「姫、本当にどこに行っちまったんだ?」
 ぽつりと拓巳は、そう呟いて砂浜に寝転がった。
 もう眞姫がいなくなって、1時間が経とうとしている。
「そうだね、健人が見つけてくれてればいいんだけど」
 ふうっと溜め息をついて、准もそう言った。
「でもよ、健人が姫のこともう見つけてるんなら、ここに戻ってきてるはずだろ?」
 そんな拓巳の言葉に、祥太郎はぶんぶん首を振る。
「甘いで、たっくん。健人のことや、姫とふたりっきりで抜けがけしとるって可能性もなきにしもあらずやで?」
「…………」
 それを聞いて、准は複雑な表情を浮かべる。
 拓巳はガバッと起き上がり、声をあげた。
「なっ……んなこと、させてたまるかってっ」
 立ち上がって眞姫を探しにいこうとした拓巳の腕を掴み、祥太郎は悪戯っぽく笑う。
「冗談や、冗談っ。“空間能力者”でもない健人が姫を見つけるなんて、至難の業やろ?」
「まぁ、そう言われればそうだけどよ」
「うかつにここを離れるわけにはいかないし、何人も迷子になったら元も子もないからね。せめて鳴海先生か詩音が合宿所にくるまでは、ここで待ってようよ」
 もう一度嘆息し、准は拓巳に目を向ける。
 ドカッと改めて砂浜に腰をおろし、拓巳は眞姫の麦わら帽子を手に取った。
 そしてまだ少し濡れているそれを優しく撫でて、呟いた。
「早く戻ってきてくれよ、姫……」




 その頃、眞姫は大きな瞳をさらに大きく見開いた。
 静かに閉じた健人の瞳にかかったまつ毛は驚くほど長く、近くで見ると改めて彼の容姿の美しさが分かる。
 ドキドキと眞姫の鼓動が、一段と早くなる。
 目の前まで迫ってきた健人を見つめたまま、眞姫は顔を真っ赤にさせた。
 これって、もしかして……。
 ……その時だった。
 今まで閉じていた健人の瞳が、ふっと開く。
 そしてその動きをピタリと止めた。
 それから怪訝な表情を浮かべ、健人はおもむろに背後に視線を向ける。
 それにつられて振り返った眞姫は、あっと短く声をあげた。
「見つけたよ、僕のお姫様。こんなところにいたんだね」
 いつの間に現れたのか、そこにはいつものように優雅な笑顔を浮かべた詩音の姿があった。
「あっ、詩音くん」
「迎えに来たよ、さぁ王子と一緒に戻ろう、お姫様」
 スッと眞姫に手を差し出し、詩音はにっこりと微笑む。
「……詩音」
 大きく溜め息をついて、健人は青い瞳を訝しげに詩音に向けた。
 くすっとそんな健人に笑いかけ、詩音は色素の薄い瞳を細める。
「お姫様と青い瞳の騎士の気配を妙なところから感じたんでね、気になって来てみたんだよ。さ、みんなのところに戻ろうよ」
「青い瞳の騎士はやめろって言ってるだろ……」
 がっくりとうなだれて、健人は大きく溜め息をついた。
 そんな健人の姿をちらりと横目で見て、眞姫は赤くなった頬にそっと手を添える。
 健人の顔が近付いてきた瞬間……一瞬、彼の唇が自分のものと重なるかと思ってしまった。
 何てことを考えてしまったんだろうと、眞姫は再びカアッと顔を赤らめる。
 自分と健人は、同じ映研部員の仲間であり、友達である。
 きっとそれは自分の思い違いで気のせいだと眞姫は思い直し、差し出された詩音の手を取った。
 そして、座っていた岩から地面に着地する。
「……っ、痛っ」
 足の裏が傷ついていることを忘れていた眞姫は、地面に足をつけた途端はしった痛みに、思わず顔を歪めた。
 健人はそんな眞姫に、言った。
「俺がおぶってやるよ、姫。詩音、おまえは道案内を頼む」
「あ……ありがとう、ごめんね、健人」
 遠慮気味に健人の背中に身体を預け、眞姫は申し訳なさそうに俯く。
 ひょいっと眞姫を背に、健人は立ち上がった。
 そんな健人に、詩音は楽しそうに笑う。
「それにしても“空間能力者”でもないのに、よくお姫様のいるところが分かったね?」
「姫の気配が感じるような気がする方向に勘を頼りに歩いてたら、姫がいたんだよ」
「なるほどね、君は強運の持ち主だからね。まぁ今回は美味しい役割は君に譲ろう、健人」
「ていうか……肝心なところで邪魔したのは、どこのどいつだよ……」
 眞姫に聞こえないくらいの声でそう呟き、そして健人はもう一度深々と溜め息をついておもむろに歩き出したのだった。




「あっ、姫!」
「おおっ、戻ってきてくれたんやな、お姫様っ」
「姫! どこに行ってたの? ていうか詩音、いつここに?」
 海で時間を持て余していた3人は、健人と眞姫そして詩音の姿を見つけて駆け寄る。
「ごめんね、みんな。心配かけちゃって」
 眞姫は3人に走り寄って、ぺこりと頭を下げた。
 彼女の真っ白なワンピースは相変わらず土色に染まっていたが、足にできた小さな傷はいつの間にかすっかり消えている。
 しばらく健人に背負われていた眞姫だったが、詩音が眞姫の使える“癒しの気”のことを思い出し、途中で傷を完治させたのだった。
 健人がますます詩音に怪訝な瞳を向けたのは、言うまでもない。
「姫、せっかくの真っ白なワンピースが土で汚れているじゃない、大丈夫?」
「ま、とにかく姫が戻ってきてくれたんだ、よかったぜ」
 そう言って准と拓巳は、ホッとした表情を浮かべる。
「うん、大丈夫。心配かけてごめんね」
 祥太郎は眞姫のそばにいる詩音に、視線を向けた。
「ていうか詩音、いつの間にここに来たんや?」
「僕? 僕はいつでもお姫様のそばにいるからね」
「…………」
 健人は詩音にちらりと青い瞳を向け、大きく嘆息する。
 そんな健人の様子に楽しそうに微笑んでから、詩音は思い出したように手に持っていたものを少年たちに差し出した。
「そういえば、ミセスリリーからの贈り物があったんだ。儚くて美しい、夏の花だよ」
「夏の花? おおっ、花火じゃねーかよっ」
 詩音の持っていた袋を覗いた拓巳は、はしゃいだように声を上げる。
 眞姫も拓巳と一緒に袋を覗き込み、パッと表情を変えた。
「あっ、本当ね。結構たくさん種類あるね」
「よっしゃ、夏らしく、たまや〜って花火大会するか?」
「たまやって、打ち上げ花火の掛け声だし。ていうか、まだ日が沈んでなくて明るいけど、大丈夫かな?」
 祥太郎に何気にツッこんでから、准は空を赤く染め始めた夕日を見上げる。
 まだ花火をするには少し早い時間だったが、拓巳と祥太郎は早速花火を取り出し始めた。
「いいんじゃないか? いつも花火って夜しかしないから、夕方してみるのも面白いかもな」
 准の肩をぽんっと叩いて、健人も1本の花火を手に取った。
「わあっ、何だか夏って感じでワクワクしてきちゃった」
 眞姫は楽しそうに笑って、どの種類の花火をしようかと瞳を輝かせながら迷っている。
 健人はそんな彼女の笑顔を見て、ふっと微笑んだ。
 先程まで自分の胸の中で泣いていた眞姫の瞳は、涙で潤んでいてとても印象的で。
 いつも足手まといになるまいと気丈に振舞っている眞姫だが、彼女の本当の心が映し出されたその涙を自分に見せてくれたことが、健人には嬉しかったのだ。
 でも、やはり。
「姫は、笑ってる顔が似合ってるな」
「え? 何? あ、健人はどれにする?」
 小声で呟いた健人の言葉は彼女には聞こえず、眞姫はにっこりと彼に笑いかける。
 准は誰かが置いていったのか近くに落ちていたバケツを拾い上げると、今にも花火に着火させようとはしゃいでいる拓巳に視線を向けた。
「拓巳、そんないっぺんに何本も火をつける気?」
「おうよっ、どうせなら何本も一緒に火をつけた方が迫力あるだろ?」
「ていうか待って、今バケツに水汲んでくるから……って、もう火つけてるしっ」
「わあっ、綺麗っ」
 准の言葉をよそに、拓巳は花火に火をつけた。
 目の前で弾ける光の花に、眞姫は手を叩いて喜んだ。
「おっ、ミニ打ち上げ花火もあるで? まさに、たまや〜やなっ」
「ねずみ花火とかもあるぞ、楽しそうだな」
 ガサゴソと花火セットの中身を確認し、祥太郎と健人は示し合わせたように頷く。
 そして。
「のあっ!! ねずみ花火こっちに投げるなよなっ!!」
 着火したねずみ花火を、ふたりは拓巳の近くに投げたのだった。
 眞姫はその様子に、くすくすと笑う。
 詩音ははしゃぐ少年少女を見て、ふっと微笑んだ。
「輝く夏の太陽と爽やかな少年少女の休日・僕の思い描いていた“Blue Sunshine”とはちょっと違ったけど、こういうバカンスもいいかもね」
 詩音は目の前に鍵盤があるかのように無意識的に指を動かしながら、色素の薄い瞳を細める。
「ちゃんと終わった花火はこのバケツの中に入れて、ゴミは全部持って帰るよう……わっ!」
 バケツに水を汲んできた准目がけて、拓巳は自分がされたように、着火したねずみ花火を投げた。
 バチバチっと動き回る花火に耳を塞いだ後、准はじろっと拓巳に目を向ける。
「ねえ拓巳……僕の話、ちゃんと聞いてた? ていうか、そーんなに迫力ある花火がしたいんだ」
 ロケット花火を手にした准は、ふっと不敵に笑う。
「げっ! 准、落ち着け、話せば分かるっ」
「何を今更、遠慮なんてしなくていいのに」
「だーかーらっ、それをこっちに向けるのはやめろって!」
 逃げ回る拓巳とそれを追いかける准の姿に、眞姫は楽しそうにくすくすと笑う。
「一応ツッこんどくけど、あれって手に持ってする花火やないやろ?」
「何気に、准って怒らせると恐いよな」
「さ、お姫様。今度はどんな花を咲かせようか?」
 口々にそう言う少年たちを見て、眞姫は再び目の前の花火に目を向ける。
 そして一本の花火を選び、火をつけた。
 パチパチッという音がしたかと思うと、赤や橙、黄色の色をした光の花が目の前に出来上がる。
 その花火を見つめながら、眞姫は満足そうに微笑んだ。
 それからその美しい光の花と少年少女たちの楽しそうな声は、しばらく途絶えることがなかった。
 そして高校1年の楽しい夏休みの思い出が、少年少女たちの心に深く刻み込まれたのだった。




「みんな、よっぽど疲れちゃったみたいね」
 合宿所からの帰り道。
 すっかり暗くなった夜の道を走りながら、由梨奈はふっと微笑んだ。
 バックミラーに映るのは、少年たちの無邪気な寝顔。
「それにしても、1日でも夏休みを手中にできるなんて、正直思っていなかったよ」
 唯一起きている詩音が、そう楽しそうに言った。
 由梨奈はくすくす笑いながらも、詩音に目を向ける。
「まぁ、ちょっと反則っぽい方法だったけど、それにしてもボーイズ、なかなか頑張ったんじゃない?」
「そうだね、でも僕がいればもう少し早くバカンスを満喫できたかもしれなかったけどね」
 色素の薄い髪をそっとかきあげて、詩音はくすっと笑った。
 そして由梨奈は、熟睡している少年たちをもう一度見守るように見つめ、優しく瞳を細めたのだった。
 同じ時、鳴海先生のダークブルーのウィンダムに乗っている少年たちも同様に、スヤスヤと健やかな寝息をたてていた。
 助手席に乗っている眞姫は、ちらりと後部座席に視線を移し、そんな彼らを見て微笑む。
 それから改めて視線を前方に向けた、その時だった。
「あ……っ!」
 眞姫は、思わず声を上げる。
 海沿いを走っている車の窓から見えたのは、夜空に咲き誇る色彩美しい大輪の花。
 少し離れた場所で、どうやら花火大会が開催されているようである。
「先生、今日はどこかで花火大会があってるみたいですね」
「そのようだな。花火は見ていて、日本という国特有の四季が感じられる。大いに結構だ」
 冷たい返事しか返ってこないだろうと思っていた眞姫は、先生の言葉に思わず嬉しそうに微笑む。
「はい、そうですよね。すごく綺麗……」
 無邪気に花火を見つめる眞姫の姿を、鳴海先生は切れ長の瞳でちらりと見つめた。
 彼女の瞳に美しい花火の光が映り、キラキラと光を放っている。
「私、今回の合宿……いろいろな人に迷惑かけちゃったけど、参加できて本当によかったです」
 眞姫の言葉に、先生は何かを考えるように瞳を伏せる。
 そして、言った。
「君を合宿に参加させた判断は正しかったのだろうかと、考えることがしばしあった。だが、今はそれが正しかったと私も思っている」
「先生……」
 眞姫は、隣の鳴海先生に瞳を移した。
 そんな眞姫にいつもの切れ長の瞳を向け、先生は言葉を続ける。
「しかしこれからも言えることだが、無理は禁物だ。分かったな」
「はい、ありがとうございます、先生」
 眞姫は満面の笑みを浮かべ、嬉しそうに頷いた。
 それから改めて、遠くに見える花火を見つめる。
 そして鳴海先生はそんな彼女の姿を見つめて、ふっと微笑みを浮かべたのだった。

 





第4話「Blue Sunshine」 あとがき