SCENE3 魔法の花

 ――次の週の土曜日。
 学校が休みである大河内先生は、ひとり賑やかな繁華街にいた。
 12月の街並みは、もうすっかりクリスマス一色である。
 普段よりさらに煌びやかに飾られているショーウインドウを見つめながら、先生はある一軒の店に入っていく。
 そして、店員に声を掛けた。
「すみません、注文していた品物が届いたって連絡貰ったんですけど」
 先生のその言葉に、店員は丁寧に頭を下げて店の奥へと入って行く。
 頼んでいた商品を店員が取りに行っている間、先生はぐるりと店内を見回した。
 小さなクリスマスツリーが上品に飾ってある店の中には、カップルの姿も多い。
 先生は幸せそうに買い物をしているカップルの様子に漆黒の瞳を細めてから、品物を持ってきた店員に再び目を向けた。
「お品物はこちらですね。贈り物ですか?」
 店員の問いに、大河内先生は小さく頷く。
「はい、贈り物です」
 大河内先生はそう答えた後、自分の注文していたその商品を見つめて微笑む。
 そして綺麗にラッピングされたプレゼントを受け取った。
 暖房の効いていた店内から外に出た先生は、冬の風の冷たさを頬で感じる。
 それからポケットから携帯電話を取り出し、ある場所に電話を掛け始めた。
 そして。
『もしもし、大河内ですけど?』
 耳に聞こえてきたその声に、大河内先生は一瞬きょとんとした表情をする。
 それからわざとらしく嘆息した後、口を開いた。
「……おい。ていうか、何でおまえが実家にいるんだよ?」
『あら、アイちゃーんっ。アイちゃんが実家に今日来るって聞いたから、帰って来ちゃったっ。アイちゃんだって、大好きなお姉様に会いたいかなーって思って』
 電話の相手・先生の姉である香夜は、先生の声を聞いて楽しそうに笑った。
「帰って来ちゃった、じゃねーよっ。この不良主婦っ。てか、今からそっちに向かうって父さんに言っとけ」
『あ、アイちゃん。今もしかして外なの? どこにいるの?』
「あのな、人の話はちゃんと聞け! ったく、今繁華街にいるよ」
 はあっと大きく息をつき、先生は漆黒の前髪をかき上げる。
 香夜はそんな先生の言葉に、パッと声を明るくした。
『繁華街? じゃあ駅前の“sasanqua”のケーキがお土産かしら? きゃあ、楽しみーっ』
「おまえな……」
 すっかり姉のペースに巻き込まれた先生は、呆れたように言葉を失う。
 それから、諦めたように言った。
「あー分かったよっ、“sasanqua”のケーキ買ってくりゃいいんだろ!? ていうか、よりによってあの高級洋菓子店のケーキかよっ」
 何度目か分からない白い溜め息をついた後、香夜に先生は念を押した。
「とにかく、だ。今から実家に向かうから、父さんにそう伝えろ。じゃあな」
 それだけ言って、先生は携帯を切る。
 それから姉のご要望のケーキ店に向けて、賑やかな冬の街を早足で歩き出したのだった。


 ――その頃。
 家のチャイムが鳴り、那奈は玄関を開ける。
「こんにちは、那奈お姉ちゃんっ。トトもこんにちはーっ」
 大きく尻尾を振っているトトを撫でた後、那奈の家を訪れた桃花は可愛らしい微笑みを宿す。
「いらっしゃい、桃花ちゃん。寒かったでしょ? どうぞ」
 那奈は興奮して吠えるトトを宥めるように抱き、桃花を中へと促した。
 リビングに通された桃花はコートとマフラーを脱ぎながら、ふとあるものに目を移す。
 そして、那奈に言った。
「わあっ、マフラー編んでるの? 可愛いーっ」
「あ、うん。この時期になるとね、何だか編み物したくなるんだ」
「那奈お姉ちゃんって器用だよね。桃花も編んでみたいけど、不器用だからできるかなぁ」
 那奈はそんな桃花に、にっこりと笑顔を向ける。
 それからぽんっと何かを思いついたように手を打って、こう提案したのだった。
「大丈夫よ、編んでみる? そうだ、悠くんに編んであげたら?」
 那奈のその言葉に、桃花はくりくりとした瞳を大きく見開いた。
「えっ!? ゆ、悠兄ちゃんに?」
「まだクリスマスまで少しあるし、きっと悠くんも喜ぶんじゃないかな。実は今編んでるこのマフラー、大河内先生にあげるクリスマスプレゼントなの」
 那奈は照れたようにそう言って、編みかけのマフラーを桃花に見せる。
 そのマフラーは藍色の毛糸がベースで、幾何学模様の雪の花が編み込まれていた。
 桃花は那奈のその言葉に一瞬表情を変え、那奈に聞こえないくらいの声で呟く。
「大河内先生って……あのロリコン教師」
 先生のことをよく思っていない桃花は、複雑な表情で藍色のマフラーを見つめた。
 だが那奈の前では、先生のことが気に食わないなんて言えない。
 そんな桃花の心境も知らず、那奈は幸せそうに微笑んで言った。
「オズの魔法使いの童話でね、オズの国のオズマ姫に魔法の花をプレゼントする話があるの。だからマフラーも、お花模様に編んでみたんだ。どうかな?」
「うん、すごく綺麗で可愛いよ。あの教師には勿体無いくらい……」
 後半小声で、桃花はマフラーを見ながら口を開く。
 那奈は編みかけのマフラーを丁寧にたたんでしまうと、楽しそうに言葉を続けた。
「そうだ、今からマフラーの材料買いにいかない? 簡単な編み方だったら、初めてでも時間もかからないし綺麗に編めるし。ね、やってみようよ」
「えっ? でもいきなり手編みのマフラーあげたら、悠兄ちゃんも困るんじゃないかな」
「そんなことないよ。大丈夫、きっと喜んで貰えるって」
「そうかな? 喜んでくれるかな、悠兄ちゃん」
 心配そうな表情をしながらも、桃花はちらりと那奈に目を向ける。
 那奈はにっこり笑い、大きく首を縦に振った。
「うん。悠くんならきっと喜んでくれるよ」
「そっか、悠兄ちゃんが喜んでくれるなら桃花もやってみようかなっ」
 桃花は照れたように、ほのかに頬をピンク色に染める。
 だが大好きな悠のために始める編み物へのやる気と同時に、桃花は微妙な心境でもあった。
 恋人がいるとはいえ、那奈は相変わらず悠の気持ちに全く気がついていない。
 悠の想いを応援している桃花にとって、幸せそうに大河内先生にマフラーを編んでいる那奈の姿は見ていて複雑であるのだ。
 桃花は小さく嘆息した後、気を取り直して顔を上げた。
 そんな桃花に、那奈は楽しそうに微笑む。
「じゃあ出かける準備するから、ちょっと待っててね」
 那奈の言葉に頷いた後、桃花はもう一度丁寧にたたまれた編みかけのマフラーに目を向けた。
 そして那奈と買い物に行くために、再びコートを着たのだった。


 ――その日の夕方。
 賑やかな大通りで、青のフェラーリが赤信号に引っかかって止まった。
「悪いわねぇ、アイちゃん。家まで送ってもらっちゃってっ」
「悪いとか微塵も思ってないくせによ、よく言うぜ」
 漆黒の瞳を助手席の香夜に向け、大河内先生は嘆息する。
 実家で用事を済ませた先生は、香夜と一緒に実家を出て帰宅途中であった。
 ……そして。
 ハンドルを握る先生の表情は、何故か冴えない。
 香夜はそんな弟の様子に気がついて視線を移し、セミロングの髪をかき上げた。
「ねぇ、ていうかアイちゃん……どうすんの?」
「どうするって、何がだよ」
 信号が変わり、再び車を発進させながら先生は姉に逆に聞き返す。
 香夜は美人な容姿に微笑みを宿しながらも、ふっと息をついた。
「何って、決まってるじゃない。どうするの?」
「…………」
 先生は香夜の問いに、言葉を切る。
 それからしばらくの沈黙の後、ぽつりと答えた。
「どうもこうもねぇよ。仕方ないことだろ?」
「まぁそうだけどさ。じゃあ、那奈ちゃんとのことは?」
「…………」
 姉の間髪入れない問いに、再び先生は口を噤んだ。
 そして青のフェラーリのハンドルを切って、賑やかな大通りから閑静な住宅地の道へと進路を取る。
 その後、助手席の姉をちらりと見てからこう言ったのだった。
「那奈には……まだ、何も言うなよ」
「私からは言わないわよ。でもちゃんとドロシーちゃんのこと考えてあげなきゃダメよ、アイちゃん」
 香夜はぽんっと先生の肩を軽く叩き、優しく弟に視線を向ける。
 そんな姉から目を逸らして、先生はおもむろに車を止めた。
「おまえに言われなくても、んなこと分かってるよ。ほら、着いたぞ」
 立派な豪邸の前に車が到着したことを確認し、香夜は助手席のドアを開けた。
 そしてにっこりと綺麗な顔に笑みを浮かべると、無邪気に手を振る。
「じゃあまたね、アイちゃん。またアイちゃんちにも遊びに行くからっ。ドロシーちゃんにもよろしくー」
「遊びにっていうか、勝手に住居侵入してるだけじゃねーかよっ。来る前はせめて連絡しろ」
「ふふ、何事もスリルがあった方が面白いでしょ? んじゃあねーっ」
「面白いのはおまえだけだろーが、ったく」
 車を降りて自宅に向かう姉の後姿を見送り、先生はそう呟いた。
 それから姉が自宅に入って行くのを確認した後、おもむろに携帯電話を取り出す。
 香夜の家と那奈の家は、何気に近所である。
 せっかくなので、連絡を取って少しでも会えないだろうか。
 そう思った先生だったが。
「圏外か……どこか出かけてるのか?」
 聞こえてくる機械的なアナウンスに、先生はそう呟いて携帯電話を閉じる。
 それからしばらく携帯を見つめたまま、大河内先生は何かを考えるような仕草をした。
 そしてポケットにそれをしまうと、再び愛車の青のフェラーリのアクセルを踏んだのだった。