――蒸し暑い日曜の午前中。
 夏休み中の繁華街は、この日も多くの人で溢れている。
 そしてその少女・つばさは、駅のロータリーで人を待っていた。
 愛する人を待つその表情はこの上なく幸せそうである。
 一目彼を見たその日から――自分は、この人のために尽くそうと。
 そしてその想いは、彼に優しく見つめられるたび、柔らかな声で名を呼ばれるたびに強くなって。
 彼もそんな気持ちを受け止めてくれ、自分のことをとても大切にしてくれている。
 だが……。
 つばさはふと俯き、小さく溜め息をつく。
 そんな彼女の顔には、少しだけ不安気な色が浮かんでいた。
 確かに彼は、自分のことを大切にしてくれているが。
 彼は誰にでも優しく、誰からも慕われている。
 いや、ほかの誰よりも、自分が彼に大切にされているのは分かっているのだが。
 自分が彼を想う気持ちと、彼が自分を思う気持ち。
 それは何かが微妙に違っていて――決して、同じではない。
 そのことが、つばさには分かっていたのだった。
 特にそう強く感じるようになったのは、あの彼の恋人だったという綺麗で魅力的な女性・由梨奈が現れてから。
 彼女を見つめる彼の瞳の色を見るたびに何とも言えない感情が生まれ、胸の中で渦を巻く。
 やがてその醜い気持ちは耐えられないほどに大きくなり、それは殺意へと変わる。
 しかし自分には彼女を殺す力もなく、それが歯痒くてどうしようもない気持ちになる。
 だが、そんな荒れた気持ちを抑えきれなくなった時の自分にも、彼はとても優しくて。
 頭をそっと撫でられると、渦を巻いていた気持ちも和らいでいく。
 その反面、そんな時いつも思うのだった。
 こんな自分が、果たして彼の役に立てるんだろうか。
 彼は自分のことを、一体どう思っているのだろうかと。
 だがつばさは、返ってくる答えが怖くて、そのことを実際彼に訊くことができずにいた。
 ――その時。
 ふと顔を上げたつばさは、硬かったその表情を緩める。
 そんな彼女の瞳に映っているのは、見慣れたブルーのマセラティ。
 そしてその車から出てくる、愛しい彼の姿。
「つばさ」
 柔らかな印象の声が、優しく彼女の名を呼んだ。
 つばさは嬉しそうに微笑み、現れた彼・杜木の元へと駆け寄る。
「杜木様」
 つばさの頭を大きな手でそっと撫でた後、杜木はスマートに助手席のドアを開けた。
 つばさは恐縮そうに頭を軽く下げつつも、促されるまま助手席に座る。
 杜木はそっと助手席のドアを閉めてから運転席に戻り、ゆっくりと愛車のマセラティを走らせ始めた。
 つばさは大好きな彼とふたりきりのこの瞬間を幸せに思いつつも、ちらりと視線を杜木へと向ける。
 綺麗なその横顔はいつ見ても飽きることのない美形で、思わず見惚れてしまう。
 しかも彼はただ美しいだけでなく、神秘的で何よりも人を惹きつけるような魅力に溢れている。
 自分はこの人のために、何ができるだろうか。
 少しでも彼が喜んでくれることをできているのだろうか。
 どうすれば……彼の“特別”な存在になれるのだろうか。
 つばさはそんなことを考えながら、じっと運転席の杜木を見つめていた。
 信号が赤に変わり、車が一旦動きを止める。
 杜木はそっと腕を伸ばし、自分を不安そうに見つめているつばさの頭を優しく撫でた。
 つばさはそのあたたかい手の感触に、先程と変わって思わず幸せそうに微笑む。
 彼に温もりを与えられるたび、醜い嫉妬や不安な気持ちが不思議と溶けていくような気がするからだった。
 そしてようやく笑顔を取り戻したつばさは、ふと疑問に思っていたことを彼に訊く。
「杜木様、今日はどちらに行かれるのですか?」
 普段彼と会う場所は、大抵繁華街と決まっている。
 だが今日は車であることからも分かるように、どこか別のところへ行くようだ。
 杜木はそのつばさの問いに、ふと漆黒の瞳を細めた。
 それからゆっくりと、こう答えたのだった。
「今日は特別な日だからね。これから、私の宝物に会いに行くんだよ。それにもし運が良ければ、あいつにも会えるかもしれない」
「特別な日? 宝物……?」
 今から向かう場所の検討がますますつかず、つばさは小さく首を傾げる。
 杜木は信号が青に変わったことを確認し、再び車を発進させハンドルを切った。
 そしてつばさを乗せたブルーのマセラティは、賑やかな繁華街を離れたのだった。




 ――その頃。
 紳士は優雅に広いリビングでお茶を楽しみながら、誰かと電話で話をしていた。
 その声は心なしか楽しそうである。
 そして、その相手とは。
「何か用かって……相変わらず冷たいな、将吾。私に会えないことが寂しいのは分かるが、そう拗ねないでくれよ」
『聞こえませんでしたか? 用件は何かと、私は言っているんですが』
 呆れたように溜め息をつきながら、電話の相手・鳴海先生は冷たくそう言い放つ。
 紳士はそんな息子の様子に笑った後、ふと何かに気がついたようにブラウンの瞳を細めた。
 それから、鳴海先生に訊いたのだった。
「今、外かい? 電話してもよかったかな」
『ええ。仰る通り今外出先ですが、構いません。それに、今日は……』
「ああ、そうか。そういえば今日は……あの日だったね」
 紳士は壁にかかっているカレンダーで日にちを確認した後そう呟き、ふと何かを考えるように俯く。
 そして気を取り直すように、普段と変わらない声で話を続けた。
「そうそう、分かっていると思うが、今日そっちに戻るよ。お姫様や騎士たちも一緒にね。それにしてもとても刺激的で楽しかったよ、少年少女たちとのバカンスは」
『……きちんと真面目に、取り組んでいただけたのでしょうか?』
 疑り深い様子の息子の声に、紳士はにっこりと笑みを浮かべる。
 それからひとくち紅茶を口に運んだ後、こう言ったのだった。
「大丈夫だよ。きっとテストの時は、君にも満足してもらえるような結果が出ると思うから。本当にいい少年たちだね、彼らは。お姫様もお姫様なりにすごく頑張っていたし」
『そうですか、ありがとうございます。静香さんにも、世話になったお礼を言っておいてください』
 相変わらず真面目で几帳面な息子の言葉に、紳士は再びくすくすと笑う。
 そういうところが、母親にとてもよく似ていると。
 だが敢えてそれを言葉には出さず、紳士はそれからしばらく息子との会話を楽しむ。
 そして、決して愛想はないが。
 鳴海先生もそんな父との会話に、律儀に言葉を返していたのだった。
 その――同じ頃。
 夏合宿の訓練日程をすべて終了した少年たちは、別荘の外にいた。
 もちろん彼らのそばには、お姫様の姿もある。
 この日の夕方に少年少女たちは家路に着く予定なのであるが。
 それまでの時間、特に何も予定はない。
 すなわち今は、彼らに与えられた短い自由時間なのである。
 眞姫は楽しそうに湖畔に広げたレジャーシートに座り、少年たちをぐるりと見回した。
「今日も天気が良くてよかったね。朝から張り切って、お弁当作っちゃった。みんな、よかったら食べて」
「すげーな、これ全部姫が作ったのか?」
 拓巳はたくさん並べられた手作り弁当を見て、感心したように声を上げる。
「全部ってわけじゃないよ。詩音くんのお母様にね、いろいろお料理教えてもらったんだ」
「だからか、何だか弁当っぽくない耽美な飾り付けがついてる料理があると思ったら」
 まじまじと弁当の盛り付けを見つめながら、健人はぽつりと呟く。
 そんな健人と眞姫を交互に見ながら、詩音は満足そうに笑った。
「母君もとても喜んでいたよ、まるで可愛いお嫁さんとふたりで台所に立ってるみたいだったってね」
「私も静香さんとお料理できて、すごく楽しかったよ。レパートリーもいっぱい増えたし」
 詩音の言葉に、眞姫も満足そうに微笑む。
 祥太郎はハンサムな顔に笑顔を浮かべながらも、小声で言った。
「何気に王子様、ちゃっかりしとるなぁ……家族ぐるみで、お姫様をゲットしようっちゅー作戦か?」
「そうだよね。あの姫が慕ってる紳士も、詩音の親戚だしね」
 小さく頷いて准はちらりと祥太郎に目を向ける。
 それからすぐに視線を移し、普段通り優し気に眞姫に言った。
「それにしても姫、5人分のお弁当作るのって大変だったんじゃない? ありがとう」
「ううん、気にしないで、准くん。お料理するの好きだから。よかったらみんな、食べてみて」
 祥太郎は律儀に全員に紙の取り皿とコップを渡しながら、何気に眞姫にこう訊いた。
「お嫁さんといえば、姫は将来こんな殿方のお嫁さんになりたいわーとか、そういうのってあるんか?」
「こんな人のお嫁さんになりたいって……うーん、そうね」
 少年たちはお姫様の作った弁当に嬉しそうに箸を伸ばしつつ、彼女の答えを真剣に待つ。
 眞姫は小さく首を捻って考えた後、少し照れたように再び口を開いた。
「やっぱり、自分の一番好きな人のお嫁さんになれたらいいな。自分の好きな人のために、ごはん作ったりお掃除したり洗濯したりできれば、すごく幸せだよね」
 眞姫はそう言って、可愛らしいその顔に笑みを宿す。
 そして、そんな彼女の言う一番好きな人が自分だったらいいと。
 その場にいる少年全員がそう思ったのは、言うまでもない。
 それと同時に、まだ眞姫にとって特別だと思える異性がいないのだろうことも、彼女のことをいつも近くで見ている少年たちには分かっていた。
 だが逆に考えると、これから自分が彼女の一番好きな人になり得るチャンスもあるということである。
 少年たちは思い思いの表情を浮かべ、改めて頑張ろうと心に誓ったのだった。
 そんな彼らの心境も知らず、眞姫は少年たちに目を向ける。
 それから、今度は彼らにこう訊いたのだった。
「みんなは、どんなお嫁さんを貰いたいの?」
 どんなお嫁さんというか――むしろ、誰を貰いたいかまで決まっている。
 そう即答したいのを抑え、少年たちは少し考える仕草をする。
 眞姫は全員の様子を見た後、先程自分に質問してきた祥太郎に目をやった。
 祥太郎はそんな彼女の視線に気がつき、そっと前髪をかき上げて口を開く。
「そうやなぁ、結婚してもいつまでも恋人同士のような関係でいられるような、そんな子がええな。家事や育児も分担っちゅーか、ふたりで一緒に楽しくやれたりしたら理想やな。あと、年取っても手ぇ繋いでラブラブで歩いたりとかできるカンジとか憧れるわ」
「祥ちゃんって器用だし、家事も上手だもんね。むしろ、お嫁さんに貰いたいくらい。それに私も、おじいちゃんおばあちゃんになっても仲良くできるような人っていいなって思うよ」
「そうやろ、姫。花嫁修業バッチリやからな、もういつでも姫のところにお嫁に行けるで、俺」
「ふふ、祥ちゃんっていいお嫁さんになりそうだよね」
 冗談っぽくおどける祥太郎の言葉に、眞姫は楽しそうに笑う。
 祥太郎はそんな彼女の様子に満足したように瞳を細めた後、おもむろに眞姫の手作り弁当を一際夢中で食べている拓巳の肩を叩いた。
「んで、たっくんはどんなお嫁さんが欲しいん? あ、俺はもう姫のところに嫁に行くって決めてるからな、申し訳ないけど他所をあたってくれんか?」
「なんでおまえが嫁なんだ? むしろ、野郎なんて嫁に貰いたくねーしっ。てか、どんな嫁が欲しいかって……」
 ちらりと漆黒の瞳で眞姫を見てから、拓巳は少し照れたように頬を赤らめる。
 そして、こう答えたのだった。
「あまりそんなこと、考えたことないけどよ……何か仕事から帰ってきたら、うまい飯がもうできてるような、そんな感じってあったかくていいなって思うよ。それにこんな美味い弁当とか作ってくれたりしたら、もっといいなって」
「拓巳ってすごく作ったもの美味しそうに食べてくれるから、作り甲斐がありそうよね」
 結構ストレートな拓巳の答えの真意にも全く気がつかず、眞姫は暢気にそう言葉を返す。
 拓巳はそんな相変わらずな彼女の様子に苦笑しつつも、パクッと鶏の唐揚げを口に運んだ。
 それからうんうんと小さく頷き、幸せそうに言った。
「姫の唐揚げって、いつ食っても最高に美味いなっ」
「本当? ありがとう」
 拓巳の言葉に嬉しそうに微笑み、眞姫は風に揺れる髪をそっと耳に引っ掛ける。
 詩音は優雅に自分用に用意していたジャスミンティーをひとくち飲み、空想に耽るように口を開いた。
「王子の運命の女性ね……きっととても美しく、素敵な女性だよ。しかももうその運命の人は、王子のすぐ近くにいるかもしれない。ね? お姫様」
 そっと眞姫の手を取り、詩音は綺麗な顔に柔らかな笑顔を浮かべた。
 眞姫はしなやかな詩音の指の感触に瞳をぱちくりとさせる。
 それからすぐに、コクンと首を縦に振った。
「うん。でも詩音くんって、本当にロマンチストだよね。もしかしたら運命の人が近くにいるかもしれないって思うと、すごく素敵よね」
「……本当に究極に鈍いよな、姫って」
 眞姫に聞こえないくらいの声で、拓巳はしみじみとそう呟く。
 祥太郎はそんな拓巳を宥めるようにポンポンと叩いた後、まだ答えていない残りふたりに話を振った。
「じゃああとは、部長と美少年やな。どうなん? おふたりさん」
 准はその言葉に小さく首を傾げてから、そして口を開く。
「僕? そうだね、やっぱり一緒にいてお互いがお互いを高めあえるような、そういう人かな。あと、一緒にいるだけで安心感を与えてくれる人とか」
「そうだな。俺も、一緒にいて気を使わなくていいような……自分が素の自分でいられる、そういう相手がいい」
 健人も准の言うことに同意するように、そう言葉を続けた。
 それからおもむろに、綺麗なブルーアイを眞姫に向ける。
 その熱い視線は、誰がどう見ても「それはおまえのことだ」と訴えかけているのがありありと分かるものである。
 ……だが。
「そうだね、一緒にいてホッとできるって大切よね。ずっと、人生を共にする人だもんね」
 やはり当の本人である眞姫は、全く気がついていないようである。
 健人は小さくひとつ嘆息しつつも、彼女の性格を考えると仕方ないなと、敢えて何も言わなかった。
 そんな健人の様子に笑い、祥太郎はからかうように言った。
「ていうか美少年は結構、亭主関白タイプーってカンジするよなぁ」
「そうか? それを言うなら俺よりも、拓巳の方がそういう感じじゃないか?」
「あ? 俺は違うだろっ。それを言うなら、准の方が余程タチ悪い隠れ亭主関白って感じしねーか?」
「……ねぇ、拓巳。それって一体、どういう意味?」
「騎士たち、女性は尊敬に値する偉大な存在だよ。王子は自分の運命の人はもちろん、すべての女性を尊敬しているからね」
 ワイワイと各々口を開き始めた少年たちの様子を見て、眞姫はくすくすと笑う。
 こうやって、気の置けない仲間たちと楽しい時間が過ごせる。
 それが今、本当に嬉しい。
 眞姫は改めて、そう強く感じたのだった。
 それからまだ賑やかに言葉を交わしている少年たちを見つめ、言った。
「あ、そうだ。この玉子焼きね、いろいろ味を変えて何種類か作ってみたんだけど。どれが美味しいと思う?」
 そんな彼女の言葉に、少年たちは一斉に会話を中断させる。
 それから我先にと箸を伸ばし、彼女お手製の玉子焼きを嬉しそうに口に運んだのだった。
 愛しのお姫様が作ったものなら、何でも美味しいと。
 むしろ彼女と一緒にいられるだけで、心の中があたたかく満たされると。
 少年たちは揃ってそう改めて感じ、自分たちを見つめている眞姫の可愛らしい笑顔に表情を緩めたのだった。




 ――繁華街を離れて、1時間余り。
 つばさを乗せた杜木のブルーのマセラティは、静かで見晴らしの良い小高い丘を走っていた。
 そしてしばらく経った後、おもむろにその動きを止める。
 つばさは周囲を見回し、不思議そうな表情を浮かべた。
 ここは一体、どこなのだろうか。
 そんな疑問を感じながらも、スマートに開けられた助手席のドアから外へと出る。
 その瞬間、風がふわりと彼女の漆黒の髪を揺らした。
 杜木はあらかじめ用意しておいた純白のカサブランカの花束を片手で抱き、逆手でつばさの腰に手を回す。
 そして彼女を伴い、ゆっくりと歩き出した。
 つばさは髪と同じ色の瞳を向け、彼に訊いた。
「杜木様、ここは……?」
 ――その時だった。
 つばさは途端に表情を変え、思わずその場で足を止める。
 その理由は。
 “空間能力者”である彼女には、いち早く分かったのだった。
 自分たちよりも先に……あの人物が、この場にいるということを。
 そんなつばさの様子に気がつき、杜木は優しく彼女の髪を撫でた。
 それから、こうポツリと言ったのだった。
「やはりあいつも、この場に来ているんだな」
「杜木様……」
 不安気な顔で、つばさは再び歩き始めた杜木を見つめる。
 つばさを伴い目的の場所に着くと、杜木は先にその場に来ていたその人物に漆黒の瞳を向ける。
 そして、その人物に声を掛けたのだった。
「俺の宝物に会いに、今年も来てくれたんだな。将吾」
「……杜木」
 その場にいたのは、鳴海先生だった。
 ブラウンの瞳に杜木の姿を映し、先生は複雑な表情をして口を噤む。
 つばさは杜木と鳴海先生を交互に見ながら、小さく首を傾げて呟いた。
「お墓……?」
 小高い丘の上にあったのは、小さな誰かの墓だった。
 だが一体、これは誰のものなのだろうか。
 それに何故、能力者の統率者であるという鳴海先生がいるのだろうか。
 小さな墓前には、彼が持ってきたのであろう花が供えてある。
 杜木は先生とは逆に柔らかな笑みをその顔に湛え、普段と変わらない穏やかな声で言った。
「将吾、ちょうど良かったよ。改めて、おまえに話があるんだ」
「話だと? おまえと手を組むという話なら、前に断ったはずだ」
 鳴海先生はそう言った後、グッと拳を握り締める。
 それから、こう続けたのだった。
「杜木、おまえが“能力者”を……いや、俺を恨むのは当然だ。だが何故“邪者”になり、清家に眠っている“負の力”を蘇らせようとする?」
「恨む? 俺はおまえを恨んでなんかいないよ、将吾。ただ、自分が“能力者”としてしてきたことに疑問を感じた。そして自分が信じた道を見つけ、真っ直ぐその道を進んでいるだけだよ。むしろおまえを恨むどころか、昔のように同じ志を持って共に新しく切り開いたこの道を歩いていきたいと、そう思っている。それに“浄化の巫女姫”の彼女の潜在能力を引き出すことこそ、彼女の可能性を広げてあげるいい機会じゃないか。そうは思わないか?」
「清家の可能性を広げる、だと? 本気でそんなことを思っているのか?」
 鳴海先生のその言葉に、杜木はすぐに小さく頷く。
 先生は切れ長の瞳を細め、首を左右に振った。
 そして、はっきりと彼に言ったのだった。
「さっきも言ったが、どんなにこの俺を恨んでも構わん。だがこれ以上、清家を巻き込むな。それに俺は“能力者”だ。何を言われても、俺に与えられた使命は全うする」
「……将吾」
 杜木は自分に真っ直ぐに見つめる先生に視線を返し、ふっとひとつ嘆息する。
 それから先程までとは違う印象の声で、ゆっくりと口を開いた。
「ではおまえは“能力者”としての使命を全うするためならば、この俺も殺すというのか?」
「…………」
 鳴海先生はその言葉にピクッと反応を示す。
 だがすぐに決意の光が宿る瞳を杜木に向け、彼の問いかけに答えた。
「おまえが“邪者”として、“能力者”であるこの俺の前に立ちはだかるというのならな」
 杜木はその返答を聞いて、ふっと笑みを宿す。
 それから心配気に自分を見つめているつばさの頭を宥めるように撫でた後、再び歩き始めた。
 そして屈んで小さな墓前に真っ白なカサブランカの花を手向け、普段の物腰柔らかな声で先生に言った。
「本当に相変わらずおまえは、不器用で頑固な生き方しかできないヤツだな。まぁいい、気が変わって俺と手を組む気になったら教えてくれ」
「…………」
 鳴海先生は杜木の様子をちらりと見た後、おもむろにその場を離れ始める。
 つばさは状況がよく理解できないまま、小さくなっていく鳴海先生の後姿を見送った。
 それから杜木の隣に並び、彼に目を向ける。
 杜木はその小さな墓を、ただじっと見つめていた。
 風がふたつの花束をそっと揺らし、カサカサと葉の重なり合う音だけが耳に響く。
 訊きたいことは、たくさんある。
 だが何故かつばさは、隣にいる杜木に何も訊くことができなかった。
 あまりにも、墓を見つめているその杜木の瞳が優しくて……そして、寂しそうだったから。
 つばさは漆黒の瞳をふと小さな墓に向ける。
 それは誰のものなのか、分からないが。
 ただ、これだけは分かる。
 杜木にとって、とても大切な誰かのものなのだということが。
 つばさは杜木と同じように屈み、黒を帯びた両の目を伏せる。
 それから彼の隣で、そっと手を合わせたのだった。




 その日の、夕方。
 詩音の別荘を離れる時間になり、少年たちと眞姫は荷物を持ってリビングへと集合する。
 来る時の少年たちは、公共の交通機関を駆使し山道をひたすら歩き、何とかこの別荘にやって来たのであるが。
 帰りは、紳士と詩音の母の車で送ってもらえることになっていた。
「やあ、騎士たち。忘れ物はないかな?」
 相変わらずマイペースな様子で、リビングに最後に姿を現した紳士は少年たちに微笑む。
 准は几帳面に、そんな紳士に頭を下げる。
「お世話になった上に、車で送っていただけるなんて。ありがとうございます」
「構わないよ、何人乗せても手間は変わらないからね。むしろ君たちと長く居られて、私も寂しくないよ」
 紳士は准にそう言った後、ぐるりと全員を見回した。
 それから、こう言葉を続けたのだった。
「君たちはこの数日間、とてもよく頑張ったね。将吾の行うテストとやらも、この調子で気を引き締めて臨めば問題はないよ。そしてその将吾は、随分と君たちに厳しいようだが……あの子は本当に不器用な子なんだよ、見ていて心配なくらいにね」
「おじ様……?」
 眞姫は紳士に視線を向け、小さく首を傾げる。
 そんな眞姫に優しく微笑んだ後、紳士は気を取り直して口を開いた。
「君たちと共に過ごしたこの数日は、本当に楽しかったよ。またこういう機会があれば私も嬉しいな」
「僕たちの方こそ、本当にありがとうございました」
 部長の准をはじめ、少年たちは思い思いに紳士に頭を下げる。
「私は礼を言われるような、特別なことをしたつもりはないよ。ではそろそろ帰りましょうか、お姫様に騎士たち」
 紳士は礼を言う少年たちに笑顔を向けた後、隣にいる眞姫をスマートにエスコートする。
 少年たちはそれに続き、数日間過ごした豪華な詩音の別荘を後にした。
「やっぱあの紳士、あの鳴海の野郎の父親とは思えないよな」
「ちゅーか、むしろこれからもあの優雅なオジサマに指導して欲しいくらいやし。悪魔にボコられるのは、もう勘弁やからなぁ」
「おじ様には、本当に合宿ではいろいろお世話になったよね。でもその悪魔な先生のテストがあること、忘れちゃ駄目だよ」
「そうだな。また帰ってからも、テスト対策立てないとな」
「それにしても、今回はとても楽しいバカンスになったよ。お姫様と騎士たちが別荘に来てくれて、王子も満足だよ」
 少年たちは車庫に向かいながら、思い思いにそう口を開く。
 眞姫はそんな仲の良さそうな少年たちの様子を見つめ、にっこりと微笑みを浮かべた。
 同じ境遇の仲間たちと、お互いがお互いを支えあいながら向上していける。
 そんな彼らの関係を眞姫はこの時、とても羨ましく思えた。
 それと同時に、自分もそんな彼らと一緒にこれからも頑張っていこうと。
 そう、改めて決意したのだった。
 紳士はそんな眞姫をじっと見つめ、ブラウンの瞳を細める。
 持っている雰囲気は、全く違うはずなのに。
 その凛とした瞳の輝きが、先代の“浄化の巫女姫”である晶のものと不思議と重なる。
 ――この少年少女たちならば、安心して任せられる。
 紳士は数日間彼らと一緒に過ごし、そう強く思ったのだった。
 そして彼ら彼女らなら、きっと……。
 紳士はふっと、空を赤く染め始めた夕陽に目を細める。
 それから少年少女たちと過ごした夏の休日に、満足そうに微笑んだのだった。