車のシートにだるい身体を預けながら、眞姫は流れる景色を黙って見ていた。
 何故だか、すぐ隣にいる鳴海先生を見れないでいたからだ。
 とはいえ、先ほど“邪”を追い払った直後に比べれば、身体のだるさもかなり抜けてきたような気がする。
(「そういえば、拓巳と祥ちゃんに何も言わないで帰っちゃったな。悪いことしちゃったかな」)
 青白い物体を追い払ってくれたふたりに何も言わず先生の車に乗ったことを、眞姫は思い出す。
 それと同時に、青白い物体が無数に向かってくる様子が脳裏に蘇り、再びゾクッと悪寒がはしった。
「清家、体調はどうだ?」
 そんな眞姫の様子に気がついてか、先生がそう言った。
 眞姫は、自分にその切れ長の瞳が向いていることに気がつき、途端に胸の鼓動が早まるのを感じる。
 そして先生の瞳を真っ直ぐ見ることができないまま、答えた。
「あ、はい。さっきよりもいいみたいです」
「そうか」
 再び車内に訪れる、沈黙。
 何故かドキドキしている胸を押さえてから、眞姫は恐る恐る先生を見る。
 冷静で厳しい……そんな言葉が、先生にはぴったりだ。
 でも。
 眞姫は改めて、隣の先生の顔をまじまじと見た。
 相変わらず近寄りがたい雰囲気を醸し出しながらも、先生は端整で綺麗な顔をしている。
 そう眞姫は、先生の横顔を見て思った。
(「あ、私ったら、何考えてるんだろう」)
 次の瞬間ハッと顔をあげて、眞姫は顔を赤らめる。
 みんなは、先生は自分のことを気に入っていると言うが、実際先生との会話は素っ気無いものだ。
 どう考えても、眞姫には気に入られているとは到底思えなかった。
 むしろ、フレンドリーとは程遠いような気さえするのに。
 そう、眞姫が考えていたその時。
「身体がだるくなるのは、“邪”の気である“邪気”にあてられたからだ。強い“邪気”に慣れていないと起こりうる現象だ」
 眞姫の方を見ないまま、先生が口を開いた。
 そして、一旦言葉を区切ってから、続ける。
「君は自分の中に眠っている能力について、どう考えている?」
 急に質問され眞姫は驚いた表情を浮かべたが、少し考えてから言った。
「私の中に本当にそんな力が眠っているかは分かりませんし、不安もたくさんあります。実際に、得体の知れない“邪”の存在が見えていることは事実ですし」
 先生は運転をしながらも、眞姫の言葉を黙って聞いている。
 その様子を確認してから、眞姫は再び流れる景色に視線を移した。
 天気のいい街並みには、たくさんの人が楽しそうに歩いている。
 そしてひとつ息をついて、眞姫は言った。
「でももしも、私の中にそんな力が眠っているのなら、それは受け止めないといけないと思います」
「まだ力が完全に覚醒していない君を、私たちは全力で守ろうと思っている。だが……」
 信号が赤になり、先生は車のブレーキを踏んだ。
 そして、眞姫の顔をふっと見つめる。
 その切れ長の瞳に見つめられ、眞姫の胸は再び心拍数をあげる。
 先生の瞳は、祥太郎たちに「悪魔」と言われている人のものとは思えないほど、綺麗なものに眞姫には見えた。
 それから先生は、言葉を続ける。
「確かに君は大切な“姫”だが、君はただ守られるだけの存在ではない。他の者を守るべき、強大な力を持っているのだ。そのことを、覚えておくように」
「他の人を、守る力」
 信号が青になり、再び車が走り出した。
 眞姫は黙って自分の両手をじっと見つめる。
 今は守られている自分だけど、自分も人を守ることができる。
 まだ自分にどれくらいの力があるのか、全くわからないけど。
 私を守ってくれる映研のみんな、そして先生を、信じてみようと眞姫は思った。
 そんな決意を固める眞姫を見て、先生は言った。
「とはいえ、無理をすることはない。時が満ちれば、おのずと君の力も開花するだろう」
「先生……」
 先生は人に誤解されやすいのかもしれない。
 思ったよりも、コワイ人じゃないのかもしれない。
 そう思って、眞姫は隣の先生の顔をじっと見つめた。
 そんな眞姫の視線に気がついて、先生は再び淡々と口を開く。
「どうした、清家。何か質問か?」
 じろっと自分を見る先生の瞳に、眞姫は思わず目を逸らしてしまった。
 やっぱりコワイ先生……かも、と。
 それから少し走って、先生はふと車を止める。
「到着だ、清家」
「え? あっ、ありがとうございます」
 ハッと顔をあげると、もう眞姫の家が目の前に見えていた。
 鞄を手に取り、眞姫は助手席のドアを開けて外に出る。
 そして、車のドアを閉めようとした時。
 ふっとある疑問が浮かんで、車の中を覗き込んだ。
「あの、先生。質問なんですけど」
「ん? 何だ」
「先生は、どうして私の家を知っているんですか?」
「……担当する生徒のことを、担任教師が知っていても不思議はない」
 少し答えに間があったとはいえ、そう冷静に先生はその問いに答える。
 その言葉に、眞姫は驚いた表情を浮かべた。
「じゃあ先生は、クラス全員の家知ってるっていうことですか!?」
「いや、そういうわけではないが……とにかく、君は早く帰宅してゆっくり休みなさい」
 強引に質問を打ち切られ、眞姫はそれ以上ツッこめなかった。
 そして仕切りなおして、頭を下げる。
「先生、送ってくださってありがとうございました。先生も、今から帰られるんですか?」
「私は今から学校に戻る。君を車で送ったことは、気にすることはない」
 それだけ言って、先生は前を向きハンドルを握った。
 眞姫はもう一度頭を下げ、助手席のドアを閉める。
 先生の車が走り去るのを見ながら、眞姫は家まで歩みを進めた。
 そしてふと立ち止まり、呟いた。
「今からまた、学校に戻るっていうことは……私のために、わざわざ?」
 鳴海先生も、いわゆる“気”の力を使えると拓巳は言っていた。
 あの不気味な物体が眞姫たちに迫ってきたのを察知し、かけつけてくれたのだろうか。
 そう思いながら少し嬉しい気持ちになりつつも、眞姫はあの先生の切れ長の瞳を思い出していた。




 眞姫を家まで送り届けて、鳴海先生はもと来た道を走っていた。
 強い“邪気”を感じた時、眞姫がその“邪気”にあてられて体調を崩すことが、彼には容易に予想ができていた。
 眞姫の近くに拓巳と祥太郎がいることも気がついており、“邪”を追い払うことができることも分かっていた。
 特に映研のメンバーには厳しく接している鳴海ではあったが、決して彼らのことを過小評価しているわけではない。
 かと言って、買いかぶりすぎていることもない。
 まだ眞姫も、5人の少年たちの能力も、完全なものではないのだ。
 これから経験することで、もっと今よりも力をつけることになるだろう。
 そう思った、その時。
 おもむろに、鳴海先生の携帯が鳴った。
 車を運転している時には絶対に携帯を取らない彼だが、着信者の名前を確認するとその携帯を取る。
「今運転中ですので、また折り返しこちらから連絡します……ええ」
 相変わらず表情を変えずに、鳴海は電話をかけてきた人物に淡々とそう言った。
 そして何度か相槌を打っていた、その時。
 ふっとはじめて、少しではあるが、先生の表情が変化する。
「そうですか。その話は、また後ほど詳しく」
 それだけ言って、通話を切った。
 だがその視線は、何かを考えているかのように一点を見据えている。
 流れていく景色に目も向けず、学校への道を急いだ。
「…………」
 それから10分程度で学校に戻ってきた鳴海は、ちらりと時計に目を移す。
 予定されている学年会議の時間が迫っていたので、足早に校内に歩を進めた。
 そして、定刻ぴったりに会議室に到着する。
 所定の席に座った先生は、ふとあたりを見回した。
 すでに時間が来ていることもあり、他の先生たちが思い思いに書類に目を通している。
「あとは、桑野先生だけですか?」
 学年主任の教師が、前の教卓でそう言った。
 その時。
「すみません、遅れました」
 ガラッと慌しく会議室に入ってきたのは、鳴海の同僚の国語教師・桑野だった。
 全員が揃って、会議が始まる。
 鳴海は会議の内容をメモに取りながらも、あたりに気を配るかのように時々顔をあげる仕草をしたのだった。