――数時間後。
 詩音をはじめとする鳴海一族の計らいで正装をさせられた少年たちは、やたら広いパーティールームにいた。
「ていうか、何で飯食うのにこんな格好しなきゃなんねーんだ?」
 窮屈そうにタキシードの襟元に手を当て、拓巳はそう思わず呟く。
 本来の目的は夏の合宿なのであるが、到着したこの日の夕食は特別に豪華ディナーを詩音の母親が用意してくれているという。
 そして各少年たちに個室として宛がわれた部屋のクローゼットには、タキシードが用意されていた。
 しかも何故か教えてもいないのにサイズもぴったりという、用意周到さである。
 准は慣れない正装に顔を顰めている拓巳を見て、くすっと笑う。
「これからお世話になるんだから、今日くらいは詩音たちのご要望通りに従わなきゃね。それに拓巳、正装もよく似合ってるよ? 七五三みたいで」
「うるせーな、七五三みたいで悪かったなっ」
 わざとらしい准の微笑みにカッと顔を赤らめる拓巳を慰めるように肩を叩き、祥太郎も続けた。
「まーまー。准の言うようによう似合っとるで、七五三みたいで。ま、正装はこのハンサムくんが一番似合っとるけどなーっ」
「自分で言ってれば世話ないな、祥太郎」
 健人はそう言ってブルーアイをちらりと祥太郎に向ける。
 祥太郎はそんな健人の背後から肩に腕を回し、ニッと笑みを宿した。
「そういう美少年こそ、正装もバッチリお似合いやなぁ。何や、どこかの王子様みたいやで?」
 健人はからかうような祥太郎の言葉にも表情を変えず、はあっと嘆息してから口を開く。
「ていうか、本当の王子様が来たみたいだぞ」
 その言葉と同時に、パーティールームのドアが開く。
 そして部屋に入ってきたのは。
「やあ、騎士たち。ご機嫌いかがかな?」
「あら皆さん、とてもよくお似合いですわ」
 とても雰囲気の似た詩音と静香の親子は、普段から正装し慣れている感じが見てすぐに分かる。
 すっかりこの親子のペースにはまっていると、この時強く感じた少年たちであった。
「もうそろそろ、お姫様もやって来る頃かしら。お料理、お出しする準備してくるわね」
 静香はそう言って丁寧にお辞儀をした後、再び部屋を出て行く。
 准は静香に頭を下げた後、詩音に向き直る。
「そういえば詩音、姫も正装してくるの?」
 詩音はその問いに、にっこりと優雅な微笑みで答えた。
「もちろんだとも。お姫様のドレス姿は美しすぎて、王子や騎士たちはきっと簡単に恋の魔法に落ちてしまうだろうね」
「もうすっかり恋の魔法にかかってる騎士としては、ますますお姫様にゾッコンラブちゅーことか? それは嬉しい悩みやなぁ」
「ゾッコンラブってな、いつの言葉だよ。てか、あの鳴海の父親っていう紳士の姿も見えねーけど……」
 祥太郎の言葉に一応ツッこんでから、拓巳はそう気がついて首を傾げた。
 ――その時だった。
「……!」
 健人はふと顔を上げ、青い瞳をパーティールームの入り口へと向ける。
 それと同時に、ドアが再び開いた。
 そして。
「姫……」
 思わずその場にいた少年たちは、言葉を失ってしまった。
 その理由は。
「用意が遅くなっちゃってごめんね、みんな。でも何だか照れくさいね、こんな綺麗なドレス着せてもらえて」
 そう言って、紳士にエスコートされながらその場に姿をみせた眞姫はにっこりと微笑む。
 ほのかにピンク色をした上品で甘い雰囲気のドレスは、眞姫の可愛らしいさをより一層際立たせていた。
 デザイン的にあらわになっている肩には、青紫色のストールがかけられている。
 髪も綺麗に結われ、ほんのりと化粧も施されているようだ。
「とてもよくお似合いですよ、お姫様。少年たちもお姫様にすっかり見惚れてしまっているよ」
 紳士は柔らかな笑顔を眞姫に向け、彼女の座る椅子をスマートに引いた。
 眞姫はそんな紳士に頭を下げた後、椅子に座る。
 それからまだ何も言葉を発することのできない少年たちの様子に、首を傾げた。
「? どうしたの、みんな」
 そのお姫様の声に、少年たちは揃ってハッと我に返る。
 そして、思い思いに彼女に言葉をかけたのだった。
「いやー、あまりにもお姫様が可愛すぎて、ハンサムくんもうメロメロやわ」
「何か、正装ってすげーいいな……めちゃめちゃ得した気分だ」
「綺麗だよ、姫。何だかいつもと違う雰囲気で、新鮮な気持ちになるね」
「姫、すごく似合ってるよ」
「君は罪な女性(ひと)だね、この王子の心を一瞬で奪ってしまうなんて。素敵だよ、僕のお姫様」
 眞姫は少年たちの言葉に照れたように笑って、栗色の髪をそっとかき上げる。
「ありがとう。みんなもすごくよく似合ってるよ」
 自分たちに向けられたお姫様の笑顔に、少年たちは再び全員口を噤んでしまう。
 そして、全員が思ったのだった。
 すっかり自分は、お姫様への恋の魔法にかかっていると。
 だがその魔法をかけた張本人である眞姫はそんな少年たちの心境も全く知らず、紳士と楽しく談笑している。
 それから詩音の母も再びパーティールームに顔を見せ、お姫様に見惚れている少年たちを後目に優雅で豪華なディナーが始まった。
 そして紳士は綺麗に着飾ったお姫様とそんなお姫様に夢中な少年たちの様子を見て、楽しそうに微笑んだのだった。




 豪華な夕食会が始まってしばらくして、少年少女と紳士淑女は和やかな雰囲気で食事を続けていた。
 眞姫は美味しい食事と気の合う友人たちの楽しいひとときに、満足そうに微笑む。
 自他共に厳しい雰囲気を醸し出している息子の鳴海先生とは性格の違う傘の紳士も、すぐに少年たちと打ち解けていた。
「そうか、今回は“気”の訓練のための合宿で、君たちはここに来たんだね」
「ええ。おじさまは休暇ですか?」
 紳士の言葉に頷き、准は彼に言葉を返す。
 紳士はそんな准ににっこりと微笑みを向けて答えた。
「そうだよ。たまには都会の喧騒を離れて、ゆっくりと静かな環境の中で優雅に過ごしたくてね。でも私も嬉しいよ、君たちとこうやって一緒に楽しく食事をできて」
 そして、紳士がそう言った――その時だった。
「あ、ちょっと失礼」
 携帯電話の着信に気がつき、紳士は一旦退席してパーティールームを出て行く。
 それに続き、静香も席を立った。
「そろそろデザートの用意をしてくるわね」
 パタンとドアが閉まり、部屋には少年少女たちだけが残される。
 拓巳はグビグビとミネラルウォーターを飲んだ後、口を開いた。
「何か傘の紳士って、あの憎々しい鳴海の野郎の父親とは思えねーよ。むしろ、甥の詩音と雰囲気似てるよな」
「そうかい? よくそう言われるんだけどね。でも僕は王子ではあるけれど、あの人ほどすごい人物ではないよ」
 拓巳にそう答えて、詩音はふっと上品に笑う。
 健人はその言葉に、ふと小さく首を傾げた。
「あの人ほどすごい人物じゃないって、どういうことだ?」
「伯父様はすごい人だよ。何と言ってもあの鳴海先生が唯一苦手な人物だし、先生に戦い方を教えたのも彼だからね。考え方も柔軟性に富んでいて、面白い人だよ」
「詩音くんに似ているって言えば、伯父様も“空間能力者”なんだよね。昔、“邪”に襲われているところを助けてもらったことあるの、私」
 詩音に付け加えるように、眞姫はそう続ける。
「柔軟性に富んでて、“空間能力者”かい。何や、ますます王子様みたいやなぁ。あ、この場合は詩音があの紳士に似てるってコトになるんか。てか、すごい人やなぁ。あの悪魔が苦手な人やなんて。でも何で苦手なんや? よっぽどセンセより話しやすい人やんか、あの人」
 うーんと考えるように祥太郎はそう呟いた。
 それから少年たちは全員揃って表情を変えると、ふと言葉を切る。
 そしてその胸中にある考えは、全員同じものだったのである。
「ねぇ、みんな。提案があるんだけど」
 短い沈黙の後、准がそう話を切り出す。
 眞姫は真剣な表情をしている少年たちを、黙って見守っていた。
 准はそれから一息おいた後、あることを口にする。
 そして彼の言葉を聞いて、ほかの少年たちも同意したように大きく頷いたのだった。
 ――その頃。
 パーティールームを出た紳士は、相変わらず柔らかな笑みを絶やさずに電話をしていた。
 その相手とは。
「今かい? 今は、お姫様や騎士たちとディナーパーティーを催していたところだよ。……え? 今回の目的を分かっているのかって? いやだな、ちゃんと分かっているよ」
 楽しそうに会話をしている紳士とは逆に、電話の相手は深々と溜め息をついている。
 それから紳士はふっとブラウンの瞳を細めた後、こう続けたのだった。
「心配いらないよ、将吾。きっと私から言わなくても、あの騎士たちなら大丈夫。彼らと話をして、余計にそう確信したよ。では、また何かあれば連絡するから……おやすみ、将吾」
 そこまで話をして、紳士は携帯を切る。
 そして、少年たちのいるパーティールームへと戻った。
「あの、おじさま。折り入って、お願いがあるんですけど」
 紳士が戻ってきたことを確認し、少年たちがおもむろに立ち上がる。
 准は全員の代表で、そう紳士に声をかけた。
 紳士は少年たちと彼らを見守る眞姫をぐるりと見回した後、にっこりと微笑む。
「私にお願い? 何かな」
「貴方の休暇の邪魔にならない程度で結構ですから、僕たちの訓練にお力を貸していただけませんか?」
 部長である准はもちろん、少年たちは全員真剣な眼差しを紳士に向けている。
 ――紳士が退席している、その間。
 今回の合宿で、是非紳士の力を借りたいと。
 少年たちは、そう全員一致で話していたのだった。
 紳士はその言葉を聞き、息子である鳴海先生と同じ色の前髪をそっとかき上げる。
 それから普段通り柔らかな声で、こう彼らの申し出に答えた。
「ここで出会ったのも何かの縁だからね。私にできることならば、協力するよ」




 ――楽しかった食事会も終わりを告げ、少年少女たちは一旦自分の部屋へと戻っていた。
 だが眞姫は、すぐにハンカチをパーティールームに置き忘れていたことに気がつき、ドレスを着替えるその前に再びパーティールームへと足を運んだ。
 その時。
「姫? どうしたんだ?」
 ふと背後から声を掛けられ、眞姫は振り返る。
 そして声の主を確認し、その顔に笑顔を宿す。
「あ、健人。うん、パーティールームにハンカチ忘れちゃって。今から取りに戻ろうと思っていたの。健人は?」
「何だか喉が渇いたから、何か飲み物を取ってこようかと思って。一緒に行くか?」
 まだ正装のままの健人はそう言って、彼女の隣に並んだ。
 眞姫は栗色の髪を小さく揺らしながら、彼の言葉に頷く。
「うん。一緒に行こうか」
 それからふたりは、楽しく会話を交わしながらパーティールームへとともに向かった。
 健人は隣で屈託なく笑う眞姫の姿をブルーアイに映し、満足そうに微笑む。
 表情豊かな彼女の笑顔を見ていると、何だか心が癒されていくような気がする。
 それに今隣にいるドレスを着た眞姫は、いつもと少し雰囲気が違っていた。
 女性は着る物によってその印象を変えるというが、それは間違っていないと。
 そしてますます、自分のそばで彼女に笑っていて欲しいと。
 健人はそう強く思ったのだった。
「あ、健人見て! 窓の外、すごく星空が綺麗……!」
 眞姫はパッと表情を明るくした後、廊下の大きな窓から見える外の風景にそう声を上げる。
 それから健人を手招きした後、おもむろに窓を開けたのだった。
 窓が開け放たれたと同時に、強い夜風が彼女の髪を大きく揺らす。
 健人はそんな彼女の髪を手櫛で優しく整えた後、彼女と同じように夏の空を見上げた。
「すごいな、星がたくさん見える」
「うんっ。都会じゃ、こんなに星もたくさん見えないもんね。あ、月もほぼ満月に近いよ!」
 はしゃいだように天を仰ぐ眞姫の様子に、健人は微笑ましげに青い瞳を細める。
 淡い月光に照らされた、眞姫の綺麗な横顔。
 健人はそんな彼女の身体を、今ここで強く抱きしめたい衝動に駆られる。
「健人?」
 綺麗な星空ではなく自分を見つめている彼の視線にようやく気がついた眞姫は、不思議そうに健人を見つめた。
 そして健人が、言葉を発しようとした……その時だった。
「あら、プリンセス。ちょうど探していたところよ。ハンカチ、パーティールームにお忘れでしたわよ」
 ふと背後から空気のように澄んだ声が聞こえ、健人は口を噤む。
 その場に現れた静香はふたりに近づき、詩音とそっくりの柔らかな微笑みを宿した。
 そして、眞姫の忘れたハンカチを彼女に手渡したのだった。
「あっ、すみません。ありがとうございます」
「プリンセスは意外とうっかりさんなのね。でもそういうところが、また可愛らしいわ。では、また」
 くすくすと笑った後、静香はふたりの前から去って行った。
 思わぬ肩透かしを食らうことになった健人は、月の光に照らされて金色にみえる前髪をかき上げつつ思わずふっと嘆息する。
 そんな彼の心の内も知らず、眞姫は暢気に他愛のない会話を再び始める。
「そういえば健人って、正装すごくよく似合ってるよね」
「そうか? あまり着慣れないけどな、こういう服」
 健人は相変わらずな眞姫の様子に、はあっともう一度溜め息をつきながらそう答えた。
 だがすぐに気を取り直し、隣で楽しそうに話をする彼女を見つめる。
 そして、幸せそうに小さく微笑んだのだった。