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 次の日――6月28日・月曜日。
 眞姫はアスファルトにできている水溜りを避けながら、いつも通るその道を歩いていた。
 耳にはポツポツと傘に落ちる雨の音が聞こえる。
 昨日晴れていた空も、すっかり梅雨の様相を見せていた。
 綺麗なスミレ色の傘を握って、眞姫はふと俯く。
 あの杜木という人物の深い漆黒の瞳が、何故か頭から離れない。
 彼の瞳には、柔らかで優しげな色と冷酷で冷たい色……ふたつが共存しているように感じた。
 それに、あの圧倒的な強さ。
 由梨奈の話では、彼が現在の“邪者”を統括しているという。
 そんな彼は由梨奈の昔の恋人であり、鳴海先生の幼馴染みで……そして、“能力者”だった。
 どういう経緯で、一体過去に何が起こったんだろうか。
 まだよく“能力者”や“邪者”、それに“浄化の巫女姫”のことを自分は全然知らないんだと実感し、眞姫は溜め息をついた。
 それに眞姫自身も以前に比べてかなり力も使えるようになってきたが、まだ自分の力をコントロールすることができず、力を使うとすぐに倒れてしまう。
「みんなの優しさに甘えちゃ、ダメなのよね」
 そう呟いて、眞姫はもう一度嘆息した。
 地下鉄の駅に着き、眞姫はそのスミレ色の傘をたたむ。
 いつ見てもこの傘は綺麗で、不思議な色をしている。
「傘のおじさま……また会えるかな」
 ふと頭に浮かんできた神出鬼没の傘の紳士の上品な微笑みを思い出し、眞姫はそう呟く。
 そしてポケットから定期券を取り出し、地下鉄のりばへと階段を降りた。
 その時。
 ポンッと背後から軽く頭を叩かれ、眞姫は振り返る。
 そんな眞姫の瞳に飛び込んできたのは……金色に近いブラウンの髪と、神秘的な青い瞳。
「おはよう、健人」
 そう言って眞姫は、にっこり微笑む。
 瞳にかかる前髪をかき上げ、健人も目を細めた。
「おはよう、姫」
 ふたりはいつものように並んで駅のホームへと歩く。
 相変わらず人の波で雑然とした駅の構内であったが、もうこの人の多さにも慣れたものだ。
 いつもの時間に電車が到着し、いつものように人の流れが一斉に動き出す。
 それに逆らわず、二人は電車に乗り込んだ。
 揺れる満員の車内で、眞姫はふと目の前にいる健人に視線を向ける。
 健人の青い瞳は、真っ直ぐに眞姫の姿を映していた。
 だが……何だか眞姫には、その視線がいつもと違うものに思えてならなかった。
「健人?」
 自分を見つめて首を傾げる眞姫から、健人は一瞬だけ瞳を逸らす。
 それから再び青い瞳を眞姫に向け、言った。
「昨日……拓巳とふたりで遊びに行ったんだって?」
 健人の問いに、眞姫は屈託のない笑顔で答える。
「うん。いろんなトコに行っていっぱい遊べたし、何だかあんなに充実した休日って久しぶりかも」
「…………」
 眞姫の言葉に、健人は複雑な表情を浮かべた。
 そんな健人の様子にも気がつかず、眞姫は続ける。
「私ね、拓巳といると、すごく元気になるの。昨日も、本当にたくさん元気もらったんだ」
「拓巳といると、元気になる……」
 ぽつりとそう呟き、健人は何かを考えるように俯いた。
 眞姫はその大きな瞳を向けたまま、首を捻る。
「健人? どうしたの?」
「……もう慣れたと思ったんだけどな」
 それだけ言って、健人ははあっと大きく溜め息をついた。
「?」
 きょとんとする眞姫にちらりと視線を向け、健人は言った。
「ほら、駅に着くぞ……姫」
 その言葉と同時に、電車の扉が開く。
 人の波に乗って、眞姫はホームに出た。
 そしてきょろきょろと周囲を見回し、健人の姿を探す。
 それから改札の手前で自分を待っている健人を見つけ、慌てて駆け寄った。
「本当に姫って、いろんな意味で鈍いよな」
「そうかな? 拓巳にも昨日言われたんだけど」
「拓巳に? ……そうだろうな」
「自分では、そんなことないって思うんだけど」
 改札に定期券を通して、眞姫はうーんと考える仕草をした。
 駅から出ると、雨は一層ひどくなっていた。
 眞姫は、おもむろにスミレ色の傘を開いた。
 そして、瞳の色と同じブルーの傘をさす健人の隣に並んで歩き出す。
「…………」
 健人はアスファルトの水溜りを気にすることもなく、スタスタと無言で歩いている。
 そんな健人に、眞姫はちらりと視線を向ける。
 不機嫌なわけではなさそうだが、何かを考えているような表情に眞姫には見えた。
 健人はそんな眞姫の視線に気がつき、我に返ったように立ち止まった。
「健人?」
 急に立ち止まった健人に合わせて足を止め、眞姫は大きく瞬きをする。
 視線を一度地に落とし、そして健人は再び歩き出した。
 そして、ゆっくりと言った。
「姫……拓巳といると元気になるんだったら、じゃあ俺といる時は?」
「え?」
 思いもよらないことを聞かれ、眞姫は少し驚いたような表情を浮かべる。
 自分を真っ直ぐに見つめる健人の瞳は、とても真剣なものだ。
 一瞬、ふたりの間に静寂がおとずれる。
 そんな耳には、登校する生徒たちの楽しそうな話し声と雨の音が聞こえる。
 眞姫は健人に、にっこりと笑顔を向けて言った。
「健人といるとね、すごく安心するよ」
 アスファルトにできている大きな水溜りを慎重に避け、眞姫は再び健人に視線を向ける。
 綺麗に澄んだ、その両の瞳。
 そんな瞳に一瞬見惚れ、健人は一瞬言葉を失う。
 それからその整った顔にふっと笑みを宿し、言った。
「俺もそうだよ。姫といると、自分が自然になれるんだ」
「じゃあ、お互いがお互いの癒し系ってことだね」
 そう言ってくすっと笑う眞姫に、健人は嬉しそうな表情を浮かべる。
「お互いがお互いの癒し系、か。いいな、それ」
 楽しそうな眞姫を見て微笑んでから、健人はそのブラウンの髪をかきあげた。
 そして健人が、次の言葉を眞姫にかけようとした……その時。
「!」
 ふと一瞬、健人の足が止まる。
 今まで柔らかだったその表情が、緊張したように引き締まる。
 振り返りこそしなかったが……健人の意識は、眞姫から背後へと移っていた。
「健人?」
 そんな健人の様子に気がついて眞姫が首を傾げた、瞬間。
 背中にゾクリと寒気を感じ、バッと振り返る。
 そしてその瞳を大きく見開いた眞姫は、言葉を失った。
 そこには。
「おはよう、清家さん」
「! 岡田くん」
 自分に知的な笑みを向けるその少年・岡田の姿を見て、眞姫は表情を変える。
 その身体からは“邪気”が感じられる。
 もちろんその“邪気”は、周囲の人には見えない。
 だが眞姫には、その重々しい“邪気”がはっきりと見えた。
「岡田……こいつが」
 そう呟き、健人は反射的にぐっと拳を握り締める。
 そんな健人を宥めるかのように眞姫はそっと彼の腕を取り、小さく首を振る。
 そして背後の岡田に目を向け、言った。
「おはよう、岡田くん。ここ何日か欠席してたけど、もう大丈夫なの?」
「うん、数日前までは苦しかったけど……もう今日は平気だよ」
 相変わらずゆっくりとした口調で、岡田は口元に笑みを浮かべ、続けた。
「おかげ様で、すっかり吹っ切れたよ。素直に自分の感情を受け入れようと思ったんだ」
「素直に、自分の感情を……」
 岡田の言葉に、眞姫は険しい表情をする。
 眞姫の反応を見たあと、岡田はにっこりと微笑んだ。
「それじゃあ清家さん、また教室でね」
 軽く手を上げてから、岡田は眞姫たちを抜いて学校へと歩き出す。
 そんな背中を見つめながら、眞姫はしばらくその場に立ち尽くしていた。
「姫、大丈夫か?」
 岡田が去ったのを確認して、健人は眞姫に言葉をかける。
「うん……大丈夫」
 そう言いつつも、眞姫の顔は浮かないものだった。
 ……彼が学校に出てきたら、“憑邪”を消滅させる。
 そう鳴海先生は言っていたからだ。
 それに、今まで不安定だった岡田の“邪気”はすっかり彼と同化しつつあった。
 吹っ切れた……その言葉が、眞姫の胸を締め付ける。
 それは彼が、“憑邪”に心を委ねたということ。
 “憑邪”に心を委ねるということは、“契約”を実行させることに抵抗がなくなったということでもある。
 そして、岡田が“憑邪”と交わした“契約”は、眞姫と准の命を……。
「……姫っ」
 ガッと腕を揺さぶられる感覚と名前を呼ばれる声に我に返り、眞姫は小さく頷いた。
「あ……うん、大丈夫だから。行こう、健人」
「この時間だったら准も来てるだろうから、Bクラスまで送るよ。姫」
「……うん」
 気を取り直して、眞姫はゆっくりと歩き出す。
 そしてその歩調に合わせながら、健人は俯いてしまった彼女の横顔をその青い瞳でじっと見守るように見つめたのだった。



      



 その日の放課後。
 当然の如く、映研部員全員が臨時ミーティングのために視聴覚室に呼ばれていた。
 今日一日、眞姫は授業に集中できなかった。
 准が眞姫から離れずについていたため、幸い何事もなかったのだが。
 いつもは賑やかな視聴覚室も、心なしか緊張感が漂っている。
 ……そして、部活開始時間ちょうどを時計の針がさした時。
 ガチャッと視聴覚室のドアが開き、鳴海先生が現れる。
 いつものようにミーティング室へと移動して、全員が席についた。
 鳴海先生は、まずその切れ長の瞳を准に向けた。
「今回の“憑邪”の始末だが……准、おまえにすべてを任せる。ほかに誰をつれていくか、それもすべてだ」
「…………」
 鳴海先生の言葉に、准は何かを考えるように俯く。
「准、俺もいくぜっ」
 ガタッと立ち上がり、拓巳はグッと拳を握り締める。
「たっくんは“邪者”のボスにボコボコにされたんや、一回休みやで?」
 ニッと笑う祥太郎に、拓巳はムッとした表情を浮かべた。
「るせーなっ、それは健人だって同じだっ。しかも俺はあれくらい平気だぜっ」
「俺も同じって……一緒にするな、拓巳」
 拓巳の言葉に怪訝な顔をし、健人は溜め息をつく。
 そんな少年たちに視線を向け、准はゆっくりと口を開いた。
「みんなには悪いけど、今回は僕ひとりで行くよ」
「そうだな、力的にはそれほど強い“憑邪”ではない。准ひとりでも問題はない」
 准の言葉に頷き、鳴海先生はそう言った。
 今まで黙っていた眞姫だったが……その言葉にふと顔を上げる。
 そして鳴海先生と准の顔を交互に見て、決心したように言った。
「お願い、准くん。私も連れてって」
「姫……」
 驚いたような表情をして自分を見つめる准に、眞姫は言葉を続ける。
「岡田くんの……いや“憑邪”のターゲットは、准くんだけじゃないわ。だから私も……」
「だからダメだなんだよ。姫は、連れていけない」
 眞姫の声を遮り、准は大きく首を振った。
 准のその表情は普段決して見せないような、険しいものであった。
「姫もターゲットだから、余計に連れて行けない。僕は姫を危険な目に合わせたくはないんだ、だから僕だけで行くよ」
「でもそれじゃあ、岡田くんは……」
「彼自身が招いたことだ、仕方ないよ」
 そう言い放つ准の横顔を見て、眞姫は言葉を失う。
 自分の中に秘めている“憑邪浄化”の能力をもってすれば、“憑邪”と媒体の人間を引き離すことができる。
 だが、普通の“能力者”がそれを使うことはできない。
 “能力者”が“憑邪”を退治するためには、媒体の人間ごと消滅させなければいけないのだ。
 准は眞姫から視線を逸らし、詩音に目を移す。
 その視線に気がつき、詩音はいつものように穏やかな表情を崩さずに言った。
「彼は今図書館だよ、准」
「……図書館だね、ありがとう」
 それだけ言って、准は席から立ち上がる。
「! 准くん、待ってっ」
「清家、私は言ったはずだ。今回は、准にすべて任せるとな」
 准を引きとめようとする眞姫に、鳴海先生は言った。
 眞姫はそれ以上何も言えず、振り返らずに退室する准の後姿を見つめることしかできなかった。
 准が部屋を出て行ったあと、数秒間静けさがあたりを包む。
 そしてそんな静寂をやぶったのは、健人だった。
「昨日俺と拓巳が対峙したあの杜木って男、一体何者なんだ? 説明してくれ」
 青い瞳を鳴海先生に向ける健人に、鳴海先生は表情を変えずに答える。
「昨日由梨奈に聞いた通り、彼は“邪者”を統括する男だ。それ以上、何を説明しろと?」
「あのなぁ……それだけで、はいそうですかって納得できると思ってるのかよっ」
 はあっと大きく溜め息をつき、拓巳は訝しげな顔をする。
 健人はそんな拓巳に続いて、鳴海先生に聞いた。
「ゆり姉は、あいつも元は“能力者”だと言っていた。それに、先生の親友なんだろう?」
「…………」
 健人の言葉に、鳴海先生は切れ長の瞳を細める。
 そして、言った。
「確かに、彼とは旧知の友だったが……今となっては、あくまで“能力者”と“邪者”という関係だ」
「鳴海センセの親友でゆり姉の元カレ、それに有名ブランド“Toki”の御曹司で専属モデルなぁ。聞くだけでも何やえらいキャラやな」
 そう言って苦笑する祥太郎の言葉を聞いて、眞姫は杜木の端整な容姿を思い出していた。
 鳴海先生や健人とはまた違って、瞳が印象的な人。
 その漆黒の闇のような瞳は、見るものすべてを魅了してしまうほど神秘的で。
 吸い込まれそうなくらいに彼の瞳は柔らかで優しく……それでいて、深い色を湛えていた。
「さっきも言ったように、彼は“邪者”を統治する人物だ。それ以上この件で、おまえたちに話すことなどない」
 そして不服そうにする少年たちにお構いなしで、鳴海先生は言葉を続ける。
「准が戻ってくるまで、おまえたちはここで待機だ。何かあった時は改めて各人に指示を出す。今日のミーティングは以上だ」
 そう言って先生が席を立とうとした、その時。
「鳴海先生」
 眞姫は、その瞳をふと先生に向ける。
 切れ長の瞳が自分を映したことを確認して、眞姫は言った。
「鳴海先生、やっぱり私も准くんのところに……岡田くんのところに行きます」
「…………」
 何も言わずに、鳴海先生は眞姫の言葉を聞いている。
 真っ直ぐに先生を見つめたまま、眞姫はゆっくりと口を開いた。
「岡田くんを助けることができるのは、私だけです」
 その両の瞳には、強い決意の色が漲っている。
 鳴海先生はそんな眞姫に言った。
「言ったはずだ、清家。今回のことは准に任せると。准はおまえを連れてはいけないと判断したはずだ」
「分かってます。でも、ここでじっとなんてしていられません……失礼します」
 ペコリと一礼をして先生に背中を向け、眞姫は部屋を出ようとドアに手をかける。
「お姫様」
 詩音は、そんな眞姫をおもむろに呼び止めた。
 そしてふっと振り返った眞姫に優しい笑顔を向けて、言った。
「さっきも言ったけど、図書館だからね。僕の勇敢なお姫様」
「うん、ありがとう。詩音くん」
 にっこりと微笑んで、眞姫は部屋を退室する。
 鳴海先生は、何も言わないまま彼女の後姿を見送った。
「なんやぁ、姫には随分甘いんやな。鳴海センセ」
「おい、姫をひとりで行かせて、大丈夫なのかよっ!?」
「姫……」
 悪戯っぽくそう言う祥太郎と心配そうにする拓巳と健人の様子を気にすることなく、鳴海先生は口を開く。
「先程も言ったように、おまえたちはここで待機だ。今回の“憑邪”はもちろん、背後にいるだろう“邪者”の動きも気になるからな。今日のミーティングは、終了だ」
 それだけ言って鳴海先生も席を立ち、退室する。
「背後にいるだろう“邪者”……」
 そしてそんな先生の言葉に、祥太郎はふと複雑な表情を浮かべたのだった。




 同じ頃。
 そわそわした様子で、つばさはふと時計を見た。
 待ち合わせ通りに待ち人が来ないことは、分かっている。
 でも……今まで感じたことのないこの気持ちは、一体何なんだろうか。
 そしてつばさの心をそのまま映すかのように、一段と雨がひどく降っていた。
 セーラー服のスカートが雨露に濡れていることも気がつかず、彼女はふと顔を上げる。
 そんな彼女の目の前には、いつの間にかひとりの男が立っていた。
 柔らかな微笑みをつばさに向け、その人物・杜木慎一郎は言った。
「待たせたね、つばさ」
「……杜木様」
 現れた杜木に、つばさは嬉しそうな表情を浮かべる。
 杜木は彼女のセーラー服の肩についた雨露を、優しく手で払った。
 つばさは自分の傘をたたみ、杜木のシックなモノトーンの傘に入る。
「雨露を払ったばかりだというのに、これではまた濡れてしまうよ? つばさ」
 柔らかな口調でそう言った杜木に、つばさは大きく首を振った。
「いいんです、杜木様の近くにいられるのなら、私……」
「仕方のない子だね、つばさは」
 杜木は微笑んでゆっくりとつばさの髪を優しく撫で、歩き出した。
 雨のせいか、今日は繁華街も人通りがそれほど多くはない。
 つばさはそんなまわりの様子も気にかけず、隣を歩く杜木を見つめた。
 整ったその上品な顔、まつ毛の長い漆黒の瞳、そしてその瞳にかかるくせのない黒髪。
 自社ブランドのモデルしかしない杜木であったが、その神秘的で端整な容姿に、幾人もの女性が魅了されている。
 じっとそんな杜木の顔を見つめながら、ぎゅっとつばさは拳を握り締めた。
 それに気がついて、彼はその漆黒の瞳をつばさに向ける。
 その瞳の色は、深く柔らかいものだった。
 そしてつばさは、おもむろに口を開く。
「杜木様……ひとつ、お聞きしてよろしいですか?」
「何だい? つばさ」
 その杜木の言葉に、意を決したようにつばさは続けた。
「昨日会った“能力者”の女性……あの人は」
 同性のつばさから見ても、その人物・由梨奈は美しくて魅力的な女性だった。
 端整な杜木と並んでも遜色なく……それどころか、ふたりが一緒にいる姿はとても絵になっていた。
 会話を聞いている限りでは、ふたりが恋人同士だったのは、昔のことのようであるが。
 だが、彼女を見つめる杜木の表情は、今までつばさがみたことのないものだったのだ。
 そんな杜木の表情を思い出し、つばさはぎゅっと唇を噛み締めて俯く。
 杜木はおもむろに、雨の落ちる空をふと見上げる。
 そして瞳を閉じて、言った。
「彼女は……由梨奈は、私の愛している女性だよ」
 杜木はその漆黒の瞳を開いてから、どこか遠くを見るようにそれを細めた。
「愛している、女性」
 つばさはすぐに返ってきたその答えに、言葉を失う。
 そして視線を、アスファルトにできている水溜りに移した。
 うっすらと水溜りに映る自分のその顔は雨のしぶきでよく見えなかったが……きっとひどい表情をしているだろうことがつばさには分かった。
「…………」
 そしてその時のつばさには、ふたりで入るには少し小さなその傘に降る雨の音さえも、聞こえてはいなかった。