「あれ? 清家さん?」
「あっ、芝草くん?」
 眞姫は、驚いたような声をあげた。
 そこにいたのは、同じクラスの芝草准だった。
「どうしたの、視聴覚教室に? あ、鳴海先生に言われて来たの?」
 相変わらず穏やかな優しい笑顔を眞姫に向け、クラスメイトの芝草准は眞姫を視聴覚教室の中に招き入れる。
 眞姫は視聴覚教室の中に入ったと同時に、あっと小さく声をあげた。
 視聴覚教室にいたのは、4人の少年。
 しかも、知っている顔ばかりだったからだ。
「おっ、姫! よかったなぁ、あの鳴海に売り飛ばされんでっ。あ、なぁなぁ、今度寂しいウサギとデートせえへん?」
 調子よく関西弁で軽口を叩くのは、数学教室の前で会った、瀬崎祥太郎くん。
「随分と遠回りしたね、お姫様。途中でお花畑にでも寄り道したのかな?」
 相変わらず台詞が個性的な天才ピアニスト・梓詩音くん。
「おっ、姫も映研にっ? あ、オレ、さっきも言ったけど、Hクラスの小椋拓巳ってんだ、よろしく頼むぜっ」
 中庭で芝草くんと一緒に青白い物体を不思議な力で消した少年・小椋拓巳くん。
「僕たちも鳴海先生顧問の映画研究部のメンバーなんだよ、清家さん」
 おっとりとして知性に満ちた優しい笑顔を湛えるクラスメート・芝草准くん。
 そして。
 その時……眞姫の後ろで、ガチャッと再び視聴覚教室のドアが開いた。
 視聴覚教室に新たに入ってきたのは、ひとりの少年。
「あっ!」
 眞姫は視聴覚教室に遅れて入ってきた少年を見て、驚いた表情を浮かべる。
「あ、おまえ……朝の」
 驚く眞姫とは反対に、その少年は表情を変えずに言った。
 その場に立っていたのは、紛れもなく朝眞姫のことを助けてくれた、片方が青い瞳の少年・蒼井健人だった。
「よかったね、健人。あと3分27秒来るのが遅かったら、あの悪魔よりも遅れていたよ? 悪魔に打ち勝つ君の強運、僕はいつも驚かされるよ」
 ピアニストの詩音が、青い目の少年・健人にそう言った。
「悪魔か、上手いコト言うなぁ」
 祥太郎が、楽しそうにヒューッと軽く口笛を吹く。
「悪魔に聞こえたら、おまえらまとめて地獄に落とされるぞ、マジでっ」
 わははっと豪快に笑いながら、拓巳は楽しそうな表情を浮かべる。
「ていうか、本当に聞こえたらただじゃおかないよ、みんな」
 本気でハラハラして、准は外に声が漏れていないかを気にしている。
「あ、悪魔?」
 よく会話がわからない眞姫は、不思議そうに少年たちを見た。
 そんな眞姫の様子に気がついて、詩音は言った。
「ほら、耳を澄ましてごらん、お姫様。悪魔の足音が聞こえないかい?」
 にっこり笑う詩音に、眞姫は首を傾げる。
 と、その時。
 視聴覚室のドアが、おもむろに開いた。
「全員揃っているな、よろしい」
「な、鳴海先生」
 悪魔ってもしかして……と、もう少しで声に出しそうになるのをこらえて、眞姫は正午ちょうどに現れた鳴海先生に目を向ける。
「では、ミーティングを行う。所定の席に速やかにつきなさい」
 先生の一声に、少年たちはぞろぞろと隣の視聴覚準備室に入っていく。
「君も来たまえ」
 呆然と立っている眞姫に、先生は短くそう言った。
 カタカナのコの字に並べられた机に、少年たちはすでに席についている。
 准の隣の、一番入り口に近い席に眞姫を座らせてから、先生は口を開いた。
「では、ミーティングをはじめる。今日から見て分かるように、新たにBクラスの清家眞姫が映画研究部に入部することになった」
 よっ、と祥太郎が調子よくチャカしたが、じろりと先生に睨まれいたずらっ子のように舌を出した。
 そして先生は一息ついたあと、健人に視線を移す。
「今日のミーティングだが……健人、早速今朝あったことを報告してくれ」
「当事者が来ているんだ、彼女に聞いた方がいいんじゃないか?」
 ちらりと健人は、眞姫の方を見てそう言った。
 先生は、健人から眞姫に目を向ける。
「清家、今朝あったことを話してもらえるか」
「今朝あったことって……あの、よくわからない物体に襲われたことですか?」
 映画研究部とはかけ離れた話題に、眞姫はきょとんとする。
 眞姫の言葉に、先生はこくんと頷いた。
 眞姫は、朝の出来事を少しずつ整理しながら、話し始める。
「朝、地下鉄に乗ろうとしたら駅のホームが驚くぐらいに静かで、誰もいなかったんです。そしたら、急に悪寒がはしって。顔を上げるとホームのすみに青白く生気のない、人のカタチはしてるけどこの世のものとは思えない物体が……それが、ゆっくりと私に近づいてきて。そしてその物体が私の腕を掴まえようとした時に、蒼井健人くんが助けてくれたんです」
 しどろもどろに、眞姫はそこまで言って先生を見た。
 十分だといわんばかりに頷いて、先生は無言で健人に目を向ける。
 健人は、続けて口を開いた。
「俺が駅に着いた時、邪気を感じたんだ。そしたら、そこのお姫様が“結界”に閉じ込められていたんだよ。幸い、実体のない大した手ごたえのない“邪”だったんだがな」
「ちょっと待ってや、実体のない“邪”が“結界”を張ることなんて、普通できんやろ?」
 祥太郎が、健人の言葉を遮ってそう言った。
「おそらく、“邪”の実態……本体は、別のところにあるんだと思う。そいつは邪気を操って人型の物体を作り出せる能力があるヤツじゃないかと。その作り出された青白い物体自体は、まるで手ごたえがなかったからな」
 祥太郎を見ながら、健人は表情を変えない。
 そんな健人の言葉に、思い出したように准が口を開く。
「さっき学校の中庭で、僕と拓巳が対峙した“邪”もそんな感じでした」
「ああ、まるで弱っちいヤツだったぜ」
 准の言葉に、拓巳もうんうんと頷いた。
「そうか」
 今までの少年たちの話を聞いて、鳴海先生は何かを考える仕草する。
 たぶん、自分も目にした状況を少年たちが話していることは分かった眞姫だったが。
 それにしても、よく言っている意味がわからないし、明らかに今している話は映研のミーティングではない。
「あ、あの……」
 眞姫は、恐る恐る先生に声をかけた。
 少年たち全員の目が、一斉に眞姫に注がれる。
 ちょっと遠慮気味に、眞姫は言った。
「ごめんなさい、何が何だか……よくわからないんですけど」
「そうだな、君にはまだ何も説明していなかったな」
 切れ長の瞳を眞姫に向けてから、先生は話を続けた。
「君は、見えるはずのないものが、昔から見えていたな?」
「え? それを、どうして!?」
 突然、思いがけないことを聞かれ、眞姫は驚いたように先生を見つめる。
「その“見えるはずないもの”だが、大抵は人間には無害なものだ。一般には“霊”と呼ばれるような類のものがそれだ。だが、そんな人間に見えないものの中には、私たちにとって有害なものも存在する。その有害なものを、私たちは“邪”と呼んでいる。ここまでは理解できるな?」
「はい。今日の、青白い物体とかが……“邪”なんですね」
 眞姫の言葉に、先生はその通りだというように頷く。
「そうだ。“邪”は“霊”と同じく、通常は普通の人には見えない実体のない精神体のような存在なのだが……“邪”の中には、さらに強い力を得るために身体を欲するものがいる。“邪”が人間の身体を乗っ取ろうとするわけだ。人間の身体を奪った“邪”は、精神体の時の何倍もの知能と力を手にする。“邪”の性質は残忍で凶暴なものであり、人間の身体を与えてはいけないのだが……しかしながら、“邪”は普通の人間には見えない。よって“邪”の姿が見え、退治できる力を持つ者が、それを阻止しなければならないというわけだ」
「じゃあ、あの見えない“壁”みたいな“結界”っていうものや、青白い物体を消すことのできる眩い光なんかも、その“邪”と戦うための力っていうことですよね?」
 今日自分が見たことを一生懸命思い出しながら、眞姫は確認するように言った。
 先生は、そんな眞姫に視線を向けたまま、話を続ける。
「“邪”と戦うために、私たちは身体に宿る“気”の力を使う。その形態は個人で多少異なるが、君の言う眩い光とは、その“気”のことだ。そして、その“気”の力は大きい。建物なども軽く破壊できる威力を持つ。よって周りに被害が及ばぬよう、“邪”や自分たちだけを“気”の壁で作った別空間に移動させ、そこで戦う。その別空間を“結界”と呼ぶ」
「それで、そんな力を持つ者が、ここにいるメンバーってことですよね。でも私は、見えないはずのものがただ見えるだけで、そんな退治するような力はないんですけど」
 眞姫の言葉に、先生はふっと笑った。
「そんな力はない? 清家、それは違う。では、次は君自身の話をしよう」
「私自身の?」
「“邪”と戦う力を持つ人間の中でも、さらに特別な能力を持つ者が極稀に生まれる。他の者が使えない能力を持ち、ずば抜けて強大な力がある存在……人間の生存を脅かすような力のある強大な“邪”が蘇る時、またその存在もこの世に降臨すると言われている。その特別な存在・現代の“浄化の巫女姫”こそ、清家、君だ」
 その言葉に、眞姫は驚いた瞳を先生に向ける。
「え? わ、私が? でも、さっきも言った通り、私にはそんな強大な力はおろか……ただ、その“邪”の姿を見ることしかできないんですけど」
「それはまだ、君が自分の能力を自覚していないために上手く力を使いこなせていないからだ。今日のことを考えても、君は准の張った“結界”に、無意識のうちに入り込むことができた。君の潜在能力が高い証拠だ」
「でも、私……」
「さっき“邪”は人間の身体を乗っ取ることで力と知恵を得る、と言ったな。その乗っ取る媒体の人間の能力が高いほど、その“邪”の能力も強大なものになる。すなわち、“邪”にとって君は、喉から手がでるほど欲しい魅力的な媒体になるのだ。しかも、まだ君の中に力が眠っている今が“邪”にとって絶好の機会。“浄化の巫女姫”の力は他の者とは比べものにならない程大きなものだが、その強大さ故に、能力が完璧なものになるまでに時間がかかる。君の能力が完全なものになるまで、君を“邪”から守ることが……ここにいる我々の使命、というわけだ」
 眞姫は、視聴覚準備室を一度ぐるりと見回した。
 少年たちは皆じっと黙って、真剣な面持ちをしている。
「でも、急にそんなことを言われても……」
「このような話、すぐに信じろというほうが無理な話だ。これからいろいろ経験することで理解もできるようになるし、力も使えるようになるだろう」
 眞姫の言葉を遮るように、先生はそう言い放った。
 眞姫はそんな先生に、ふと疑問に思ったことを口にする。
「あの、もうひとつ、わからないことがあるんですけど」
「何だ? 遠慮なく言ってみなさい」
 切れ長の瞳が、再び眞姫に向けられる。
 恐る恐る、眞姫は言った。
「それで、映画研究部とこの話……どう関係しているんでしょうか」
 眞姫のその言葉に、今まで黙って話を聞いていた少年たちは、全員きょとんとした顔をする。
 そして。
「……おまえ、今までの話のどこをどう聞けば、映画と関係あるものと思えるんだ?」
 健人は呆れたように、ふうっと溜め息をついた。
「え? だから、それがわからないから聞いたんだけど」
 不思議そうな顔を健人に向け、眞姫は目をぱちくりさせる。
「それって、本気で映画と何か関係あると思って言ってるのか?」
 拓巳はそんな眞姫の様子に、驚いた表情を見せている。
「え? だってこれって、映画研究部のミーティング、だよね?」
「ひ、姫、めっちゃ可愛すぎやっ。反則やで、その天然っ」
 祥太郎は、そう言って笑いながら眞姫を見た。
「清家さん、映画研究部は、単なる僕たちが集まる口実なんだよ」
 准は眞姫に微笑みながらそう説明する。
「あっ、そういうことなんだ」
 准の言葉で、やっと眞姫はこの“映研”の実態が理解できた。
「ふふ、僕のお姫様はとてもお茶目さんなんだね」
 机に頬杖をつきながら、詩音はにこにこと眞姫を見つめている。
 先生はそんなやりとりを一通り見守ったあと、大きく溜め息をついて言った。
「それから清家。はじめに言い忘れたが、この映画研究部のモットーは『映画を観て感性を育みながら“邪”と戦うべく力を蓄える』だ。決してただのダミークラブではない。おまえたちも、わかっているな? 映画研究部という名前を掲げている以上、活動もきちんと行う。活動日は毎週木曜日だ。そのつもりでいるように」
「…………」
 何だかすごいモットーだと、口には出さなかったが、眞姫は思った。
「私の話は以上だ。何か質問はあるか?」
 質問といっても、話が突拍子すぎて理解することすら容易ではない。
 とにかく、ここに集まっている少年たちはみんな“邪”と戦う特別な力を持っていて、まだ力の使えない自分を守る使命がある、ということでいいんだろうか。
 そして、自分は“邪”にとって絶好の獲物で……つまり“邪”は、私の身体を乗っ取ろうと狙っている、と。
 そこまで考えて、眞姫はゾクッと全身に鳥肌がたった。
 得体も知れないものに狙われているなんて、考えただけで恐ろしい。
 しかも自分には、自分の身を守る力すら、まだろくに使えないのだ。
「質問がないのならば、本日のミーティングは終了する」
 先生は、短くそう言って視聴覚準備室から出て行く。
 少年たちも、先生に続くように準備室を出た。
 眞姫も慌てて、そのあとに続く。
 鳴海先生が視聴覚教室から職員室に戻ったあと、眞姫は大きくひとつ溜め息をついた。
 何だか、ドッと疲れが急にこみあげてくる。
「急にあんな現実味のない話をされて、混乱してるんじゃない? 大丈夫?」
 そんな眞姫の様子に気がついて、准は言葉をかけた。
「え? うん、すごく驚くような話ばっかりだったけど……でも、今日一日で起こったことがだいたい納得できたような気がするから、よかったと思う」
「オレは最初、鳴海からこの話を聞いた時は信じられなかったけどな。さすが、姫は納得できたんだな」
 何故か感心したように、拓巳はそう言った。
「まぁまぁっ、可愛らしい姫が、男ばっかりやったこの部活に入ってくれたんや。歓迎会パーッとしようやないかっ」
「お、いいな! 確か、ジュースとお菓子あったよな」
 祥太郎の提案に、拓巳は楽しそうに頷く。
「あ、そういえば私、おなかすいたかも」
 眞姫は、朝から何も食べていなかったことを思い出して、おなかに手を当てた。
「ああ、ここにグランドピアノがあれば、お姫様のために歓迎の旋律を奏でてあげられたのに」
「それ以前にグランドピアノ置くスペースないし、詩音」
 本気で残念そうな顔をしている詩音に、健人は冷静にツッこんだ。
「清家さんは、まだ時間大丈夫なの?」
 わいわい盛り上がっている祥太郎と拓巳を後目に、准は申し訳なさそうに眞姫に聞いた。
「うん、気を使ってくれなくても大丈夫よ。ありがとう、芝草くん」
「あー、もう同じ映研の仲間なんやから、苗字に「くん」や「さん」付けで呼ぶのなんてやめようや。あ、俺のことは“祥ちゃん”でも“だーりん”でも“うさぴょん”でも、どれでもええで、姫っ」
 眞姫と准の肩をポンポンッと叩いて、祥太郎は笑った。
「あっ、姫、オレのことも“拓巳”で構わねえぜ」
「ていうか、私のことはあくまで“姫”なんだ……」
 祥太郎と拓巳の言葉に、眞姫は溜め息をつく。
 そして、それから思い出したかのように眞姫は今度は准に視線を移す。
「あ、ねえ、それとさ、疑問に思ったんだけど」
「ん? どうしたの?」
「みんな、同じ1年だよね。今日入学したばかりなのに、お互いのことや鳴海先生のこと、前から知っているみたいだけど」
 眞姫の質問に答えたのは、准ではなく拓巳だった。
「1年くらい前によ、鳴海にオレたち全員集められて、入学までの間、思い出したくもないような地獄のような鳴海曰く『強化特訓』されたんだよ」
「強化特訓?」
 はあっと溜め息をついてから、健人は拓巳の言葉に続いた。
「俺たちが“邪”と戦えるよう、“気”の使い方をはじめ、あらゆる武術や何故か受験勉強まで、いろいろ鳴海先生に叩き込まれたんだよ」
「アイツ、マジでヤバイから姫も気ぃつけや。何や、姫のこと気に入ってるみたいやし」
祥太郎の言葉に、眞姫はきょとんとする。
「き、気に入ってる? そうかなぁ」
 あんなに会話だって事務的で冷たいのに。気に入られているとは、到底思えない。
 そんな眞姫に、詩音はふっと微笑む。
「そうだね。君は、この僕のお姫様なのにね」
 准は、うーんと考え込んでしまった眞姫に笑顔で言った。
「とにかく、これからは姫も僕たちの仲間だよ。よろしくね」
「んじゃ、まぁ景気付けにファンタで乾杯しようぜ! 姫はオレンジとグレープ、どっちがいいんだ?」
 拓巳から紙コップを受け取り、眞姫は笑顔を浮かべる。
「私、オレンジがいいな」
「おっ、俺もオレンジが好きやねんっ、俺たち気が合うなぁ、姫っ」
「あっ、祥太郎、おまえ姫にベタベタすんなっ」
 眞姫の肩をギュッと抱く祥太郎を引き離し、拓巳は人数分のファンタを紙コップに注いだ。
「じゃあ、姫の入部を祝して……乾杯!」
 それから、ジュースとお菓子で楽しい歓迎会が始まり……和気藹々とした時間が続いた。
 そして結局眞姫が家路に着いたのは、すでに日が傾くくらいの時間になっていたのだった。