番外編:僕の罪






※ 番外編を読む前に ※


 この番外編は、本編第5話まで読まれていない方にとってのネタバレが多数含まれています。

本編第5話まで読まれていない方でネタバレがイヤな方は、本編から読んでください。

尚、ネタバレがイヤな方で誤ってこの番外編を読まれた場合の苦情などは受け付けません。

どうぞそこのところご注意いただき、楽しんでいただけたら嬉しいです。






 俺はその時、すべてを悟っていた。
残された時間が、あとほんの僅かしかないことを――母が天に召される瞬間が、近づいていることを。
「将吾」
 今まさに命の灯火が消えんとしている者とは思えぬほど、よく通るはっきりとした声で、母が俺を呼ぶ。
 俺は敢えて何も言わず、真っ直ぐに視線を返した。
 母の瞳が、ふっと俺の姿だけを映し出す。
「将吾。おまえは不幸なことに、この私にとてもよく似ている。頑固で堅物で、不器用で……困ったものだ」
 母はそう言って、少しきつめの印象を受ける濃茶色の瞳を細めた。
 どんな時でも母の瞳には、凛とした神々しい光が宿っている。
 天に還る瞬間が迫っている今でさえも、その輝きは失われてはいなかった。
 他人にも、そして何よりも自分に厳しい人。
 自分に課せられた重すぎる運命からも、片時も目を逸らさずに。
 生命が削られることが分かっていても、それでも母は自分の運命を受け入れることを選択した。
 頑固で堅物で、そして不器用。
 まさにその言葉通りの人生を、母は送ってきたのだろう。
「おまえは精神的に、とても強い子だ。だがその強さゆえ、同時に脆さも持ち合わせている。だから、これだけは覚えておいて欲しい」
 母は優しさを内に秘める瞳を俺に向けると、こう続けたのだった。
「自分自身を保つために、その強さを保つために、決して言ってはいけない言葉がある。それは――……」




   




「将吾、おはよう」
 深緑色をしたブレザーの襟元を正してダイニングルームに姿を現した俺に、父・鳴海秀秋は柔らかな微笑みを宿す。
 俺はちらりと父に視線を返した後、軽く頭を下げた。
「おはようございます」
「相変わらず愛想がないな、将吾は。まぁそんなところがまた、母親に似て可愛いんだがね」
 ふふっと暢気に笑い、父は俺の分の珈琲を淹れる。
 父はいつでも、紳士的で穏やかなその笑みを絶やさない。
 雲のように掴み所がなく、風のように自由奔放な人。
 自分の気持ちに、とても素直に生きている。
 そしてそれは、俺には到底真似の出来ない生き方であった。
 俺たちは親子でも、全く正反対の性格であるからだ。
 母が数年前に天に召されて以来、俺はそんな父とふたりだけで住んでいる。
 そして父の意向で、いつも朝食は一緒に取るようにしているのだが。
 父はいつも通り楽しそうに微笑んで自分の分の珈琲を淹れると、俺の正面の椅子に座る。
「朝起きて窓を開けたらね、小鳥がこう歌っていたんだよ。きっと将吾は、朝食にスクランブルエッグが食べたいだろうってね。それに今日はいい天気だ。天気がいいと、心が弾むね」
「…………」
 妙に前向きで夢見がちな父の言動は、時々理解できないのだが。
 だが性格が正反対だからこそ、ふたりだけでもやっていけているのかもしれない。
「いただきます」
 俺は敢えて父の意味不明な言葉にはツッこまず、俺が食べたいと小鳥が教えてくれたというスクランブルエッグを口にする。
 そんな俺の素っ気無い態度にも慣れているように、父はニコニコと満足そうに俺を見ていた。
 それからしばらくして、思い出したように再び口を開く。
「ああ、そう言えば。この間の校内模試も、学年トップだったそうだね」
 ふと話しかけられて顔を上げた俺に、父はこう言葉を続けた。
「勉学も結構だが、たまには羽目を外すのもいいものだよ。君は真面目だからね」
 俺はその父の言葉に、大きく溜め息をつく。
 いつも思うことだが、この人は自分の立場が分かっているのだろうか。
「お言葉ですが、それが当学園の理事長の言葉ですか? それにこの間も、勝手に理事長会議を欠席したそうじゃないですか。理事長会議なのに理事長が不在だなんて、一体何をしていたんですか?」
「この間の理事長会議? ああ、その日は雲ひとつない青空だったからね、外を散歩したい気分だったんだよ」
 ……意味が分からない。
 父は現在、俺の通っている聖煌(せいおう)学園高校で、理事長という役職に就いている。
 聖煌学園高校は、由緒正しい名門進学校として世間から認識され、知られている学校であるはずなのだが。
 その学園のトップが、こんな調子でいいのだろうか。
 理事長会議を欠席した理由が、空が青かったからだと?
 全くもって、理解不能である。
 しかもそう言ってのける父の様子に、全く悪びれた様子はない。
 俺は激しい脱力感を感じながらも、これ以上この人に何を言っても無駄だと口を噤む。
 そんな俺に相変わらずの笑顔を向け、父はふと椅子から立ち上がった。
 そして。
「学年トップの成績はいつものことなのだが……今回もよく頑張ったね、将吾」
 父はそう言うと、俺の頭を優しく撫でたのだった。
 俺は何故だかそんな父の顔を見ることができず、ふいっと視線を逸らす。
「いつも言っていますが、俺のことを一体幾つだと思ってるんですか? いい加減、子離れしてください」
「ふふ、照れちゃって。子供は素直に親に甘えていいんだよ?」
「……ご馳走様でした」
 俺の反応を明らかに楽しそうに見ている父にじろっと目を向けた後、朝食を取り終えた俺は椅子から立ち上がる。
 父はブラウンの瞳を細めてくすくすと笑ってから、瞳と同じ色の髪をそっとかき上げた。
 ――そして。
「あ、そうだ。将吾、君に意見を聞きたいことがあったのを忘れていたよ」
 ダイニングルームを後にしようとした俺に、ふと父はそう声をかける。
 俺は背中で父のその声を聞き、おおむろに表情を変えた。
「何でしょうか?」
 俺は足を止め、振り返る。
 相変わらず上品で柔らかな笑顔を湛える、父の姿。
 いつもは、そんな父の理解できない言動の相手はなるべくしないようにしている俺だったが。
 俺は表情を引き締め、父の次の言葉を待つ。
 明らかに目の前の父の顔つきが……先程までのものとは、全く違う印象を醸し出していたからだ。
 父はスッとブラウンの瞳を細めると、テーブルの上に数枚の新聞の切抜きを置く。
 それを手に取り、俺は記事の内容に目を向けた。
 父はそんな俺を見つめながら、ふっと声のトーンを変えて口を開く。
「最近、男女のカップルばかりが、立て続けに何者かに襲われているという事件が起こっている。連日ニュースでも報道されているから、君も知っているよね? 決まって女性の方は派手目の外見で、男性は赤のネクタイを締めているという。現場も一定の地域に集中しているし、その上すべて死因は原因不明だ。君はこの事件について、どう思う?」
 俺は一通り記事に目を通した後、ふっとひとつ溜め息をついた。
 そして父の問いに、こう答えたのだった。
「相変わらず遠回しな言い方をしますね。この事件は“憑邪(ひょうじゃ)”によるものではないだろうかと、そう父さんは考えているのでしょう? 俺も同じで、その可能性は大いにあると思っています。そしてそれが本当に“憑邪”の仕業かどうか調べ、“憑邪”によるものであったらそれを速やかに解決しろと。そう仰りたいんでしょう?」
「話が早くて助かるよ、将吾」
 にっこりと笑顔を俺に向け、父は大きく頷く。
 俺は父をちらりと見た後、新聞記事を手に取り、ダイニングルームのドアを開けた。
 上品で穏やかな印象の笑みを浮かべたまま、父はそんな俺の背中にひらひらと無邪気に手を振っている。
 俺は廊下に出てから、もう一度記事にざっと目を通した。
 それから時間を確認し、学校に登校すべく支度を始めたのだった。




 ――その日の夕方。
 授業もすべて終了し、放課後の雑踏が校舎内を満たしている。
 生徒会室で外から聞こえてくる運動部の声を耳にしながら、俺は明日に控えている生徒会会議の議案を改めてチェックしていた。
 高校二年に進級した俺は今、聖煌学園高校の副生徒会長を任されている。
 一通り議案に抜け目がないことを確認し、俺は書類をファイルに綴じて時計に目をやった。
 そして、今朝父から受け取った新聞記事を机上に並べる。
 襲われているのは、男女のカップルばかりで。
 どの事件の現場も、同じ繁華街の近くで起こっている。
 その死因は、いずれも原因不明。
 俺はふと考えるように父譲りのブラウンの瞳を細めた。
 ――その時。
「やあ、将吾。遅くなって悪かったね」
 ガラッと生徒会室のドアが開き、今更やって来たその人物はにっこりと微笑んだ。
 俺はわざとらしく溜め息をついた後、その人物にじろっと目を向ける。
「杜木。一体今、何時だと思っている? 明日の会議の議案確認を17時から行うと、散々言っておいたはずだろう? おまえには、生徒会長としての自覚があるのか?」
「そう怒るな、将吾。さ、議案のチェック始めようか」
「生憎だが、議案の確認はすでにもう終わったところだ」
「そうか。副会長が頼りになると、会長は楽でいいな」
 そう言って笑い、当学園の生徒会長である彼・杜木慎一郎は、神秘的な色を湛える漆黒の瞳を細めた。
 口ではああ言っているが、絶対に意図的な行動に違いない。
 俺が仕事を片付けただろう頃を見計らい、杜木はこの生徒会室にやって来たに決まっている。
 しかも仕事がしたくないわけではなく、俺が怒る姿を楽しむためという理由だろうことが、さらに性質が悪い。
 この杜木は聖煌学園の現生徒会長であり、俺の親友でもある。
 器用で要領も良く、頭の切れる男。
 そして綺麗な漆黒の瞳と髪を持つ彼は、不思議なカリスマ性を持っていた。
「じゃあ、今日の生徒会の仕事は、もう終わりということだね。それで今から……その事件のことを、調べに行くのかな?」
 杜木は視線を机上の新聞記事へと向け、そう訊く。
 俺は頷き、少し考えてから口を開いた。
「ああ。襲われているのはすべて特徴の似ている男女の二人組、そしていずれも死因は不明だ」
「原因不明の死、ね。“憑邪”である可能性もあるということか」
 そう呟いて記事を手に取り、杜木はそれに目を向けた。
 俺たちは、普通の高校生とは少し事情が違っていた。
 俺と杜木には――普通の人間が持たない、特殊な能力があるのだ。
 人間に害を及ぼす存在を滅することのできる、“気”という力を操る“能力者”なのである。
 そしてそんな人間に害を及ぼす存在は、“邪”と呼ばれている。
 この“邪”は、能力を持たない普通の人間には見えない。
 それは一般的に知られている“霊”と同じような浮遊物体であるが、ただ人の目に見えないだけの“霊”とは違い、“邪”は人間にとって有害なものなのだ。
 残虐な性質を持つ“邪”はより大きな力を得るために、弱い心を持つ人間の心の隙間に入り込み、その身体を乗っ取ろうとする。
 その“邪”に弱い心をつけこまれ、身体に憑依された人間を“憑邪”と言う。
 身体を支配された“憑邪”は残忍な“邪”の特殊能力を使い、人間の生命を脅かす行動を取る場合が多い。
 俺たち“能力者”は、そんな“邪”や“憑邪”を滅するべく使命を与えられているのだった。
 杜木は記事を俺に返すと、漆黒の前髪をそっとかき上げる。
 それからにっこりと笑みを宿し、言った。
「事件が多発している現場に、今から行くんだろう? 俺もお供するよ、将吾」




 先刻まで空を赤に染めていた夕陽も林立するビル群の向こうに沈み、漆黒の闇が世界を支配し始めている。
 だが今俺たちがいる繁華街は眩いネオンが煌々と輝き、これから賑わいをみせようとしていた。
 杜木は新聞記事を改めて見て、言った。
「この事件の犯人は、毎回ふたりもの人間を一度に殺しているが、こんな人通りの多い繁華街にも関わらず、誰にも目撃されずにそれを実行している。こんな人目の多いところで、普通の人間にはこの犯行は不可能に近い。やはり、“憑邪”の仕業と考えた方が自然だな」
 杜木の言う通りである。
 この事件は、すべて繁華街付近で起こっていた。
 しかも、人の往来が激しい今の時間帯に。
 だが、誰もその犯行を目撃した者はいない。
 そんな、一見不可能に思える犯行だが。
 それが“邪”に身体を乗っ取られた“憑邪”の犯行ならば、可能なのである。
 特定のターゲットのみを、“結界”と呼ばれる閉鎖空間に閉じ込めることが“憑邪”にはできるからである。
 そしてその“結界”に干渉できる能力を持つのが、俺たち“能力者”なのだ。
 その時。
 俺は父譲りのブラウンの瞳を、ふとある一点へと向ける。
「将吾」
 俺の様子に気がつき、杜木は神秘的な印象の瞳に俺を映した。
 俺は杜木の言葉には答えず、意識を集中させる。
 目の前に広がるのは、普段と変わらない繁華街の雑踏。
 だが……そんな賑やかな街には不釣合いな違和感を、俺は感じていた。
 そして、その違和感を感じる場所は。
「行くぞ」
 短くそれだけ告げ、俺は歩く速度を上げる。
 杜木はふと表情を変えると、俺に続く。
 俺は賑やかなメインストリートから路地へと入り、ある場所で足を止めた。
 裏通りとはいえ、繁華街を行き来する人波は途絶えることはない。
 百貨店などが並ぶ大通りとは違い、この道沿いにはこじんまりとしたお洒落なショップが所狭しと並んでいる。
 だがそんな小洒落た雰囲気とは全く無縁の空間が、そこには出来上がっていたのだった。
「やはりこの事件は、“憑邪”の仕業だったようだな」
 杜木は声のトーンを落とし、そう呟く。
 目の前に見えるのは、小さな公園。
 先程から感じていた違和感は、この公園内から感じていた。
 そして公園内に形成されているのは、閉鎖的な空間“結界”。
 この中に、今回の事件の元凶がいるはずである。
 俺は杜木に目で合図を送ると、ふっと目を伏せて手を翳した。
 刹那、カアッと眩い光が身体に宿り、周囲の風景がその表情を変える。
 何者かが作り出した“結界”の中に、俺たちは今、足を踏み入れたのだった。
 選ばれし者しか入ることのできない“結界”に干渉した俺たちは、ゆっくりと瞳を開く。
 そして――そんな“結界”内にいたのは。
「……!」
 俺は一瞬、自分の目を疑った。
 一連の事件の犯人であろうその人物は、ゆっくりとブランコを漕いでいる。
 その人物の傍らには、二人組の男女が倒れていた。
 女性は水商売風な派手な装い、男性は赤のネクタイを締めたサラリーマン。
 幸いにも、倒れている男女のカップルはまだ気を失っているだけのようではあるが。
 冷静に周囲の状況を確認してから、俺は改めてブランコに乗っている人物に目を向ける。
 ……その時だった。
 ふいに、キイッとブランコが音を立てて止まる。
「お兄ちゃんたち、誰?」
 邪悪な気配を身に纏った人物――クマのぬいぐるみを抱えた幼い少女は、不思議そうに俺たちを見つめた。
 そのつぶらな瞳からは、幼い子供のものとは思えないような、暗くて深い淀みのようなものを感じる。
 杜木は俺をちらりと見た後、ふっと少女に近づいた。
 そしてにっこりと柔らかな微笑みを向け、彼女の目線の高さに屈む。
「こんにちは。何をやっているの? お兄ちゃんに、教えてくれないかな」
「あのね、絵里香ね、ブランコ漕いでたの」
 最初は自分に近づいて来た杜木に警戒したような表情を向けた少女だったが、彼の優しい声と笑顔に少しだけ心を許したようである。
 厳しくて無愛想だとよく周囲から言われる俺と違い、物腰柔らかで穏やかな杜木は、こういうことが得意だった。
 俺はしばらく杜木に任せ、少女の様子を窺う事にした。
 杜木はそんな俺の考えを分かっているかのように、絵里香と名乗った少女の頭を優しく撫でながら続ける。
「絵里香ちゃん。そこにいる人たちは、君のお父さんとお母さんかい?」
 少女の近くに倒れている男女に目を向け、杜木は少女に問う。
 その言葉に、少女は大きく首を横に振った。
「ううん。絵里香のパパはね、生まれてすぐ病気で死んじゃったんだって。それでね、ママは……」
 そこまで言った、その時。
「!」
 ゾクッと、背筋に寒気がはしる。
 少女の瞳が、ふいにその色を変えたのだった。
 その瞳に渦巻いているものは……憎しみや、悲しみ。
 彼女の感情を表すかのように、邪悪な気配が周囲を立ち込める。
「ママはね、知らないおじさんと、どっかに行っちゃった。絵里香を置いて、いなくなっちゃった」
 少女は冷たい視線を倒れている男女に向けた後、ゆっくりとこう言葉を続けた。
「叔母さんたちがね、言ってたの。ママとそのおじさんは、悪いことしたんだって。ねぇお兄ちゃん、悪い人は神様におしおきされるんでしょ? だから絵里香がね、ママとおじさんみたいな悪い人を、おしおきしてあげてるの」
 そこまで言って、少女はふっとその手に眩い漆黒の光を纏う。
 そして邪悪な“邪気”を宿した手刀を、倒れている男女目掛けて振り下ろしたのだった。
 衝撃の大きさに空気が渦を巻き、大気が震える。
 だが、次の瞬間。
「……!」
 少女は驚いたように顔を上げ、隣にいる杜木を見つめる。
 そんな少女に相変わらず優しい視線を向けつつも、杜木は小さく首を振った。
 少女が倒れている男女を殺すべく、衝撃を放った、その時。
 少女の隣にいた“能力者”の杜木の“気”が、咄嗟に漆黒の光の威力を無効化させたのである。
 わなわなと怒りに拳を震わせ、少女はキッと俺たちを睨みつけた。
「お兄ちゃんたち、何で絵里香の邪魔するの!? 嫌い、嫌いよっ!!」
「!」
 再び邪悪な光が少女の手に宿ったと思った瞬間、強大な衝撃が今度は杜木に襲い掛かる。
 だが杜木は難なくその攻撃を跳躍してかわし、少女との距離を取った。
 俺はふっとひとつ息をつき、グッと拳を握り締める。
 おそらくこの少女は、母親から捨てられたことにより、心に大きな傷を負ったのだろう。
 彼女の母親に対する憎しみや怒り、悲しみが、“邪”を呼び寄せた。
 そして身体を支配され、母親に似た女性と、母と一緒に出て行った男性に似ているカップルを、その手にかけていたのだ。
 ――だが。
「悪い人を、お仕置きだと? 人間が人間を裁こうとするなど、思い上がりもいいところだ。自らが神にでもなった気か?」
 俺のその言葉に、少女は眉を顰めつつ首を傾げる。
 相手はまだ、幼い少女である。
 だがそんな幼い少女によって、何人もの人間の命が奪われているのだ。
 俺は戸惑うことなく、“憑邪”を消滅させるべく“気”の光を漲らせる。
 ふっと輝きを放つ右手を引き、それから俺はその少女目掛け、大きな衝撃を放ったのだった。
 少女は大きく瞳を見開き、表情を強張らせる。
 そして。
「……っ!!」
 最期の声を上げる、そんな時間すらも与えず。
 まさに、一瞬で終わった。
 俺の繰り出した一筋の光が少女を捉え、“結界”内に大きな光が弾ける。
 地を揺るがすような轟音と、衝撃により生じた余波が周囲に立ち込めた。
 そして再び静寂が戻り、余波が晴れたその場には。
 少女の抱いていたクマのぬいぐるみが、無造作に地に転がっているだけだった。
 杜木は少女が跡形もなく滅されたことを確認した後、倒れている男女に近づく。
「ただ気を失っているだけのようだな。しばらくすれば、目を覚ますだろう」
 それから杜木は俺に視線を向け、ふっと漆黒の瞳を細めた。
「将吾」
 親友が、おもむろに俺の名を呼ぶ。
 俺は父譲りのブラウンの前髪をザッとかき上げ、自嘲気味に笑った。
「人間が人間を裁こうとするなど、思い上がりもいいところだ、なんてな……よくこの俺が、そんなことを言えたものだ」
 少女をこの手で滅したことに、今でも躊躇いや罪悪感はない。
 このまま少女を野放しにしておけば、さらなる犠牲者が出ていたからだ。
 だが少女は“邪”に身体を乗っ取られていたとはいえ、元は命ある生身の人間である。
 そんな生身の人間を、俺はこの手で裁いた。
 俺に課せられた、“能力者”としての使命に従って。
 使命を全うし生きていく覚悟など、当の昔にできている。
 自分の行動に、後悔はしていない。
 だが……。
 俺は自分の意思とは関係なく、気がつくと、こうゆっくりと言葉を発していた。
「杜木、俺は……俺のしていることは――……」
 ――その時だった。
 ふわっと一陣の強い風が吹き、俺の髪を優しく揺らした。
 俺は頬を優しく撫でる風を感じてハッと我に返ると、口を噤む。
 そして。
『将吾、これだけは覚えておくように。自分自身を保つために、その強さを保つために、言ってはいけない言葉がある。それは……』
 脳裏に響いているのは、母のこの言葉。
 俺はギュッと目を瞑り、小さく息を吐く。
 それから瞳を開いて、敢えて何も言わず俺を見守っている親友に向けた。
「……杜木、帰るぞ」
「ああ、そうだな」
 杜木は俺の言葉に頷いて微笑む。
 それから穏やかな印象の顔に笑顔を浮かべ、俺の肩をぽんっと叩いた。
「将吾、何か美味しいものでも食べて帰るか? 今日は議案もおまえに確認してもらったことだし、俺が奢るよ」
「それよりも、奢ることにならないように、日頃から生徒会長としての意識をしっかり持て。まったく、おまえというやつは」
「ふふ、分かっているよ、将吾」
 じろっと目を向ける俺に、杜木は相変わらず悪びれのない表情でにっこりと笑う。
 本当にこいつは、分かっているのだろうか。
 父といい、杜木といい……どうして俺の周りには、こういうタイプの人間が多いのだろうか。
 そう思いながらも、俺はふっと口元に笑みを宿す。
 思考は全く理解できないが。
 そんな彼らと一緒にいることに、不思議と居心地の悪さは感じない。
 いや、むしろ……。
 俺は小さく首を振り、まだ微かに揺れているブランコに背を向ける。
 そして、ゆっくりと歩き出したのだった。
 決して振り向かず……ただ、前だけを真っ直ぐに見つめて。




   




 俺は亡き母に似て、頑固で堅物で、不器用な生き方しかできない人間だ。
 自分に課せられた運命から目を逸らすことも、背を向けることもできない。
 むしろ、真っ向からそれを受け止める覚悟はできている。
 それは思い上がりか、はたまたエゴであるのかもしれない。
 だが、“能力者”としての使命を全うするためならば。
 俺は――神にでも悪魔にでも、何にでもなろう。
 誰でもない俺自身が、そう生きていくと決めたのだから。
 前だけを見据え、己の信じた道を、真っ直ぐに歩いていこうと。
 自分を保つために、自分が強いままであるために……母に禁じられた言葉を、心の内にだけ秘めて。

 

FIN




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