SCENE3 星降る夜に騒ごう

 ――AM0:00。
 高速をおりた車は、一般道を走っていた。
 さすがに夜も更け、周囲は漆黒の闇とシンとした静寂に包まれている。
「先生、見て。すっごく星が綺麗だよ?」
 隣の助手席で、那奈は空を見上げて楽しそうに笑った。
 開け放った窓から吹いてくる夜風が、那奈の黒髪を揺らしている。
 泣いたり怒ったり笑ったり……本当に忙しいヤツだな、まったく。
 俺はぽんっと那奈の頭に手を添えてから、フロントガラス越しに天を仰いだ。
「結構、星って街の中でも見えるもんなんだな。俺の双子座はどれだ?」
 その俺の言葉に、那奈はクスクスと笑い出す。
 そして、首を振って言った。
「やだ、大河内先生。双子座が見える時期って冬よ?」
 那奈のその言葉に、俺は瞳をぱちくりさせる。
 だってよ、俺の誕生日は5月なんだぞ。
 なのに、何で冬なんだよ?
 そんな俺の表情を見て、那奈は悪戯っぽく笑った。
「あ、もしかして先生、地学が苦手教科だったとか?」
 何だか教師としての面目が丸つぶれな気がして、俺は顔を顰める。
「うるせーな、俺は生物選択だったんだよっ。ていうか、何で双子座が冬に見えるんだよ? 俺の誕生日は5月なのによ。そもそも、双子座って何なんだ?」
「何なんだって、星座よ、星座」
 再びクスクス笑い出した那奈に、俺は面白くない表情をする。
 コイツ、俺のこと完璧にバカにしてやがるな。
 俺ははあっと大きく嘆息し、ぼそっと呟いた。
「……そのくらい分かってるっての。何で双子が星座なんてなってんだって、そう言ってんだよ」
 その言葉を聞いた那奈は、ちらりと俺に視線を向ける。
 それから、得意気に話を始めた。
「双子座の双子ってギリシア神話の中の、ゼウスの息子・カストルとポルックスのことよ。ふたりはね、スパルタの英雄だったの。兄は拳闘に秀でてて、弟は乗馬の達人で不死だったの。それでカストルが戦いで死んじゃって、その時にゼウスがポルックスを天に連れて行こうとしたんだけど、ポルックスが兄と一緒じゃないといやだって言うから、カストルにポルックスの不死を半分分け与えて、1日おきに天上界と人間界で暮らすことになったのよ。そして2人は星になって、双子座になったって言われてるの」
 妙に詳しいその説明に、俺は瞳をぱちくりさせる。
 いや、得意の『オズの魔法使い』のことでマニアックなトークしてるなら分かるけどよ。
 まだまだ、那奈に対する俺の認識は甘いのかもしれない。
「何でそんなコト知ってんだよ、おまえ。マニアックなのは、『オズの魔法使い』だけじゃなかったのかよ」
「だって、ギリシア神話とか楽しいじゃない。そういう先生って、日本史だけじゃなくて世界史だって教えられるんでしょ?」
「ああ、世界史だって教えられるぜ。ていうか、ギリシア神話と世界史は違うだろ。んなマニアックなところまで知らないっての」
 確かに俺は、日本史が好きだけどよ。
 これでもな、世界史だって結構いけるんだぞ。
 ていうか、何か妙に悔しい。
 2学期の授業始まったら、絶対マニアックな問題で当ててやるからな。
 でも本当にコイツって、神話だの童話だの、乙女ちっくなものが好きなんだな。
 改めて那奈らしいと感じ、俺はふっと微笑む。
 そんな俺に、那奈は話を続けた。
「あ、それで何で誕生日と見える星座の時期が違うのかなんだけどね。自分の誕生日の時に、その星座のところに太陽がいるからなんだよ。だから、太陽の光に邪魔されちゃって見えないの」
「ああ、なるほどな。黄道十二星座とか言うもんな、そーいえば。ていうか、何でそんなコト知ってんだよ、本当に」
 俺は半ば感心したように頷く。
 那奈は悪戯っぽい笑みを浮かべ、そっと黒髪をかき上げた。
「いや、地学の授業で先生が言ってたのの受け売りなんだけどね、これは」
「何だよ、受け売りかよ。でも何だか面白いな、いろいろ」
 那奈といると、会話が全く途切れない。
 俺と那奈がそれぞれ詳しい分野は、全く種類が違う。
 俺も那奈も、自分の知らない話を聞くのが好きだし、自分の知ってることを喋るのも好きだ。
 よく恋人の条件に、『趣味が合う人』とか言ってるやつもいるけど。
 でも、自分の知らないことに詳しいやつと話をするのも、新しい発見や驚きがあって面白い。
 那奈と付き合いだして、俺はそれを強く実感している。
 そして、那奈と俺は。
 一緒にいて、お互いがお互いを高め合っている……そんな理想の関係だと、俺は思っている。
 ちょっとお互いマニアックすぎるところもあるって言われれば、それまでなんだけどな。
 俺はもう一度、雲ひとつない真夏の夜空を見上げる。
「んじゃ、おまえの乙女座はどこだ?」
「乙女座は春の星座よ、先生」
 楽しそうに笑ってそう俺の言葉に抜け目なくツッこんでから、那奈も宙に視線を向けた。
 数時間前、俺の家にいきなり来た時とは全く違う、今の那奈の笑顔。
 あの時の思いつめていた暗い表情は、もうない。
 俺は那奈の微笑みを見つめ、つられて瞳を細めた。
 そして。
 そんな隣で笑ってる那奈の顔を見る度に……俺は、それだけで幸せな気持ちになれるのだった。
 俺は機嫌がすっかり直った那奈から、視線を前方へと戻す。
 それからコンビニを見つけ、おもむろにハンドルを切った。
 そして車を止めてから、シートベルトを外す。
「ちょっとコンビニ行ってくるけどよ、何かいるか? おまえ、そんないかにも泣いた後ですって顔で、コンビニ行けないだろ」
「んー、何か飲み物が欲しいな。お茶とか」
「じゃあ、車の中で待ってろ。仕方ないからパシってやるよ」
 ニッと笑って運転席のドアを開けて外に出た俺に、那奈は無邪気に笑って手を振っている。
 俺はそんな那奈に微笑みを返した後、コンビニに入った。
 ていうか、これからどうするか?
 結構な距離走ってきたけど、時間はまだ日付が変わったばかりだ。
 朝までは、まだまだ時間はたっぷりある。
 今から、どこで何をしようか。
 とりあえず自分の飲み物と那奈の飲み物を手に取ってから、うーんと俺は考える。
 別にこのままドライブでも会話が途切れることはないけど、それだけじゃ芸がない気がする。
 真夜中に、することか……。
 それから俺は、瞳にかかる前髪をザッとかき上げた。
 その時。
「お、これって……」
 ふとあるものが、俺の目の中に飛び込んできた。
 これは、買っておいた方がいいかもしれない。
 そう思い、俺はそれを手に取った。
 せっかくだから、那奈にこれを買ったことは黙っておこう。
 カモフラージュのためにいくつか袋系の菓子類も手に取り、そして俺はレジに向かった。
 ちょっといつも読んでる少年漫画系の雑誌が発売されてて気になったが、立ち読みでもしようものならあいつに文句言われるだろう。
 立ち読みは諦めて会計を済ませ、俺は那奈の待つ車へと歩く。
 その途中、ふと顔を上げた。
 そんな俺の目に映るのは――星の輝く、真夏の夜空。
 星ってこう見ると、いろんな色してんだな。
 ていうか、じゃあ今目の前に見えてるのは、一体何座なんだ?
 とか言っても、あんまり星座の名前とか知らないんだけどな。
 そんなことを思った後、俺は運転席のドアを開ける。
 そして再び、恋人の待つ車に乗り込んだのだった。