 そうブツブツ言う拓巳に、今まで何かを考える仕草をしていた准はふと瞳を向けた。
 そして、静かに言った。
「やっぱり今回は僕の仕事みたいだね。明日、姫と一緒に森下さんを元に戻すから」
 それだけ言うなり、おもむろに准は音楽室から出て行く。
「あっ、おい、准っ!」
 拓巳はそんな准を追いかけようとしたが、思い直して足を止める。
 それから大きく溜め息をついて肩を落とした。
「でもよく何年も黙っていられたよね、君にしては上出来なんじゃないかい? 拓巳」
 楽しそうに笑う詩音に、拓巳はじろっと視線を移す。
「ていうかな、せっかく今まで頑張って黙ってたのによ。おまえが言うからバレたんじゃねーかよっ。森下に怒られるのは俺だぞ? まったく」
 そんな拓巳にふっと笑顔を向けてから、詩音は再びピアノの前に座った。
 そして鍵盤にその細い指をかけ、ゆっくりと旋律を奏で始める。
 再び優しく幻想的な旋律が、周囲を満たした。
「ジェミニの淡い想いは、姫を愛する騎士には届かないようだね……」
 小声でそう呟いてから、詩音は旋律を奏でる指を止めずにその優雅な顔に柔らかな微笑みを浮かべたのだった。




「これはこれは、珍しいな。僕の研究に協力する気になったのかな?」
 夕暮れに染まり人通りも多くなってきた繁華街を歩いていた男は、ピタリと足を止めて振り返る。
 彼の視線の先にいる少女は、大きく首を振ってその男・涼介に歩み寄った。
「そんなわけがないことくらい、貴方が一番よく分かっているんじゃなくて?」
「じゃあ僕に何の用かな、つばさ?」
 甘いマスクに笑顔を浮かべ、涼介はセーラー服姿の少女・つばさに言った。
 つばさは深く溜め息をついて、漆黒の瞳を涼介に向ける。
「お仕事はどうしたのかしら? 貴方の実験のサンプルは、まだひとり残っているんでしょう?」
 その問いに、涼介はふっと笑った。
「実験なら、もう済んでるよ。サンプルの実験結果は、ひとり目もふたり目も同じだからね、わざわざ確認しにいくまでもないし。それに……」
 そこで間を取り、涼介は口元に不敵な笑みを浮かべて続ける。
「それにね、僕の変わりにサンプルを見てきてくれてる人がいるから。目的は違うけどね」
「……どういうこと?」
 漆黒の瞳を怪訝そうに彼に向け、つばさは首を傾げる。
 そんなつばさに、思い出したかのように涼介は言った。
「そういえば、綾乃はどうしてるかな? つばさと同じ学校だったよね」
「特に普段と変わらないわ。あの子が冷静さを失うのは、貴方の前にいる時だけですもの」
「そういうところがまた好きなんだよね、彼女の」
 楽しそうに笑う涼介に、つばさはわざとらしく溜め息をつく。
「程ほどにしておかないと、杜木様も黙っていらっしゃらないわよ? その前に、綾乃に本気で殺されるわよ、涼介」
「いいね、彼女のあの“邪気”を感じるとゾクゾクするんだよ。つばさの“空間能力”も同じだよ? ま、でも流石に杜木様に怒られちゃうから我慢してるんだけどね」
「…………」
 深々と再び嘆息して、つばさは呆れたように彼から視線を外す。
 それから涼介に背を向けて、おもむろに歩き出した。
 涼介は何も言わずにそんな彼女の後姿を見送る。
 そして漆黒の瞳を細め、不敵に笑ったのだった。




 同じ頃、学校の正門をひとり出た准は何かを考えるように俯いたまま歩いていた。
 拓巳と詩音のふたりと分かれて教室に戻った准は、自分のすぐ後ろの席にまだ鞄があることに気がついていた。
 だが、敢えてその鞄の持ち主・眞姫を待たずに教室を出たのである。
 香織を元に戻す役割を引き受けた准であったが、少しひとりで考える時間が欲しかったのだ。
 眞姫には明日の朝にでも、鳴海先生からの指示を伝えようと思っていた。
 そしてその日の内に、香織の“邪気”を沈静化させる。
 そう、准は考えていたのだ。
 正直香織の気持ちを聞いて、准は驚いていた。
 だが……。
「僕には、守るべき人がいる……」
 何かを決心したようにそう呟き、准は瞳を閉じた。
 ふと、その時。
「芝草くん……っ!」
 准は、突然背後からしたその声に振り返る。
 そしてその表情を一瞬変えた。
「森下さん……」
 部活の自主トレ中なのか、息を切らして近付いてくるジャージ姿の香織がそこにはいた。
 乱れた息を整えている香織に、准は笑顔を作って向ける。
「部活中? 体調は大丈夫なの?」
「あ、うん……土曜日に病院で検査してもらったんだけど、何ともないって。でも大事を取って、今日まで部のみんなとは別で自主トレなんだ」
 准の姿に嬉しそうに微笑んで、香織はそう言った。
 それから意を決したように顔を上げ、続ける。
「あのね、芝草くん……私、芝草くんにずっと聞いて欲しかったことがあるんだ」
「聞いて欲しかったこと……」
 准は香織の言葉に複雑な表情を浮かべたが、何も言わずに彼女の言葉を待った。
 そんな准の様子を見て、香織は一度小さく深呼吸をする。
 ドクドクと心臓が破裂しそうに鼓動を刻み、カアッと身体中熱を帯びているのが自分でも分かった。
 なかなか次の言葉を発する勇気が出ずに、香織はぎゅっと胸を握り締める。
 そして緊張のせいでぼやけてきた視界を振り払うように首を振り、口を開いた。
「私、中学の時に芝草くんに傘を差してもらったあの時から、芝草くんのことが……っ!?」
「! 森下さんっ!?」
 准は表情を険しいものに変え、ガクンと急に膝が折れ地に片膝をついた香織を見る。
 そんな彼女の呼吸は荒く、大きく肩で苦しそうに息をしていた。
 額からは大量の汗が滲み、視点も定まっていないようである。
「はあっ、はあ……っ! はっ、私……っ」
「森下さん、大丈夫っ!?」
 自分で立てなくなっている香織を支えようとした准は次の瞬間、瞳を大きく見開いた。
「! これは……!」
「くっ……は、ああぁっ!!」
 苦しそうな叫び声とともにドサッと音がし、香織の身体が地に崩れ落ちる。
 准は、先程の詩音の言葉を思い出していた。
「双子座の想いが、夜の海を荒れ狂わせる……」
 准はそう呟き、おもむろに右手を掲げる。
 瞬時にカアッとその手に眩い“気”の光が宿り、周囲を包みこんだ。
 そして准の“結界”が形成された、それと同時だった。
 倒れていた香織が、ゆっくりと立ち上がる。
 その瞳に先程まで宿っていた光は失われ、身体には“邪気”が漲っている。
 次の瞬間。
「!!」
 ふっと地を蹴った香織が、“邪気”の宿った拳を振り上げる姿が瞳に映った。
「……くっ!」
 咄嗟に後方へ跳び、准はその攻撃をかわす。
 刹那、ドオンッという衝撃音が響き、准を捉えられなかった拳が地面に大きな衝撃痕を作った。
 体勢を整える准を追従し、香織は再び漆黒の光を帯びた拳を彼に放つ。
 その攻撃を“気”を漲らせた掌で受け止め、准は香織を見据える。
 受け止められた拳を引くことなくグッとより一層力を込めながら、香織は唇を強く噛み締めた。
「私は……好き、なの……芝草く……が……っ!!」
「!」
 香織が逆の拳を素早く引いた動作を見逃さず、准は身を屈める。
 次の瞬間、准のこめかみのあった位置を香織の拳が空を切った。
 間を置かずに放たれた膝蹴りをクロスに組んだ腕で防ぎ、准は跳躍して一旦距離を取る。
「姫がいない今、何とか時間を稼ぐしかないか……」
 今までと同様であるならば、時間が経てば彼女を取り巻く“邪気”は消えるはずである。
 だが、“邪気”を纏う度に彼女の身体は回を追うごとにそれに慣れてきている。
 うかつに手を出せないだけに、准はどう動くべきか慎重に香織の次の動作を待った。
 握り締めた拳を震わせ、香織は小声で呟いている。
「ずっと、私は……好き……っ」
「森下さん……」
 准は複雑な表情を浮かべて香織を見つめながら、関係のない彼女を巻き込んだ輩に対して怒りのような感情が湧き上がっていたのだった。




 同じ頃、准に遅れて校門を出た眞姫は顔を上げた。
「……!」
 そしておもむろに、その場でピタリと立ち止まる。
 すぐ近くで強い“結界”が張られているのを感じたのだ。
 眞姫は表情を引き締め、そしてその場を駆け出す。
“結界”を形成している“気”は、眞姫の知っている人のものであった。
「准くん……」
 准の“結界”の中には、彼の“気”だけでなく“邪気”も感じられる。
 一昨日健人と一緒の時に感じたものとよく似ているその“邪気”に、眞姫は表情を変えた。
「森下さんの“邪気”が、表に……」
 それだけ呟き、眞姫はスッと目の前に手を翳す。
 数秒も経たないうちにボウッと掌が熱くなり、壁に身体が吸い込まれるような感覚がした。
 次の瞬間。
「……准くんっ!」
「! 姫っ!?」
 ハッと顔を上げて眞姫に視線を向けた准だったがすぐに香織に向き直り、襲いかかる攻撃を受け止める。
 攻撃の手を緩めない香織の漆黒の光をかわしながら、准は眞姫に言った。
「姫、僕が彼女の動きを止めたら、彼女の“邪気”を……っ」
 その時。
「!!」
 眞姫は、大きなブラウンの瞳を見開く。
 今まで准に気を取られていた香織が、ふと眞姫の方に視線を移したのだった。
 その光のない瞳に渦巻くのは、嫉妬という闇。
 その瞳の色に、眞姫はゾクッと鳥肌がたつのを感じる。
 眞姫を見据えた香織は今まで以上の“邪気”を右手に漲らせ、グッと拳を握り締める。
 そして動作を起こそうとした、次の瞬間。
「……くっ!!」
 准は隙を見せた香織の背後に素早く回りこむ。
 そして、彼女を羽交い絞めにした。
 突然の彼の行動に香織は一瞬驚いたように動きを止めたが、すぐさま身体の自由を取り戻そうと彼を振り払いにかかる。
「姫っ!! 今のうちに……っ!」
 必死に香織の動きを封じ、准は叫んだ。
 眞姫は大きく頷き、香織に駆け寄ってその手を取った。
「……うっ! あ……ああっ!!」
「!」
 眞姫の手が触れると同時に、ビクンッと香織の身体が反応を示す。
 准はその瞬間、あたたかくそして大きな光を眞姫から感じた。
 香織は身をよじり、苦しそうに表情を歪める。
「くっ、もう少しだから……っ!」
 香織の手を握る力を一層強め、眞姫はスッと瞳を閉じた。
 眩い光が香織を包み込み、その輝きを増す。
「はっ……ううっ、あうっ!!」
「……!」
 准は“結界”内を覆うほどのその神々しい光に、思わず瞳を細めた。
 そして光が弾けた瞬間、香織の身体がふっと身体が重力に逆らわずに地に崩れた。
「! 姫っ」
 それとほぼ同時に、“気”を放出した眞姫の身体もバランスを失う。
 その身体をしっかりと支え、准はいつもの優しい微笑みを眞姫に向けた。
「森下さんの“邪気”、もう感じられなくなったよ……姫が彼女を元に戻してくれたんだね」
「よかった、ちゃんと彼女……元に、戻ったみたい……」
 准に支えられながら、眞姫は安心した表情を浮かべる。
 そんな眞姫を労うようにそっと彼女の栗色の髪を撫でてから、近くの壁に彼女をもたれさせて准は言った。
「姫、ごめんね。そこでしばらく休んでて」
「……准くん?」
 准の表情が再び変わったことに気がつき、眞姫は不思議そうに彼に瞳を向ける。
 眞姫にもう一度微笑んでから、准は立ち上がった。
 そして、一点を見据えて言った。
「もう、出てきてもいい頃じゃないかな?」
「……あっ!」
 准がそう言い放った瞬間、眞姫は思わず短く叫ぶ。
 一瞬にして准の張った“結界”内に、強大な“邪気”が渦巻いたのだ。
「あらら、とっくにバレてたりしてた?」
 そう言って、現れた少年・智也はふっと笑う。
 准は智也を見据えたまま、軽く身構えた。
「少し前から、僕のことをつけてたみたいだけど」
「どうせストーカーするなら、眞姫ちゃんみたいな可愛い子がよかったんだけどね」
 にっこりと眞姫に微笑みかけてから、智也は改めて准に漆黒の瞳を向ける。
 そして“邪気”を纏った右手を握り締め、続けた。
「でもこれもお仕事だからね、仕方ないんだけど。ていうかすごいなぁ、見事な“結界”だよね。防御能力に長けた“能力者”ね……」
 感心したようにそう呟き、智也はぐるりとまわりに目を向けた。
 対称的に准は、じっと彼を見据えている。
「“邪者”が僕に何の用?」
「何の用って? 決まってるだろう、僕は“邪者”で、君は“能力者”なんだから」
 ふっと漆黒の瞳を細めて、智也はスッと右手を掲げた。
 刹那、バチバチと漆黒の光がその手に宿り、その大きさを示すかのように空気の渦が発生する。
 准は相手の出方をうかがうように軽く身構えて、体勢を整えた。
 智也はそんな准に“邪気”の宿った右手を振り下ろす。
「!」
 瞳を見開いた准は、表情を変えた。
 ゴオッと唸りを上げ、智也の放った漆黒の光が准目がけて襲いかかる。
 准は慌てずに瞬時に“気”を漲らせると、“邪気”の威力を無効化させるべく防御壁を形成させた。
 次の瞬間、激しい衝撃音が生じる。
 そして勢いよく防御壁にぶつかった漆黒の光は、余波だけを残して消滅した。
 だが智也はそれを予測していたかのように、間を置かず第二波、第三波と攻撃の手を緩めずに衝撃を放つ。
 耳を劈くような轟音が“結界”内に響き、眩い光がいくつも弾けた。
 その衝撃の激しさを物語るかのように、周囲には余波が立ち込める。
 智也は余波の晴れない中、ふと瞳を凝らした。
 次の瞬間。
「……!」
 ハッと顔を上げたかと思うと、智也は再び漆黒の光をその手に宿す。
 そして余波を真っ二つに裂くかのように襲いかかってきた“気”の光を受け止め、その威力を浄化させた。
 それから体勢を整えた後、ふっと笑みを浮かべる。
「強固な防御壁だなぁ、あれだけ俺の攻撃を受けてもびくともしないなんてね」
 衝撃の余波が晴れたその場で、智也は准の姿を確認してそう言った。
 准は鋭い視線を智也に投げ、ぐっと拳を握り締める。
「森下さんたち双子を実験台にするなんて……許せないよ」
 その言葉に、智也は大きく首を横に振った。
「勘違いしないで欲しいな。同じ“邪者四天王”でも、薬を飲ませた涼介の目的と今の僕の目的は違うんだから」
「じゃあ、君はここに何の用で来たんだい?」
「“邪者”と“能力者”は敵同士。それだけじゃ、答えになってない?」
 ふっと微笑む智也とは対称的に、准は険しい表情で彼を見据えたまま嘆息する。
「敵同士だから戦うのは当然、って言いたいのかな。でもその割には、僕の力をはかるように力を加減しながら“邪気”を繰り出しているように見えるんだけど?」
「そう見えるのなら……そうなんじゃないっ」
「……!」
 准は素早く身構え、瞬時に間合いをつめて蹴りを放つ智也の攻撃を咄嗟に身を屈めてかわす。
 それを読んでいた智也は、下がった准の顎を狙って膝蹴りを繰り出した。
 だが右手で強烈なその攻撃を受け止めてから、准は反撃とばかりに智也の足を払いにかかる。
 それを跳躍してかわした智也は准の背後に着地したかと思うと、間を置かずに上段蹴りを放った。
 そして振り返り様に左腕でその攻撃をガードした准に、智也は言った。
「君は慎重に戦うタイプみたいだね。それにしても“能力者”って、よく訓練されているよなぁ」
「…………」
 バッと後方に跳んで距離を取り、准は無言で体勢を整える。
 智也は右手を引き、再び強大な“邪気”を宿す。
 次第に大きくなる彼の漆黒の光に対抗すべく、准も掌に“気”を漲らせた。
 智也は先程よりも大きい光を宿した手をスッと天に掲げ、次の攻撃を仕掛けようと狙いを定める。
 ……その時だった。
「!?」
 准を射抜くように見つめていた智也の漆黒の瞳が、おもむろに彼から視線を外した。
 そして次の瞬間、凄まじい勢いで空気が真っ二つに切り裂かれたのだった。
「なっ!? ……くっ!!」
 突然襲いかかってきた予期せぬ衝撃に、智也は歯を食いしばる。
 防御壁を張る余裕もなく、“邪気”を纏った両腕で何とかその光を受け止めて持ちこたえた。
「……!」
 重い衝撃に顔を顰めた後、智也はハッと顔を上げる。
 智也に生じた隙を見逃さず、間髪入れずに准の掌から“気”の塊が放たれたのだった。
 素早く“邪気”を集結させて、智也は咄嗟に防御壁を形成する。
 耳を劈く衝撃音が周囲に響き渡り、光の塊と防御壁はお互い相殺されて消滅した。
「さっきの光の衝撃は……!?」
 受け止めた衝撃の重さにまだ少し痺れている腕を振って、智也は漆黒の瞳を強大な“気”の流れる方向に向ける。
「! 眞姫ちゃん……まさか、もう“気”の衝撃を放てるようになったの!?」
 いつの間にか立ち上がっている眞姫から大きな“気”の光を感じ、智也は驚いたように言った。
 肩で大きく息をしながらも、眞姫の大きな瞳は凛とした輝きを放っている。
「数ヶ月前までは、全く“気”を使えなかったのに……」
 それだけ呟いてから、智也はスッと構えを解いた。
 それから准に視線を戻し、言った。
「今日は僕から退くことにするよ。だからこの強固な“結界”を解いてくれないかな? こんな強い“結界”を砕くのは大変そうだし」
 それから煽るように口元に笑みを浮かべ、智也はスッと瞳を細める。
「ま、俺はこのまま続けても構わないんだけどね。どうする?」
「…………」
 じっと准は無言で智也を見据えたまま、右手を掲げた。
 次の瞬間“結界”が解除され、見慣れた風景が戻ってくる。
 智也は眞姫ににっこりと微笑み、言った。
「すごいなぁ、可愛いだけじゃないんだね、お姫様。俺、ますます惚れちゃいそう」
 人懐っこい笑顔を眞姫に向けてウインクし、手を振って智也は歩き出す。
 警戒を解かずに彼の背中を見送りながらも、准は眞姫に駆け寄った。
「姫っ、大丈夫!? 驚いたよ、姫が“気”を放つなんて」
「あ、うん……でも、当たらなかったね」
 苦笑して、眞姫は呼吸を整えるようにふうっと大きく息をつく。
 そんな眞姫の頭を自分の胸に引き寄せて優しく撫で、准は言った。
「姫は本当にすごいよ、でもあまり無理はしないでね」
「うん。ありがとう、准くん」
「お礼を言うのは僕の方だよ。もう一人で立てる?」
「大丈夫、もうひとりでも歩けるよ」
 にっこりと微笑む眞姫に、准はほっとしたように笑顔を向ける。
 自分も何かしたいという眞姫の思いが、准には嬉しかった。
 それと同時に彼女には、少しでも危険が及ぶことはして欲しくない気持ちもある。
 大丈夫と言いつつも自分の胸に身体を預けて呼吸を整える眞姫が、准には健気で愛おしかった。
 このまま腕を回して、彼女の小さな身体を抱きしめたかった。
 ……その時。
「う……ん……」
 今まで倒れていた香織が、意識を取り戻したように微かに声を漏らす。
 准はそんな彼女に気がつき、周囲の“結界”を解除した。
 そして呼吸の乱れの収まった眞姫に言った。
「姫、森下さんとふたりで話したいことがあるんだ。少しだけ……外してもらえたら嬉しいんだけど」
 眞姫は顔を上げ、自分に優しい瞳を向ける准を見つめる。
 普段どおり柔らかで知的な印象であるが、そんな准の表情からは彼の意思の強さのようなものを感じた。
「うん、分かった。あそこのベンチに座ってるから」
 少し離れたベンチを指差して、眞姫は鞄を持って歩き出す。
 眞姫と少し距離ができたのを確認し、准は香織に向き直って彼女の上体をゆっくり起こした。
「森下さん、大丈夫?」
「ん……あ、芝草くん……?」
 うっすらと目を開け、香織は准に視線を向ける。
 そしてゆっくりと、身体を起こした。
 彼女からはすっかり“邪気”は消えており、その顔色も良くなっている。
「気分はどうかな? 大丈夫?」
「え? あ、うん。何だか身体のだるさもなくなってるみたい」
「…………」
 そんな香織に真っ直ぐ視線を向け、准はゆっくりと口を開いた。
「森下さん……僕、今とても大切にしたい人がいるんだ」
「……芝草くん」
 香織はふと表情を変え、准を見つめる。
 彼女の様子を確認して、そして准は言葉を続けた。
「僕はその人のことしか今は考えられないんだ、ごめん」
 香織は一瞬言葉を失ったが、すぐに彼に笑顔を向ける。
「そんなこと、知ってるよ? だって……ずっと、見てきたんだもん」
 気丈に振舞おうとする彼女であるが、その瞳には涙が浮かんでいた。
 准はそんな彼女を複雑な表情で見つめている。
 香織は涙を零さぬように耐えながら、言った。
「私のことは大丈夫だから……大切な人のところに、行ってあげて」
「森下さん……」
「芝草くんにそうはっきり言ってもらえて、すっきりしたし。涙、見せたくないから……もう行って」
 香織の言葉に頷き、准は知的で優しい微笑みを香織に向けてから歩き出した。
「うん……じゃあ、また学校でね。部活、頑張って」
「ありがとう、また……学校で」
 精一杯の笑顔を准に向け、香織は手を振る。
 准は振り返らず、真っ直ぐに待っている眞姫に向かって歩き出した。
 涙で視界のぼやける中、香織は彼の背中を見送る。
「バイバイ、私の3年間の想い……」
 香織はぽろぽろと流れ出した涙を拭って、准と反対に進路を取る。
 ゆっくりと歩いていた彼女は、しばらくして気持ちを振り切るかのように風を切って駆け出した。
 そしてそんな香織を慰めるかように、その優しい秋風がそっと彼女の髪を揺らしたのだった。