真っ直ぐ向けられている彼女の瞳には、強い決意の光が宿っていて。
 これから自分が語ることを真っ向から受け止めようとしているのが分かる。
 いくら彼女が選ばれし存在だとしても、自分の運命を自覚したとしても。
 今までの彼女は現実の残酷さや血生臭さとは無縁で。
 きっと自分たちの過去は、そんな彼女にとっては衝撃的すぎるのではないか。
 由梨奈は密かにそう心配していたが。
 眞姫の吸い込まれそうな大きな両の目に宿る色を見て、思ったのだった。
 彼女には、自分たちの過去を知る権利がある、と。
 そして由梨奈は眞姫に優しく微笑み、まず彼女にこう訊いたのだった。
「眞姫ちゃんは、慎ちゃんに対してどんなイメージを持ってる?」
「え?」
 逆に質問されると思っていなかった眞姫は、一瞬驚いた表情を浮かべたが。
 数秒間考えてから、こう答える。
「悪い人じゃないと思います。まだよく“邪者”のことを知らなかった時から、あの人に対しては不思議と怖いっていう感情はなかったんです。印象は……独特のオーラがあって、すごい人なんだろうなって雰囲気で分かるというか……顔もすごく綺麗なんだけど、あの人の強烈な存在感が人の目を惹くんだろうなって。あと……物腰柔らかで優しそうで紳士的だけど、あの神秘的な目は何だか悲しそうだなって、そう思います」
「そうね。彼はこの私の元カレだもの、すごい人よー」
 緊張気味に答える眞姫を気遣うように、由梨奈は敢えておどけるように笑った。
 それから昔を懐かしむかのように瞳を細めて続けた。
「慎ちゃんはね、見ての通りめっちゃハンサムだし、有名ブランドの御曹司だし、成績だってなるちゃんと張り合えるほど優秀だったし、優しいし気が利くし、ホントあんなにいい男はいないわね。それに何よりね……何でも一度好きになったら、とことんそれを大切にするタイプでね。それが、慎ちゃんの長所でもあり、短所でもあるの」
「長所でもあり、短所でも……?」
 長所なのは分かるが、それが何故短所になり得るのか。
 眞姫の疑問を察した由梨奈は、ふっとひとつ息をついて話を続けた。
「慎ちゃんには当時、大切な存在が3人いたの。光栄なことに、ひとりは恋人だった私。そして、無二の親友のなるちゃん。そして……もうひとりは、慎ちゃんの妹よ。特に妹の沙也香ちゃんは、本当に大切に可愛がってたの」
「妹って……」
 眞姫は由梨奈の言葉に思わず顔を上げる。
 そして、鳴海先生から聞いたことを思い出したのだった。
『数年前、“邪”に憑依されたあいつの妹を、私はこの手で殺した。躊躇も後悔もせずに……杜木の見ている目の前でな』
 先生は過去について、それ以上は何も言わなかった。
 それに先生自身にさらに詳しい事情を聴く事なんてこの時は到底できなかったが。
 眞姫は俯きかけた顔を上げ、悲し気な表情を浮かべながらも口を開く。
「鳴海先生に、大まかな話は聞きました。先生と、その杜木っていう人の妹さんのことを」
「えっ? なるちゃんが、あの時の話をしたの?」
「はい。でも……詳しいことは、聞いていません」
 意外な声を上げる由梨奈に、眞姫は苦笑しながらもそう答えた。
 そして返ってきた眞姫の返事で、由梨奈は先生がどういう風に彼女に過去のことを話したのか分かったようだ。
 由梨奈は小さく首を振ると、眞姫に優しい瞳を向ける。
「詳しいことは聞いてないって……それじゃあ、眞姫ちゃんのショックも大きかったでしょう? 本当にもう、なるちゃんは口下手っていうか、不器用なんだから」
 仕方ないようにもう一度嘆息して、由梨奈はそっと長い髪をかき上げる。
 それから、丁寧にゆっくりと話を再開したのだった。
「慎ちゃんの妹の沙也香ちゃんはね、慎ちゃんの妹なだけあって、美人で成績優秀な子だったわ。少し慎ちゃんと年が離れていたから、ふたりは本当に仲のいい兄妹だったの。それに、性格も兄妹似てるところがあって……沙也香ちゃんも、よく言えば一途というか……好きになったら盲目的なところがあってね」
「好きになったら、盲目的」
 先程の、杜木の長所であり短所でもあるという事柄。
 そんな彼ら兄妹の性格が、過去の出来事に大きく関係あるのだと。
 眞姫はそう思いながらも由梨奈の話に耳を傾ける。
 由梨奈は少し間を取ると、無意識的に声のトーンを下げて続けた。
「そう、好きになったら盲目的。なのに……よりよってあの子の好きになった相手は、あの子を追い詰めるような相手だったの。もう6年前になるかしら。沙也香ちゃんは、今の眞姫ちゃんたちと同じく聖煌学園に通ってたわ。そして……妻子のある先生と、特別な関係を持ってしまったの」
「……え?」
 思いもよらない由梨奈の言葉に、眞姫は驚いたように瞳を見開く。
 教師と生徒というだけでも禁断の恋であるのに。
 その先生には、妻子があったとは。
 そんなことが現実に、しかも自分の学校で起こったという事実に、眞姫は再びショックを受ける。
 由梨奈は眞姫の様子を窺いつつも、さらに過去を語る。
「沙也香ちゃんはね、本気でその先生のことが好きになっちゃって。でも先生の方は……沙也香ちゃんのことも好きではあったみたいだけど、やっぱり家庭は捨てられなかったのよ。好きになったら盲目的で、実は密かにプライドも高かった沙也香ちゃんにとって、自分が捨てられたっていう事実は受け入れ難いことで。だから、沙也香ちゃんは……」
 由梨奈はそこまで言うと一瞬口を噤み、小さく首を振る。
 いつも気丈な由梨奈が、口にするのを躊躇うなんて。
 眞姫はその過去がどれだけ由梨奈にとっても辛いものなのかを痛いほど感じる。
 だが由梨奈はすぐに凛とした表情を取り戻し、こう言ったのだった。
「自分が選ばれなかったいう事実と、相手を好きだという気持ちが抑えきれなくなった沙也香ちゃんの心はね……“邪”を呼んだの。そして“邪”と契約を結んで“憑邪”となったのよ」
「! そんな……」
 眞姫は大きく首を振り、言葉を失う。
 過去に眞姫自身も、“邪”と契約を交わした“憑邪”を何人も見てきた。
 “邪”に心を支配され、身体さえもも乗っ取られんとする彼らの表情は、恐怖を感じるものであった。
 そんな“憑邪”を滅する者――それが、“能力者”。
 なのに、よりによって当時“能力者”であった杜木の妹が“憑邪”となるなんて。
 そして“憑邪”となった彼女を滅した“能力者”というのが……。
 眞姫はようやくひとつの線に繋がった過去に深い悲しみを覚える。
 それと同時に、申し訳ない気持ちも生まれたのだった。
 6年前といえば、自分はまだ年端もいかない子供であった。
 “浄化の巫女姫”としての自覚もなかった時期である。
 “憑邪”から“邪”を引き離すことは、“浄化の巫女姫”にしかできないこと。
 よって、自分が力を使うことができなかったその時期。
 “能力者”が“憑邪”となった者に取るべき行動はたったひとつだけ。
 契約を結んだ人間の身体ごと、“邪”を滅する方法。
 これしかないのだ。
 しかも、その身体の一片も残さずに消滅させなければいけない。
 当時の鳴海先生は、そんな“能力者”としてやるべきことを行なったのだ。
 杜木の妹の沙也香を――その手で滅したのである。
「当時ね、慎ちゃんはちょうど仕事で外国に住んでいたの。なるちゃんはすでに聖煌の教師だったし、“能力者”としてやるべきことをやったわ。だけど……運が悪くてね。実はこの時、私たちの知らないうちに、慎ちゃんが一時帰国してて日本にいたのよ。それで異変に気がついて駆けつけた、慎ちゃんが……」
 そこまで言って、由梨奈はたまらず言葉を切る。
 眞姫はこれ以上由梨奈の口から聞くべきではないと、彼女の手を握って頷いた。
 これ以上言わなくても、眞姫にも分かったからだ。
 先生が沙也香を滅せんとした、まさにその場面に。
 杜木が、出くわしたということを。
 そして先生は親友の見ている前で、彼の大切な存在を滅せざるを得なかったのである。
 ただでさえ“憑邪”を身体ごと滅する行為は辛いことなのに。
 先生にとっては親友の妹を、杜木にとっては身内を、その身もろとも消滅させなければいけなかったなんて。
 大切な存在を失い“能力者”で在る自分を放棄した杜木も、彼の親友である鳴海先生も、恋人であった由梨奈も。
 誰も悪くはない、全員が被害者なのだ。
 そして杜木の選んだ道は、“能力者”ではなく“邪者”として在る道。
 心を通わせた友が敵同士として在る現実。
 眞姫はいたたまれなくなり、何も言葉が出てこなかった。
 由梨奈はそんなぎゅっと唇を結ぶ眞姫の手を優しく握り返すと、はっきりとこう言った。
「慎ちゃんが今何をしようとして、何を考えているかは分からないわ。単純に妹を殺した“能力者”という存在に復讐しようとしているのか、もっと別の何かがあるのか。ただ……私たちの知っている慎ちゃんは、もういないってこと。私もなるちゃんも“能力者”で在り続けることを選んだし、慎ちゃんは“邪者”で在ることを選んだ。悲しいけど、それが現実よ」
「それが現実なんだろうけど……どうして親友と敵になることをあの人は選んだの? 先生や由梨奈さんと、もう一度同じ道を歩くことはできないのかな……」
 ぽつりと呟くように、眞姫はそう問う。
 だが由梨奈はそれを否定するように左右に首を振った。
「もしも私たちが再び同じ道を歩くとしたら、私やなるちゃんが“能力者”で在ることを捨てるか、慎ちゃんが“邪者”で在ることを捨てるか、そのどちらかね。でも私たちは“能力者”で在り続けると決めているわ。それに慎ちゃんは……たとえ“邪者”でなくなったとしても、二度と“能力者”では在れないの」
「“能力者”で在れないって、どうしてですか?」
「慎ちゃんは、“能力者”で在る自分ときっぱり決別するためか、復讐のためか……“能力者”のタブーを犯したから」
 由梨奈はふうっと深い溜め息をつき、赤に変わった信号の指示通り車を止める。
 それから眞姫に目を向け続けたのだった。
「慎ちゃんはね、沙也香ちゃんを捨てた男に手をかけたの。“能力者”が、“憑邪”でも“邪者”でもない一般人を滅するなんて、決してあってはいけないことなのに……」
「由梨奈さん……」
 目の前の由梨奈は、とても強い女性だ。
 つらい過去も、こうやって話してくれたが。
 でも本当は……平気なはずなんてない。
 眞姫は由梨奈の今の気持ちを考え、胸が痛んだ。
 だがそんな眞姫の様子に、由梨奈は美しい笑みを宿して言ったのだった。
「私なら大丈夫よ、眞姫ちゃん。眞姫ちゃんこそショックだったでしょう? 確かにね、過去のことを思い出すのは辛いわ。でも私は“能力者”で在り続けると決めたその時から、過去からも目を背けずに向き合っていく覚悟を決めたの。そして“浄化の巫女姫”である眞姫ちゃんに、このことを知ってもらうべきだと思ったから話したの。なるちゃんだって、同じだと思うわ」
 過去の出来事を思い出すのは辛い。
 それは由梨奈の言う通り、彼女だけではなく鳴海先生も同じであろう。
 だがそれでも自分に過去を話してくれたふたりに、眞姫は感謝していた。
 過去を振り返らず前を真っ直ぐ見据えて、運命を真っ向から受け止める、彼らの姿勢。
 自分も“浄化の巫女姫”として運命と向き合って、自分の信じる道を進もう。
 眞姫は改めてそう決意したのだった。
 由梨奈はそんな眞姫の表情を見てふっと微笑み、信号が青に変わったため再び車を走らせる。
 それからちらりと時計を見てハンドルを切った。
「あら、もうこんな時間ね。おうちまで送るわ」
「あ、この近くの駅までで大丈夫です」
 自分がこれから何をすべきなのか、少しひとりで考える時間が欲しい。
 眞姫はそう考え、由梨奈に申し出た。
「おっけー、駅までね。また改めて遊びましょうね」
 眞姫の気持ちを汲み取った由梨奈は、彼女の言葉に素直に応じる。
 そして希望通り駅で車を降ろしてもらった眞姫は、精一杯の気持ちを込め、深々と由梨奈に頭を下げた。
「由梨奈さん、いろいろありがとうございます」
「ううん、何もお礼を言われることなんてしてないって。じゃあ、家まで気をつけてね」
 運転席からひらひらと手を振る由梨奈に眞姫はもう一度お辞儀をする。
 それから駅を離れる真っ赤なフェラーリを見送ると、すっかり暗くなった夜の街を歩き出したのだった。




 夜の闇に溶けるように、少女の身体から立ち昇る“邪気”は淡い輝きを放っている。
 そしてその瞳がゆっくりと開かれ、少女の愛しい人の姿を映した。
「どうだい、つばさ?」
 優しく包み込んでくれるような彼の声と、自分の頭を優しく撫でる彼の手のぬくもりに。
 その少女・つばさは微笑む。
「はい、杜木様。準備は整ったようです」
「そうか。ありがとう」
 杜木はつばさの肩をぽんっと労う様に軽く叩き、漆黒の瞳を細めた。
 この人は、“邪者”を統括するだけの力とカリスマ性を持っている、本当にすごい人なのに。
 誰に対しても、いつも感謝の言葉を忘れない。
 いや、そういうさり気ない心遣いができるということも、ある意味癖のある者の多い“邪者”の上に立つ資質なのかもしれない。
 そして自分は、彼のためならば、何だってできる。
 つばさはすぐ隣にいる杜木様を見つめ、もう一度微笑んだ。
 杜木は瞳の色と同じ漆黒の闇を見据えた後、視線を再びつばさに戻して言った。
「では、行って来るよ。何か外野で動きがあれば、四天王に連絡して対応してもらうように。ただし……あいつは例外だ。頼んだよ、つばさ」
「はい、杜木様。分かっています」
 大きく頷き、つばさは自分に与えられた彼の指示を思い返す。
 それからゆっくりと歩き出した彼の後姿を見えなくなるまで見送ってから、集中するように瞳を閉じたのだった。
 つばさと分かれた杜木は静かな住宅街の道を真っ直ぐに進む。
 すっかり夜の闇が空を覆い、周囲は薄暗いが。
 そんな中、杜木の瞳ははっきりと捉えていた。
 暗闇を照らすような眩い光、唯一無二の神々しい正の“気”を。
 しかもそれは強大な力を感じるが。
 決して、目映すぎて瞳を閉じてしまうようなものではなく。
 闇夜に輝く月のように柔らかく、じわりと心に染みるような、そんな印象を受ける。
 そして慈愛に満ちた美しい“気”を纏う少女が目の前に現れるのに、そう長い時間は要さなかった。
 杜木はふと立ち止まり、瞳にかかる前髪をそっとかき上げる。
 そして美形の顔に微笑みを湛えて口を開いたのだった。
「こんばんは、お姫様」
「貴方は……」
 彼の目の前に現れた少女・眞姫は、一瞬だけ足を止めたが。
 意を決したように顔を上げると、数歩彼の方へとさらに進む。
 ――由梨奈と駅で分かれた眞姫は、自宅へ向かって歩いている最中であった。
 今まで聞いたことを自分なりに整理したくて、敢えて由梨奈に家まで送ってもらわなかったのだが。
 由梨奈や鳴海先生の話だけでなく、できることならば杜木の話も聞いてみたいと。
 ちょうどそう思っていたところだった。
 そして偶然か必然か、その思いと同時に気がついたのだ。
 幾度も出会ったことがある、強い“邪気”を宿す“邪者”の存在が近くにあることに。
 杜木は自分を拒否しない彼女の様子に漆黒の瞳を細め、普段通り物腰柔らかな声で言った。
「貴女とふたりで話がしたくてね。よろしいかな、お姫様」
 その杜木の言葉に、眞姫は素直にコクンと頷く。
 それから大きな瞳を彼へと向け、こう返したのだった。
「私も……貴方と、お話したいと思っていました」
 杜木は彼女の返事に、にっこりと笑む。
 そしてスッと“邪気”の漲る手を天に翳すと、周囲に“結界”を張ったのだった。




 ――その頃。
 健人はひとり薄暗くなった街を歩いていた。
 眞姫が放課後部室を後にしてからも、少年たちは残って遅くまで話をしていた。
 眞姫のことはもちろん、“能力者”のこと、“邪者”のこと、そして他愛のない雑談まで、様々なことを。
 彼らは、仲が良い気の置けない友人であると同時に、同じ運命を背負った特別な仲間でもある。
 今までは、“邪者”は“能力者”の敵であり、思考も存在も間逆の決して相容れないものだと。
 ただ単純にそれだけを思っていたが。
 “邪者”を統括する杜木は、元は自分たちと同じ“能力者”で。
 その上に彼は、あの鳴海先生の親友であったという。
 今は自分たちが“邪者”になるなんて考えられない少年たちだったが。
 鳴海先生や由梨奈、そして“能力者”で在った時の杜木は、まさに今の自分たちと同じような関係であり、一度は運命を共にする仲間であったのだ。
 鳴海先生と杜木との間に、一体何があったのか。
 何も話を聞いていない今の段階では、全く想像もつかない少年たちであったが。
 限りなく低い可能性であっても……杜木と同じような心境の変化が、自分にも生じるかもしれない。
 そして、現在心通わせている目の前の友人たちと、戦わざるを得ない関係になってしまうかもしれないのだと。
 とはいえ、やはり“邪者”は敵であり、“邪”は滅すべき存在であるという考えに揺るぎはないが。
 眞姫が過去を知ろうとし、現実を受け止めようとしているように。
 自分たちも固体観念に縛られず、あらゆる角度からもう一度“能力者”で在る自分自身を見直す必要があると考えたのだった。
 そして自分たちの使命を改めて自覚し、“浄化の巫女姫”である眞姫のことを守っていこうと。
 少年たちはより一層、そう決意を固めたのだった。
 すっかり話し込んでしまったため、当の昔に夕陽すらビルの谷間に沈み、暗闇が空を支配している。
 健人は早足で駅から自宅へと向かいながらふっと一息つく。
 眞姫は今、どこで何をしているのだろうか。
 何かを考え込んで俯いてばかりだった彼女だが。
 そんな姿は、部室で自分たちと話をした後はすっかり消え去っていた。
 それでも、やはり。
 小さく華奢な身体に背負っているものの大きさや、その心情を考えると。
 彼女のことが、心配なのである。
 今すぐにでも声を聞きたい。
 そう強く思う反面、今必死に自分自身の運命と向き合おうとしている彼女の邪魔をすべきではない。
 健人の中で何度もこのふたつの思いが交差する。
 明日の朝になれば、またいつも通り駅で彼女に会えるし。
 眞姫は自分たちに、抱えていた気持ちを話すから待っていて欲しいと、そう言ってくれた。
 そんな彼女のことを信じよう。
 健人はそう思い、眞姫の声を聞きたい気持ちをぐっと抑える。
 それから何気なく腕時計に目を落とした。
 だが――次の瞬間。
「……!」
 ハッとすぐさま視線を上げ、健人は今度はじっと遠くを見遣る。
 そんな彼の綺麗なブルーアイに映るのは。
 夜の街の風景と――強大な、“邪気”の“結界”。
 しかもその中から感じる気配は、“結界”を張った杜木と……。
「姫……っ!」
 健人は表情を引き締めると、“邪気”で形成された“結界”の方角へと走り出す。
 “結界”の位置は、ここからそう遠くはない。
 おそらく、眞姫の家の近くであろう。
 健人はそう目星をつけると、走る速度を上げた。
 だが――その足は。
 すぐに動きを止めることになったのである。
「…………」
 健人はふいに足を止めると、鋭い視線を前方へと投げた。
 そしていつの間にか周囲に形成された、杜木のものとはまた別の“結界”に、表情を険しくした。
「急いでるところを悪いんだけど。これ以上は、ちょっと行かせられないな」
 “結界”内に健人を閉じ込めた張本人はそう言って、漆黒の瞳を彼へと向けて続ける。
「俺も眞姫ちゃんに会いたいんだけどさ。今回は杜木様からの指示でね、君の足止めに来たんだ」
 健人は現れた少年・智也を無言で見据え、その手に“気”の光を宿す。
 そんな健人の様子を見て、智也はふっと笑った。
「この先を行きたければ、力づくでどうぞ……って、言うまでもないか」
「姫に何をする気だ? そこを退け」
 短くそれだけ言い放ち、健人はグッと拳を握り締める。
 智也は小さく首を振ると彼の問いに答えた。
「何をする気って、大切なお姫様に何かする気なんてないよ。俺ら“邪者”にとっても、眞姫ちゃんは大切なお姫様だからね」
 そして健人の“気”に対抗するように身体に“邪気”を漲らせてから。
 智也は声のトーンを変え、言ったのだった。
「てかさ、聞こえなかった? 俺は、君の足止めに来たんだってね。この先は行かせないよ」