数日前までの雨が嘘のように、空には一面、秋晴れが広がっている。
 そんな天気の良い日の昼休み。
 図書館にいた祥太郎は、まだ午後の授業開始まで時間の余裕があることを、お洒落な腕時計でちらりと確認した。
 普段から本が好きな眞姫や准とは違い、彼が進んで図書館を訪れることは珍しい。
 とはいえ、読書に目覚めたわけではなく。
 授業で出された課題の資料を探しに、必要に迫られてやってきたのである。
 だが、普段図書館を利用しなれていないため、なかなかお目当ての本が見当たらない。
 愛想のない図書館司書に本の在りかを訊くことは気が乗らないが。
 このまま大量の蔵書と睨めっこしていても、時間の無駄である。
 そう判断し、はあっとひとつ溜息をついて、祥太郎は図書館のカウンターへと歩き出した。
 だが――その時。
「……!」
 おもむろに足を止めて祥太郎は目を見開く。
 ある人物の姿が、目に飛び込んできたからであった。
 しかもその人物は、どうやら何か困っている様子である。
 祥太郎は自分も困っているということを忘れ、すぐさまハンサムな顔に笑みを浮かべると、図書館のカウンターとは全く別の方向へと足を向けた。
 そしてすかさず、その人物に話しかけたのだった。
「可愛いお姫様、どの本をお取りしましょーか?」
 祥太郎はそう言って、その少女・眞姫ににっこりと微笑む。
 声を掛けられた眞姫は一瞬驚いた表情を浮かべたが。
 相手が祥太郎だと分かると、すぐに笑顔を取り戻し、言った。
「あの上段の二番目の本を取りたかったんだけど、手が届かなくて。脚立を持ってこようとしてたところだったの」
「えーと、上段の二番目っと……これやな。どうぞ、お姫様」
 長身を生かし、祥太郎は難なく眞姫の言う本を手にする。
 眞姫は本を受け取ると、嬉しそうに微笑んだ。
「どうもありがとう、祥ちゃん」
「いやいや、お礼言われるほど大したことやないしな。てか、お礼はデート1回でええで?」
 おどける祥太郎に眞姫は小さく首を傾け、屈託のない表情で言葉を返す。
「本当に助かったよ、ありがとう。ところで、祥ちゃんが図書館って珍しいよね?」
「……デートはスルーかいっ。って、課題の資料を探しに来たんやけどな、なかなか見つからんでな」
「課題の資料? あ、それならこっちだよ」
 祥太郎が探していた場所とは見当違いの本棚を指差し、眞姫は祥太郎を促す。
 それから彼女のおかげで、祥太郎はすぐにお目当ての資料を見つけることができたのだった。
 無事に図書館のカウンターで本の貸し出し手続きを済ませ、祥太郎はちゃっかり眞姫とともに図書館を後にする。
「ありがとな、姫。お、そうや、本を見つけてくれたお礼に今度デートせえへん?」
 教室へと向かう廊下を歩きながら、懲りずに再びそう誘ってみた祥太郎だが。
「資料、見つかってよかったね。あ、せっかくだから教室まで一緒に戻ろうか」
「姫……やっぱ、わざとか? わざとなんか??」
 一度ならず二度もデートの話を見事にスルーされ、祥太郎がガクリと肩を落とす。
「?」
 眞姫はそんな祥太郎の様子に、きょとんとしている。
 彼女に悪気は全くないのだろう。
 眞姫の鈍さを知っている祥太郎は仕方ないと苦笑しつつも、気を取り直すようにコホンとひとつ咳払いをする。
 これでめげては男が廃る。
 今までのデートの誘いは華麗にスルーされたが。
 せっかくの、眞姫とふたりきりの機会である。
 諦めず今度は違う角度から攻めてみようと、祥太郎は再び話を振ってみる。
「そういや、姫。先週駅の近くにできたケーキ屋、もう行ってみたか?」
「あ、あそこでしょ? 気にはなってるんだけど、まだ行ったことないんだ。祥ちゃんはもう行った? あのケーキ屋さん、有名なお店の姉妹店なんだってね」
「俺もまだなんやけど、いつか行ってみたいなーとは思っとるんや。有名なパティシエのケーキ屋って、綾乃ちゃんも騒いどったからな」
 そう言いつつ、祥太郎はちらりと眞姫に目を向ける。
 ここまで話を持ってくれば、あとは。
 今度そのケーキ屋に一緒に行こうと提案すれば、デートの誘いは完璧である。
 そう思い、祥太郎は満を持して口を開こうとしたが。
 それよりも、僅かに先に。
 眞姫がこう言ったのだった。
「綾乃ちゃんが? 綾乃ちゃん、甘い物好きだもんね。そういえば最近会ってないな……祥ちゃんは最近、綾乃ちゃんに会った?」
「え? んー最近っちゅーか、先々週くらいに電話があったな。実際に会ったのは、1ヶ月前くらいかな」
「私もそれくらい前かなぁ、梨華と一緒の時だったよ。んーもうちょっと前かも」
「あの子もいろいろ忙しいみたいやし、それに気まぐれ屋さんやからなぁ。頻繁に連絡ある時もあれば、ぱったりと音沙汰なかったり。で、今は連絡ない周期みたいやな」
「いろいろ忙しい、か……」
 眞姫は祥太郎の言葉を聞いて、少し複雑な表情をする。
 それから、遠慮気味に彼にこう訊いたのだった。
「祥ちゃんは、綾乃ちゃんと仲がいいでしょ? でも、ふたりは“能力者”と“邪者”って関係でもあるわけで……ほかのみんなは、“邪者”は敵だっていう意識が強いんだなって見てて思うんだけど、祥ちゃんはそういう面ではちょっと違うみたいだよね」
 訊きにくそうに言葉を選ぶ眞姫とは逆に。
 祥太郎は間を置くこともなく、難なく彼女の問いに答える。
「まぁ綾乃ちゃんとプライベートで遊ぶ時に、“能力者”とか“邪者”とかそーいう話はせんからなぁ。普通の友達と、意識的には大して変わらん感じやな」
「そっか……」
 眞姫はそれだけ言うと、口を噤んでしまう。
 その先のことを彼女は訊けなかったのである。
 もしも綾乃が“邪者”として、彼の前に現れた場合のことを……。
 祥太郎はそんな眞姫の様子を見て、彼女の心境を察する。
 そして、こう言葉を続けたのだった。
「まぁ、ほかのやつらみたいに、一概に“邪者”やからすぐ殺気立つってことはないとはいえ、俺も“能力者”や。いろんな意味で、“能力者”として生きるって決めた時点である程度の覚悟はしとるつもりやで。とはいえ、まぁ何事も、なるようにしかならんからな」
「祥ちゃん……」
 “邪者”をすべて敵だと最初から見做(な)すよりも。
 祥太郎のような考え方をする人の方が、心の内に抱える複雑な思いは大きいだろう。
 それは、厳しい世界で生きていく上では甘い考えであるかもしれない。
 だが眞姫は、敢えて“邪者”である綾乃との仲を円滑に保つ祥太郎に、自分なりのスタンスを決して曲げない芯の強さを感じる。
 そして、一見軽い感じに見えて、実は人一倍物事に関してひとつひとつ几帳面に真面目に向き合う様が、とても彼らしいと。
 それに。
「とはいえ、綾乃ちゃん強いからなー。ドンパチよりはデートの方が数百万倍ええなぁ」
 口数が少なくなった眞姫に、祥太郎はおどけた口調で言った。
 複雑な表情を浮かべていた自分に対する、彼のそんなさり気ない気遣い。
 何よりも、祥太郎の洞察力の鋭さと気配りのできる優しさを、眞姫はこの時改めて感じたのだった。
 祥太郎は眞姫に歩調を合わせながら、彼女の表情が元通り柔らかくなったことを確認して安心したように前髪をそっとかき上げる。
 それからふとあることに気が付き、顔を上げた。
 話がかなり逸れてしまったが。
 肝心な用件が、そういえばまだであった。
 二人で話し込んでいるうちに、教室までの距離もいつの間にかあと僅かになっている。
 祥太郎は気を取り直すように小さく深呼吸をすると、改めて口を開いた。
「なぁ、姫。それでな、さっきのケーキ屋なんやけど……」
 ――その時だった。
「姫! ……に、祥太郎」
 祥太郎は声の主を確認し、ぎょっと瞳を見開く。
「あっ、健人?」
 目の前の2年Aクラスの教室から出てきたのは、健人であった。
 にっこりと健人に微笑む眞姫とは逆に、祥太郎はわざとらしく溜め息をついて呟く。
「なんちゅータイミングや、美少年……これからが本番やったのに」
「……何が本番だ?」
 祥太郎のことだ、眞姫をデートにでも誘おうとしていたのだろう。
 それが彼の日頃の行いや先ほどの言動で容易に予想できた健人は、じろっと青い瞳で祥太郎を見た。
 眞姫はひとり暢気に、健人の気持ちも祥太郎の思惑も知らず、何ら普段と変わりない笑顔を彼らに向ける。
「図書館で祥ちゃんに会ってね、一緒に戻ってきたの」
 いつもは彼女の鈍さに肩透かしを食らってばかりであるが。
 今回はどうやらそれが幸いしたようである。
 健人は、優しく瞳を細めて彼女に視線を返す。
 逆に目論見が叶わなかった祥太郎はもう一度大きく嘆息した後、眞姫に言った。
「んじゃ姫、今度ハンサムくんと一緒にケーキ屋行こうなーっ」
 本心は、具体的な日時の決定までこじつけたかったが。
 ライバルである健人が乱入してきた以上、それはもう無理である。
 強引に話を進めようとしても、邪魔をされるのがオチであるからだ。
 祥太郎はハンサムな容姿に笑顔を宿しつつ、今回は諦めて次の機会を狙おうと、さり気なくケーキ屋のことをアピールすることも忘れていない。
 健人は抜かりない祥太郎の様子に少し眉を顰めながらも、聞こえ始めた予鈴に気が付き、眞姫に軽く手を上げた。
「またな、姫」
「うん。じゃあふたりとも、またね」
 眞姫は健人と祥太郎に交互に手を振り、自分の教室へと歩き出した。
 その後姿を見つめながら、祥太郎は残念そうに本音を漏らす。
「あーもうちょいで、お姫様との甘い甘ーいスイーツデートやったっちゅーのに。よう邪魔してくれたなぁ、美少年」
「おまえだって、いつも散々人の間に割り込んでくるだろ。お互い様だ」
「ライバルが多いのも考えもんやなぁ。ま、でも一番の難関は、お姫様のあの鈍さやけどな……」
 何度もデートの話をスルーされたことを思い出し、祥太郎は小さくなる眞姫の背中にそう呟く。
 決してわざとではないのが、余計にもどかしい。
 だがそんな思いをしているのが自分だけではないことが、僅かに救いかもしれない。
 祥太郎はそう思いながらも、同じく彼女の鈍さにいつも苦労している健人の肩をぽんぽんっと叩くと、午後の授業が始まる教室に入っていったのだった。