第三章 天翔ける神獣



 第19話 正面衝突

 司紗は聖の動きに注意を払いつつ、現れた雨京先生に訊いた。
「先生……どういうことですか、これは?」
 先生は司紗の言葉に怪訝な顔をしながらも、聖を親指で指差して口を開く。
「あ? それはこっちの台詞だ。ていうか、何でコイツとおまえらが一緒にいるんだよ」
「でも先生は、五十嵐聖くんのことは知らないって……」
 司紗はそう呟き、漆黒の瞳を先生に向けた。
 そんな明らかに不機嫌そうな雨京先生と首を傾げている司紗を、和奏は交互に見つめる。
 そして最後に聖に視線を移し、何だか楽しそうな様子の彼に言った。
「ねぇ、聖くん。どういうことなの?」
 聖はそんな和奏ににっこりと微笑んで、彼女の問いに答える。
「五十嵐聖って名前とこの姿は、仮のものだからね。その彼……雨京先生が、僕の名前を知らないのは当然だよ。えーっとそれで、僕と彼の関係なんだけど」
 ――その時だった。
「!!」
 司紗はハッと表情を変え、和奏を庇う様に素早く位置を変える。
 次の瞬間、カッと強大な黄金の光が繰り出されたのを感じた。
「きゃっ!」
 和奏は思わずその眩しさに瞳を瞑り、声を上げる。
 刹那、耳に激しい衝撃音が轟く。
 ――雨京先生の掌から、無数の妖気の衝撃が放たれたのだった。
「まったく、君は短気だなぁ。久しぶりに会ったっていうのに」
 先生の強大な妖気の威力をすべて片手で軽々と受け止め、聖はふっと笑う。
 そして難なく衝撃の威力を無効化させると、にっこりと穏やかな笑みを先生に向けた。
 雨京先生は切れ長の瞳を鋭く細め、聖に視線を投げる。
「黙れ、余計なこと言うな。ぶっ殺すぞ」
「まぁまぁ、そんなコワイこと言わないでよ。でも君の妖力じゃ、この僕をぶっ殺せないとは思うけどね」
「……何だと?」
 煽るような聖の言葉に、先生はピクッと反応を示した。
 それからフッとブラウンの瞳を閉じると、その身体に黄金の妖気を漲らせる。
 そして。
「あ……!」
 和奏は雨京先生の姿を見て、思わず声を上げた。
 ――背中を流れる金色の髪と、真紅の瞳。
 そして、黄金色をした九本の尻尾。
 妖狐体に変化した雨京先生は、先程とは比べ物にならないくらいの強大な光をその身に宿した。
 先生の妖力の大きさを物語るように、周囲の空気がビリビリと振動している。
 司紗は冷静に状況を見据えながら、背後にいる和奏に声をかけた。
「和奏ちゃん。危ないから、僕のそばから離れないで」
 和奏は目の前の光景を何も言えずに見つめながらも、司紗の言葉にコクンと頷く。
 それにしても、先生と聖の関係は何なのだろうか。
 そして、聖は一体何者なのか。
 戦闘意欲剥き出しな先生とは対称的に、聖は涼しそうな顔をしている。
 雨京先生は強大な妖気でバチバチと音を立てる右手をグッと握り締め、狙いを定めるように真紅の瞳を細めた。
 次の瞬間、先生の掌から、枝分かれする無数の光が唸りを上げて繰り出される。
 その余りの眩しさに、和奏は手で目を覆ってしまった。
 だが聖は、そんな四方から襲いかかる黄金の光に怯む様子もなく、サラサラのブラウンの髪をかき上げる。
 そしてスッと人差し指を掲げると、くすっと笑った。
 その時。
「なっ!?」
 和奏の盾になるように位置を取りつつ、司紗は驚いたように漆黒の瞳を見開く。
 和奏も目の前で起こったその信じられない状況を見つめ、何度も瞬きをした。
 先生の放った、すべての無数の光を……聖は、人差し指1本で受け止めていたのだった。
 そしてそんな彼の指先に宿る神々しい妖気は、先生の黄金の光を大きく包み込んで凌駕している。
「うーん、この程度じゃ全然話になんないよ。ということでコレ、返すね」
 そう言って聖は、人差し指で受け止めている黄金の光に、フッと軽く吐息を吹きかけた。
 ――それと、同時だった。
「……チッ!」
 雨京先生は舌打ちし、再び妖気を漲らせる。
 そして聖の吐息で逆流した黄金の光を、咄嗟に妖気の障壁で防いだ。
 はね返ってきた黄金の衝撃が障壁にぶつかり、ドオンッという大きな轟音が響く。
「あの妖気、半端な大きさじゃない……何者なんだ、彼は」
 司紗は聖を見つめ、そう呟く。
 そして目まぐるしく展開する状況に全くついていけず、和奏はただ司紗の背後で言葉を失うことしかできないでいたのだった。
 雨京先生は気に食わない顔で聖を睨んだ後、ふっと構えを解く。
 それから、くるりと和奏の方に視線を向けた。
 和奏は突然自分を映した真紅の瞳に、ドキッとしてしまう。
 雨京先生は金色の髪をザッとかき上げてから、そんな和奏にゆっくりと近づいてきた。
「和奏、来い」
 相変わらず有無を言わせぬような口調で、先生は短くそう口を開く。
 急に呼ばれ、和奏はきょとんとした表情を浮かべた。
「和奏ちゃんに、何をする気ですか?」
 先生の前に立ちはだかり、司紗はキッと彼を見据える。
 先生はそんな司紗を見た後、再び和奏に切れ長の瞳を移した。
「この俺が来いって言ってるんだ。さっさと来い」
 威圧的にもう一度、先生は和奏にそう言う。
「え? あ……」
 どうしていいか分からない表情を浮かべつつ、和奏は一瞬司紗の背中から離れた。
 ――その時だった。
「! きゃっ!」
 ふっと僅かな隙をついて、先生の腕が伸びる。
 大きな手がしっかりと和奏の腕を掴んだと同時に、ぐいっと彼女の身体が先生の胸に引き寄せられたのだった。
 そして。
「っ! ん……っ」
 和奏は大きく瞳を見開き、驚いた表情を浮かべる。
 先生の手が、和奏の顎を持ち上げたかと思った瞬間。
 雨京先生の唇が……彼女のものと、重なったのだった。
 神秘的な真紅の瞳に、金色の長い髪。
 ダークブラウンの瞳にそんな先生の姿を映しながら、和奏は身体の芯が熱くなる感覚を覚える。
 最初は優しくキスを重ねた先生だったが、さらに腰に手を回して和奏を自分の方へ引き寄せた。
 そして今度は先程と違う、濃厚な口づけを彼女に与える。
「は……っ、んっ」
 先生の舌がごく自然にスッと侵入し、和奏のものを捉えた。
 そんな先生の溶ろけるようなキスに、和奏は頭が真っ白になるような気持ちよさを感じる。
 それから先生は余韻を持たせるように、ゆっくりと彼女から唇を離した。
 その――次の瞬間。
「!」
 今まで黙って先生の様子を見ていた聖は、ハッと顔を上げる。
 そしてバッと掌を前に突き出し、瞬時に妖気を漲らせた。
 刹那、今までで一番の轟音が鳴り、衝撃が地を揺るがす。
 ――和奏を片腕で抱いた先生が、逆の手から強大な妖気を放ったのだった。
「わー、一気に妖力の大きさが跳ね上がったね。和奏ちゃんが霊感強いのは分かってたけど、これ程までとは。ちょっとビックリしたよ」
 聖は先生の繰り出した黄金の光を受け止めて無効化させた後、パチパチと手を叩く。
 先生は和奏を抱きしめたまま、全く平気な聖の様子にチッと舌打ちをした。
 そんな先生の身体に宿る妖気は、霊力の強い和奏とのキスで何倍にも膨れ上がったのである。
 和奏はまだ濃厚なキスの余韻に呆然としながらも、先生の体温と黄金の妖気のぬくもりを感じていた。
 雨京先生はふっとそんな和奏から手を放すと、相変わらず命令形で言った。
「和奏、おまえは離れてろ」
 いや、先生が勝手に引き寄せて、キスして抱きしめたんじゃないか。
 そう思いつつも、和奏は瞳をぱちくりさせながら言う通りに彼から離れた。
 その時。
「和奏ちゃん……」
 その声に、和奏はハッと我に返る。
 そして慌てて振り返り、表情を変えた。
「つっ、つ、司紗くんっ」
 そんな和奏の目に映っていたは、驚きを隠せない表情で自分を見つめる、司紗の綺麗な漆黒の瞳。
 和奏は、一気に血の気が引くのを感じる。
 よりによって、想いを寄せている司紗の目の前で。
 雨京先生と……キスをしてしまったなんて。
 和奏は言葉を失い、ショックで軽い眩暈さえ覚えたのだった。
 聖は雨京先生からふと目を離すと、和奏と司紗の方に目を向ける。
 それから、思い出したように言った。
「あ、そうだ。この雨京先生と僕の深ーい関係、そういえば話してなかったっけ」
 司紗はまだ少し驚いた表情を浮かべたまま、その言葉に顔を上げる。
 和奏もショックに打ちひしがれながらも、聖に視線を向けた。
 雨京先生はその言葉に、途端に眉を顰める。
 そして渦を巻く黄金の妖気を再び漲らせ、衝撃を繰り出す体勢に入った。
「余計なことは言うなって、言ってるだろーがっ!」
「もう、話の邪魔しないでよね……仕方ないな、少し黙っててもらおうかな」
 そう言うなり、聖はブラウンの瞳をスッと細める。
 ――次の瞬間。
「……っ!」
 先生が衝撃を放つ、そのまさに直前だった。
 風のようにその身体が消えたかと思った瞬間、聖は素早く先生の懐に入る。
 そして瞬時に漲らせた神々しい妖気を、至近距離で先生目がけて放ったのだった。
 ギリッと歯を食いしばり、その衝撃に耐えようと、先生は大地に足を踏みしめたのだが。
「ぐ……っ!!」
 聖の強大な光に圧されたその身体が、勢いよく背後の壁に叩きつけられる。
 そして先生は受けたダメージの大きさに意識を失い、ずるりと崩れ落ちた。
 ふわりと流れるような彼の美しい金髪が、地に広がる。
「! 雨京先生っ」
 モロに衝撃を受けて気を失った先生に、和奏は思わず声を上げた。
 そんな心配そうな和奏の表情を見てから、聖はにっこりと微笑んだ。
「彼なら大丈夫だよ、和奏ちゃん。手加減したし、ちょっと気を失ってるだけだよ」
 それから楽しそうに笑い、こう続けたのだった。
「それに彼はこの僕の息子だからね、そんなにヤワじゃないよ」
「え……っ!?」
 和奏は聖の発したその意外な言葉に、何度も瞬きをする。
 たぶん、聞き間違いじゃない。
 確かに聖は、雨京先生のことを『息子』だと言った。
 でも目の前にいる彼は、どう見ても和奏と同じ年くらいの少年である。
 司紗も倒れている先生と聖を交互に見ながらも、信じられない表情をしている。
 聖はそんなふたりの考えを見透かすように、口を開いた。
「彼が妖狐ってことは、知ってるよね? ということで、父親の僕も狐なんだよね。彼は半妖だけど僕は純粋な妖狐だから、彼のように人間の身体を持たないんだ。まぁ狐だし、姿かたちを変えるのはお手の物で。今の姿は仮の姿なんだよ。あ、そうだ、それでどうしてこの容姿なのか、知りたい?」
 無邪気に笑い、聖は和奏と司紗に目を向ける。
 それから美形の顔に笑みを浮かべ、こう言ったのだった。
「息子が和奏ちゃんのこと、気に入っていることを知ってね。和奏ちゃんの好みの男性像を写してみたんだけど。どうかな?」
「こ、好みの、男性像……!?」
 思わず和奏は顔を赤らめ、俯いてしまう。
 確かに聖の顔は、和奏のモロ好みな綺麗な顔立ちをしている。
 穏やかで上品で、優しい雰囲気を持つ美形の容姿。
 そして、これでようやく分かったのだった。
 司紗と聖が似ていると、強く感じていたその理由が。
 和奏の理想のタイプは、誰でもない司紗なのだから。
 だが司紗本人に和奏は、聖と司紗の容姿の雰囲気が似ていると再三言っていた。
 これでは、自分が司紗のことを好きだと、モロに言っていたようなものじゃないか。
 そう思った和奏は、恥ずかしそうに顔を真っ赤にさせた。
 ドキドキと異様に早い鼓動を刻む胸を押さえながら、和奏はちらりと司紗を見つめる。
 だが司紗はそんな和奏の様子には気がつかず、漆黒の瞳を真っ直ぐ聖に向けて訊いた。
「それで、どうして貴方は和奏ちゃんの前に……いえ、息子である先生の前に、突然現れたんですか? それにその桁外れに大きな妖気……貴方は妖狐の中でも、かなりランクの高い狐ですね。少なくても、金毛九尾狐の先生より高いランクの妖怪なのは間違いない。違いますか?」
「本当に司紗くんって、真面目で優秀な術師なんだね。霊力も高いし、術のバリエーションも多そうだし、うちの息子となかなかいい勝負なんじゃない?」
 くすっと笑った後、聖は倒れている雨京先生にちらりと目を向ける。
 それから先生と同じブラウンの瞳を優しく細め、ゆっくりと口を開いたのだった。
「そうだな。じゃあせっかくだから、うちの可愛い息子の話でもしようか」