8月4日・水曜日――合宿3日目。
 真っ赤なフェラーリが、ひたすら真っ直ぐな道を颯爽と走っている。
 その車内で、眞姫は運転席の由梨奈に目を向けた。
 相変わらず派手で露出度の高い服に身を包んでいる由梨奈であるが、それが彼女にはとても似合っている。
 ふわりと微かに、彼女の品のいい香水の香りが眞姫の鼻をくすぐる。
 眞姫は、由梨奈とふたりで話をすることが好きだった。
 明るくて派手な外見とは裏腹に、由梨奈は様々なものに対する冷静な洞察力を持つ人であることが会話でも分かる。
 そして、大企業の社長の妻であるだけの気品も、彼女からは感じられるのだ。
 かと言って堅苦しい話は一切なく、人を楽しませる話術を持っていると同時に、聞き上手でもある。
 きっと自分にお姉ちゃんがいたらこんな感じなんだろうなと、眞姫は思っていた。
 そんな美しい由梨奈の横顔を見つめながら、眞姫はふと俯く。
 あの杜木という深い闇の瞳を持つ美形の男と、華やかでしなやかな美しさを持つ由梨奈は、ふたり並んでいて絵になっていた。
 彼女だけを見つめる彼の神秘的な瞳と、彼に向けられる彼女の寂しそうな瞳。
 元恋人が敵に回っている今でも、由梨奈は気丈に振舞っている。
 実際もしも自分が同じ立場だとしたら、どんな気持ちなのだろうか。
 そして、その杜木と親友だという鳴海先生の気持ちも。
「どうしたの、眞姫ちゃん?」
 眞姫の様子に気がついて、由梨奈は優しく彼女に微笑みかける。
 少し動揺したように大きく首を振り、眞姫は慌てて言った。
「えっ、いえ、何でもないです」
 過去にどういう経緯があり、現在の状況を作り出しているのか。
 それを知りたかった眞姫だったが、由梨奈の寂しそうな表情を思い出し、聞けないでいた。
 由梨奈はそんな眞姫に視線を向け、ふっと微笑む。
「あ、もしかして慎ちゃんのこと聞きたかったりする、とか?」
「えっ!? どうしてっ」
 驚く眞姫に、由梨奈はくすくす笑った。
「だって眞姫ちゃん、思いっきり顔に書いてあるもん。聞きたいけど聞いていいのかなーって」
 まだくすくす笑う由梨奈を後目に、眞姫は俯いて顔を真っ赤にする。
 由梨奈は長いウェーブの髪を一度かきあげて、続けた。
「慎ちゃんってさ、超美形でかっこいいでしょ? まぁモデルだし、この由梨奈さんの元カレだから当然なんだけどっ。高校の頃なんて、ファンクラブあったくらいモテモテだったんだから」
「ファ、ファンクラブ?」
 由梨奈の言葉に、眞姫はきょとんとする。
 確かにあの杜木という男は、美形でしかも魅力的な雰囲気を持っていた。
 だが、ファンクラブまであったなんて。
 びっくりする眞姫に、由梨奈は楽しそうに笑って言った。
「実は、あのなるちゃんにもあったのよ? ファンクラブ。性格にめちゃめちゃかなり問題あるとはいえ、一見ハンサムだし成績もずっとトップだったからさ、あれでもモテてたんだけど。でも、ファンクラブなどくだらん! ってファンの子たち一喝しちゃって、そのファンクラブ無理やり解散させてさぁ。もうあれは見ててめちゃウケちゃったわーっ」
 きゃははっと笑う由梨奈の横で、あの先生ならいかにもしそうだと眞姫は思ったのだった。
 昔を懐かしむように楽しみながら、由梨奈は話を続ける。
「なるちゃんはああだけど、慎ちゃんは正反対で穏やかで誰にでも優しくてね。高校2年の時は慎ちゃんが生徒会長で、なるちゃんが副会長だったんだけど、それはもういろんな意味で最強のコンビだったのよ」
 想像するだけでもすごい組み合わせだと、眞姫は思わず息を飲む。
 でも……そんなふたりは今、敵同士である。
 由梨奈も同じことを考えたのだろうか、ふと表情が変わる。
 そして、呟いた。
「なのに……どうして、こうなっちゃったんだろうね」
「由梨奈さん」
 これ以上、眞姫は聞けなかった。
 いつも明るい由梨奈が、こんな哀しそうな顔をするなんて。
 由梨奈の心の痛みが、その表情だけでも十分に伝わってくる。
 狭い車内を、数秒の沈黙が支配する。
 眞姫は何とか話題を変えようと、明るい声を意識して言った。
「そう言えば、昨日の詩音くんの公演、すごくよかったですよね。私、感動しました」
「あの子の公演は何度も今まで聴いてきたけど、昨日の公演が今までで一番素晴らしかったわ」
 ふっと笑顔を取り戻し、由梨奈は続ける。
「やっぱり、お姫様がいたら違うなぁって」
「え?」
 由梨奈の言葉に、眞姫は目をぱちくりさせた。
 そういえば傘の紳士にも、同じようなことを言われた。
 でもどうしてみんながそう言うのか、眞姫には分からなかった。
 小さく首を傾げたあと、眞姫は再び由梨奈に瞳を向ける。
「それにしても、詩音くんのお母様ってすごく綺麗で素敵な方で。詩音くん、お母様似ですね」
「静香さんも眞姫ちゃんのこと、すごく気に入ってたわよ? 王子様の理想のプリンセスだって」
「理想の、プリンセス」
 容姿だけでなく不思議でドリームな言動もあの親子は似ていると、改めて眞姫は思ったのだった。
 うーんと考え込んだ眞姫に、由梨奈は言葉を続ける。
「昨日は眞姫ちゃん、あれから詩音ちゃんに会ってからおじ様に送ってもらったの?」
「ええ。あれからちょっと詩音くんと話して、それからおじさまに送っていただきました。ていうか由梨奈さん、おじさまとお知り合いだったんですね」
「えっ? あ、うん、まぁね。あの人には昔からお世話になってるから」
 一瞬だけ間があり、由梨奈は誤魔化すように笑いながらそれだけ言った。
 そんな由梨奈を、眞姫は不思議そうにその大きな瞳で見つめる。
 眞姫の視線を感じてちらりと横目で彼女を見てから、由梨奈は悪戯っぽく笑った。
 そして、言った。
「あのおじ様さ、誰かに似ていると思わない? 眞姫ちゃん」
「誰かに、ですか? 言動は、ちょっと詩音くんに似てるかなっては思いますけど」
「うーん、詩音ちゃんね、惜しいなぁ。まぁそれもある意味では納得なんだけど、別の……」
「……別の?」
 由梨奈の言葉の意味が分からず、眞姫は首を捻る。
 そんな眞姫の様子に微笑んで、由梨奈はおもむろに愛車を止めた。
「はーいっ、眞姫ちゃん到着ですよーっ」
 由梨奈の言葉に顔を上げた眞姫の目の前には、ゴールデンウィークの時以来である訓練施設がいつの間にかそびえ立っていた。
「わざわざ送っていただいて、ありがとうございました」
「お礼なんていいわよぉ。眞姫ちゃんとドライブするの楽しいし、なるちゃんにちょっと用もあるし。さ、ボーイズがお待ちですよ、お姫様っ」
 そう言って笑い、由梨奈は愛用のサングラスをかける。
 その言葉に微笑んでから、眞姫は助手席のドアを開けた。
 車を降り、うーんと大きく空気を吸い込んで伸びをする。
 夏の強い日差しがその身体を照りつけ、それと同時に爽やかな風が頬をくすぐった。
 そして合宿所を目の前にして、眞姫は改めて気持ちを引き締めたのであった。
 その時。
「……?」
 眞姫はふと何かを感じ取り、振り返った。
 そんな眞姫の様子に気がつき、由梨奈は首を傾げる。
「どうしたの、眞姫ちゃん?」
「いえ……気のせいみたいです」
 何となく、誰かに呼ばれたような気がしたが……。
 眞姫は、声のした方向に耳を澄ましてみる。
 だが、ザワザワという風が木々を揺らす音しか聞こえてこなかった。
 もう一度振り返って不思議そうに首を捻ってから、そして眞姫は由梨奈に続いて合宿所へと足を運んだのであった。
 ――同じ頃。
 その合宿所の一室で、4人の少年たちは鳴海先生の作成した課題に取り組んでいた。
「もうそろそろ、姫が来る頃じゃねぇか?」
 そわそわした様子で、拓巳はそう呟く。
 健人はその言葉に課題を解いていた手をふと止め、その青い瞳をおもむろに窓の外へと向ける。
 祥太郎は深々と溜め息をついて、言った。
「せっかく姫も今日から合流するのになぁ、まだ夏休みゲットできとらんし」
「まぁ、まだ3日目じゃない。あの人の性格考えると、そう簡単に夏休みくれると思えないだろう?」
 准は課題を解きながらも、ちらりと祥太郎を見る。
 健人は再びペンを走らせながら、はあっと嘆息した。
「ていうか、あの時せっかくのチャンスだったのに拓巳が余計なことするから、俺が“気”を放てなかったんだろ」
「あ? それを言うなら健人、おまえがあんなトコにいるからいけないんだろーがっ」
「……何だと?」
「何だよっ」
 ムッとした様子で睨み合うふたりに溜め息をつき、准はパタンとノートを閉じる。
 そして立ち上がり、言った。
「そんな言い合いしてたら、いつまでたっても夏休みもらえないよ? じゃあ、お先に」
「げっ、いつもながらにもう課題終わったん!?」
 目を丸くする祥太郎にこくんと頷いたあと、准はふと顔を上げる。
 その時だった。
 部屋のドアが、遠慮がちにコンコンと鳴った。
 少年たちは一瞬表情を変え、一斉にドアに視線を向ける。
 ちょうど立ち上がっていた准が、ゆっくりとドアを開けた。
 次の瞬間、少年たちの表情が途端に緩む。
「こんにちは、お邪魔しても大丈夫かな?」
 ひょっこり顔を見せた眞姫に、少年たちは興奮したように口々に言った。
「おっ、姫!」
「これはこれは、麗しのお姫様やんかっ」
「姫……」
「待ってたよ、姫。どうぞ入って」
「遅くなってごめんね。今は、勉強の時間?」
 空いている椅子に座り、眞姫は隣に座っている拓巳の課題を覗き込む。
 拓巳は嬉しそうな表情を浮かべ、そして前髪をかきあげた。
「鳴海のヤツ、毎回こんなたくさん課題だしやがるんだよ。全然分からねーし」
「私で分かる問題なら、教えようか? どれが分からないの?」
 思いがけない眞姫の言葉に、拓巳は一瞬きょとんとする。
 そして。
「えっ、姫が教えてくれるのか!? うわ、夢じゃねぇよな、この状況っ!?」
「拓巳ったら。大袈裟なんだから」
 くすっと笑ってから、眞姫はシャープペンシルをカチカチと鳴らした。
「姫、俺も分からんところだらけや。じっくりふたりで別室でマンツーマンで教えてもらいたいわぁっ」
 拓巳と眞姫の間に強引に割り込んで、祥太郎はハンサムな顔ににっこりと微笑みを浮かべる。
「あっ、おまえ割り込むなっ! 自分の席に戻れよっ、祥太郎っ!」
「まぁまぁ、たっくん。それで姫、この問題とこの問題が祥太郎くん分からんのやけど」
「人の話聞けよなっ、姫は俺に教えてくれるって言ってるんだろーがっ」
 拓巳はじろっと祥太郎を見て、ぶつぶつ呟いた。
「…………」
 騒がしいふたりを見て溜め息をつき、健人はふとその青い瞳を眞姫に向ける。
 そんな健人の視線に気がつき、眞姫は彼ににっこりと微笑んだ。
 健人は嬉しそうに青の瞳を細めてから、そして再び課題に取りかかり始めた。
「ふたりとも、ちゃんと自分で課題やんないと怒られるよ? じゃあ、僕は先生に課題提出しに行ってくるから」
 まだ騒いでいるふたりに嘆息してから、准は課題を提出すべく部屋を出て行く。
 そして部屋を出て長い廊下を歩き、先生のいる部屋の前でその足を止めた。
 鳴海先生との付き合いはもう1年半以上であるが、あの有無を言わせぬ雰囲気は相変わらず緊張してしまう。
 スウッと一息ついて、准は部屋のドアをノックして開ける。
「あらぁ、准ちゃんじゃなーいっ」
「あ、ゆり姉?」
 緊張の面持ちだった准は、由梨奈の姿を見つけて一瞬微笑みを浮かべた。
 そして改めて表情を引き締め、鳴海先生に課題を差し出す。
 鳴海先生は仕事の時だけかけている眼鏡を外してそれを受け取り、言った。
「おまえは学習室へ戻り、拓巳と祥太郎がきちんと与えた課題をこなすか見張っていろ」
 先生の言葉に嘆息してから、准はこくんと頷く。
 そんな准の姿を見て、由梨奈はくすっと笑った。
「相変わらず大変ねぇ、准ちゃん」
「ゆり姉は、もう今日戻るの?」
「ええ。ちょっと今、仕事が忙しくてね。今回は眞姫ちゃんの先生はいらないみたいだし。日曜日にまた迎えに来るから」
 由梨奈のその言葉に、准はふと表情を変える。
 そして、鳴海先生に視線を向けた。
「今回、姫には本当に何も教えないんですか?」
 准の質問を聞いて、先生はおもむろに切れ長の瞳を閉じる。
 それから、いつもの威圧的な声で言った。
「清家には今回の合宿では一切指導はしないと、言ったはずだ」
 准は何かを考えるような仕草をして、それから顔を上げる。
 そして真っ直ぐに鳴海先生を見つめたままで、再び口を開いた。
「先生は、姫の能力覚醒をまるで恐れているかのように時々見えます……僕の気のせいですか?」
「…………」
 准の言葉に、先生は鋭い視線を彼に向ける。
 そしてひとつ溜め息をつき、言った。
「清家の秘めたる能力は強大だ、まだ慣れていない今の状態では身体に負担がかかる。今回一切彼女に指導をしないのは、そのためだ」
 先生はそれから、それ以上何も言うなと言わんばかりの口調で続けた。
「分かったら、速やかに指示通りに学習室へ戻れ」
 准はまだ納得できないような様子であったが、先生に軽く一礼をして部屋をあとにする。
 彼が部屋を退出した後、由梨奈は鳴海先生に言った。
「なるちゃんが眞姫ちゃんの能力覚醒を恐れているみたい、ですってよ?」
「ある意味……そうかもしれんな」
 鳴海先生はおもむろにふっとその表情を変え、そう呟いたのだった。




「杜木様ぁっ、お久しぶりですーっ」
 きゃっきゃっとはしゃいだように笑い、藤咲綾乃はセンスの良い黒のスーツを身に纏っているその男・杜木の前に姿を現した。
 そんな綾乃に柔らかい微笑みを向け、杜木は彼女の漆黒の髪を優しく撫でる。
「ていうか綾乃、杜木様に呼ばれた時くらいは待ち合わせ時間守ろうよ」
 杜木と一緒にその場にいた少年・智也は、時計をちらりと見て嘆息する。
 そんな彼に、杜木は言った。
「いつものことだから構わないよ、智也。今日はいつもよりも早いくらいだしな」
「え!? 綾乃もしかして、いつも杜木様をお待たせしてるのか!?」
 驚いた表情をする智也に、綾乃はぺろっと舌を出す。
「杜木様は心の広い御方だもん。ね、杜木様っ」
「本当に信じられないよ、おまえ」
 度胸があるというか何と言うか、と呟く智也を後目に、綾乃は杜木と腕を絡めて歩き出した。
「ねぇ、杜木様っ。今日はどこでデートします?」
「そうだな、とりあえず綾乃の好きな甘いものでも食べに行こうかな」
「本当に!? わあいっ、杜木様大好きーっ」
 パッと表情を輝かせ、綾乃は杜木に甘えるように組んでいる腕をぎゅっと握り締める。
 そんな綾乃を見て頭を抱えてから、智也も仕方なくふたりについて歩き出した。
 場所は、賑やかな繁華街。
 世間は夏休みということもあり、いつも以上に街は活気に溢れていた。
 そしてもちろん例外なく夏休み中の智也と綾乃は、杜木に呼び出されていたのだった。
 綾乃のお気に入りの喫茶店で落ち着いてから、杜木はその漆黒の瞳を細める。
「智也、早速だが昨日の話を聞こうか」
「はい杜木様、ご報告します」
「昨日のことって、“空間能力者”にちょっかいかけてみたってこと?」
 綾乃の言葉に頷いてから、智也は口を開いた。
「杜木様のおっしゃていた通り、“空間能力者”はかなり油断ならないというか、侮れません。その空間能力の高さにも驚きましたが、意外にもオールマイティに力を使えるようでした」
「そうか。“空間能力者”、か」
 何かを考えるように、そう杜木は呟く。
 智也はそんな杜木の様子をうかがいながら続けた。
「これで俺が実際に戦った“能力者”は3人目ですが、いずれもよく訓練が施されていて、一筋縄ではいかない感じでした」
「そうそう、“能力者”の能力の高さには綾乃ちゃんも結構驚いてるんですよ、杜木様」
 智也の言葉にうんうんと頷いてから、綾乃はおもむろに漆黒の瞳の色を変える。
 そして杜木に目を向け、言った。
「それで、今回は綾乃ちゃんは何をすればいいんですか?」
 杜木はその端整な顔に、ふっと微笑みを浮かべる。
 それから一息つき、口を開いた。
「仕事熱心だな、綾乃。今回おまえに頼みたいことは……つばさの監視をして欲しいと思ってね」
「え? つばさちゃんの?」
「どういうことですか、杜木様?」
 意外なその言葉に、綾乃と智也は驚いた表情をする。
 そんなふたりの反応を見てから、杜木は漆黒の髪をかきあげた。
「監視というか、護衛と言った方が正しいかもしれないが」
 綾乃は大抵いつも彼の隣にいるつばさの姿がなかったことに、待ち合わせ場所で実は少し疑問を感じていた。
 特に由梨奈が出現して以来、つばさが杜木のそばにいる時間は増えている。
 だが今日そんな彼女の姿が見えないその理由が、ようやく納得できた。
「今つばさちゃんが杜木様のおそばにいないということは、彼女にはバレないように監視しろということですね?」
「察しのいい子は好きだよ、綾乃」
 にっこりと笑って、杜木は頷く。
 智也はまだ納得できない様子で言った。
「つばさの監視、いえ護衛とはどういうことですか?」
「いや、念のためだよ。彼女は邪者では希少な“空間能力者”だが、彼女の能力は戦いには向いていないからね」
 智也の質問をさらりとかわすようにそれだけ言って、杜木は運ばれてきたコーヒーをひとくち飲む。
 それから改めてふたりに視線を向け、話を続けた。
「今日おまえたちふたりを呼んだのは、ほかにも理由がある。近いうちに、君たち以外の“邪者四天王”にも、“能力者”に対抗するために動いてもらおうと思っていることを言っておこうと思ってな」
「残りのふたりも、ですか?」
 パフェがきてご機嫌だった綾乃は、杜木の言葉に途端に怪訝な顔をする。
 優しく綾乃に微笑んで、そして杜木は言った。
「綾乃。おまえはいい子だから、私が次に言うことは分かっているだろう?」
「…………」
 複雑な表情をして黙ってしまった綾乃をちらりと見てから、智也は首を傾げる。
「しかし杜木様、ほかのふたりは別の任務についていたはずでは?」
「確かに残りのふたりは別の任務にあてていたが、なかなかその任務は難航していてね。そっちの任務は焦らずとも、“浄化の巫女姫”の能力が開花した時にでも構わないからな」
 そこまで言って、杜木は漆黒の瞳を閉じる。
 そして、ゆっくりと言った。
「まずは“浄化の巫女姫”の近くにいる“能力者”の力を把握し、そして排除することに力を注ぐ」
「では、ほかのふたりが今あたっている任務の方は、眞姫ちゃんの力が蘇ってから再開ということですか?」
「まだ“浄化の巫女姫”の力も、ほんのごく一部しか蘇ってはいない。だが、その力が徐々に蘇るにつれ……彼女も感じるはずだよ、我らが求めるものの波動を」
 そう言って深い漆黒の瞳を細めて、杜木は微笑む。
 それから、綾乃に言った。
「先程智也も言っていたが、“空間能力者”は侮れない。それが“能力者”であっても“邪者”であってもな。つばさの件、おまえなら上手くやってくれると期待しているよ」
 優しくて柔らかな微笑みを向けられ、綾乃は頷くしか出来なかった。
 そして智也はそんな綾乃の様子を見て、小さく溜め息をついたのだった。




 その日の、夜。
 台所で洗い物をしていた眞姫は、ふと振り返って微笑んだ。
「あら、祥ちゃん。どうしたの?」
「じゃんけんで見事勝ってな、飲み物取りに来たんや」
 ハンサムな顔に笑顔を浮かべ、祥太郎はそう言って冷蔵庫を開ける。
「じゃんけんで勝って飲み物取りに来たって、それって普通負けた人が取りにくるものじゃない?」
 くすっと笑う眞姫は、そう言って水道をひねった。
 祥太郎はレースのついた真っ白なエプロン姿の眞姫に見惚れ、嬉しそうに微笑む。
 時間は、夜の9時を回っていた。
 今日も先生に一撃当てることができなかった少年たちは今、ひとつの部屋に集まって夏休みゲットのための作戦会議中である。
 そしてそれと同時に、レースのあしらわれたエプロン姿で洗い物をしている眞姫のことが気がかりで、仕方ないのであった。
 じゃんけんの勝者が飲み物を取りに行く役目なのは、そういう理由があったのだ。
「本当に手伝わんでも大丈夫なんか? 姫」
「うん、ありがとう。もうすぐ終わるし、大丈夫よ。終わったら私もみんなのところに行くから」
 食事は別に雇っている施設の職員が作っているのだが、今日は少し訓練が長引いてしまったため、食事を取る時間が遅くなってしまった。
 職員は8時には施設を出るため、食べたあとの食器がそのままになっていたのだ。
 そのためにそれを見かねた眞姫が、洗い物役を引き受けたわけである。
 実際に眞姫は、勉強時間と映画鑑賞の時間にしか合宿に参加できない。
 今回の合宿にあたって、少年たちのために何か少しでも役に立ちたいと眞姫は強く思っていた。
 祥太郎は取り出した飲み物をおもむろに冷蔵庫に再び戻したあと、眞姫の隣に立った。
「もう少しで終わるんやったら、ふたりで片付ければもっと早く終わるやろ?」
 そう言って腕まくりする祥太郎に、眞姫はにっこり微笑む。
「そうだね、祥ちゃん。ありがとう」
 それから一緒に食器を片付け始めた祥太郎に、思い出したように眞姫は言った。
「あ、そうだ。詩音くんから祥ちゃんに、伝言があったんだった」
「詩音から?」
「うん。えっと、鳴海先生に一矢報いるためには先生の嫌がることをしてみたらどうか、って」
 眞姫の言葉に、祥太郎はしばらく考える仕草をする。
 そして何かを思いついたように、そのハンサムな顔に笑みを浮かべた。
「ははーん、なるほどなぁ。いい作戦思いついたでっ」
 うんうんと何度か頷いたあと、祥太郎はふと眞姫を見つめる。
「どうしたの、祥ちゃん?」
 その祥太郎の視線に、眞姫はきょとんとした。
 そんな眞姫に、祥太郎は何かを耳打ちする。
「えっ!? でもそんなこと、いいの!?」
 その祥太郎の言葉に、眞姫は驚いたように声をあげた。
「駄目か? 姫がイヤなら、無理にとは言わんのやけど」
「イヤじゃ全然ないんだけど、大丈夫なのかな?」
「それならこの作戦で決まりやっ。きっと大丈夫や、これで夏休みもゲットできるで? あ、このことは俺と姫のふたりだけの秘密な」
 眞姫はまだ驚いた表情のままであったが、こくんと頷く。
 そして改めて食器を片付けようとした、その時。
「……?」
 眞姫はふと、振り返る。
 ピタリと動きを止めた眞姫に気がつき、祥太郎は言った。
「姫、どうしたんや?」
「え? いや……今、何か聞こえなかった?」
「今か? 特に何も聞こえんかったけど?」
 祥太郎の言葉に、眞姫は首を傾げる。
「何か聞こえた気がしたけど、気のせいかな」
 眞姫はそれだけ呟き、そして再び片付けの作業に戻ったのであった。