殴られた頬を押さえながら、岡田はゆっくりと立ち上がった。
 その憎悪に色を湛えた瞳は、准から眞姫へと視線を移している。
「姫、どうしてっ」
 准は驚いた表情を浮かべ、眞姫を見つめる。
 眞姫はそんな准に、大きな瞳を向けた。
「ごめんね、准くん。でも私、じっとしてなんていられなかったの」
 それから眞姫は、その瞳をおもむろに岡田に移す。
 岡田は澄んだ眞姫の両の目が自分を映したことに驚いた表情をしてから、視線を逸らした。
 何故か彼は、眞姫のその瞳を見続けることができなかったのだ。
 眞姫はゆっくりと柔らかに、そして凛とした声で言った。
「准くん、岡田くんを助けられるのは、私だけだから」
「姫……」
 今まで見たことがないような眞姫のその表情。
 そして神々しさまで感じるようなあたたかい“気”が、彼女の身体を取り囲んでいるように見える。
 その“気”は岡田の身体から立ち上っていた“邪気”をも優しく包み、准の張った結界の中を満たしはじめていた。
 准は岡田の動きを警戒しながらも、眞姫に目を向ける。
「でも、姫は現に“憑邪”のターゲットなんだよ!? 姫を危険な目に合わせることなんてっ」
「准くん、私のこと心配してくれるのはすごく嬉しいわ。でもね」
 准の言葉を遮るように、眞姫は口を開く。
 そしてふっと准に目を向け、言葉を続けた。
「岡田くんに憑いている“邪”を浄化することは、私にしかできない……そうでしょう?」
「…………」
 准はそれ以上、眞姫に何も言えなかった。
 自分たち“能力者”の使命は、“浄化の巫女姫”を守ること。
 だが目の前にいる“浄化の巫女姫”の姿は、人に守られる立場というよりも……むしろ、人を守るだけの美しい光があると准は感じた。
「清家さん、僕を助けてくれるのかい?」
 今までじっと話を聞いていた岡田は、そう言ってゆっくりと顔を上げる。
 そして、ゆらりと一歩前に踏み出してから続けた。
「僕を助けてくれるっていうことは……僕のために、死んでくれるってことだよねっ!」
「姫っ!!」
 ぐわっと一瞬にして岡田の“邪気”が大きくなったことを感じ取り、准はハッと顔を上げる。
 眞姫も表情を変え、目の前の光景に目を見開いた。
「!」
 眞姫の目に分厚い本が浮かび上がるのが無数に見えたと思った途端、すごい勢いでそれが襲い掛かってきたのだ。
「くっ!!」
「! きゃっ」
 咄嗟に眞姫の身体を抱えて横に飛び、准はその本の攻撃を避けた。
 目標を捉えることのできなかった本たちが、床や壁に大きな穴をあける。
 しかしそれらの本は勢いを失わずに、再びすぐに宙に浮き上がった。
 そして狙いを定めるかのように数度小さく揺れたあと、ふたり目がけてすごい勢いで飛んきたのだ。
 准は眞姫をかばうように素早く位置を取り、そして右手に力を込める。
 次の瞬間、カアッと眩い光が弾け大きな衝撃音があたりに響き渡った。
 瞬時に准が張った“気”の防御壁と“邪気”を纏った本が激しくぶつかり合う。
 そして准の大きな“気”によって威力を失った本が、眞姫の目の前に山を作った。
「姫、僕のそばから離れないでね」
 岡田を見据えたまま、准は眞姫にそう言った。
 いつもの知的で優しい准の印象は変わらないが……こんな険しい表情の彼ははじめて見ると、眞姫はこの時思った。
「ふふ、まとめてターゲットが目の前に現れてくれるなんてね。手間が省けたとは、まさにこのことだな」
 不敵にニヤッと笑みを浮かべながら、“邪気”を漲らせた岡田はふたりに近付く。
 そして壊れたように笑いながら、その右手を掲げる。
 それと同時に、再び床に散らばっている本がふわりと浮き上がるのが見えた。
 その顔は眞姫が知っている岡田のものとは思えないような、まるで別人のもののように思えた。
 准はそんな様子に動じることなく、ふっと軽く身構える。
「岡田くん、僕は言ったよね。姫に危害を加えるのなら……容赦はしないって」
 鋭い視線で岡田を見据え、准はそう言ってぐっと拳を握り締める。
 刹那、その右腕に美しくて大きな“気”の光が宿った。
 その時。
「! 准くん、待ってっ」
「姫!?」
 眞姫は咄嗟に眩い“気”の光が宿る准の腕を掴んだ。
 急に腕を掴まれた准は、驚いたように眞姫に視線を向ける。
 准の動きを制するように軽く首を振り、眞姫は言った。
「岡田くんの身体を傷つけないで、お願い」
「でも、姫っ」
「准くん、私が何とかやってみるから……ね?」
 そう言って眞姫は、准ににっこりと微笑む。
「姫……」
 彼女をじっと見つめたまま少し何かを考えるような仕草をした准だったが、こくんと首を縦に振った。
「分かったよ、姫。でも姫は、必ず僕が守ってみせるから」
「ありがとう、准くん」
 ほっとしたように安堵の表情を浮かべ、眞姫は掴んでいた手を離した。
 そんな眞姫に笑顔を向けた後、准は表情を引き締めて“邪気”を漲らせる岡田に視線を移す。
「それで、どうするの? 姫」
「とりあえず、岡田くんの近くに……っ!」
 “邪気”が大きく渦を巻くのを感じ取り、眞姫はハッと顔を上げた
 その瞬間、本の大群が再びふたりに襲いかかってくるのが見える。
「大丈夫、言っただろう? 姫は僕が守るってねっ」
 そう言って、准はその右手に漲る“気”で防御壁を形成させる。
 ドーンッという激しい音が耳を劈き、無数の光が目の前で弾けた。
 岡田の放った攻撃はすべてその准の防御壁に阻まれて、ふたりには届かなかった。
「僕が姫の前に防御壁を張るから、僕を信じて姫は岡田くんに」
「うん、分かったわ」
 准の言葉に、眞姫はこくんと頷く。
 そんな眞姫に微笑んだ後、准は再び岡田に視線を向ける。
 今までの攻撃パターンを見て岡田の“邪気”にどんな特徴があるか、准には十分に分かっていた。
 すべての本の攻撃を無効化にした後、准は隙を見計らう。
 そして次の攻撃に備えて“邪気”を貯めようと構える岡田を見て、准は言った。
「姫の援護は僕がするから、安心して行って」
 そう言って准は、再び右手に美しい“気”を宿す。
 眞姫は准の言葉に頷いて、ゆっくりと岡田に向かって一歩ずつ歩き出した。
「! 何を!?」
 予想外の眞姫の行動に、岡田は驚いた表情をする。
 だが、すぐにその顔に不敵な笑みを浮かべた。
「何を考えているか知らないけど、かえって好都合だ。自分から近付いてくるとはねっ」
 その右手に再び“邪気”が宿り、眞姫目がけて一斉に本たちが唸りをあげて襲い掛かる。
 そして、次の瞬間。
「なっ!?」
 岡田は、目の前で起きた状況に瞳を見開いた。
 その本の攻撃が眞姫に直撃することはなく、彼女を守るべく形成された准の防御壁によって次々と阻まれているのだ。
 美しい光が弾ける中を眞姫は歩を進め、そして手を伸ばせば岡田の身体に触れることができるまでの位置にまで近づく。
 そして岡田を目前にした眞姫は、その瞳をおもむろに彼に向けた。
「……!」
 岡田は一瞬、言葉を失った。
 自分を見つめる澄んだブラウンの瞳は、凍てついた心の中をゆっくりと溶かすような神秘的な光を放っているような気がしたのだ。
 そして眞姫は、おもむろに手を伸ばした。
 岡田は眞姫の行動に、どうしたらいいか分からない表情を浮かべる。
 そんな岡田にゆっくりと眞姫は言った。
「一緒に暗闇を抜け出しましょう、岡田くん」
 にっこりと自分に微笑む、その笑顔。
「せ、清家さん……」
 彼女の身体を包むあたたかい光を感じ、岡田は無意識にその眞姫の手にそっと触れた。
 ……その瞬間。
「!! ううっ、あぁっ!」
 途端に身体の中が熱くなり、岡田は思わず声を上げた。
 呼吸が荒くなり、身体の中の何かがもがいているような感覚。
 眞姫はそんな岡田から手を離さずに、言った。
「もう少しで貴方の中の“邪”を追いだせるわっ、頑張って!」
「うっ、ああぁっ!!」
 眞姫を取り囲む光が岡田の身体をも包みこみ、そしてカアッと輝きを増す。
「! 姫っ!!」
 准は大きな“気”の力を感じ、瞳を見開いた。
 その強大な光に飲み込まれ、一瞬視界が失われる。
 准の張った“結界”の中に、強大でそしてあたたかい輝きが満ち溢れる。
 そしてその光が弾けた、次の瞬間。
 ドサッと音がして、岡田の身体が地に崩れ落ちる。
 そんな彼の姿をちらりと見てから、准はその視線をおもむろに上げた。
「……おまえが彼に憑いていた“邪”か」
 静かだが、准のその言葉には怒りが込められていた。
 眞姫の“憑邪浄化”によって岡田の身体から引きずり出された、実態のない“邪”の姿。
 倒れた岡田の頭上に浮かぶ黒い影“邪”は、驚きを隠せない様子で言った。
『なっ!? 何故、身体から離れたのだ!? それに先程の“気”の光……まさか、その娘はっ!』
「……消えてもらうよ」
 何のためらいもない冷静な声で、准は短くそれだけ言い放った。
 普段受ける印象と全く違う雰囲気のギャップに、眞姫は少し驚いた表情をする。
 そしてそれと同時に、准の右手から眩い“気”の衝撃が繰り出された。
『!!』
 ドオンッと今までで一番大きな衝撃音が耳を劈き、そして光が溢れる。
 眞姫は思わず手のひらで瞳を覆い隠した。
 そして次に視線を上げたその時には、すでに黒い“邪”の影は、跡形もなく消えうせていた。
 眞姫はそれから、地に倒れている岡田を見る。
 彼の身体を漲っていた“邪気”も、今は全く感じられない。
 眞姫はそんな彼の姿を見て、安堵のため息をついた。
「よかった……みんな、無事で……」
 ほっとして気の抜けた、瞬間。
 眞姫の膝が、力を失ってカクンと折れる。
「! 姫っ!!」
 足はもちろん全身に力が入らなくなっている眞姫の身体を、准はしっかりと支えた。
「強大な“気”を一気に放出したから、身体がまいっちゃったみたいだね」
「うん……力のコントロールできないから、力使ったらすぐに倒れちゃうんだ」
 准に身体を預けたまま、眞姫はそう言って俯く。
 そんな眞姫に、准はいつもの優しい笑顔を向けて言った。
「姫が来てくれなかったら、岡田くんは助かってなかったよ。頑張ったね、姫」
「ありがとう、准くん」
「姫、お礼を言うのは僕の方だよ」
 そう言って准は、少し乱れた眞姫の髪を手櫛で整える。
 眞姫は身体のだるさを感じながらも、その准の優しさが嬉しかった。
 ……その時。
「え!?」
「!!」
 准と眞姫は、同時にその顔を上げる。
 眞姫を支えたまま、准は呟いた。
「これは……このすぐ近くで、“結界”が張られた?」
「近くで、“結界”が?」
 眞姫はおもむろに、だるさの残るその体を起こした。
 そして立ち上がろうとしたが……まだ足に完全に力が入らず、膝が崩れる。
「姫っ!?」
 そんな眞姫を再び支えて、准は驚いた表情を眞姫に向けた。
「行かなきゃ。“結界”の張られた場所に、行かなきゃいけない気がする」
「そんな、まだ姫の身体は動けるような状態じゃないよっ。今は休まなきゃ」
「うん、分かってる……それでも私、行かないと」
「姫……」
 准は、遠くを見据える眞姫のその瞳を複雑な表情で見た。
 身体は完全にまいっている眞姫であるが、その瞳は先程と変わらず、輝きを失ってはいない。
 ひとつ溜め息をついてから、准はふっと微笑んだ。
「分かったよ。行こう、姫。僕が姫のこと守るから」




 あんなにも激しく降り続いていた雨は、いつの間にか止んでいた。
「ふーん、“憑邪浄化”かぁ。確かにあれは、私たちにとっては厄介かもぉ」
 中庭のすみにひっそりと置かれているブランコをこぎながら、セーラー服を着たその少女は呟いた。
 ご機嫌に口笛を吹きながら、その少女・綾乃は勢いをつけてブランコをこぐ速度を早める。
 それからふっと口元に笑みを浮かべて、ある一点に視線を向けた。
「はろぉ、祥太郎くん。それにしても……立派な“結界”だねぇっ」
 周囲をわざとらしく見回して、綾乃はそう言った。
「これはこれは、綾乃ちゃんやないか。わざわざこの男前な祥太郎くんに会いに来たんか? いやぁ、モテる男はツライなぁ」
 そんな綾乃の言葉に、いつの間にそこにいたのか祥太郎は悪戯っぽく笑う。
 祥太郎の姿に、綾乃は楽しそうに屈託ない笑顔を向けた。
 そして彼女の乗ったブランコが一番高い位置まで来た、その時。
 バッとブランコから飛び降りた綾乃は、狙いすましたように祥太郎と一定の距離をとった地点に難なく着地する。
 彼女のセーラー服のスカートが、ふわりと揺れた。
「やっぱり私立の名門進学校は違うねぇっ、中庭も豪華だしブランコもあるなんていいなぁっ」
 きゃははっと嬉しそうに笑って、綾乃はその黒髪をサラッとかきあげる。
「それで、祥太郎くん……わざわざ私に会いに来てくれたんだぁ」
「ああ。この校内に“邪者”がおるって分かってな、これは“能力者”として出向いとかないかんかなぁってな」
 それから祥太郎は、声のトーンをおとして言葉を続けた。
「綾乃ちゃん……うちの学校に、何しに来たんや?」
「あら、私が言わなくても分かってるんでしょ」
「……あの“憑邪”の行動を見物に来た、ってカンジか?」
 祥太郎のその言葉に、綾乃はくすくすと笑う。
「正確にいうとちょっと違うよ、祥太郎くん。あの“憑邪”じゃなくて、眞姫ちゃんの……いや“浄化の巫女姫”様の能力を見に来たのよ」
「姫の……」
 綾乃の言葉に、祥太郎は険しい表情をした。
 そんな祥太郎とは対称的に、綾乃は楽しそうに微笑む。
「あ、でもねぇ、もう“憑邪浄化”の能力も見たからお仕事は終了なんだよねぇ」
 そしておもむろにスッと瞳を細めて、綾乃は言葉を続けた。
「特に杜木様から“能力者”を消しなさいとか言われてないけどさ……どうする? 祥太郎くん」
 綾乃の瞳の色が変化したことに気付き、祥太郎もその表情を変える。
 それからふっと口元に笑みを浮かべて言った。
「どうしよかなぁ、綾乃ちゃん。せっかく可愛い子とふたりっきりやしなぁ」
「そーねぇ、わざわざこんなに立派な“結界”張っちゃってくれてるしねぇ」
 うーんと考える仕草をする綾乃は、何かを思いついたようにポンッと手を打つ。
 それからにっこりと微笑んで、口を開いた。
「あっ、綾乃ちゃん、いいこと考えたぁっ」
 そして……次の瞬間。
「!」
 祥太郎は、ハッとその顔を上げて表情を変える。
 今まで微塵も感じなかった綾乃の“邪気”が、一瞬にして膨れ上がったのだ。
 今までとまったく雰囲気の違う表情で、綾乃は言った。
「せっかく“結界”も張られてるわけだしさ……ちょっと綾乃ちゃんの相手とか、しといてみる? でさ、最初の一撃を相手に命中させた方が何か奢ってもらうって、どう? 面白そうじゃない?」
 渦を巻く強大な“邪気”を肌で感じながらも、祥太郎はそのハンサムな顔にニッと笑みを浮かべる。
「なるほどなぁ、姫の能力だけでなく“能力者”の力も試しておこうっちゅーことか? さすが抜かりないなぁ、綾乃ちゃん」
「別に祥太郎くんがイヤならやらなくていいのよ? 前に言ったでしょ、綾乃ちゃんってこう見えても強いからね」
 その言葉とは裏腹に、綾乃は祥太郎を煽るかのように纏っている“邪気”をさらに大きなものにした。
 祥太郎は瞳を閉じて、少し考えるような素振りをみせる。
 それからその瞳を開き、右手をグッと握った。
「そうやなぁ……何奢ってもらおーかなぁ、綾乃ちゃん」
 その言葉と同時に、祥太郎の右手にも眩い光が漲る。
 そんな祥太郎に宿る“気”の光を見て、綾乃は身構えた。
「んー、綾乃ちゃんは繁華街の入り口の喫茶店にあるジャンボパフェがいいなぁっ!」
「!!」
 ブンッと振り下ろした綾乃の右手から、強大な“邪気”の塊が繰り出された。
 祥太郎は唸りを上げて襲いかかるその攻撃に、“気”の光を放って応戦する。
 ふたりの中間で、大きな衝撃がぶつかり合う。
 そしてカアッと光が弾け、ふたつの光は相殺された。
「ジャンボパフェって……あーんな甘ったるくてデカいパフェ、俺なら胃がもたれそうやわ」
「うっそぉ、余裕でイケるって、あのくらいだったら」
 コキコキと指を鳴らして、綾乃は再びその手に“邪気”を漲らせる。
 そしてもう一度、“邪気”を掌から放った。
 先程と同じように相殺させようと、祥太郎も“気”を瞬時にためる。
 その時。
「……!」
 ふっと表情を変え、祥太郎は迫り来る“邪気”に目を見張った。
 そしてバッと右手を掲げて“気”を繰り出した。
「!」
 綾乃は祥太郎の放った光を見て、その瞳を細める。
 その瞬間、“気”の塊がふたつに枝分かれしたのだった。
 そのうちのひとつは彼の間近にまで迫っている“邪気”とぶつかり、その威力を無効化させた。
 そして枝分かれしたもうひとつの光は、いつの間にか放たれていた綾乃の第二波を捉えて相殺させる。
「一撃しか放ってないと見せかけて、実はもうひとつ“邪気”の攻撃を繰り出しとったんやなぁ。器用なことするわ」
「へーえ、“気”の分裂なんて面白いコトできるんだねぇっ、祥太郎くん」
 表情を引き締めている祥太郎とは逆に、綾乃は楽しそうに笑う。
 身構えた綾乃の掌でバチバチと音をたてる“邪気”を見据え、祥太郎は呟いた。
「なるほどなぁ。それだけ大きな“邪気”操れるんなら、自信満々なのも頷けるわ」
「んー、次はどーいう風に攻撃しよっかなぁっ」
 そう言って、綾乃は強大な“邪気”を漲らせた手を掲げる。
 襲ってくるだろう衝撃に備え、祥太郎もおもむろに身構えた。
「じゃあ、そろそろジャンボパフェゲット目指して頑張っちゃおっかなぁっと!」
 その言葉と同時に、カッと“邪気”が再び綾乃から放たれる。
 先程のものとは違い、迫ってくるそのスピードと勢いは確実に上がっていた。
「残念やけど、この程度じゃ……まだパフェは奢れんなぁ、綾乃ちゃんっ」
 そう言って祥太郎は、唸りを上げて迫ってくるその衝撃を跳躍してかわした。
 そして着地し、体勢を整える。
 そんな祥太郎にふっと目を向け、綾乃は口元に笑みを浮かべた。
「祥太郎くん、それで攻撃を避けたつもりだったら甘いわよぉっ」
「なっ!?」
 祥太郎はバッと振り返り、目を見張った。
 完全に避けたと思った“邪気”の塊が、急にその方向を変え、再び祥太郎目がけて襲いかかってきたのだった。
「くっ!」
 咄嗟に祥太郎は“気”の防御壁を張ってその衝撃を防ごうと、瞬時に“気”を漲らせた。
 刹那、ドオンッと大きな衝撃音があたりに響き渡る。
 綾乃の放った“邪気”は、祥太郎が咄嗟に張った“気”の防御壁に阻まれて彼には届かなかった。
 だが、その時。
「!!」
 祥太郎は、反射的に身を屈めた。
 いつの間にか間合いをつめた綾乃の揺れる黒髪と、自分を射抜くように見つめるその漆黒の瞳が、祥太郎の目に飛び込んでくる。
 そしてビュッと空気が鳴ったかと思うと祥太郎の頭があった位置を、立派な凶器と化した綾乃の拳が空を切る。
 綾乃はその動きを予測していたように素早く身を翻し、今度は回し蹴りを放った。
 それを上体を反らしてすれすれで避けてから、祥太郎は咄嗟に綾乃から離れ、体勢を整える。
「おっとと……強大な“邪気”だけやなくて、身体能力も高いんか。まいったなぁ」
「あれーっ、今のでうまくパフェゲットかと思ったのになぁ」
 綾乃はそう言って、うーんと首を傾げた。
 そんな綾乃に、祥太郎は悪戯っぽくニッと笑う。
「綾乃ちゃんって、ほんまに油断ならんわ……ま、オイシイ思いもさせてもらったけどな」
「オイシイ思い?」
 その言葉にきょとんとする綾乃に、祥太郎はペロッと舌を出した。
「いやぁ、やっぱりチラリズムっちゅーのがそそられるよなぁっ、セーラー服であんな綺麗な回し蹴りなんて放ったら、そりゃ白のパンティーも見えるわなぁ」
 わははっと笑う祥太郎に、綾乃は動じた様子もなく言った。
「あ、見えちゃってた? セーラー服って動きにくいんだもん。ま、サービスサービス」
「って、そんな軽くてええんか? 綾乃ちゃん」
 あまり気にもとめない様子の綾乃に、祥太郎はわざとらしく溜め息をついて笑う。
 そんな祥太郎の言葉にきゃははっと笑って、綾乃は言った。
「祥太郎くんって、本当に面白いわよねぇっ。女の子に優しいしっ」
 それから漆黒の瞳を細めて、綾乃はふっと口元に笑みを浮かべる。
 その瞬間、綾乃を取り巻いている“邪気”が、空気をビリビリと振動させた。
「でもさぁ……もうそろそろ、ちょっとは本気出してよね? 祥太郎くん」
「それはこっちの台詞やないか? 綾乃ちゃん」
 身体全体に感じる“邪気”のプレッシャーに表情を変えてから、祥太郎は右手をグッと握り締める。
 お互いの“邪気”と“気”がバチバチと反発し合い、何とも言えない光が“結界”内に充満した。
 そしてふたりが同時に動き出そうとした……その時だった。
「!!」
「なっ!?」
 綾乃と祥太郎は、同時にその顔を上げる。
 “結界”の中に、誰かが入り込んだ気配がしたのだ。
 そして、そのふたりの向けた視線の先には。
「えっ!? 綾乃ちゃん?」
「! 眞姫ちゃん」
 綾乃を見つめて驚いた表情を浮かべる眞姫の姿が、そこにはあったのだった。
 そして、もうひとり。
「祥太郎、これは……」
 意識的に眞姫の身を守るように位置を取り、准は祥太郎と綾乃を交互に見る。
「おー、准も来たんか。うまく“憑邪”退治できたみたいやな」
「なるほどね、そこの彼も“能力者”ってコトね」
 祥太郎の言葉に、綾乃はそう呟いた。
 眞姫は硬い表情のまま、綾乃に言った。
「綾乃ちゃん、あなたもしかして……」
「うん、綾乃ちゃんって実は“邪者”だったりするのよねぇ。でも眞姫ちゃん誤解しないでねっ、眞姫ちゃんのことはお友達って思ってるよ?」
 屈託なくにっこりと微笑んで、綾乃は眞姫に視線を移す。
 それから祥太郎に向かって言葉を続けた。
「って、さすがの綾乃ちゃんも複数の“能力者”を相手にするほどバカじゃないからさ。祥太郎くん、今日のところは退散するから“結界”を解いてくれたら嬉しいなぁ」
「…………」
 祥太郎は無言で“気”の宿った右手を掲げ、綾乃の言う通り“結界”を解除した。
 綾乃はまだ信じられないような顔をしている眞姫に、軽くウインクする。
「眞姫ちゃんの“憑邪浄化”すごかったわぁっ、今度また一緒に遊ぼうねーっ」
 そして無邪気に手を振る綾乃に、祥太郎は言った。
「綾乃ちゃん、今度は仕事やなくてプライベートで会いたいなぁ」
「そーねぇ。じゃあ祥太郎くん、ジャンボパフェでも一緒に食べに行く? なーんてねっ、んじゃ、またねぇっ」
 そう言って笑って、綾乃は3人に背を向けて歩き出す。
 その背中を見送ってから、准は眞姫と祥太郎に目を向けた。
「ふたりは、あの“邪者”の子と知り合いなの?」
「彼女、梨華っちの友達でな。前に一度、仲良うお茶したんや」
「立花さんの友達……って、お茶?」
 きょとんとする准を後目に、眞姫は祥太郎に言った。
「祥ちゃん……最初から綾乃ちゃんが“邪者”だってこと、気がついてたの?」
「んー、まぁな。でもあの時は偶然に鉢合わせただけやし、綾乃ちゃんも“邪者”として何かしようとは思ってなかったみたいやしな」
「……そっか」
 そう言って複雑な表情をする眞姫の頭を、祥太郎は優しく撫でる。
「そういう姫こそ、きちんと“憑邪浄化”できたみたいやんか。よう頑張ったなぁっ」
「祥ちゃん……」
 ふっと微笑みを取り戻し、眞姫は顔を上げた。
 そしてそんなふたりを労うように、准は言った。
「とりあえず、お疲れ様っていうことで……視聴覚教室に戻ろうか、ふたりとも」
 その准の言葉にコクンと頷いて、眞姫は無意識に宙に視線を移す。
 雨の止んだ空に浮かぶ灰色の雨雲の隙間から、微かに太陽の光が見え隠れしている。
 そしてその光に目を細めてから、眞姫は祥太郎と准とともに、仲間の待つ視聴覚教室へと歩き出したのだった。




      




 次の日――6月29日・火曜日。
 いつもと同じように、眞姫は健人と登校していた。
 昨日の雨模様の天気とはうって変わり、眩しいくらいに太陽が輝いている。
 健人はその青い瞳を、太陽の光に照らされている眞姫に向けた。
「もうすぐ夏って感じだな。今日みたいに天気よかったら」
「そうだね、だんだん暑くなってきてるしね」
 そう言って、眞姫はにっこりと微笑む。
 そんな眞姫の顔を見つめたまま、健人は金色に近いブラウンの髪をかきあげた。
 数ヶ月前……はじめて会った時のこの少女は、とてもか弱かった。
 それがこのたった数ヶ月の間で、随分とその印象が変わったのだ。
 何があっても守ってやりたい、その気持ちは変わらない。
 でも……。
「あ……」
 その時、おもむろに振り返った眞姫はふと足を止めた。
 それにつられて振り返り、健人も立ち止まる。
 そんなふたりの視線の先には。
「おはよう、岡田くん」
「あ、清家さん。おはよう」
 知的な笑顔を眞姫に向けているのは、岡田秀一だった。
 彼の心に宿っていた“憑邪”も浄化され、その顔は何かを吹っ切れたような晴れ晴れとしたもののように健人には見えた。
 岡田の記憶の中に、“憑邪”として眞姫たちを襲ったことは残ってはいない。
 その方が本人にとっても、そして眞姫にとってもいいことだと、健人は思ったのだった。
「じゃあ、また教室でね」
 ふっと微笑んで、岡田は眞姫たちを追い越して学校に向かって歩き出した。
 そんな背中を、眞姫は嬉しそうに見つめている。
 健人はおもむろに、そんな眞姫の頭をくしゃっと撫でた。
「ほら、俺たちも行くぞ、姫」
「あ、待ってよ、健人っ」
 我に返った眞姫は、先をスタスタと歩く健人に急いで並ぶ。
 そしてようやく健人に追いついてから、その顔に笑顔を浮かべた。
「本当によかったよね、岡田くん」
 安心したように瞳を細めてそう呟く眞姫に、健人は言った。
「姫、頑張ったからな……見違えるほど強くなったよ、姫は」
「まだまだ頑張らないといけないこと、たくさんあるからね。一緒に頑張ろう、健人」
 にっこりと笑う眞姫を、健人はその神秘的な瞳で見守るように見つめる。
 そしてその美形な顔にふっと笑みを浮かべ、言った。
「ああ……俺ももっと強くなるよ。そして誰でもないこの俺が、姫を守ってみせる」
「うん、みんなと一緒に、私も頑張るから」
 屈託のない微笑みを向けてそう言った眞姫に、健人は小さくひとつ溜め息をつく。
 そして眞姫に聞こえないくらいの小声で呟いた。
「みんなと一緒に、か……まぁ、相変わらず姫らしいけどな」
「え? 健人、何?」
 不思議そうに自分を見る眞姫の頭を、ポンッと軽く健人は叩く。
「何でもないよ。とろとろ歩いてたら置いてくぞ、姫」
「あ、待ってってば、健人っ」
 わざと歩調を早める健人に一生懸命ついていきながら、眞姫はふと空を見上げる。
 そして降り注ぐ太陽の光に目を細め、キラキラと輝きを増す栗色の髪をそっとかきあげた。
 空から眞姫を見守る太陽の光は、そんなまたひとつ成長した少女の姿をより輝かせるかのように、柔らかくそして優しく照らしていたのだった。

 




第3話「深遠の再会」あとがきへ