次の日――4月23日・金曜日。
 学校も終わり、眞姫は梨華と下校していた。
 昨日から降っている雨は、まだ止んでいない。
 地面にできた水溜りをまたいで、梨華は言った。
「ねーねー、眞姫。明日の休み、一緒に買い物行かない?」
「明日? うん、大丈夫よ」
 差している傘を少し上げて、眞姫は梨華を見る。
 そんな眞姫に、梨華は嬉しそうに言った。
「じゃあ、駅前のCD店で11時に待ち合わせでいい?」
「うん分かった、楽しみにしてるよ」
 そして梨華は、ふと視線を眞姫の傘に向けた。
「眞姫の傘、すっごい綺麗だねーっ」
「え? これ? でも、私の傘じゃないんだ。貰ったというか、借りてるっていうか」
 どう答えていいか分からない様子で、眞姫は考える仕草をする。
 今日の朝家を出る際急いでいたため、咄嗟にこの傘を持ってきてしまったのだ。
 本当は、もう使わずに返すつもりだったのだが。
 眞姫のその言葉に、梨華は不思議そうな顔をする。
「え? 何それ、どういうこと?」
「昨日急に雨が降ってきたでしょ? 傘が無くて困ってたら、知らない人がこの傘をくれたの。でもやっぱり、返すべきだよね」
「知らない人が傘くれたの? でも、知らない人なら返しようがなくない? くれるって言うのなら、貰っといたら?」
「うーん、でも、そういうわけには」
 眞姫はふと視線を上げて、綺麗なそのすみれ色の傘を見た。
 それは、光の加減で微妙にその色を変えている。
 そんな綺麗な傘を見て、眞姫は溜め息をついた。
 この傘はあの紳士の大切な人のものらしいし、やはり返すべきではないか。
 でも、あの傘の紳士が一体誰か、肝心のそれが分からない。
 うーんと考え込む眞姫を後目に、梨華が突然ハッと顔を上げた。
「あっ! 乗るバス来てる! じゃあね、眞姫っ、また明日ね!」
「え? あ、またね、梨華」
 慌しく駆け出した梨華に手を振り、眞姫はその後姿を見送る。
 そして無事に梨華がバスに乗れたことを確認して、再び歩き出そうとした。
 その時。
「…………」
 突然ふと立ち止まり、くるりと来た道を眞姫はUターンしたのだ。
「あっ、数学のテキスト、教室に忘れちゃった。明日から土日だし、取りに戻ろうかな」
 ふうっと溜め息をついて、眞姫は学校への道を雨の中戻りだす。
 ぽつぽつと綺麗な傘に降る雨の音が、眞姫の耳に心地よく聞こえていた。
 その頃。
 鳴海先生は数学教室の窓から、雨の降る風景を眺めていた。
 腕組みをして、何かを考えるような仕草をする。
 鳴海先生は、昨日眞姫が数学教室で自分に言ったことを思い出していた。
『鳴海先生、お願いがあるんですけど』
 あの時の彼女の大きな瞳は凛としていて、今まで見たことがないものであった。
 その瞳を見た鳴海先生は、眞姫が口にした申し出に、否とは言えなかったのだ。
 運命と向き合え――誰でもない自分が、そう、眞姫や映研部員に常々言っているのだから。
 だが。
「私は君を、危険な目に合わせたくはない。一番運命と向き合っていないのは、この私なのかもしれないな」
 そう鳴海先生が言った、その時。
 普段その表情を変えない鳴海先生が、ふと驚いたように顔を上げた。
「! 何故……」
 それだけ呟いて、鳴海先生は早足で数学教室を出て行く。
 そして向かった先は、学校の校門の前だった。
 雨が降りしきる中、その場にいたのは。
「……清家」
「あっ、鳴海先生? どうしたんですか?」
 すみれ色の傘を差している眞姫は、きょとんとした様子で鳴海先生を見ている。
 どこかいつもと違う表情を宿す鳴海先生に、眞姫は小首を傾げる。
 そんな眞姫に、鳴海先生はふと普段のクールな印象の表情に戻し、続けた。
「いや、何でもない。君こそ、どうした」
「あ、忘れ物しちゃって。取りに戻ったんです」
「そうか」
 何かを考える仕草をしてから、鳴海先生はいつもの切れ長の瞳を眞姫に向け、言った。
「君が昨日、私に提案した件だが、前向きに検討しようと思っている。詳しいことは後日、映研部員にも伝えるつもりだ」
「! 鳴海先生」
 その言葉に、眞姫は顔を上げる。
 眞姫の反応を見てから、鳴海先生は言った。
「話は以上だ。気をつけて下校しなさい」
「はい、ありがとうございます」
 ぺこりとお辞儀をしてから、眞姫は靴箱に向かって歩き出す。
 そんなすみれ色の傘を差して歩く眞姫をもう一度ちらりと見てから、鳴海先生は数学教室へと戻り始めた。
 そして、その切れ長の瞳をふっと細めたのであった。




 同じ頃。
 先日眞姫を襲った“邪者”の高山智也は、2人の男と一緒にいた。
 ひとりは、体格のいいごつい男。
 そしてもうひとりは、年は20代後半くらいだろうか。スタイルの良いスラリとした身体の男ではあるが、その雰囲気はほかの邪者と比べて、何かが違っていた。
 漆黒の瞳は神秘的な深さがあり、美形というに相応しい容姿は物腰柔らかである。
「杜木(とき)様。浄化の巫女姫様の蘇っている能力と彼女を守る能力者の力をご報告します」
 智也は、杜木と呼んだ端整な容姿の男に向かって言葉を続ける。
「お姫様は、どうやら基本的な“気”もまだ使えないようでした。先日の“憑邪浄化”も、偶発的に起きたものではないかと。ただ、彼女を守る能力者はよく訓練されていて、思った以上の力を持っていました」
「そうか。ご苦労だったな、智也」
 智也を労うその杜木と呼ばれた男に、今度は体格のいい男が言った。
「杜木様、今度はこの俺を能力者のところに行かせてくださいよ」
 ポキポキと指を鳴らし、その男はウズウズした興奮の面持ちをする。
 そんな男に、杜木と呼ばれた男は首を振った。
「その力の大きさは私も認めているが、おまえはムラが多すぎる。相性の合わない能力者と戦うと、手こずるのはおまえ自身だ。それでも行くか? 猛(たけし)」
「ご心配ありませんよ、杜木様。この俺のパワーで、能力者など捻じ伏せてやりますよ」
 自信満々なその男・猛に、智也は溜め息をつく。
「猛、おまえは別の仕事するように言われているだろ? それを」
「構わないよ、智也。好きにさせよう」
 杜木と呼ばれた男は、止めようとした智也にそう言った。
 それを聞いて、猛はその顔に笑みを浮かべる。
「きっとご期待にお応えしてみせますっ、それでは失礼します、杜木様」
「いいんですか?」
 その場を去っていく猛の後姿を見ながら、智也は杜木に聞いた。
 杜木は、ふっと煙草に火をつける。
「おまえも聞いたように、私は忠告した。あとは好きにさせる」
「確かにあいつの力は大きなものがありますが、“気”の相性が悪いと、あいつの場合、苦戦することになるかもですし」
 漆黒の瞳を智也に向け、杜木は瞳の色と同じ黒髪をかきあげた。
 そして、静かに言った。
「分かっている。だから私は忠告したんだよ。あとは彼が見事能力者を倒すのもよし、運悪く死ぬことも、やむを得まい」
「…………」
 何かを考えるかのように俯いた智也に、杜木は笑う。
「そんなに心配ならば、助太刀に行くといい、智也。私としても、無意味に人数を減らすのは好ましくはないからな」
 それだけ言って、杜木は歩き出した。
 そんな、風に揺れるその杜木の黒髪を見ながら、智也は表情を変えたのだった。




 無事に忘れていたテキストを鞄に入れ、眞姫は教室を出た。
 そして、先程見た鳴海先生の表情を思い出し、眞姫はふと数学教室の方角に視線を向ける。
 あの先生の表情は、何かに驚いているような顔だったように眞姫は思えた。
 自分を見つめるあの瞳の色。その色が何を思っているのか、眞姫には分からなかった。
 栗色の髪を揺らし、眞姫はひとつ溜め息をつく。
 その時。
 眞姫は、何かに気がついたように立ち止まった。
「このピアノ……」
 そう呟いて、自分を呼んでいるかのようなその旋律に導かれるように、眞姫は靴箱と反対の方向に歩き出す。
 次第に美しいピアノの音が、鮮明に耳に響いてくる。
 眞姫は、音楽室の前で足を止めた。
 そしてゆっくりと、眞姫はそのドアを開ける。
「いらっしゃい、お姫様」
「詩音くん」
 美しい旋律を奏でていたのは、天才ピアニスト・梓詩音だった。
 ピアノを弾いていた手を止め、詩音はにっこりと微笑みを眞姫に向ける。
 眞姫は、うっとりするような表情で言った。
「いつ聴いても綺麗ね、詩音くんのピアノって。今日の曲は何ていう曲? 今日も即興で弾いていたの?」
「うん。でもね、今日はテーマがあるんだよ、お姫様」
「テーマ?」
 詩音の言葉に、眞姫は顔を上げる。
 詩音はそんな眞姫を見つめてから、立ち上がった。
「窓の外を見てごらん? つい数週間前までは、桜の花びらがピンク色を帯びた雪のように降っていたのに、今ではその枝には葉の鮮やかな緑色しか残っていない。僕は桜の花のそんな儚いところが好きな反面、散りゆくその様を見ると、胸が締め付けられるような気持ちになるんだ。そんな気持ちを、旋律というかたちにしてみたんだよ」
 眞姫も、詩音と同じように窓の外に視線を移した。
 入学式の時は満開だった桜も、もうすでにその枝には緑色の葉だけしか残っていない。
 眞姫は、桜の花びらの散りゆく中で、何かを考えていた詩音の姿を思い出した。
 やはり天才ピアニストなだけあり、感受性が強いのだろう。
「お姫様、今からお城に戻るのかい? この僕がエスコート致しましょう、プリンセス」
 手を胸にそえ、詩音はお辞儀をして眞姫に微笑む。
 そして眞姫の右手をそっと取り、その手のひらに優しく口づけをした。
「し、詩音くん」
 その詩音の柔らかい唇の感触に、眞姫はカァッと顔を赤くする。
 そんな眞姫の様子も気に留めないで、詩音は音楽室のドアを開けた。
「レディファーストだよ、どうぞお姫様」
「え? あ、ありがとう」
 照れたように前髪を一度かきあげてから、眞姫は音楽室を出る。
 それからふたりは学校を出て、賑やかな街並みを歩き出した。
 さっきまで降っていた雨は、いつの間にか止んでいる。
「ねぇ、詩音くん」
 眞姫はふと隣を歩いている詩音に視線を向ける。
 相変わらず優しい優雅な微笑みを湛え、詩音は言った。
「どうしたんだい、お姫様? 何でも王子に言ってごらん」
「えっと、あのね。詩音くんの力って、ほかの人と違ってちょっと特殊でしょ? “空間能力”って言ってたけど、どういう力なの?」
 眞姫は、ほかの映研部員とは違った性質を持つ詩音の“気”を思い出し、そう聞いた。
「おやおや、随分と好奇心旺盛なお姫様だね。君のそういうところも好きだよ、僕のお姫様」
 詩音はそう言ってふっと笑い、言葉を続ける。
「僕の能力はね、その名の通りに“空間”を操る“気”を使い、“空間”を武器として戦うものなんだ。その“空間”を操る“気”を応用すれば、距離は限られるけど瞬間移動することも可能だし、相手の“空間”を封じて動きを止めることもできる。“空間”の波長を読み取れば、近くに僕のお姫様がいることも分かるんだよ。それだけでなく、普通に“結界”を張ったり、“気”を放つこともこの王子にはできるんだけど、そういう戦い方は僕はあまり好まないね」
「へぇ、いろいろできるのね。その“空間能力”を使える人って、何人もいるの?」
 眞姫は感心したように頷き、再び聞いた。
 その言葉に、詩音はふうっと溜め息をつく。
「能力者の中には、“空間能力”を使える人も何人かいるよ。例えば、鳴海先生とかね」
「え? 鳴海先生?」
 眞姫は、驚いたように顔を上げる。
 詩音はそんな眞姫を見てから、言った。
「うん。僕のように“空間能力”専門じゃないにしろ、あの悪魔は何でも器用にこなせるよ」
「…………」
 眞姫は、あの切れ長の瞳を思い出していた。
 まだ、鳴海先生が“気”を使う姿は見たことがない。
 鳴海先生のまだ見ぬ力がどのようなものか、今の眞姫には見当もつかなかった。
 その時。
 うーんと考え込む眞姫から、詩音はふと視線を違うところに移した。
 そして、ぴたりとその足を止める。
 眞姫は、急に立ち止まった詩音を見て不思議そうな顔をした。
「どうしたの、詩音くん?」
「お姫様、どうやら僕の持つ“空間能力”を、その美しい瞳で見ることができそうだね」
「え?」
 詩音の言葉の意味することが分からずに、眞姫はきょとんとする。
 そんな眞姫の頭を優しく撫で、詩音は言った。
「お姫様、王子と約束してくれる? 僕から離れちゃダメだよ、いいね?」
「え? う、うん……!!」
 理由が分からないまま頷いた眞姫だったが、次の瞬間ハッと顔を上げた。
 目の前の空間が、突然その表情を変えたのだ。
「これって、“結界”?」
 そうぽつんと呟いた眞姫ににっこり微笑んだあと、詩音は前方を見据える。
 つられて詩音と同じ方向に目を向けた眞姫の瞳に映ったのは、ひとりの男。
 詩音によって張り巡らされた“結界”を見て、目の前に現れたその男は笑った。
「ふん、“結界”を張ったか。そしてそこの女が、“浄化の巫女姫”か?」
「君は“邪者”だね。僕たちに何の用かな?」
「用? 決まっているだろう、能力者の命と“浄化の巫女姫”を奪いに来たんだよ!」
 その体格のいい男・“邪者”である猛は、そう言うなり右手に大きな“気”を漲らせる。
 彼の右手に宿る“気”のその大きさは、眞姫でも見て分かった。
 眞姫は、不安気に詩音に目を向ける。
 詩音はその猛の様子に動じることなく、いつもの優雅な微笑みを絶やしていない。
 そして、猛がその蓄積された“気”を詩音目がけて放とうとした、その時だった。
「えっ!?」
 眞姫は、驚いたように目を見開いた。
 突然目の前に広がったその光景は、信じがたいものだったからだ。
 目の前に広がっているのは、満開の桜並木。
 すでに散ったはずの桜が、一瞬にして再び満開に咲いたのだ。
「何っ!? そうか、貴様“空間能力者”か」
 ちっと舌打ちして、猛はそう呟く。
「な、何で?」
 眞姫は美しく広がる桜の空間に、驚いた表情を浮かべた。
 詩音は猛を見て、ふっと笑う。
「僕の空間へようこそ。そうだな、“桜の開花”とでも名付けようかな」
「ふん、このようなまやかし! 幻惑ごと、吹き飛ばしてくれるっ!!」
 猛は詩音に向けて、右手に漲らせた“気”を放った。
 唸りを立てて、猛の“気”が詩音に襲いかかる。
「! 詩音くんっ」
 その“気”の強大さに、眞姫は顔を上げた。
 だが詩音は動じることもなく、すうっとその瞳を閉じる。
 その瞬間。
「なっ、何だと!?」
 はらはらと舞う桜の花びらが猛の放った“気”を取り囲んだかと思うと、その花びらにかき消されるかのように、大きな光は消滅したのだった。
「君はすでに、僕の空間に取り込まれている。いくら君が大きな力を誇ろうとも、この“桜の開花”の前では無力だよ」
「くっ、無力だと!? ふざけるなっ!!」
 先程よりもさらに大きな“気”が、猛の右手から放たれる。
「何度いくら大きな“気”を放とうとも、無駄なことだよ」
「!!」
 閉じていた瞳を、詩音はふっと開いた。
 その瞬間、優雅に舞っていた桜の花びらがグワッと唸りを立て、猛の放った光を飲み込む。
 そしてその大きな光は、桜の花びらに押し返されて逆流した。
「何だと!? これも幻惑か!? くっ!!」
 ドンッと、大きな衝撃音があたりに響く。
 眞姫はその光の弾けた様に、思わず瞳を閉じた。
 そして次にその瞳を開いた目の前には、満開の桜の花が何事もなかったように優雅に舞い散っている。
 その衝撃の余波が晴れた先には、くっと歯を食いしばった猛の姿があった。
「くっ、幻惑ではない。“気”の防御壁を張って正解だった」
「これで分かっただろう? どんなに君が大きな“気”を放とうとも、僕に当たるどころか君に跳ね返ってくるよ」
 詩音の言葉に、猛はキッと鋭い視線を向ける。
 そして、再びその右手に力を込めた。
「あいにくだが俺は、桜を愛でるような風流な趣味はないんだよ!!」
「無駄だというのが、まだ分からないの?」
 大きく溜め息をついて、詩音は猛に視線を向ける。
 猛は、右手の“気”を再び放った。
「! 詩音くんっ!!」
 眞姫は、その光を見て顔を上げた。
 猛の放った“気”は、ひとつではなかったのだ。
 次から次へと、その右手から詩音目がけて眩い光が放たれる。
「君はこの空間では無力だと、言っただろう?」
 詩音は、その右手をふっと掲げた。
 今度は舞い落ちる桜の花びらが、一箇所に集まる。
 そして空気の渦のようなものができ、桜の花びらが回転を成す。
 その様は、桜が踊っているような美しいものであった。
 それによってできた空気の防御壁に、次々と猛の放った“気”が弾き返される。
 その時。
「!」
 詩音は、ハッとその顔を上げた。
 その瞬間、目の前に広がっていた満開の桜の花が、一瞬にして消滅したのだ。
「桜の開花か。なかなかロマンチックな空間だったな」
 そう言って、詩音の結界に侵入してきた人物は、ふっと笑った。
 眞姫はその人物を見て、あっと声を上げる。
「あなた、この間の!」
「こんにちは、眞姫ちゃん。覚えててくれたんだ、嬉しいなっ」
 にっこりと眞姫に微笑んで、その人物・高山智也は猛に視線を向けた。
「あのお方の忠告を聞かないからだ、おまえは。しかもよりによって、おまえの邪気と相性最悪の“空間能力者”と対峙なんてな。日頃の行いが悪いんじゃない? 猛」
「うるさいっ! おまえは手を出すな、智也!」
 ギッと視線を智也に向け、猛は再び身構える。
 そんな猛に、智也は笑った。
「おいおい、今日のところは帰るぞ」
「何だと!?」
 ぽんっと肩を叩く智也に、猛は視線を向けた。
 智也は、猛から詩音に目を向ける。
「君も、僕たち2人を相手にするのは分が悪いだろう? 僕は猛と違って、“空間能力者”は意外と相性良かったりするんだよね」
「…………」
 詩音は、黙ったまま智也を見据えている。
 そして右手を掲げ、周りに張り巡らされた“結界”を解いた。
 それと同時に、目の前に賑やかな街の風景が戻ってくる。
 智也はいまだ戦意を漲らせる猛を宥めてから、眞姫の方を見た。
 眞姫は智也と目が合い、びくっと身体を振るわせる。
 そんな眞姫ににっこり微笑んで投げキッスをして、智也は歩き出した。
 しばらく歩いて眞姫たちが見えなくなったところで、猛は抗議の目で智也を見る。
「くそっ、何で邪魔した!? 智也っ!」
「邪魔ってな、あのまま戦っても、“空間能力”と相性の悪いおまえの“気”では断然不利だっただろ」
 悔しそうに唇を噛む猛に笑いかけ、そして智也は言葉を続けた。
「まぁ、またチャンスはあるはずだ。可愛い眞姫ちゃんにも会えたし、今日のところは俺に免じて落ち着けよ、猛」
 そう言って猛を宥めながらも、智也は先ほどの杜木との会話を思い出し、ふと表情を変えたのだった。
 その頃。
「お姫様、大丈夫?」
 詩音は、いまだ呆然としている眞姫に微笑んだ。
「え? あ、うん。私は何とも」
 そんな眞姫の頭を、詩音は優しく撫でる。
「お姫様、ちゃんと王子との約束が守れて、いい子だったね」
 よしよしと自分の頭を撫でる詩音を照れたように見ながら、眞姫は言った。
「あ、ありがとう。詩音くん」
 実際の話、詩音から離れなかったというよりも“邪者”の放つ“気”の大きさに、身動きが取れなかったというのが正しいのであるが。
 それにしても、目の前に広がった満開の桜の花。
 詩音が自分の空間に作り出したもののようだが、その美しさは目を見張るものがあった。
 そう、まるで学校の音楽室で聴いた、繊細なピアノの旋律のように。
「どうだったかな? 満開の桜の花・チェリーブロッサムは。気に入っていただけましたか、プリンセス」
「すごく綺麗だったわ。詩音くんの弾くピアノの旋律みたいに」
「ありがとう、お姫様。では参りましょうか」
 にっこりと優雅な微笑みを浮かべ、詩音は眞姫を伴って歩き出した。
 眞姫は青々と葉をつける桜の木を見上げ、そして詩音の上品な顔に瞳を向けたのだった。