EXTRA SCENE 魔法の内緒話

 真夏の太陽が容赦なく照りつける、蒸し暑い昼下がり。
 だが、その少女・今宮那奈は、そんな外の猛暑とは無関係な冷房の効いた涼しい部屋で楽しそうに雑誌を眺めていた。
 夏休みも残り1週間を切ったその日、那奈は最愛の恋人の家にいた。
 そして、その恋人とは。
「楽しそうに何を見ているんですか? 今宮さん」
 眼鏡の奥の優しい瞳を細め、彼女の恋人は小首を傾げる。
 それから読みかけの歴史書をテーブルに置き、那奈の隣へと移動してきた。
 那奈はにっこりと彼に微笑み、読んでいた雑誌を彼に見せる。
「相性占いしてみたんです、大河内先生と私の。見て、先生」
 彼女の恋人・大河内藍先生は、那奈の指差す雑誌に漆黒の瞳を向けた。
 現在高校2年生である那奈の恋人の彼は、彼女よりも12歳年上の高校教師。
 本来、大河内先生は大手建設会社の跡取り息子なのであるが、ワケありで期間限定で教鞭を取っている。
 しかも、今まさに彼女のクラスの日本史を彼が担当している。
 つまりふたりは、恋人同士というだけでなく、教師と生徒という関係でもある。
 那奈は高校入学当時から、マニアックな日本史の授業を楽しそうにする大河内先生のことがずっと好きだった。
 そしてバレンタインデーの日をきっかけに、その距離はぐんと縮まって。 
 3月14日のホワイトデーの日、晴れてふたりは恋人同士になったのである。
 まだ付き合いだして半年も経たないふたりは、いわゆる幸せ絶頂なラブラブカップル。
 だが、もちろん学校にも周囲にも、ふたりの交際は一部の友人以外には秘密にしている。
 そんな秘密の交際をしているというドキドキ感さえ、この頃のふたりには楽しかったのである。
 那奈は自分の隣に座った先生を見つめた後、嬉しそうに言葉を続けた。
「先生の誕生日が5月23日でしょ、そして私の誕生日が8月27日だから……ほら、相性95%! ふたりは出会うべくして出会ったと言えます、だって」
「あ、本当ですね。どれどれ……お互いの気持ちが分かり合えるふたりは、一緒にいるだけでホッとできる仲でしょう、ですか」
「ふふ、私たちにピッタリ」
 満足そうに微笑む那奈の、肩より少し眺めの黒髪を優しくそっと撫でた後、先生はさらに雑誌の占い結果を読み上げる。
「えっと、しかし重要なことはきちんと相手に伝えるようにしてください、ですか」
「ふたりに隠し事なんてないし、私と先生ならバッチリ大丈夫っ。ね、先生」
 そう言ってピタリと身体をくっつける那奈に、先生はにっこりと穏やかな笑顔で頷いた。
 ……そして。
 大河内先生は、おもむろにかけていた眼鏡をふっと外す。
 それを胸ポケットに入れた後、瞳と同じ漆黒を湛える前髪をザッとかき上げた。
 同時に、分厚い眼鏡で隠れていた神秘的で魅力的な瞳が現れる。
 そんな彼の瞳は、先程までの穏やかなものとはその印象を変えていた。
 先生はふうっとひとつ嘆息した後、ぽんっと那奈の頭に手を添えて、こう言ったのだった。
「ったくよ、本当におまえって占いとかそーいうの好きだよな。女って、何でそんなに占いとかしたがるんだ?」
 先程までと全く変わった、大河内先生の口調。
 だがそんな突然の変化にも慣れたように、那奈は上目使いで彼を見る。
「でも、いい結果だったら嬉しいじゃない。結果が悪かったら信じなきゃいいんだし。ね? 先生」
「おまえって、そういうところ妙にプラス思考だよな。ていうか、それじゃあ占いってよりもただの気休めじゃねーかよ」
 普段学校での大河内先生は、分厚い眼鏡と胡散臭い白衣を身にまとった、穏やかで冴えない社会科教師である。
 だが、一旦眼鏡を外してプライベートになると。
 その性格が、驚くほどに一変するのであった。
 性格だけでなく、その雰囲気さえも穏やかなものから都会的なものへと変わる。
 だが当の大河内先生本人は、自分の変化に全く自覚がないのであった。
 最初は学校バージョンとプライベートバージョンの先生の変化に戸惑った那奈であるが、今ではそんな変化にもすっかり慣れている。
 端整でハンサムな彼の顔を見て、那奈は肩より少し長めの黒髪をかき上げて笑った。
「そんなこと言ったって、先生の大好きな日本の歴史にだって、占い師とか呪術師とかたくさん出てくるじゃない。卑弥呼とかだって、そうだったんでしょ?」
 その那奈の言葉に、大河内先生はふと瞳を輝かせる。
 そして、ご機嫌な様子で話を始めたのだった。
「まぁな。卑弥呼は呪術に長けてて、民を心服させる能力があってな。神の妻として神の意志を民に伝え、卑弥呼の弟によってそれが実行されてたんだよ。んで、卑弥呼自身は奴隷千人を従え、宮室にこもって姿をみせることはなかったんだけどよ、それも神秘性を民に与える上手いやり方だよな。あ、それで卑弥呼の治めていた邪馬台国なんだけどよ、その所在地はふたつの説があるだろ、九州説と近畿説。それでな、俺的にはよ……」
 突然饒舌になった先生の様子に、那奈はクスクスと笑い出す。
 大河内先生はふと言葉を切り、眉を顰めて首を傾げた。
「あ? 何だよ」
「本当にそれ、職業病だよね。大好きな歴史の話になると、先生って話止まらないんだもん。さすが歴史オタク」
「オタクって言うなっ、オタクって。仕方ないだろ、日本史の教師なんだからよ。そういうおまえこそ、『オズの魔法使い』のオタクのくせによ」
「オタクって、先生と一緒にしないでよね。私は小さい頃から、ずっと『オズの魔法使い』の童話が好きだってだけだよ」
「いや、かなりおまえの『オズの魔法使い』トークもマニアックだぞ」
 はあっとわざとらしく嘆息し、先生はぐいっと那奈の頭を自分の方へと引き寄せる。
 那奈は彼の大きな胸に身体を預けると、幸せそうに微笑む。
 それから、にっこりと笑顔を浮かべて言ったのだった。
「でも『オズの魔法使い』の童話よりも、大河内先生のこと大好きだよ」
 那奈のその言葉に、先生はニッと笑みを浮かべる。
 そして、グリグリと少し乱暴に彼女の頭を撫でた。
「俺も日本の歴史より、おまえのこと好きだからよ」
 大河内先生はそう言ってから、スッと那奈の顎を持ち上げる。
 その後、闇のように神秘的な漆黒の瞳をおもむろに伏せた。
 那奈は彼に遅れて、同じようにゆっくりと瞳を閉じる。
 そして……次の瞬間。
 ふたりは、ふわりと甘いキスを交わしたのだった。
 羽のように軽い口づけの後、那奈は照れたように俯く。
 それから気を取り直し、思い出した言ったのだった。
「あ、そうだ。先生、明日って暇? 今バーゲン中だし、どこか買い物でも行かない?」
「え? 明日、か?」
 大河内先生は那奈の言葉を聞き、ふとその表情を変える。
 彼の表情の変化に気がついて、那奈は首を傾げた。
「大河内先生、明日都合悪かった?」
「え? あ、ああ。悪いけどよ、明日は無理だ。でもよ、明後日は絶対会おうな」
「うん、分かった。じゃあ、明後日は空けといてね」
 きょとんとしつつも那奈はこくんと頷いて、バッグから取り出した手帳に予定を書き込み始める。
「…………」
 大河内先生はそんな那奈を見つめ、何かを考えるような仕草をする。
 それから、ふっとその漆黒の瞳を細めたのだった。

   

 ――次の日。
 那奈はこの日、ひとりで繁華街に買い物に来ていた。
 夏休みも残り僅かの繁華街は、たくさんの人で賑わっている。
 人の波に逆らわず歩きながら、那奈は色鮮やかに飾られたショーウインドウに目を向ける。
「あ、これ、大河内先生に似合いそうだな」
 メンズの小物が飾ってあるショーウインドウを楽しそうに眺めてそう呟いた後、那奈はふと顔を上げた。
 彼女の目に映るのは、こんな暑い中にもかかわらず、店にできている行列。
 それは、新しくオープンしたケーキ屋の順番待ちの行列だった。
 那奈は数日前、恋人である大河内先生とすでにこの店に行っていた。
 その時の楽しいデートのことを思い出し、那奈は幸せそうに微笑む。
 今度はいつ、大好きな先生とここのケーキを食べに来れるだろうか。
 何なら、明日のデートの時にでもまた誘ってみようか。
 そう思った、次の瞬間。
「……え?」
 那奈はふと立ち止まり、漆黒の瞳を大きく見開く。
 それから、数度瞬きをして呟いた。
「大河内、先生?」
 ケーキ屋の中でコーヒーを飲んでいるのは、紛れもなく彼女の恋人・大河内先生その人だったのである。
 そして、そんな彼と一緒にいるのは。
「知美!? どうして、大河内先生と知美が?」
 先生と一緒に楽しそうにケーキを食べているのは、那奈の無二の親友・竹内知美という少女だった。
 知美も那奈と同じ、大河内先生の生徒である。
 信じられない光景を目の当たりにし、那奈はしばらくその場から動けなかった。
 どうして自分の恋人と親友が、一緒にいるのだろうか。
 第一、どちらからもこのことは全く聞いていない。
 しかも昨日、那奈は大河内先生に今日の予定を尋ねていた。
 それにも関わらず。
 自分の親友の知美と会うことを、彼は言わなかった。
 もちろん知美からも、何も聞いてはいない。
 楽しそうにお茶をするふたりから目を逸らし、那奈は大きく首を振る。
「どうして? どうしてふたりとも、私に黙って……」
 大好きな恋人と、大切な親友。
 同時にかけがえのないふたりから裏切られたような気持ちに陥り、ぎゅっと胸が締め付けられる。
 これは、悪夢だろうか?
 お願いだから、夢なら早く覚めて欲しい。
 そう思い、もう一度那奈は思い切って顔を上げる。
 だが――それはやはり夢などではなく、紛れもない現実だった。
 それから那奈は、ムッとした生暖かい夏の風に黒髪を揺らし、逃げるようにその場を駆け出すことしかできなかったのだった。


 ――その日の夜。
 仕事が忙しい両親は、この日も家にはいない。
 那奈は愛犬のトトを膝の上に抱えると、何度目か分からない嘆め息をつく。
 それから、折りたたみ式の携帯電話を何度も開閉する。
 友人の知美に、今日の昼間見たことを聞こう。
 そう思った那奈だが、いざとなると知美に連絡を取る勇気が出ないのである。
 知美はいつも自分のことをよく考えてくれている、親友と呼べる存在。
 そんな仲のよい友人が、黙って自分の恋人である大河内先生と会っているなんて。
 きっと何か、理由があるに違いない。
 そうでないと、こんなことがあるはずない。
 でもその理由が何か全く思い当たらない那奈は、怖くて直接知美に聞けないでいたのである。
 那奈はもう一度嘆息した後、ちらりと時計を見る。
 時間は、夜の23時半。
 那奈は意を決し、知美にメールを打った。
 ……それから、数分後。
 思ったよりも早く、那奈の携帯からメール受信を知らせる着信メロディーが鳴る。
 だが、ほんの3分もなかったその時間が、那奈にとってはものすごく長い時間に感じた。
 急いで携帯電話を開き、那奈は受信したメールを開く。
 そして知美から返ってきたメールを見て、信じられないような表情をした。
『今日、先生と知美が一緒にいるところを見たんだけど、どういうことなの?』
 この那奈のメールに返ってきた、知美の返事。
『先生とふたりのところ、見られちゃったんだ……ごめんね、理由はまだ言えないんだ。先生に、言うなって口止めされてるから』
 これは一体、どういうことなのだろうか。
 自分に言えない、先生と知美のふたりだけの密会。
 しかも知美は、その理由を言うことを先生から禁じられているという。
 どうして口止めされているのか、そしてその禁じられた言葉が何か、那奈には全く検討がつかなかった。
 今まで信じていた恋人と親友の両方から裏切られたような気持ちになり、気がつけばポロポロとその瞳からは涙が零れている。
 ……その時。
 シンと静まり返った部屋の静寂を破るように、那奈の携帯電話が鳴り始める。
 那奈はその着信メロディーに、ハッと顔を上げた。
 部屋に鳴り響いている曲は――『Over The Rainbow』。
 那奈の大好きな『オズの魔法使い』の映画のテーマソングに使われた、お気に入りの曲。
 そして、この着信音に指定設定をしているのは……。
 那奈は携帯の画面に出ている恋人の名前を見つめたまま、その電話を取ろうかどうしようか悩んだ。
 ――どれくらい、着信音が鳴っただろうか。
 那奈はようやく受話ボタンを押し、ゆっくりと耳に携帯電話を当てる。
『那奈』
 聞こえてきたのは、大好きな恋人の声。
 その声からは、心配そうな響きが感じられた。
 きっと知美から自分のメールのことを聞いて、すぐに電話してきたのだろう。
 そう考えただけでも、那奈の胸は張り裂けそうだった。
『おい、那奈。竹内からメールきたけど、何か妙な誤解してるだろ、おまえ』
 誤解……?
 自分に内緒で親友と会っておいて、しかもそれを口止めしておいて、誤解も何もないんじゃないか。
『那奈、聞いてるのかよ? おい、何とか言え』
 ポロポロと流れる涙を拭う事も忘れ、那奈はグッと膝の上で拳を握り締める。
 そして、こう言い放ったのだった。
「生徒だったら誰でもいいの!? 先生のこと、信じてたのにっ」
 那奈のその言葉に、電話の向こうで大河内先生は思わず言葉を切る。
 そしてはあっと大きな溜め息をつき、口を開く。
『あ!? 何言ってんだ、おまえ。生徒なら誰でもいいってな、んなワケあるかっ』
「だって……じゃあ、何で私に黙って……」
 那奈の問いかけに、大河内先生はふと口を噤んだ。
 それからもう一度嘆息して、こう言ったのだった。
『分かった、今からおまえの家に行く。今日、両親出張でいないんだろう? ソッコーで行くから待ってろ』
「……え?」
 言葉を返す暇もなく電話を切られ、那奈の耳にはツーツーと通話終了の音が響く。
 パタンと携帯電話を閉じてから、那奈はふと考える仕草をした。
 今から家に来て、先生は自分に何を言うつもりなのだろうか。
 別れ話でも、しにくる気なのだろうか?
 もしかして、このまま自分たちは終わりなのかもしれない。
 そう考えて涙が止まらない那奈を、愛犬のトトが心配そうに見ている。
 ようやく涙を拭ってそんなトトを優しく撫でた後、那奈はおもむろに立ち上がってカーテンを開けた。
 閑静な高級住宅街は、夜の闇に包まれて静まり返っている。
 那奈は再び涙で霞む風景を見つめながら、どうしたらいいのか混乱していた。
 ……そして、数十分後。
 見慣れた青のフェラーリが、家の前に止まった。
 それから、家のチャイムが鳴る。
 突然の来客に、トトが興奮して吠え始めた。
 那奈はそんなトトを宥め、悩んだ挙句に玄関に向かった。
「那奈」
 遠慮気味に開けたドアの向こうに立っていたのは、大好きな恋人。
 だがそんな大河内先生の姿をまっすぐ見ることができず、那奈は俯いてしまった。
 先生は大きく溜め息をつくと、スッと彼女の頬を伝う涙を指で拭う。
 それから、口を開いた。
「ったく、おまえ、何て顔してんだよ」
「…………」
 こんな顔をさせたのは、一体誰だと思っているのか。
 そう言い返すこともできず、那奈は黙って彼から視線を外す。
 先生はそんな那奈の様子に困ったような表情を浮かべ、それから腕時計に目を向けた。
 そして、那奈に言ったのだった。
「あと1分。あと1分待ってくれ。そしたら……これが誤解だって、分かるからよ」
「え?」
 先生の言葉の意味が分からず、那奈は涙の溜まった瞳を彼に向ける。
 大河内先生は那奈の頭を優しく撫で、腕時計をもう一度見つめた。
 そして。
「あと10秒……3、2、1」
 それと、同時だった。
 家の時計が鳴り始め、夜の0時を知らせる。
 先生は日付が変わったのを確認し、持っていたものを那奈の前に差し出す。
「開けてみろ」
 きょとんとしつつそれを受け取った那奈に、先生は短くそれだけ言った。
 那奈は言われた通り、渡された小振りの箱を丁寧に開ける。
 そして出てきたものを見て、瞳を大きく見開いた。
「大河内先生……これって?」
「おまえ、忘れてただろ」
 ふっと端整な顔に笑みを浮かべ、先生は那奈の黒髪を少し乱暴に撫でる。
 それから箱から出てきたものを手に取り、言ったのだった。
「誕生日おめでとう、那奈。ったく、自分の誕生日忘れてんじゃねーよ」
「あ……!」
 日付が変わった今日は――8月27日。
 夏休み中のためにあまり日付感覚がなかった那奈は、すっかり自分の誕生日のことを忘れていたのである。
 そして先生の持っているものは、ハートモチーフの指輪。
 大河内先生は那奈の左手を取り、その指輪をスッと彼女の細い薬指にはめた。
「誕生日プレゼントだよ。おまえの指のサイズ分かんなかったし、どれにするか迷っててな。だから、竹内のヤツに一緒に選んでもらったんだよ。おまえのこと驚かそうと思って、あいつには黙ってるように言ったんだけど……逆効果だったみたいだな」
 那奈は驚いたような表情をしつつも、自分の薬指にはめられた指輪をじっと見つめる。
 それはさすが那奈のことをよく分かっている親友の知美と選んだというだけあり、サイズもぴったりな上に、彼女好みの女の子らしい可愛いデザインであった。
「先生ごめんね、私、知らなくて……」
 ふっと顔を上げてそう言った那奈を、先生はぎゅっと抱きしめる。
 そして、笑った。
「ったくよ、ごめんじゃねーよ。言う言葉が違うだろ? 謝るな、俺だっておまえを心配させちまってよ。ていうか、本当におまえって泣き虫だな」
 先生の胸の中で彼の体温を全身で感じながら、ようやく那奈はその顔に笑顔を宿す。
 そして、涙を拭って大河内先生に言ったのだった。
「大河内先生、ありがとう。すごく嬉しい……先生、大好きだよ」
「あーもう、昼に会った時に渡そうと思ったんだけどよ。おまえが誤解なんてするからよ。ま、でも日付が変わった直後に渡すってのもいいな」
 ふうっと溜め息をついてそう言った後、大河内先生は漆黒の綺麗な瞳に那奈の姿を映す。
 それから改めて、ゆっくりと言ったのだった。
「おめでとう、那奈。俺もおまえのこと、愛してるからな」
 先生は少し乱れた彼女の髪をそっと手櫛で整えた後、おもむろにスッと瞳を閉じる。
 そして、もうひとつのプレゼント――気持ちのこもったキスを、彼女にあげたのだった。
 ゆっくりと重なり合う唇の柔らかな感触に、那奈は冷たく凍っていた心が溶かされるような感覚をおぼえる。
 そんな甘い口づけの後、那奈はもう一度自分の左手にはめられた指輪に視線を向けた。
 親友に、恋人が禁じていた言葉。
 それは、自分を裏切るような言葉では全くなかった。
 むしろ幸せの魔法がかけられた、内緒話。
 那奈はもう一度キラキラと輝く指輪を見つめた後、再び目の前の大河内先生にぎゅっと抱きついた。
 先生はそんな小さな体を受け止め、大きな手で優しく彼女の頭を撫でる。
 それからふたりは、もう一度ゆっくりと瞳を閉じた。
 そしてお互いの気持ちを確かめるように、そっと唇を重ね合わせたのだった。


EXTRA SCENE -FIN- 




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