SCENE7 あなたならかまわない

 ――AM4:00。
 東の空が、薄っすらと明るくなってきた。
 ファミレスを出た青のフェラーリは、ようやく都内へと入る。
「……だから、もう本当に大好きで。オズの魔法使いの映画って何度観ても飽きないし。あ、それに続編『オズ』も映画化されたんだけど、先生観た事ない? 結構有名な映画なんだけど」
 車の中で5分かそこら寝ただけなのに、那奈は俺の隣でやたら饒舌だ。
 大得意なオズの魔法使いの話を、ご機嫌な顔でしている。
 まぁ、この時間まで起きてると、何だか妙なテンションになるけどな。
 そんなことを考えていた俺のシャツの袖を軽く掴み、那奈は不服そうに言った。
「先生、ちゃんと聞いてる?」
「ああ、聞いてるよ。そういえば、小学生の時にオズの魔法使いっぽい映画観た気がするな。何かカボチャみたいなヤツとか両手に車輪みたいなのつけてたヤツとか出てこなかったか? 何か香夜が好きで、映画館に強制的に連れていかれて何回か観た気がする」
 そういえば、俺が小学生の頃は映画館も完全入れ替え制じゃなかった。
 一度金払って映画館から出なけりゃ、ずっと何度も同じ映画を観れたんだ。
 んで、香夜のヤツがもう一回観るって聞かないから、そのままその『オズ』を何度か観たんだよ。
 香夜もあれでいて、結構乙女ちっくなもんも好きで。
 俺は一回で十分だったんだけど、昔から香夜には逆らえなかったから、結局付き合わされてよ。
 もうかなり前のことだが、そのことがあったから何となく覚えてる。
 そんな昔の記憶に浸ってる俺に、那奈はパッと表情を輝かせて興奮気味に言った。
「その『オズ』って1985年だから、ちょうど先生が小学生くらいよ。しかも、カボチャ頭のジャックや車輪のホィーラーとか出てきたなら、その映画で間違いないよ! その映画ってね、『オズの魔法使い』の続編の『オズの虹の国』と『オズのオズマ姫』を映画化したんだけどね……」
 ……何だかだんだんディープでマニアックな内容になってきたぞ、おい。
 俺はそう思いつつ、楽しそうに話をする那奈に目を向けた。
 よく那奈は、俺が歴史の話をしている時、子供みたいに目が輝いてるって言うけど。
 まさに、今俺の目の前で話をしている那奈の瞳はキラキラとしている。
 俺はあまり『オズの魔法使い』のことは詳しく知らないけど。
 でも、コイツが『オズの魔法使い』のことを喋るのは、嫌いじゃない。
 内容はともかく、ニコニコしながら話をする那奈の顔を見てると、こっちまで何だか楽しい気分になる。
 俺の隣で那奈が笑ってくれること――それが俺にとって、何より幸せを感じる瞬間だから。
 ペラペラとしばらくマニアックな話をした後、那奈はようやく一息ついてお茶を飲む。
 それからクスクス笑い、再び口を開いた。
「ていうか、その『オズ』の映画が映画館で上映されてた時って、まだ私生まれてもなかったのに。先生、もう小学生だったんだね」
「うるせー、放っとけ。どうせ俺は、小学生っぽい上に年寄り染みてもいるって言うんだろ? ていうか、11歳の年の差がなんだっての。香夜のヤツも、散々俺のことロリコンとか犯罪とか言いやがって」
 ブツブツ呟く俺に、那奈は相変わらずクスクスと笑っている。
 おまえはそう、のん気に笑ってるけどな。
 俺にとっては笑い事じゃねーっての。
 いや、ふたりでいる時は年の差なんて気にならないし、一緒にいてもそれを感じることは少ない。
 でもただでさえ教師と生徒が付き合ってるっていったら、教師の方が生徒を誑かしたって思われるだろ?
 大体、俺はロリコン趣味でも何でもねぇし。
 別に茶化すヤツらも冗談で言ってるだけだから、大して気にしてないって言えば気にしてないけどな。
 それに、やっぱり。
 年の差とか教師とか生徒とか、そんなことは全く関係ない。
 俺が好きになった那奈が、たまたま俺の生徒で年下だったってだけの話だ。
 那奈だから……おまえだから、好きになったんだよ。
 まぁ、ちょっとロリコンとか言われるのは腑に落ちないけど。
 でも、それでもかまわない。
 那奈とふたりでいつまでも楽しく笑っていられれば、それだけで……。
 薄っすらと空も白み始め、朝の都会の風景が眼前に広がる。
 こんな朝っぱらから、街はもうすでに今日という時間を動き出している。
 ほかの人にとっては、今からが始まりの時間。
 だが、俺たちにとっては逆だった。
 朝がやってきたその時――このドライブも、終わりを告げる。
 あと数十分もすれば、那奈の家に着くだろう。
 那奈もそのことを意識してか、妙に静かに口を噤んでいる。
 那奈が昨日イキナリ家に押しかけてきた時は、本当に驚いたけど。
 でも寝てたらあっという間に過ぎ去る時間が、恋人との思い出の夜に変わった。
 長いような、でも短かったような……そんな、不思議な真夏の夜のドライブ。
 眠さもピークをすぎて目も冴え、妙な心地良さまで俺は感じていた。
 そんなふたりのドライブも、残りあともう少し。
 ――その時だった。
「大河内先生……車、止めて」
 ふと黙っていた那奈が、そう口を開いた。
 俺は言われた通りに路肩に車を止め、首を傾げる。
「那奈? どうしたんだよ」
「…………」
 那奈は俺の問いかけに、困ったように俯く。
 それから、ぽつりと言ったのだった。
「帰らないといけないのは、分かってるの。でも……先生と、一緒にいたいんだ」
 那奈のその言葉に、俺はシートベルトを外してふっと笑う。
 そしてぐりぐりと乱暴に那奈の頭を撫で、胸にその小さな身体を引き寄せた。
 黒髪がふわりと揺れて、俺の頬をくすぐる。
 俺は宥めるようにそんな黒髪を手櫛で梳かした後、ゆっくりと那奈の耳元で言った。
「一緒にいるよ。朝まで一緒にいてやるって言っただろ? それに俺はいつだって、おまえのそばにいるから」
「大河内先生……」
 那奈は俺の胸に身体を預け、ぎゅっと背中に両腕を回した。
 俺もそんな那奈に応えるように、その身体を胸でしっかりと受け止める。
 ふたりの体温が混ざり合い、そしてカアッと身体の底から温かいぬくもりが溢れる。
 このまま、朝が来ても……できるならずっと、こうやって那奈を抱きしめていたい。
 そう、すごく思うけど。
 那奈を家に帰すことが俺なりの誠意であり、それが那奈のためにもなる。
 教師として、そして恋人として、俺は那奈のことを大切にしたいと思っているから。
 でも――今は、まだ。
 まだ、いいよな。
 朝が来るまでは、こうしていても……。
 俺は力強くぎゅっと那奈を抱きしめた後、少し身体を離した。
 そして、愛しい恋人の顔を見つめる。
 那奈もおもむろに顔を上げると、俺に視線を向けた。
 その綺麗な漆黒の瞳が、真っ直ぐに俺の姿だけを映す。
 俺はそんな那奈にふっと微笑み、それから目を伏せた。
 ――そして。
 そっと重なる、ふたつの唇。
 俺の那奈への想いが、キスという魔法に形を変える。
 ゆっくりと口づけを重ねていく俺を、那奈は微かに開いた瞳で見つめた。
 その目には、薄っすらと涙が溜まっている。
「ん……せい、先生大好き……っ」
 キスを受け入れながら頬を赤く染め、那奈はそう声を漏らす。
 俺は余韻を持たせるように唇を離した後、再び胸に身体を預ける那奈の体温を全身で感じた。
 そしていつの間にか明るくなった朝の空の色にも気づかず、ありったけの想いを込めて耳元でこう囁く。
「俺も愛してるよ、那奈。いつまでも、俺たちはずっと一緒だからな……」
 そして俺は、華奢な那奈の感触を確かめながら、改めて思ったのだった。
 何と言われようが、周りがどう思おうが……那奈と一緒なら、それでもかまわない。
 ふたりで一緒にいられれば、それで……。