――次の日。
 祥太郎は帰りの支度を手早く済ませると、いつもの如く周囲のクラスメイトに愛想を振りまきながら、2年Aクラスの教室を出た。
 そして廊下を歩き出そうとした、その時だった。
「祥太郎」
 ふと自分を呼び止める声がし、祥太郎は振り返る。
 それからその相手にニッと笑むと、小さく首を傾けた。
「ん? どうしたんや、美少年? てか、そんなにじっと見つめられたら照れるやんか」
「別にじっと見つめてなんかないし、何で照れるんだ。気持ち悪い」
 はあっと大きく嘆息して、祥太郎に声を掛けた相手・健人は眉を顰めた。
 祥太郎はそんな健人の反応に笑う。
「気持ち悪いって、ひどいわぁっ。熱い視線を送っとるんは美少年の方やん」
「だから、そんなの一切送ってない。それに、気持ち悪いものを気持ち悪いと言って何が悪い」
 ムキになって否定する健人の様子にますます楽しそうな表情を浮かべ、祥太郎は彼の肩をポンッと叩いた。
 健人はそんな祥太郎の様子にムッとしながらも、ブラウンの前髪をかき上げる。
 それから、少し何かを考えるように口を噤んだ後。
 大きく首を振り、短く言った。
「……やっぱり何でもない。じゃあな」
「何や? つれないなぁっ。何なら、仲良う一緒に帰るか?」
 くるりと回れ右をした健人を引き止めるかのように祥太郎はそう言ったが。
 健人は青い瞳をちらりと祥太郎に向けただけで、足を止めない。
「断る。今日はやめとく。じゃあな」
 それだけ言うなりさっさと教室に入っていく健人の背中を見送って、祥太郎は苦笑する。
 そして顔を上げ、下校すべく再び廊下を歩き出そうとしたが。
 ふと目に入ってきたある人物の姿に気がつき、おどけるように言った。
「いやー見事に青い瞳の騎士に振られたわ。慰めてくれるか?」
「そうだね。王子は万人の癒しでありたいと思ってるからね」
 いつの間にその場所にいたのか。
 祥太郎の目の前に現れた少年・詩音は、にっこりと上品な笑みを宿す。
 それからふたりは、放課後の賑やかな廊下を並んで歩き始めた。
「てか、何気に王子サマと下校することって普段あまりないなぁ。騎士は光栄やで」
「今日は生憎、愛馬・パトリシアが迎えに来られなくてね。残念だな、よければ騎士も僕のパトリシアでお送りしたのに」
 何の違和感もなく普通にそう話す詩音の表情は、いつもと変わらず柔らかである。
 祥太郎はそんな友人の不思議トークにも慣れているように、少し大袈裟なリアクションで言った。
「おおっ、それは残念やなぁっ。やっぱパトリシアは、王子サマの代名詞通りの白馬か?」
「白馬は白馬だけど、パトリシアはペガサスだよ。お姫様も、パトリシアの乗り心地をとても気に入ってくれてるんだ」
「素晴らしいわ、さすが王子の愛馬っ。是非今度ハンサム騎士も、パトリシアに乗せて欲しいわぁ」
「そうだね、約束するよ。いつか機会があったら、是非」
 そうにっこり微笑む詩音の様子はあくまでもマイペースである。
「てか……詩音が言うと、ペガサスもフツーにいそうなところがすごいよなぁ」
 全く自分のペースを崩さない詩音にある意味感心しながら、祥太郎はぼそりと呟く。
 それから靴箱に差し掛かり、お互い靴を履き替えて、校舎を出た後。
 駅へと向かう途中、祥太郎はふっとひとつ息をつく。
 そしてさり気なく周囲を少し気にしてから、こう口を開いたのだった。
「それで、王子サマ。王子はハンサム騎士と、どんな放課後トークをご所望なんや?」
 その言葉に、詩音は色素の薄いブラウンの瞳を微かに細める。
 それから笑顔は絶やさず、彼の問いに答えたのだった。
「他の騎士たちは、随分と君のことを心配してるようだね。もちろん王子も気にはかけているけど、君本人はどう思っているのかなと」
「そうやなぁ。てかあいつら、不自然なほどその話題に触れんからな。なのに、気になってるオーラはビンビンやし、特に准と健人は俺の対応に超不満そうやろ。まぁ、その気持ちは分かるけどな」
「そういう君も、今回は他の騎士に干渉されたくないと。そう思っているのがよく分かるよ。だから他の騎士たちも何も言わない。たとえ不満に思っていたとしても、最終的には君を信じているからね」
 詩音は秋風に揺れる髪をそっと整えながら、にっこりと微笑む。
 祥太郎はその言葉に首を大きく捻り、苦笑した。
「そんなに、干渉するなやーって思っとるわけではないんやけどな。でも実際、あいつらが手ぇ出すほどのことでもないやろ。俺の個人的な問題やし」
「個人的な問題……今のところは、ね。それに准や健人も、不満というよりはやはり心配なんだよ、きっと。あの漆黒の女騎士の強さも、それに君の性格も、よく知っているから」
「心配、なぁ……。もしかして俺、信用ないん?」
「ある意味、そうかもしれないね。でも考えてみてごらん? 君がもし、他の騎士の立場だったらどうかな?」
「まぁ、そう考えれば確かに心配やな。でもあいつらが思っとるほど俺自身思いつめとるわけでもないし、何とかなるかなと思っとるんやけどな」
 祥太郎はそう言って、うーんと腕組みをする。
 そんな様子を横目で見ながら、詩音は優しく諭すように言った。
「何とかなる、ね。君の、そういうひとりで何とかしようとする性格も含めて、みんな心配なんだと思うよ。君は個人的問題だと言うけど、今回の件は“能力者”と“邪者”の問題と言っても強ち間違いではないだろう? そう頑なにひとりで抱え込む必要はないと、王子は思うけどな」
「まぁ綾乃ちゃんは確かにめっちゃ強いけど、今殺られるわけにはいかんからな。かなりシンドイけど、まぁ何とか踏ん張ってみるわ」
 返ってきた彼らしいそんな言葉に、詩音は敢えてそれ以上何も言わなかった。
 だが、にっこりと優雅に微笑んでから、これだけ最後に付け加えたのだった。
「王子の助けが必要な時は、いつでも呼んでくれて構わないからね。パトリシアに乗って、華麗に参上するよ」
「そうやな、頼りにしとるで。羽の生えた白馬に乗った、夢の国の王子サマ」
 ニッとハンサムな顔に笑みを宿し、祥太郎はおどけた調子で言った。
 詩音は祥太郎に頷いた後、ふと何かを思い出したように軽く手を打つ。
「あ、そうそう、ひとつ君に言っておこうと思って」
 それから詩音は、こう祥太郎に言ったのだった。
「昨日だけど。青い瞳の騎士と、あのマッドサイエンティストな漆黒の騎士が、どうやら対峙したみたいだよ。そう激しくやりあわなかったみたいだけどね」
「健人と、あのホスト面な“邪者”のにーちゃんが?」
 祥太郎ははじめて、その表情を引き締める。
 結局何も言いはしなかったが、下校前に、健人が自分を呼び止めたのか。
 そして、何故詩音がこのことをわざわざ自分に伝えたか。
 それは、先程詩音が言った言葉。
“今回の件は、“能力者”と“邪者”の問題と言っても強ち間違いではないだろう?”
 今はまだ、綾乃と自分の個人的な問題。
 だがそれが個人的な問題でなくなる時も、そう遠くはないだろう。
 それでも、やはり。
 できるならば、個人的な問題の段階で、何とかしたい。
 特に……“浄化の巫女姫”である眞姫を、巻き込むその前に。
 大切な彼女たち全員を悲しませないような、自分なりの解決法で。
「では、王子はここで失礼するよ。ごきげんよう、騎士」
 祥太郎の表情を見守るような視線を向け、詩音は上品に軽く手を上げる。
 気がつけば、いつの間にかふたりの分かれ道に差し掛かっていた。
「あ、詩音っ」
 祥太郎は地下鉄に降りる前に、咄嗟に詩音を呼び止める。
 詩音は相変わらず優雅に振り返り、足を止めた。
「何かいろいろ悪いな、お礼言っとくわ。それにば、そう心配せんでも、俺はそう簡単にはくたばらんからな」
 祥太郎はそう言って、詩音にふっと笑む。
 そんな彼に柔らかな視線を返した詩音は、さらりと揺れるブラウンの髪をかき上げ、笑った。
「特にお礼を言われるようなことはしていないよ、僕は。それに王子は、騎士のことをちゃんと信じているしね」
 それから歩き出した詩音の後ろ姿は。
 まるで風に溶けるかのように、駅前の雑踏の中に消えていったのだった。
 祥太郎は彼を見送った後、地下鉄の階段を降り始める。
 そして、仲間たちの顔をひとりひとり思い浮かべながら、改めて決意したのだった。
 自分なりのやり方で、自分の運命を真っ向から受け止めよう、と。
 



 ――同じ頃。
 聖煌学園の数学教室で仕事をしていた彼・鳴海将吾はふと顔を上げる。
 そして、着信を受けて震える携帯電話を手に取った。
『やあ、将吾。元気かい?』
 耳に聞こえてくるのは、聞き慣れたあの人の声。
 わざとらしく大きな溜め息をつき、鳴海先生は冷たく言い放った。
「……私が今勤務中であることを、貴方は確実にご存知のはずですよね? 一体ご用件は何でしょうか」
『ああ、特に用はないんだけどね』
 暢気にそう言ってのける父・鳴海秀秋の相変わらずな様子に、先生は一刻も早く通話を終わらせたい衝動に駆られるが。
 コホンとひとつ咳払いをした後、一応几帳面に一言断ってみる。
「そうですか。では失礼します」
『まぁまぁ、ちょっと待って。そう冷たいこと言わずに、ね?』
「…………」
 仕方ないと諦めた様子で、仕事の時だけかけている眼鏡を外し、鳴海先生は携帯を切ることは踏み留まった。
 傘の紳士はそんな息子の様子に、電話の向こうで微笑む。
 それから気を取り直し、話を切り出したのだった。
『その後の様子はどうだい? 瀬崎祥太郎くんの件は』
「あれから特に動きはないようです。清家もまだこの件に関しては知らないようですし、私から特に“能力者”には指示を出していません。今の段階では出す必要もないと判断しています」
 表情を変えることなく、先生は紳士の問いに端的に答える。
 そしてふっと一呼吸置いた後、再び言った。
「ただ、指示は出していませんが、“邪者”の動きには注意しています。今回の件は、単純に“能力者”の排除だけが目的だとは到底思えません。藤咲綾乃以外の“邪者四天王”が積極的に動いていない点や、清家の次に蘇る能力を考えると……」
『そうだね。お姫様の性格を考えると、一番効果的で確実なやり方だからね、今“邪者”がやっていることは。それに加えて“能力者”を始末できれば、一石二鳥も三鳥にもなると。そういうことだろう』
「清家の能力覚醒の件については、彼女の体調等に影響が出るような無理は極力させないようにするつもりです。そして……“邪者四天王”による、“能力者”排除の件ですが」
 そこまで言って、鳴海先生は父譲りのブラウンの瞳を細める。
 その瞳には、何の変哲もない窓の外の風景がただ映しだされているかのように見えるが。
 だが、本当に彼が見据えているのは、目の前の景色などでは決してない。
 強い意志の漲る両の目に映るもの、それは……。
 鳴海先生はスッと瞳と同じブラウンの前髪をかき上げ、ふと顔を上げる。
 そしてはっきりと、こう続けたのだった。
「そう簡単に“能力者”が敗れることはない。よって、特に今の段階で各個人に指示を出す必要はない……これが、私の判断です。“邪者”に決して劣ることのないよう、今まで彼らを指導してきましたので」