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「ねぇねぇ、眞姫」
 その日の放課後、隣の席の友人・立花梨華に声をかけられ、清家眞姫は顔をあげた。
「梨華、どうしたの?」
「明日の実力テストってさ、1時間目が数学だったっけ?」
「うん、確かそうだったと思うよ。数学、国語、英語の順だよ」
 手帳で時間割を確認して、眞姫は梨華を見る。
 はあっと溜め息をついてから、梨華は言った。
「まぁね、どうせ今更足掻いたって仕方ないし。でも、鳴海の数学のテストってさ、何か意地悪そうよねぇ」
「それって、言えてるかも」
 眞姫の前の席の頭の良さそうな少年・芝草准が振り返って、梨華の言葉に頷く。
 梨華は、准の方に視線を向けて笑った。
「だよねー! やっぱり芝草くんもそう思う? 絶対平均点が50点もないような問題作るに決まってるしっ」
「そ、そんなに難しい問題作るかなぁ、実力テストで」
 どう答えていいか分からない様子の眞姫に、准は首を振る。
「鳴海先生のことを買いかぶりすぎたらダメだよ、姫。あの人、本当に容赦ないからね。何に関しても妥協とかしないから」
「分かってるじゃん、芝草くん! やっぱりそうよねー、鳴海って超冷血人間だもん」
 妙に意見が合っている梨華と准を交互に見て、眞姫は考える仕草をした。
 鳴海将吾先生。
 聖煌学園高校1年Bクラスの担任で、担当教科は数学である。
 その端正な顔立ちと、切れ長の瞳が印象的で。
 授業は分かりやすく知的な印象を受けるが、その授業に対するこだわりの姿勢と、表情をあまり表に出さない雰囲気が、生徒たちに厳しい印象を与えている。
「何かさぁ、鳴海って、血の色とか緑っぽくない?」
「血の色が緑って、ピッコロじゃないんだから……あっ」
 准は、ふと表情を変えてその口を閉じた。
 梨華は笑いながら、言葉を続ける。
「だって鳴海って、絶対人間の血通ってなさそーじゃない? 絶対緑だって、血の色!」
 その時だった。
「随分と楽しそうだな、立花?」
「え? あっ!!」
 背後から冷たい声が聞こえてきて、梨華は慌てて振り返る。
 眞姫もその人物の姿を見て、驚いた表情を浮かべた。
「な、鳴海先生っ」
 そこには、噂の鳴海先生が立っていたのだ。
 その切れ長の瞳を梨華に向け、鳴海先生はわざとらしく溜め息をつく。
「くだらないことを言っている時間があったら、明日の実力テストの勉強でもしなさい。それとも、余裕の表れか? 結果が楽しみだな」
 ぎょっと目を見開いて、梨華は首を振る。
「い、いえっ、清家さんたちと明日のテスト勉強しようかなーって思ってっ」
 慌てる梨華を後目に、今度は先生は准に視線を移す。
「芝草、君に話がある。今から数学教室に来てくれ」
「僕に、ですか?」
 怪訝な表情を浮かべる准に、鳴海先生は頷いた。
「言った通りだ。今すぐ移動しろ」
「…………」
 有無を言わせない口調で、鳴海先生はそう言い放つ。
 准は何も言わずに、鞄を持って立ち上がった。
 眞姫は、そんな鳴海先生の方にちらっと目を向ける。
 その切れ長の瞳は、相変わらず見るものに厳しい印象を与える。
 だがそれと同時に、先生の持つ両の目に、澄んだ綺麗な印象を眞姫は持った。
 そして眞姫が先生の瞳に目を奪われた、次の瞬間。
 ふっと鳴海先生の瞳が、眞姫の姿を映した。
 急に先生と視線が合い、眞姫はドキッとする。
「君も気をつけて、早く帰宅しなさい」
 それだけ言うと、鳴海先生は教室を出て行った。
 鳴海先生の姿が見えなくなった後、梨華は大きく息を吐く。
「あー、めっちゃビックリしたっ! 急に出てくるんだもんっ」
「気配絶って近づくところが悪趣味なんだよね。じゃあふたりとも、また明日ね」
 最初の方だけ誰にも聞こえないくらいの小声で呟いてから、准は眞姫と梨華に微笑む。
 眞姫と梨華は、そんな准に手を振った。
「うん、また明日ね、准くん」
「鳴海のとこに行かなきゃいけないなんて、頑張ってね、芝草くん」
 梨華の言葉に苦笑しながら、准も教室から出て行った。
「じゃあ、私たちも帰ろうか」
 そう言って、眞姫は席から立ち上がる。
 そんな眞姫を、梨華はじっと見つめた。
「梨華?」
 視線を感じ、眞姫は首を傾げて不思議そうな顔をする。
 梨華は意味あり気に笑って、言った。
「やっぱりさぁ、鳴海って眞姫には優しいよねぇー」
「えっ!? そんなことないと思うけど……」
「あるあるある、あの冷血人間が“気をつけて帰宅しなさい”だよ! 気に入られてる証拠でしょ? あれでいて、眞姫みたいな可愛いらしい子が好きなのね、アイツ」
「いや、何回も言ってるけど、違うと思うんだけど」
 眞姫は、うーんと考え込む。
 “浄化の巫女姫”である自分の身の安全を、“能力者”である鳴海先生が余計に気を配っていると考えれば、それは自然なことであるが。
 それにしても、自分が梨華のいうような特別扱いされているとは眞姫には到底思えなかった。
 会話はいつも事務的だし、先生の態度も素っ気無いし。
 でも、あの切れ長の瞳で見つめられると、何故だかドキッとしてしまう。
 鋭く射抜かれるような、その視線。
 だがその奥底には、優しい光が見えるような気がするのだ。
「うちらも帰ろっか、眞姫」
 すっかり考え込んでしまった眞姫の肩をポンッと叩いてから、梨華は笑った。
 眞姫もそんな梨華に微笑んで、頷いたのだった。


      


 その日の夜。
 数人の男女が、そこには集まっていた。
 彼らの年齢はバラバラで、制服を着た学生もいれば、見るからに中年の男もいる。
 このメンバーをはたから見れば、一見、どこにも共通点などなさそうであるが。
 だがどうやら全員が顔見知りらしく、途切れることなく会話が交わされていた。
 そして、彼らがお互いそれぞれに再会の言葉を交わし終えた、その頃だった。
 周囲の空気の流れが――ふと、変わる。
 それと同時に、スマートな黒いスーツを着たひとりの青年が、その場に現れた。
 年は、二十代後半程度。
 神秘的な黒の瞳と同じ色をしたサラサラの髪。
 思わず見惚れてしまう程、その青年の容姿は魅力的で美しい。
 そしてそれまでお互い和気藹々と会話を交わしていた面々が、青年の出現でその口をピタリと閉じる。
 青年はそんな彼らひとりひとりに視線を向けてから、静かに言った。
「皆に今日集まってもらった理由は、もう言うまでもないな」
 青年の言葉に、彼らは全員黙って頷く。
 青年は、続けた。
「これまでも、おまえたちには色々と準備をしてもらってきたが。今後は、さらに本格的に動いてもらうことになるだろう」
「俺にまず、“浄化の巫女姫”のところに行かせてくださいよ」
 そう青年に言ったのは、高校生くらいのひとりの少年。
「この間も、“憑邪”を囮に、俺は“浄化の巫女姫”と“能力者”を見張る仕事をしていましたしね」
「そうだな。では、おまえに任せよう、智也(ともや)」
 自らそう志願した少年の言葉を満足そうに受け止め、青年はふっと笑う。
 それから、その智也と呼んだ少年の髪をくしゃっと撫で、青年は言った。
「今回はおまえに行かせるが、無理は禁物だ。まわりには彼女を守る“能力者”がいるからな。まずはその周辺の“能力者”の実力がどの程度のものなのか、そして“浄化の巫女姫”の能力がどれほど蘇っているか……それを今は、まず把握しておきたい」
「はい、わかりました」
 軽く青年に頭を下げ、その少年・智也は嬉しそうに微笑む。
 そして青年はふっと表情を変えて、ほかのメンバーたちに目を向けた。
「いずれ他の者にも、おって指示を出す。今日皆に集まってもらったのは、本格的に動き出すことを肝に銘じて欲しかったからだ。我々の目的の実現に向けてな」
 それからしばらくして黒いスーツの青年がその場を去った後、先程の少年・智也に、彼よりも少し年が上であろう男が言った。
「おまえ、“浄化の巫女姫”が好みだからって、先に手つけておこうなんて魂胆だろう?」
「それもちょっとはあったりしてなぁ、なんてね。って、そう言うなよ。確かに、現代の“浄化の巫女姫”はすごく可愛くて俺好みだったけど、俺の力を“能力者”に見せつけて……」
「本音が見え隠れしてるぞ、おまえ」
 智也のその言葉が終わる前に、男はふっと笑う。
 智也も、そんな男に人懐っこい笑顔を見せる。
 男は持っていた煙草に火をつけてから、言った。
「まぁ、頑張れよ。ナンパは全くダメそうだけど、仕事はできるからな、おまえ」
「そう言わずに見ててよ、“浄化の巫女姫”を口説いて……じゃなくて。“能力者”達をひーひー言わせてやるから」
 ニッと笑みを浮かべて、智也はそう自信満々に言ったのだった。




 その、同じ頃。
 眞姫は、自分の部屋で数学のテキストのページをめくり、シャープペンシルの芯を出そうとカチカチと指でペンを押した。
 だが、ちょうど芯が短くなっていたらしく、何度押しても出てこない。
 仕方なくペンケースから、新しい替え芯を取り出そうとしたが。
「あっ、そういえば替え芯、もうなかったんだった」
 眞姫は困ったような表情を浮かべて、ちらりと腕時計を見た。
 時間は、夜の21時。
 まだ、特に夜遅い時間なわけではない。
 明日のテストのこともあるので、眞姫は近くのコンビニに替え芯を買いに行くことにした。
「あら、眞姫。どこか出かけるの?」
「うん。明日テストなんだけど、シャーペンの替え芯なくなっちゃったから、コンビニまで買いに行って来るね」
 一緒に住んでいる叔母にそう言ってから上着を羽織り、眞姫は家を出た。
 春の夜風が、眞姫の栗色の髪を揺らす。
 まだ活気のある街を歩きながら、眞姫は近くのコンビニに向かった。
 この時間のコンビニは、いつも人で溢れている。
 若い学生はもちろん、会社帰りのサラリーマンやOLの姿も多く見られた。
 そんな人たちをかき分けてコンビニの店内に足を進め、お気に入りの雑誌が出ていないかチェックしてから、眞姫はお目当ての替え芯を見つける。
 ついでにいつも好んで飲んでいる緑茶の小さなペットボトルを手に取り、レジに向かった。
 レジで順番がくるのを待ちながら、眞姫は目にかかった栗色の前髪をかきあげる。
 そして会計を済ませ、眞姫は足早にコンビニを出た。
 眞姫は家路を急ぎながら、ふと顔をあげる。
 今日は、月の綺麗な夜だ。
 ほぼ満月に近いその月を見てから、眞姫はもう一度腕時計に目をやる。
 家に帰り着くのが21時半くらいで、それから数学のテキストをもう少し見直しして、テストのあとの授業の予習をして……。
 そう、頭の中でこれからの計画を立てていた眞姫であったが。
「……?」
 眞姫は、おもむろに立ち止まった。
 誰かに見られているような視線を感じ、振り返る。
 その時だった。
「こんばんは、お嬢さん」
 同じ年くらいの少年が、ふと声をかけてきた。
 少し驚いた顔をしたが、眞姫はその少年に目を向けた。
 短くて黒髪のその少年は美形ではないが人懐っこい笑顔を持ち、なかなかハンサムな顔立ちをしている。
「何ですか?」
「ふたりきりで、大事な話したいなぁなんてね。俺とお茶でもしない?」
「…………」
 どうやらナンパみたいだと、眞姫は思った。
 そして困った顔をしながらも言った。
「ごめんなさい。私、急いでいるから」
「そんな、冷たいなぁ。少しくらいいいでしょ、ね?」
「そんな、困りますからっ」
 ぺこりと頭を下げて、眞姫は再び歩き出す。
 そんな眞姫の後姿を見ながら、少年はふうっと溜め息をついて言った。
「じゃあ……仕方ないなぁ。ちょっと強引だけど」
「……!?」
 ハッと、眞姫は顔をあげた。
 そして再び振り返り、驚いたように少年にその瞳を向ける。
 次の瞬間。
 その少年の右手が、ボウッと眩い光を帯びるのが目に映る。
 そして少年の手の中の眩い光がカアッと弾けた、その時。
 眞姫は、目を見張った。
「えっ!? これって!?」
「言ったよね? ふたりっきりで話がしたいなぁって。この“結界”の中だったら、君とふたりきりだからね」
 それだけ言って、その少年・智也はふっと笑った。




 鳴海先生は、ふとその切れ長の瞳を細めた。
 そして、おもむろに携帯電話を取り出し、どこかに電話をかける。
 1コール目ですぐに、相手が出た。
『今、姫の気配が“結界”に囲まれたのを感じた。現場に向かう』
 鳴海先生が言葉を発する前に、電話の向こうでそう声が聞こえた。
「健人、清家の家とおまえの家が一番近い。相手はおそらく“邪者”だ」
 そこまで言って、鳴海先生はもう一度“結界”が張られている方角を見る。
「!」
 その時、その方角に別の大きな“気”を感じて、鳴海先生は顔をあげた。
 そして、言葉を続けた。
「待て、健人。おまえよりも先に、あいつが早く現場に着くようだ。おまえは動くな」
『何だって?』
「聞こえただろう、おまえは動くな、とな」
『…………』
 不服な様子で、電話の先の蒼井健人は黙っていた。
 そんな健人に、鳴海先生は続ける。
「聞こえなかったか? 相手が“邪者”である以上、うかつにこちらの手の内を見せるわけにはいかない」
『……分かったよ』
 ムッとした声で健人はそれだけ言って、その電話をブツッと切った。
 鳴海先生は、そんな健人の様子を気に止めることもなく呟く。
「この気配は……准も近くにいるな」
 再び鳴海先生は、携帯電話を耳に当てた。
 1コールも鳴らないうちに、相手が出る。
「准、もう気がついていると思うが“邪者”が“結界”を張っている。清家がその中にいるはずだ。現場に向かってくれ」
『今、向かっている途中です。落ち着いたら連絡します』
 息を弾ませながら、電話の先の准は早口でそう言った。
「分かった。報告を待つ」
 そう短く言ってから、鳴海先生は通話終了ボタンを押す。
 そしてもう一度“結界”の張られている方角を見つめ、鳴海先生は険しい表情を浮かべた。




「貴方は、一体!?」
“結界”の中に閉じ込められた眞姫は、鋭い視線を智也に向ける。
 屈託のない笑顔を見せ、智也は言った。
「俺、高山智也っていうんだ。よろしくね、清家眞姫ちゃんっ。いや、“浄化の巫女姫”様って言うべきかな?」
「! どうして、私のこと」
 眞姫は警戒した表情のまま、智也を見据える。
 この同じくらいの年の少年が敵なのか味方なのか、眞姫には分からなかった。
 ただ、健人たち“能力者”のものとも、先日襲われた“憑邪”のものとも、彼から感じる“気”の種類が違うことだけは分かった。
「そんなに警戒しないでよ。悲しいなぁ」
 にっこり笑って、智也は眞姫に一歩近づく。
 眞姫はそれを見て、数歩後ずさりをした。
 その時。
 ふと今まで笑顔を眞姫に向けていた少年が、表情を変える。
 そして、呟いた。
「来たな、“能力者”か」
「え?」
 その言葉に、眞姫は顔を上げる。
 次の瞬間。
 智也は咄嗟に、その右手に“気”を漲らせる。
「!! くっ!」
 ぎりっと歯を食いしばり、智也は力を込めた。
 刹那、大きな光が唸りをたて、智也に襲い掛かってきたのだ。
 バシッと“気”の漲る右手でその光を払いのけ、智也は視線をあげる。
 眞姫は、目の前に現れた人物の姿を確認し、ホッとしたように言った。
「! 拓巳っ」
「姫っ!! 大丈夫か!?」
 眞姫の盾になるように位置を取りながら、現れた少年・小椋拓巳はそう言葉をかける。
「うん、大丈夫。何ともないわ」
 眞姫が無傷なのを確認してから、拓巳は目の前の智也に視線を向けた。
 そして険しい表情を浮かべ、ふっと身構える。
「おまえ、“邪者”か」
「せっかくお姫様を口説いていたのにな。とんだ邪魔が入ったな」
「“邪者”なんかに、俺の大切な姫は渡さない」
 そう言って、グッと拓巳はその右の拳を握り締めた。
 智也もそれを見て、再び右手に“気”を漲らせる。
「俺は女の子は大好きだけど、男には容赦しない性質(たち)でねっ!」
 その言葉と同時に、智也の右手の“気”が一斉に拓巳に襲い掛かった。
 ちっと舌打ちしてから、拓巳はそれをガッと受け止める。
 そして、拓巳の攻撃を受け止めた右手が、急速にその光を増す。
「ちょっとばかりノシ付けて、返すぜっ!!」
「! 何っ!」
 途端に、拓巳の手でくすぶっていたその光が逆流する。
 威力の大きくなったその光を、智也は跳躍して避けた。
 拓巳はキッと視線を上げ、智也に向けて間を置かずに“気”を放つ。
 智也も空中で右手を掲げて、“気”の漲ったその手を振り下ろした。
 双方の“気”がちょうど中間でぶつかり合い、その威力は相殺される。
 カッと眩い光が弾け、その余波があたりに立ち込めた。
 着地してから、智也は体勢を整える。
 そして拓巳の姿を確認しようと、顔をあげた。
 その時。
「!!」
 咄嗟にバッと振り返り、智也は背後から襲ってきた拓巳の拳を辛うじてかわす。
 右手の手刀に“気”を漲らせ、至近距離で拓巳は間髪いれずにそれを放った。
「ちっ!」
 その手刀を避けた智也だったが、その余波で頬にひとすじの鮮血がはしる。
 続けて襲ってきた拓巳の蹴りを左腕でガッと受け止め、智也は反撃とばかりに今度はその右拳を握りしめ、拓巳目がけて放った。
 身体を低くしてそれを避け、拓巳は智也の足を払いにかかる。
 その攻撃を読んでいた智也は、跳躍してそれをかわした。
 着地してから頬に滲む鮮血を拭い、智也はふっと笑う。
「なるほどね、“能力者”か。それじゃあ、これはどうかな?」
 そう言うなり、智也は再びその右手に“気”を漲らせる。
 次の攻撃に備えて、拓巳は体勢を整えて身構えた。
 そして智也がその“気”を放った、その時。
「!! 何!? くっ!」
 拓巳は表情を変え、その場から大きく跳躍した。
 その大きな“気”の目標は、拓巳ではなかったのだ。
「……えっ!?」
 眞姫は、自分に向かって唸りを立てて迫ってくる“気”に、目を見張った。
 次の瞬間、拓巳が自分の前に盾になるように立ちふさがるのが、目に飛び込んでくる。
 防御壁を張る余裕がない拓巳は、ギリッと歯を食いしばって腕をクロスに組み、襲ってくる“気”の衝撃を受け止めようと両足に力を込めた。
 眞姫は、眩い光にグッと瞳を閉じる。
 そしてそれと同時に、ドンッという光が弾ける様な衝撃音が耳に響き渡ったかと思うと……。
「!」
 智也は、目の前の状況に目を見張る。
 眞姫の盾になった拓巳に、智也の放った衝撃が直撃する、はずだった。
 だが、それは拓巳と眞姫には届く前に、その威力を失っていた。
 拓巳たちの前には、立派な“気”の防御壁が形成されていたのだ。
「防御壁を張る隙とか、与えなかったはずなんだけど……」
 智也はふと、表情を険しくする。
 そして、言った。
「“能力者”の仲間、か」
 新たに自分の“結界”に入ってきた“能力者”の気配に、智也は小さく息を吐く。
 拓巳はふっと振り返り、その気配の方向に視線を向けた。
「准! おまえも来たのか」
「うん、この近くに偶然いたんだ」
 にっこり拓巳に微笑んでから、准は智也に目を移した。
「どうする? 僕たちふたりを相手にする気?」
「うーん、2対1ではさすがに分が悪いからなぁ。“浄化の巫女姫”もいることだし」
 そう言うやいなや、智也は右手を掲げ“結界”を解除する。
 閑散とした空間が、見慣れた普段の風景に戻る。
 それから眞姫に視線を向け、智也は言った。
「現代の“浄化の巫女姫”は、まだ基本的な“気”の使い方も全く知らないみたいだね。この間の“憑邪浄化”は、単なる偶発的なことだったってことかな」
「! 何で“憑邪浄化”のことを」
 准の言葉に、智也はふっと笑う。
「お姫様の力がどの程度蘇っているのか、そしてお姫様のまわりに邪魔な“能力者”が何人くらいいるのか、あの“憑邪”を使って確認させて貰ったんだけど。この間よりも、色々とよく分かったよ」
「先日のあの“憑邪”は、おまえが差し向けたのか?」
 そう言って拓巳は、キッと鋭い視線を投げた。
 それには答えず、智也は眞姫に軽くウインクをして、再び人懐っこい笑顔を見せる。
「ということで、今度は誰も邪魔が入らない場所でふたりきりで話そうね、眞姫ちゃん」
 それだけ言って、智也はその場を去った。
 その後姿を見送り、拓巳は気に食わない表情を浮かべる。
 夜の闇に溶け込み、智也の姿が見えなくなった、その時。
 拓巳は、ふっと眞姫の方に振り返った。
 そして。
「姫っ、姫が無事で、本当によかった……!!」
「! えっ、た、拓巳っ!?」
 突然ガバッと自分に抱きついてきた拓巳に、眞姫は目を丸くした。
 拓巳のがっちりした腕の感触が、眞姫の胸の鼓動を早める。
 それほど大柄ではない拓巳であるが、スポーツマンらしい鍛えられた身体つきをしている。
 そして、先ほどの智也との戦いで見せた拓巳の表情は、今まで見たことないものであった。
 眩い光を纏って戦う姿は普段の拓巳とはまた違い、すごく男らしかった。
 眞姫は拓巳の温もりを感じ、カアッと顔が真っ赤になる。
「あのさ、拓巳。姫が困ってるよ?」
「えっ? あっ、ごめん! 姫が無事でホッとしたら、ついっ」
 准の言葉に我に返り、拓巳は慌てて眞姫から離れる。
「え、いや、ありがとうね。拓巳、准くん」
「この近くで友達と遊んでたらよ、姫の気配が“結界”に閉じこめられているのを感じて、驚いたぜ」
「遊んでたって拓巳、明日実力テストじゃなかったっけ?」
 拓巳の言葉に、眞姫はきょとんとする。
 そんな眞姫を見て、拓巳は笑った。
「実力テストって言うくらいだから、実力で受けるモンだろ。って、やべ! 友達置いてきちゃったな」
「じゃあ姫は、僕が送っていくよ」
 准が、拓巳の言葉にそう続けた時。
 ブルブルと拓巳の上着のポケットで、携帯電話のバイブが震えているのが見えた。
 おそらく、置いてきた彼の友人からであろう。
「ごめんね、私のためにかけつけてくれて。ありがとう」
 にっこりと自分に微笑む眞姫の顔を見て照れながら、拓巳は嬉しそうに笑む。
「おうよ、姫はどんなことがあっても俺が守ってやるからなっ。じゃあ、またな……って、もしもしっ? ああ、すぐそっち行くから」
 携帯電話で話しながら、拓巳は眞姫と准に手を振る。
 その後姿を見送ってから、眞姫と准も歩き出した。
「准くん、来てくれてありがとう。私だけじゃまだ……何もできないから。ごめんね」
 全く基本的な“気”の力も使えない。
 そう智也に言われたことを思い出し、眞姫は俯くも。
 そんな眞姫に、准は優しく微笑みを返す。
「焦ることないよ、姫。僕たちが姫を全力で守るから。姫には誰よりも大きな力が眠っているんだよ、自信を持って」
「うん、ありがとう准くん。ところでね、さっきの人から“能力者”とも“憑邪”とも違う、別の“気”を感じたんだけど……あれって? それに拓巳が、あの人のこと“邪者”って」
 眞姫の言葉に、准はふと表情を変える。
 そして、言った。
「姫、明日って木曜日だよね? たぶん明日鳴海先生が、部活の時に説明してくれるとは思うんだけど。彼らは僕たち“能力者”の敵であることは、間違いないよ」
「“能力者”の、敵」
 眞姫は、そうぽつんと呟く。
 そして、智也が放った大きな“気”が、自分に向かって唸りを上げた先程の光景を、思い出す。
 今の自分は智也の言うように、全くの無力だ。
 今回は拓巳や准が来てくれたからよかったものの、これから先もこういう出来事はおこるであろう。
 そう考えると、ますます力が使えない自分が歯がゆくて仕方ない。
 溜め息をついて俯く眞姫に、准は優しく微笑む。
「不安な気持ちは分かるよ。でも、僕たちを信じて、姫。拓巳も言ってたけど、姫は何があっても守るから」
 准の言葉が、眞姫は心から嬉しかった。
 いつまでも、俯いてばかりではいられない。
 映研の仲間たちも、そして鳴海先生も、みんながついていてくれるんだ。
「うん。もちろんみんなのこと、信じてるよ。ありがとう」
 そして眞姫の顔に笑顔が戻ってきたのを見て、准も嬉しそうに頷いたのだった。