雨脚は一層強くなり、空から落ちる雨粒がアスファルトに弾けては散っている。
激しい雨のためか、夕方の帰宅ラッシュが始まろうかという時間帯にもかかわらず、繁華街を歩く人の姿は心なしか普段よりも少ない。
だが、そんな外の様相など、全く関係ないように。
繁華街の喫茶店で、眞姫と拓巳は楽しそうに雑談を交わしていた。
特に二人共通の趣味があるというわけではないが。
不思議と、その会話が途切れることはない。
何を話していたのかといえば、本当に大したことのない日常会話ばかりであるが。
だが、そんな他愛のない普通の会話がふたりにとって楽しいものなのだった。
拓巳は眞姫に特別な感情を抱いているため、彼女との時間が至福だと感じることは当然といえば当然なのだが。
眞姫の方も、恋愛的な感情とは今のところ別物ではあるとはいえ、拓巳とは性格も話も合うと思っていた。
そして、彼といると自然と笑顔になれる自分に気がついていたし、拓巳の話を聞くことも、自分の話を聞いてもらうのも好きなのである。
「拓巳、そういえば今日は何で放課後、鳴海先生に怒られたの?」
目の前のマロンパフェをスプーンでひとすくいし、眞姫は小首を傾げる。
拓巳は思い出して苦い表情を浮かべながらテーブルに頬杖をついた。
「ああ、数学のプリントをよ、5分提出時間過ぎて出したんだ。たった5分なのにあいつ、ガミガミうるせーったらねぇんだよ。しかも、挙句には“気”まで放つんだぜ!? どんだけ校内暴力だってのっ」
納得いかない様子でブツブツと文句を言う拓巳に眞姫は優しく瞳を細める。
その拓巳の言葉だけで、その場がどういう状況でどういう展開であったのか、ある程度は予想がつくからだ。
先生に時間厳守を説教され、拓巳はいつもの如く反抗的な態度をとったと思われる。
そしてそれがまたいつものパターンで、結果的に先生が“気”を放つまでの要因になったのだろう。
そもそもの原因は、拓巳が数学のプリントの提出期限を守らなかった所為なのであるが……。
眞姫は、全く懲りない拓巳とそして同じく相変わらずな鳴海先生を微笑ましく思いながら言った。
「なんか、拓巳と先生らしいよね」
思わず笑みを零し、眞姫はくすくすと笑い出す。
鳴海先生とのやり取りを思い出して今まで苦い表情を浮かべていた拓巳だったが。
にっこりと自分に微笑む眞姫の様子に、一瞬見惚れてしまう。
それから少し照れたように慌てて彼女から視線を外すと、小声でぽつりと呟いた。
「鳴海はすげームカつくけどよ。まぁ、そのおかげで……」
「え? 何、拓巳?」
「えっ!? い、いや、そのっ……その、その姫のマロンパフェ、美味そうだなっ」
わははっと誤魔化す様に笑った後、拓巳は何とか苦し紛れにそう言った。
だが、全く彼の心内を知らない眞姫は、暢気に頷く。
「あ、うん。やっぱり秋は栗よね。こんなに美味しいのにこの季節しかないもんね、マロンパフェ」
「そ、そうだな」
ふーっと大きく息を吐きながら、拓巳は気持ちを落ち着かせるようにお冷をぐいっと飲む。
鳴海先生から説教と“気”を食らったのは非常に気に食わなかったが。
そのおかげで……想いを寄せる眞姫と相合傘ができた上に、こうやって一緒にお茶できたのだ。
そして思わず、そんな幸せ一杯な気持ちが口から出そうになったが。
既のところで言葉を飲み込み、拓巳は漆黒の前髪をかき上げてから、ちらりと目の前の眞姫に視線を向ける。
眞姫は拓巳の動揺も相変わらず気づかずに、紅茶を口に運んでふっと一息ついていた。
だが――その時。
「あ、あれ……」
ティーカップをおもむろに置いた眞姫は、ふとそう言葉を漏らす。
そして、その表情を僅かに変化させたのだった。
今までと違い、その両の大きな瞳は、拓巳ではない別の何かを映しているようである。
それに気が付いた拓巳は眞姫の視線を追い、思わず声を上げた。
「! あれって、もしかして」
――彼女の視線の先にあったもの。
拓巳は大きな黒の瞳を見開き、数度瞬きをする。
眞姫は拓巳に視線を戻すと小さく頷いた。
「うん……あの人、だよね」
それだけ言って眞姫はもう一度、隣のテーブルをさり気なく見つめる。
正確にいえば……隣のテーブルに置かれている、あるもの。
それは、一冊のファッション雑誌だった。
そしてその表紙を飾っているのは――あの、杜木慎一郎だったのである。
目を瞠るような整った美形であるのはもちろんだが。
雑誌という媒体を通して見ても、彼のカリスマ性は圧倒的な存在感を醸し出していた。
「あの人、そんなに普段は雑誌の取材とか応じないみたいなのにね」
自社ブランドの経営にも携わっており専属モデルでもある彼が、ファッションショー以外で、雑誌などのマスメディアに露出することは滅多にない。
だが、特別な能力を持っていない一般人でも、彼の魅力には惹きつけられるようで。
容姿端麗なだけでなく露出が少ないという希少性も相まり、彼は人気のトップモデルとして名を馳せているのである。
「モデルとか、俺はそーいうのよく知らないけどよ。表紙って、やっぱすげーんだろ?」
ファッション業界に疎い拓巳は小首を傾げる。
それからふと無意識に表情を変え、こう続けた。
「でもよ、そんな人気のモデルとかやってるヤツが、“邪者”のボスとはな」
「……うん」
以前、拓巳は杜木と相対したことがあり、彼の“邪気”の強さを目の当たりにしている。
そのためか、自然と“能力者”としての険しい顔つきになっている拓巳を、眞姫は複雑な心境で見つめる。
杜木は、ただの“邪者”ではない。
元・“能力者”であり、鳴海先生の親友だった人物なのだ。
彼らの過去に起こった悲しい出来事を思い出し、眞姫は言葉を切って俯いてしまう。
「悲しいよね……親友だった人同士が、今は敵だなんて」
「姫……」
拓巳はふっと小さく息をつく。
それから、彼女にこう話し始めたのだった。
「姫によ、あの杜木ってヤツの過去の話聞いてから、俺なりにいろいろ考えてみたんだけどな……あの杜木ってヤツは多分ものすごく頭が良くて、そして“デキる人間”なんだろーなって」
「え?」
眞姫は持っていたティーカップをカチャリと置いた後、目の前の拓巳を見つめた。
そんな彼女の視線に少し照れたように頭をそっとかき上げてから、拓巳は少しずつ考えるようにゆっくりと続ける。
「俺はあまり頭良くねーから、何て言っていいかよく分かんないんだけどよ……あの杜木ってヤツ見てると、何事に関しても現状のもっと上を常に見てるような、余裕みたいなのを感じるんだ。だから、あいつが“邪者”になった理由は、確かに過去の出来事も原因なのかもしれねーけど。それよりも、“能力者”っていう枠に囚われたり拘るタイプじゃなかったんじゃねーかって。あの杜木ってヤツは、鳴海とは質の違う、天才肌っぽい頭の良さみたいな感じするんだ」
「“能力者”の枠に囚われたり拘るタイプじゃない、天才肌なタイプ……」
眞姫はそう呟き、過去に杜木と交わした会話を思い出す。
そして拓巳の言葉に納得するように頷きながら、彼の次の言葉を待った。
「んでだな、次に俺たち“能力者”を考えてみたんだけどよ。准は頭いいけどどっちかって言ったら鳴海みたいなタイプっぽいし、祥太郎はああ見えて真面目で冒険するタイプではないしな。健人はまず問題外だとして、詩音はよく分かんねーけどあいつの頭ん中はかなり特殊だろ。そして俺は、あんま難しいこととか先のこと考えたりしねーしな。単純って言われるのはちょっと心外だけどよ、ごちゃごちゃ考えるのも面倒だしな、今の自分にできることをするだけだよ。で、だ。結論としてはだな、俺たちには、ああいう杜木みたいなタイプはいないってことだ」
そこまで言って一息つくように、拓巳はお冷をぐいっと飲んだ。
眞姫は目の前の拓巳を感心したように見た後、小さく微笑む。
少年たちがこの数年間、どれだけの時間を共有し、様々なことを共に乗り越えてきたのか。
それが拓巳の言葉でよく分かると、この時眞姫は強く感じていたのだった。
高校に入学してから今まで、ずっと近くで彼らを見てきたが。
お互いがお互いのことを認め合い、よく理解し合い手を取り合って、お互いを高めあっているような。
そんな羨ましくなるほどのいい関係を彼らは築いていると。
少年たちは自覚してはいないかもしれないが、眞姫はいつもそう思っているのだった。
拓巳は改めて、ちらりと彼女の様子を窺うように目をやってからコホンと小さく咳払いする。
そして、ふーっと息を吐いて照れたように頭を掻いてから、背もたれに身体を預ける。
「……って、長くなっちまったし、何か俺も自分で言いながらよくワケわかんなくなったぜ。杜木ってヤツを見た俺の印象ってだけだから全く見当違いかもしんねーし、“能力者”のあいつらが本当は何考えてるかとか、俺自身のことだってこれから先どうなるかとか、分からないしな」
「確かに、人の本当の心や先のことは分からないけど。でもね、拓巳の言っていること、私は見当違いなんかじゃないと思うよ」
にっこりと笑顔で眞姫は拓巳を見つめ、さらにこう続けた。
「それにね、拓巳は確かに単純だけど、単純じゃないと思うよ? 結構いろんなこと考えてるんだなって思うし、意外と周囲のこと冷静に見てる部分あるよね。話聞いてても、感心する時よくあるもん」
思いがけず褒められ、拓巳は目をぱちくりとさせる。
それから少し頬を赤く染めながらも、ニッと笑う。
「単純だけど単純じゃないって、どーいうのだよ。でもまぁ、いいことばっか言ってもらったからな。んじゃ、次はパスタでも食べるかな」
「って、パスタ!? チェコレートパフェとチーズケーキ食べた後なのに……」
「甘いものは別腹っていうだろ? てか、これからがむしろ本番だぜ」
「何かそれ、順番間違ってる気するんだけど」
張り切って再びメニューに目を落とす拓巳に、眞姫はぽつりとツッコミを入れたが。
無邪気な彼の姿を見て、すぐに、再び楽しそうにくすくすと笑い出したのだった。
そして―――話に夢中になっている眞姫と拓巳は、全く気が付いていなかったが。
先程よりさらに激しさを増して降る雨の中。
楽しそうに会話を繰り広げているふたりを、じっと見つめている輩がいたのだった。
「小椋先輩……あの人、殺ってもいいよね!? 答えは聞いてないっっ!!」
「おいおいっ。気持ちはよーく分かるけどな、待てよ。てか、某紫のライダーかよ、おまえは」
殺意を漲らせ、今にも喫茶店に乗り込みそうな勢いの渚を、智也は慌てて止める。
そんなふたりの様子を何故か微笑ましげに涼介は見守っている。
……邪者3人が話を終えて店を出て、繁華街を歩いていた時。
偶然、眞姫と拓巳のふたりが、喫茶店に入っていくのを見かけたのだった。
そして眞姫に想いを寄せる渚と智也がそんな光景を目の当たりにして、素通りできるはずはなかったのである。
とはいえ、後を追ってぞろぞろと同じ店に入るわけにもいかず、しばらく様子見をしていたのだが。
会話の内容が聞こえず表情しか分からない状況が、さらに渚を苛立たせていたのだった。
智也はそんな渚を宥めるように言った。
「おまえな、眞姫ちゃんもいる手前、今あの“能力者”をボコるわけにもいかないだろ? 特におまえは、彼女の前ではムカつくくらい猫かぶってるんだし」
「うるさいなっ。んなこと、おまえに言われなくったって分かってるっての……っ」
智也に掴まれた腕を乱暴にバッと振り払うと、渚は納得いかない表情ながらも、喫茶店に乗り込むことは何とか踏み止まる。
思いとどまった渚の様子にホッとする智也と、気持ちが晴れず八つ当たりするようにアスファルトを蹴る渚を交互に見、涼介は楽しそうに笑んで言った。
「まぁ、そう焦ることはないんじゃない? また近いうちにきっと機会があるよ、“能力者”をボコる機会がね」
涼介の言葉に、智也は一瞬漆黒の瞳を細める。
それから改めて喫茶店の中にいるふたりに視線を向けて溜め息をついた。
「そうだな。てか、眞姫ちゃんとふたりっきりでお茶ってのが、普通に羨ましすぎる……」
「僕の清家先輩なのに、なんで小椋先輩ごときがっ……って、何話してるんだよっ。清家先輩、笑ってるしっ」
「ここにいても気になるだけだろ、そろそろ行くぞ、渚。眞姫ちゃんと同じ学校ってだけでもな、俺からしたら十分羨ましいんだぞ」
諦めたような智也は、まだ未練のある渚を促すように肩をぽんっと叩く。
渚は気に食わないようにちっと舌打ちしつつも、渋々その場から歩き出した。
「相変わらず大人気だね、お姫様は」
そう呟いて智也と渚に続いた涼介は、もう一度だけ眞姫たちのいる喫茶店を振り返る。
そして傘に落ちる雨音を耳にしながら。
ふっと、口元に意味深な笑みを宿したのだった。