13. コドモなオトナ


 ――学校も休日の、土曜日。
「やっぱり、もう1枚のスカートの方がよかったかな……」
 ショーウインドウに映る自分の姿を見つめながら、美紅は首を傾ける。
 そして手の平で髪を整えた後、ハッと顔を上げた。
「べ、別にどうだっていいじゃない。早瀬先生とデートなわけじゃないんだし」
 風に揺れる漆黒の髪をかき上げてそれだけ言うと、美紅は足早に歩みを進める。
 そんな彼女の向かった先は――駅のロータリー。
 美紅は駅の時計を見て時間を確認した後、きょろきょろと周囲を見回した。
 それからひとつ嘆息し、比較的見通しの良い位置に立って待ち人を待つ。
 少し、来る時間が早過ぎたようだ。
「ていうか、何で休みの日にもアイツの顔見なきゃいけないのよ」
 はあっと大きく息をつきながらも、美紅は先日買ったばかりのミニスカートの裾を気にするような仕草をした。
 そう――この日、美紅は。
 よりによってあの遥河と、ふたりで会う約束をしているのだった。
 だがよく考えてみると、何でこんなことになったのだろうか。
 英語の中間試験でクラス平均を取ったご褒美にデートしてやると、偉そうに遥河は言っていたが。
 誰よりもその遥河自体が最大の天敵である自分にとって、それは果たしてご褒美なのかと。
 そう、納得いかなかったが。
 だが出かける直前まで、やたら着て行く洋服を選ぶのに相当な時間を要してしまった。
 そして遥河が到着するまでのこの待ち時間が、また何故か妙に緊張する。
 恋人である早瀬とふたりきりでデートをすることには慣れている美紅だが。
 彼以外の男の人とこうやってふたりで会うなんて、今まで殆どなかったからである。
 美紅は緊張を解そうと、携帯電話を取り出して弄り始めた。
 大抵、学校が休みの日は早瀬と会っている。
 だが不幸中の幸いか、早瀬の都合でこの日は彼と会えないため、予定がちょうど空いていた。
 同意したというよりも半ば強引に決められた、今日のデート。
 もちろん、後ろめたい感情は一切ないのだが。
 やはりさすがに遥河とふたりで会うことを、美紅は早瀬には言えなかったのである。
 それにしても遥河は、休日に自分をわざわざ誘ってどこに連れて行く気なのか。
 ただ、ご褒美でデートしてやる、と。
 それだけしか聞いていない美紅は、想像もつかないこれからの時間に一抹の不安を覚える。
 どう考えてもあの遥河が、早瀬のように自分に優しくしてくれるとは思えない。
 早瀬とのデートは、繁華街で買い物をしたり、たまに普段友達とは行けないようなお洒落なお店でお茶や食事をしたりしている。
 そして彼の愛車である白のスカイラインでドライブをした後、彼の家に行く。
 大体、いつもこんな感じである。
 待ち合わせを駅のロータリーに指定してきたということは、恐らく遥河は車なのだろうが。
 ご褒美のデートとやらの内容が全く予想がつかない。
 美紅はひとつ首を傾げた後、再び時計に目をやった。
「てか、もう約束の時間過ぎてるし」
 恋人の早瀬だって、自分を待たせたりはしないのに。
 どうしてよりによってあの遥河のことなんかを、こんなに待たないといけないんだ。
 いつの間にか約束時間を過ぎている時計を見てから、美紅は腕組みをする。
 もしかしてこの遅刻も、アイツの嫌がらせか。
 あの遥河のことだから、それも十分に考えられると。
 美紅がそう思って、ふと顔を顰めた――ちょうどその時だった。
 彼女の前に、おもむろに一台の車が止まる。
 そしてその車・黒のスープラから出てきたのは。
「椎名美紅」
 運転席から出てきた彼が、そう美紅の名前を呼んだ。
 それは……言わずもがな。
 遥河俊輔、その人だった。
 車と同様に黒を基調としたシンプルな格好だが、何故か不思議と人の目を惹く。
 スラリと背も高くて、スタイルも良い。
 黙っていれば、確かにいい男なのであるが。
「何ボーッとしてんだ? ボケッと突っ立ってる暇があったら、さっさと車に乗れ」
 相変わらず愛想も何もないふてぶてしい様子で、遥河は顎で美紅を車に促す。
 自分が遅れて来たくせに、何て言い草だ。
 そう言い返してやろうと思った美紅だったが、とりあえずは言われた通り彼の愛車に乗り込む。
 恋人の早瀬だったら、こんな時スマートに助手席のドアをさり気なく開けてくれるのに。
 それが当然だとは決して思ってはいないが、遥河はさっさと運転席に戻って踏ん反り返っている。
 美紅はムッとした表情を浮かべつつも、黒のスープラの助手席に座った。
「ていうかね、アンタが遅れてきたんでしょ!? 何分待ったと思ってんのよ」
 ゆっくりと動き出した車の中で、美紅は運転席の遥河をじろっと睨む。
 遥河はそんな美紅をちらりと見て、ニッと笑った。
「あ? たった数分でガタガタ言うな。ていうか何だ? おまえ、そんなにこの俺が来るのを待ち侘びてたのか?」
 その言葉を思い切り否定するように、美紅は大きく首を左右に振った。
「なっ、そんなワケないでしょっ!? 大体今日だって、何でご褒美でアンタなんかと休みの日も会わないといけないのよ」
 少し顔を赤くしながらも、美紅はふいっと遥河から視線を逸らす。
 遥河は楽しそうに端正な顔に笑みを宿した後、続けた。
「この俺と休日にデートできるなんて、光栄に思え。しかも、たった68点ぽっちのシケた点数でよ」
「68点ぽっちのシケた点数って……それよりね、何で貴重な土曜日までアンタの嫌味ったらしい顔見なきゃいけないのよ、これのどこがご褒美って言うワケ?」
「まったく、素直じゃねーな。本当は嬉しいくせによ」
「はあ? 1ミクロンだって嬉しくないわよ。むしろいい迷惑よっ」
 ムキになって言い返してくる美紅の様子を気にも留めず、遥河は相変わらず笑みを絶やさない。
 それから、ふと赤信号で車を止めた。
 そして漆黒の両の目を彼女に向けた後、こう言ったのだった。
「その割には待ってる間ずっとショーウインドウ見ながら、やたら身なり整えてたじゃねーか、おまえ」
「え……」
 美紅は瞳を大きく見開き、遥河に視線を向ける。
 そして思った以上に近くにある整った顔にドキッとしながらも、何度も瞬きをさせた。
 もしかして、自分が待っていた時の姿をバッチリと見られていた、とか。
 いや、コイツのことだ。
 きっと落ち着かない様子の自分を見て、楽しんでいたに違いない。
 それが分かった美紅はカアッと顔を真っ赤にさせながらも、遥河に鋭い視線を投げる。
「本っ当に、アンタってサイテーねっ」
「なかなか見てて楽しかったぜ。おいおい、ってくらい挙動不審で落ち着きなくてな」
 クックッと笑いながら、遥河はザッと漆黒の前髪をかき上げる。
 それから同じ色を湛えた瞳を細め、こう続けたのだった。
「でもそんな様子も可愛かったぞ、その服も似合ってるしな」
「……え?」
 遥河の口から出た意外すぎるその言葉に、美紅は思わず口を噤んでしまった。
 遥河はそんな美紅の様子を気にすることもなく、再び愛車を走らせ始める。
 窓の外の景色がそれに伴いゆっくりと動き出す。
 だが美紅の目に、賑やかな街の風景は入ってきてはいなかった。
 何だか急に、近くに遥河がいることを意識してしまい、美紅はどうしていいか分からない表情を浮かべる。
 いや、普段から個人補習を受けていたりと、ふたりになる機会は多いのであるが。
 今は……学校でもなければ制服姿でもない。
 全くのプライベートな時間なのだ。
 美紅はドキドキと鼓動を早める胸を押さえつつも、そんな気持ちを誤魔化すようにようやく窓の外に目を向ける。
 遥河は運転しながらもちらりとそんな美紅の横顔を見つめ、それからふっと笑みを宿したのだった。



 ――それから、数分後。
 遥河の独断と偏見で急遽昼食を取ることになり、黒のスープラはある店の駐車場に入っていった。
 そしてキーを閉めた後、遥河は美紅の腰にスッと腕を回す。
「なっ、な、何すんのよ……っ」
 急に感じた彼の大きな手の感触に、美紅は少し慌ててしまった。
 あまりにもさり気ない自然なその振る舞いが、何だか妙にいやらしい。
 やはり黙っていれば顔だけはいいだけあって、こういうことに慣れているのだろうか……。
 そう、一瞬思った美紅だったが。
 ハッと我に返ったように顔を上げると、腰に回された手を振り払った。
 コイツがいくら女性の扱いに慣れていようが何してようが、自分の知ったことではない。
 今日だって、別に来たくて来たわけではないし。
 それに自分には、コイツの数百万倍も優しくて紳士的な王子様・早瀬がいるし。
 美紅は遥河から顔を背けた後、スタスタと早足で目の前の店に入っていった。
 それに続いて入店し、遥河は逆にそんな彼女の様子をニヤニヤと楽しそうに見ている。
 美紅は自分をからかうような彼の笑みに眉を顰めながらも、店員に案内された席へと座った。
 それから遥河とは目を合わせず、メニューを開く。
 遥河も面倒臭そうにパラパラと一通りメニューに目を通した後、椅子に寄りかかって前髪をかき上げた。
「あー腹減った。さっさと決めろ」
 ていうか、もう決めたんだろうか。
 そう微妙に焦りつつも、美紅はふと人の声で溢れている店内を見回す。
 それにしても、何でファミレスなんだろうか。
 ご褒美のデートというくらいだから、どこかお洒落な店のランチでも食べに行くのかと思っていたのに。
 いや、別にファミレスでも構わないのであるが。
 普段早瀬とのデートの時には、ファミレスなんて滅多に入らない。
 そのギャップに戸惑いつつも、美紅はようやくオーダーを決めて店員を呼び止めた。
 遥河はやって来たウェイターに、無愛想に告げる。
「カレーとチョコレートパフェ、あとドリンクバー。あ、パフェは食事と一緒な」
「……チョコレートパフェ?」
 美紅はきょとんとして、思わずそう訊き返した。
 だが遥河は表情を変えず、漆黒の瞳を美紅に向ける。
「何だ、悪いか」
「え? いや、別に悪くないけど……じゃあ私は、パスタランチのデザートセットで」
 自分の注文を済ませ、美紅は生徒の前だと言うのに平気で煙草を吸い始めた遥河にもう一度目をやった。
 中身は、強引で嫌みったらしい最低の男。
 だがその漆黒の瞳は神秘的で人を惹きつける色気があり、都会的な雰囲気の端正な顔立ちをしたいい男。
 そんな遥河だが。
 カレーライスとチョコレートパフェだなんて、まるで子供のようである。
 美紅はお冷を口に運びつつ、大きく瞬きをした。
 美紅の心境も知らず、遥河は煙草を灰皿に押し付けた後、ふっと漆黒の瞳を細める。
 それから、本当に嬉しそうに言ったのだった。
「ここのチョコレートパフェは最高だからな。食べにくい下手に洒落てる店のパフェより、余程美味いんだよ」
 そしてテーブルに頬杖をつき、ニッと悪戯っぽい笑みを浮かべる。
 その後、こう言葉を続けたのだった。
「おまえも食ってみるか? 何なら俺が、あーんってヤツで食わせてやるぞ」
「はぁ? あーんって……結構よ」
 ぷいっとそっぽを向き、美紅は冷たくそう言い放つ。
 遥河はそんな美紅の反応に笑った後、それと同時に運ばれてきたチョコレートパフェに漆黒の瞳を向けた。
 それから、パクパクと美味しそうにチョコレートパフェを食べ始めたのだった。
 美紅はそんな遥河の姿に視線を戻し、ふっとひとつ息をつく。
 同じ年で同僚であっても、早瀬と遥河では全く言動も雰囲気も正反対である。
 王子様のような早瀬の大人な振る舞いや気の利いた行動は、まだ子供である自分の憧れでもあり、彼は自分にとって最高の恋人である。
 だが……目の前の、大人なようで子供な遥河の様子も。
 美紅にとっては、ある意味とても新鮮だった。
 遥河は自分を見ている美紅に、ふとちらりと目をやる。
 それから、口元に笑みを宿して言った。
「何だ? そんなモノ欲しそうな顔で見るな。甘いモン食いすぎるともっと太るぞ、おい」
「もっとってね、放っといてよっ。てか、本当にアンタって失礼ね……っ」
 ムッとした表情をして、美紅ははあっとわざとらしく嘆息する。
 それからフォークを手にし、ようやく運ばれてきた自分のパスタランチをひとくち口に運んだのだった。