――次の日。
 眞姫は活気のある昼休みの廊下を同じクラスの准とともに歩いていた。
「准くん、次の時間割って何だったっけ?」
「次は大河内先生の日本史だよ、姫」
 眞姫の問いに准は穏やかな表情で答える。
 そしてちらりと腕時計を見た。
 あと10分程度で午後の授業が始まる時間だが、余裕で教室に戻れるだろう。
 准はそう判断し、隣を歩く眞姫に歩調を合わせたまま彼女と雑談を続ける。
 こうやって学校で眞姫とふたりになることは、最近では比較的珍しい。
 大抵同じクラスである拓巳や梨華も一緒であることが多いからである。
 しかもこの日の放課後、准は眞姫と一緒にお茶をする約束もしていた。
 嬉しそうな表情こそ表に見せはしないが。
 准は柔らかな笑顔で彼女とふたりの会話を楽しんでいる。
 だが……その時。
 そんな彼の表情が、ふと印象を変えた。
 その理由は。
「あっ、清家先輩!」
 突然声を掛けられた眞姫は顔を上げ、駆け寄って来るその人物に目を向ける。
 それから足を止めてにっこりと彼に微笑んだ。
「あ、渚くん。こんにちは」
「こんにちは、清家先輩っ。ちょうど先輩のこと探してたんですよ、会えてよかったぁ……」
 その人物・渚は、これでもかというほどの甘えた声と可愛らしい笑顔を眞姫に向ける。
 そして隣にいる准にも漆黒の瞳を移すと、わざとらしい作り笑顔で続けた。
「あ、芝草先輩もいたんですね。こんにちは」
「……こんにちは、相原くん」
 准も負けないくらいの作り笑顔でそう言ってから、大きくふうっと嘆息した。
 相変わらず一見物腰柔らかに見えるが、渚の出現をよく思っていないのがありありと分かる。
 だが渚はそんな彼の様子にも構わず、再び眞姫に視線を戻した。
 それから彼女にこう訊いたのだった。
「あの、清家先輩。今日の放課後なんですけど、お時間ありますか? 久しぶりに先輩とお茶でもしたいなって思って」
 だがその渚の言葉にすかさず返事したのは、眞姫ではなく准であった。
「悪いけど相原くん、今日姫は僕と約束してるんだよ」
「ごめんね、渚くん。今日は准くんと約束してるの。また今度行こうね」
 眞姫も准に続き、申し訳なさそうに両手を合わせた。
 渚はふっと漆黒の瞳を細め、ぽつりと呟く。
「……芝草先輩と?」
「そうだよ。ごめんね、相原くん」
 その准の口調は相変わらず穏やかなものだったが。
 先程の作り笑顔とはまた違った、勝ち誇ったような微笑みがその顔に垣間見える。
 そんな准の様子に渚は一瞬ムッとする。
 だが下手に食い下がることもせず、すぐに気を取り直して口を開いた。
「そうですか。清家先輩、また今度一緒にお茶しましょうね」
「うん。今回はごめんね、近いうちに埋め合わせするから」
 彼の猫かぶりな様子にすっかり騙されている眞姫は申し訳なさそうに言った。
「それじゃあ先輩、失礼します」
 渚はペコリと丁寧に頭を下げた後、自分の教室に向けて歩き始める。
 せっかく愛しの眞姫を誘ったにも関わらず、渚のその目論見は適わなかった。
 眞姫の前では本性を隠している渚の顔は一見可愛らしい印象のままであるが。
 だがもちろん、その胸中は穏やかではない。
 そして想いを寄せる眞姫がいるために表立って何かすることはできないが……。
 すれ違い様、渚はふと准に目を向ける。
「…………」
 准は自分に向けられる刺すような渚のその視線に気がつき、険しい表情を浮かべた。
 だがそんな殺気さえ感じられる視線を余裕な様子でかわすと、隣の眞姫を伴って再び歩き始める。
 渚はふたりが見えなくなってから気に食わないようにチッと舌打ちをした。
 そして始業五分前の予鈴が鳴り始めた廊下を足早に歩きながら悔しそうに呟いたのだった。
「あームカツクッ。てか、そう簡単に僕の清家先輩とふたりになれると思ったら大間違いですよ、芝草先輩」




 ――その日の夕方。
 約束通り繁華街の駅ビルの喫茶店で眞姫は准とふたりでお茶をしていた。
 季節限定のマロンパフェをひとくち食べて満足そうに微笑んでから、眞姫は口を開く。
「准くんから借りた本、今半分くらいまで読んだよ。面白くて続きが気になるね」
「あの本、姫が好きそうだなって思ったんだ。面白いよね」
 准は彼女ににっこりと柔らかな笑みを返す。
 そんな彼の言葉に眞姫は素直にコクンと頷いた。
「うん。私と准くんって本の好み似てるよね。准くんが勧めてくれる本ってどれも面白いもん」
「そうだね。僕たちお互いにどんなジャンルでも割とこだわりなく読むけど、好みの傾向は似てるね」
 准は紅茶を口に運んだ後、嬉しそうに言った。
 読書は眞姫と准の共通の趣味である。
 しかも本の趣向も似ているために話も弾む。
 表立って感情を見せることこそ滅多にしないが、准はこの時改めて彼女とふたりだけの楽しい会話に幸せを感じていた。
「そういえば、この間姫に借りた本の新刊ってもう出てるよね? 帰りに本屋に寄ってみようか」
「あ、そうだね。ほかにもちょうど見たい本があったんだ」
 准の言葉に再度頷いてから眞姫は栗色の髪をそっとかき上げる。
 それからもうひとくちパフェを口に運んで、その程良い甘さに大きな瞳を優しく細めた。
 准は眞姫の可愛らしい仕草に自然と笑顔を宿しながら彼女を見つめる。
 目の前の眞姫は屈託なく本当によく笑う。
 そんな眞姫の様子に、准は今日彼女を誘って本当によかったと思ったのだった。
 そして、ほかの映研部員の友人たちが見たらさぞ羨ましがるだろうこの状況がずっと続いて欲しいと思ったのだった。
 ――その時。
「……あれ?」
 眞姫はふと顔を上げ、小首を傾げる。
 そんな眞姫の様子に気がついた准は彼女の視線の先に目を向けた。
 そして途端に表情を変える。
 その理由は――ある知っている人物の姿が視界に入ってきたからである。
「相原くん……?」
「やっぱりそうだよね、渚くんだよね?」
 准の呟きに、眞姫はそう続けた。
 ふたりがいる喫茶店に入ってきたのは、あの渚だったのである。
 彼の隣には同じ“邪者”であるつばさの姿もみえる。
「あっ、清家先輩っ? 偶然ですねぇっ」
 渚はわざとらしくそう言って、眞姫に駆け寄る。
 准は相変わらず本性を隠している渚の態度に大きく溜め息をついた。
 何が偶然なものか、自分と眞姫がふたりでいるのを妨害しに来たのだろう、と。
 口にはしなかったが、准は魂胆見え見えな渚の行動に眉を顰める。
 何より“空間能力者”であるつばさと一緒なのが証拠である。
 きっと彼女の能力で自分たちの居場所を探り当てたのだろう。
「渚くん、偶然ね。つばさちゃんもこんにちは」
 そんな渚の思惑があるなど疑いもしない眞姫はのん気に彼らに微笑みかける。
「こんにちは、お姫様」
 眞姫に挨拶を返してから、渚と一緒のつばさは漆黒の髪をそっとかき上げた。
 ……渚から連絡があったのは本当に唐突であった。
 いきなり、今日学校が終わったら繁華街に来いと。
 それに行ったら行ったで今度は事情も説明されないまま、眞姫のいる場所を探れと。
 特に予定も入っておらず暇だったつばさはきっちり説教はしつつも、渚の言う通りに眞姫の居場所を探した。
 そして彼女と一緒に准がいることにも気がつき、大体の状況を把握したのである。
 渚は満面の作り笑顔を浮かべると、眞姫から准へと視線を移した。
「あ、芝草先輩、どうもー。偶然ですねー、こんなところで会うなんて」
「本当に、かなりすごい偶然だね、相原くん。むしろ偶然とは思えないよ」
 何気に嫌味たっぷりにそう言って、准は負けじと作った微笑みを返す。
 それから渚はふっと一瞬漆黒の瞳を細めた後、甘えるような声で眞姫にこう訊いたのだった。
「清家先輩。偶然お会いしたんだし、お茶ご一緒してもいいですか?」
「そうだね、せっかくだからみんなでお茶する?」
 眞姫は准に同意を求めるように小首を傾げる。
 ……本当は冗談ではないのであるが、この際仕方がない。
 准は見た目穏やかな表情を崩さずに頷いた。
「じゃあ先輩、失礼しまーす」
 そんな准の様子に笑顔を見せ、渚は何気に遠慮なく眞姫の隣の椅子に座る。
 お姫様を巡るある意味激しくなりそうなこの戦いに少し興味を持ったつばさも、特に何も言わずに席に着いた。
「渚くんとつばさちゃんは何にする?」
 異様な雰囲気にひとり気がつかない眞姫はふたりにメニューを手渡す。
 准は相変わらずの眞姫の鈍さに心の中で溜め息をつきながらも表向きには笑みを絶やさない。
 しかしもちろん、そんな彼の目は決して笑っていないのだった。
「それにしても偶然ね、渚くんとつばさちゃんのふたりも同じお店にお茶しに来るなんて」
「本当ですね、こんなことってあるんですねぇっ」
 眞姫を見つめながらも渚は大袈裟に驚いた仕草をする。
 つばさはそんな彼にちらりと目を向けた後、ふうっと嘆息して言った。
「今日は杜木様とお会いする予定もないし、暇だから渚に付き合ってあげてたの。まさかお姫様に会えるとは思っていなかったわ」
 少しつばさの言葉に引っかかる部分はあったものの、眞姫もいることだし一応話を合わせてはくれているため、渚は敢えて何も言わなかった。
「杜木様……」
 眞姫はふとつばさに視線を向けて何かを考えるように俯く。
 それからゆっくりと、こう彼女に訊いたのだった。
「杜木様っていえば……何であの人が“邪者”になったのか、つばさちゃんは知ってる?」
「え?」
 つばさは思わぬ問いに少し驚いた表情を浮かべたが。
 微妙に間を置き、こう答えたのだった。
「いいえ。杜木様本人から、そのことに関してお聞きしたことはないわ」
「そっか……」
 眞姫はそっと栗色の髪に手を沿え、残念そうにふっと一息つく。
 そんな眞姫を見つめながらつばさは複雑な心境だった。
 確かに杜木本人に“邪者”になった理由を聞いたことはない。
 だが先日涼介に呼び出された時に知った、ある手がかり。
 それは――杜木の妹であるという、杜木沙也香の存在。
 直接彼女のことが杜木が“邪者”になった原因かは分からないが、彼女が失踪した時期を考えると、少なくとも無関係ではないだろう。
 そう考えつつも、つばさはそのことを言わなかった。
 大切な人の過去をそう簡単に口にしてはいけない気がしたからである。
 准は持っていたティーカップを置くと、小さく首を左右に振って口を開いた。
「“能力者”である僕からしたら、“能力者”から“邪者”になる心理が全く分からないよ」
 渚は漆黒の瞳をふっと細め、言葉を選びつつも彼に反論する。
「どういう経緯や理由があって杜木様が“邪者”になったかは知りませんが、杜木様は“能力者”で在るよりも“邪者”で在ることを選んだんですよ。杜木様は僕にとって唯一心から尊敬できるお方。だから僕も“邪者”で在ることに誇りを持っているし、杜木様を信じてついていくつもりです」
「渚……」
 彼が想いを寄せる眞姫がいるからではあるが。
 普段とは違う渚の表情やその言葉に、つばさは意外な顔をする。
 眞姫は准と渚を交互に見つめながらも真剣にふたりの意見を聞いている。
「僕も自分が“能力者”で在ることに誇りを持っているよ。自分の使命を自覚した時から“能力者”として姫のことを何があっても守ると誓ったんだ」
 今度は准が、意思の強い瞳で渚を見ながらきっぱりとそう言い放った。
 だが渚はさらに負けじと言い返す。
「ちょっと待ってください。前から言っていますが、清家先輩は“能力者”だけの巫女姫じゃありませんよ。先輩は強大な“正の力”と同時に“負の力”も持っているでしょう? “浄化の巫女姫”は僕たち“邪者”にとっても大切な存在だし、そして“浄化の巫女姫”の神聖な血を持つ先輩こそ、強大無比な“邪”を唯一召還できる存在なんですから」
「そんな強大な“邪”を召還して取り込むなんて身体に負担の大きいこと、姫に絶対させられないよ」
 渚の言葉を否定するように准は再び大きく首を横に振った。
 渚はさり気なく眞姫の反応をうかがいながらもすかさず続ける。
「確かに“邪者”になるためにリスクは伴います。でも清家先輩はその力で多くの人を救いたいといつもおっしゃっています。それならば尚“負の力”を蘇らせた方が、さらにその可能性が広がるんじゃないですか? 芝草先輩たち“能力者”は、その大きな可能性の芽を摘もうとしているんですよ? せっかく身体に大きな力が眠っているんです、それを目覚めさせない手はないでしょう? 清家先輩の“負の力”は、蘇らせるべきです」
「それは君たち“邪者”が姫に強要することじゃないよ。どうするかは姫の意思だからね。それに可能性も何も、“邪”は人間に危害を加える滅すべき存在。そしてその強大無比な“邪”こそ、“浄化の巫女姫”がその唯一無二の“正の力”をもって封印すべきものなんだよ」
「どちらが強要しているんですか? それに“邪”に関しても、“能力者”のようにただ滅するだけでは何も残りません。取り込んで“負の力”を目覚めさせることで、人間にとって有害なものを有効利用できるんですよ」
 眞姫がいるためにかなりふたりとも言葉を選んでいるとはいえ。
 怒涛のように繰り出される言葉の応酬に、他の誰も全く口を挟む余地すらなかった。
 お互い一歩も譲る気もなければ、引く気もない。
 だが、このままではいつまでたっても埒があかないのも目に見えている。
 准は大きく嘆息した後、一旦流れを切るように言った。
「このまま続けたところで“能力者”と“邪者”の体質上、永遠と話は平行線だよ。“能力者”は“邪”を滅する者、“邪者”は“邪”を生かす者だからね。僕が今の自分の考えを変える気なんて毛頭ないのと同じで、君たちもきっとそうだろうし」
「…………」
 ふたりの言い合いを黙って聞いていた眞姫は、何かを考えるように複雑な表情を浮かべている。
 つばさはひとり冷静にその場にいる全員をぐるりと見回した。
 そしていつになく真剣な表情の渚に視線を止めた。
 先程とはうって変わり、一瞬シンとした静寂が4人の間に訪れる。
 だがとりあえず口を噤んだ准と渚だったが。
 ふたりの間にはまだ見えない火花が激しく散っていた。
 ――その時。
 眞姫の携帯電話が誰かからの着信を告げ、ブルブルと震え始めた。
 眞姫はハッと顔を上げてから携帯を取り出す。
 そして着信者を確認し、ふと席を立った。
「ごめん、家から電話がかかってきたから少し席外すね」
 そして……眞姫が電話のために席を離れた後。
 渚はザッと漆黒の前髪をかき、今までの可愛らしいものと全く違った生意気な口調で早速言い放つ。
「あーもうっ、本っ当に芝草先輩と話しているとイライラしてきますよ。それにいつも僕の清家先輩のそばにいて、ぶっちゃけかーなりウザいんですけど」
「僕も言わせてもらうけど、姫の周囲をちょろちょろされるの相当目障りなんだけど。本当に僕の癇に障ることをするのが得意だからね、君は」
 准も変貌した渚の態度に不快感をあらわにした。
 渚はふてぶてしく椅子に背を預けてチッと舌打ちをする。
「僕も先輩のこと、相当目障りでムカついてますってば。ていうか、今後も僕と清家先輩の邪魔をする気でしたらやめたほうがいいですよ、そのうち痛い目に遭いますからね」
「痛い目に遭うのはどっちかな。いつも言っているだろう? 議論でも戦闘でも、君なんかには負けないってね」
 やはりどちらも引く様子はなく、しかも今度は眞姫がいないために遠慮もない。
 渚は深い黒を帯びた鋭い瞳を准へと向ける。
 それから声のトーンを落とし、挑発するように言った。
「へー、随分な自信ですねぇっ。口でもドンパチでもこの僕に負けない? じゃあ、今ここで試してみますか?」
 准は真っ向から渚の戦意に満ちた瞳に視線を返し、怯むことなく応戦する。
「僕はいつでも受けてたつよ。何気に今日の君のこの行動にも、相当頭にきているからね」
 つばさはそんな一触即発なふたりのやりとりを目の当たりにしつつも、ひとり黙って聞いていたが。
 ふと顔を上げ、おもむろに渚に声を掛けた。
「渚。もうそろそろ、お姫様がお戻りになられるようよ」
「…………」
 渚はつばさのその言葉に言葉を切る。
 そしてふうっと大きく息を吐くと、仰々しい笑顔を作って口を開いた。
「今日は清家先輩もいらっしゃるんでやめておきますよ。てか、命拾いしましたねー。よかったですねー、芝草先輩」
 准は切り替わりの早い渚に呆れたような視線を向けた後、つばさに言った。
「相原くんに付き合わされる君も大変だね」
「ええ。でもお姫様とのデートを邪魔された貴方には申し訳ないけど、今日はなかなか面白かったわ」
 つばさはふっと目を細めて小さく笑う。
 そんなつばさに、准はこう返したのだった。
「確かに相原くんの行動には頭にきたけど。でもこの程度で邪魔されたなんて、僕は思っていないよ」
「え?」
 つばさは小首を傾げて准を見る。
 だが眞姫の姿を確認して、何も訊かなかった。
 そして電話を終えた眞姫が席へと戻ってくる。
「ごめんね、みんな」
 どういうやり取りが行われたのか知る由もない彼女は屈託のない微笑みを全員に向ける。
 そんな眞姫に笑顔を返してから、准はすかさず彼女に言ったのだった。
「姫、そろそろ僕たちは行こうか。本屋にも寄らないといけないし、相原くん達をこれ以上引き止めるのも申し訳ないしね」
「え? あ、うん、そうだね。渚くんにつばさちゃん、一緒にお茶できて嬉しかったよ。付き合ってくれてどうもありがとう」
 准の言葉を素直に受け取り、眞姫は携帯をしまったカバンを手にする。
 渚はそんな眞姫の様子に大きな瞳を見開いた。
「えっ、いや僕たちはまだ全然大丈夫ですよっ。申し訳ないとか、そんなわけ……」
「じゃあ相原くん、ごゆっくり」
 渚の台詞を遮るように准はこれでもかというくらい爽やかな声で言った。
 そして渚たちに無邪気に手を振る眞姫を伴い、足早に店の出口へと足を向けた。
 もはやそんな彼らを無理に引き止めることもできず、渚は仕方なくペコリと頭を下げる。
 それから、ふたりの姿が店内から見えなくなった後。
 途端に気に食わない表情を浮かべて吐き捨てる。
「あの芝草先輩の胡散臭い笑顔、最高にムカつくっ。いつかあの人のこと、必ずこの僕の手で殺ってやるっ」
「胡散臭い笑顔なら貴方も十分負けてないわよ、渚」
 そうツッコミを入れるつばさをじろっと見てから、渚は軽くドンッとテーブルを叩いた。
 そして、悔しそうにこう続けた。
「ていうか、芝草先輩のせいで清家先輩と全然話せなかったしっ。あーもうっ!」
 そういえば、渚が眞姫と交わした会話は挨拶程度である。
 ふたりの間に割って入ったことは入ったのだが、結局それは僅かの時間にすぎない。
 つばさは准が言っていた、この程度では邪魔ではないという言葉の意味がようやく分かったのである。
 それからつばさはまだイライラしている渚をちらりと見て彼に言った。
「貴方の態度の変わりようもすごいけど、あの“能力者”の彼もある意味すごいわ。でも……結構貴方も、真剣にいろいろと考えてはいるのね。あの“能力者”に言っていた言葉、ちょっと意外だったわ」
「あ? 僕はいつだって真面目な優等生だよ。それにしても、本当に頭にくるっ」
 そう言ってまだ悔しそうにしている渚に、つばさはふっと瞳を細める。
 それからようやくメニューを開くと、渚に何を奢って貰おうか選び始めたのだった。
 そして――同じ頃。
 喫茶店を出た眞姫と准は、賑やかな繁華街を並んで歩いていた。
「さっきは話題が“能力者”と“邪者”についてだったから、つい相原くんと熱く語っちゃったよ」
 先程の激しい言い合いのフォローをさり気なくしてから、准は眞姫に目を向ける。
 まさか渚の本性がああで、しかも自分とは犬猿の仲だということを、眞姫は知らない。
 眞姫のいる手前でお互い言葉を選んでいたとはいえ、少しムキになってしまった。
 そしてお互いムキになった理由は、話の内容ももちろんだが。
 相手が相手だったからということが正直一番大きい。
 あの渚の猫かぶりな様子しか見たことがない眞姫に彼の本性を明かしたとしても、信じられないだろうし。
 准はそんなことを考えながらも眞姫を見つめた。
 だが当の眞姫は、ふたりがライバル心剥き出しだったことにも気がついていない様子でこう口を開いた。
「さっきの准くんと渚くんの会話で、“能力者”と“邪者”の考え方の違いを改めて感じたわ。そして“能力者”も“邪者”も、自分たちの在り方に誇りを持っていることもよく分かった」
「そうだね。“能力者”と“邪者”では、考え方が全く違うからね。それに彼らもそうなんだろうけど、僕らは自分たちの考えに揺るぎはないから」
「…………」
 眞姫は何かを考えるように言葉を切る。
 それから、ゆっくりと話し始めたのだった。
「今日ふたりの話を聞いていて思ったの。確かに“能力者”と“邪者”はいくら話し合っても平行線かもしれない。でもお互いが平行線だとしても、私がそんな双方の間に立てれば、少しは今の敵対している状況が緩和できるかもしれないって……難しいことかもしれないけど、“能力者”と“邪者”が戦って誰かが傷つけ傷つけられることは悲しいし、私はあって欲しくないって思ってるの」
「姫……」
 准は複雑な表情をしつつも、彼女の話を黙って聞いている。
 そんな彼に小さく微笑んでから、眞姫は暗くなってきた天をふと見上げた。
 だが彼女の栗色の瞳に映っているものは、そんな空の色ではなかった。
 そして彼女はこれから自分がすべきことと真っ直ぐに向き合いながら、この時、あるひとつの決心をしたのだった。