目まぐるしく移り変わる繁華街の人波を気にも留めずに。
 祥太郎はカチカチと弄っていた携帯を鞄にしまい、ふと顔を上げる。
 夕方の繁華街は学校や会社帰りの人で溢れている。
 だが、そんな街の雑踏の中でも。
 自然と視線が向く程の――圧倒的な、存在感。
 祥太郎は彼女の姿を確認し一瞬瞳を細めた後、秋風に揺れる髪をそっとかき上げてから。
 人懐っこい笑みを宿すと、軽く片手を上げる。
「おっ、意外とお早い到着やな、綾乃ちゃん」
「でしょ? はろぉ、祥太郎くん」
 無邪気に笑顔を返してくる少女・綾乃に。
 祥太郎は苦笑しながら手を左右に振る。
「いやいやいや。とはいえ、30分は余裕で遅刻しとるんやけどな」
「まぁ、綾乃ちゃん待つの慣れてるでしょ? 祥太郎くん」
「あのーお嬢さん。その台詞、俺が言うことやないんか?」
「ん? 細かいことは気にしなーいっ。んじゃ、出発ーっ」
 綾乃はきゃははっと楽しそうに笑んで、祥太郎の手を急かすように引いた。
 祥太郎はそんな彼女の隣に並んで夕方の繁華街を歩き出す。
「そういや、行きたいトコあるって言っとったけど……今からどこ行くんや?」
「あ、言ってなかったっけ? 綾乃ちゃんお気に入りのタルトやさんが新装開店したんだよぉっ」
「タルトやさん? お、あそこもうオープンしとるんや」
「んで、新装オープン記念で、何かラブラブカップルで来店するとドリンクがサービスらしいからさぁっ」
「ラブラブカップル……俺らやと、ソレめっちゃ詐称やん」
 人の流れに逆らわず、楽しそうに会話を交わすふたり。
 和気藹々とした雰囲気で放課後の街を往くその様は、ごくありふれた友人同士に見える。
 いや、気の合う友人同士と言っても間違いではない。
 間違いではない、のだけれども。
「黙ってればラブラブカップルに見えるかもよ? それにさ……ほら、もう祥太郎くんと食べに来れるか分かんないでしょ」
「……満面の笑顔で、今さり気なーくコワイこと言ったよな」
 友達には違いない。
 だが、ふたりはただのお友達ではなく。
「まさか私達が命がけでお付き合いしてる関係なんて、誰も思わないって」
 ふっと細められる、闇のように深い綾乃の黒の瞳。
 先程まで感じていた無邪気な色の中に、途端に思惑と鋭さの光が混ざる。
 だが、祥太郎は自分を煽るような綾乃の言動に少しだけ苦笑しつつ、優しい印象の視線を向けて。
 吹き抜ける秋風に舞って乱れた彼女の髪をそっと手で撫でて整えてから、こう言葉を返したのだった。
「あの店、気になる美味しそうなタルト多いからなぁ。これからも……綾乃ちゃんには、まだまだ一緒にタルト食べに行くの付き合ってもらわなやな。そうやろ?」
 祥太郎の大きな手にぽんぽんっと頭を軽く叩かれ、綾乃は彼の顔を見上げて。
 そして楽しそうににっこりと微笑む。
「祥太郎くんのそーいうところ、綾乃ちゃん好きよ」
 ふたりは、互いが互いを、気の合う友達だとは心から思っている。
 ただ……最初から、分かってもいたのだった。
 普通の仲の良い友達同士ではいられない時が、いつか訪れることを。
 ふたりは出会った時からすでに、『能力者』と『邪者』という関係であったのだから。
「……ま、今は美味しいタルトでも、仲良う一緒に似非ラブラブカップル詐称しつつ堪能しようや」
「そうねぇっ。んじゃ入りますか」
 ルンルンとはしゃぐように辿り着いた店の中へと足を踏み入れ、早速綾乃はショーケースの中の美味しそうなタルトに目を奪われている。
 それからちゃっかりとカップル特典のドリンクサービスを受け取り、ふたりは席に着いた。
「わぁいっ、いっただきまーす!」
「ホント幸せそうに甘い物食べるよな、綾乃ちゃんって。って、相変わらず量、多っ」
「えへへ、だって甘い物食べるのすっごく幸せだもーん。ていうか、まだまだこのくらい序の口よぉ?」
「俺も甘いもん好きやけど……その量見るだけで胃がもたれるわ」
 ぱくぱくと次々タルトを口に運ぶ綾乃を見ながら、祥太郎はブラックのコーヒーを飲む。
 綾乃はそんな祥太郎にふと視線を向けて。
 アイスティーにシロップを入れてかき混ぜつつ、こう訊いたのだった。
「ていうか、全然警戒とかしないんだね、祥太郎くん」
「警戒?」
 首を傾げる祥太郎に頷き、綾乃は甘くなったアイスティーをひとくち飲んでから続ける。
「だってさ、いつ綾乃ちゃんに襲われてもおかしくない状況でしょ、今って。なのに余り用心してる感じでもないし」
 まるで他人事かのように、さらりとした口調でそう言う綾乃に。
 祥太郎は人懐っこい表情を宿し笑う。
「ホントに初っ端から襲う気なら、わざわざ待ち合わせせんやろ。それに……綾乃ちゃんが見境なく俺を襲うようなことはせんって分かっとるしな」
「…………」
 綾乃はその祥太郎の言葉を聞いて改めて思う。
 彼は本当によく相手のことを見ていて。
 そして、状況を冷静に判断できる人なのだと。
 『能力者』と『邪者』は敵対関係にあるため、相手側の人間に無条件に敵意を抱く傾向にあるが。
 祥太郎は広い目で一個人を見て、一個人とそれぞれ自分が思う付き合い方をしている。
 そこが彼の長所でもあり……今の状況のように、敵につけこまれる短所でもある。
 綾乃としては、祥太郎のそんなところがまた気に入っているのも事実であるが。
「何より、綾乃ちゃんは美味しいタルトは食わなあかんやろ?」
「勿論、美味しいタルトが今回の大きな目的のひとつだからねぇっ」
 ……とはいえ。
「でも今回の目的は、勿論タルト食べるだけじゃないよ? 祥太郎くんも分かってると思うけど」
 自分達の関係は、ただの仲良しの友達ではないのだ。
 どう考えてみても、それは揺ぎ無い事実。
「……スイーツデートだけやったら、もっと祥太郎くん嬉しいんやけどなぁ」
 そしてそれを、祥太郎も十分分かっている。
 本心は敵として綾乃と相見えることは極力避けたくても。
 彼女に背を向けることは一切しない。
 それはやはり、祥太郎が『能力者』であるから。
 ――そんな、いろいろと複雑な関係ではあるものの。
 ふたりはタルトを食べながら和気藹々とした楽しい時間を過ごした後、満足そうに共に店を出る。
 先程まではまだビルの合い間に青空が広がっていたが。
 いつの間にか夕焼けの赤が空を染め、日が沈みかけている。
 これから夜を迎える繁華街は一層沢山の人で賑わいを見せている。
 だが、足早に流れる人の波に逆らうように。
 綾乃は、ピタリと足を止めた。
 そしてスッと仄かに夕焼け色に染まった髪をかき上げて。
 ゆっくりと、祥太郎に言ったのだった。
「そういうことで……そろそろ、お仕事の時間かな」
 ――刹那、雑踏で溢れかえっていた繁華街に怖いほどの静けさが訪れる。
「……まだ俺も殺されるわけにはいかんからな、綾乃ちゃん」
 祥太郎はぐるりと周囲に張り巡らされた『結界』に表情を引き締めてから、綾乃を見つめた。
 決して目を逸らすことなく、真っ直ぐに。