「なっ、何やぁ!?」
「げっ! な、何だよ、あれ!!」
 拓巳と祥太郎は、同時に声をあげる。
「す、凄いぞ……身体中を漲る“邪気”の大きさが、今までの比ではないわ!」
 ガハハハッと笑う猛のその様は、すでに人間としての原型を留めてはいなかったのだ。
 その体格は以前の倍以上になっており、皮膚の色も生気を失ったように土気色である。
 そして目は獲物を求める獣のように真っ赤に血走り、口は左右に裂けている。
「な、なに? あれ……」
 眞姫はその猛の姿を、信じられない様子で見つめた。
 険しい表情のまま、智也はそんな猛から目を逸らして呟く。
「違う、“邪体変化”とは違うっ! 猛の身体に封じられている“邪”が解き放たれ、あいつの身体を乗っ取ろうと変化しているだけだ。しかも、薬の力を使っている……“邪気”は確かに大きくなっているが、あれでは……」
「おまえら“能力者”など、この俺様がすべて殺してくれる!! ガハハハ!」
 今までとは比べ物にならない程大きくなった“邪気”をその手に漲らせて、猛は笑う。
 眞姫はその“邪気”の大きさに、瞳を見開いた。
 不安定な猛の“邪気”が、空気をビリビリと振動させている。
 そしてニッと不敵な笑みを浮かべて、猛は“邪気”の帯びた手をブンッと振り下ろした。
「! きゃっ」
 ドオンッと激しい衝撃音が耳を劈き、眞姫は思わずギュッとその瞳を閉じる。
 そして、おそるおそるゆっくりと目を開いた、その時。
「まったく、お姫様に怪我でもさせたらどーするんだ? あいつは」
「! あ、どうして?」
 いつの間にか自分の縦になるように位置を取っている智也に、眞姫は驚いたような表情を浮かべた。
「どうしてって、愛しの眞姫ちゃんに傷でもついたら大変だからね」
 悪戯っぽく笑う智也をきょとんと見たあと、眞姫はふと顔を上げてその表情を変えた。
 猛の放った衝撃の余波があたりにたちこめており、その威力の大きさを物語っている。
 智也の張った防御壁が守ってくれたおかげで、眞姫自体は事なきを得た。
 だが。
「…………」
 眞姫は心配そうに、まだ余波で状況が確認できない周囲に目を凝らす。
 祥太郎と拓巳は、無事なのだろうか。
「ふん、木っ端微塵に吹き飛んだか?」
 ズシンと大きく一歩踏み出し、猛は周囲を見回している。
 そして少しずつその余波が晴れてきた、その時。
「……!」
 刹那、グワッと大きな光が弾けた。
 拓巳と祥太郎の繰り出した無数の“気”が輝きを増し、猛目がけて放たれたのだ。
 そしてその眩い光は、ドンッと激しい音を立て、すべて猛を捉える。
「調子乗るんやないって言ったやろ? 兄ちゃん」
「化け物は退治しとかねーとなっ」
「祥ちゃん、拓巳!」
 眞姫はふたりの姿をようやく確認し、ホッとしたように胸を撫で下ろす。
 祥太郎は眞姫ににっこり微笑んでから、ふと表情を変えた。
「ていうか拓巳……あの化け物、さっきの攻撃全然こたえてないみたいやで」
「くそっ、何だよ! なんてヤツだっ」
「え!?」
 その言葉に、眞姫は猛の方に目を向けた。
 ふたりの攻撃は、すべて確実に彼に命中したはずなのに。
 猛は、何事もなかったかのようにその場に立っていたのだ。
 再び身構えるふたりに、猛は平然とした顔で言った。
「今のが攻撃か? 蚊が刺したようにも感じなかったぞ!」
「何だとっ! じゃあ、これならどうだっ!!」
 再びカアッと眩い光が拓巳の右手に集まり、“気”の力が宿る。
 そしてその手のひらで、美しく輝く光の塊が瞬時に形成された。
 拓巳は大きく威力を増した“気”の漲る右手を、勢いよく猛目がけて振り下ろす。
 そんな拓巳の様子を見て猛は不敵に笑い、“邪気”の帯びた右手を前に翳した。
「! 何っ」
 拓巳は、驚いたように目を見張る。
 刹那、バシッと眩い大きな光が目の前で弾けた。
 拓巳の繰り出した“気”の威力が、すべて猛の手の中に吸収される。
 そして猛の中で吸収された光は威力を何倍にも増し、一気に拓巳に弾き返された。
「くっ、何っ!? 右手一本で、オレの“気”をっ」
 勢いを増して逆流する光を、バッと跳躍して拓巳はかわす。
 そんな空に舞った拓巳目がけて、間髪入れずに猛は再び強大な“邪気”を繰り出した。
「! ちっ!!」
 拓巳は舌打ちしてその“邪気”を受け止め、そして何とか威力を浄化させた。
 そして着地し、体勢を整えようとした、その時。
「!! 拓巳、後ろやっ!」
 祥太郎の声に、拓巳はハッと顔を上げて振り返る。
「なっ、“邪気”だけじゃなくて、身体能力まで上がってるのかっ!?」
「今さら驚いても、遅いぞ!!」
 次の瞬間、丸太のように太い猛の拳が、唸りを立てて拓巳に襲いかかる。
「くっ!!」
 辛うじて身を翻し、拓巳はその攻撃をかわした。
 拓巳を捉えることのできなかった猛の拳は、そのまま地面に叩きつけられる。
 ドーンという大きな音がし、アスファルトが破壊された。
 強烈な拳の威力を受けた地面には、その衝撃の大きさを物語るかのように、小さなクレーターのような衝撃の痕ができている。
 そして猛は、その大きな身体からは予想もできないほど素早い動きで、拓巳に強烈な蹴りを放った。
 それを右手でガードした拓巳は、その衝撃の重さに顔をしかめる。
「…………」
 眞姫はハラハラした様子で、じっとその戦況を見守ることしかできなかった。
 智也も眞姫のすぐ横で、その表情を強張らせている。
 すでに人間離れした猛のその“邪気”の漲る身体を、何かを考えるように無言でじっと見つめていたのだ。
 眞姫はふと、そんな智也の様子に気がついた。
 彼の瞳が何だか悲しい色を湛えているように、眞姫には見えた。
 智也は自分を見つめている眞姫に気づき、にっこりと微笑む。
「そんなに可愛い顔で見つめられたら照れちゃうよ、眞姫ちゃん」
 眞姫は智也に大きな瞳を向けたまま、言った。
「どうして……そんなに、悲しそうな顔をしてるの?」
「え?」
 眞姫の言葉に、智也は驚いた表情を浮かべた。
 彼女の大きな澄んだ瞳が、真っ直ぐに自分を見ている。
 まるで心を見透かされているような感覚に陥り、智也は何も言えなかった。
 ……その時、カッと眩い光が弾けるのを感じ、眞姫はハッと顔をあげる。
 祥太郎の手から放たれた光が、左右から猛に襲いかかるのが見える。
 今まで拓巳に気を取られていた猛は、その祥太郎の攻撃に対して一瞬反応が遅れた。
「くそっ!!」
 グワッと祥太郎の放った光に“邪気”の塊をぶつけ、咄嗟に猛はその威力を相殺させる。
 そのパワーに防戦一方だった拓巳は、猛に生じた隙を見逃さなかった。
「これでも、くらいやがれっ!!」
 拓巳は右の手刀に光を宿し、気合一閃、それを放ったのだった。
 ビュッと空気を裂くような音が響き、それと同時に猛の叫び声が聞こえる。
「ぐああぁぁっ!!」
「……っ!」
 次の瞬間。
 眞姫は、スウッと血の気が引いていくのを感じた。
 ゴトンッと音がし、拓巳の手刀によって綺麗に切断された太い猛の腕が、地面を転がるのが見えたのだ。
 ピクピクとまだ僅かに動いている腕を見て、眞姫は目眩を覚えた。
「! 眞姫ちゃんっ」
 意識を失って崩れた眞姫の身体を、智也は支える。
「ちょっと姫には刺激が強すぎたんやな」
「姫っ!?」
 眞姫の方に駆け寄ろうとする拓巳に、肩で息をしながら猛は叫んだ。
「人の心配よりも、自分の心配をするんだなっ!!」
「!」
 祥太郎と拓巳は、再び身構えて表情を変えた。
 猛の身体から、強大な“邪気”が漲っていくのを感じる。
 そして、次の瞬間。
「はあああぁぁぁっ!!!」
「!! げっ、な、何だ!?」
「うっそぉっ、何て化け物やっ」
 拓巳と祥太郎は目の前のその光景に、驚きの声をあげずにはいられなかった。
 ズズッという音とともに、切断されたはずの猛の右手が、再び生えてきたのだ。
「ピ、ピッコロ大魔王やないんやから、まさか次は口からタマゴ産むんやないやろな」
「んな冗談言ってる場合じゃねーだろーがっ」
 キッと鋭い視線を向け、拓巳は猛を見据える。
 猛は新しい腕の感触を確かめるように指をコキコキ鳴らし、ニッと笑みを浮かべた。
「…………」
 智也は自分の腕の中で意識を失っている眞姫に、視線を向ける。
 色白の透き通るような肌に、色素の薄い栗色の髪の毛。
 閉じられた瞳にかかるまつ毛は長く、潤いのある唇はつるんとしていてみずみずしい。
 そんな眞姫に、智也は見惚れていた。
「こんな可愛い顔して、どんな夢を見ているのかな、お姫様?」




 ……眞姫は、ゆっくりとその瞳を開いた。
 不思議とその身体は軽く、まるで空を飛んでいるかのような感覚さえ覚える。
「ここは?」
 周囲を見回して、眞姫は驚いたような表情を浮かべた。
 何故か眞姫は、美しい月が輝く空の下、見渡す限りの花畑の真ん中に立っていたのだった。
 眞姫が歩くたびに、ふわりと花びらが美しく宙を舞う。
 私は一体、どうしたのだろうか。
 ここはもしかして、天国なのだろうか?
 そう眞姫が思った、その時。
「貴女が、現代の“浄化の巫女姫”ね」
 突然声がし、眞姫はふと振り返る。
 そこには、美しい女性がひとり立っていた。
 そしてその女性の美しさに、眞姫は思わず見惚れてしまった。
 夜空に輝く月さえも彼女の美しさに平伏し付き従っているような、神々しい雰囲気。
 凛とした瞳はその意思の強さを感じ、そして誰かのものと似ている気がする。
 ふわりと揺れる背中の長い髪は、月光を浴びてキラキラと輝いている。
 聡明な美人という印象を受けるその女性は、眞姫に言った。
「貴女は確かに守られるべき巫女姫ですが……それ以上に、人を守る力をその身に宿しています。人を助けたいという意思と自分を信じる心。このふたつを忘れてはなりません」
「え? 貴女は……あれ?」
 眞姫は、信じられない様子で目を見張る。
 さっきまで目の前にいた女性が、ふっと消え失せたのだった。
 月夜の花畑の中で、しばらく眞姫は呆然と立ち尽くす。
 だが、あの女性の瞳の雰囲気。
 見覚えのある気がしてならなかった。
「人を守る力か……戻らなきゃ、私」
 女性の言葉をふと思い出し、眞姫はそう呟く。
 それから、スッと瞳を閉じた。
 その瞬間、ザワッと花びらがあたりを包み込み、そして輝きを放つ月光に溶けるように、その場から眞姫の身体は消えた。




「ん……」
「眞姫ちゃん、気がついた?」
 にっこりと自分に微笑む智也の姿が、ぼんやりとその瞳に映った。
「あ……私?」
「少しの間、気を失っていたんだよ」
「! あっ、祥ちゃんと拓巳はっ!?」
 急に自分の置かれている状況を思い出し、ガバッと眞姫は起き上がる。
 先程見た月の輝く花畑の夢とは対照的に、目の前には強大な“邪気”の広がる現実。
 もう動かなくなった猛の腕の残骸が、地面に転がっているのが見える。
 思わず目を逸らしたくなるような状況に負けじと、眞姫はその顔を上げた。
 そしてそんな眞姫の瞳に映ったのは。
 自分を守るために戦う、光を纏った少年たち。
 猛を厳しい瞳で見据えて、祥太郎と拓巳はじりじりと間合いを計っていた。
 ふたりの無事に安堵すると同時に、眞姫は猛のさらに膨れ上がった不安定な“邪気”に表情を険しくする。
 猛は新しく生えた右腕をぶんぶんと振り回して、言った。
「新しい腕を馴染ませるために、軽く運動でもするかなっ!!」
「! くるで、拓巳っ」
「ちっ、化け物めっ!」
 その大きな身体からは想像もつかないような早い身のこなしで、猛は拓巳目がけて一気に間合いをつめる。
「!!」
 凄まじい勢いで、猛の右拳が唸りを上げた。
 ドンッと衝撃音が響いて再び地面が割け、大きなくぼみができる。
 身体を翻して攻撃を避けた拓巳は、鋭い視線を猛に向けた。
「ふざけんじゃねーぞっ、くらえっ!!」
 急速に拓巳の手のひらに輝きが宿る。
 その光の塊が猛の腹部目がけて、至近距離で繰り出された。
 眞姫は、その光の眩さに思わず目を覆う。
「さすがにあれだけ近くで攻撃を受ければ……!!」
 着地してそう言った拓巳は、次の瞬間大きくその瞳を見開く。
 そしてくっと唇を結び、体勢を整えようとした、その時。
「ちっ、これは少し効いたぞっ!!」
「なっ、何っ! ……! ぐっ、ふ!」
 ゴウッと再び襲いかかってきた猛の右拳を避けきれず、こん棒のような太い腕が拓巳の腹に食い込んだ。
 その重い衝撃に、拓巳は思わずバランスを崩す。
 猛はニッと笑みを浮かべ、すかさず拓巳に強烈な蹴りをみまう。
「くっ、うあっ!!」
 咄嗟にガードした拓巳であったが、そのガードごと身体が吹き飛ばされた。
 次の瞬間、猛はおもむろに素早く身を翻す。
 それと同時に、ビュッと空気が鳴った。
「ちいっ! んなバカでかい図体で、よう器用に動くなぁっ、反則やでっ!」
 猛の背後から放った蹴りをかわされ、祥太郎は着地して体勢を整える。
 そんな祥太郎を瞬時に振り返り、猛は右手に力をこめた。
 その瞬間、祥太郎の鳩尾を狙い、その立派な凶器である拳が放たれる。
 祥太郎は唸りをあげて飛んできた猛の拳を、何とかガッと受け止めた。
 猛はそんな祥太郎に、ニッと不敵な笑みを浮かべた。
 そして、すかさず反対の左手に強大な“邪気”を漲らせる。
「何っ!!」
 刹那、ドッとその左手から“邪気”を放たれ、祥太郎は唇を噛み締める。
 そして何とか跳躍して、それをかわした。
 だが、その瞬間。
 目で追いつけないほど素早い動きで、猛は祥太郎の背後に回った。
 猛の右手が、再び光を放つ。
「! やばっ!!」
 防御の姿勢を取る暇も与えられず、祥太郎はその衝撃を身体に叩きつけられ、吹き飛ばされた。
「拓巳っ! 祥ちゃんっ!」
 たまらず眞姫は智也から離れ、倒れたふたりに駆け寄った。
「姫っ! あぶないから下がってろっ!」
「姫、あの化け物見たやろ。ここは俺たちに、任せるんや!」
 自分たちのもとに走ってくる眞姫に、ふたりはそう言った。
 そんな彼らに、眞姫は大きく首を振る。
「大切なのは、人を助けたいという意思と自分を信じる心……黙って見てるなんて、私にはできないっ。ふたりに、お願いがあるの」
「……え?」
 眞姫の言葉に、ふたりは驚いたような表情を浮かべた。
 そして眞姫は、ゆっくりと続ける。
「あの人の動きを少しの時間でいいから、おさえることってできる?」
「! おい、何考えてるんだよっ」
「……姫!?」
「大丈夫、私に任せて。何とかできそうな気がするの」
 祥太郎と拓巳は、言葉を失った。
 自分たちを見つめる眞姫の瞳には、強い決意の色が浮かんでいる。
 その神々しさまで感じる眞姫の“気”に、ふたりは頷くことしかできなかった。
「分かったで。お姫様のご要望にお応えしましょうっ」
 眞姫ににっこり微笑んで、祥太郎はそう言って身構える。
 拓巳は眞姫の頭を軽くぽんっと叩き、ふっと笑った。
「姫のこと信じてるからなっ。そして、何があっても姫を守るぜっ」
「ありがとう、ふたりとも」
 拓巳の言葉に、眞姫はにっこりと微笑む。
 智也はふと表情を変え、眞姫たちを見つめて呟いた。
「! 何をする気だ?」
「いくぜっ、祥太郎!」
「いつでもいいで、拓巳っ!」
 その声と同時に、ふたりが一斉に猛に攻撃を仕掛けた。
「ふんっ、返り討ちにしてくれる!」
 ブンッと大きな“邪気”をその手に漲らせて、猛は向かってくるふたりに放つ。
 祥太郎は咄嗟にその右手に“気”を宿し、防御壁を張った。
 大きな衝撃音をたて、猛の“邪気”と祥太郎の防御壁が激しくぶつかる。
「お返しや、いくでっ!!」
 祥太郎はそう言って、大きな“気”を連続して猛目がけて繰り出した。
 美しい光のすじが、いくつもに枝分かれして猛に襲いかかる。
「この程度の“気”で、この俺様にダメージを負わせられると思っているのか!?」
 祥太郎の“気”を次々と弾き飛ばし、猛は“邪気”をその手に再び集めた。
 その時。
「!! 何っ!? 何のつもりだっ!?」
「よしっ、後ろ取ったぜっ!! 姫!!」
 隙をついて背後に回った拓巳は、ガッと猛の太い腕を羽交い絞めにした。
「ありがとう、拓巳、祥ちゃん!」
 眞姫は急いで猛に駆け寄り、手を翳す。
 大切なのは、人を助けたいという意思と、自分を信じる心。
 そう心で何度も呟き、眞姫は瞳を閉じる。
「ぐおおぉっ! 離せっ!!」
「くっ、離してたまるかっ!!」
 暴れる猛の動きを、拓巳は歯をくいしばり必死に封じている。
 すうっと瞳を閉じ、眞姫は精神を集中させた。
 その瞬間、自分の中にある何らかの力が、急速に高まっているのを感じる。
 身体が熱くなるのを感じ、力が全身に漲るような……そんな不思議な感覚。
 そして眞姫を取り巻く光が、猛の全身をも包んだ、その時。
「!! ぐあぁぁっ!! か、身体が、熱いっ!!」
「うわっ!!」
 突然もがき苦しみだした猛に振り払われ、拓巳は地面に叩きつけられる。
 そしてすぐさま立ち上がり、その視線を眞姫に向けた。
「姫っ!!」
「姫っ!?」
 拓巳と祥太郎のふたりは、眞姫から感じる光の輝きに目を見張った。
「何だ、この“気”は!?」
 智也も顔をあげ、今まで感じたことのないような神々しい“気”に目を奪われる。
 そしてその光が、カアッと大きく弾けた。
「なっ!? これは!?」
 智也は信じられない表情で、今まさに目の前で起こったことに声をあげる。
 眞姫の“気”を浴びた猛の身体が、ドサッと地面に崩れ落ちるのが見えた。
 だがその身体は、“邪体変化”前の、人間の姿をした猛のものだったのだ。
「“邪体変化”を発動させる薬の効力で封印の解かれた猛の“邪”を、再びその身体に戻したというのか!?」
 智也は猛の姿を見て、そう驚いたように声をあげる。
 猛は、突然襲ってきた全身をかけめぐるその激痛に顔を歪めた。
「ぐっ! 薬で引き出された力が、破られただとっ!? しかも、身体の自由がきかない!?」
 猛は何とか身体を動かし、立ち上がろうとしたが……薬の副作用により、身体が痺れて思うように動かせないでいたのだ。
 その膝はガクガク振るえ、立とうとしてもすぐに地に崩れる。
「力、上手く使えた、かな……」
 それだけ言って、大量の“気”を一気に放出させた眞姫の身体が、ぐらりと揺れる。
「姫っ! おっとっ」
 そんな眞姫の身体を受け止め、拓巳はその腕でしっかりと支えた。
 そして祥太郎は、薬の副作用で身動きのとれない猛に歩み寄り、言った。
「アンタに残ってる選択肢は、ふたつのうちどっちかや。“邪”の力をもう二度と使えんよう自らの身体に完全に封じ込めるか、それともここで俺らに退治されるかや。さ、どうする?」
「くっ、まだ俺は、負けたわけじゃないっ! ぐっ!」
 猛はそう言って、僅かしか残っていない“邪気”を右手に集める。
 祥太郎はおもむろに、ふっとその瞳を眞姫に向けた。
 そしてじっと眞姫を見つめたまま、言った。
「姫、俺らの戦いは、姫が考えているよりもシビアなもんや。姫の言うように、助けられるヤツは助けたい。でもな、片付けないかんヤツもおるっちゅーこと、ちゃんと見といてな。祥太郎先生の今日の授業や」
「祥ちゃん……」
 眞姫は拓巳の腕に身を預けたまま、その瞳を祥太郎と猛の方に向ける。
 その時。
「くそっ!! そう簡単にやられて、たまるかっ!!」
 そう言って、最後の気力を振り絞って右手にためた“邪気”を、猛は祥太郎に向けて放った。
「……無駄な悪あがきや、兄ちゃん」
 祥太郎は、ふっと右手を翳す。
 猛の放った最後の“邪気”は輝きを失い、祥太郎の手のひらで難なく浄化された。
 それから祥太郎はその右手に、光り輝く大きな“気”を漲らせる。
「覚悟はええか? 跡形なく、消滅させてやるからなっ!!」
 眞姫はその美しい光から目を離さず、戦況をじっと見つめた。
 そして祥太郎はその光の漲った手を、ふっと振り下ろした。
 それと同時に眩い光があたりを包み、ドーンという大きな衝撃音が耳を劈く。
 激しい衝撃の余波が、一瞬にしてあたりに立ち込めた。
「…………」
 余波が晴れてきた頃、眞姫は猛がいた場所を、複雑な表情で見つめる。
“甘い考えでは試練に立ち向かえない、それくらい現実はシビアだ”
 いつか鳴海先生が言ったその言葉を、眞姫は思い出していた。
 祥太郎は次に、スッとその視線を智也に向けて言った。
「じゃ、次はアンタの番か?」
「…………」
 智也は、ふっと顔を上げた。
 そしてぎゅっと唇を結んだまま、祥太郎に鋭い目を向ける。
 漆黒に輝く智也のその瞳は、目の前の敵をその視線だけで貫きそうなくらい威圧的で、戦意に満ちていた。
 その智也の瞳を見て、眞姫はゾクッと寒気を覚える。
 今までに見たことがない、彼のその瞳の色。
 いつも眞姫に優しい微笑みを向ける智也の面影は、まったく消えていた。
 それから智也は、おもむろに無言で右手を掲げる。
 バチバチと激しい音をたて、瞬時に強大な“邪気”がその手に宿った。
 その力の大きさを示すかのように、彼の黒い短髪がなびいて揺れる。
 ……その時。
「待って智也、今日はそこまでにしておかない?」
 突然聞こえてきたその声に、智也はぴたりと動きを止めた。
「! つばさちゃん」
「ん? この間、さっきの化け物の兄ちゃんをコソコソ見張っとった姉ちゃんやないか」
「あら、あの時の能力者ね」
 にっこりと祥太郎に微笑んでから、智也の“結界”に入り込んだつばさは言った。
「さ、帰りましょう、智也」
「…………」
 一瞬だけ躊躇したが、くっと唇を噛んで、智也は翳していた右手をおさめる。
「おいちょっと待て、勝手なこと言ってんじゃねーよっ! あんたも“邪者”だろ」
 キッと目を向ける拓巳に、つばさは言った。
「あら、貴方たちにはいい話だと思うわよ? この“結界”が、私の“空間”で満たされている今となっては、ね」
「! 何やて!?」
「ちっ、いつの間にっ!」
 つばさは、改めて身構えるふたりを見てくすっと笑う。
 眞姫は、さっきまでと“結界”の雰囲気が違うことに気がついた。
 詩音の作り出す“空間”のような桜や薔薇などは見えないが……この“結界”の空気が、つばさと呼ばれた彼女を中心に流れているように思えた。
 それが彼女の言う、“結界”を“空間”で満たした、ということなのだろう。
 一通り全員の顔を見回してからにっこりと微笑んで、つばさはゆっくりと歩き出す。
「それでは“能力者”の皆さん、そして“浄化の巫女姫”様、ごきげんよう」
「…………」
 ふっと“結界”を解いたあと、つばさに続こうとした智也は、ちらりと眞姫に目を向ける。
 眞姫は自分を見つめるその瞳が、いつもの色に戻っているような気がした。
 だがその中には、優しさとともに、悲しい色も共存しているように思えたのだった。
「……今度はお茶しようね、眞姫ちゃん」
 そう言ってすっかり暗くなった空に溶け込むように、智也はつばさに続いて歩き出し、その場を去った。
「あの薬、猛でも“邪体変化”は引き起こせなかったわ。やはり、人工的に“邪体変化”を発動させるは無理のようね」
「だから言っただろうっ!? “邪体変化”は、あいつには無理だってなっ」
 眞姫たちが見えなくなって、智也はキッとつばさに視線を向ける。
 そんな智也の肩を労うように軽く叩き、つばさは言った。
「智也、お茶でもして帰りましょう? 私が奢ってあげるわ。だから、そんな顔しないで」
「…………」
 そして智也は無言のまま、複雑な表情でつばさを見つめたのだった。




「姫、大丈夫か?」
 心配そうな顔でそう言う拓巳に、少し体力も回復してきた眞姫はゆっくりと立ち上がってにっこりと笑う。
「うん、何とか大丈夫……拓巳と祥ちゃんは、大丈夫?」
「おうよ、俺はこのくらい何ともないぜっ」
「いつも悪魔にいじめられとるからなぁ、身体だけは丈夫なんや、拓巳ちゃんは」
「何だよっ、おまえだっていつも鳴海にボコられてるくせによっ」
 祥太郎の言葉にムッとした表情を浮かべる拓巳に、眞姫は微笑んだ。
「拓巳、いつも私を守ってくれて、ありがとうね」
「何言ってんだ、姫。お互い様だぜ? 姫の能力、すごかったしなっ」
 眞姫は照れたようにそう言う拓巳から、今度は祥太郎に視線を移す。
「いつもご指導ありがとうございます、祥太郎先生」
「姫……」
 祥太郎は眞姫の頭をよしよしと撫でて、優しく笑って言った。
「出来のいい生徒で、先生冥利につきるで? 姫」
 そして言葉を続けようとした、その時。
 祥太郎はふっと表情を変え、大きく溜め息をつく。
「んーまぁ、いつも結局本物のセンセが、オイシイとこ全部持っていくんやけどなぁ」
「……今さら現れて、何の用だよ」
 拓巳も面白くなさそうな顔をして、背後を振り返った。
 そこには。
「あっ、鳴海先生?」
「大丈夫か? 清家」
 相変わらず表情を変えず、突然現れた鳴海先生は眞姫に切れ長の瞳を向ける。
「大量の“気”を使ったため、今の君の身体には大きな負担がかかっている。私が車で家まで送ろう。向こうに車を止めてあるから移動しなさい」
 鳴海先生の言葉に、眞姫はきょとんとした表情を浮かべた。
「え? あ、でも」
「聞こえなかったのか? 移動しなさいと私は言ったんだ」
「あ、はい……」
 威圧的な口調に、思わず眞姫は頷いてしまう。
 そして、申し訳なさそうに祥太郎と拓巳に目を向けた。
 祥太郎は諦めたように手を振り、拓巳はじろっと鳴海先生を睨んでいる。
「行くぞ、清家」
「え? あ、ふたりとも、また学校でね」
 スタスタと先を歩く鳴海先生に急いでついて行きながら、眞姫は少年たちに手を振った。
 それからふたりの姿が見えなくなって、眞姫はふと足を止めて呼吸を整える。
 そして思わず、近くの電柱に もたれかかった。
 先程まではあまり分からなかったが、鳴海先生の言うように、身体が少し重いような感覚を眞姫はおぼえたのだ。
 そんな眞姫に、前を歩いていた先生はふと振り返る。
「歩くのもまだおぼつかないようだな……私の腕に掴まりなさい」
「え? あっ、ありがとうございます」
 予想外の先生の言葉に驚きながら、眞姫は遠慮がちにその腕に掴まった。
 その途端、鳴海先生の身体を流れるあたたかい大きな“気”を、眞姫は身体中で感じる。
「本当に君の成長の早さには驚かされる……困るくらいのその早さにな」
「鳴海先生?」
 ふと美しく輝く月を見てそう呟く鳴海先生に、眞姫は不思議そうな顔をした。
 そして月を見据えるその切れ長の瞳は、厳しさの影に優しさを隠し持っているようだと眞姫は思った。
 自分をじっと見つめる眞姫の視線に気がつき、鳴海先生はちらりと瞳に彼女の姿を映す。
「何か質問か? 清家」
「えっ? い、いえ。き、綺麗な月ですね」
 急に鳴海先生に見つめられて、眞姫はしどろもどろにそう言った。
「そうだな……」
 眞姫の言葉に頷いて、鳴海先生はその口にふっと笑みを浮かべる。
 この時、眞姫はキラキラと美しい輝きを湛える月を見つめながら、みんなのあたたかい優しさと、そしてこれから先どんなことが起こるのかという少しの不安。
 この両方を、心に感じていた。
 そして鳴海先生は、美しい月明かりに照らされている聖女をじっと見守るように、真っ直ぐと瞳にその姿を映したのだった。




 第2話「月照の聖女」あとがきへ