――その頃。
 5人の少年たちは、祥太郎の家に集まって鍋を囲んでいた。
 懸賞で『秋の味覚鍋セット』が当たったため、ささやかな鍋パーティーが催されているのである。
「おっ、うまそうだな! ドンドン入れて食おうぜっ」
 待ちきれず箸を伸ばす拓巳に、何気に鍋奉行の定位置・コンロのつまみの真ん前に座っている准は慌てて声を上げた。
「あっ、拓巳っ。豆腐や春菊は後から入れるんだよっ。僕に喧嘩売ってるならともかく、そうじゃなかったら余計な手出ししないでくれる?」
「ていうか、今日姫は何で都合悪いんだ?」
 拓巳が勝手に具を入れないか注意しながらも丁寧にアクを取っている准を後目に、健人は首を傾げた。
 大抵こういう集まりには、少年たちが想いを寄せている眞姫も当然誘っているはずである。
 だがこの日、ここに彼女の姿はなかった。
 祥太郎は少し残念そうに小さく嘆息する。
「お姫様も誘ったんやけどな、今日は梨華っちと夕飯食い行く約束しとったんやて。あーせっかく当てた鍋セットやのに、暑苦しい男ばかりで食わないかんなんてな」
「まぁ、そう言わずに。僕のお姫様がいないのは残念だけど、この美味しそうなトリュフをいただこうじゃないか、騎士」
 にっこりと優雅な微笑みを宿し、詩音は色素の薄い前髪をさらりとかき上げる。
「トリュフって、それめっちゃ舞茸やーん! 何言うてんねーん! ……こんなベタなツッコミでええか? 王子様」
「確かにトリュフもキノコの仲間だけど、舞茸とは似ても似つかないし。ていうか、トリュフなんてこの僕が鍋に入れさせないよ」
 几帳面にツッこんで、A型の祥太郎と准は詩音に言葉を返した。
「てかよ、早く食おうぜっ。もう煮えてるだろ、これ」
「……姫も来るかと思ってたんだけどな」
 B型の拓巳と健人はマイペースにそう言ってそれぞれ箸を手にする。
「さあ、みんな。どうぞ召し上がれ」
 ふふっと楽しそうに笑い、0型の詩音はあたかも自分のものであるかのように鍋を勧めた。
「おうよ、さー食うぞっ」
 その詩音の言葉を聞いて、拓巳は豪快に具をすくう。
「あっ! それはまだ煮えてないだろう!? 拓巳……鍋の前にいっそ、防御壁張ってもいいかな?」
「まーまー、部長。一杯どうですか? おっとととっ」
 お怒り気味の鍋奉行・准の肩を宥めるように叩き、祥太郎は彼のグラスにウーロン茶を注いだ。
 そんな大きな溜め息をつきながらもウーロン茶を飲む准を見てから、健人はふと思い出したようにポツリと口を開く。
「そういえば……今日の朝、姫が言ってた。またあの時の夢を見た、って」
「あの夢? 姫の小さい頃の夢ってやつか?」
 箸を止めずにそう言った拓巳に頷き、健人は続けた。
「ああ。小さい頃に姫が“邪”に襲われて、それを“能力者”に助けられた夢だ」
「“能力者”に助けられた、ね……」
 詩音はふっとブラウンの瞳を細め、小さく呟く。
「やっぱり自分の両親を亡くした時のショックが、まだ姫の中には大きく残っているんだね」
「……そうだな」
 准の言葉に短くそう言って、健人は何かを考えるようにブルーアイを伏せた。
 祥太郎はそんな彼の様子に気がつき、首を捻る。
「どうしたんや、美少年? 何かほかに気がかりでもあるんか?」
「…………」
 健人は一瞬だけ口を噤んで金色に近い髪をかき上げた。
 そして、ゆっくりとこう言ったのだった。
「姫にとってその時のことが忘れられない傷になっていることも、もちろん心配だ。けど……俺は、姫がその助けに来た“能力者”のことを、今でも強く気にかけていることが一番気になる」
「まぁ、姫はかなりその“能力者”に会いたいって言うとるから、同じお姫様親衛隊として健人の気持ちも分からんでもないけどな。でもその“能力者”は姫にとって命の恩人なんやから仕方ないやろ」
「てか、本当に“気”で剣なんて作れるのか? それって相当デカい“気”を操れないとできないだろ。あの鳴海がそんなことしてるのだって見たことないんだぞ、“気”の物質化なんてできるヤツがいるのかよ?」
「確かにね。そんな大きな“気”の使い手が本当にいるのかな。しかも姫の話だと、その“能力者”ってうちの学校の制服着ていたんだろう? でももしその“能力者”がうちの学校出身だとしたら、鳴海先生や傘のおじ様が何か話してくれてるはずだよね。やっぱり、制服は姫の記憶違いなのかな」
 グツグツと煮立ってきた鍋を囲み、少年たちは思い思いに考えるような仕草をした。
 だが詩音だけは相変わらず柔らかな笑みを湛え、少年たちをぐるりと見回す。
 それから程よく煮えている舞茸を箸で掴んで、柔らかな声で言った。
「ほら騎士たち。もう食べごろじゃないかい? 秋の味覚たちのハーモニーが鍋から聞こえるよ」
「え? あ、本当だ」
 詩音の言葉を聞いて顔を上げ、准はすかさずコンロの火を少し小さくする。
「お、飲み物も切れとるやんか。お茶、ジュース、とりあえずいろいろ一通りあるから持ってくるわ」
 祥太郎は全員のグラスが空きつつあることに気がついて席を立った。
「やっぱうまいな、鍋は。もっと具、たくさん入れようぜっ」
「おまえって本当に懲りないな。そのうち本気で准に殺されるぞ」
 張り切って身を乗り出す拓巳に、健人はふうっと息をつく。
 詩音はそんな少年たちの相変わらずな様子ににっこりと微笑んだ。
 そして、美味しそうに煮えている舞茸を優雅に口に運んだのだった。




 ――同じ頃。
 繁華街のファミリーレストランでチョコレートパフェを頬張りながら、渚は大袈裟に溜め息をつく。
「結局ファミレスかよ、あーもうちょっと気が利いたトコないのか?」
「もう普通の店は閉まる時間なんだから仕方ないでしょ。そう言いつつ、ちゃっかりいろいろ頼んでるのはどこの誰かしら」
 ブツブツ文句を言っている渚に言葉を返し、つばさはひとくち紅茶を飲んだ。
 つばさが何気に苦手な渚は鬱陶しそうに漆黒の前髪をかき上げる。
 それから、思い出したように言った。
「そーいえば、さっきおまえが絡んでた“能力者”って、杜木様の元カノなんだろ? 何やってんだよ、おまえ。まさか元カノに嫉妬して見境なくなったとか? そうだったら最高にくだらないな、まぁおまえならやりそーだけど」
「…………」
 つばさはふと表情を険しくし、黒を帯びる瞳を微かに伏せる。
 そして、短く言った。
「あの人に、訊きたいことがあったのよ」
「訊きたいこと? どーせくだらないことだろ。てか、あの“能力者”に煽られてカッとなってんじゃないっての、僕の手を煩わせるな」
 パクッとパフェについていたチェリーを口に運んでから、渚は相変わらずな口調で言い放つ。
 つばさはそんな渚の毒舌にも慣れたように動じず、言葉を返した。
「貴方は恩着せがましく言うけど、別に手を貸して欲しいなんて一言も頼んでいないわ。それにたとえくだらないことでも、知りたかったのよ」
「は? おまえね、誰にそんな口叩いてるワケ? ホント言うこと可愛くないな、おまえ。で? 何をそんなに訊きたかったんだよ、あの“能力者”に」
「…………」
 思わずつばさは、その渚の問いに口を噤む。
 それから、ゆっくりと口を開いた。
「何って……私に似た杜木様の宝物って、一体何なのかよ」
 渚はカチャリとスプーンをソーサーに置き、はあっと大きく息をつく。
 そしてテーブルに頬杖をついて面倒臭そうに言った。
「ていうかさ、そんなコト訊いてどうなるんだよ。知ったところでどーにかなるわけじゃないだろ、あーホントくだらない」
 その渚の言葉に珍しくムッとした表情を浮かべてつばさは顔を上げる。
「貴方はくだらないって言うけど、好きな人のことを知りたいって思うことは当然の感情でしょう!? そういう渚だって、“浄化の巫女姫”のことが好きじゃない」
「あ? 別に僕は大好きな清家先輩のすべてを知りたいなんて思わないよ、そんなこと絶対に不可能なんだし。不可能なコトを労力使ってやろうとしたって、ただの時間の無駄」
 そこまで言って渚はフッと鼻で笑い、一呼吸置く。
 そして大きな瞳をつばさに向け、こう続けたのだった。
「僕にとって最も大事なのは、清家先輩とふたりの時間だし。僕は先輩が好き、だから先輩と一緒の時は嬉しい。ただ単純なことだろ」
「ただ、単純なこと……」
 つばさは何かを考えるようにポツリと呟く。
 渚は再びメニューを手にして広げながら、言った。
「それに、先輩の運命の人は僕だって自信もあるし。この容姿端麗、才色兼備な僕の前では、あの“能力者”の先輩たちなんて全然目じゃないよ」
「……その自意識過剰な性格、ある意味羨ましいわ」
 呆れたようにそう言いつつも、つばさは漆黒の瞳を細めた。
 自分だって、杜木のことを誰よりも好きだという自信はある。
 彼のためならば何でもしたいし、何だってできる。
 でも……。
 誰でもない自分が、彼の運命の人だという自信はない。
 確かにその自信はないけれど。
 彼の隣にいられる時間が、自分にとっても一番大切なものだと。
 目先の不安要素ばかりを気にしすぎていて、肝心なことを見失っていた。
 つばさは渚の話を聞いてそう気がついたのだった。
「ま、僕に迷惑かけなきゃ、おまえが何やってもいいんじゃないの。杜木様がおまえのこと、何故か気に入ってるってのも事実だし」
 面倒になったのか、渚は投げやりにそれだけ言うと、通りかかったウェイトレスを呼び止めて追加の注文をした。
 奢りであることをいいことに好き放題頼んでいる渚を止めもせず、つばさは彼に漆黒の瞳を向ける。
「……渚」
 自分を呼ぶつばさの声に、渚は可愛い顔に似合わない愛想のない表情で彼女に視線を移した。
 何かまたつばさに説教でもされるんじゃないか。
 そう思った渚だったが。
 つばさはふっと一息つくと、こう彼に言ったのだった。
「そうね……ありがとう、渚」
「え?」
 渚は思いがけない言葉に、一瞬きょとんとする。
 それから大きな瞳をぱちくりとさせて声を上げた。
「はぁっ!? どーしたんだ、おまえ。イキナリ何だよ、鳥肌立つんですけど」
「人がお礼言っているのに、本当に素直じゃないわね。さっきまであれだけ恩着せがましかったのに」
 慣れないことを言われてペースが狂っている渚とは逆に、つばさは普段のように冷静にそう言った後、紅茶を口に運ぶ。
 渚は照れたようにふいっとつばさから視線を逸らしてボソリと口を開いた。
「てか、礼言うのが遅すぎ。有難いと思ってるなら、言葉じゃなくて態度で示せよ」
「態度でって、だからお礼に今、デートに付き合ってあげてるんじゃないの」
「は!? デートってな、誰がおまえなんかとっ。むしろ付き合ってやってるのは僕の方だぞ、分かってんのか?」
 つばさはふてぶてしくそう言う渚をちらりと見て、くすっと笑う。
「別に照れなくてもいいのよ、渚」
「なっ……照れてなんかないってのっ。ふざけたコト言ってんじゃないぞっ、帰るぞ!?」
「帰りたければお好きにどうぞ。じゃあ、さっき頼んだ注文は全部取り消してもらおうかしら」
「……っ、やっぱいつかおまえは殺すっ」
「やれるものならやってみたらどう? 杜木様がそんなことさせないわ。貴方も言ってたでしょう? 何故か私は、あの御方のお気に入りだってね」
「あーもう、あー言えばこー言うっ。僕が注文したもの全部食べ終わるまで、黙ってろっ」
 それ以上何も言い返すことができず、渚はチッと舌打ちをしてふてくされたように顔を顰めた。
 つばさはふっと渚の様子に笑ってから、その顔にいつもの落ち着いた表情を取り戻す。
 やはりまだ杜木のすべてを知りたいと思うし、彼の“宝物”という存在が気にかかるが。
 杜木が自分のことを大切にしてくれているのは事実で。
 いつも優しい穏やかな声で、自分の名前を呼んでくれる。
 そんな大好きな人と一緒にいられる時間を大切にしながら、少しずつでも彼に近づいていきたい。
 そして彼のためになることならば、何だってできると。
 この時、つばさは改めて強くそう思ったのだった。




 その頃――梨華との食事を終え、眞姫は最寄り駅から自宅へと歩いていた。
 賑やかだった繁華街とはうって変わり、住宅街である周囲はシンと静かだった。
 家から漏れる明かりや街灯で決して暗いわけではないが、夜空にはいくつか星が瞬いているのが見える。
 眞姫はそっと栗色の髪をかき上げてから、おもむろにバッグの中に手を入れた。
 そしてメールの着信を知らせて振るえる携帯電話を手にし、それを開く。
 次の瞬間、彼女の可愛らしい顔に笑みが宿った。
「ふふ、楽しそうだね、鍋パーティー」
 そのメールには、鍋を囲んでいる少年たちの画像が添付されていた。
 彼らは本当に仲がいいんだな、と。
 それぞれ少年たちの浮かべている表情を見て、眞姫はそう思ったのだった。
 やはり、辛い訓練を一緒にこなし喜怒哀楽を共にしてきた仲間だからだろう。
 あの鳴海先生の課す訓練は、見ているだけでもハードだということが分かるし。
 “能力者”同士お互い支えあってきたからこそ、彼らはあれだけ強くなれたのだろう。
「“能力者”同士、か……」
 眞姫はそう呟くと、ふと何かを考えるような仕草をする。
 自分と仲の良い少年たちももちろんそうだが。
 昔は……鳴海先生と杜木も、きっとそういう関係だったのだろう。
 それなのに今は。
 ――お互いが敵であるという、悲しい現実。
 強かった絆が壊れてしまうほどの何が、ふたりの過去にあったのだろうか。
 鳴海先生の親友で“能力者”だったはずの杜木が“邪者”になったのは何故なのか。
 先生だけでない、由梨奈にしても杜木は元恋人である。
 眞姫はブラウンの瞳を伏せ、小さく首を振る。
 どういう理由があれ、親友や元恋人が今は敵同士だということは、悲しいことには違いない。
 あまり感情を表に出さない先生や、いつも気丈な由梨奈だが。
 見ていてやはり辛そうである。
 今まで仲の良かった友が突然敵となるのだ、いくら精神的に強い人でも辛いのは当然である。
 眞姫はおもむろに再び携帯を開き、ある人物の電話番号を画面に映し出した。
 そして発信ボタンを押そうかどうかと悩んだ表情を浮かべる。
 だが。
「…………」
 眞姫は、結局電話をかけることはしなかった。
 それから、ふっと小さく息をつく。
 そして気を取り直し、静かな夜の住宅街を歩きながら、少年たちに返すメールの返事をカチカチと打ち始めたのだった。