14. 俺様と夕焼け色の空
――ご褒美と称したデート開始から、数時間後。
遥河はご満悦そうに漆黒の瞳を細めて、少し興奮気味に言った。
「やっぱ映画は、ど派手なアクションに限るな。特にあのラストの爆発の迫力、あースカッとした」
子供のようにそう語る遥河をちらりと見て、美紅はつい表情を緩めてしまう。
恋人の早瀬と観る映画は、大抵ロマンチックな恋愛映画である。
もちろん恋愛映画も好きなのだが、デートでアクション映画を観るということが美紅にとっては何だか新鮮だったのである。
遥河はそんな美紅に、ふと視線を向けた。
それからニッと笑みを浮かべ、からかうように言った。
「おまえも良かっただろ? 68点程度の点数しか取れないヤツでも、何も考えずに観られる映画だったからな」
「なっ、うるさいわねっ。ドッカンドッカンなってて喜んでたのは、アンタの方じゃないのっ」
ムキになって言い返す美紅の様子に、遥河は楽しそうに笑う。
その後、今度は視線を別の場所へ向け、急にピタリと足を止める。
それから美紅に構わずに、スタスタと今までと違う方向に歩き出したのだった。
そして、遥河が入って行ったのは。
「ちょ、ちょっとっ、置いてかないでよねっ。って、ゲーセン……?」
美紅は慌てて遥河に続き、きょとんとする。
遥河が入っていったのは、繁華街の中心にある大きなゲームセンターだった。
しかも遥河は、さっさと財布を取り出してゲームを始める始末。
その大きなゲーセンは休日ということもあり、たくさんの人で賑わっていた。
だが美紅は、普段ゲームセンターなんてほとんど行かない。
恋人の早瀬とも、ましてや学校の女友達となんて、行く機会のない場所なのである。
美紅は周囲を見回した後、仕方なくゲームに興じている遥河のところに歩み寄る。
それから、はあっと大きく嘆息した。
本当にコイツは、自己中以外の何物でもない。
デートとかいいつつも、連れである自分に断りもなく何でも勝手に行動するし。
入る店だって、完璧に遥河の好みだし。
元々これは、自分のご褒美のデートなはずなのに。
いや、別に食事もファミレスでも全然いいし、アクション映画だって何気に面白かったし、ゲーセンだって普段あまり入らないから物珍しくはあるのだが……。
美紅はそう心の中で思いつつ、目の前の遥河の様子を見つめた。
かなりやり慣れているのか、遥河は異様にゲームが上手い。
本当にコイツは教師なのかと思いつつも、ゲームの上手い遥河の周囲に増えていくギャラリーに、美紅は何だか少しだけ優越感を感じたのだった。
――それから、数分後。
ようやくゲームが終わって、遥河は立ち上がった。
そして慣れているかのように周囲のギャラリーを全く気にすることもなく、美紅に目を向ける。
そんな遥河の視線に、美紅は思わずドキッとしてしまった。
……今回のデートで、強く感じていること。
自分が思っていた以上に、目の前の遥河は子供っぽいということ。
でも、それでも。
子供っぽさと同時に、人を惹きつけるような大人の色っぽさも持ち合わせているのだということだった。
遥河は黙って自分を見ている美紅に、ニッと笑う。
そして数度彼女の髪を撫でた後、わざと耳元でこう言った。
「何だ? この俺に惚れたか、椎名美紅」
「な、何言ってんのよ、誰がアンタみたいなヤツにっ。てか、勝手な行動ばっかりしないでよねっ」
顔を真っ赤にさせながらも、美紅はふいっと遥河から顔を背ける。
遥河は美紅の反応にクックッと笑った後、おもむろに彼女の腰を抱いた。
それから美紅を連れ、ゲーセンの中を移動する。
急に腰に回された手の感触に驚いた表情をしつつも、美紅は数度瞳を瞬きさせるしかできなかった。
そして、遥河が足を止めたのは。
ゲーセンの隅に置かれていた、あるゲームの前だった。
「……何、コレ?」
少し古そうなそのゲームに、美紅は首を捻った。
遥河は財布から小銭を取り出しながらも、彼女の疑問に答える。
「鈍くさそうなおまえでもできる、対戦型ゲームだよ。そこにボタンがあるだろ? それをふたり同時に連打するんだ。んで、連打の遅かったヤツの手の平にピコピコハンマーが落ちてくるってわけだ、分かったか」
遥河の説明になるほどと頷きながらも、美紅は目の前のゲームをまじまじと見つめた。
真ん中にあるピコピコハンマーを挟み、ボタンがふたつある。
これを連打すればいいんだと、美紅はこのゲーム機の主旨をようやく理解した。
確かにこれなら、自分にもできそうだ。
遥河は少なからずそのゲームに興味を示した美紅を見つめる。
それから、こう続けたのだった。
「せっかくだから、何か賭けるぞ。そうだな……俺が勝ったら、おまえの携帯番号とメアド教えろ」
「……は? 何でアンタなんかに教えないといけないのよ、イヤよ」
「なんだ、やる前から怖気づいてんのか? おまえ」
煽るようにそう言う遥河の言葉に、美紅はムッとした表情をする。
それから軽く腕まくりをし、バシバシとボタンを押して口を開いた。
「何よ、やってやろうじゃないの。じゃあ私が勝ったら、ここで3回回ってワンって言った後“参った。俺が悪かった、すまん”って土下座して謝りなさいよねっ」
「あ? いいぜ、3回回ってワンでも土下座でもしてやるよ。んじゃ、金入れるぞ」
簡単に乗って来た美紅の様子に満足気に頷いてから、遥河は小銭を機械に投入する。
お金を入れた途端、少し古めかしい音楽とともに電気がチカチカと光り始めた。
そしてゲーム開始の合図が鳴り、ふたりは一生懸命目の前のボタンを連打し始める。
――その結果。
「! あっ」
ピコンッと間抜けな音がしたと思うと、美紅の手の平にピコピコハンマーが落ちてきた。
「俺の勝ちだな、椎名美紅。ていうかこの俺様に勝とうだなんて、一千万年早ぇんだよ」
かなり大人気なく誇らしげにそう言う遥河に、美紅は悔しそうに目を向ける。
「何よ、今のは練習よっ。あ、じゃあせめて3回勝負にしない?」
「あ? ふざけんな、そんな勝負の世界は甘くねーんだよ」
「何よっ、少しはか弱い乙女に手加減してやろうって気遣いもないワケ!? 大人気ないわねっ」
「何だと、負けてギャーギャー言ってるガキはおまえだろーが。それとも何だ? 次はキスでも賭けるか?」
ふっと笑う遥河の言葉に、美紅は思わず口を噤んだ。
負けたのは異様に悔しいが、キスなんて賭けてまた負けたら洒落にならない。
性格悪いコイツのことだ、何度やってもどうせ手加減なんてしないに決まってるし。
悔しさをグッと堪え、美紅は拗ねたように遥河からそっぽを向く。
遥河は漆黒の瞳を細めた後、スッと手を伸ばした。
そんな彼の行動に、美紅は怪訝そうに首を傾げる。
「? 何よ」
「何よじゃねーよ。約束だ、携帯番号とメアド教えろ」
「…………」
あからさまに嫌な顔をしつつも、美紅は仕方なくカバンからメモ紙を取り出し、自分の携帯番号とメアドを書く。
それから、わざと乱暴に遥河の手の平に叩きつけた。
遥河は満足気にそれを眺めた後、早速自分の携帯を取り出して番号を登録する。
そして。
「……!」
ブルブルと着信を知らせ震えだした携帯電話を手にし、美紅は遥河に目を向ける。
遥河はニッと笑い、悪戯っぽく言った。
「それが俺の番号だ。寂しくなったらいつでもかけてこい、この俺様が慰めてやる」
「アンタなんかと話した方が、余計ブルーになるわよ」
はあっと大きく溜め息をついてから、美紅はスタスタとその場から歩き始めた。
ゲームにも負けて悔しい思いをした上に、携帯電話の番号まで教える羽目になってしまうなんて。
遥河の挑発に簡単に乗ってしまったことを後悔しつつも、美紅は彼に気づかれないようにそっと黒を帯びた瞳を細めた。
ゲームに負けたことは、本当に相当悔しかったが。
でも……何故だろうか。
不思議と、普段にはない楽しさも感じていたのだった。
「…………」
美紅はハッと我に返ると、大きく首を振る。
いや、遥河といるからというよりも、ゲームセンターの賑やかな雰囲気がそう楽しく思わせているに違いない。
美紅はそう自分で自分を納得させてから、気持ちを誤魔化すようにゲームが並んでいる周囲を見回した。
遥河はそんな美紅の様子に笑みを浮かべながらも、敢えて何も言わず彼女に続く。
そしてもう一度だけ美紅から貰ったメモに漆黒の瞳を向けた後、それをそっとポケットにしまったのだった。
――その日の夕方。
遥河の愛車・黒のスープラの助手席から、美紅は窓の外の街並みを見つめていた。
何だか今日一日、思いきり遊んだ気がする。
結局ご褒美のデートとか言いつつも、遥河はずっとマイペースで。
自分の意見なんて、全くと言っていいほど尊重されなかった感は否めないが。
それでも普段とは違った休日を過ごせて、それなりに楽しかったのは確かである。
強引に決められたとはいえ……恋人の早瀬に対して、少しだけ罪悪感を感じながらも。
美紅はちらりと運転席の遥河に目を向けた。
窓の外から差し込める夕陽が、彼の綺麗な横顔を夕焼け色に染めている。
黙っていれば、いい男なのかもしれない。
だが一度口を開くと、自分の癇に障ることばかりしか言わない。
そして意外と子供みたいであり、でも大人っぽくもある。
考えてみれば、一体コイツはどうして自分のことをご褒美のデートだと連れ回したりしたんだろうか。
ただの嫌がらせなのか、それともほかに何かあるのか……。
夕焼け色をした遥河の端正な顔を見つめながら、美紅はそんなことを考えていた。
――その時。
遥河がふと、美紅に視線を向ける。
急に目が合い、美紅は少し驚いたように数度瞬きをした。
そんな美紅に、遥河は言った。
「待ち合わせ場所だった駅前まで送ればいいな?」
「え?」
美紅はその言葉に、意外そうな顔をする。
まだ時間は夕方である。
帰るには、少しまだ早い。
しかもあの遥河がこんなに素直に帰してくれるなんて、思ってもみなかったのだ。
遥河はきょとんとしている美紅の様子にニッと笑い、わざとらしく頷く。
「そうか。おまえ、そんなにまだこの俺といたいのか」
「は!? そんなワケないでしょ、駅前でいいからさっさと降ろしてよ。あーアンタと長時間いて、ドッと疲れたわ」
「疲れた? んじゃ、そこのラブホでも入って休憩でもするか?」
からかうようにそう言った遥河の言葉に、美紅は顔を赤くした。
それから大袈裟に視線を逸らし、大きく首を振る。
「ラ、ラブホって……アンタね、それが教師の言葉!? ったくっ」
素直な美紅の反応を見て、遥河は楽しそうにクックッと笑う。
それから言葉とは裏腹に駅のロータリーに入り、車を止めた。
「ほら、駅に着いたぞ。有難く思え」
「有難くってね、偉そうに」
はあっと嘆息し、それから美紅は助手席のドアを開ける。
そして車を降りて駅に向かう途中、一度だけ黒のスープラを振り返った。
遥河は愛車と同じ深い黒を帯びた瞳で、自分のことをじっと見ていた。
だがすぐに美紅はくるりと遥河とスープラに背を向け、スタスタと歩き出す。
何だか……自分を見ている遥河のことを、照れくさくて直視できなかったからである。
美紅は夕焼け色に彩られた彼の綺麗な顔を思い出し、思わず頬を赤らめる。
それから顔を上げ、思考を振り払うように大きく左右に首を振った。
……その時。
「! きゃっ」
美紅は小さく身体を震わせ、思わず声を上げてしまう。
それから少し恥ずかしそうに周囲を見回した後、おもむろに携帯電話を取り出した。
そして、彼女の携帯電話のディスプレイには――“新着メールあり”の表示。
美紅はそのメールを開いて、内容を確認する。
それからふと立ち止まり、もう一度背後を振り返ったのだった。
美紅の携帯に来た、そのメールとは。
『今日は楽しかっただろう? またデートしてやる。 遥河』
「何よ、楽しかったのは自分じゃない」
美紅はそう言いつつも、ふっとその顔に小さな微笑みを宿す。
そしてカバンから定期券を取り出し、駅の改札へと入っていった。
遥河は美紅の姿が人波に消えたのを確認し、黒のスープラをゆっくりと発進させる。
それからほのかに夕焼け色を帯びた漆黒の前髪をかき上げた後、ふっと満足そうな表情を浮かべたのだった。